「瑞鶴先輩!」
「……ねえ、前から言ってるけど、その瑞鶴“先輩”ってのやめてくれない? あとここでは静かにしなさい」
一人で鍛練をしていた最中、弓道場の入り口から聞こえた声に振り返ると、そこにはこの鎮守府の中で唯一私を先輩と呼ぶ空母の姿があった。
「あ……すみません、つい」
「ついじゃないわよ。まったく、今は私一人だから口煩く咎めるつもりはないけど、もし一航戦……特に青い方がいたら、間違いなくお説教タイム突入よ?」
「うっ、加賀さんの説教はいやだなぁ。前なんて……」
以前やらかした時に受けた一航戦による説教を思い出したのか、ぶるる、と体を震わせる後輩。どうやらトラウマになっているようだ。気持ちはわかる。
「で、葛城は何しにここに来たのよ」
「あっそうでした。瑞鶴先輩! 私を鍛えてください!」
「却下。あと先輩いうな」
私の返事に、葛城は「そんな!?」と心の底からショックを受けた反応をする。この様子だと断られるとは微塵も思っていなかったようだ。
「あんたに教えれる程、私は練度も高くないし場数も踏んでない。どうせ教わるなら赤城さんや加賀さんにしなさい。その方があんたのためになるわ」
「う……それは、そうかもしれませんけど……私は瑞鶴先輩に教わりたいんです!」
「だから先輩いうな」
なんだか背中がむず痒くて仕方ないのよ。
「あのね、あんたがどうしてそこまで私に拘るのかは……まあ、だいたい察しはついてるけど、私なんかより一航戦の人達に師事した方が絶対に葛城の成長に繋がるわ。あの人達が嫌なら飛龍さんや蒼龍さん、翔鶴姉……私より強くて教え上手な人ならいくらでもいるでしょ」
「……でも、私は……葛城は……」
ぎゅ、と服の裾を掴みながら俯く後輩に、私はついため息をつきたくなると同時に、ふと昔のことを思い出す。
『一航戦──ましてやあいつに教わるなんて絶対にいや! 翔鶴姉がいい!』
──あの時の翔鶴姉の瞳には、当時の私は今のこの子みたいに映っていたのかな。
「……、一度だけ」
「!」
「一度だけなら、あんたの鍛練に付き合ってあげる」
「本当ですか!?」
おおう、いきなり元気になった。
「一度だけよ? 何度も言うけど、私よりずっと経験があって強い人は沢山いるの。だから私にばかり拘らないで……」
「やった! あの瑞鶴先輩と一緒に──あ、あのっ、早速みてもらってもいいですか!?」
「え、いや、あのね、話は最後まで聞いて──」
「葛城、すぐに準備してきます!」
「いやだから、話を聞いて…………あ」
私は見た。慌てて弓道場を出ようとした葛城が、今まさにここに入ってきた人とぶつかり、尻餅をついてしまったところを。
私は聞いた。ぶつかった相手もまた、葛城と同じように尻餅をついて……あの子と、そして道場内にいた私を見て、こう呟いたのを。
「頭にきました」
なんて理不尽。
◆
見る。
狙うは一点。射抜くべき対象以外の不要な情報は頭から、視界から、耳から、すべて弾き出す。
射法八節。弓道においての基本法則。動作七節に、最後の“心”を加えて計八節。
戦場では一から八までの節を律儀に守ってられる程の余裕はない。けれど今私がいるのは命の危険のない道場だ。基本を振り返りながら矢を射る余裕は十分ある。
構えに入る前に、かつて私に射を教えてくれたあの人の姿を思い浮かべる。
今の私は、果たしてどこまであの人の背中に近づけただろうか。いや、もしかしたら離れているかもしれないわね。慢心せず、常に向上心を持っていた人だ。私の記憶の中の姿は、もう過去のもの。
……今のあの人は、いったいどれほどの高みにいるのかな。
「…………」
──構える。
──狙うは一点。
「────」
離し、放つ。
──中る。
そして、残心。
本来ならここで今の射についての反省なり、改善点などを探すなりするのだが。
私はただ、射抜くべき的の中心から少しずれた位置に突き刺さっている矢を見つめながら、まったく別のことを考えていた。
……あの人は、今の私を見て、なんて言うだろうか。
「まあ」
褒められるなんてことは、まずないだろう。
きっといつもの仏頂面をみせながらこう言うんだわ。
『まだまだね。その程度で私を追い越すなんて、笑わせてくれるわね、五航戦』
「ふん、いつか追い抜いてやるわよ、一航戦」
そのためには、早くこんな場所から帰る方法を探さないと。
……今のところ、その方法どころかきっかけすら掴めていないのだけれど。
前途多難もいいところだ、と、自然と口からため息が洩れた。
◇
その場に居合わせたのは、まったくの偶然だった。
間宮さんの所で久しぶりのアイスを堪能し、食後の運動でもと一人弓道場へ足を運んだ私は、道場内に人の気配があることに気付き。
誰かしら、とそっと扉を押して中を覗き見たら、そこには最近よく話題に上がるあの人がいた。
──わ、わっ、瑞鶴さんだ……っ。
運の良いことに、ちょうど射をするところだったようだ。
