オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています
注)かなり残酷な表現があります
注)凄く長いです(10万字、4000行以上)


STAGE35. 支配者失望する/嫁ト、ソシテ闘イハ始マッタ(9)

 

「くふ。くふふふ。くふふふふふふふふふ――――」

 

 

 王都リ・エスティーゼにある王国戦士長の館へ、アインズが訪れた晩の午後8時を回った頃。

 壁へ幾つも設置されている豪華なランプ内に灯る、暗めの落ち着いた光へ調節された水晶から発せられる〈永続光(コンティニュアルライト)〉の明かりを受け、キノコ頭の副料理長が立つ趣きのあるカウンターを備えた静かなバー空間内に、その独特の含み笑い的表情での声が響く。

 勿論、守護者統括のアルベドのものだ。

 

「……気持ち悪いでありんすねぇ」

「なに、アルベド。ついにオカシクなっちゃった?」

「き、きっと疲れ気味なんじゃないかな」

 

 同じカウンターへ横に並んで座るシャルティアとアウラの容赦ないツッコミと、助け船としてマーレの小声でのコメントが悦状態のアルベドへと語られた。

 シャルティアとアウラにすれば、普段のアルベドは余り落ち度を見つけられない為、ここぞとばかりである。

 ソリュシャンからの〈伝言(メッセージ)〉を受けた際、アルベドは階層守護者の女子会をこのナザリック地下大墳墓の第九階層にあるバーで行なっていた。ちなみに昨晩も行っており連夜での半貸切だ。

 〈伝言〉を受信した守護者統括の彼女は、通話途中から話を終えて切ったあとの今も、その伝えられた内容の嬉しさに我を忘れ、繰り返し思い出し笑いの声を漏らし続けている。

 しかし流石に――15分も続けていれば我に返るというもの。

 妹の天使とよく似た美しいながらもニヤニヤしていた顔を、驚きの表情に変え上方へと向ける。

 

「――っ。喜びの余り我を忘れていたわ」

 

 最近では偶にこうなるのだが、周りは訳もよく分からず正気に戻るまで放置プレイである……。

 今回は悦に入る前に「あら、ソリュシャン?」と漏れたアルベドの声で、王都からの〈伝言(メッセージ)〉を受信している事は皆が分かっていた。

 なので、我が君関連と確信してシャルティアが片肘に上体を乗せ、氷の浮かぶグラスを軽く揺らしながら横目で尋ねる。

 

「それで、アルベド。何がどうしたでありんすか?」

 

 当然、直前の15分間は何事も無かったかのように、アルベドが言葉を返す。

 

「くふっ。とってもいい話よ」

 

 勿体ぶる素振りに、アウラが僅かに苛立つ。

 

「ねぇ、早く言いなさいよ。アインズ様に関係ある話なんでしょう?」

「………(な、なにかな)っ」

 

 モモンガさま絡みであるため、姉の意見に同調するようにアルベドをジッと見るマーレ。

 統括としてもこの件は、じきに王都側の者からナザリック内へ伝わる話に思われた。

 知っている優越感はもういいかと、アルベドは階層守護者の女子3人へと話し出す。

 

 

 

「アインズ様は――――まず、ここにいる我々から(きさき)をお選びになるという事よっ」

 

 

 

「「「―――っ!!?」」」

 

 シャルティアやアウラ達の背筋が、驚きの内容に全員ピンと伸びる。

 どこで出た話なのかとマーレ達は思うが……アルベドは、ソリュシャンからの報告でそう判断していた。

 アルベドが聞いた中に王国の戦士長が御方に向けた質問で、「他の家との婚姻について」の件があった。

 このナザリックの者は全員、基本的に絶対的支配者の所有物なのである。

 重要であるのは、御方がお言葉の中でそれを「特に女達の、外の者との婚姻は()()()()()」と()()()語られたという話だ。

 当然とはいえ、非常にありがたく喜ばしい発言である。

 すなわち正当な妃は、外からの貢ぎ物の雌では有り得ず、『ナザリック内から』ということになるだろう。

 そして、それは無論『女子の上位者から』となるはずなのだ。

 

「しかも――盛大な挙式は間もなくの事かもしれないわっ」

 

 もはやソリュシャンらとアルベドの思考により、どれだけおヒレが付けられたのか想像すら難しい……。

 連続するアルベドの語る夢の如き衝撃的発言に、シャルティア、アウラ、マーレは――興奮を隠せない。

 

「あああああぁ、愛しの我が君ぃ~~ついに、ついにぃ~~っ」

「あたし……あたしが…………お妃に……」

「ぼ、僕が(モモンガさまの)お嫁さん…………よ、夜な夜なあんなことや、こんなことも……いいのかな……」

 

 彼女らも、アルベドの事は言えない。

 シャルティアは目を閉じ上気した表情で自分自身を強く抱きしめる。もう下着が少し怪しい。

 アウラは、まるで大好物の食べ物を思い浮かべている様にポカンとした顔付きに、口からのよだれが一筋、顎下まで伝っていく……。

 マーレは瞳を輝かせて、えへへという可愛らしい表情で両手の人差し指を見詰め、盛んに指同士をくっ付け合いながらブツブツとイケナイ事を唱えていた――――。

 

 そのフワフワとした華達の雰囲気に、アルベドがさも炎へ爆弾を投げ込むように重要事項を告げる。

 

 

「――――誰が第一(きさき)に相応しいか、よね?」

 

 

 バーのカウンター席には、左からマーレ、アウラ、アルベド、シャルティアの順で座っていたが、言葉を吐いたアルベドへと他の3名の視線が、バッと自然に突き刺さっていた。

 第一妃に関しては以前から物議を醸す話であった。

 しかしそれはもう昨夜の論議の途中で、基本的にアインズ様がお決めになるという事で結論付けている。

 そこからは『誰が相応しいか』の方に論争点を移していた。

 その結果、今のところはやはり総合的に見てアルベドが頭一つ出ている。

 最大の理由は、『対外的な見え方』だ。

 巨躯で威厳のある至高の御方の横には、やはり長身でボンキュッボンな体形の女性がより見栄え良いと。

 戦闘の実力ではシャルティアやマーレが勝るのだが、横に並んだ時のつり合い感がアルベドに比べるとどうしてもかなり低くなる。

 アウラとしては、戦闘力と見栄えの両方で不利であった。

 

(くっ、せめてあたしにあと百年あればっ)

 

 その時にはシャルティアよりも上の年齢に見えるはずで、美しさ瑞々しさではアルベドにも負ける気はしないのだが。

 一応、成長の魔法も存在はする。

 しかし、それは寿命をも縮めることになる。

 至高の御方と共に歩む事の方が重要であると、ナザリック配下の者達はすでに結論付けており、成長促進についての案は選択肢になかった。

 それとアウラ的には、愛しい子孫達を残した先の将来において、アンデッド化をマーレと共にアインズ様へお願いするつもりでいる。

 この『お願い』は妹のマーレも同様に考えていた。

 ここで、アルベドの投げかけてきた重要課題の言葉に対し、シャルティア達が答える。

 

「でも最も重要視すべきは――どれだけ愛されているかという事でありんすから。考え違いしないでおくんなんしっ」

「そ、そうよっ。お飾りだけの(きさき)よりも、あたしは愛される子沢山の臣下を目指すから」

「ぼ、僕もそう思います。至高の御方である(モ)――、アインズ様にずっと可愛がって欲しいです」

 

「うっ」

 

 確かに正論である。アルベドも一瞬反論出来ない。

 第一妃はとても魅力的であるが、最も重要なのは言うまでも無くどれだけ深く愛されているかだ。

 その前には『第一妃』も完全に霞む事象になる。

 正直に言うと、アルベドとしても日々主のお傍でスリスリイチャイチャして、ナデナデやお情けを貰い、穏やかにお話が出来て喜ばれれば一兵卒になっても全く悔いはない。

 既にベビー服も5歳まで5人分を作ってあるので、どんと来いである。

 『一発』頂ければ、更にベビー服の増産体制にも入るつもりだ。

 そんな感じに寵愛も第一位を狙うアルベドは、一応シャルティアらへ言い返す。

 

「――も、もちろんよ。私なら妃もご寵愛も一番を貰えると思ってるわ」

 

 女としての自信ある姿勢を崩さない統括へ、守護者筆頭のシャルティアは強烈なる言葉の一撃を見舞う。それはアルベドの設定に記された主からの“愛の形”に対する羨ましさの裏返しでもある。

 

「あらぁ~? 今朝も第三階層の墳墓で、我が君にただ縋り付くようにいて迷惑がられて見えてたでありんすけど?」

「な、なんですって!」

 

 鋭い所を突かれて、アルベドから思わず僅かに上ずった声が飛び出していた。

 彼女は今朝を振り返る。

 その時はアインズ様との接触(スキンシップ)に必死だったため気にしていなかったが、第九階層の玉座の間へ向かう時には落ち着いてきていて、冷静に考えるとちょっと煩わしかったかしらと自分でも反省しつつ、玉座に腰掛ける支配者の横に粛々と立っていたのだ。

 シャルティアのツッコミの内容を、移動途中に目撃していたアウラも続く。

 

「あれね。確かに、そう見えてた」

「あ、あのぉ、いくらアルベド様でも、アインズ様を困らせたらダメかなと……」

 

 姉の言葉に続き、マーレもダメ出しの言葉を重ねた。

 アルベドは、己の設定に御方の『愛』がしっかりと刻まれている者の威信において、必死に反論する。

 

「失礼ねっ。あ、あれは……そう、アインズ様の衣装を整えて差し上げていたのよっ」

 

 しかし「え~、あれがぁ~?」という、シャルティアとアウラからのキツイ疑惑のジト目が起こる。

 アルベドの弁明はいかにも苦しかった。

 アウラとシャルティアはそれとは別の線でも畳み掛ける。

 

「それに、あたしなんか今日は、竜の遺体奪取で直接褒めてもらったけどねー」

「私もでありんす」

 

 その内容にアルベドが両拳を可愛く握って、懸命にそれっぽい言葉を返す。

 

「わ、私だって、“いつも留守を任せてすまない”って今朝もお言葉を頂いているわっ」

 

 統括としてだけでは無く、一人の乙女として愛しい殿方の役に立っているという気持ちで負ける訳にはいかない。

 だが止めを刺す一言が、バー内の静寂に広がる。

 

 

「んー。なんかさ、アルベド。あんた最近、個人的にアインズ様のお役に全然立ってない感じよね?」

 

 

「――――……っ!!」

 

 アウラの言葉に、アルベドは思わず震えつつ絶句した。

 余りにも衝撃的事実を言われた気がする。

 

 ――確かにそうなのだ。

 

 先日も緊急で頼られたのは、デミウルゴスであった……。

 シャルティアとアウラは今朝、勅命の仕事をした。マーレは昨日までアインズの傍で守っていた。

 彼女達は個人的にアインズ様へとはっきり貢献している。

 対するアルベドは、大きい部分で至高の御方に貢献しているとは思えるのだが、宴会以降最近は個人的にいいところが全然無いのだ……。

 

「そのうちに我が君から避けられるかも……でありんしょうねぇ」

 

 シャルティアの言葉の現実味を否定出来ない。

 アルベドは――純粋に悲しくなった。

 

「うっ……ぅうっ…………わ、わだじだっで、頑張っでゆのに゛ぃ……ふえーん」

 

 本来強靭な精神力も持つサキュバスで小悪魔(インプ)なのだが、アインズの話だけは例外である模様。

 鼻も包むように目へ手を当てて隠し、涙を流し泣いていた……。

 これにシャルティア達は驚き慌てる。

 マーレはアルベドに同情し二人を叱った。

 

「お、お姉ちゃんっ。シャルティアもちょっと酷く言い過ぎだよ!」

「うっ、だって……悔しくてさ」

「ぐむぅ……。まさか泣くなんて思いんせんし……」

 

 今の段階で女として明確にある差を埋められない思いの歯痒さが、言葉をキツくさせてしまったのだ。

 だが、悪ふざけの延長でもあり、素直に謝る守護者達。

 

「……さすがに、少し言い過ぎたと思いんす……ほら、アルベド、悪かったでありんすから」

「もう、アルベド。泣かないでよ……ゴメン」

「す、すみません、アルベド様……」

 

 彼女らからの謝罪を受けて、漸く視線を僅かに上げるアルベドだが、少し不満が残っており呟く。

 

「ぐすっ。だって……個人的なお仕事の機会が……圧倒的に少ないんですもの……」

 

 統括の言葉に、シャルティア達は視線を合わせて頷くとアウラが声を掛けた。

 

「分かったわよ、アルベド。アインズ様にそれとなく何かないか聞いてあげるからっ」

 

 すると、アルベドは最近足掻き気味の恋愛分野への突破口も合わせ求めて反応する。

 

「…………本当?」

 

 主へ幾度も自分で仕事を催促すれば、『せっかちな女』と思われるため控えていたのだ。

 優秀であるアルベドも、主への恋愛パズルは容易に解けない。ヒントを求めて仲間からの救いの手を掴む。

 特に絶対的支配者と同行することが多く、溺愛されていると言っていい真面目なマーレもいるため期待出来る。

 

「詫びもあるんだから、嘘は言わないわよ」

「今回だけでありんすよ」

「い、1回ぐらいはいいんじゃないかな」

 

 アルベドは、『甘い子たちね』と思いつつも、胸元で手を包み合わせて少し感謝する。

 恋愛は非情といえる戦いでもある。

 

「その言葉に……甘えるわ」

 

 目を閉じたアルベドは素直な気持ちをアウラ達に伝えた。

 統括である彼女はプライドも高い。

 平時から好意を受けても、「助かったわ」「一つ借りね」などを返し、感謝の言葉はほぼ至高の御方にのみ告げる言葉となっていた。

 シャルティアらもそれは分かっている。栄光あるナザリック地下大墳墓の統括が、至高の御方々以外にペコペコするようでは困るのだ。

 アルベドの落ち着きを取り戻した言葉で、マーレ、シャルティア、アウラの3名はほっとした。

 そうして彼女達4人は、仲良く『統括の個人的お仕事』を考え始める。

 

 キノコ頭の副料理長は、何も語らず時折飲み物を提供しつつ、女子会をカウンターの奥からただ静かに見守っていた。

 彼は次に御方がナザリックへお帰りの時――妃問題がどうなるのかには少し注目している……。

 

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌは、ぶすっとした表情で王都方面へ向かう戦車の席に座っている。

 それは、彼女が不機嫌そうにしていると、余り声を掛けられないからだ。

 実は、内心で少し困っていた……。

 

(あーあ、モモンちゃんと離れちゃった。次に会えるのは王都北東の森って事になってたけど、既に本隊とも合流してる以上、このまま燃え落ちたエ・アセナルの傍まで真っ直ぐ進んじゃうかも。どうしようかなー)

 

 一応モモンらも、冒険者としての遠征で王都までは確実に辿り着くという事は聞いている。

 しかし、合流した漆黒聖典の隊をこの段階から堂々と王都まで抜け出すには、かなりの理由が必要である。

 また『深探見知』が同行している以上、夜中の休憩時も頭数でバレる可能性があるのでコッソリ忍んでともいかないのだ。

 そもそも3時間程度では、いくら頑張っても50キロ以上は離れられない。その後にヘトヘトの姿を仲間に見られるのも困る。

 故にモモン達の方から近くまで来てくれないとどうにもならないが、彼と相談のしようもない状況であった。

 

(うーん)

 

 

* * *

 

 

 ――昨日の早朝、エ・ランテルの西方郊外にあるスレイン法国秘密支部の農園へ戻ると、竜軍団の侵攻を報告してきたセドラン達が戦車で到着していた。

 彼らは連絡役のクレマンティーヌを数時間待っており、彼女は即時に職務へ復帰するしかなかった。

 クレマンティーヌはセドラン達へ『隊長』からの指示を伝えると、彼らは直ぐに戦車で出発する。

 そうして半日強移動を続け、夕刻頃に馬速を落とし裏街道でも人気の無い場所で野営のため戦車を止めると――僅かその40分後に、五角眼鏡で女学生風装備姿の『深探見知』を乗せた戦車が1台やって来た。

 本隊もほぼ同じ道程を進む予定ではあったが、すぐ傍まで来ていたようである。

 『深探見知』の指示でクレマンティーヌらを乗せた戦車2台は、10分ほど移動した野営地に到着する。

 そこには漆黒聖典部隊の軍馬四頭立て戦車5両が止まっており、その時点をもって全隊員の合流が完了した。

 焚火の傍で休む『隊長』へ『巨盾万壁』のセドランが報告する。

 

「隊長。セドラン以下3名、只今合流しました」

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルの秘密支部で合流後、一時的にセドランの指揮下ということになっていた。

 しかし、本隊へ合流したことでそれは解除される。

 

「ご苦労。各員は現隊へ復帰。皆、少し休んでいて欲しい。あと3時間半程したのち移動を再開する。全員が合流出来た以上、今後は軍馬の休憩に合わせる形で1日の行動を行う」

「了解しました、隊長」

 

 『隊長』は、面倒事の多いクレマンティーヌへ特に尋ねる事はしなかった。

 クレマンティーヌとしても、多少無理を頼んでエ・ランテルへ先行した以上、ここでは黙って従うしかない。

 そうして、日付を越える前に漆黒聖典の一団は動き始める。

 クレマンティーヌらの戦車隊は翌日も小休憩を挟み移動を続け、王国の大都市エ・ペスペルの手前辺りで馬の睡眠の為に4時間ほどの大休止を取った。

 随分前に日は落ちている。

 その時に『隊長』は、名誉席次で至宝装備姿のカイレと第五席次『一人師団』のクアイエッセを人払いした戦車へと呼び、今後の作戦を話し合った。

 いや、『隊長』が自分の考えを告げたと言った方が正解に思える。

 

「我々は、当初の合流予定地の森へは寄らず王都近くを直進する形で通過する。このまま進めば恐らく5日程度で我々は、エ・アセナルの近くへ到達出来るだろう。そこで半日の休憩を取る。行動はその後だ」

 

 膝上へ地図を広げる隊長の言葉にカイレとクアイエッセは頷く。

 それを確認すると隊長は伝える。

 

「カイレ様は、あくまでも二体目の竜王への予備戦力。またクアイエッセ達では竜王への太刀打ちは難しいだろう。だからまず――私が一歩先行し、不意を突く単騎で竜王らへ戦いを挑む。敵の指揮官達を排除したあとで総攻撃だ」

「……危険じゃな」

「私も、危険に思います。ですが……我々も周りへいれば、その時に隊長(あなた)が全力を出せないということでしょう?」

 

 腹心のクアイエッセは、疑問形ながらそう理解を示す。

 カイレが横目で見た先にある金髪の貴公子の口元には、笑みが浮かぶ。

 クアイエッセは『隊長』の強さを信頼している様子。

 老女もその事実を良く知ってはいる。

 当初の作戦ではカイレとその護衛隊を後方へ残し、300体を擁する竜軍団へ漆黒聖典12名での総攻撃となっていた。

 第五席次の落ち着いた笑みに対して、第一席次の『隊長』が静かに答える。

 

「そういうことだ」

 

 それは、巻き込む意味でも、強敵を相手に気を遣う余裕も無いはずの意味でも。

 今回の最大の敵は恐るべき難度を誇る竜王であり、実力は番外席次の『絶死絶命』に届く水準に思える。

 

(私も――本気の全力を出す必要がありそうだ)

 

 向かいの席に座るカイレは渋い顔をするが、この隊の指揮権は『隊長』にある。

 それに老女自身も『至宝の力』を連発出来る訳ではないし、神官長達からも「(隊長も通用しない場合の)最終手段として同行を願う」と言われていた。

 セドランの情報では、姿が見えない二体目の竜王はこれから向かう竜王程の難度では無いという話もある。

 先手を取り、強い方の竜王を倒しに行く隊長の、足を引っ張る訳にはいかない。

 

「……やむを得んようじゃな」

 

 結局、カイレも隊長の考えに同意した。

 そうして漆黒聖典の一行は大休止を終えると、午後11時を前に再び動き始めた。

 

 

* * *

 

 

 隊長の『作戦』は小隊長のところで止まっており、知らぬクレマンティーヌは戦車内の席で内心唸っていた。

 戦車隊が動き始めて1時間半近くが過ぎたその時であった――。

 

『クレマンティーヌ、俺の声が聞こえてるかな? 起きているなら何か合図が欲しいけど』

 

 馬車内のギシギシという鉄バネや車輪の騒音に紛れ、突然の予告なしで頭の中へ鮮明に愛しの彼の声が流れた。

 

「――……っ(モ、モモンちゃんっ?!)」

 

 その状況に流石の漆黒聖典第九席次も一瞬固まり目を見開く。

 しかし、すぐに目線を落として小さく咳払いをした。

 頭の回るクレマンティーヌはモモンから手渡されていた『小さな彫刻像』を思い出す。

 どういう原理か分からないが、魔法により会話が出来るアイテムであったのだろう。

 〈伝言(メッセージ)〉とは、いささか違う感覚で――信用出来た。

 実際、モモン側には戦車室内の音が全て聞こえている。

 この戦車は女子ばかりであり3名が乗車していた。

 クレマンティーヌは、斜め前の席へ座る『神聖呪歌』に小声で何気なく尋ねる。

 

「ねぇ、『神聖呪歌』。次の休憩場所ってさー、あと一時間ぐらいだっけ?」

「……? それぐらいだと……思うけど?」

 

 彼女は、眠そうに美しい声で答える。

 クレマンティーヌ的に、声だけでなく容姿の美しさまでも持つこの女は気に入らない。

 いつも幸せそうに笑顔を浮かべているのもムカつきに拍車を掛けていた……が、モモンの登場以来ムカつきは薄れてきており、今は彼女が起きていた事に感謝する。

 横に座る第二席次の小娘『時間乱流』は小さくイビキをかいて寝ていた。

 魔法を掛けている戦車なので多少は揺れが低減されているため、図太い者は寝る事も出来る。

 『神聖呪歌』も寝ていればクレマンティーヌは独り言を呟くつもりでいたが、尋ねる方が『神聖呪歌』の声もモモンへ伝えられ、より自然だと考えたのだ。

 

「じゃあ、私もそれまで寝ちゃおうかなー、おやすみー」

 

 そう言って、クレマンティーヌは目を閉じる。

 彼女の頭と耳の中には、モモンと『神聖呪歌』の声が同時に流れた。

 

『分かったよ、クレマンティーヌ。1時間後ぐらいにもう一度連絡するから』

「……おやすみなさい」

 

 モモンの声を聞いたためか、内心で『んふっ』と幸せ気分一杯のクレマンティーヌは束の間の時間まどろんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは王都リ・エスティーゼの宮殿にて、夜中にラナーと『相互協力』の密約を結び、彼女の笑顔をもってルベドとの約束も見事達成し、ナザリックの平和を守った……。

 その後、ラナーの部屋から階下3階の滞在部屋へと〈転移(テレポーテーション)〉で戻って来る。

 絶対的支配者は、いつもの一人掛けのソファーで寛ぎつつ、クレマンティーヌと『小さな彫刻像』経由で小声により連絡を付けようとした。

 しかし彼女側の状況が良くなく、1時間ほどの時間が空く。

 その時にふと、アインズは気が付いた。

 ルベドにナーベラル、シズやソリュシャン、果ては隣の部屋で先に横になっていたはずのユリにまでソファーの周りを囲まれていた事に。

 そして、彼女達はいきなり跪いてきたのだ。

 支配者は意味が分からない。

 ――いや、思い当るのはガゼフとの会話の折、ナーベラルから伝わったであろう『他家との婚姻について容易には認められない』と発した言葉である。

 そしてユリが、一同を代表して――謝意を述べる。

 

「アインズ様におかれましては、婚姻において一線を画すとのご発言に皆感じ入りましてございます。一同共々(かしこ)まり、新たに熱き想いと誇りを胸に、今後もアインズ様の御ためと我らナザリックの繁栄に貢献出来るよう邁進する所存でございます」

「(み、皆が納得しているようだし、ガゼフへ考えて答えたのはやっぱり結果的に正解だったのかな……)……うむ」

 

 ここまでの流れは問題が無いように思えた。

 だが、次のユリの一言は――アインズの想像を超えていた……。

 

 

 

「つきましては、区切りを付けられるということで、ナザリックの者から――――間もなくお(きさき)様を迎えるという事なのですね?」

 

 

 

「――――………ん? ……んん?」

 

 余りに突飛といえる言葉で、支配者は首を傾げながら猛烈に耳を疑った。

 

(お、お妃って、迎えるって……何の話だよ?)

