オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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STAGE20. 支配者王都へ行く/ツアレ劇場ト密約(4)

 王都に隣接することから、繁栄し活気のある小都市エ・リットル。

 その東地区の外周城壁近くに歓楽街が存在する。密集した建物群の中の一つに、リ・エスティーゼ王国の裏社会を席巻する『八本指』系列の娼婦の館があった。店は、この街の系列内でも上級層の客を相手にしている。

 そこで一年程働かされている金髪の綺麗な一人の娘がいた。通り名は――ツアレ。

 彼女は片田舎の村に住んでいた12歳の時、両親をモンスターに襲われ喪い、妹共々孤児となった。母方の妹である叔母の所へ預けられるも、13歳の時に叔母夫婦から税の免除を持ちかけられた役人の目に止まり、差し出される形で初老の領主貴族の妾にされてしまう。

 彼女は、ずっと耐えていた。気掛かりであったのが村に残した妹の事。まだ幼かったイリーニャは、今どうしているだろうかと。領主の所では妹について、決して口には出さなかった。それは妹まで連れて来られると思ったからだ。そうして、じっと逃げる機会を待っていた。

 しかし、領主の館では何代も前から用意されている隔離棟の部屋で、四重に扉や門が有り脱出は無理であった……。

 それから6年が過ぎた頃。領主の下を訪れた『八本指』の副幹部級の者の目に止まり、飽きてきていた面と、近年の戦争に因る出費の穴埋めがてら彼女は売り払われ、このエ・リットルの娼婦の館へと連れて来られたのだ。

 金髪で白い肌に綺麗で整った顔をしているため、ツアレは高い金額の娼婦として、街を訪れた大商人や貴族の相手をさせられることになる。

 だが、そんな娼婦の館に見張りは居るものの、領主の館ほど警備は厳しくなかった。特に移動の際は、外に出て馬車に乗り込む場合が多くあったのだ。

 更にこちらへ来た当初は、従順にしていたため付き添いも普通の従業員が行う事が多かった。

 だから、隙を見て一度逃げ出し――それで失敗していた。

 準備が足りなかったのが悔やまれる。地理を良く知らず、逃げた先が袋小路で捕まってしまったのだ。

 当然それ以来、彼女の見張りは厳重になっていた。そして店の幹部の(いか)つい顔で大柄の黒服の男にこう釘を刺されていた。

 

「ツアレ、おめーは大事な商品であるし、一度は許してやる。だが次は、死が楽に思える王都の地獄へ送られることになるのを忘れるな。この店は普通の店じゃないんだからな」

「………はぃ」

 

 しかし彼女は従順である振りをして、また機会をじっと窺っていたのだ。

 そして10ヶ月超が過ぎてその機会が、上火月(かみひつき 七月)上旬の今日、偶然訪れた。

 これまで、馬車で連れ出される度に、窓から偶に見えた景色等で逃走路の知識を蓄積していった。そのため、この街の道は特に店の周辺について以前よりも把握出来ている。

 お金も貴族や商人からこっそり貰った分があり、金貨数枚を靴の中底裏等へ縫い付けて音がしないようし身に付けている。

 いつでも外へ逃げられるようにと――。

 今日も高級宿泊所から朝に馬車で店へ帰りつくと、黒服の男より「今夜も貴族様の所からお呼びだ。夕方まで休んでおけ」と伝えられる。「はい」といつも通り従順ながら無感情にツアレは答えを返した。

 そして夕方を迎える。その時間に店の警備が、偶々(たまたま)4人も休憩や都合により少なかったのだ。4カ月前に1度有ったのみ。これにより死角がずいぶん増えていた。

 さらに、廊下でツアレに付き添って馬車まで連れていこうとした警備の男が、奥から黒服に呼ばれたのだ。警備の男は一瞬迷うも、黒服の男が厳しいため直ぐにそちらへ向かおうとし、ツアレへ「ここで待ってろ」と告げ、最近従順である彼女が「はい」と返事をすると信用し、奥の黒服の方へ廊下を駆けて行った。

 ツアレの周りには誰もいなくなる。

 この1年でこの店の構造も警備の位置も詳しくなり、ツアレは死角の多い作業出入り口から――満を持して逃げ出した。

 10分、20分経っても誰も追ってこない。息が切れ、駆ける速度を落とし噴水と木々のある小さい広場の脇に設置されていたベンチへ座る。このあと貴族の相手だった為、服装も白いブラウスに青緑のスカートを履き、特に周囲から見られても違和感はない。

 夕暮れが進み、夜の(とばり)が降り始めて闇にも紛れられる可能性も高まる。多少危険だが、彼女の今の状況から考えると圧倒的にプラスである。

 

「……やったわ」

 

 普段はずっと素面でいる彼女が、数年振りに笑顔を浮かべそうになる。

 しかし――。

 

「おいっ!、こっちかっ?!」

「へい、間違いありませんっ」

 

(…………えっ!?)

 

 近くで、聞き覚えの有る黒服と警備や従業員の微かな怒鳴り声が耳に流れてきて、ツアレは固まる。

 八本指系列の店には変わった生まれながらの異能(タレント)を持っている者も集めていた。それは、近場の希少鉱物を感知出来る者や、勘の鋭い者達だ。

 彼女の左手首へガッチリはめられた細い腕輪には、目立たないように希少鉱物が埋め込まれている。ツアレはそれを知らなかった……。

 ツアレは駆け出していた。必死である。厳つい黒服の男は甘い男ではない。店の商品の女に遊びで手を出した従業員を、半殺しにするところも目撃している。その従業員の場合も、1度目だったので殺されずに済んだらしい。

 黒服の男は元冒険者だと他の警備の男から聞いていた。

 

(捕まったら、終わってしまう。イリーニャのところへ何としても辿り付かないと)

 

 ベンチから声の聞こえた方向に並ぶ木々へ隠れる様に、反対側の石畳が敷かれた裏通りの歩道を駆け抜けて行く。しかし、彼女は日々館暮らしで走るための筋肉は、先程からの疾走ですでに悲鳴を上げ始めている。

 あと、どれほど走れるかは分からないが、こうなれば南南東の城門を目指すしかないと蓄えた知識を頼りに道を進んで行った。

 だが、五分ほど経ったころその逃走劇の『終わり』を告げるように声が後ろから聞こえた。

 

「いましたぜっ、こっちです!」

(――見つかってしまったの?!)

