私が思っていたよりも、世界は残酷だったらしい。
ありふれた日常。皆で騒いで、笑って、たまに喧嘩なんかしたりして。
時間はまちまちだったけど、ほぼ毎日向こう側にいる貴方と顔を合わせて、出撃して、演習して、怪我してドックに放り込まれて。
そんないつも通りな毎日を、これから先もずっと送れるのが当たり前だと思っていた。
けれど、そんな私の世界は一瞬にして姿を変えた。
一見すると何ら変わらない。人も、海も、空も、妖精も、身体も、中身も、記憶も、感覚も、何一つ普段通りだ。
だが、違う。違うのだ。人も海も空も──この世界すべてが偽物だ。形だけ同じのまがい物なんだ。
気持ち悪い。
どうして私はこんな目に遭っている。どうして私はあんな偽物達と毎日毎日顔を合わせて話をしなくちゃいけない。どうしてあいつらは私に関わろうとする。
あれは私の知ってる先輩じゃない。あんたは私の知ってる後輩じゃない。お前は私の知ってる友達じゃない。
……貴女は、私のたった一人の、大好きだった姉じゃない。
誰があんたらなんかと仲良くするか。誰がお前達なんかと触れ合うもんか。
いつか絶対こんな世界から抜け出して、私は帰るんだ。
私が大好きな人達がいる、あの日常へ。
それまでは、使えるものはなんだって利用しないとね。
◆
「艦娘の着任記録、ですか」
「ええ。そういうのって録ってないですか? もしあるなら見せてもらいたいんですけど」
「ありますけど……そんな物見ていったいどうするんですか?」
「ちょっと気になることがありまして」
「……まあ、特にこれといった機密は記されていませんし、構いませんけど。ただあまり詳しくは書いてありませんから、そこはご容赦くださいね」
デスクを漁り、ひとつのファイルを取り出した大淀は私にそれを差し出した。
受け取り、中に目を通す。
艦娘の名前、艦種、建造、もしくは海域にて突如として生まれ保護された日時。これだけ判れば問題ない。大淀は詳しく書いていないなんて言ったが、むしろこれ以上何を書けば詳しくなるのか。
さておき。
注視するべきは日時と場所だ。私と同じ日に建造された艦娘は……いない。突如として生まれた──元いた場所では“ドロップ”と提督さんは呼んでいたが、それも無し。
「……他の鎮守府のものは見れますか」
「ここを含め、各鎮守府の情報は全て大本営が管理しています。提督の許可があれば、閲覧も可能ですけど……」
提督ね。
さてどうするか。あまり不可解な行動を取れば怪しまれることになる。
今は別の理由から私に接触してきているからそういう目で見られてはいないけど、それも次からは変わるだろう。今回の大淀との会話は間違いなく提督に伝わる。他ならぬ大淀の口から。
ただそれでも、私の予想ではまだ疑惑の域には至らないはずだ。せいぜい珍しいことをするな、くらいのものだろう。
短く浅い付き合いだけど、ここの提督がお人好しだっていうのは私にもわかる。基本的に人を疑わず、一度身内だと判断すれば甘くなる。私からすれば危ういの一言だが、他の艦娘達から言わせればそこが親しみやすい理由らしい。
「それにしても、貴女といい赤城さんといい、珍しいものに興味を持ちますね。着任記録なんて、私みたいな補佐役の艦娘以外は興味どころか存在すら知らない子もいるくらいですよ」
「あ、だから興味を持つんですかね。知った時に」と何やら一人で納得した風に頷く大淀だが、私はそんな彼女の所作よりも気になることができた。
「ねえ大淀さん、これ、赤城さんも見たの?」
「ええ、随分前のことですけどね。確か……赤城さんが着任して少しした頃に、瑞鶴さんと同じように私を訪ねてきたんです。“他の子達のことを知りたいから、記録を見せてほしい”って」
「……それで?」
「これまた貴女と同じで、他の鎮守府のことも知りたいと頼まれたので提督が閲覧許可を出しました。ただそちらの方の理由は前者と違い、当時の演習相手を知るのが目的だったようですけど」
「へえ」
あの人が、ね。
…………。
「これ、返します」
「もういいんですか?」
「はい。ありがとうございます」
記録を手渡し、通信室を後にする。
さて。あの一航戦の片割れは今どこにいるのか。
……どうせなら、それも大淀に聞いておけばよかった。
◇
脱力。
椅子の背もたれに体を預けて一息つく。
彼女の相手をするのは疲れる。前はそうでもなかったというのに、ここ最近の提督や他の子達の話を聞いた後では必要以上に神経を使ってしまう。
しかし、なるほど。神通さんの言う“目”とはあれのことか。
私を見ているようで見ていない。あれはまるで興味のない物か何かを見る目だ。大概に人に向けるような類いのものじゃない。
どうして今まで気が付かなかったのか……。
「…………」
彼女の目は確かに不気味だ。一部の駆逐艦の子達が避けるのも頷ける。ただあの視線からは敵意や嫌悪といった感情は伝わってこなかった。私がそう感じただけかも知れないが、そこだけは妙に気にかかる。
──敵、ではない、とも言えない。身内を疑いたくはないが、そういう目線で見る立場の者が一人はいた方がいい。
できるならば提督に任せたいところではあるんですが……駄目ですね。性格上無理がある。すぐ顔や態度に出そう。下手したら本人に直接問いただしそうだ。
「やれやれ」
あの甘い性格は好ましくもあるんですが……まあ、そういう欠点を補うのも、補佐役の私の務めなんですけど。
ただ私一人では些か荷が重い。
……今度加賀さんあたりでも引き込みますかね。
眼鏡を外し、眉間に寄った皺を解すように軽く指先で揉む。
──それにしても、翔鶴さんはまた難儀な妹を持ったものだ。片方は歩み寄ろうとし、もう片方は同じだけ離れようとする。提督も姉妹仲を取り持つためにいろいろと画策しているようですが、瑞鶴さんのあの様子を見る限り、今のところ何をしても無駄でしょう。むしろ逆効果な気がしないでもない。
かといってそれらの行為を止めるつもりはさらさらない。私自身、瑞鶴さん関連の問題に対する解決案が浮かんでいるわけではないし、何より不用意に首を突っ込んで自ら心労を重ねたいとは思わない。
翔鶴さんには悪いけれど、私は傍観者の立場でいさせてもらおう。
デスク周りの整理を終え、ゆっくりと席を立つ。
時刻はヒトゴーフタマル。
休憩がてら間宮さんの所にでも行こうか。そして串団子とお茶でも頼んでゆったりしよう。今日の分の仕事はまだあるが、それも微々たるもの。初めのうちに重要な書類などの処理は終わらせておいたし、近頃は深海棲艦の動きも穏やかだ。多少休憩の時間を延ばしても問題はない。
さあストレス発散といきましょうか、と意気揚々と通信室を出ると、すぐ目の前に提督の顔が。
──どうやら、あの美味しい串団子を堪能できるのは、またの機会になりそうだ。
たぶん今作のヒロインは瑞鶴。攻略する側は……誰でしょうね。