 

 ガゼフへ伝えたあの時の、アインズの言葉は欠片(婚姻)しか残っていない雰囲気を感じる。

 そんな思いの主を置き去りにし、ユリは瞳を乙女風に煌めかせ、鼻息が荒くなっていた。

 

「すでに、ナザリックへもソリュシャンによりその旨伝えておりますっ――」

 

 

(――な ん だ っ て ーーー っ !)

 

 

 アインズはこの瞬間、既に一度抑制が掛かりながらも心に不安が再び膨張する中、即座にナザリックへ伝えたという本人へと尋ねた。

 

「……ソリュシャン・イプシロンよ。誰に伝えた?」

「アルベド様にございます」

 

 ソリュシャンは、天使にも見える笑顔でニッコリと微笑む。

 対するアインズは、両手のガントレットを頬へと当てた仮面下の骸骨の表情において――――まるでムンクの叫びのように顎が開かれていた……。

 

 しかし、アインズはこのまま現実逃避して今の状況を放置するわけにはいかない。

 支配者は無言でソファーから立ち上がると、夜中のベランダへ向かい外へと出る。

 ソリュシャンとシズが伴としてベランダへ続こうとするも、振り返った主は掌を前に出し『このまま一人にしろ』と意思表示する。

 ソリュシャンとシズは大窓より数歩下がると一礼し、室内から主を見守る形で立った。

 アインズは10分程、どうしようかと静かに落ち着いてあれこれ思案する。

 そして……結論として、報告が伝えられて数時間は経過しているだろうが、まずナザリック内の状況を把握し是正すべきという考えに至った。

 

(アルベドをはじめとする階層守護者級の者を一旦集め、酷い動きが広がる前に余計な誤解を一刻も早く解くべきだ)

 

 なぜこうなったのかは後に回し、いずれ原因が分かればそれでいいと。

 アインズはこの後、漆黒聖典の件でクレマンティーヌとの話も詰める必要があった。それまでにあと50分ほどある。

 絶対的支配者は、ベランダから室内へ戻りソファーの傍へ立つとこの場のルベドら5名へ告げる。

 

「私はこれより急ぎナザリックへ戻る。ナーベラル、王城での代役をしばし任せる」

 

 支配者としては今、ここにいる者への訂正や説明は後回しだと用件のみを伝えた。

 

「畏まりました、アインズ様――」

 

 ナーベラルの答えを待たず、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を起動する。

 

「――アルベド。私だ」

『こ、これは~、アインズ様ぁ~。くふっ』

「……(だ、だめだぁ)」

 

 声の空気が――既にアウトであった……。

 絶対的支配者は、支配者ロールの厳しい雰囲気の言葉で指令を語り始める。

 

「これより、ナザリック戦略会議室において緊急の重要案件を処理する。守護者統括並びに、ナザリックに留まる第四、第八を除く階層守護者を至急集めよ。5分以内だ」

 

 御方の緊迫感ある様子に、アルベドの声が劇的に変わる。

 

『――はっ。直ちに守護者各位へ招集を掛けます!』

「戦略会議室で会おう、ではな」

『はっ!』

 

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉をやれやれという思いで切る。

 すると、滞在部屋内のプレアデス達とルベドまでが、其々得物を取り出し物々しい臨戦態勢の雰囲気に変わっていた……。

 ユリが、通常のメイド服から戦闘メイド装備に変わり、スパイク付きガントレットの拳を握り締め尋ねる。

 

「あの、アインズ様の今のただならぬご様子。急に一体何事でしょうか?」

 

 それはこちらの台詞であるだが、アインズは時間がないのでスルーする。

 

「……後ほど通達があるだろう。それまで皆は装備を仕舞って普通にしておけ」

「はい、畏まりました」

 

 神器級(ゴッズ)アイテムの剣を握るルベドや、魔銃を構えるシズも「分かった」「……了解」と従った。

 アインズは〈転移門(ゲート)〉を開くと足早にナザリックへと戻る。

 

 地上の中央霊廟前で仮面を外しつつ、出迎えのフランチェスカより指輪を受け取る。アルベドのこの辺りに手抜かりがないところは流石だ。

 アインズはその『指輪』をゆっくりと嵌め、第九階層にある戦略会議室の扉前へと転移する。脇に控える怪人風使用人は、現れた支配者へ重々しく礼をすると扉を開いてくれた。絶対的支配者は、開かれた扉を通り会議室へと静かに進み入る。

 アルベドへ指示を飛ばしてから4分足らずだが――既に全員が揃っていた。

 ナザリックの主を室内に迎え、守護者全員が緊張の表情で一斉に起立する。

 

 ――今回は特に『緊急の重要案件の処理』という通達である。

 

 世界征服戦略に関わる重大な転機かとすら危惧する者までいた……デミウルゴスだが。

 アインズは、奥のひときわ背もたれの高い上座の席へと静かに座る。

 そして肩肘を突くと支配者らしく告げた。

 

「皆、ご苦労。まあ座ってくれ」

 

「はい」

「はいでありんす」

「ハッ」

「はい」

「は、はい」

「はっ」

「お気遣いなく」

 

 セバス・チャンだけは相変わらず脇に直立する。

 いつもの事なので、アインズは僅かに頷くとそのまま場を進める。

 

「さて、急で皆に集まってもらったのは、数時間前に『とある情報』がナザリックにもたらされたことに関するものだ」

 

 この段階で、デミウルゴス、コキュートス、セバスが、それは何かという難しい顔をし、まだ見当がつかない様子に見えた。

 対して、女性陣は「あ、あの話かな?」「かもね」などヒソヒソ声が漏れている。

 その状況にアインズは、アルベドから男性陣守護者にはまだ伝播していない話だと見当が付いた。

 そして、若干しまったという感じがする。

 

(招集は女性陣に絞るべきだったかも……うわ、どうしようかな……)

 

 そう思ったが、支配者の決断は早かった。

 

「デミウルゴス」

「はっ」

「コキュートス」

「ハッ」

「セバス」

「はい」

「悪いが、15分程この場の席を外してくれ。あとで説明する」

 

 コキュートスと、セバスは「なぜ」という疑問の雰囲気や表情を浮かべたが、デミウルゴスはすでに察したのか「畏まりました」と二人を連れて退出して行った。

 この場に残ったのは、アルベド、シャルティア、アウラ、マーレである。

 アインズは、時間も無いため手短に切り込んでいく――。

 

「アルベド、ソリュシャンから何を聞いた? 項目をすべて答えよ」

 

 支配者は、何がナザリックへ伝わったのかをまず正確に把握することが大事だと考えた。

 すると、アルベドは頬を僅かに赤くして『素直に』その内容を話してくれる。

 

「まずアインズ様が、王国の戦士長宅へ招かれた事。次に、前夜の王国地下組織との会談について虚実を混ぜて話されたこと。そして戦士長からの質問にいくつか答えられた事。一つは女性の好み。二つ目は――他家との婚姻について、です」

「……ふむ」

 

 聞く限り概要は、問題ないように思えた。最後の『例外について』は綺麗に無くなっているが、それは現状小さい話である。

 

(どこであんなに脱線してしまったのかなぁ……)

 

 アインズは、明確に焦点を絞る。

 

「私が間もなく(きさき)を迎えるという話は、どこから来たのだ?」

「それは――ソリュシャンより聞きました。我々の他家との婚姻についての話の中で、私達女子についてはアインズ様が完全否定され、御自ら相手を叩きのめして頂けると。それはつまり私達は至高の御方の物だという事に他なりませんと。私もそう思いました」

 

 アルベドの言葉に、シャルティア、アウラ、マーレもコクコクと頷いている。

 アインズはその状況に内心で困惑する。

 

(何かオカシイと思わないのかな。いや……ナザリックの全ては至高の41人の物だと思っているNPC達にすれば疑う余地のない当たり前の事なのかもしれないか――)

 

 アルベドの話は続く。

 

「ソリュシャンは最後に言いました。姉のユリは、アインズ様が今そう明言されたのなら、私達の中から妃を選ばれるのも近いのではないかと語っていたと」

「……(これはユリかーーっ! ……いや、ナーベラルからの伝言も介在しているし、気遣いの出来るソリュシャンと冷静なユリが話をする中で生まれた可能性もあるんじゃないかな。それに……)」

 

 この状況では、もう『これは全て根も葉もない内容だ』とは告げにくい。

 それは『主の言葉を勝手に捻じ曲げた』として誰かが罰せられるということなのだ。

 この場合、ナーベラル、ユリ、ソリュシャン達で連座の可能性がある。

 

(うーむ……)

 

 本当の原因の大部分は、上気し舞い上がったナーベラルの思考と、眼鏡顔を褒められたと聞いた際の、ユリの感情スパークによる思考と記憶の不安定状態なのだが、見ていない支配者はそれに気付きようもなく、あとの祭りという形だ。

 アインズは一瞬悩むと、アルベドへ静かに告げた。

 

「アルベドよ、(きさき)選びはいずれされるものではある。だが“間もなく”という話は予想のものだ。お前に届くまで3名を介している。その途中での“誤差”に思う。気にしなくて良いし、それをお前が鵜呑みにする事もないだろう」

「え……で、では……」

 

 アルベドは妃選びはあるという言葉に安堵するも、浮かれ気分から一転し不安になる。

 『妃は女子の上位者から』というのはあくまでもアルベドの御都合主義的考えであった。

 それを階層守護者の女子達に告げてしまっている……。

 その、後ろめたい気持ちのため、『間もなく』などという小さくない間違いについて声を上げ指摘することが出来なかった。

 またそれは既にアインズにより『誤差』で『気にしなくて良い』という結論も出ている。

 アルベドは、アインズの左側近くへ座っている席を辞すと、その場で支配者へ向かい跪く。

 

「アインズ様、申し訳ございません。先程、第九階層のバーにおいて、この場に残る階層守護者達へ“妃は女子の上位者から選ばれる”と憶測を告げてしまいました。お許しください」

 

 忠臣でもあるアルベドは、アインズへ対していずれ伝わる誤った話を仲間のいるここで報告しないわけにはいかなかった。

 アインズは、それを聞くと別の気になる点を確認する。

 

「そうか……先に一つ聞きたい。ソリュシャンから伝わった婚姻についての話は、ナザリックにおいてどこまで広がっている? 今は、トブの大森林への侵攻も控えており大事に進めたい時期だ。それと未確認の勢力情報もある。内輪の話で浮き立つのは余り良くないのでな」

「はっ。今のところ、ここに居る者達と副料理長のみにございます」

 

 流石にアルベドも統括として、ナザリックの慌ただしい現状は把握している。

 第九階層のバーにおいて、あの後階層守護者の女子へは『統括の仕事の機会を考える件』に絡み一時的だが緘口令も引いていた。

 またバーのマスターである副料理長は余計な事は言わない者だ。

 

「そうか」

 

 シャルティア達へ順に目を向けると、皆其々背筋をピンと伸ばし小さくコクコクと頷く。

 その様子は何気にかわいい。

 しかし若干の抜けが残っていた。

 

「では王城の者達にも、アルベドから説明し自制するように伝えておけ」

「はい、畏まりました」

 

 NPC間での〈伝言(メッセージ)〉を基本的に禁止しているため、おそらくこれ以上問題事にはならないだろう。

 アインズは、一段落したとホッとする。

 

「(ふぅ~)――よし。まあアルベドの“妃は女子の上位者から”という話は――大きく外れている訳では無い。余り気にするな」

 

 組織の体勢を維持するには、周りが納得する道理も必要なのだ。

 また一応、跪くアルベドへフォローも入れたつもりであった……。

 だが――。

 

 

「そ、それは、(まこと) で す か っ!」

 

 

 アインズの言葉通りだとすれば、間違いなくアルベド自身がアインズの妃候補筆頭になるのだ。

 最も浮き立ってはならないはずの統括ながら、彼女は喜ばずにはいられなかった。

 表情を色欲で上気させるアルベドは我を忘れ、胸元で両手を包み合わせると腰の黒いモフモフの翼をバタつかせて豊かな胸を揺らし勢いよく立ち上がる。

 そして1歩、アインズへと踏み出した。

 彼女の動きに――天井で控えていたアインズ護衛の7体もの八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達が一斉に身構える。

 

「――(ハッ)」

 

 次の瞬間、アルベドは己が身動き出来ない事に気付く。

 彼女の両肩と腕をシャルティアとマーレが、腰をアウラが閃光の動きでガッチリと押さえていた。

 

「バ、バカ。早く正気に戻るでありんすよっ」

 

 アルベドの耳元でシャルティアが必死に囁く。

 ここでの大きく目立つ不祥事は、妃候補から除外されかねないと。

 我に返ったアルベドが再び跪く。

 

「も、申し訳ございません、アインズ様。その……余りに嬉しくて……」

 

 アルベドは弁解することなく主へ正直にその気持ちを伝えた。

 最近はある程度見慣れた光景といえる。

 アインズも、自分へアルベドが忠誠と共に熱い想いを寄せてくれている事は分かっている。

 これも彼女の愛情表現の一つみたいだと割り切りつつあった。

 

「――分かった。素直に謝った事で不問とする。ではこれで王都からの情報に関する確認は終わりだ。 マーレ」

「は、はい」

「デミウルゴス達を呼んできてくれ。近くにいるはずだ。〈伝言(メッセージ)〉を使っても構わない」

「分かりました」

 

 そうして、1分ほどで再び階層守護者達がこの場に集う。アルベドも再び席に着いた。

 アインズが全員を見渡しながら伝える。

 

「さて、先程の件だが一応終結した。その内容を知らせておく。実は、王都からの情報に私の(きさき)に関する話が流れたのだ」

「オォォ……ソレハ……」

 

 コキュートスがなぜか小さく感激の声を漏らし身を乗り出す。それをデミウルゴスが「まぁ、待ちたまえ」と小声で諭す。

 支配者はそのまま語る。

 

「将来的には当然考える話だが、我々には今進めておくべき事柄も多い。そういった話は、まだ少し先と思って貰いたい。そして、ナザリック以外との婚姻については男性陣の事もあり例外は考えなければならない。その時がくればいずれ相談しよう」

 

 この場でも、ナザリックの女性達が至高の御方々の物だとすれば、男性陣の相手は外からと考えるのは当然の様に思え、アルベド達からの異論は起こらなかった。

 守護者達は、アインズの言葉に其々「はい」や「承知しました」など答えて頷く。

 主は最後に皆の返事へ一つだけ頷いた。

 

 今の時点で、まだクレマンティーヌと再度連絡を取るまでに、あと30分弱はある。

 なので支配者は、折角集まった場を利用しようと次の議題へと移った。

 

「次の件は、他勢力に関するものだが――皆、落ち着いて聞いてもらいたい」

 

 その言葉に、マーレとデミウルゴスが緊張した表情へ変わった。

 他の者は「なんだろう」という表情。

 アインズは要点だけを伝える。

 

「先日、ナザリックの南方に広がるスレイン法国の最高機密情報が手に入った。あの国には“至宝”や“秘宝”と呼ばれているアイテムがいくつかあるそうなのだが、その一つに精神攻撃に完全耐性を持つ者すら支配してしまうアイテムが存在する事が分かった」

 

「「「「「――――っ!」」」」」

 

 戦略会議室の空気がガラリと変わるも、アインズの言葉は途切れない。

 

「そのアイテムは着用型のもので、法国における装備可能者はカイレという名の老婆のみだと思われる。おそらく装備する為に厳しい条件があるのだろう。力を行使した場合の様子はまだ分かっていない為、私の推測になるのだが恐らく大きすぎる効果の代償として、多数を同時に支配という事は無理だろう。それに、連発も難しいはずだ。ここで伝えたいことは――過剰に恐れるなということだ。用心し十分対策すれば、我々にとって問題はないアイテムだと私が断言しておこう」

 

 数日前にもあれこれ思案したアインズとしての考えは、今の言葉と同じである。

 どれほど強い力を持つアイテムも万能では無い。

 それに――『プレイヤーが使う訳では無い事』が非常に大きいとアインズは考えている。

 油断は出来ないが、脆弱である人間が使う以上、装備可能者を殺すことは容易と言えよう。

 

(ナザリックの脅威としてこの老婆に対してだけは、持てる全力で当たり容赦はしない)

 

 絶対的支配者はそう決めていた。

 このあとマーレから、他の至宝と秘宝、そして『番外席次』や『隊長』ら神人に漆黒聖典、その他の法国の注目点などが大まかに説明された後で、現在スレイン法国について情報を書類にまとめており、出来次第提出することが告げられる。

 ついでだが、秘密結社ズーラーノーンとの協力関係についてもアインズより話が振られ、マーレにより簡単に説明がされた。

 『支配者のいつでも潰せる余興的なもの』という趣旨で語られ、アルベドやデミウルゴスからは「左様ですか」と笑顔で承諾される。

 ただ、強大すぎるだろう謎の空中都市については未だ語られずだ……。

 ここでクレマンティーヌとの連絡まで10分を切った。

 

 アインズは、階層守護者一同へ静かに語り始める――。

 

「あと一つ。私は今、皆が知っての通り王都にて“アインズ・ウール・ゴウン”の名を広めようとしている。そこへ竜軍団が侵攻し、対抗する力が乏しいリ・エスティーゼ王国は大混乱だ。その中で現在、スレイン法国から竜軍団に対し撃退の任を帯び、漆黒聖典の部隊が廃墟となったエ・アセナルを目指して移動中だ。漆黒聖典は王国に対して極秘に動いている。その中に私の配下となっている第九席次である人間のクレマンティーヌと――先に挙がった至宝の装備を身に付ける老婆カイレも同行しているという」

「そ、それは……」

「えっ、そうなんですかっ!?」

「ナント……」

「……むう」

「そのババアは、わらわが一瞬で殺してあげんしょう」

 

 初めて聞く至宝の動向話に、マーレとデミウルゴス以外の者達がそれぞれ反応した。

 Lv.100の者達も支配される可能性を想定すると、行動を考える者が多い。

 しかし唯一、切り札の分身系のスキル『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』を持つシャルティアは、分かっているのかいないのか積極性が見え好戦的であった。

 そんな守護者達へアインズが告げた。

 

「シャルティアの言葉ではないが、今回は明らかに好機である。数日後にその至宝の奪取作戦を私中心で行う」

 

「「「「「「「――――っ!」」」」」」」

 

 これには、マーレとデミウルゴスも驚きの表情に変わる。

 その中で彼女がいち早く動いた――。

 

 

 

「断じて、なりませんっ!!」

 

 

 

 そう強く叫んだのは、アルベドであった。

 

「アインズ様に何かあっては、取り返しがつきません。何卒御一考の事を。――ぜ、是非私めにその指揮をお任せくださいっ。必ずやご期待に応えてみせます!」

 

 その表情はこれまでで最も真剣であった。

 それにアルベドにとって、これはアインズへ貢献する千載一遇の大チャンスであるっ。

 彼女の言葉に、他の守護者達も異論を唱えなかった。特に女子は。

 

「し、しかしな……(危険である上に、クレマンティーヌ絡みでは兄貴を葬るとか、“神人”のいる漆黒聖典は生かして帰すとか色々予定もあるんだよな……)」

「何卒曲げてお願いいたしますっ」

 

 アインズも、美しい金色の真っ直ぐに見てくる彼女の瞳の雰囲気から、固い決意を感じていた。

 ここで却下すると、今後アルベドの士気が大きく下がることは間違いないように思われる。

 

(うーん。うわ、そろそろ時間だよ……)

 

 アインズの眼窩(がんか)に輝く紅い光点は、左横に座りこちらを見つめるアルベドを捉えていたが、正面を向く。

 

「これから、老婆と同行している現場のクレマンティーヌと状況確認の連絡を取る。私は少し席を外すがお前達は暫くここで待機していろ。どうするかはその時に決めよう」

「……畏まりました」

 

 礼を伴うアルベドの言葉に、この場の守護者達も頭を下げる。

 アインズは立ち上がりながら「うむ」と伝えると『指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)』で〈転移〉すると、誰もいない宝物殿の金貨の山がそびえる入口広間へと飛んだ。

 パンドラズ・アクターには先日より第九階層に自室を与え、下位の宝物を数点置物として設置して凌がせている。下位の物だと、時々宝物を入れ替えてやらないと飽きるらしいが。

 そのため現在、許可なくNPCや(シモベ)達は、誰も宝物殿へは入れない事になっている。

 ここなら邪魔なく静かに会話が出来る。時刻は夜中の2時頃。

 アインズはモモンとして、(おもむろ)にクレマンティーヌへとガチャアイテムによる〈通話〉を繋いだ。

 

「クレマンティーヌ、今大丈夫かな?」

『……んー。ちょっと、お花摘んでくるねー』

 

 焚火の音や仲間達と思われる話し声が僅かに聞こえるものの、彼女に返ってくる言葉はない。

 そのまま10秒ほど周囲の雑音がフェイドアウトする風で極小になると、クレマンティーヌからの返事が始まる。

 