 

 思わず彼女が振り向くと、通りの横道から現れた位置に立ち止まる館所属の警備の男が、後続へ手招きしながらツアレを見て叫んでいた。

 ツアレは、直ぐに脇にあった下り気味の小道へと飛び込む。

 少し傾斜で下っているため、加速しながら進んでいく。もう膝がカクカクし始めていたが構わず進んだ。この先がどこに出るかも知らない道だが、もはや前に一歩でも遠くへ逃げるしかない状況に至っており、一心に駆けるのみ。

 日没が迫り、すでに建物脇に並ぶランプに灯が入っているのか、前方に捉えた小道の終わりで僅かにその明かりが見えているのを目指した。この時彼女は減速し切れず、勢い余る形で脇から通りへ飛び出していく。

 そこは大通りであった。おそらく南南東の城門から伸びてくる道であろう。

 ここで彼女は慌てる。左手から四頭立ての馬車が足早に迫って来ていたのだ。危険を避ける為、思わず体は馬車へ背を向け、門に逆走する向きへ転換し駆け出す。

 しかしツアレは、疲労からもう膝へ力が入り切らずに、間もなく石畳に足先を躓かせバランスを崩し、バタバタと数歩足を出したところで転倒した。

 馬車との距離は20メートルほどしかなかったが、咄嗟に制動が掛けられツアレを避ける形で、道の中央からやや左寄りに馬車は止まる。

 丁度、御者台の右手の路上にツアレが倒れていた。

 

「飛び出しは危険ですよっ!」

 

 御者台からまず大きめの声で注意の声が掛かる。だが続いて直ぐ、御者から善良者的な倒れた人物を心配そうに気遣う声が続いた。

 

「……大丈夫ですか?」

「は、はい……」

 

 起き上がりつつ振り向いたツアレは、眼前の馬車の豪華さと御者席へ座る眼鏡美人のメイド女性に目を丸くする。

 メイド姿の御者は、王都へ向かう至高の御方一行の馬車を操るユリ・アルファであった。

 

 急に掛けられた馬車の制動でアインズ達も異変に気付く。しかし馬車の室内には振動や急激な挙動への緩和魔法も掛かっており、たとえ衝突により急停止があっても酷い前のめりや椅子から落ちるといったことにはならない。

 アインズらは、扉と反対の側面側の窓から僅か横前方に、倒れたのか起き上がろうとする女性に気が付いた。どうやら足を捻って痛めたらしく立ち上がり切れずしゃがみ込む。

 

「ん? 事故か」

 

 アインズがそう口にした時、道の脇から数名の男達が飛び出して来た。数は五名。そして、周囲を見回し何か探す素振りをすると、すぐに道へしゃがみ込む女性に男達の視線が止まる。

 

「おい、ツアレっ! おめえ、どこに行くつもりだっ!」

 

 それは厳しい口調の怒声。

 その声を聞いた彼女は苦痛の顔を見せたが無理を押して、足を引きずりながらでも動こうとする。

 状況からツアレなる女性はこの男達に、追われているようだとユリもアインズらも推測した。

 一方男達も、目の前に停車していた馬車の異様さに気付き固まる。

 馬を良く見ると、四頭とも八足馬(スレイプニール)であり、車側も漆黒で艶の有る磨き上げられた大型車。普通の貴族が乗っている物とは豪華さが違った。それは一部の大商人や大貴族の水準。いや王族が乗っていても納得のいく代物であった。

 曲がりなりにも普段から上位客を相手にしている者達は、立場を弁えている。

 

「すいません、うちの使用人がご迷惑をお掛けしたみたいで」

 

 大柄で黒服の男は厳つい顔に笑顔を浮かべて、豪奢で気品ある馬車の御者へと詫びを入れた。

 

「その方は、怪我をしているようですが?」

 

 御者から声を掛けられるも、黒服の男は詫びを言い終えた瞬間から、御者席に座るメイド服姿の女性の美しさに目を見開いていた。それはその傍の男達も同様に。

 この街の系列の娼婦でもツアレは、三本の指に入る程の綺麗さであるが、更に二段以上高い水準の女に見えた。質の高い配下を揃えているのも名家の常識でもある。

 黒服の男は、この馬車の主人が只者では無いと直感で感じ取り丁寧に対応する。

 

「あの、こちらが全面的に悪いと思いますので、お気遣いなく」

 

 そう言って黒服の男がまず、ツアレを捕まえようと近付く。

 すると、黒服の行動を見たツアレが、馬車の方を向くと叫んでいた。

 

「助けてくださいっ! 捕まったら私は、殺されてしまいますっ!」

 

 彼女も当初、この馬車が貴族の馬車ではないかと考えた。もし貴族なら死んでも助けなど求めない――彼女はそれほど貴族達を恨んでいた。

 それは、貴族が弱い立場の領民を、特に女を食い物にする最低の存在だと考えていたからだ。意志の強い彼女は、そんなものに縋ってまで助かろうとは思っていない。貴族は美しい女を囲う。鳥籠に押し込んで逃げないよう弄び楽しむ為に。これまで相手をしてきたすべての貴族が、寝物語に自慢していたから間違いない事だ。

 つまり、貴族であればこれほど美人の御者は有り得ないのだ。ヤツラの館から出される訳がないのである。だからこの馬車の主は、貴族(けだもの)とは別の存在ではないかと思考が辿り付き、縋ろうと決心し声を上げていた。

 

「ツアレ、お前は口を開くな」

 

 上位者を前に黒服の男は、声のトーンを下げる形だがツアレを険しく睨む。

 それでもツアレは黙らない。

 

「助けてくださいっ! どうか、お願いしますっ」

 

