32才、独身。
鶴賀学園高3年時、インハイ長野県大会決勝に進出。惜しくも全国大会進出はならなかったが、県大会時の活躍から国民麻雀大会の長野県代表に選出される。大会優勝の立役者となり、この活躍によって佐久にスカウトされ入団。佐久では主に藤田靖子とローテーションで大将に据えられることが多い。
「アマチュア・クラブ」快挙達成ならず PO出場逃す (2026.11.4)
プロ麻雀M1ナ・リーグ最終戦、ラスでなければ鳥栖を抜きPO出場が決まる試合。大垣は先鋒の山本がエース戦の中失点を最小限に抑え、次に二宮が点棒を原点近くまで取り返したが、佐久の最終兵器宮永(照)に花巻が狙われ点数が5万を割った。副将戦で立て直しをはかるも、大将三島が天江の攻撃をかわしきれず鳥栖に競り負けた。鳥栖との差はわずか1000点。
大垣の侑働監督は「全員がセミプロのチームがここまで闘えたこと自体が奇跡であることは十分わかっているけれども、あと一歩のところでPOに届かなかったことがやはり悔しくてならない」とコメント。「来年こそはリーグの頂点へ」と早くも来年への抱負を語った。
なお、最終戦をトップで終えた佐久だったが、首位の横浜が2位につけたため逆転優勝は叶わず。山瀬監督は「今年は好調だったし、頂点の景色を選手たちに見せてやりたかった。力不足で申し訳ない」と語った。(サンケイスポーツ)
順位 チーム 得点 得失点差
1位 佐久フェレッターズ 1310 +310
2位 横浜ロードスターズ 1240 +240
3位 鳥栖オリゾンテ 730 -270
4位 大垣麻雀クラブ 720 -280
今年もリーグ戦が終わり、POと日本シリーズの秋がやってきた。私が入団してからは毎年POに出ているような気がするが、藤田さんが言うにはかつての佐久は毎年5位のチームだったらしく、PO出場など夢の話だったらしい。(らしい、というのは私がスカウトされるまでプロ麻雀にあまり興味がなかったからだ)そんなチームが常勝軍団横浜と競るようなチームになった理由を私は知っている。長野県産純粋培養化け物がたくさん入荷、もとい入団したからだ。
佐久フェレッターズからスカウトされて、私は真っ先に津山に相談した。津山はプロ麻雀せんべいを集めているくらいだからきっと詳しいだろう、という適当きわまりない思いつきからだったが、予想通り津山は私に十分すぎるほどの情報をくれた。曰く、佐久はM1リーグに留まり続けてはいるものの、異質なまでの強さはない。今年の高校で言えば、まさにこの鶴賀学園のようなチームであると。ちなみに清澄が常勝軍団横浜に例えられていたことは内緒である。
この情報をもとに、私は改めて親と相談し、スカウトを受けることにした。そこまで強くないチームなら、私でもまあチームの役には立つだろうと考えたからである。佐久のフロントは私をにこやかに迎えてくれ、チームメイトも優しい人たちばかり。来年からもうまくやっていけそうだと思った矢先のことだった。
「宮永選手、プロ全チームからスカウトが来ているとのことですが、どこに入団されるのですか?」
「大宮ですか?恵比寿ですか?横浜ですか?」
「つくばが年棒2億との報道もありますが!」
「はい、私は…」
あの宮永照が、入団チームを決めたと記者会見を開き、マスコミはこぞって会見を中継していた。居並ぶテレビカメラの前で彼女は、
「私は、佐久フェレッターズへの入団を希望します」
とんでもない爆弾を投下した。
その日から佐久の事務所は電話が鳴りっぱなしになり、藤田さんは毎日マスコミの取材に追われたそうだ。普通なら横浜に行くような選手が佐久に来ると言うのだから無理もない。佐久が今までのようなチームでいられなくなるのは必至だと思われた。
が、山瀬監督は手に入れたジョーカーをすぐに実戦に投入しようとはしなかった。練習場に集まった選手たちを前に私と宮永照を紹介すると、「まあ、仲良くしてね」と一言告げて立ち去ってしまった。選手たちはぽかんとするばかりである。
翌シーズン、宮永照の活躍が期待された佐久フェレッターズは「今まで通り」のオーダーを組んだ。私を大将、宮永照を先鋒のローテーションに加えただけで宮永に対し特になにもしなかったのである。もちろんそれで優勝するはずもなく、勝ち数は増えたが最終順位は4位に終わった。POに出場はしたが、あっさり敗退した。
シーズンが終わればスカウトの季節。その年の注目は荒川と天江、神代の三人だったが、神代は家の職のためプロ入りはしないと発表したためマスコミは荒川と天江の二人を追った。そんな中で佐久は新道寺の花田を既にスカウトし獲得していたが、事件は繰り返すものである。
「衣は佐久フェレッターズに入団したい。藤田がいるからな」
天江に名指しで話題に出された藤田さんは、またしてもマスコミに追われる羽目になった。
しかし、監督の対応も去年と何ら変わりなかった。花田を次峰、天江を大将のローテーションに加えたのみ。周りから見ればやる気がないとしか思えないこの対応に、翌シーズン開幕後ついに横浜と恵比寿がトレード要求を出した。対象は宮永照と天江。監督はこれを受けて二人を呼んでこう聞いたそうだ。
「横浜と恵比寿からトレード来てるけど…行きたい?」
二人は答えた。
「やだ」
これを理由に佐久はトレード要求を却下した。もうなにがしたいのかわからない。
監督も選手の起用を見直したらしく、それから二人の出場回数は増えた。結果、その年は3位に終わり、POを勝ち抜き日本シリーズに出場することができた。
二度あることは三度あるもので、その年スカウトは宮永咲を獲得した。もうおわかりの流れかと思うので特に言いはしない。もう一人、スカウトはモモを連れてきた。モモは3年間長野でもまれ、特に原村和と戦えるようにデジタルの技術を身に付けていた。かねてからのステルスに加えデジタルも上手いとあって、相応の評価を得ていたモモは柔軟な打ち手として副将に当てられた。
かくして長野の最強世代を擁する佐久は、常に横浜と順位を競るチームとなったのである。
電話が鳴っている。私ははっと我にかえって電話に出た。
「あ、もしもし、ゆみ?」
宮永照であった。
「そうだが。なんの用だ、照?」
「うん、今晩のパーティー忘れてないかと思って」
「…忘れてた」
「やっぱり。ゆみは遊びの予定をすぐ忘れるから」
「道をすぐ忘れる奴に言われたくないがな」
「…19時に咲の家に集合だからね」
「へーへ」
「じゃあ、またあとで」
電話が切れた。
咲は7年前に結婚して、名字を須賀に変えた。今は幼稚園くらいの子供が一人いる。彼女の家に行くと独身の自分に焦りを感じるからあまり行きたくはないのだが…パーティーなら仕方ないな。
ゆみは出かける準備を始めた。