『待ってたよ、モモンちゃんっ! 本隊とも合流しちゃったし、連絡どうしようかと思っちゃったー』

 

 小声ながら、彼女の不安から大きく解放された感が伝わってきた。

 クレマンティーヌの本隊合流はモモンとして初めての情報だ。考えを修正しながら答える。

 

「言ってなくてゴメン。このアイテムが役に立って良かったよ。『神聖呪歌』が傍に居るからそうかなと思ったけど、本隊ともう合流したの?」

『昨日の晩に偶々合流したよー。でも、これ凄いアイテムだねー』

 

 こんなゴミアイテムを称賛されても仕方がない。適当に流し、アインズは用件に入る。

 

「まあね……さて早速だけど、合流したって事だしこれからの話なんだ。クレマンティーヌ側で部隊について今後の予定は聞いてるかな?」

『んー、それが聞いてないんだー。今は、馬の休憩サイクルで昼夜問わず移動を続けてるよー』

「そうか……ということは、余計な寄り道や待ち時間は無いということかな?」

『そうかも。“隊長”は真面目だからねー。最善で最短を目指してるんじゃないかなー』

 

 ある程度、アインズの推測通りだ。

 

「今、どこら辺りか分かるかな? それと、エ・アセナルへの到達にどれぐらい掛かるのかも」

『んーとねー今は多分、エ・ペスペルを少し越えた辺りだと思うよー。あと、エ・アセナルの傍までだっけー? このペースだとー、あと4日は掛からないと思うよー? あっ、着いたら少し休憩は有るかも』

 

 アインズの予想よりも1日以上は早い感じであった。

 

『モモンちゃんは今、どこー?』

 

 彼女からの普通のこの問いに、アインズは僅かにドキリとするが、無難に答える。

 

「ぁあ、エ・ペスペルに、今日の夜には着くという辺りかな」

『そうかー。うーん、直接会えないねー……』

 

 クレマンティーヌは可愛く寂しそうに残念がった。

 それに、アインズが励ます形で伝える。

 

「王都まで行けば、冒険者組合の点呼日までこっちは動き易くなると思うし、状況も変わるさ。因みに当初の作戦計画とかはなかったのかな?」

『一応あったよー。王都北東の森で合流したら、一気にエ・アセナルに寄せて、カイレの婆さんを後方に陽光聖典の護衛付きで待機させて、私ら漆黒聖典12名全員での総攻撃ーって感じのがねー』

 

 アインズは、カイレの位置に注目した。

 陽光聖典の護衛付きとはいえ、漆黒聖典と離れるというのは――非常にありがたい。

 それなら、至宝アイテムの奪取の指揮をアルベドへ任せても大丈夫だという気がした。

 クレマンティーヌの兄は、総攻撃中のどさくさで討ち取り、隊長を半殺しにすれば漆黒聖典の部隊は撤退するしか手がなくなるだろう。

 

「……クレマンティーヌは、この後、その流れで作戦が進むと思ってるの?」

『んー、どうかなー。ただ今のところ、早く合流出来た事で戦闘開始が1日程早くなった差以外感じないけどねー』

 

 漆黒聖典の戦車隊は俯瞰の形で、ナザリックの統合管制室からも随時追跡している。

 アインズ的には、かなり正確に戦闘開始時間を把握出来ると思えた。

 ただ漆黒聖典には、こちらの強者の反応を探知出来る者がいることを忘れてはいけない。

 先日のクレマンティーヌからの情報では『深探見知』の探査半径は優に5キロ以上もあるらしい。不用意な接近は早期に警戒される事になる。

 人間ながら人材としては中々優秀である。

 まあ、こちらも対策出来ないわけでなく何とかなるだろう。

 状況は概ね大丈夫に思えた。

 

「現状は分かったよ、クレマンティーヌ。それで、君の復讐だが――竜軍団との戦闘中に行おう。エ・アセナルの周辺に大きい森は焼けて残ってないかもしれないけど、林ぐらいならあるんじゃないかな。そこへ上手くターゲットを(おび)き出して欲しい。二人で倒そう」

 

 熱い憎き血が舞うだろう『二人の共同作業』に、クレマンティーヌは感激する。

 兄のクアイエッセを、漆黒の剣士の前に引きずり出せれば、あとはグレートソードでぶった切ってもらうだけである。

 そのあと二人は幸せな門出を迎えるのだ。

 

『モ、モモンちゃん……』

「王都で、エ・アセナル周辺の地図を探してみる。一度会って話を詰めようか。また連絡するから」

 

 通話時間が7分を過ぎていた。10分を超えれば、クレマンティーヌが怪しまれる恐れもあり、この辺りで切り上げる。

 

『分かったよっ! 私、待ってるねー』

「じゃあ、また」

『モモンちゃん、愛してるーーーっ!』

 

 そんな甘い声で〈通話〉は切れる。

 アインズは懐く配下として可愛く思うも余韻に浸ることなく、階層守護者達の待つ戦略会議室へと取って返した。

 

 

 

 

 

 

 

 至高の御方が、姿を消した直後の戦略会議室はなんとも言えない空気が漂っていた。

 デミウルゴスがアルベドへ声を掛ける。

 

「アルベド。貴方は何か――焦っているのではありませんか? らしくないですね。焦りは思考と機運感を鈍らせてしまいますよ」

 

 大元(おおもと)(けしか)けた感じのシャルティアとアウラの顔が渋くなった。

 デミウルゴスも案外鋭いのだ。

 

「こ、こちらにも事情があるのよ」

 

 アルベドは、そう返すのがやっとである。

 デミウルゴスは落ち着いて諭すように話す。

 

「アインズ様は、のんびりいこうと仰せの方です。以前も言いましたがそのうちに時間は出来ますよ」

「……」

 

 デミウルゴスの言葉に、アルベドも考え気味に視線を落とす。

 そんな彼女を見つつ彼は話題を変えた。

 

「そう言えば、アインズ様配下のパンドラズ・アクターが、御方のご指示でスレイン法国の東に隣接する“竜王国”という国へ偵察に赴いたとか」

「そ、それは僕、初めて聞きます。いつの間に……。トブの大森林の後にでも攻めるのでしょうか?」

 

 マーレは先日までパンドラズ・アクターと行動を共にしていたので驚く。

 

「ウゥム、気ニナルナ。私ハ連戦デモ構ワナイゾ」

「私も気になります」

 

 コキュートスにセバスも初めて聞く話で、戦になるという事ならナザリック地下大墳墓のためにも確認せずにはおれない。

 第七階層守護者は眼鏡を直しつつ、概要に触れる。

 

「私も彼と廊下で出会った折に、少し聞いただけですが、アインズ様はビーストマンの国から攻められている竜王国からの救援を“アインズ・ウール・ゴウン”の名を揚げるために利用しようとお考えのようです」

 

 マーレだけは、冒険者マーベロとしてその場に立ち会っているので概要は分かる。

 パンドラズ・アクターは、竜王国の東地域にある3つの都市と、攻め寄せる側のビーストマンの本陣までも偵察していた。

 ビーストマン側は竜王国内へ5個師団を投入していたが、指揮官の話からまだ本国には余力が十分にあるという。

 一方で人間側の竜王国は、3つの都市に兵数計11万8000余で籠り、更に市民の有志達も加わって必死の籠城戦を展開している状況。

 だが、都市の一つで兵糧が二カ月は持たないという在庫状態に、指揮官たちが頭を抱えている姿も彼は確認して帰って来ていた。

 とにかく、竜王国側は日々の戦いでも500名以上の戦死者を出し続けており、何時陥落してもおかしくない都市城塞で、血みどろの戦いを繰り広げている。

 

「――確かに困っているようですので、色々と利用は出来そうですが。まあアインズ様のご要望待ちですね」

「そうね。でも少し攻撃側のビーストマンの数が多いかしら。長持ちさせるために後方で幾らか間引いて差し上げた方がいいかも」

 

 アルベドが、アインズの関わろうとする案件であるため勝利への思考を巡らす。

 それは己がどのような状況であっても、この地上から消え去るまで変わらない思いだ。

 ただその気持ちは、他の守護者達も同じである。

 

「ぼ、僕の出番かな?」

「マーレ。あんたが出たら、数時間で竜王国の都市ごと全滅させちゃうでしょ?」

 

 空を飛べない種族が相手ならば、マーレはまさに大戦略級の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。驚異的である撲打力だけが突出しているわけでは無い。

 数日もあれば一都市と言わず、種族ごと絶滅させる恐るべき力を有しているのだ……。

 

「あたしがちょっと行ってこようかしら」

 

 アウラがそう語ると、今度は珍しくマーレが反論する。

 

「お、お姉ちゃんだって、ビーストマン達を本気でテイムしちゃうと、あっという間に味方が増えて敵がいなくなっちゃうよ」

「くっ」

 

 姉の彼女は大型肉食動物系には調教技で滅法強いのだ。フェンリルのフェン達を率いるとより効率が上がる。

 

「私も最近少し腕が鈍り気味ですので、機会を頂ければ良いのですが」

 

 そう告げたのは、これまでずっと静かに佇んでいたセバスである。

 コキュートスについてはトブの大森林侵攻戦で先陣を切ることになっているが、その際セバスはナザリックの防衛担当で、当面そう言ったお鉢が回ってくること自体なさそうであり、その驚異の腕前を持て余している感があった。

 また同時に彼の隠れた内心には、常に困っている側に立って力になりたいという思いも秘めている。

 執事の仕事についても、一時的にメイド長のペストーニャへ任せれば問題ない。

 ついでながら都市の子供達も守れるということであり、彼女も喜んで協力するだろう。

 

「セバス、圧倒的すぎるあなたが出ても結果は同じ様に思うけれど……。そうね、一番守備状況が厳しい都市に入って目立たない形で助っ人ならいいのかもしれないわね」

 

 そうアルベドが考えを口にする。

 外見が完全に人間と同じに見える為、そういった潜入工作活動は十分可能である。

 ――と、そんなことを話している時に、アインズが室内に現れた。

 

「皆、待たせたな。ん……どうした?」

 

 明らかに論議途中の様子を感じ、支配者は威厳に相応しい姿でゆったりと席へと着きながら皆へ問うた。

 それにアルベドが説明する。

 

「竜王国の話でございます。パンドラズ・アクターの偵察の話をデミウルゴスから聞き、皆でアインズ様のお役に立てないかと話をしておりました」

「そうか。まあ確かに竜王国は今、波状的に攻められてもう随分キツい状況だからな。ビーストマン側は後方の本国からの更なる大規模の増援も来るようであるし、何か手を打たないと竜王国側の東の三都市は3週間も持ちこたえられないだろうな」

 

 絶対的支配者は、ビーストマン側の動きをパンドラズ・アクターより聞いてそう考えていた。

 現在は三か所に分れて分散攻撃されているが、一つでも落ちればその戦力が残りに集束していく。

 そうなれば完全に絶望的だ。その前に手を打つ必要がある。

 

「はい。ですので、誰か目立たない形で助っ人を送り込むというのはどうかと話し合っておりました。大軍同士の戦いでは流れが重要になります。今は流れが凪ぐように戦況が拮抗するよう維持することが大事でしょう」

「(へぇ、そういうものか)……そうだな。で?」

 

 アインズは軍団を率いる戦争のプロでは無い。ここは一度、統率力の高いアルベドやデミウルゴスの考えを聞いておきたいところであった。

 支配者はアルベドの言葉に耳を傾ける。

 

「それで、今我々はまだ森へ軍を進めていませんしナザリックの守りは十分でございますので、ここはセバスを一時的に一番陥落の恐れのある都市へ向かわせ、敵の決定的と思われる攻撃を密かに間引くというのはどうかと思っております」

「ふむ……、なるほど、なるほど」

 

 十分納得できる発想に、アインズは満足する。

 誰を送り込むかを考えれば、人間の国で不自然無く自由に動ける者である。そして抜群の力を持つ必要がある。

 言われてみれば、階層守護者で誰が適任かといえばセバスというのは確かだ。

 ただアインズにすれば、強くとも1人というのは行動に制限が大きいと思えた。

 

「ではセバスよ。お前に竜王国の東部都市における影での防衛を任せよう。あと、間もなく帰って来るはずの、ルプスレギナも連れて行くのがいいだろう。一人だけでは、動きにくい時もあるからな。連絡についてもだ。だが、決して無理はするなよ。増援が必要な場合、遠慮なく告げよ。期間は――私が竜王国へ赴くまでだ」

 

 セバスだけでは〈巻物(スクロール)〉の使用すら難しかった。

 ルプスレギナがいればその部分もカバー出来る。

 

「畏まりました、アインズ様。では、ルプスレギナの帰還を待ち、出撃いたします」

「うむ」

 

 これにより、後日竜王国への臨時救援にセバスとルプスレギナがひっそりと向かう事になる――。

 

 先の話に手を打ったアインズは、手前の議題へと話を返した。

 

「さて一同の者、例の至宝の奪取作戦へ話を戻そう」

 

 アルベドが「はっ」と答えると他の者らも「はいでありんす」「ハッ」などと続いた。

 支配者は、この場へとまず最新情報を提供する。

 

「現在、至宝と同行し移動途中のクレマンティーヌから状況を聞けた。今の位置はエ・ペスペルよりも王都寄りの位置とのこと。廃墟となったエ・アセナル近郊への到着は早ければ4日程度との事らしい。途中で王都北東の森へ寄ればそれより遅くなるだろうが、その必要はもう無くなっているからな。なので、我々はそれまでに態勢を整える必要がある」

 

 ここでアインズはアルベドを見て、そして静かに告げる。

 

 

「――今回の“至宝奪取作戦”の指揮官として、アルベドを任命する」

 

 

 そう伝えられたアルベドは、目を見開く。

 まず、すんなりと告げられたことに驚いていた。

 先ほどからの合間に、デミウルゴスらより主への口添えは一切ないのだ。そして、先程のセバスの案もいきなり即採用されていた。

 彼女は、自分が目の前の至高の御方から、絶大の信頼を受けていることに改めて気付く。

 自分だけで勝手に不安になっていたのだと。

 

「どうしたのだ? アルベド」

 

 支配者は、いつも通り優しく声を掛ける。

 アインズの心に少し不安もあるが、NPC達は――人形とは違う。

 それぞれに様様な感情があり意志を持つ。

 先程から見るに、断固たる決意と能力を持つ者達を縛り続けることは、間違っているのではと考えたのだ。

 

「い、いえ。このアルベドが“至宝奪取作戦”指揮官の任、確かに承りましたっ」

「うむ。それでは私から情報と注意点と要望を伝え、皆で早速作戦の内容を詰めたい」

「はっ」

 

 アインズはこの直後に皆へ、漆黒聖典が竜軍団との戦闘開始時に、至宝を装備した老婆を後方へ護衛と共に予備戦力として待機させる予定で有る事を告げる。

 続いて、先の漆黒聖典の話で皆が知る『深探見知』の存在も注意が必要だと加える。

 『深探見知』対策には、漆黒聖典戦車隊の動きについて第九階層の統合管制室を利用し逐一報告させるようにと伝える。

 そして、ゴウンの暗躍の影は兎も角、ナザリックの存在をまだ極力知られないようにとも注文を付けた。

 またアインズは、冒険者モモンとしてクレマンティーヌの兄をこの戦闘時に紛れて討つ約束があることを伝える。

 あと、王都滞在組を長時間使う場合は、王城からの外出理由を考える必要があることを話す。

 それらを加味し、まず作戦中のナザリックにはデミウルゴス、コキュートス、アウラが残ることを決めた。

 このことで、セバスを除き作戦へ投入出来る一線級の戦力が絞られてくる。

 アルベド、シャルティア、マーレという事だ。

 一応、後方支援に『同誕の六人衆(セクステット)』から謎スライムのエヴァを付けることも浮上する。

 この全員が『深探見知』の探知を掻い潜る〈完全不可知化〉の使用が可能である。

 正直、老婆とその護衛はLv.70のエヴァだけでも圧倒出来る見込みだが、至宝への最前線には階層守護者を当て万全を期す。

 

 本作戦はいずれにしても完全に――撃滅作戦だといえた。

 

 この場で語られないがアインズの作戦では当初、至宝装備者の老婆の前に堂々とアインズ・ウール・ゴウンとして登場する案(譲渡交渉決裂からの広域への絶望のオーラⅤ)を用意していたのだが、アインズとして動く事は滞在する王国を対法国面で巻き込む可能性もあった。

 なので、とりあえず強行案の隠密での皆殺しでもいいかと思ったが、ナザリックとは知られずとも『謎の勢力の関与』をどう誤魔化すのかという問題が結局残る。

 アウラから、法国へ謀反したという事でニグン達を使おうという中々面白い案を聞く事が出来たが、それもアインズ・ウール・ゴウンとの関連付けがされそうであり却下となる。

 結局、無難に応用度の高いデミウルゴスの概案を聞き、支配者は納得してそれを支持した。

 それは以前アインズの考えた、法国の知る吸血鬼化したシャルティアを利用する案では無い……。

 そしてここでアインズは漸く伝える。

 

「なお今回、漆黒聖典についてはクレマンティーヌの兄以外、“神人”の隊長を含めて生かして帰すように」

 

 恐らく反対の議論があるだろうと思い、彼は要望の最後に回していた。

 

「――はい、アインズ様」

 

 しかしそれに対し、アルベド達は全く反論しなかった。

 一つは諜報員のクレマンティーヌがいるという点。そして、主の『余興を長く楽しむ』という最近の趣旨を考慮しての判断であった。

 

「(う、)うむ。ではそれで作戦を立案せよ。出来次第連絡を頼む」

「畏まりました」

 

 時刻は夜中の3時を過ぎている。

 

「皆、他に何かあるか?」

 

 守護者達は互いに見回すがこれと言って無い模様。

 するとデミウルゴスが尋ねる。

 

「アインズ様、この後のナザリックでのご予定は?」

「うむ。まず日課のアンデッド作成をした後に、〈伝言〉で王城へ様子を確認し、それから少し溜まった執務を朝までに片付けるか。何もなければここでゆっくりし、夕方から冒険者として行動しようかと思っている」

「では、執務の後に少々お時間を頂きたいのですが。我々の小都市について何点か確認させて頂きたいことがございます。私か――アルベドが伺います」

 

 アルベドが横目で一瞬、デミウルゴスを『忙しいのにどういうつもりよ』と見る。

 小都市について、彼女も責任者であるとはいえ、現在細かい部分はヘカテーが担当している。

 デミウルゴスは、その視線に気付きながらもアインズへ向ける顔の表情を変えない。

 

「そうか、構わないぞ。他に無いか? ……では今回の会議は、ここまでとする」

 

 アインズの会議閉幕の言葉を受け、アルベドをはじめ守護者全員が起立し礼をする。

 主はそれを受けると立ち上がり、セバスの開けてくれた扉を抜け、先頭で会議室を後にする。セバスはそのままアインズの傍付きとして従い退場していく。

 すると、アルベドはデミウルゴスへ近寄り小声で確認した。

 

「……(ちょっと、そんな急の都市計画調整の話はヘカテーからも聞いてないわよ?)」

「……(じゃあ、何かないかヘカテーに確認しておいてください。貴方がアインズ様と二人きりで話せる時間のためにね)」

「――――っ!」

 

 そう小声で告げたデミウルゴスはコキュートスと共に、頬が赤くなって固まるアルベドへ背を向けヨロシクと手を上げてクールに去って行った。

 確かに、これから王都の者達へ妃の件の訓示を伝え、作戦草案を作ってもヘカテーに確認するぐらいの時間は取れる――いや、取るに決まっているっ。

 そんな思いに拳を握るアルベドへシャルティア達が近寄る。

 

「なんか、急に一杯仕事が貰えて、少しズルいでありんすねぇ」

「そうよね。ちょっと多すぎじゃない? あたしはお留守番だし」

「ぼ、僕は……つ、次の作戦で活躍出来れば……」

 

 考えは三者三様である。

 シャルティアは、奪取作戦にも参加するので、控えめな抗議だ。

 マーレも参加組であるため、特に不満は無い。

 アウラだけが今回、ハズレ状態だ。なので不満が高まる……。

 それに対して此度は、アルベドがアウラを慰めた。

 

「アウラはまだ応援を呼ぶ際に、最初の支援隊の可能性が残ってるわよ。残留組で一番即応の機動力があるのだから」

「ふん。まあ、今回はそれに期待しとくわ」

 

 防御面を考えると作戦時、デミウルゴスとコキュートスはナザリックから動かせない。

 少し渋い顔のアウラだが、今回はアルベドに華を譲った形だ。

 彼女達もそうしてワイワイと会議室を後にした。

 

 

 そんな形で、『至宝奪取作戦』進行と共に、ナザリックの妃問題も今は静かに解決―――と思われたが、全くそうはいかなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴウン殿、急な話で申し訳ないが、国王ランポッサIII世陛下のたっての願いである。

 ――第二王女殿下のルトラー様を妻に娶り、リ・エスティーゼ王国の一員として私達共々竜軍団と最前線で戦って頂きたいっ!」

 

 

 アインズがヴァランシア宮殿の滞在部屋で王国戦士長よりそう告げられたのは、昼食を終えお茶会も済んだ後の事。

 周りのルベドやプレアデス達も、ナザリックのアルベドから『訓示』を受けて間もない事もあり、その凄まじい衝撃の内容に固まった。

 それは、まだ独身だと聞くご主人様に全てを捧げる想いのツアレも同様である――。

 

 アインズは緊急会議終了後のナザリックにおいて、アンデッド作成の後で王城側の確認(夜中でもあり問題無し)、僅かにあった執務までを無事に終えると、デミウルゴスの代わりとして建設準備中である小都市の内容確認へやって来たアルベドと、差し向かいで穏やかに一般メイドの入れてくれたお茶を飲みながら小一時間の打ち合わせを済ませる。

 それからしばらく寛いだ朝の9時頃、王城から「王国戦士長が昼から急遽会いたい」と〈伝言(メッセージ)〉の知らせが舞い込んでくる。

 アインズは承諾すると暫し地下大墳墓の各所を周り、昼を前にナザリックを後にする。

 その時、見送りのマーレへ指輪を渡しつつ、冒険者の準備を整えいつでも動けるようにと告げていた。

 

 

 アインズへ国王からの衝撃の内容を告げた戦士長ガゼフの表情は、まさに真剣であった。

 仮面を通しても突き刺さるほどの視線を感じている。

 アインズも今の内容には驚くが、確認するために王国戦士長へ尋ねる。

 

「――本当に急な話ですね。先日の緊急対策会議での私の考えを変えるために……ですか?」

 