 ツアレは他に頼る当てもなく、最後の願いに必死の表情を御者席へ向けてきた。

 だが、ユリは少し困った表情をする。個人的には助けたいが、細かい事情を何も知らない上、完全に部外者である。それに、主様は「何か価値やメリットがあるのか?」とこう言われるだろうと予測出来ていた。

 しかし目の前のツアレは、それらをすべて超越する単語を発したのである。

 

「連れて行かれれば殺されます。そうなればもう――『妹』に会えないっ!」

 

 女に妹がいると言えば、それはつまり姉妹だという事。

 次の瞬間に、早速異変が起こる。

 この時、アインズの隣に再び寄り添い座っていた、仲良し姉妹大好き天使――勿論ルベドが宣う。

 

「姉妹は揃っていて仲良しが一番……違うか、アインズ様?」

「しかしな、当然何かメリッ……うっ」

 

 アインズは、視線と共にゆっくり彼女の方を向いたところで言い淀む。ルベドは、神へ祈るが如き仕草で支配者に向けて胸の前で手を組み、上目遣いで『同志』として見詰めてきていた。

 ここで否定の意の発言をした場合、どうなるのか予想したくもない。ナザリック内の平和維持かどうかの天秤の片方にルベドが乗ると、選択の余地は殆どなくなってしまう現実。ナーベラル達までもが、ルベドから目を逸らして沈黙していた。

 アインズの紅く光る目が僅かに天井を仰ぐ。

 

(どうみても厄介事を背負った女性なんだけど……)

 

 だが、相手がこの街の一組織……いやこの国だとしても、身内でもある最強のルベドと対するよりはマシだろうなと。

 支配者は――ナザリックの平和を選択するしかなかった。

 

「……そうだな」

 

 その言葉を聞いたルベドは、アインズの肩へ親愛を込めて可愛く頬をスリスリすると〈転移(テレポーテーション)〉していった。

 平和は守られたのだ……それで良しとしよう。

 アインズは徐に座席から腰を上げる。

 

 ツアレの傍に、ソレは静かに佇む。近付く男達へ立ち塞がる形で。

 

「おあぁ?!」

「な、なんだっ……」

 

 突然目の前へ現れた少女に、黒服の男達は驚愕と警戒から数歩下がる。

 ルベドは一応、翼や頭上の光の輪を不可視化してそこに立っていた。見た目は、紺の艶やかである髪に純白の鎧と神聖味溢れる衣装の小柄で清楚な乙女。

 恐らくこの馬車に乗っている者だろうと男達は予想する。彼らは、御者の女性だけでなく、この少女のその美しさにも驚かざるを得なかった。しばし見惚れていたほどだ。

 だが、嘗て冒険者であった黒服の男だけは、目の前の少女がほぼランプだけとなった周辺の明かりの薄暗い状況を利用の上、〈屈折(リフレクター)〉で視界を誤魔化して現れたと判断し、気を逸らさず平静を保っていた。第三位階魔法の〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉も考えられるが、魔力の消費が非常に大きく専門性の高い系統でそれを使える者は殆どいない。〈転移(テレポーテーション)〉は高位すぎる為、彼の思考から除外されていた。

 また、この黒服の男ゴドウは旧ミスリル級冒険者で、現役の時から相手の強さを読んで戦うタイプでは無かったのが幸いした。ルベドの正面向かいに、立つという事の恐ろしさを味わわなくて済んでいるのだ。

 黒服の男ゴドウは、警戒しつつも依然丁寧に対応する。

 

「……あの、お嬢さん。そこを退いて頂けないですかね」

「我が主が、この者を保護する。お前達は去れ」

「な……」

 

 小柄である少女が平然と見下すように告げてきた言葉の内容に、強面をした大柄で黒服の男は少し動揺する。店の重要商品を取り上げようと言うのである。だが、偶に客の貴族らも女を気に入りゴネてくる場合があり、その点は結構慣れていた。なにせ、彼らの店は『八本指』系列である。そしてこの都市の領主のリットン伯爵家へも金貨を上納しているため、最終的に六大貴族の名を借りての威圧が掛けられるのだ。

 いままで立派な馬車を見て下手に出ていたが、そろそろ黒服の男は遠回りに釘を刺しておくべきだろうと考える。

 

「申し訳ないが、それは流石に再考して頂かないと。我々も大貴族の方々の助力を頂いている店なんで『従業員』を連れ去られると上の方々に迷惑が掛かってしまうので。それに当店と揉めると、そちらの主様も色々とお困りになると思いますがね?」

 

 過去に子爵家ですら数回手を引かせた経験があり、黒服の男は余裕を持って告げた。

 次の答えを少女に期待していたが、それは馬車の左手奥から現れた男の重々しい声により回答される。

 

「色々問題があるようですね(まあ、ルベドに比べれば特に大したことはないんだけど)。話を少し聞かせて貰いましょうか?」

 

 黒服の男は、ここで初めて相手へ警戒する顔を見せた。現れたのが巨躯で、全身を上質に見える漆黒のローブと魔法的な装備で身を固める仮面を付けた男であったからだ。その男は、ゆっくりとツアレと小柄の美少女の傍まで近づいて来る。

 ツアレは、現れた貫録の有る巨躯で仮面の男を、しゃがみ込んだ状態から振り返る格好で見上げた。あれほどの美しい女性達を、閉じ込めておかずに従わせている男の事が気になったのだ。声を聞くとまだ若く、重々しさに威厳を感じていた。

 アインズも横目でちらりと、見上げてくる女性を見る。まだ娘と言える若さだ。

 

(ん、ニニャ?!)