翔鶴型二番艦、瑞鶴さん。
文字どおり翔鶴さんの妹さんで、他の艦娘達と最低限しか関わらず、いつもどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出してるから、駆逐艦から怖がられて少し避けられている、私と同じ正規空母の先輩だ。
そんな瑞鶴さんは、あまり人前で矢を射ることはない……らしい。あくまで聞いた話だから本当かどうかはわからないけれど、私はあの人がここにいるのを見るのは今が初めてだから、案外信憑性は高いのかもしれないわね。
普段は二つに結んでいる髪をおろし、見慣れないストレート姿は斬新で、いつもより大人の女性に見える。別に普段の姿が子どもっぽいってわけじゃない。むしろ大人だわ。寡黙だし、クールだし、かっこいいしっ。
……っと、いけないいけない。妄想の世界に浸るのはここまでよ葛城。
意識を頭の中から目の前の光景に切り換える。するとタイミングよく瑞鶴さんは構えに入って────。
「うわあ……っ」
感嘆。無意識に肺からは空気が洩れ、興奮からかいつもより激しく脈打つ心臓の音が耳に届く。
瑞鶴さんの射は、ただただ基本に忠実なものだった。それだけなのに、私は今の一連の動作に魅せられた。
基本に忠実。口に出すのは簡単だけど、それを完璧なまでにこなすのは容易ではない。私に今の瑞鶴さんと同じことをしろと言われてもまず無理だ。
私の知る限り、あそこまで美しい射ができるのは一航戦の二人くらいね。
……そういえば、今の瑞鶴さんの動き、どこか加賀さんに似ていたような気が……いや、たぶん気のせいね。瑞鶴さん、誰からも教わってないって聞いたし。
──あれ?
ならどうしてあそこまで綺麗な射を瑞鶴さんはできるのだろう。誰からも教わってないってことが本当なら……まさか独学!?
「ねえ」
「ひゃわ!?」
驚愕。
気付いたらすぐ目の前に瑞鶴さんがいた。
予想外の事態に驚き尻餅をついた私を、目の前にいる先輩は呆れたような目で見下ろす。
うぅ、憧れの瑞鶴さんの前で尻餅なんて。恥ずかしくて顔から火が出そうだわ……っ。
「……、さっきからこそこそと何をしてるのかと思えば。百面相の練習なら他所でやってくれる? 気が散るわ」
「っ、すっ、すみません! あの、わ、私も少し体を動かそうかなと思いまして! そしたら瑞鶴さんがいたので、少しばかり見学させて頂こうかなと! 覗きとかっ、そんな疚しい気持ちは一切なくて……っ」
「どうでもいいから、まずは立ちなさいよ」
「はっはい!」
急いで立ち上がり、改めて瑞鶴さんと対面する。
……うん、やっぱり髪型がいつもと違うからか、普段と印象が全然違うなぁ。
「何で人の顔見て呆けてるのか知らないけど、やるんでしょ、あれ。私はもう終わるから、後は好きにしなさい」
「あ……ま、待ってください!」
思わず。そう、思わずだ。ここから立ち去ろうとした瑞鶴さんの背中に、私はつい声をかけてしまった。何も考えてないのにっ。
「……なによ。何か用?」
呼び止めておいて用件を喋らない私を訝しんだのか。 眉を寄せる瑞鶴さんを前にして、私の背中を嫌な汗が伝う。
──まずい、まずいわ。「実は何も用なんてありません」なんて、今の瑞鶴さん相手に口が裂けても言えないわ。言ったら何をされるか……ああ、想像すらしたくないっ。
何か、何かないの葛城! 今あなたの前にいるのはあの憧れの大先輩なのよ。聞きたいことや話したいことの一つや二つあるでしょ!
こんな機会もう滅多にこないだろうし──、そうだわ!
「瑞鶴さん、時間がある時でいいんですけど、私の射を見てもらえませんか?」
「…………」
無言。
口内が渇き、唾を呑み込む音がやけに大きく聞こえた気がした。
「悪いけど」
ついに放たれた瑞鶴さんの言葉に、思わず体が跳ねる。
「私、これから暫くは忙しくなるから、あんたの相手はしてられないの」
「──そう、ですか」
「ええ。だから頼るんなら私以外の人にしなさい」
「はい、そうします……急に呼び止めたりしてすみませんでした」
「それじゃ」
俯く私の横を、あの人は颯爽と通りすぎていった。
──ショック、だった。心のどこかで断られるとは思っていたけど、実際に面と向かって拒否されるのは中々にきつい。
ましてや相手があの瑞鶴さんなのだから、ショックの度合いも他の人と比べて一段と重い。
泣かなかった私を褒めてやりたいくらいだわ。
「……よし!」
いつまでも引きずってなんかいられないわよ葛城! せっかく瑞鶴さんの射を見れたんだから、あの光景が瞳に焼き付いているうちに練習よ、練習!
……あぁ、でもやっぱりショックだなあ。
「……それにしても」
これから忙しくなるって言ってたけど、近いうちに大規模作戦の予定なんてあったかしら。
今度誰かに聞いてみようっと。
弓道についてはにわか知識満載です。
私の中での瑞鶴に対する葛城はこんな感じ。露骨すぎた気もしますが、史実があれですし。