 アインズはあの場にて、国王や王子達、大貴族やラナーの前で『自分は王国民ではない客人であり、友の居る王都から動かない』旨を宣言していた。

 それを覆すには、確かに王国の関係者とすればいいということなのだが……それにしてもまさか王女まで持ってくるという事は、最終手段と言ってよい内容である。

 

「そう取って頂くほかない。本来客人であるゴウン殿へ()()()()()を告げることは、私としても酷く躊躇われたのだが、今の王国に後がない事が分かってしまった――ルトラー王女殿下のご指摘によってだ。貴殿らの実力は、陛下へ既にとても高く認められていると考えて欲しい。だからこそ、こういう事に相成(あいな)った。……もうこの話ぐらいしか我々に手が残されていないと思ってもらって構わない」

「……んー」

 

 目の前のガゼフから直接最終手段と聞いて、前掛かりの姿勢だったアインズは、腰掛けるソファーに大きく背を預ける。

 半信半疑だが、あの黒い王女様がこちらをある程度看破しているという風にも取れる。

 なにせ、あのラナー王女の姉なのだから甘く見る事は出来ない。

 そんな娘が輿入れして来るというのだ。

 だがここで完全につっぱねると、客人としての立場を失うとも判断出来た。

 と言って、ナザリックの支配者として、『第一(きさき)』というこれほどホットで重要である用件に今頷く事も難しかった。

 仮面の顎に右手を当て考えるアインズのその様子に、戦士長がここで『特典』を挙げる。

 

「もちろん、貴殿の実力に相応しい祝いの品を王家も用意している。まず、輿入れ金として金貨100万枚。加えて、王族の縁者として、王家直轄都市のエ・ランテルの収益の一部とその近郊へ領地が与えられる。恐らく年収で金貨15万枚は下るまい。これに伴い、爵位として新設では異例となる伯爵の位が用意されている。また、王国が無事に存続出来れば、他にも多少の要望は問題なく叶えられると思う。……どうだろうか?」

 

 告げられた内容は恐らくリ・エスティーゼ王国では破格の内容だろう。

 しかし、アインズにはそれほど魅力を感じ、興味を引く物が無かった。

 今、彼が欲しいのは広く国外にも鳴り響く名声である。

 アインズは顎に当てていた右手をひじ掛けに置き、そのガントレットの人差し指をトントントンと動かしながら考え続けた。

 それを斜め向かいの3人掛けソファーに座る戦士長が、しばらく沈黙を持って見守る。

 昨夜の戦士長宅での長考の再現にも思えた。

 待ち時間が5分が経過する頃、合間に〈時間停止(タイム・ストップ)〉も使って長考したアインズが穏やかに告げる。

 

「あなたからの話であり、王国に協力するという部分では前向きに考えたい。また輿入れ金やエ・ランテルの収益の一部を頂けるのは有り難い話です。しかし、今は反王国派と共闘の件もあります。それで……他の条件を変えたい、ということは出来るのでしょうか?」

 

 ガゼフは、眉間に皺を寄せるも一度ゆっくり瞬きすると「内容をお聞かせいただこう」と答えた。

 アインズは一大組織を率いる者として堂々と語る。

 

「私は人の下に付くという事が好きではありません。なので臣下を表す爵位を頂く事は御断りしたいのです。それに代わり――――独立自治領主として領土を割譲する形で頂けるのなら嬉しく思います。その領地ですがエ・ランテル近郊ではなく少し広くなりますけど、あのカルネ村を含むトブの大森林に隣接する辺りから現在ほぼ無人で放置されている帝国までの緩衝地帯を希望します。また、第二王女の輿入れについて話は分かりましたが、婚儀については反王国派との事もあり、先の領地の件も含めて今は約定という形で纏め秘し、暫く時間を頂きたいのですが」

 

 

 兎に角、支配者はナザリックで今絶対に物議をかもしそうな『妃』の件は後回しにしたかった。

 

 先程より、ソファー周囲のルベドや戦闘メイド達からずっとジト目で見つめられている状況から考えても、アルベド達が他の全てを放ってでも即刻王国まで押し寄せて来かねない……。

 しかし、戦士長へそれを前に要望として出すと変に勘繰られるかもしれず、先に領地の話をしたあとで伝えた。

 一方ガゼフにはゴウン氏が、知り合いの居るカルネ村が入るとはいえ、それら収入の低い痩せた土地を貰う理由がよくわからない。陛下の提示したエ・ランテル近郊の方が圧倒的に高収入の領地であった。

 アインズ的には、建国用の国土として領地を後でしっかり貰うとし、引き延ばして時間を稼げば王女と婚姻という状況はうやむやに流れるはずと考えている。

 それに対して、王国の戦士長としては当然王女の願いとして婚儀あってのお話という部分もある。

 もちろん最大の要望はゴウン氏が『竜軍団と戦ってくれる』という事が大事だ。

 それでもガゼフは報告する責任もあり確認する。

 

「一応、その暫くという期間をお聞かせ願いたい」

 

 アインズとしては3年と言いたいが、それは余りにも長いだろう。限界と思える妥当な時間を告げる。

 

「――1年です」

 

 絶対的支配者は、この場でとりあえず現段階だけの話にすればいいと割り切った。

 

「ではこの話を一度持ち帰り、出来る限り希望通りになるよう努力する。それ故王国への協力の件は何卒よろしくお願い申す。では今日はこれで失礼させていただく」

 

 戦士長は、竜軍団戦で敗色濃い国王からの使者として重々しくそう語るとソファーから立ち上がった。

 アインズも、立ち上がると告げる。

 

「分かりました。私にも、信念と状況や考えがあるので色々と申し訳ないです」

「いや、厳しい状況に巻き込んでいるのはこちらだ。許して欲しい」

 

 ガゼフ・ストロノーフは、目を閉じるとゴウン氏へと静かに頭を下げた。

 

 

 

 

 

 ガゼフは、本当ならこの部屋から去る際に、美しい眼鏡の笑顔で見送ってくれているユリへ親交を深めるため食事への誘いを掛けるつもりでいた。

 でも、今日は使者の立場であり、そうすることが出来ない。

 真剣なまなざしの彼はユリからの見送りを受け、静かにアインズの宿泊部屋を後にする。

 王国戦士長はそのまま宮殿外へと出て、城内の別棟にある国王の執務室へと向かった。

 執務室の扉前に立つ衛士へ取り次いてもらい、大臣補佐に中へ通されたガゼフは机に座る王の前に跪く。

 

「おお、待っておったぞ、戦士長」

「国王陛下、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウン氏に(くだん)の話を伝えて参りました」

「うむ。それで……上手くいったか?」

「はっ。戦いへの協力的な言葉を貰うことは出来ました。また、輿入れ金やエ・ランテルの収益分一部譲渡についてはとても感謝していました」

「おお、そうか……」

 

 ランポッサIII世は、民の為に嬉しくもあり、親としてそうでなくも有る。

 娘を他国の者に嫁がせるのは、やはり良い気分とは言えないのだ。

 

「ただゴウン殿はいくつか条件を出してきました」

「ふむ。どのようなものか?」

 

 こちらの出したかなりの好条件に対して何があるのかと、国王は僅かに怪訝さの混じる表情を作る。

 

「まずは、爵位についてですが、ゴウン殿は誰かの臣下にはなるのは己の主義に反するとして、辞退するとのこと」

「なんと」

「その代わりとして、領地をエ・ランテル近郊ではなく、割譲により独立自治領としてあのカルネ村を含むトブの大森林周辺と帝国との緩衝地帯が多くを占める辺境地域を希望しております」

「…………んー(独立自治領主か……帝国との国境近辺は何度も侵攻された危険地帯で耕作地としても使えず無いも同然。王国を救う対価としてくれてやるのは全然構わんが、しかしなぜだ)」

 

 国王としては、いささか解せない。

 領地と聞いた瞬間は、ゴウン氏がもっと収入の多い場所を要望してきたとばかり思ったのだ。

 エ・ランテル近郊は人口も収益も多い農作上地。

 それは娘のルトラーに金銭面で窮屈を感じさせる暮らしはさせられないという親心が満載されていた。

 対して、ゴウン氏の要望した領地は伯爵級としては平均の5倍以上となる型破りの1000平方キロ程度もあるが、ほとんどが長年緩衝地帯のため放置された荒れ地で、人口は大森林の近辺周辺へ僅かに3000人ぐらいしかいない。

 仮面の客人の年収としてはエ・ランテル分を除くと、金貨で1万枚あるかという低水準の下地だ。

 可愛い娘を送り出す親として大きく不安が募る。

 ただ、エ・ランテルの収益の一部譲渡分を増額すれば回避出来る問題に思えた。

 独立自治領については、該当地がすべて王家の領地であるので認めることは容易だ。

 そう判断し、国王はガゼフへ伝える。

 

「要望する領地と独立自治領の件については、難しい問題は無いぞ。定例の貴族会議で周知するだけで良いから認めても構わん。それだけか?」

「いえ。実はひとつ、ゴウン氏につきまして先にお伝えすべき事案があります」

「戦士長よ、それはなんだ?」

 

 ガゼフはランポッサIII世へとここで人払いを要望する。

 国王は大臣補佐や衛兵を執務室の外へと退出させ、ガゼフへ席の横まで近付くことを許した。

 戦士長は、陛下へと小声で告げる。

 

「では申し上げます。実はゴウン殿が王都への旅の途中に、貴族派のボウロロープ侯爵やリットン伯爵らに戦力として誘われたそうにございます。そして、表向きは話に乗った振りをして協力関係を築きつつあります。そうして向こう側の動きを私へと知らせてくれております」

「なんと……そうであったか」

「そのため、今表立った領地割譲や縁談は待ってほしいとの要望がありました。その期間として1年と」

「……あの客人は、1年でどうするつもりなのだ」

 

 国王は漠然ではあるも、大きな力を持つ人物の言葉を聞き1年後の王国の状況に不安を覚えた。

 それに対してガゼフが力強く明朗に答える。

 

「陛下。あの御仁は――我が方の味方です。心配はいりません」

「……ふむ。戦士長がそう言うのなら、私も信じよう。そうだな……そもそもゴウン殿を信じなければ、竜軍団と戦って王国が生き残る事は難しいのであったな」

「はい、その通りです」

 

 愛しい娘の未来の夫として義理の息子となるかもしれない人物でもあり、ランポッサIII世は頼りになる縁者として仮面の客人をこれまでの行動からも改めて信じることにした。

 ガゼフは、国王へと上申する。

 

「ゴウン殿は、領地の割譲並びにその独立自治権の承認と、大都市エ・ランテルからの収益の譲渡及び、ルトラー王女殿下との婚姻等について約定を頂きたいとのことでございます」

「分かった。収益からの毎年の譲渡額は金貨2万……いや3万枚として、直ちに約定書簡を作成しよう。誰かある!」

 

 国王ランポッサIII世は、大臣補佐らを呼んだ。

 想定ではゴウン氏の領地からとエ・ランテルからの収益譲渡金と合わせて年収15万枚以上だったが、経費等を考えれば余剰金は金貨2万枚程度であった。

 それが一気に金貨3万枚以上になったということである。

 ただ新領地は荒れ地しかなく、何もない辺境のド田舎ということであり、ルトラーを不憫に思った国王の気持ちであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『黄金』こと第三王女のラナーは、昨晩のアインズとの密約の後、二人切りで話をした余韻が残る部屋の、奥にあるベッドにて久しぶりに安楽の睡眠を取り、今朝を特に気持ちよく迎えていた。

 いつも通り、使用人達により身支度の終わった朝の7時半には、忠犬の如く傍仕えしてくれる可愛いクライムが部屋へとやって来る。

 

「おはようございます、ラナー様」

「おはよう、クライム」

 

 ここ10年、いつもと変わることなく交わされる挨拶。

 以前は、がむしゃらに真摯のまなざしのみであったが、最近の一、二年は少年の視線も時折、王女のふくよかな胸元や瑞々しい唇などへと向けられ、その真面目ではある感情にも僅かに女性への関心が感じられた。

 しかしそれは、まだまだ初々しく幼い感じである。

 

 でもそこが可愛いのだ。

 

 そして――これを、グズグズに(ただ)れた愛欲の首輪の世界へいかに引きずり込んでいくのかも楽しみにしている。

 対して、大きい身体に高級の魔法装備と漆黒のローブを纏い、圧倒する巨大な力で大人の壮大なる駆け引きを楽しませてくれるアインズには、心の芯から熱いモノを感じてしまう。

 クライムとのピンク色に染まる夢を叶えつつ、絶対的力の下で仮面の魔法詠唱者の虜になるのも悪くないと口許がニヤけていく。

 全くタイプの違う感じの二人の男を、彼女はその身に咥えこもうとしていた……。

 そんな主の甘い表情に気が付いた、清々しさの漂う少年剣士が尋ねる。

 

「……? ラナー様、何かいいことでもありましたか?」

「そうね。とってもいい事かもしれないわ。でもひ・み・つです」

「は、はぁ」

 

 クライムをにこやかに揶揄(からか)いつつ、窓辺で紅茶を優雅に楽しむ王女様であった。

 今日もアインズに会いたいという気持ちもあるが、立場上理由も無く頻繁に会う訳にはいかない。

 ラナーとしてはもう情事面で噂が立っても構わないのだが……旅の客人である彼の居心地が悪くなってしまう事は容易に想像出来る。なのでここは我慢である。

 それでも十分心に余裕が持て、今日一日を通して気分よく過ごせたため、一昨日に引き続き姉のルトラーのいる夜中の浴場へと『黄金』の王女はやって来た。

 すると、広い浴場へ先客で使用人達といた姉のルトラーが声を掛けて来る。

 

「あら、ラナー。二回続けて夜に来るなんて珍しいですね?」

「ごきげんよう、ルトラー」

 

 2人とも王女であるため、自身の白く美しい身体を洗う事は無い。それぞれお付きの使用人の娘が丁寧に洗ってくれる。

 それが終ると、共に浅い湯船へ浸かる形になった。

 互いに背や、足を延ばして晴れ晴れとした極楽気分を満喫する。

 

 間もなく二人同時に気分よく――鼻歌が始まる……。

 

 それはすぐ同時に止まり、姉妹は互いの顔を見合わせた。

 

「(んっ)ラナー? ……あなた、何か良い事でもあったの?」

「(むっ)姉上こそ、鼻歌なんて。どうしたのです?」

「……えっと、ひ・み・つです」

 

 そう優しく妹へ告げ、頬を染めて微笑むルトラー。そこは双子姉妹らしい感じがした。

 ――夕方頃、ルトラーの下へ一人の使用人が国王からの書簡を持って現れる。

 その書簡には、「縁組について先方が“快く”承諾した。婚儀は1年後だ。ただし、これは先方の都合で当面内密にとのこと」と書かれていた。

 妹よりも豊かな胸の前に、指と指の間で手を組み合わせたルトラーは、目を静かに閉じ心を激しくときめかせて「あの真っ黒い衣装の方は、やっぱり運命の夫殿ですわ」と静かに喜んだ……。

 

 そんな事とは知らないラナーは尋ねる。

 残念ながら流石の彼女も、なぜか姉ルトラーの思考だけは余り読めなかったためだ。

 

「そういえば、ルトラー。先日、国の為に別の手を取ると言っていましたが?」

「……」

 

 ラナーは当然鋭い。今の王国に残っている手は限られている事も理解している。

 (えぐ)り込んでくる形で第三王女の質問が続く。

 

「ま、まさか、あの――旅の魔法詠唱者に関わることではっ!?」

「ごめんなさい、ラナー。今は何も告げることが出来ないの」

「……分かりましたわ、姉上。また今度」

 

 気分を一気に害したラナーは、立ち上がり湯船を出ると足早に浴場を去っていく。

 

(毎朝会っているバルブロの思考を読んだ方が早そうだわ。それで駄目なら、お父様ね)

 

 『黄金』の姫はそう考えた。

 ルトラーは、同じ母から生まれた唯一の(かぞく)である。そして――足が悪いという弱点を持つ。

 それだけにラナーは強く思っている。

 

 

 『胸が少しだけ大きいこの美人の姉にだけは、女として負けられない』と……。

 

 

 しかし、第三王女でも気付けない事実は勿論存在する。

 異形種という存在のアインズには、もはや足の有無など些細だという事にである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年姿の乙女、ニニャは明らかに不機嫌であった。

 

 それは日が昇ってから昼食を挟み、日が沈む前まで1日中歩き続けて疲れたからと言う訳ではない。

 ペテル・モークとルクルット・ボルブ、そしてダイン・ウッドワンダーはその理由を良く理解している。

 既に王都へ向けて冒険者の遠征が始まってはや丸4日。

 

 未だ――彼女の彼氏である愛しの戦士モモンが現れないのだ。

 

 昨晩の大都市エ・ぺスペルでは、宿屋の狭い浴室を借りてまでニニャは乙女らしく夜の誘いに備え、旅の垢を落として待っていたが何の音沙汰もなしという結果。

 確かにニニャ達が最低6時間程先行しているとは言え、あの屈強であるモモンとマーベロがこの程度の行程を苦にするはずもない。

 

 先程、ペテルらは小都市エ・リットルの城壁門を潜り、安めの宿屋を探し歩いて見つけた店へ入り少し落ち着いたところである。

 ニニャが女の子だと分かっていても、銀級冒険者チーム『漆黒の剣』は四人部屋を取っていた。これまでの対外的にという部分もある。彼女もそれでいいと伝えている。

 ペテルが上からそっと、部屋に二台ある向かいの二段ベッドの下段に腰掛けるニニャの表情を窺うと、口元が『むっ』とへの字になっていた……。

 リーダーは心の中で強く願う。

 

(モモンさん、早く来てください。このままでは竜軍団と戦う前にチームワークへ影響が出てしまいますから……)

 

 その悲壮的願いが天に通じたのであろうか、彼らが宿に入って一時間を過ぎた晩の7時頃。

 『漆黒の剣』が泊まっている宿屋を『漆黒』のモモン達が訪れる。

 当然、宝物成分を存分に充填し切ったパンドラズ・アクターも不可視化で後方に付き従っている。

 店の前の案内板に『漆黒の剣、宿泊』と書かれているので間違いないだろう。

 広域への探知能力のあるマーベロによって、正確で確実に都市内でその位置が特定されていた。『漆黒の剣』の彼等にはニニャの護衛として八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が1体ついているのだ。

 二階に泊まっていた『漆黒の剣』の部屋を宿屋の厳つい髭ヅラの主人が訪れる。

 少し似た相貌のダインが開けた扉から、その野太い声が部屋中へ聞こえた。

 

「下に白金(プラチナ)級冒険者チームの『漆黒』という二人組の方々が来ているんだが?」

 

 宿屋の親仁にしても白金(プラチナ)級冒険者は随分上位の客であり、かなり丁寧といえる対応だ。

 「直ぐに行きます」とペテルはベッドの梯子を降りながら答えた。

 その時のニニャの変化は顕著であった。

 先程まで仏頂面で声も掛け辛い雰囲気であったのが、今見ると口元がニヘラとしている……。

 頬も僅かに赤くなっているようにも見えた。

 暗いながらも蝋燭で窓に映る表情を見て髪をちょこちょこと直したりなんかするのだ。

 

(分かり易いですねぇ)

 

 ペテルがルクルットを見ると『女の子はこんなもんだろ』という雰囲気に右掌を上に向け笑い顔を浮かべた。

 そうして『漆黒の剣』の4人は急ぎ、宿屋1階のカウンター前にある、幾つかテーブルと席は有るが狭いロビーへと降りて来る。

 その場にはこの安っぽい宿屋に全く似合わない、輝きからして立派である漆黒の全身鎧(フルプレート)に二本の長く分厚いグレートソードを背負い赤色のマントを翻す巨躯の戦士と、業物の紅い杖を持ち一目で高級と分かる純白のローブを纏い妖精を思わせる小柄の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が待っていた。

 

「こんな時間だし、少し遅くなってしまったかな」

「ど、どうも」

「いえいえ、会えて嬉しいです」

 

 モモンとマーベロの言葉に、リーダーのペテルはお約束ながら素直な言葉を返した。そしてまず浮かんだ疑問を伝える。

 

「それにしてもよくここが分かりましたね」

 

 小都市とは言え、このエ・リットルにある宿屋の数は二百軒を優に超えている。

 ニニャは昨日もだがモモンの来訪を信じているようであったが、ペテルとしてはハッキリ言って、都市の手前で出会えなければ現実的に考えて遭遇は難しいと思っていた。

 一応、お願いして店の前の案内板に『漆黒の剣、宿泊』と書いてもらってはいたのが、功を奏したと考えるのは当然であった。

 モモンもそれを示唆する。

 

「たまたま通りを歩いていて店の前の案内板に気付きました。それがなければ大変でしたね」

「あれって、ニニャの発案だったよな? やっぱ俺達って、モモンさん達と縁があるんだろうなー、はははっ」

「全くそうであるっ! わはははーーっ」

「私もモモンさん達とは縁があるんだと思ってます。ふふふふっ」

 

 偶然にしては出来過ぎているが、笑いと笑顔を浮かべるニニャはそれを乙女的に運命として捉えていた。

 この再会自体は作られたものだが、ニニャの姉のツアレにしろ『漆黒の剣』との初めての出会いも完全に偶然で出会ったことから、モモンも否定する気は全くない。

 

「俺もそうかなと思います。ふははっ」

「そ、そうですね」

 

 マーベロも場の空気とモモンに合わせる形で相槌を打った。

 皆から自然に笑いが起きる中、ここで立ち話もなんだという事で外へ繰り出す。

 そうして適当に見つけた飲食店へ入り、またもやモモンの驕りでの大食事会となった。

 モモンの右横へマーベロ、そして左横にはニニャが座った。

 ニニャは、かなりモモンへと寄り添った感じだ。

 早く二人きりでという思いもあるが、ここは慣れない都市の中であり、気弱いはずの美人のマーベロを一人にしてしまうという部分もある。

 また場の流れという事もあるし、そしてなにより皆で食事をするのは楽しいものである。

 遠征はまだ続くし、今は好きな人のすぐ横に居れる事で、後でいいかなとニニャは思った。

 テーブルへ所狭しと並べられた料金が高めの料理の数々を前にし、景気よくルクルットとダインの声が場を盛り上げる。

 

「さあ、今夜も飲むぞ、食うぞぉー」

「そうであるっ!」

 

 エ・ランテルで最強だと思っている冒険者チームと合流出来た事で、彼等のテンションがいつも通りに戻っていた。

 それに対してニニャが呆れ、ペテルが申し訳なさそうに兜を外したモモンへ詫びた。

 