 

 改めて二度見して顔を向ける形で、アインズは娘を再確認する。髪の色は違うが、冒険者チーム漆黒の(つるぎ)の二ニャに目鼻立ちがよく似ていたのだ。

 

(ニニャは、貴族に連れ去られた姉を探していると言っていたが……まさかな。流石に出来過ぎだろう)

 

 そんな事を考えていると会話の間が僅かに開いたため、黒服の男の方が領主の影響力や八本指系列の自信を背景に堂々と名乗ってきた。

 

「某は、歓楽街のお店"(いざな)いの泉"の警備統括を任されているゴドウと言います。そこの娘ツアレの件については、場合によっては我々に味方して頂いている大貴族様を巻き込んだ荒事にもなりますので、何卒ここは馬車で通り過ぎて頂きますように」

 

 そう言われ、とりあえずニニャの話は置いておき、アインズも目の前の黒服の男に語り掛ける。

 

「殺されると聞いては、尋常では無い話です。話し合いや金銭的なもので解決出来る問題ではないのですか? 私は魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアインズ・ウール・ゴウンと言います」

「金銭……えっ?」

 

 黒服の男は、話し合いは兎も角、初めから金銭取引を提案され驚く。

 ツアレは貴族から身受けした金額に加え、儲けを考えれば金貨300枚は稼いでもらわなければならない。つまり、金貨300枚なら取引に応じるということである。ところが、普通の貴族達は地位を嵩に懸かり、全てをタダで奪っていこうとした。彼らは、最近の経済状況から金貨を出し惜しむのだ。だからツアレは今も館に残っていた。ただ彼女が来て1年程が過ぎ、すでに身受けした金額の回収は終わっている。儲けはまだ途中というところだが、つまり――もう居なくなっても損はしないのだ。

 だが、黒服の男は、金銭取引よりもその後の名前に聞き覚えがあり固まる。

 

「アインズ・ウール……ゴウン……」

 

 それは、この都市の領主であり店への関わりもある六大貴族のリットン伯の名で、都市内及び周辺の全宿屋及び飲食店へ通達されている事項であった。

 

『アインズ・ウール・ゴウンを名乗る、大柄で漆黒のローブを纏い仮面を被った魔法詠唱者へ関する目撃情報について、最寄りの役所まで届けるように。これは、嘘の情報や怠れば懲罰も有り得る領主の厳命である。また、かの人物へ無礼があった場合にも懲罰は適用される。遭遇した場合には丁重に対応するように。なお、最も有益である情報を提供した店には、金貨30枚が与えられるであろう』

 

 身形の酷い者が、悪戯や苦し紛れに名乗る場合があるかもしれないが、これほど豪華な馬車に乗る人物がニセの名を騙るとは思えない。更に名前を含め、目の前に立つ男の特徴が通達事項の全てに当てはまり、黒服の男の額には薄らと汗が浮き上がる。

 

(い、いや、まだ無礼と言う状態ではないはず。だがマズイ……)

 

「いかがされたかな? ゴドウ殿」

 

 今度はアインズの方が、一点を見詰めて口が半開きで固まっている黒服の男に問いかけた。

 

「あ、いえ……」

 

 黒服のゴドウは名乗った上、すでに店の名前まで告げており、荒事には出来なくなってしまっていた。『八本指』系列の店とは言え、自分が店の最高責任者ですらない上に、都市の領主による御触れの懲罰へ店を勝手に巻き込むことは出来ない。とはいえ、ツアレをそのまま引き渡すというのも、店の沽券に関わるし自分の責任問題にもなりかねない。

 黒服の男は、ここで何か妙案がないかと思いを巡らせる。すると、通達事項の一つの言葉に気が付いた。『丁重に』という言葉である。領主が気を使う相手ならば、領主にとってツアレはこのゴウンという男との何か取引材料になるのではと考え付いた。そうして漸く口を開く。

 

「実はツアレは、この後、貴族の家への仕事が有りまして。それを放棄して逃げ出したので追い駆けていたところなんですよ。そもそもツアレには多額の借金も有りまして、当方も難儀している状況です。なので、その娘を一方的に取り上げられては、明日からどうしてよいのか」

 

 黒服の男に色々と不利な事項を告げられて、ツアレは下を向いた。

 仕事から逃げ出すという信用失墜となる行為に加え、王国全体が近年続く軍費の浪費で不景気なのだ。見ず知らずの自分へ何百枚もの金貨を出すはずもないと。

 だが、アインズにすれば、娘の借金や逃げた事など『どうでもいい』事象に過ぎない。なぜなら、そんな一般的な事は、すぐ横に居るルベドには全く通じないからだ。ナザリック内の平和の為には、ただ『助けるしか』ないのである。

 アインズは、一応娘に尋ねる。

 

「そうなのか、ツアレさん」

「わ、私は……親族に裏切られ貴族へ渡され、そこから売られてこの都市へ連れて来られました。でも、自分で作った借金では有りません。奴らが、貴族が……」

 

 ツアレは、本当に悔しい気持ちの表情で言葉を紡いでいた。

 この娘は、酷い目に遭ってきたのだろう。しかし今のアインズには、人間としての気持ちは希薄だ。特に初対面の者に対しては、目の前で死ぬような状況に遭っていてもナザリックに関係がなければ、虫同士の戦いを見るように平然と見送るだけである。この娘に対して一点だけ引っかかっているのは、ニニャの姉かも知れないという点だけ。それも少し愛着の出て来た小動物の姉という感覚に過ぎない。

 

「大体わかりました。それで、ゴドウ殿。この娘を自由にする条件はなんです? 単純に金貨を用意すればいいのですか?」

 

 アインズは早々と結論を要求した。

 

「……(えっ?!)」

 

 それを聞きツアレは、絶句したまま驚いた。見ず知らずの自分に巨額の手を差し伸べて来る……いや、常識的に考えれば無償など有り得ない。直前に自分の顔と姿をしばらく見ていたのを思い出す。

 

(この人物も、やはり私の身体を……)

 

 しかし、先程自分の前に立ち塞がってくれた美少女の様子に、この人物を嫌ったり憎む様子は全く感じられない。今も、逆に美少女は自ら寄り添って彼のローブの端をそっと掴んでいた……。

 

(これは……初めて出会う、優しいご主人様?)

 

 ――そう思うとツアレの身体は少し熱くなった。

 

 アインズの言葉に対して黒服の男は告げる。

 

「その結論は、残念ながら某からはお伝え出来かねます。ツアレには今夜仕事があると申しましたが、その方は当店にも影響のある方でして、是非会って直接確認して頂ければと思います。その方の名は――」

 

 黒服の男は、嘘を混ぜていた。ツアレの今夜の本当の相手は男爵であった。それを偽ってアインズへ告げる。その後、傍に居た警備の者達に耳打ちすると店へと全員返した。その男爵へ別の女を送るためだ。

 ゴドウだけが残り、アインズ達を案内する形でその会わせたい相手の居る場所へと向かう。

 大声を上げたり、それなりの時間馬車を止めていたが、大通りにも拘らず周囲は終始、貴族とのいざこざに巻き込まれたくないと誰一人、野次馬すらいない状況であった。

 それほど貴族達は、庶民から恐れられ敬遠されている存在なのだ。

 

 

 

 

「おおぉ…………」

 

 それなりに豪奢っぽい造りのお城風の館の主――リットン伯が、調度品で飾られた広間内で、前へ並ぶ探していたアインズ一行達を見詰め感嘆の声を上げる。

 

 面会までに色々とあった。

 黒服のゴドウは、案内役として御者席のユリの横に座らせてもらい、ツアレは馬車の中へと乗ることになった。その際、酷く痛めた足を気遣われ、アインズより下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を貰い体力ごと全回復させる。

 一度アインズが馬車から降りた事で、シズやソリュシャンも車外へ出て直立で控えていた。その彼女達を見たツアレは、馬車へ乗り込むアインズが御者や美少女の他に、まだ二人も絶世と言える綺麗な女性を従わせている事に驚く他ない。この時、ナーベラルだけが不可視化して、車内前方の片隅に残っていた。

 ツアレは乗り込んだこの馬車の内装にも驚く。こんなに立派な馬車は子爵家でも見たことが無い。ただ、ツアレは最高級の娼婦というわけではないため、伯爵以上の相手をしたことが無くそれらの水準の馬車と比較しての判断出来ないのだが。

 彼女は、アインズの向かい側に座ることになり少し緊張する。彼の左横には美しい金髪巻き毛で裾が短めのメイド服の美女、そして右横に小柄で桃色の髪をしたメイド服の少女。ツアレの右隣には、あの紺の髪の美少女が座ってきた。

 そうして、四頭の八足馬の引くアインズ一行の馬車は再び動き始める。

 大通りの街並みをそのまま進み、都市中央部を目指した。一際大きな館の門の前まで来ると止まり、黒服のゴドウは御者席から降りて緊張気味に門の守衛へ取り次ぎを頼む。ゴドウは今まで数回、都市の領主と顔を合わせているが、居住するこの館側を訪れるのは初めてで内心かなり緊張していた。

 相手は六大貴族の一角。『八本指』系列の娼婦の館でも、機嫌を損ねるとかなり面倒な事になるからだ。

 待つこと数分。幅の広い鉄柵の門は開かれ、馬車は手入れのされた庭園風の敷地内の道を進む。まもなく玄関に付くとユリと不可視化のナーベラルを残し一行は下車し、館へと入って行く。

 アインズ達とツアレは一室で待たされた。その時間は15分程。

 黒服のゴドウは、伯爵へ事情を説明すると言いつつ使用人と共に入室当初に部屋を離れる。そして、彼は別室で秘密裏に謁見を申し出て、リットン伯爵へ媚びる様に一案を持ちかけていた。

 

「伯爵さま、ご無沙汰しております。"(いざな)いの泉"の警備統括のゴドウであります」

「おお、覚えておるぞ。今日は良くあの者達を連れて来てくれたな。お前の行動に満足している。金貨30枚はお前達の店に送らせよう」

「ありがとうございます。更に一点良いお知らせがあります」

 

 リットン伯は普段、店の下々の者とは直接余り言葉を交わさないのだが、今日は非常に機嫌が良く聞く事にする。

 

「なんだ?」

「はい、実はあの魔法詠唱者が、当店のツアレという女の身を是が非でも欲している様子で、その証拠に金銭を払ってでも身受けしたいと言っておりまして。その権利は、お世話になっている伯爵様に有ると告げております。この点をもし何か使えましたらと――」

「なんとっ! 良い事を教えてくれるものよ。して、如何ほどだ、その女は?」

「は、はぁ……金貨300枚にございます」

「わかった。うまく行けば、それは私が払おうではないか。それに、店について今後益々目を掛けてやる。……いいか、この件はここだけの話だぞ」

「ありがとうございますっ。勿論、心得ております」

 

 反国王派陣営に引き入れる為の手段は多い方が良い。強い魔法詠唱者と言えども所詮、当てのない放浪者に過ぎず、金と女に弱かろうと伯爵は考えていた。

 

「ふはははははっ、世の中はやはり悪知恵と金よのぉ」

 

 天井を見上げながら下品に高笑う少し白目気味になっているリットン伯と、伯爵からの覚えも良くなる上、褒美の金貨30枚に加え金貨300枚が回収出来そうで黒服のゴドウも、厳つい顔の口許をニンマリさせていた。

 

 

 

「(――という事をヤツラは話していましたが。何か企んでいる様ですね)……」

「……(ご苦労、ソリュシャン。……世の中はまず、情報戦だよな)」

 

 職業レベルでマスターアサシンを持つ、彼女の盗聴力は侮れない。王国戦士長からの手紙を、事前に読んでいた事もあり貴族達へ油断はしていなかったのだ。悪巧みの情報は、アインズ側へ完全に筒抜けていた……。ツアレへ聞かれないように、アインズから〈伝言(メッセージ)〉を繋いでいたが解除する。