「もー、君達は」

「みんな、さっき晩御飯食べたばかりですよね? ……いつも悪いですねモモンさん」

「いや、全然構いませんよ。どんどん飲んでバリバリ食べましょう」

 

 モモンとしては、どれだけ彼らが飲み食いしても銀貨3枚程度なので全く心配していない。 それからの2時間と少し、冒険者達は悪くない時間を過ごした。

 歓談の中でモモンは、今日まで追いつけなかった理由をルクルットに「なにか事件とかあったりとかして?」と聞かれた。

 それに対し漆黒の戦士は、あの『竜王国からの救援要請』の事実をまだここだけの話として伝える。

 すでに、エ・ランテルの冒険者組合には駆け込まれている話であり、隠す必要は全然ないのだが『追いつけなかった理由』としての重み付けであった。

 ペテル達も人類の住む竜王国の存在は当然知っていて、ビーストマンの被害も長年であるため、商人経由でこの王国へも時期は遅れてだが惨状は時折伝わってきている。

 だが、ビーストマンの国からの『本格的な侵略を受けてヤバイらしい』という定かでない噂が入ってきたところであり、まさか東の3都市が既に絶対防衛戦状態になっている程深刻だという事を初めて聞くことになった。

 竜王国が滅亡すればカッツェ平野があるとは言え、ビーストマンの国の勢力がリ・エスティーゼ王国へ一歩近付いて来ることになり、常時不気味といえる状況になる。

 

「――それを使者から依頼として聞いていた事で遅れることになったんだ。なので、この事は王都で組合長に話す事になるかなと」

 

 モモン達の遅れた話のはずが、小国とはいえ一つの国の滅亡に関する話を聞くという、スケールの大きさに少しの間『漆黒の剣』のメンバー達は神妙な表情になった。

 

「そうですか」

「そりゃあ、モモンさん達も遅れるよな……」

「向こうの異国も大変であるなっ!」

「…………遅れ……ますよね」

 

 ニニャとしては、少し会えないだけで不機嫌になっていたことが恥ずかしいという気すらしていた。

 モモンがそれほど大きい話に関わっていた時に、個人のことでの短慮という対照的な貧相さに下を向いてしまう。

 すでに遅れた事がどうこうという水準を完全に超えていた。

 

(やっぱり、モモンさん達は凄い。これは品位なく弱そうに見える者へは絶対に直接されない依頼だ。これほど偉大な人達に、私も僅かでも近付いていかないと……置いていかれてしまう。それにしても――)

 

 彼女は、その竜王国の使者が、人を見る良い目を持っているのだなと思った――。

 

 食事会の後半の話題は、明日の王都到着である。

 すでに、王都に近い都市から続々と上位の冒険者達が集結していると推測され、他の都市の有名どころの噂が語られる。その輪の中に自分達のチームも入って行き、いよいよ壮絶だろう戦いが組織的に動き出すんだという気分高揚する話が続いた。

 モモンは、今日も王城で客人のアインズとして、廊下を忙しそうに移動していたガゼフに会っており、冒険者達の集結状況は少し聞いていた。

 その最終総数は、3000名を超える見込みで、金級以上の冒険者らは王都の商業組合と掛け合い、宿屋達で優先的に収容してもらうことになっている。連絡網も騎馬兵を使い定例便や緊急便を用意。

 銀級の冒険者については一部が収容しきれず王都内の軍駐留地に宿舎を確保しているとのことだ。

 それらについては一切ここで話すことは出来ないが、モモンとマーベロの二人も想像として「落ち着ける寝床だといいけど」や「し、食事なんかどうなのかな……」などと話に加わっていた。

 

 『漆黒』のモモン達は、午後の9時15分を回った頃に食事会を終え、『漆黒の剣』のメンバー達と店の前に出て来ていた。

 漆黒の戦士としては、このあとのニニャの出方に注目していたが、彼女はあっさりと「また明日、一緒に」と笑顔で手を振りながら仲間達と帰って行く。

 

(……ふう、今日はなんとか助かったのかな……)

 

 そういった気持ちのモモンは、覚悟していた。

 前回、エ・ランテル内の空樽置き場脇の小屋で、ニニャにより男女の仲を熱く迫られ絶体絶命の状況を迎えていたためである。だから流石に次回はニニャとの関係から逃れられないと考えた。

 それを思い出しモモンは思い切った対策に動き出していた。

 結果、マーレに一応冒険者の準備をさせていたが夕刻まででは時間が足らず、丸一日『漆黒の剣』との合流を遅らせている。

 アインズは先のナザリックの滞在時、アルベドとの小都市の打ち合わせを終えた後で図書館へ行き、仲間達と残してきた膨大にある書庫内の資料から、幻影の拡張や〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉等に関する高度な資料や前例を集めると、途中王城でガゼフとの面会を挟みつつ、第十階層の自室に延べ19時間以上籠って対策を練ってきていた。

 

 

 それにより――オリジナルの骨格体の上に人間の肉体風に見える上位の幻影とスキンを応用搭載した上で、漆黒の戦士姿の〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉において、各装着段階を分類、其々レイヤー化し、全身鎧やその下の着衣の個々の付け外しまでを可能に出来る段階まで到達したのである。

 これにかなり近い処理をパンドラズ・アクターも行っている。

 

 

 しかし、見た目を改善したのみであり、熱い男女の行為が出来る訳では無かった。

 実体のある幻影の身体で多少触れ合うことは可能であるため、裸体状態での添い寝ぐらいまでは可能だが、そこまででどう勝負するかにステージが移った程度のこと。

 これはクレマンティーヌに対しても同様である……。

 とは言え、支配者は今日を無事に凌げて良かったのだと考えを前向きにし、マーベロと仲睦まじく手を繋ぐと宿へと引き上げて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルからの遠征者達にとって、翌日の朝は皆早かった。

 王国最大の都市である王都への到着を待ち切れないという思いが、彼らの目を覚まさせる。

 ここ小都市エ・リットルの空模様は曇天であった。

 しかし、十分明るくなった午前6時前頃には、エ・ランテル冒険者組合王都遠征隊を率いるプルトン・アインザックとテオ・ラケシルを先頭に行軍が始まっていた。

 整備されている幅広い王都へと続く街道を、左側へ寄る形で行進する。

 ペテルら銀級冒険者の『漆黒の剣』が隊列の前方へ出ることは出来ないため、白金級の『漆黒』のモモン達が後方へ下がって来る形で並んで街道をゆく。

 そうしてニニャはモモンと仲良く並んで行軍を続け、王都リ・エスティーゼの外周壁にある巨大で立派にそびえ立つ南東門を午後の2時過ぎ頃に潜った。

 王都の空は雲が適度に間引かれたみたいで、夏の太陽の光差す明るい情景がどこまでも広がって続く。

 沿道には市民達が到着を歓迎してくれており、時折両側に建ち並ぶ高階層の建物から舞う紙吹雪に、ニニャはちょっと結婚式での新郎新婦のような雰囲気も感じ、純に乙女心が熱く温まっていた。

 そんな穏やかな雰囲気であったが、間もなく終わる。

 

 王都の地理にも結構明るい歴戦のアインザックは、門から1キロ程入った所で、広めの公園風で水飲み場のある広場へと隊列を導き入っていく。

 本日到着したこれに連なるエ・ランテルの遠征隊は400名程であり、馬車が数台あるとは言え全体が揃うのにそれほど広い場所は必要としない。

 先頭が到着してから後続が揃うまで15分程小休憩となる。

 その間、冒険者組合長と魔術師組合長は、外壁門に常駐し急ぎやって来た王都の冒険者組合関係者と今後についての話を持った。

 そこでこれからいかに部隊を編成するかがエ・ランテル側の組合長らへ告げられる。

 アインザックは話に頷くと、その為の現在の参加予定の組合員情報を手渡し、代わりに地図の書かれた羊皮紙の束を貰うなどの対応に当たった。

 そうして小休憩が終わる頃。

 揃った皆を前に、馬へ騎乗するアインザックは〈飛行(フライ)〉で空中に静止したラケシルを横に従え、遠征隊全体を一度見回すと静かに話し出す。

 

「皆、私の言葉に傾注して欲しい。まず皆が無事に到着してくれた事に感謝する。ここから全てが始まるのだ。これより我ら全国から集まった冒険者達はこの王都でリ・エスティーゼ王国の旗の下一つとなる。そのために我々は現階級に寄って分けられ、部隊編成されることが決まっている。諸君達はこれより王都冒険者組合の指示により、チーム単位で数チームの纏まった部隊に配置され、その部隊長や部隊の一員となる。初顔と組む不満も出てくるだろうが、エ・ランテルの為と思って今は耐え協力し合って戦って欲しい。共通の敵が竜軍団だという事を決して忘れないでもらいたい!」

 

 アインザックの強い呼びかけに、「おおーーっ!」や「了解!」「分かりやしたー!」などの元気ある声が上がった。

 頷きつつその声が鎮まるのを待ち、組合長が再び指示を出す。

 

「さて、この後は各々階級ごとに指定の宿舎へと移動してもらう。各チームリーダーがラケシルの所で確認するように。今後何かあれば王都の冒険者組合へ来て欲しい。私とラケシルはそこを拠点にする。なお、王都到着の点呼は3日後の午前9時から午後5時までのこの広場だということを忘れないでもらいたい。理由なき遅延は厳しいペナルティーが科せられるので注意せよ。……今日のところはこれで解散だが、白金級以上のチームは少しこの場へ残って欲しい。では3日後にまた会おう」

 

 そんなアインザックの言葉で終ると、各チームのリーダーがラケシルの下へ列を作り並ぶ。

 魔術師組合長からは各リーダー達へ、冒険者階級及びチーム人数に加え宿屋の名と場所がチェックされている王都の簡易地図が渡された。

 それを受け取ったチームから徐々にこの広場を後にする。

 モモンは白金級のためにこの場へ残る事もあり、ラケシルの列が少なくなるまで待っていたが、ペテルは直ぐに並び2分ほどで戻って来る。

 彼はモモン達にその地図を見せてくれた。宿は王都の西側のようで、ここから4キロ程離れている。少し遠めだ。

 そうして『漆黒の剣』のメンバーは、ペテルの「では、私達はここら辺で」という言葉でモモンとマーベロから離れて行こうとする。

 今日もニニャからの誘いは無く、助かりそうである。

 しかし、アインズはこの時に思った。それは計算高いとはとても言えない感情。

 

 

(――本当に、これでいいのかな?)

 

 

 選択肢として『ニニャへ手を出さない』というのは安全ではあるだろう。

 ツアレの妹ということで、事無く縁を切らさないようにしなければいけない部分もある。

 だけど『そうじゃないだろう』という鈴木悟の思いが残されていた。

 歴戦の勇士、漆黒の戦士モモンという漢の虚像はこういうヤツなのかと。

 ニニャの前で、狂猫のようなワーカー(仮)のクレマンティーヌすら子猫の様に連夜侍らせる、プレイボーイでリア充のモモンではなかっただろうかと。

 あの時は都合よくそういう振りをしながら、今都合が悪くなると態度が変わるなど……ただのヘタレた童貞である。

 

 

 

 そんな男は断じて『冒険者モモン』ではないっ!

 

 

 

 裏ではともかく表で逡巡があってはならないのだ。

 漆黒の戦士は、自分の『彼女』へと優しく声を掛ける。

 

「ニニャ。明日、一緒にこの王都を見て回らないか? 迎えに行くから」

 

 その行為は完全に火中の栗を拾いに行っていたが不思議と後悔はなかった。

 対して、好きな彼氏の掛けてくれた声に、歩き始めていたニニャが即反応し歩を止める。そしてゆっくりと振り返る。

 彼女の瞳は潤んでいた。

 

(昨日といい、モモンさんからどうして声を掛けてくれないんだろうって思ってた。……私じゃダメなんですか……って。あの少し男好きそうで怖い女の人みたいに胸は大きくないし……でも――マーベロさんも小さいですよねっ)

 

 ニニャは真剣に悩んでいたのだ。

 自分よりも年上のはずの小柄で褐色肌の同志の存在は心強いが、向こうは数段美人であったから。

 なので乙女として不安が静かに膨れ上がってきていた。

 でも、そんなことはなかったと嬉しく感じている。

 彼女の横ではルクルット達が、ニニャから見えないようにモモンへ向けて、グッジョブと親指を立てていた……。

 ニニャは力強くモモンへと返事を返す。

 

 

「あ、はいっ。一緒に見て回りたいですっ」

 

 

 ――ただ一人、マーベロだけがモモンの横で、可愛い唇を歪めて面白くないという顔をしていた。

 

 

 

 王都観光の約束をニニャと交わしたモモンであるが、この直後に後方で「地図がまだの者は?」と声が掛かりラケシルの所へ地図を取りに行き帰って来ると……ペテル達三人が当日マーベロと食事やお茶に行くとか何とか適当に理由を作り、ニニャと二人きりの完全にデートとなってしまう。

 ただ、マーベロが「モモンさんがそうしたいというなら」と条件を付けたが。

 モモンもここまで来た以上、マーベロへ「少しニニャとの時間をもらえるかな」と告げる。

 マーベロとしては、主の意志を汲むしかない。

 きっとどこかでナザリックの為にも必要なことなのだろうと……。

 

「わ、分かりました」

 

 モモンのパートナーの許しを得て、晴れてデート話は完全に纏まる。

 明日の午前11時にモモンがマーベロを連れてニニャを迎えに『漆黒の剣』の宿屋まで行き、午後3時までマーベロはペテル達と共に別行動の予定となった。

 これは以前のモンスター狩りで、支援ポジションをニニャとマーベロで入れ替わった時と同じ形だ。

 なので、マーベロとしても慣れのある状況とはいえる。

 そこまで固まると、漸く『漆黒の剣』のメンバーはこの広場を去って行った。

 時間的には5分程度の事である。

 

 そして――この広場には組合長の言葉に従い十数組のチームが残っていた。

 エ・ランテルにおける最精鋭達。ミスリル級冒険者チームと白金(プラチナ)級冒険者チームだ。

 アインザックは単刀直入に話を切り出した。

 

「隠しても仕方がないので、率直にみんなの意見を聞きたいと思い集まってもらった。我々王国側の作戦は間引きの形を取るようだ。敵の竜王は強大であり、アダマンタイト級の“蒼の薔薇”が釣り出しを受け持つそうだ」

「「「おおーーーっ」」」

 

 流石に『蒼の薔薇』は有名である。

 モモンとしては『アインズ・ウール・ゴウン』もこれぐらいの名声を早く得たいところだ。

 アインザックは、僅かに難しい顔をして続きを語る。

 

「竜軍団には竜王の副官で百竜長として相当強い個体が数体いるらしく、アダマンタイト級の“朱の雫”と全国から集まったオリハルコン級の冒険者チームがこれの確実な殲滅に当たる。ミスリル級以下は十竜長等の下位指揮官と竜兵らを掃討する予定ということだ」

 

 集まった者達からは「これは行けそうだな」「凄い闘いだぞ」などの小声が漏れている。

 しかし、オリハルコン級冒険者アインザックの次の言葉に、場が沈黙する。

 

「知っての通り今、私とラケシルでオリハルコン級冒険者チームとなっているが、二人では難しいところがある。そこで――どこかのチームに手伝って欲しいのだ。希望する隊はあるか?」

 

 その瞬間、囁き声は一切なくなった。

 僅かでも声を上げれば指名されると恐れるように。

 そして皆が、互いや周囲へ探るように視線を目まぐるしく移していく。

 目の前の冒険者達の多くは、最下層の竜兵という相手ですら強い恐怖心を感じている。それを率いる指揮官でも更に上位級となればまさに化け物だろう。

 冒険者の誇りはあるが、ミスリル級ですら実践出来ることと難しい事は明確に存在する。

 難度が60を超えてくると戦いに因る死亡リスクがグンと上がる。白金級だとそれよりずっと下で命の危険と隣り合う事になる。

 竜軍団で百竜長に選ばれる者となると、難度で100を軽く超える水準のはず。

 アインザック達なら動きが見えるだろうし、直接攻撃にも耐えられるかもしれないが、ミスリル級()()だと一撃で即死する水準と思われる。

 幾ら組合長からの声掛けといえども、昇級に近付くチャンスであっても、イグヴァルジすら二の足を踏んでいた。

 周りが沈黙すること1分余だが、皆が10分にも感じた。

 明らかに自主的な形で手を上げる者はいないという事がハッキリした時間であった。

 だがこれは、アインザックによって不意に計画された事である。

 これでミスリル級の者を差し置いて、白金級の者が選ばれても文句は言わさないというお膳立てであった。

 そして、アインザックが真っ先にある者へと声を掛ける。

 

「―――モモンくん。君のチームはどうかね? そちらも二人だと思うし、どうだろうか」

 

 その答えに、他の十数組の冒険者チームの面々が傾注した。

 モモンは――平然と即答する。

 

「別に構いませんけど。お役に立てるよう頑張りましょう」

 

 モモンとしては本当は用事があるため断りたかった。

 しかし、ここで断るという事は『怖じ気付いた』という噂しか残らない。

 それだけは避ける必要があった。

 ここはアインザックが交渉上手というべきだろう。

 それに、竜王国の件もあり、ここで協力するメリットは十分有るように思える。

 だが周囲からは「受けるとか……正気か?」「マジかよ……」と驚きの声が漏れていた。

 常識的に考えればありえない。自殺行為といっていい選択なのだ。

 リスクヘッジが全く出来ていないと。

 アインザックは呆れる様に「ふっ」と笑いの小声を漏らすとモモンへと声を掛ける。

 

「本当にいいのかね?」

 

 それは今ならまだ引っ込められるぞという感じの確認であった。

 モモンは周囲の先輩や上位チームから反感を買わないようにと考えて答える。

 

「今は兎に角、どこかで各自が最善を尽くすしかありませんから。それで命を落とそうとも」

 

 その謙虚の中にある自信を感じる答えにラケシルも「良い覚悟だ」と頷いた。

 モモンの、上位者を下に見る形の内容や強気の言葉では無く、割と共感出来る言葉を残したことで荒れることなく収まった感じになる。

 そう周囲の空気を読むとアインザックは『漆黒』チーム以外の「解散」を告げた。

 ミスリル級らの馬車や白金級の十数組の冒険者チームが広場から去っていく。

 最後に残ったのは、アインザックにラケシル、そしてモモンとマーベロの4名。

 ラケシルがモモンへと伝える。

 

「しばらくは先程渡した地図の宿屋に泊まっていてくれ」

「分かりました」

 

 アインザックは先程のやり取りを思い出し語り掛けてくる。

 

「しかし――やはり君達は度胸があるな。貫録はもうオリハルコン級だ」

「先程の言葉通りですよ。今は皆でやるだけかなと」

 

 そんな返事を返したモモンの兜のスリットへ、アインザックの視線が鋭く流れ込む。

 

「……まあそういう事にしておこうか。とりあえず、一度君達の実力を見ておきたいが、ここは一般の公共の広場だ。暴れる訳にはいかん。軍関係の場所を借りて明日にでも宿へ知らせを向かわせる。その場所へ来てくれ。それまでは自由にしてもらって結構だ」

「分かりました。あー、すみません。明日は約束があって夕方前までは宿に居ないんですが」

「そうか……分かった。では、夕方頃に調整しておくよ」

「よろしくです。それでは失礼します」

「し、失礼します」

 

 そう言って『漆黒』のモモン達は颯爽と公園を後にする。

 

 

 

 時刻は午後の4時に近かった。

 モモン達の宿屋は、王都の中央交差点広場から歩いて7分程の所に建つ、5階建てで木材部分がブラウンに彩色されたまずまずの宿屋である。

 アインズにすれば、なにげに王都での3か所目の拠点だ。

 白金(プラチナ)級と言えば冒険者の上位者であり、今回の大戦では戦力としての期待から十分に待遇が考えられている様子。

 部屋は4階で20平方メートルほどはある。ベッドは窓際に2つ。大きな東向きの窓から光が入り白い壁に室内は明るい。収納や小さめのテーブルに椅子もあり落ち着いた感じだ。

 しかし……マーベロの様子が微妙である。

 手をしっかり繋いでここまで来たのだが、それでは足らない模様。

 モモンはベッドの端に腰掛けると、優しくオッドアイの闇妖精(ダークエルフ)に聞いてみた。

 

「どうしたの、マーベロ。ニニャへの対応はまずかったかな?」

「い、いえ……その……あの……少し羨ましくて」

 

 純白のローブを外し、いつもの白いプリーツのスカートを僅かに揺らすマーベロは、モモンの傍へ両手を胸の前で握り静かに上目遣いでオドオドと佇む。

 見慣れるも可愛い姿だ。

 モモンは彼女のサラサラで金色の髪をそっと撫でてやる。

 

「ニニャには、あのクレマンティーヌといるところを見られているし、モモンという人物像()を維持する必要があると思ったんだ。マーベロを蔑ろにしたわけじゃないから」

「は、はいっ」

 

 モモンガ様のナデナデで、ほにゃぁと表情が戻り、すっかり機嫌を回復する。

 と、ここでアインズは、マーレのすぐ右横へと目線を移す。

 一般人には透明に見えているが、そこには――不可視化中で軍服姿のパンドラズ・アクターが立ってこちらを見ていた。

 

(な、なんだ……よ?)

 

 パンドラズ・アクターは、先程まで壁際に立っていたが、アインズがマーレを撫で始めると彼女の横へと寄って来たのだ。

 

(……コイツ、マーレを撫でた事に……不満でもあるのかな?)