 待たされている部屋の中、椅子へ座るアインズの傍でルベド、シズ、ソリュシャンは静かに直立し待機していた。

 ツアレも助け掛けられている身であり、座らないかと聞かれたが「大丈夫です」と、立場を弁えて少し離れた壁脇に立っている。

 彼女は、アインズをチラっチラっと見ていた。身受けされ、新しい御主人様になるかも知れない人物であるためだ。初めて優しいのではという……期待のような思いもある。

 彼は、周りを飛びきりの美少女達に囲まれるも、馬車の中からここまで下卑た感じやイヤラシイ雰囲気は皆無。彼女達の気遣う様子から絶対的主という事は見て取れる。でも、それは強制と違い純粋に彼を慕っている様にも見えていた。

 そんな初対面の人物が、なぜ自分へここまでしてくれるのか理由を尋ねてみたい。

 だが今、ツアレとしては妹に会う事が最大の目的である。それを許す人物なのかはまだ分からない。でも、もしそれを許してくれて、手助けまでしてもらえたなら――それは人生の中で最大の恩人となるだろう。その時には……それを考えると頬が少し染まり掛けた。

 あと、不思議なのがあの紺の髪の美少女である。馬車の中で、ツアレに対して妹とは仲が良いかや、一緒に居たいかや、似ているのかや、直ぐに会うのか等、何故か妹との関係ばかり聞いて来た。

 もちろんツアレは、妹が可愛く仲が良かった事、可能なら一緒に暮らしたい事、顔はよく似ていた事、以前居た村に行ってみる旨を伝えると、少女はニッコニコしながら「断然応援する!」と言ってくれていた。

 少しすると、黒服の男が召使いと共に部屋へ帰って来る。

 

「伯爵さまがゴウン様の話をお聞きするとの事です。さあ参りましょう」

 

 黒服の男の表情は、心なしか口許が緩んでいる様に見えた。

 だが、アインズはその意味さえも知っての上で、重々しい声で答える。

 

「分かりました、では会わせて頂きましょう」

 

 そうしてアインズ一行は、ナザリック的に少々品の無い調度品で飾られた劇場の半分程の広さがある広間へ通される。間もなく伯爵が、後ろに二人の屈強そうな衛士を従えて扉から入って来た。

 アインズ達は振り返る。中背の痩せ型で目が細く狐の如き雰囲気のリットン伯は「おおぉ……」と声を漏らした。

 それは、アインズにではなく――その横に並んでいたルベドら美少女達にだ。その嘗め回す形のイヤラシイ視線は、ツアレにも向けられ彼女は一瞬ビクリとする。

 漸くリットン伯は、アインズへ目を向けた。

 

「……貴殿が、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアインズ・ウール・ゴウン殿か」

「はい。本日は、この娘をこちらへ渡して貰いたく、話し合いに来ました」

「そうか。私がこの都市、エ・リットルの領主、伯爵のリットンだ。良く訪ねて来てくれた、歓迎するぞ」

 

 伯爵はアインズと握手を交わす。本来、ガントレット越しは無礼なのだが、アインズは敢えて気にしない。絶対的支配者の彼は気が付いていないが、彼自身が考えている程、低い水準の営業マンでは無い。彼は恩を受けたり誠意ある人達には親近感を覚え、気を遣い手を差し伸べる性格であった。一方、逆の軽薄で酷い者に対して、反抗心からわざと気遣いが自然と疎かになるのだ。リアルではそれが結構災いして、気が利かないと低い扱いに立たされていたが。

 それに今はアインズ・ウール・ゴウンを名乗り、ナザリックを率いている立場でもある。一瞬の迷いはあったが、せめて自分を慕うNPC達のいるこの世界では相手が誰であろうとペコペコせず、堂々と有るべきだと思った。

 伯爵も目的が有り、他国から来た旅の者の行動について細かい事は無視した。リットン伯は、機嫌よく話す。

 

「丁度、こちらも話があってな。いやなに、貴殿には良い話であるぞ。皆、そちらの机の席に掛け給え、ゆっくり話そう」

 

 広間の一角に、金銀をふんだんに細工へ用いた白く大きい長方形の机と椅子が並んでいた。奥の一人席に伯爵が座る。その右側の近い席にアインズは座り、ルベド、シズ、ソリュシャン、ツアレ、その向かいに黒服のゴドウが座った。

 全員が席に着くと、伯爵がアインズへ話し始める。

 

「まず先日、王城にて王国戦士長の報告から、辺境での貴殿らの活躍を聞いている。スレイン法国の六色聖典の精鋭40名程を、貴殿とそちらの者達だけで撃退したとな」

「そうですか」

 

 アインズは淡々と言葉を返したが、一番驚いていたのは向かいに座る黒服のゴドウだ。完全に青くなっていた。元冒険者の彼は、スレイン法国の秘密部隊の強さを知っていた。

 

(馬鹿な……)

 

 数年前、冒険者チームへ居た頃、必殺を確信していたのか法国勢を名乗ってきた第3位階魔法の使い手で揃えられた10名程の部隊に遭遇したことが有り、チームは全滅。大怪我を負って川へ落ち、死んだふりをして急流を流れて生き延びた過去がある。それで冒険者を辞め、名も変えてここに居た。

 その真の精鋭を40人以上も相手に……それをたった4人で撃退したとは信じられない話であった。常識的に戦力差を考えると無理な話ではと思ってしまう。それが可能だとすればアダマンタイト級冒険者チームぐらいだろう。

 しかし、報告者はあの王国戦士長のガゼフ・ストロノーフと言う。

 真実なら荒事など以ての外といえる話だ。ゴドウは自重していて良かったと、内心で胸をなで下ろしていた。

 そんな黒服を横に、伯爵の話は進む。

 

「実はな……私はかねてより、王国に於ける貴族達の地位向上を考えておってな、同じ六大貴族のボウロロープ侯を中心とする貴族の同志達が集まり、色々と力を合わせようとしている。その一環として有事に備え、強く力のある戦力を欲しているのだ」

 

 この時点でアインズは、何故ここへ呼ばれたのかある程度予想が付いた。王国には、内部に大きな貴族派閥間の争いの気配があるという事を知る。

 王国への忠誠心の塊で義にも厚くみえる、あの立派な王国戦士長はこちら側ではないだろうとも。

 

「そこでどうだろう。貴殿は我々へ協力してくれないだろうか。もちろん、多くの特別の見返りを用意している。まずは旅などせずとも済む永住出来る立派な屋敷、次に財貨として金貨1200枚。あと、そちらの美少女達には劣るが、十分楽しめる若い女の使用人達も用意しよう。もちろん――そこのお気に入りの女も差し上げよう。この他にも多くの貴族達と関係を持つことが出来る。少し貢献すれば我々の推薦と力をもって、領地すらある准男爵ぐらいにはすぐに成れよう。どうかな、悪い話ではないと思うが?」

 

 黒服の男とツアレは、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に提示された破格の待遇と金額に目を見開く。

 恐らく総額は金貨で2000枚を優に超えると思われる。ちょっとした男爵家の年収である。庶民の年収は金貨10枚程度しかなく、圧倒的といえるものであった。勿論断れば、この場に居るツアレも渡さないということでもある。

 だが依頼の内容も相当な事柄だ。容易には判断出来ないだろうと思われた。

 しかし、である。

 

「いいでしょう。お受けしますよ、その条件で」

 

 アインズは、即答でリットン伯の申し出を受けていた――。

 

 

 

 

 

 ツアレは、八足馬(スレイプニール)が牽引する馬車の中で前に座る、身受け同然に引き渡され新しいご主人様となったアインズを――見損なっていた。

 納得いかないという、少し暗めの表情でぼんやり、チラりチラりとご主人様を上目遣いに見ている。

 

(確かに条件の規模も凄かったけど……館や金品に目が眩み、貴族達に手を貸すなんて……優しいご主人様だと思っていたのに……)

 

 彼女は少し期待していたのだ。優しいご主人様がこの世界にも居て、一度ぐらい自分がその方に出会えてもいいのではと。どのみち誰かの子供を産む事になるなら、そういった人物の子がよいなと……。

 アインズは、非常に喜んだリットン伯が館へ泊まるよう勧めてきたのを「いや、早々にお暇します。この関係は内密にした方が良いでしょう。逆に相手側へ近い位置にいた方が、色々都合がいいのでは?」と国王派への潜入を匂わせる。すると、リットン伯は美少女らの早い出立にかなり無念さのある表情をしつつも「さ、さすがはゴウン殿」と納得し、黒服のゴドウを遣いに連絡し合うことを決めると、アインズ一行は領主の館を夜陰へ紛れて後にしていた。

 アインズとしては会話の間中も、獣のような目でルベド達を見ていたリットン伯が夜中に返り討ちに遭うと考え、問題を起こさないうちに出て来たのだ。今は、南の大通りを再び南下し、滞在予定の高級宿泊所を目指している。そうして間もなく、馬車は宿泊所の敷地へと入っていく。

 すでに時刻は晩の8時を過ぎていた。

 アインズが馬車から降りると、少し元気の無いツアレへ声を掛ける。

 

「ツアレさん、疲れたのか?」

「い、いえ。あの、ツアレとお呼び捨てください。その……ご主人様」

「えっ……、ご、ご主人様?」

 

 アインズにはツアレについて深い考えはなく、ルベド対策であり、今は自由の身にしたと考えていた。NPC達からであれば主人なので納得出来るのだが、人間にそう言われたのは初めてで、その呼ばれ方に少し困惑する。

 

「私の今まで背負ってきた膨大にあった借金を払って頂いた形ですから、恩をお返しするためにご主人様へお仕えさせて頂くべきかと……」

 

 そう告げるツアレの声は、やはり少し元気がない。

 アインズは、よく考えるとツアレを身一つで引き取った形で、今はまず暮らす場所もない事に気付く。

 

(いきなり放り出されるんじゃないかと、今後が不安なのかもしれないなぁ)

 

 自由にして良いと言うのは簡単だが、これまでの彼女の生活を考えれば慣れるには時間が必要と思われた。それに、ルベドがスッキリ納得するには、妹を探し出せて一緒に過ごせる状態になるまで掛かるだろう。それまでは近くで働いてもらう方が、グダグダせず丸く収まるように思えた。

 

「そう……だな、ではツアレ、宜しく頼む。あと、私の事はアインズと呼ぶがいい」

「は、はい、アインズ様」

「ユリ、ちょっと来てくれ」

 

 餅は餅屋である。慣れている者に任すべきだろう。

 

「はい、アインズ様、何でしょうか?」

「このツアレに、メイドとして出来る仕事をさせて欲しい」

 

 ユリとしては、面倒な仕事が増えることになるが、善良で優秀な彼女は全てを理解しにこやかに命を受ける。

 

「畏まりました」

「宜しくお願いします、ユリ様」

 

 ツアレがユリへ頭を下げると、早速ユリは馬車にある軽い荷物の運搬を指示する。

 そしてユリは、ソリュシャンと共にチェックインの手続きに向かった。ここはソリュシャン・イプシロンの名で予約していたからだ。

 残されたツアレが馬車の方へ荷物を取りに行こうとしたときに、アインズが一言告げた。

 

「ツアレ、後で聞きたいことがある。一段落したら私のとこまで来てくれ」

「は、はい」

 

 彼女の返事を聞いたアインズは、シズを伴ってそのまま建物の方へと離れていった。ナーベラルも不可視化のまま、アインズに付いていく。ちなみにルベドは、ユリとソリュシャンの仲の良い姉妹の後を口許を緩ませながら付けていった……。

 主へと振り返っていたツアレは、そのまま少し固まっていた。

 

(これは普通の……お話なのかしら……)

 

 これまでの娼婦の仕事での経験から、一瞬夜のお誘い的なお話かと思うも、馬車の中で見せたご主人様の姿にイヤラシイ雰囲気はない。

 その姿を見たり、自分をあの肉欲の館から解放してくれた事を考えると、貴族へ密かに協力するという下劣と思える行為を選択した人物なのだが、まだ心の片隅でこの新しい主を信じたいという気持ちがあった。