 

 昨今、ナザリックや王城などアインズ周辺で自身の妃の話が出ている。

 なので、他の男性守護者達に恋の話があってもおかしくはない。

 そもそも、アインズは例外を認めるつもりでいる。それはナザリック内の者同士での恋愛についても同様であった。

 

「どうした?」

 

 主語はなく、マーレにも分かるように目線だけはパンドラズ・アクターを捉え尋ねる。

 すると……アインズ達へ小声が微かに届いて来る。

 

「はっ。我が創造主様におかれましては、階層守護者の方やプレアデス達等へお褒めの言葉に続き度々“ねぎらい”があるように感じておりますっ。先日、私は竜王国へ調査へと赴きました。そして、“ご苦労”というありがたきお言葉を頂きました。しかし――まだ“ねぎらい”を頂いておりませんっ。いつ頂けるのかと……」

 

 モモン姿のアインズは一瞬首を傾げる。お前は何が言いたいんだと。

 すでに、宝物殿から特別に軍服の彼の自室へ、お手頃の宝物を貸し出している形で働きへの褒美は示したつもりである。

 

「……お前はあれでは不足だ、と?」

 

 すると、ここでユグドラシルでは男の子だった経験を持つマーレが助言を伝えてくる。

 

「あ、あの、もしかすると――頭を撫でて欲しいのかなと?」

「……(な、ん、だ、と)……」

 

 支配者は、心へと生暖かい衝撃を受ける。

 アインズの頭蓋の眉間には見えない縦皺が発生していた。同時に皺を指で摘まみたいとも思った。

 そもそも撫では対象が子供や女の子だから自然に行っている話で、野郎では全く絵にもならない。

 しかし――パンドラズ・アクターの暗黒の黒丸が3つ並ぶ形の表情は変わらないが、軍帽を被る頭はコクコクとマーレの言に同意して動いていた……。

 その様子にアインズの兜首はガックリとうなだれる。そしてコイコイと右手で招く。

 招かれる形でパンドラズ・アクターが御方の傍に来て跪いた。

 アインズはその頭を――ガントレットの大きい手で軍帽ごとワシ掴む。

 更に顔を寄せると小声で囁いた。

 

「……(なぁ、お前。子供じゃないだろ? 少しは弁えろよな)」

「……(し、しかし、私は創造主様に造って頂いた身。子供の様なものではないですかっ!)」

 

 その訴える内容に支配者の言葉が詰まる。

 

「――っ(確かに俺はマーレ達守護者やNPCらをギルドの仲間達の子供の様に思って慈しんでいる。だったら……パンドラズ・アクターについても認めるべきじゃないのか――)」

 

 我が子に諭された親の気持ちというのは、こういう思いなのかもしれない。

 アインズは鷲掴んでいた手をパンドラズ・アクターの頭から放すと――ポンポンポンポンと軽く軍帽の上から優しく叩いてやる。

 

「お前は、あの仕事を良くやった。流石は私の生み出した者だな」

「っ! ありがとうございますっ。今後、更に創造主様のため、身をこ――」

「――長い話はもういいぞ。下がってよい」

「あ、――はい」

 

 満足したパンドラズ・アクターは、音も無く速やかに壁へと戻り定位置に立つ。

 この後モモン達は、明日の準備と周囲への顔見せに外へと出かけ食事などを済ませ午後5時半頃に宿まで帰って来ると、アインズは替え玉のモモン役のパンドラズ・アクターと代わり、王城へと移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズがここ王城へ向かったのには理由があった。

 実は今晩、第二回目となる八本指側上位戦力の面々との深夜会談が行われる予定なのだ。

 リットン伯爵からの空脅し的内容の書簡が、またアインズの下へ届いていた。

 一回目の会合が不調に終わったと聞いた反国王派盟主のボウロロープ侯爵は、当然の如く激怒。

 

「何をしているんだっ、早く奴らを動かせっ!」

 

 反国王派盟主と言えども本拠地の大都市リ・ボウロロールが廃墟となれば、経済力の大部分と共にこれまでの発言力も失い、痛手は計り知れなかった。ここは必死にもなるというもの。

 深夜会談の翌日から、リットン伯爵へ強く裏の対竜軍団戦力への対応催促が始まった。

 そのため伯爵は堪らず、猛烈に八本指側へ幾つかの大商会の伝手も使い再度の会合開催を打診した模様。

 しかし、すでにアインズの側へ上位戦力が付いてしまった八本指は、王国六大貴族であるリットン伯爵の話を仲介の系列商人達から聞きつつも少しずつ長引かせる。

 初めから直接アインズ一行だけに指示が来ていれば、遅延させるのは結構難しい話であったが、規模の大きい地下組織である八本指が入ったことでそれが容易になっていた。

 そうして、4日後となった今晩に漸く二回目の会談が再び開かれることになったのだ。

 そのため前回同様、アインズ達は事前に大臣補佐へ王城外で外泊するという予定を伝え、王城からルベドやツアレ達全員を連れて、いつもの八足馬(スレイプニール)が牽引する美しい漆黒の馬車で午後5時45分頃に出立する。

 途中で上流階級向けの洋服仕立て屋へ寄った後、ゴウン屋敷へと移った。

 なおヴァランシア宮殿の滞在部屋へはお留守番として、ナザリックより隠密行動に長けた盗賊娘のフランチェスカを出張させ残している。

 またルプスレギナは、アインズの命で未だナザリックの外で活動中である……。

 

 

「「「お帰りなさいませ、ご主人様っ!」」」

 

 ゴウン屋敷のロータリーを臨む玄関前へ、ここを預かる黒紅色の可愛いメイド服姿のリッセンバッハ三姉妹――長姉メイベラに次女マーリンと三女キャロルが元気に出迎え、若々しく張りの有る挨拶の声が響いた。

 漆黒の馬車を降りた英雄の貫録漂う仮面姿のアインズは、彼女達へと視線を送り「屋敷の管理、ご苦労」とその働きへ労いの言葉を掛けつつプレアデス達らと屋敷の中へ入って行く。

 

(((……ご主人様ぁ)))

 

 支配者は、三姉妹其々の瞳が前回と違い、僅かに熱く(うる)()であることには気付いていない。

 そんな姉妹達もそれからの1時間半程、主人との再会に浸る時間は多忙のため数分となかった。

 アインズ一行がゴウン屋敷へ入ったのは既に午後7時前であり、今から晩餐の用意を大急ぎで行うことになったのだ。

 その前にもう日が沈み暗い中、蝋燭の明かりの下、まず八足馬(スレイプニール)達と漆黒の馬車を厩舎等へ収容し、馬車から多くの食材を運ばなければならなかった。

 主らへの飲み物については、ツアレがこの合間に2階の居間へ運んでいる。

 そして家事室に戻ったマーリンら三姉妹達は、ユリからの切れ目のない手際のよい指示を受け、ツアレと共に調理に入っていく。

 午後八時を過ぎたころに、家事室と隣接する食堂で主達の晩餐が始まり、メイベラと姉妹は給仕や出来立ての料理の盛り付けと皿の出し入れに忙しくも、やりがいを持って楽しく働いた――。

 

 主人達の晩餐が終り片付くと、今回も彼女達に『まかない』としてご馳走が振る舞われた。

 三姉妹は一度夕食を済ませていたが、忙しく働いた後でもあり偉大な主人へと真摯に感謝しつつ、ユリやツアレ達と夜食的ではあったが優雅に食事を美味しく頂いた。

 午後の9時半頃になって漸く屋敷メイドらの仕事が一段落する。

 

 晩餐以外のそれまでの時間、主人のアインズは2階居間のソファーに座り、直近の『至宝の奪取』、『王国への協力』、『アインザックへの協力』、『八本指との共闘』、『クレマンティーヌの兄の抹殺』等について並行的に『名声』に繋がる最高の状況を思案していた……。

 替え玉の手はあるが、どの時点で任せるべきか、または完全に任せてしまえるものはあるのかを慎重に判断していく。

 静かに悩める主へ対し――ルベドやソリュシャンとシズは、新調中のドレスの話で持ち切りである……。

 

「出来上がるのが楽しみ」

「アインズ様とまた是非踊ってみたいですわ」

「……今度は……私の番」

 

 

 屋敷に来る前に寄ったのは、大通りに出店している上流階級向けの有名で大きな洋服店だ。

 入店時は大柄で仮面を付けた人物の登場と、続く超美人集団の存在に唖然とされた。しかし、王家からの紹介状を貰ってきていたアインズ一行は一転、最高クラスの上客待遇を受ける。

 連れ達を待つ仮面の客人にはサロンでお茶が出され、乙女達へは選りすぐられた店員らにより、生地の選定やデザイン、更に付ける装飾品までが提案される。そして各自の身体の採寸が行われた。

 御方からの指示でユリが生地他、値段については問わないがなるべく上等で丈夫である物をと注文する。それでも出来上がった後に、ナザリック側で強化は必要であろうと思われた。

 あとここで、ルベドに関しては問題があった。

 彼女は不可視化しているがモフモフで美しい翼があるのだ。

 そのため『身内以外に触れられるのがダメな子』としてユリが代わりに採寸する。デザインも背中側が大きく露出したセクシーな形のものになる予定だ。

 また、ナーベラルの分とエントマの分も体形の近いソリュシャンとシズを参考にしてユリにより注文された。

 使用人的立場のツアレは遠慮気味であったが、アインズの「遠慮するな」という言葉により、プレアデス達と同等の水準で注文されている。

 それは、ユグドラシル製の服に比べれば、ここの物はすべてに数段落ちている物であるからだ。

 でも、その(はか)らいにツアレが感激したことは言うまでもない。

 

「私などには勿体ないかも」

「ツアレも頑張っていますから、きっとそのご褒美なのです。アインズ様はお優しいですから」

「はい……」

 

 その時のユリの言葉にツアレは笑顔で頷き、サロンの椅子で肘を突き壁の風景画を見ながら座る主へと新たに熱い視線を向けていた――。

 

 

 ゴウン屋敷の居間にて色々模索するアインズの思考に、ふと国王からの書簡の内容が浮かんだ。

 今のところ、例のルトラーとの婚姻の件について、幸いなことにナザリック内では『王国からの貢ぎ物の娘が来るかも?』という扱いなので大きく問題にはなっておらず落ち着いている。

 先日より、ルトラー王女はラナー王女と共にアインズの保護対象として加入済である。

 それはナザリック内において個体としての尊厳もある程度認められたことを意味し、婚姻が成立すれば『妃』として認められる可能性が存在するのだ。

 なので、アルベドやシャルティア達がここまで押し寄せて来るのではとの考えも僅かにあった。

 しかし一年先という期間や極秘約定という名の空手形の可能性もあるため、彼女達も今騒ぐわけにもいかないという部分に助けられている模様。

 その約定の書簡については今朝、替え玉であるナーベラルの下へ、正装姿の大臣代行が大臣補佐や使用人十数名を引き連れて現れていた。

 書簡と共に、手付金として本気度満載の金貨5万枚も添えられている……。

 金貨の詰まった革袋は山となり、床が抜けそうに思える程の重量で(ドラゴン)を討つよりも遥かに多い金額であった。

 それはまさに――上位貴族と冒険者達との身分の格差の表れだ。

 アインズにしてみれば、金貨と領地は王国を助ける報酬として貰うはずのものであり想定内の事と言える。

 しかしここで……大臣代行の言葉だというナーベラルからの伝言内容を思い出した。

 

『第二王女が、非公式ながら一度きちんと会いたいとのこと――』

 

 アインズ自身は正直ものすごく忙しいのだが、いつも宮殿にいる『彼』は概ねヒマなのだ。

 そのため断れず、ナーベラルは「希望の時間を知らせてもらえますか。調整します」とその場での決定を回避することしか出来なかった。

 

(……ラナーの姉である上に、交渉で自分自身の身を上賭け(レイズ)してくるヤツは相当不気味なんだけどなぁ……)

 

 アインズはまずそう考えていた。

 兎に角、連絡はまだ来ておらず、結局出たとこ勝負になりそうだと考えていると、居間の扉が叩かれる。

 ソリュシャンによって扉が開けられると、黒髪のユリを先頭に金髪のツアレに続き元気に黒赤毛髪のツインテールが踊るキャロル、飲み物をトレーに乗せて運ぶ眼鏡の似合う一本おさげのマーリン、肩程で揃えたストレートの髪を揺らすメイベラ達が静々と入って来た。

 ソリュシャン達も含めて、メイドがたった一部屋にこれだけ集結するのは異様にも思える光景なのだが……皆、主人の顔を見たかったのだ。

 アインズは、屋敷への到着が遅かったため準備が大変だったと思われるユリやメイベラ達に声を掛ける。

 ただし当然の仕事を熟したことを褒めても、恐縮するだけだと思い違う言葉を向けた。

 

「メイベラ達姉妹は、王都の名所を見て回ったことはまだないはずだな?」

「はい、ご主人様」

 

 メイベラは先日、アインズへ悲惨であった商人のリッセンバッハ家や両親の話もしており、王都へも無理やり連れられて来た彼女達姉妹である。

 おまけに、終身隷属確定で最下層の使用人としてここへ配置されたため、観光という娯楽思考が湧くはずもない。

 その彼女達へ、主人は(ささ)やかなプレゼントを告げる。

 

「明日の午前中にユリとツアレ、そしてお前達で少し王都内を見て回ってくるといい。屋敷には私達が残っている。心置きなく楽しんできなさい」

「…………」

 

 姉妹を代表するメイベラであったが、最下層の使用人には余りに破格の事で言葉が出ず、どうすればいいかとユリを見た。

 その様子にアインズは更に幸福を追加する。

 

「そうだユリ。メイベラとマーリン、キャロルへも服を何か作ってやれ」

「畏まりました、アインズ様。メイベラ、ここは――ありがとうございますと答えるところですよ」

 

 にこやかに伝える御屋敷メイド長の言葉に、メイベラはアインズへ顔を向け答える。

 

「ぁ、アりがとうござイます」

 

 だが主人からの、二度の思いがけない厚意に、メイベラは声が随分ぎこちない形での返答となった。

 それは、元々素敵だと想いを寄せていた人を、もっと好きになってしまったから。

 同様のマーリンも感謝を込めて、アインズのグラスへと飲み物を注ぐ。

 そして、頬を染める三女のキャロルの綺麗な声による、『十三英雄の活躍』についての朗読が始まったのは間もなくの事である。

 

 そうして、夜の11時半を迎える。

 再びリットン伯爵からのご丁寧極まる送迎の馬車が、ゴウン屋敷へやって来て玄関のベルを鳴らす。

 礼儀正しい御者は黒服の男であったが、あのゴドウではなかった……。

 アインズが御者へ尋ねると、昨日の夕方から急に姿が見えなくなったという。宿舎には彼の黒服が残されたままだったという話だ。

 絶対的支配者は、それ以上ゴドウについて尋ねない――予定通りだと。

 ヤツをただ処分するのでは芸がない。

 前回の屋敷への帰路の倉庫前にて、八本指の馬車が回って来るまで待った数分間にゴドウの記憶は魔法で一部改竄されていた。

 ゴミはゴミなりに――最後まで有効利用されるべきである。

 ゴドウは今、ルプスレギナからもたらされる予定の『とある情報』を、某所近くで静かに待っている……。

 

 アインズ達4人を乗せた送迎馬車は前回と同じ倉庫前へ到着し、出迎えの警備員らに先導され、その倉庫地下から八本指警備部門のアジトの一つへと招かれた。

 今回ユリは屋敷でお留守番だ。

 

「ようこそ、ゴウンさん。配下の皆さんも」

「ゼロよ、お前達が貴族どもから上手く時間を稼いでくれて―――楽しいぞ」

「ああ。我々としてもウザイんでな」

 

 利害関係が一致していることもあり、遅延行為はすでに八本指主導だ。

 機嫌よく地下ホールまで出迎えた『六腕』のゼロだが、ゴウンの力を認めるからこそ他のアジトまで知られる訳にはいかなかった。だから今回も同じ場所での開催である。

 ゴウンから八本指への降伏勧告があれば、即時に従うしか生き残れないだろうとは考えている。

 ところがゴウンからは、現在までその動きがないように思えた。

 実際、アインズとしては支配下に入れても、時間がない今は管理が『面倒』なのだ。

 そもそも八本指の力は王国よりもずっと下である。時間が少しあればユリやソリュシャンが一人でも十分殲滅出来るぐらいの水準。その程度のものへ余計に手間は掛けられない。なので敵対はせず協力関係を持てれば、現状放置で問題なしと判断している。

 結果、脅威度は王国案件の『誤差範囲』としてナザリックへ彼等との協力関係の報告すらまだであった……。

 その彼等との今夜の会談では、今次大戦での具体的な話についてである。

 いつからどう動き出し、どういった形で結末へ向けて動くのかだ。

 アインズは、前回同様完全に『悪役』のロールプレイのつもりでこの場に臨んでいた。

 会議室の場所は同じであるが、4日の間で内装や設備が綺麗に修復されており、アインズ一行の為に用意された立派な机や寛ぎやすい椅子が奥の上座に配置されていた。

 完全に『悪人』VIP待遇である。

 アインズもノリノリで、背もたれへ大きく寄り掛かり深く椅子に座って片肘を突いている。

 足を組んでほくそ笑むソリュシャンの悪女感もなかなか堂に入って見えた。

 ただルベドとシズは属性が善なので少し大人しい感じだ。まあ圧倒的強さは前回披露済なので、軽く見られる事はない。

 会議室には、前とほぼ同じ顔触れで八本指警備部門の『六腕』6名と暗殺部門の7名、密輸部門の7名が集まり座っている。

 前回の会談で、八本指として戦後どういう状況になっているべきかを聞いている。

 彼等の組織としては、力を見せ裏社会での比率増で六割超を得た上で、最近五月蠅いボウロロープ侯爵やリットン伯爵ら大貴族の弱体化、敵対時の脅威低下としてアダマンタイト級冒険者の排除が提言されていた。

 アインズ的に、裏社会内の比率増や大貴族達の弱体化に問題は無いが、アダマンタイト級冒険者らの排除については、例の双子姉妹の保護と竜王国の救援の件があるので少し考えものである。

 とはいえアインズが活躍し、より『名声』を得るためには、アダマンタイト級冒険者が一度敗れた後の方が都合よい。多少の犠牲は止むを得ないところといえる。

 絶対的支配者としては、蒼の薔薇達が、竜軍団から半殺しに遭うぐらいが落としどころに思えた。

 深夜会談は開始から15分程、前回のおさらいの形で八本指の希望についてが改めて確認されて進む。竜軍団の停滞する現地の状況も八本指各部門の密偵から伝わってきており、最新情報として報告された。

 それらを聞いて、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が口を開く。

 

「勢力拡大や大貴族の弱体化は進めても構わない。しかし、竜軍団の背後にやはり隣国であるアーグランド評議国の存在を排除できないな。亜人達と対抗するのは戦力として冒険者中心となる。王国がこの地に残った上で、八本指の長期的繁栄を考えるなら、上位冒険者の排除は程々にすべきだろう」

 

 ゼロ達がアインズの意見に考えながら答える。

 

「……なるほど。一理あるな。目先を追いすぎると全てを無くす憂き目に遭うケースだと。アダマンタイト級冒険者達については数名の戦闘不能者があればいいか……。回復までの間に組織として動けるだけ動く準備をしておこう」

「そうだな。希望と現実は両立が難しい部分もある。それに、竜や亜人よりはアダマンタイト級冒険者の方がマシか……」

「異論はない」

 

 警備部門責任者の答えに、暗殺部門のトップと密輸部門の護衛部隊リーダーも同意する。

 その後、共闘作戦の基本方針が議論され始めた。

 大貴族らの弱体化には、本拠地の都市の廃墟化がもっとも有効だが、それは八本指も大きい市場を失う事になる。

 つまり現状、大貴族らの動員した戦力の完全喪失が最大の打撃となる。それもなるべく長期間動員させ兵糧などの経費を掛けさせたあとが効果的だ。

 この時期の穀倉地帯の広域焼失も、年貢が取れず相当に痛手となるだろう。

 それは闇の大きな穀物市場を生み出し、莫大な富を八本指に(もたら)す。ゼロは既に進めている穀物の買い占めに更なる強化の指示を打ち出した。

 だが絶対的支配者にすれば、そんな『小さい事』はどうでもいいし、勝手にすれば良いと考えている。

 

「我々は準備を完了しつつも極力動かない事だ。まず王国軍に正面からどんどん戦って貰う。軍の激しい消耗がすべてに繋がる。都合がいい事に彼等も大都市を失うと困る。利害が一致しているところが最大の強みだ。必死で勝手に消耗してくれるだろう。こちらは全く動かずに利を得る」

 

 それは圧倒的である強さを持ち、頃合いの時点で逆転出来るアインズにしか立てられない戦略と思えた。

 八本指の者達は、上座からの彼の言葉に頷いて聞き入っている。

 

「そしてこちらが動くタイミングは――アダマンタイト級冒険者達が敗れた時だ」

 

 そう言ったアインズは、更に八本指へ計画を提示する。

 竜軍団へ当たる八本指の戦力についてはこの場のメンバーのみで行い、他の全戦力は地下組織拡大に当たるよう告げた。

 ここで、頷きながらもゼロが遠慮勝ちに手を挙げたので、支配者は尋ねる。

 

「どうした?」

「ゴウンさん達は、どれぐらいの期間(何週間程)で、そのぉ……竜軍団を撤退させるつもりなんだ?」

「まあ……………1日か、2日ぐらいあれば鏖殺(おうさつ)は可能だ」

 

 一瞬絶対的支配者は、素で『まあ、30分ぐらいかな』と言いそうになったが、大きくボヤかす。これで多分問題ない程度と思ってだ。

 しかし、アインズ一行以外の者達は――。

 

 

 ゼロをはじめ全員、支配者の言に驚愕の表情で目を見開いていた。

 

 

 敵は、半日程で広く壮大であった都市を、完全なる廃墟に変えたほどの圧倒的力を持つ戦闘種族の大集団である。

 それに対して有り得ない短い日数と『皆殺し』という強さの自信であった。

 多く見てもゴウン一行の主力は、今日いない暴力メイドを加えて5名程度と思われる。

 『六腕』達がいるとしても……だ。

 

 ――数が合わない。

 

 相手総数は竜王を含め、(ドラゴン)達300体程なのだ。低位のモンスター達300体相手ではない。

 注目を受けるアインズは、八本指側からの疑念の空気を感じ静かに語る。

 

(ドラゴン)如きが300体いても、私に傷を付けられる可能性があるのは竜王だけのはずだ。そして――その竜王も私より確実に弱いしな」

 

 何気ないという雰囲気の言葉。

 場は完全に沈黙した。余りの水準の違いにである。

 前回の会談の乱闘で、ゼロの猛撃がゴウンへ全く通らなかったのを全員が見ている。

 その言葉は嘘ではないという真実味があった。

 

 もはや、『彼は人間なのか?』という疑問しか残らない。

 ゼロの思考にふと過った。

 

(この極悪のゴウンさんの強さは、伝説の八欲王や六大神の水準じゃねぇのか……いや、まさかな)

 

 警備部門長の彼としては、それほどの強さで今までに実在していたのなら、沈黙を守っていた意味が分からない。

 思う存分にこの世界で力を行使すればいいはずだと考えた。

 ゼロは、誰しも話には誇張があるはずで、その半分程が真実ぐらいに感じている。

 つまり撃退出来る力はあるも、やはり1、2週間ぐらいは掛かるのではと。

 でも、八本指にとってゴウンにそれだけの力があれば十分である。

 仮面の彼が桁外れに強い事は変わらないのだ。

 

(いずれにしても、敵に回す人物じゃねぇ……それはバカのやることだ)

 

 旅の魔法詠唱者と八本指の利害は一致している。

 それにこれほど『偉大な悪党』なら組織で臣従しても構わないだろう。

 ゼロは他の八本指の者らに先駆けて力強く頷く。

 