 ツアレは、馬車から運べる荷物を手にすると建物の方へと向かった。

 アインズ達は、間もなく部屋へと落ち着くと、少し遅い形だけの食事を取る。ツアレが増えたので、一泊銀貨4枚の部屋を追加した。そこへはルベドと共に泊まってもらう事にする。

 一段落したところで、別室にてルベドと食事を終えたツアレ達が、アインズらの部屋へとやって来た。

 ここは50平米ほどあるリビングに、寝室が二つある広い部屋である。バルコニーも有り、調度品も金細工の物が使用されていた。一泊金貨1枚の部屋だ。

 

「あの、アインズ様、ツアレです」

「ああ、入れ。こちらだ」

 

 ソファーに座るアインズは呼び掛けると、ツアレは恐縮するように入って来て主人の傍らに立った。だが、やはり淫らな用ではなかったことで、ツアレのアインズへの信頼度は高まる。

 

「お前に聞いておきたいことがあったのだ」

 

 主が改まって聞く事とは何だろうと、ツアレは少し緊張して答える。

 

「は、はい、何でしょうか?」

「ツアレ、お前の――妹の名は何と言うんだ?」

 

 アインズは、ツアレのニニャによく似た目鼻立ちは、果たして偶然なのかに対する答えを求めた。

 

「妹の名前は……イリーニャです」

「イリーニャ……やはり、違うか……」

 

 アインズは内心目を細めつつ、思わず本音が漏れた。

 

「え?」

「あ、いや、そうか。それで、居場所の当ては有るのか?」

「はい。まず妹と最後に暮らした村があります。あとは生まれ育った村です」

「なるほど。どの辺りだ?」

「この都市の南から細い街道や田舎道を南西へ70キロ以上行ったところに、その二つの村はあります」

「ふむ。では、王都から戻る時に用が無ければ馬車で寄ってみようか」

 

 その言葉に、ツアレは目を見開いて驚く。たかだか使用人一人の為に、あれほどの最高級馬車で態々村まで向かってくれると言うのだ。

 アインズとしては、正直ナザリックの平和のために、ルベドの件はなるべく早めに片付けておきたいだけである。

 

「し、しかし、もう妹はそこにいないかも知れません。無駄足になるかも」

「そうかも知れん。だが、行かねばそれは分かるまい」

「は、はい……」

 

 ツアレは――嬉しかった。彼女は微笑んでいた。何年ぶりだろう、自然の笑みが顔に漏れたのは。少し瞳も潤んで来てしまう。

 そして確信する。このご主人様は、やはり優しい方なのだと。そうなれば誠意を持って恩を返さなければならない。

 しかし、そうするとやはりおかしい。なぜ、ああいった下劣である貴族に手をお貸しになるのだろうかと。意志が強い彼女は我慢出来なくなった。

 

「あの、アインズ様、お聞きしたいことが有ります」

「なにかな?」

「なぜ、お優しいアインズ様が、冷酷な貴族達に力をお貸しになるのでしょうか? あの者達には、一言でいえば『欲』しかありません。弱者を虐げ、弱みを握り貪り食うのですっ。あんな――」

「――ツアレ、そこまでにしなさいっ」

 

 ユリがツアレの発言を切る。ユリは、ツアレが絶対的支配者様について勘違いしている事に気が付いた。ヘタな事を言うとここには、人間を弱者で貪り食うモノとしか見ていない属性が邪悪なソリュシャンがいる。パクリと食べられてしまうかもしれない。また、人間を弱者で嬲り殺す虫としか見ていない属性が邪悪なナーベラルも、部屋の端に不可視化で立って凄い目で見ていたりする。いきなり〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉を放ってくるかもしれないのだ。

 だがここで、アインズはツアレの問いに答え始める。

 

「ツアレよ、私は優しくないぞ。なぜなら意味や価値がない事はしない様にしている。つまり、お前を助けたのには、ちゃんと意味があるのだ。意味が無ければ――あの場でお前を見捨てていた。私に付いては、運が良かったと思った方が良い。だが、安心しろ。お前は今、私の庇護下だ」

 

 ユリは、その言葉を聞きほっとする。もうナザリックの者はツアレへ手が出せなくなった。支配者様は自分が優しくないと言ったが、ユリだけでなくナザリックの者達全員が十分優しい事を知っている。何と言っても最後の時まで、ナザリック全てを大事にし見捨てなかった主様なのだから。そして今も、冷酷に思える印象の発言の中にも『庇護下』と宣言し守ってあげている。

 ユリは、そんなさり気なく皆を気遣うアインズの事を密かに敬愛していた。

 そんな主の、ツアレへの言葉は続いていた。

 

「あと、これだけは答えておこう。安心しろ、私は先程の者達へむやみに力を貸す訳では無い。向こうがわざわざ嘘まで()いて趣向を凝らし、こちらを利用しようと言うのだ。お前達もあの狐のような男から醜い視線で嬲られる目に遭ったのだ。ただ断ってはやられ損で芸があるまい?」

 

 そしてユリは知っている。我らが至高の御方は、誠意が無い敵には本当に容赦がないことを。

 

「ふふっ――ならば、こちらも盛大に奴らの骨まで食らうほど利用しようではないか」

 

 ツアレは、大いに微笑んでいた。先ほどの非では無い。歓喜に近い。

 自分でも良く分からない程無意識にだ。

 それは多分、永い間、深く憎み恨み続けてきた怨敵である貴族達に、自分のご主人様が反撃の業火を見舞ってくれると言ってくれたことがとても嬉しかったのだろう。

 並みの者では、貴族達に手を上げる勇気も力もない為、到底叶わぬことなのだ。

 彼女は、最高のご主人様に出会えた気がし、すでに報われた思いであった――。

 

 

 

 翌日、アインズ達一行は無事に王都へと到着する。

 

 

 




捏造)
イリーニャ。ニニャの本名としてそれっぽく。

補足)
本作ではツアレとアインズが出会ったのは7月初旬となってます。原作の中火月(なかひつき 八月)二十六日でツアレがボロボロで捨てられる日より一月半程以上早い状況。

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