「分かった。戦いはゴウンさんの計画で進めよう」

「……そうだな。では、暗殺部門側で王国軍の動きを色々探らせよう」

「異論はない」

 

 八本指最強の警備部門責任者の判断に、暗殺部門のトップと密輸部門の護衛部隊リーダーもほぼ同じ考えと思いで続いた。

 次回となる第三回の会談は、王国軍の出陣予定が決まってからとなった。

 それまでにゴウンの示した指針に従い八本指側全体内での調整、準備が行われる。

 またアインズとゼロ達は今日の深夜会合について、「再度の会合でも連携への溝は完全に埋まらなかった。しかし、少なくない部分で合意も出来た」という進展ありを臭わすニセ報告の企画も忘れない。

 完全に決裂すれば、別々に動くことになりボウロロープ侯爵やリットン伯爵への時間稼ぎが面倒になる。

 反国王派の彼等は、竜軍団へ裏戦力の集中投入を希望しているので、妥協点を探す様に再度のプッシュが始まるはずだ。

 そうして慌てふためき、哀れにも見える上流階級者達の姿を皆で想像しつつ、深夜会談は笑いの内に解散となった。

 ゼロは地下ホールまでゴウン達を見送る。その際、八本指から友好のちょっとした土産だとし、金貨1万枚以上の革袋の山が客人へと差し出される。

 『悪役』のロールプレイを続けていたアインズは「この世は常に持ちつ持たれつだからな」とらしい言葉を語り、勿論それを受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都は翌日の朝を、雲のほぼ無い快晴の空で迎える。

 ニニャの記念すべき約束された初デートの日だ。

 これまでの過去を振り返ると、彼女は村で叔母にこき使われ、師匠の下でも修行に明け暮れ、冒険者になってからは男の子として生きてきた。

 魔法詠唱者はモテるようで時折、年上の女性や女の子に誘いの声を掛けられたこともあるが当然そんな気はない。また、少しいいかなという男の人はいたが、人生を共に歩みたい程の出会いはなかった。

 もちろん『漆黒の剣』のメンバーは特別だが、戦友や身内へと対する気持ちであり、モモンへ向ける想いとはかなり違うものだ。

 ニニャは昨日の好きな彼氏との約束以降、乙女としてのドキドキワクワクな熱い気持ちで一杯になっている。

 彼女は日が昇る30分程前から目がパッチリと覚めており、ベッドの中で色々考えゴロゴロしていたが、宿部屋の鎧戸の隙間から僅かに漏れる日の光を見ると早速起き上がる。

 残念ながら『漆黒の剣』の宿泊先のこの宿屋は低級冒険者向けであり、水差しと洗面ボウルを貸し出しての洗顔サービスは付いていなかった。

 普段のニニャは仲間達と適当に川や共同井戸などがあれば利用する。なければそのままだ。それで問題はない。

 しかし今日は特別な日であり、なんとしても顔は綺麗に洗っておきたかった。

 そのため、彼女は昨晩に銅貨1枚を宿屋の主人へ払い、洗面用具を借りている。

 ニニャは早速顔を丹念に洗った。

 その水音へ、敏感に耳が反応したルクルットが起きて、二段ベッドの上から眠そうに顔を手で擦りながら向けてきた。

 

「ふぁぁ……まだ、6時前じゃねぇかよ……、早すぎだろ……」

「おはよう。なんかもう目が覚めちゃって」

「いいけど……ふぁぁ……俺はもうちょっと寝かせてもらうぜ……おやすみ」

 

 そう言って、ルクルットはニニャに背を向け横になった。

 いつものルクルットの様子に微笑むニニャには、このデートの日に備えて秘策があった。

 それもあって早めに起きたのだ。

 その一つ目は化粧である。

 この世界で女性の濃い化粧は、祭りの時や演劇など祭典や娯楽分野が多い。

 一般的には、王女にしても普段の色艶に近い薄い感じでかなり大人しいものになっている。

 別の角度から見ると、元の女性の素材に左右されていた。

 ただこの世界は全体的に美形が多いので、化粧を濃くする必要が少ないとも言える。

 

 化粧とは――乙女が美しく変身するためのものなのである。

 

 一方ニニャは、ここ数年男の子として生活していたため、少し女の子として自信がなかった。なので化粧の力を借りて変わろうと考えたのだ。

 彼女には慣れない事でもあり、普段練習する訳にもいかず、この早い時間から準備に入る。

 化粧道具はここ数日、()()()()自身で購入していた。

 彼女は手鏡と睨めっこしながら、元々白い表情肌をより整えていく。

 口紅はまだ引かない。それは、最重要事項のため朝食が済んでからである……。

 気が付くとあっという間に1時間が過ぎていた。そろそろとペテルやダインが起き出し始める。

 一通り表情肌は整えた事と、何と言っても恥ずかしいのでニニャは一旦化粧を終えた。

 彼女はデートの日に備えての秘策その二つ目に移る。

 

 それは――下着だ。

 

 普段のニニャは仲間達と川などでの水浴びもあるので、胸に布を撒いたり男物の肌着や下着を着用している。

 今日は、昼間のデートとは言え、しかし何(ナニ)があるかは分からない。

 まあ肌着や下着を脱ぐことはないかもしれない。

 それでも、上から触って貰える可能性は残されているっ。そんな時に男物やボロ布であっては、若い乙女としての沽券に関わる。

 ゆえに共用トイレで上の布をほどき、下もトランクス系から女性物下着へと履き替える。

 下着替えについては、先日のエ・ランテルにて小屋での相談時にも密かに実行していた……。

 そうして、ルクルットも起き出した8時過ぎに皆で外の通りに出て朝食。

 宿に戻るともう9時に迫っていた。

 ニニャは歯を磨くとここから口元へと紅を引く。

 唇の色は、基本的に口内の色の延長上に有る。このためレッド系やパープル系など結構個人差がある。

 ニニャはピンク系だ。彼女は慎重にサーモンピンクの紅を付けていった。

 でも、『漆黒の剣』の頭脳である彼女の準備は、ここではまだ終わらない。

 それが披露されたのは、モモンがこの宿屋へ到着した時であった。

 

 アインズはモモンとして、午前11時に『漆黒の剣』の泊まる宿屋までニニャを迎えに行く。

 それは――彼が昨夜の深夜会談を終え屋敷へ帰って来て、いつもの如く夜中にナザリックでの数々の用を済ませ、クレマンティーヌと再び連絡を取り、朝にはゴウン屋敷の三姉妹達とツアレやユリを王都観光へと送り出し、『王都へ遠征中な冒険者』としての宿屋へ戻ってからの行動だ。

 御方の働く姿は正に、水面下で激しく足をかくも優雅に前へと進む水鳥の如く。

 正直、24時間の物事と戦えるこの不眠不食無疲労の体でなければとても持たない……。

 ただアインズとして、精神だけは随分すり減っている気がしないでもなかったが。

 たまにルベドのモフモフの羽や、仲間の子供達といえる可愛いNPC達を見て撫でて和む時間が至福である。

 そんな彼を、宿屋から出て来たニニャが「ほぉう」と言わせた。

 

 一方上の窓から通りを見下ろして30分程も待っていた彼女だが、そのやって来た物が信じられず「えーっ!?」っ叫ぶ。

 ニニャは宿の主人から彼氏の到着の知らせを待たず、宿部屋から早歩きで階段を下り1階のロビーとカウンター前を通り抜け出口を出てモモンと会うまで、その羽織るマントで体を隠す様に進んだ。

 そして表の通りに出た彼女は間近で見る。

 

 宿の前にはなんと仮面を外したジェントルマン姿のモモンといつも姿のマーベロを乗せる、白馬と白い馬車が止まっていた。

 

 その光景は、完全にお姫様か良家のお嬢様を迎えに来た、夢の王子か幻の紳士。

 モモンはニニャとのデートに、御者付きに屋根が幌で、それを畳んだオープン仕様で2頭立ての4輪馬車(キャリッジ)を用意してきたのだ。

 ニニャは馬車とモモンの姿で二度驚き、前でマントを掴んでいた右手を放していた。

 その彼女の姿が秘策その三つ目である。

 

 ニニャは――水色のリボンやレースの飾りに加え、夏らしく涼しいレースの袖の付いた膝下まである白と水色のドレスを着てそこへ佇む。

 

 色白でブルーの瞳の彼女は、見違えるほど乙女に見えた。その左手には可愛い花飾りの付いた白い帽子も隠し持っている。

 互いに目を見開いていたが、モモンが先に感嘆の声を上げ、そして先ずはと大切な事を伝える。

 

「おはようニニャ。――とっても良く似合っているよ」

 

 その言葉に、乙女のニニャは我を取り戻すが、顔色や指先は白から見事にピンク色へと変わっていた。

 

「嬉しい……です。おはようございます、モモンさん、マーベロさん」

 

 そう言いつつも思わず帽子で鼻から下を隠してしまうほどに。

 マーベロは「お、おはようございます」といってモモンの横から馬車を降りる。

 今日のデートも御方とナザリックの為のはずだが、彼女の内心では結構複雑だ。最近『妃』の話がクローズアップされている事が大きい。

 こういった小さき事でも、モモンガさまのことはやはり気になってしまう。

 

「おはようございます、モモンさん、マーベロさん」

「おっはようでーっす!」

「おはようであるっ! モモン氏にマーベロ女史」

 

 恥ずかし気のニニャへ変に気後れの空気が広がる前にと、宿屋の前へ見送りとマーベロを迎えに出て来たペテル達が声を差し込んでくれる。

 モモン達もニニャから一度間を空ける様に彼等へ挨拶する。

 

「おはようございます、皆さん」

「お、おはようございます」

 

 ここでダインがニニャの肩から下ろしたマントを受け取り、ルクルットが彼女の背中を押す感じに言う。

 

「じゃあ、時間もないしとっととそれぞれ行動しようぜっ。ニニャ、早く横に乗っちまえよ」

「えっ、あ、はい」

 

 ジェントルマン姿のモモンの横に、花飾りのある帽子を被り涼し気なドレス姿のニニャが座る。

 満更ではない二人が白い馬車に座る光景に、ルクルットの口笛が鳴る。

 モモンも男らしく主導権を示す為動いた。

 

「では行ってくるかな。マーベロのこと暫くお願いしますね」

「分かりました。午後3時にまたここで」

 

 ペテルの言葉にモモンは頷くと、帽子を深く被る御者へ馬車を出す様に伝える。

 ちなみに――この御者がパンドラズ・アクターだったりする。

 マーレが、アインズに今日の護衛として彼を傍へ付けることを強く頼んだのだ。有能である軍服姿の彼は、昨晩中掛けて王都を色々と探索している。無論目ぼしい名所もだ。

 白い二頭立ての馬車は晴天の空の下、静かに走り出した。

 

 ニニャとのデート自体は流れるように進んだ。

 馬車は王都の名所を走り抜け、昼食は気楽にという事で中流のレストランで食事し、あとは川に沿って気持ちよく走ったり、公園でのんびり仲良くアイスクリームを食べたりだ。

 ニニャは下着まで換えてこの機に臨んでいたが、男女の肉欲的進展という動きはほぼ無かったと言える。

 でも彼女は冒頭から一つだけお願いしていた。

 

「――手を繋いでいていいですか?」

「もちろんいいよ」

 

 二人は食事以外ではずっと手を繋いでいた。

 ただそれだけ。

 共に過ごす楽しく掌の熱くなった時間は瞬く間に過ぎる。

 午後3時を迎え、『漆黒の剣』の泊まる宿屋の前に二人の乗る白い夢の馬車が戻って来た。

 でも、ニコニコのニニャは今日の時間に十分満足している。

 

 モモンからの多くの気遣いが、乙女の心に響いてきたから。

 

(モモンさん、大好きです)

 

 ニニャの恋心はより深まっていく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 上火月(かみひつき 七月)下旬の午後4時半の空はまだまだ青く、日も白光で眩しい。

 漆黒の戦士モモンと純白のローブを纏うマーベロは、組合長アインザックからの指示に従い時間通り所定の場所へと現れる。

 

 ジェントルマン姿のモモンとニニャの乗る白い馬車が『漆黒の剣』の宿屋前に戻った時、ペテル達からこの後の予定を聞かれたモモンは「これから組合長らの所に向かう」と答えた。

 ペテル達は「昨日の公園広場で白金級以上の冒険者チームが残された際に告げられたという、組合長らのチームを手伝う件」かと問う。

 モモンは「そうだ」と返す。

 マーベロと食事をしたりしたペテル達は途中、エ・ランテルの冒険者達と出会った折、この広まり出した噂が耳に入ってきた。丁度居たマーベロに聞くのは自然の流れだ。勿論事前にモモンはマーベロへ、噂や近く周知される事だとし『実力を試される件』だけ伏せさせ、後は話す許可を出している。

 ニニャだけは、モモンとのデートの食事中に知らされていたが……改めてペテル達は驚く。

 普通はまず考えられないチームの組み合わせであるからだ。

 ただ、『漆黒』の高い実力と今次大戦自体が在り得ない状況に、臨機応変にという対応なのだろうと納得する。

 『漆黒の剣』の面々がモモン達に予定を聞いたのは、このあと暇だったからだ。

 しかし大事な予定がある事を聞いた以上、ペテル達は「そうでしたか、すみません」と引き止めず、モモンらの乗った馬車を見送った。

 モモンとマーベロは馬車で自分達の宿へ戻ると、1階の受付で宿屋の娘から予告通りといえるアインザックの呼び出しを知らされる――。

 

 呼び出されたここは、王都北西に位置した軍の管理下にある軍馬調練所であった。

 それゆえ、民間人はおらず広さも十分にある場所だ。

 すでに周りは人払いされており静かで、この場にはラケシルも含めて4人しかいない。

 

「モモン君にマーベロさん、よく来てくれた」

「いえ。それでどうしましょうか」

 

 アインザックの言葉にモモンが試す方法を問うた。呼ばれた目的は昨日聞いている。

 

 ――実力を見ておきたいと。

 

 すると杖を握る深い緑色のローブ姿のラケシルが提案してくる。

 

「アインザックは戦士で、私は魔力系魔法詠唱者だ。どうだろう、戦士同士、魔法使い同士で戦っても面白くあるまい。アインザックとマーベロ殿、私とモモン殿で炎を使う竜との仮想戦を再現できると思うが」

「なるほど、それは面白そうだな。どうだろうモモン君。もちろん互いに当てるというのは無い形で、互いの動きを見ることでどうかな?」

 

 アインザックもラケシルの案に同意しつつ、モモンへ確認してきた。

 

「分かりました、それでいいですよ。マーベロ、当てないようにね」

「は、はい」

 

 モモンの答えの内容にアインザックは、ニヤリと微笑み頷くと早速という感じで開始を告げる。

 

「ではまず10分間ほど1対1でやろうか。では――始めっ」

 

 アインザックは言葉が終わるや否や、素早い動きを見せ地を蹴り右横方向へ100メートルほど離れた所に移動し、マーベロへ右手で大きく掛かってこいと誘った。

 マーベロは〈飛行(フライ)〉で空へと舞い上がる。

 モモンもアインザックに倣い、反対側へと同程度の速さの動きで150メートル程距離を一瞬でとった。今のモモンの全力速度の3分の1も出ていない程度。

 しかし――その素早い彼の動きにラケシルは驚いた。

 

(速いっ! これは……確かに白金級の動きではないな。アインザックと同程度かっ)

 

 第4位階魔法を使えるラケシルは〈飛行(フライ)〉と〈加速(ヘイスト)〉で上空よりモモンへ接近すると、〈火球(ファイヤーボール)〉を漆黒の戦士から外して連射した。

 モモンはその攻撃を左側に高速で躱す形で回り込むとジャンプし、空中のラケシルから外してその右横をグレートソードで薙ぐ。

 この早い攻撃にラケシルは空中で体勢を崩し慌てる。

 

「なにぃっ!? (あの大剣を2本も背負ってこの身軽い動き。剣の振りも速く鋭いっ……彼が本気だったら切られていたかもな……)」

 

 〈火球(ファイヤーボール)〉の射程はそれほど長くないため、モモンなら高さ6メートル程へ15メートル程の直線的な下からの傾斜ジャンプで大きく間合いを詰める事ぐらいは優に出来る。

 問題点はその落下時だ。放物線で下へと落ち防御に徹するしかない。

 だが、モモンはラケシルが空中で体勢を立て直す間に着地し、一瞬で方向転換して間合いを取る。

 この空中への剣による迎撃は、アインザック側も同様の弱点に苦戦する。

 さらに組合長はマーベロの連射数に驚嘆した。

 

(この娘……本当に〈火球(ファイヤーボール)〉を10連射もしてくるぞ……直撃が続けばとても耐えきれない。こんなことはラケシルにも出来んっ。いや、他に出来る奴がいるかどうか……)

 

 アインザックはマーベロを空中で捉えきれず、落下時で逆に集中砲火をくらう形になってしまう。

 外されている形だが、体の周辺を乱舞する〈火球(ファイヤーボール)〉には恐怖を覚えた。

 地上に降りたアインザックは漸く厳しい状況から間合いを取る。

 そんな二組の攻防が、暫しこの広い地で繰り返され10分はすぐに過ぎていく。

 

「ここまでーーっ!」

 

 アインザックの大きく叫んだ声がこの広い場へと響き、模擬戦が一旦終わる。

 たった10分であったが、炎の乱舞もあってもう汗が額に滲むアインザックとラケシルは、歩み寄ると互いに頷いた。

 その考えは言葉としてすぐに、息の全く乱れていないモモン達へと伝えられる。

 

「ふぅ……。正直に言おう、――我々の完敗だな」

 

 ラケシルがアインザックの言葉へ苦笑う。ブランクがあったとしてもベストの動きをしたつもりであった。

 実は、モモン達と当たる前の午前中に、エ・ランテル冒険者組合の現役エースであるイグヴァルジ達ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』と20分程の模擬戦を2対4で2回行い2度とも勝っていたのだ。

 そのアインザックは、マーベロから苛烈に受けた信じがたい連続攻撃で逃げ場はないと判断した。

 そしてラケシルも、モモンが軽々と振るうグレートソードはまだ1本しか抜かれていない事で確信出来た。

 だから、アインザックとラケシルは揃ってモモンとマーベロへ――お願いする。

 

「竜達との戦い、是非俺達と組んで欲しい」

「足を引っ張らない様、努力する」

 

 オリハルコン級冒険者に、そこまで言わせる程の力の差をモモン達が感じさせていた。

 ラケシルらの難度は75程度。難度で90を超える手を抜いたモモン達に比べても確実に落ちるのだ。

 冒険者組合長らの言葉にモモンは『漆黒』のリーダーとして答える。

 

「分かりました。共にエ・ランテルと王国の為に頑張りましょう」

 

 しかし、モモンの言葉はここで終わらなかった。

 絶対的支配者は、発言力が増し有利と変わるこの瞬間を待っていたのだ。

 彼は今、伝える。

 

「あの、一つ話があります」

 

 アインザックは、改まった様子のモモンの言葉に眉間へ皺を寄せ答える。

 

「ん、なんだね?」

「実は俺達二人がエ・ランテルを出た直後にある人物と会ったのですが――」

 

 軍馬調練場の広い場所に4名は立ったまま、モモンより竜王国から来た使者の話を聞かされる。

 それは……すでに竜王国東方の都市三つが最終防衛戦の状況と、押し寄せている5万ものビーストマン達の大戦力の話。これに対してのエ・ランテル冒険者組合が竜王国への早急な救援要請を受けた事。そしてモモンは「組合長へ相談して応援を送る」と伝えた事も話す。

 それらを黙ってひと通り聞いていた歴戦のアインザックとラケシルは、直接戦ったこともあるビーストマン達の強さを知っている事や、その個体数の多さが脅威であると話してくれる。

 またエ・ランテルの冒険者達が、国外への案件に対応した前例があることも教えてくれた。

 そんなアインザックが最後に伝えてくる。

 

「話の内容はよく分かる。何とかしてやりたいと思う。だが――現実的な話ではないな。我々の冒険者組合には今、全てが足りない。少なくとも……エ・ランテルと王国を脅かす竜軍団の件が済むまで、その話は忘れた方がいい」

 

 エ・ランテルの冒険者組合では対応出来ない規模の話であり、アインズとしては予想通りの返事と言えた。

 支配者の狙いはそこではない。彼の狙いはアインザックの顔の広さである。

 今日も、軍の施設を借りるなど、王都の冒険者組合長を通じての働きかけがあったはずで、アインザックの人脈の力を示している。

 モモンは組合長へ頷きながらも言葉を返す。

 

「分かってますけど、それでも……話だけでも――他の都市の組合長や隊長の方々へ知らせて貰えませんか? 『竜王国の件』は、竜軍団との戦いが終ってから話をしたのでは、完全に間に合わない。せめて紹介状だけでも書いてくれれば、俺が話をしに回りますよ」

「モモン君……君は、そこまで……むう。それに、竜軍団に勝つ気なのだな」

 

 アインザックは、目の前に立つこの漆黒の戦士が竜王国のモンスター襲来で苦しむ人々を懸命に救うためなのだと思い切り勘違いしていた。モモンはそうと知りつつも、竜軍団に勝つ部分はその通りなので一つ首を縦に振った。

 アインザックは難しい判断に目を閉じる。

 

(竜軍団との戦いに直接関係の無い話を今、他の都市の冒険者部隊の長達に話すべきだろうか。だが、確かに今から声を掛けていないと、急すぎる話だとして竜王国東方の三都市の救援には動かないのも事実……)

 

 対するモモンも考えていた。

 竜王国の件で間接的にアインズの名声が上がる妙案とは、難解と感じる方法ではない。

 しかし、その為にアインザック達の人脈は必要であった。

 組合長ら二人からの手伝う話を了承したのは、モモン側で多少自由が利かなくなるがそのメリットを考慮してのものだ。

 アインズとしては、ここでアインザックに動いてもらわないと面白くない。

 

(この男は合理的に見えて情熱的かな。今を重視しつつも未来へ繋がる事なら動くと思うんだけど)

 

 なので支配者はモモンを動かし、アインザックへ共闘面での『脅し』を掛ける。

 

「冒険者組合長。俺とマーベロは竜王国の使者に名を聞かれ――名乗ってます。竜軍団との戦いは重要だけど、何もしてもらえないとなると……戦いに集中出来ないかも……」

「……むぅ。竜軍団を退けたとしても、確実に名を落とすという事か。……んー」

 

 ここで、アインザックの考え込む姿を見つつ、相棒の魔術師組合長のラケシルが尋ねてきた。

 

「ところでモモン殿。そういえば、その竜王国の使者の名前を聞いていなかったが、何という名かな?」

 

 モモンはその問いへ、「えっと……」と兜のスリットからの視線を左下に外すと真剣に思い出す。

 横でマーベロが、分からない時は聞いてくださいと可愛く見上げてきた。

 だが元営業マンの鈴木悟のアインズは自力で思い出していく。

 

(あの女性は、確か――ざくそら……でぃおね……何だっけ……。あ、オーリウクルスだ)

 

 『でぃおね』の『お』を伸ばすクルクルする名であったと連鎖的に思い出し伝える。

 

 

 「――ザクソラディオネ・オーリウクルスと名乗ったはず」

 

 

 それを聞いたラケシルとアインザックが驚き、そして語る。

 

「王族かっ!」

「――! オーリウクルスは現竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスの家名だな……、分かった。王都へ来ている各都市からの遠征隊責任者へ話だけはしてみよう。モモン君達も同席してくれるかな?」

「無論かまいません。ありがとうございます」

 

 こうして、モモンはアインザック達の人脈を辿ることが出来るようになった。

 模擬戦はここで終了し、4人は早速王都の中心地近くにある冒険者組合事務所へと向かう。

 6階建ての立派な石造りの組合事務所へ着くと、広い玄関ホールの受付嬢を通して2階の会議室へとすぐに通された。

 モモンが驚いたのは、その笑顔で出迎えに現れた組合長が40歳程の女性であった事だ。アインザックからは、彼女が元ミスリル級冒険者だということを後で聞いた。

 モモンの補足とアインザックより諸事情を聞き終えると、その内容に王都の冒険者組合長は当然難しい顔をする。

 

「なるほど……。やはり今すぐに竜王国へ出来る事は何もありませんね。――しかし、竜の軍団を退散させることが出来れば話は別です。我が王国の南東部には広いカッツェ平野がありますが、あそこはご存知の通り年に数日、死者の霧が晴れ往来が可能です。仮に『竜王国』が滅びた場合、その時に我が王国内へビーストマンの一軍が橋頭保を築く可能性が恒久的に発生する事になります。ですから、竜王国の存在について王国内の安全保障上軽視するのは愚かな事。派遣戦力の選出は後にするとしても、規模や兵糧と移動手段の前準備は今からしておくべきでしょう。しかし、大勢では準備にどうしても時間が掛かってしまう。なので少数精鋭の先発隊がまず必須でしょう」

 

 王都の冒険者組合は、エ・ランテルの規模の5倍程ある。アダマンタイト級冒険者2組が所属し、資金と資材でも圧倒的といえる組織力を誇っている。

 それを統括する組合長の彼女が動けば、全国の都市の組合は追随する可能性が非常に高くなる。

 完全に前向きで進む話に、モモンは面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中でほくそ笑む。

 

「先発隊へは、俺のチーム“漆黒”も入れて欲しいのですが」

 

 モモンの「先方との約束で」という言葉に、王都冒険者組合長の彼女は怪訝さが混じる困惑の顔をする。

 彼女の目は、漆黒の鎧の戦士の首から下がる白金(プラチナ)級冒険者プレートを見ていた。確かに白金級なら、並みのビーストマンには1対1で十分勝てると思う。しかし相手は多勢。今の悲惨といえる戦況から容易に5対1や10対1になることも頻発するだろう。その時には多分死ぬ事になる。それを志願する事に納得がいかないためだ。

 また、竜王国の使者と面識があるのなら簡単に死んでもらっても困る。

 彼女の不安の広がる表情に対し、ここでアインザックが伝える。

 

「ああ、心配はいらない。このモモン君とマーベロさんは――私やラケシルよりも強いと思ってもらって結構だ」

「えっ? ……それって……」

 

 王都冒険者組合長は戸惑う。

 アインザックとラケシルが、優秀なオリハルコン級冒険者だと知っているからだ。

 その彼らよりも上となると、その階級はもうたった一つ(アダマンタイト級)しか残っていない……。

 一瞬そう思うも、やはりこれはアインザックの彼等への底上げ風の気遣いかもしれないと考えた。

 それでも、オリハルコン級にかなり近い実力はあるのだろう。ならば精鋭の先発隊に入れるのは、やぶさかではない。

 王都冒険者組合長の彼女は漆黒の戦士らに告げた。

 

「――いえ、そうですか。分かりました。では竜王国救援の折に、モモン殿とマーベロ殿のチームは先発隊へ参加の方向で考えましょう」

「(よしっ)ありがとうございます」

 

 先発隊指名に、モモンは『漆黒』を代表して王都冒険者組合長へ感謝の言葉を述べた。

 このあと、王都冒険者組合長は、既に王都へ到着している他の遠征隊の責任者らへも話を通す事を約束してくれる。立地的にエ・ランテルから近い大都市の組合長らから賛同を得て、そのあと北方の都市らの責任者らも引き込むという。

 夕暮れの近付く午後6時前頃に始まった話し合いを、終わって表に出た頃には日の落ちた晩の7時を過ぎていた。

 モモン達は、アインザックから「協力し合う仲だ」として今夕食を共に取ることになり、組合事務所まで組合長らと乗ってきた馬車に乗り込み飲食街へと繰り出した。

 紅一点のマーベロは、彼等から話を一杯振られて困り気味であった。娘達がいるというアインザックとラケシルにとって、癒しであったのかもしれない。

 モモンとマーベロと不可視化したパンドラズ・アクターが宿へ戻って来た時には、午後9時半を回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――託されたものが有る。

 人々の希望であったり、願いであったり、そして未来であったり――。

 

 

 その背負った想いだけで恐怖の心を押し殺し、彼等は『和平の使者』としてここまでやって来た。

 5日前の朝に快晴下の王城ロ・レンテ城の正門前より出発した戦車1台、馬車2台で隊列を組む決死の一行は、朝日を後方より浴びてただがむしゃらに先へ進む。

 エ・アセナル傍の敵の宿営地(ゴール)はもう目の前に迫っていた。

 

(陛下。我妻、我が子達よ。私に、私達に奇跡の幸運をっ)

 

 リ・エスティーゼ王国王家に長年仕えてきた大臣は、竜軍団の宿営地へと向け、先程一歩先行し会談のアポイントを取りに向かわせた王国軍の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の接触が上手くいくようにと全身全霊で願った……。

 

 王国でも数少ない〈飛行(フライ)〉を行使できる、第3位階魔法の使い手である王国軍魔法詠唱者部隊の長い金髪の男はエ・アセナルへと迫って行く。

 匍匐飛行で、広大に広がる廃墟へ接近する彼の衣装は白一色。また衣装には、黒の糸で文字が良く見えるように太く大きく縫われていた。

 

 アーグランド評議国の文字で『王国の使者』と。

 

 空が広がる男の視界へ、灰色の街の廃墟が遠くの先に見えてくる。

 彼は、数日前まで軍の偵察でこの地を訪れていたが、その際は(ドラゴン)に見つからないよう相当な距離を取っていた。

 しかし今回は――隠れる訳にはいかない。

 彼は哨戒中の竜が舞う空域へと勇敢に飛び込んでいく。

 交渉する為に、あの伝説のモンスターである(ドラゴン)らと接触しなければならないのだ。

 とはいえ彼自身、死ぬ確率は10分の10だと思っている。

 もはや火炎の標的になろうともと腹は括っていた。

 

 エ・アセナルの宿営地周辺に哨戒中の竜は3組()り現在15体であった。

 竜種は目も良い。警戒中の廃墟の都市周辺へとわざわざ高度を上げて〈飛行(フライ)〉で接近して来るナメた人間の姿を捉える。

 その竜達の内の1体に、例の13体の遺体消失を調査した十竜長がいた。

 周辺を飛翔する配下の竜兵の一体が、この指揮官へ近付き進言する。

 

「人間ノ魔法詠唱者(マジック・キャスター)ガ1体迫ッテ来マス。焼キ払いマショウ」

「のこのこと……私がヤる。一応4体付いてこい」

 

 5体一組での軍団行動指針に従い迎撃行動を開始する。

 この十竜長も、仲間の遺体消失を卑怯で下等な人間の汚い仕業だと考えていた。

 

(おのれ、仲間達の死を愚弄スるとは許せん)

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグの率いる一派は、炎の竜(ファイアー・ドラゴン)系だが、歴代竜王と代理の妹が余りに飛び抜けて強すぎた為、既に700年以上に渡り群れの統率が非常に取れている。

 そのため、一般の(ドラゴン)達と比べ仲間意識がかなり強い。

 十竜長は間もなく、火炎の射程までその侵入者へと近付いた。

 だがやって来た人間に逃げる様子はなく、あろうことか空中で堂々と停止した。

 そして、その人間の真っ白の衣装に縫われて記された『王国の使者』の文字がはっきりと目に入る。

 

(――!? 人間の国の使者だと……まさか)

 

 十竜長は、人間どもが『多くの遺体を条件にして何かを要求しに来た』のではないかと思った。

 これで竜王ゼザリオルグへ報告せず独断で殺す訳にはいかなくなる。

 十竜長は人間との間合いを詰めて近付く。

 人間は動かない。手と杖を後方へ回し敵対の意志がない事を示している様に見えた。

 二者の距離は10メートル程になった。

 この地の制空権を持つ十竜長から尋ねる。

 

「使者だと? 何しに来た」

 

 使者の間近へと、長い首先の精悍で鋭い表情を浮かべた顔を寄せる。

 大翼を羽ばたかせ滞空し、強固さを感じさせる輝く鱗に覆われた、体長15メートルを優に超える巨体。そこから溢れる伝説の竜の、圧倒的といえる『死』への威圧が人間の男へと伝わる。

 だが魔法詠唱者(マジック・キャスター)は震えつつも使者としての使命を果たす為に必死で言葉を返す。この時、王国でも古い文献を調べ、相手は竜王の鱗の黒紅の色から煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の一派と予想していたが、違った場合が非常に失礼なので告げる言葉は無難である内容が選ばれている。

 

「強大なる竜王様(ドラゴンロード)へお目通りしたく参上しました。私は会談へのアポイント役の者でございます。承諾いただければ、我らリ・エスティーゼ王国の大臣の馬車が3時間以内でこの地に到着します。何卒謁見の御許可のほどを」

 

 そう告げると、空中で人間の魔法詠唱者は頭を下げた。

 十竜長は、人間からの話で『取引だろう』と用件を確信するも問う。

 

「謁見の内容は?」

 

 すると髪の長い人間は神妙ながらはぐらかす。

 

「この私は、会談への取次役。詳細は当方の大臣からお伝えいたします」

「(ここで秘匿とは小賢しいことを……。だが、止むを得ない)……この場で暫し待て」

 

 十竜長は直ちに竜兵の1体を宿営地へと向かわせた。

 

 遺体大量喪失事件から6日。

 王国からと思われる静寂に潜む大反撃で、竜王のゼザリオルグは少し迷いが出てきていた。

 

(人間どもめ、我らの怒りを買ってまで遺体を盗んだのだ。何か動くはず……しかし遅いな)

 

 竜軍団の侵攻の動きは、現在攻めきれず戻れない形で完全に停滞していた。

 しかし、彼等の宿営地内の人間の捕虜9万については『選別』が昨日完了している。

 まず男女で分けた。例外は赤子で、母親との同行が許される。そこから大人と子供で分けられる。その過程で、赤子でなく一人で動けない者は年齢問わず有効に廃棄された……。

 厭戦(エンセン)という雰囲気は今のところないが、竜王が侵攻を止めているのは事実である。

 長引かせるのは良くないとゼザリオルグが今日も考え始めた時、彼女の下へ伝令の竜兵がやって来た。

 

「竜王様、人間カラノ会談ヲ希望スル一団ノ使いガ廃墟上空ヘ現レマシタ。地上を這う一団ノ到着ハ3時間程後トノコト。いカガいタシマショウカ?」

「(チッ、やっと来たか)……会ってやる。使いに俺はこの場で待つと伝えろ。それと、ドルビオラを呼べ」

「ハッ」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は、間もなく現れた副官のドルビオラに向かい、例の『遺体喪失の件』絡みでこの場へ接近する人間共の一団への攻撃を控えるよう全軍に指示を出した。

 竜王の命を受けた竜兵は、往復8分ほどで廃墟都市上空の十竜長のとこまで戻って来る。すぐに、ゼザリオルグからの伝令を上官へ小声で伝えた。

 王国の魔法詠唱者の男は、指揮官も含めて周囲の(ドラゴン)の口から飛び出すのが、火炎か言葉かを恐怖の中でただただ待っている。

 そして、それは彼へ届いてきた――火炎では無い形で。

 

「竜王様が使者とお会いにナるそうだ。粛々とこの廃墟北側の宿営地へと来るがいい」

「――――ははっ! 有り難き事。では直ちに知らせに戻ります」

「ふん」

 

 魔法詠唱者の男は一礼すると、急ぎ飛び去った。

 彼は信じられなかった。あの伝説の(ドラゴン)と会話し、無傷で仕事を終えようとしている自分にだ。

 男が大臣の待つ一団へと戻るとその馬車列は数分停車する。その場で魔法詠唱者が報告すると、内容を聞いた大臣はホッとすると同時に表情を引き締めた。

 

「……本当に……本当によくやってくれた。そしてすまない。ここでお前を王都へと生きて返してやりたいが、すでに監視しているだろう竜達に今、変な疑念を持たれても困る。最後まで付き合ってくれ」

「はっ」

「後は私の仕事だな。出発するっ!」

 

 戦車を先頭に移動を開始した大臣一行は、旧エ・アセナルの北の地にある竜軍団宿営地を目指した。

 2時間15分程で、竜軍団宿営地へと乗り込み、支度後直ちに謁見の手はずとなった。

 そして、大臣は4名の護衛の騎士を伴い約束の時間内に竜王の前へと現れる。

 記念すべき今の時刻は午前10時45分頃。空には広く雲が覆う。

 場所は全天を仰ぐ草原の平地で野ざらしといっていい。

 一応、竜王の前には幅の広く長い紫の布が使者の立つ後ろまで続いて敷かれていた。

 多くの高級布が敷き詰められ積まれた竜王の居る席の脇に、翼を畳む副官筆頭のアーガードと警備の竜兵が10体を超えて佇む。

 大臣達は、完全に巨大な竜達に周りを囲まれているという形にしか見えない。

 だがその虜の状況の大臣は、僅かに震えがきつつも堂々とその場に立っていた。

 アーガードが、会談を進める言葉を吐く。

 

「人間の国の使者よ。煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であられるゼザリオルグ=カーマイダリス様の前である。礼を尽くし用件を述べよ」

 

 その周囲の空気を実際に震わす程の肺活量を感じさせる野太い声に、大臣はビクリとしかけるが堪え、そして背を改めて伸ばすと一礼したのち口を開いた。

 

「煉獄の竜王様への拝謁、誠に恐悦至極にございます。この度参りましたのは、我が国王からの意志を伝えるためでございます。……なにとぞ戦いを収め――和平の締結をお願いいたします。竜王様並びに兵団の強さには国王を始め皆感服いたしております。ただ、これまで200年を数えて隣国アーグランド評議国とは大きく争わずに独立性を保ち共栄して参りました。我が国の国王は以前の状況へ戻ることを希望しております。勿論和平の締結の暁にはこの地、エ・アセナル周辺を竜王様の武勲として割譲させて頂く予定。ですので早急に停戦頂き、兵団を速やかに本国へ帰しての和平実現を切にお願い申し上げます」

 

 兎に角、今は停戦し和平に持ち込む事が第一である。王国民の犠牲をこれ以上出さないために。

 エ・アセナルは既に廃墟で王家としても保有価値はすでに低い。しかし、竜軍団側にしてみれば戦果としての武勲の証になり手放せないはずだ。

 ならば、王国の他の地と百万の民まで更に失う事を考えれば、和平の代償が割譲案で済めば最上策であった。

 国王は大臣へ王家の領地の更なる割譲案も柔軟に許可している。王都北側に広がる大穀倉地帯の3割までは、大臣へ交渉内での割譲を認めていた。

 大臣は強く心に願う。

 

(現状案で和平締結が上手くいってくれーーーっ!)

 

 それに対し、竜王は内心で――イラついていた。ナザリック地下大墳墓の存在など知るはずもないのだから……。

 

(なぜだ。なぜ、遺体の話が出ねぇんだっ! ……どうやら、ここで首を縦に振らねぇと、遺体がどうなるか……という事らしいな。チッ……どうするか)

 

 外交の切り札は、最後までチラつかせるのがセオリー。

 確かに遺体は、仲間達への気持ちを考えれば竜軍団にとって、大事で代えがたいモノと言える。

 しかし竜王側としては、極論なら火炎を抑えて力ずくで王国の全土全都市を制圧し、しらみ潰しにして調べればよい。

 今、一番の問題は遺体の略奪を実現した人間側の『手法』が不明という点である。

 竜王ゼザリオルグは、だからと自ら語り揺さぶりを掛けた。

 

「使者とやら、もし――俺がこの場で断った場合、どうするつもりだ?」

「…………その様な事にはならないと考えておりますが、その時は我々も坐して死ぬ事は出来ません。(しか)るべき措置を取ることになります」

 

 竜王は眉間に皺を寄せ、明言をさけた大臣へのイラ立ちが更に募る。

 

(然るべき措置ってなんなんだっ。それじゃ分かんねぇんだよ。人間如きがぶっ殺すぞ、クソッ。ビビッてると思われるから聞けねぇじゃねえかっ)

 

 不安が増す中、竜王自身の強者としてのプライドが変に形を歪めて働いていた。

 アーガードがこの結論をどうするのかと長い首を向けてくる。

 ゼザリオルグは、苦肉の案の形で遺体の件だけでも引きずり出そうと使者へ確認した。

 

「聞いた内容として、とりあえずこの地の割譲は当然だ。だが――領土以外のモノは何か提示されないのか?」

 

 大臣は竜王の言葉に返事が詰まる。

 竜種が宝石や貴金属を好むことも調べてあったが、その量については明記されていなかった。個体差もあるのだろう。大臣としては、事前に多少の金塊類の譲渡許可を受けていたが、中途半端なものを提示するのは怒りを買い危険だと考えた。

 最終的に王家に於ける莫大である保有量の十分の一を提示したいところだが、国王の承認を受けておらず苦悶する。

 大臣は時間のない状況ながら暫く考えると、竜王へ向かい伝える。

 

「竜王様。この件について、一度持ち帰りたく思います。数日、期間を頂けませんか。重大事項であり、中途半端に思われる回答は出来ませんので」

 

 人間の使者の答えに、竜王は僅かに譲り同意する。

 

「……(むう、これが重大な判断になると言う事は、やはり……我らの仲間の遺体は切り札ということかっ。だが……あれほどの『手法』を使った人間側の実力者の影が依然見えねぇ)……いいだろう。だが余り待たんぞ。特別に5日だけ待ってやる」

「5日……」

 

 馬車なら片道分の日数だ。しかし、無理だとは言えない。

 幸い〈飛行(フライ)〉を使える魔法詠唱者がいる。〈浮遊板(フローティング・ボード)〉に乗せて貰えるなら、往復に3日もあれば十分だ。

 

「特別の配慮、有難うございます。承知いたしました。では、一旦我々はこの宿営地から下がらせてもらい、5日後の今日と同じ頃……午前10時半に再び参ります」

 

 そう言って深々と一礼して、大臣と護衛の騎士達は謁見の場を辞した。

 戦車と馬車の止めてある場所まで大臣達は足早に戻って来る。

 そして、全員が速やかに乗車すると、一行の馬車は竜の宿営地を馬足を徐々に上げて離れていく。

 今の時間は午前11時25分。

 宿営地への入場時は死を前に周囲を見る余裕が余り無かったが今、馬車の窓の外を流れていく風景には、至る所に厳つく獰猛そうな表情ばかりの巨体の(ドラゴン)が翼を休めている。

 騎士達に数えさせていたが、現実に150体以上の個体の姿が宿営地の視界範囲内で確認出来ていた……。

 

「はははっ……本当にこれは、子供の頃に読んだ伝説や英雄物語の一場面。まさに夢のようだ」

 

 大臣の乾いた声の呟きに、周囲で守り座る護衛騎士らも目の前へと圧倒的に広がる光景をただ眺め頷くしかない。

 これらの化け物と正面から戦うことなど、普通の人類には到底不可能だと本能が理解する。

 エ・アセナルの広大に残る廃墟脇から街道へ入り南東へと戦車を先頭に一行は抜けつつ、大臣を含め護衛騎士8名と魔法詠唱者2名に御者達の全員が今、生きている事に激しく感謝していた。

 

 だが、彼らの仕事はまだ道半ばである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の大臣が煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグとの謁見を終えた時刻――。

 ここは、廃墟都市エ・アセナルの南側約50キロの穀倉地帯を通る細めの裏街道脇にあった林の中である。その東10キロのところには穀倉地帯の中央北部に存在する大森林の北端部が広がるが、そこからは外れている。

 漆黒聖典の7台の戦車隊は一旦全車がここで停車していた。

 戦車から降りた漆黒聖典の配下11名とカイレ、その護衛の陽光聖典隊員5名と御者の兵らを前に『隊長』は伝える。

 

「多くの者には黙っていたが――これより私一人で竜王と幹部指揮官らを倒しに行ってくる。2時間半ほどで戻る」

「「「――っ!?」」」

「なんやそら?」

「……えー!?(……モ、モモンちゃーん、どうしよう!)」

 

 太いおさげの髪に大きく変わった帽子を被る『占星千里』他、多くの隊員が驚く中、第九席次のクレマンティーヌも状況が劇的に変わった雰囲気に酷い焦りを覚えていた。

 その中、事前に『隊長』から行動を告げられていた彼女の兄であるクアイエッセは、平然とした声で『隊長』へ確認する。

 

「隊長、先日渡した非常脱出移動用のアイテムはきちんと持ったのでしょうね?」

「ああ」

 

 その言葉に、クレマンティーヌは反応する。

 

(えっ、部隊にそんなアイテムあったっけ……?! まさか……兄も……)

 

 予定が狂った以上に彼女のショックは大きかった。

 モモンの知らない情報であり、話からアイテムは即実行であり、彼が兄と対峙した時も逃げられる可能性が高い。

 それと、先日狭い資料室での兄との遭遇時に彼女が仕掛けていても討ち損じていたという事である。

 

(あの時、私は……また兄へ何も出来なかったってこと? ……クソったれっ、許さないっ……)

 

 クレマンティーヌの感情が怒りで爆発し掛けた。だが思い留まる。

 一時の感情如きで今、愛しのモモンとの約束と未来をフイにする事は愚かだと考えた。

 思い留まった僅かに震える体で呼吸を整えながら、状況を判断する。

 

 そして彼女が解答として出したのは――待機である。

 

 クレマンティーヌは今朝の日が昇る前、王都から来たというモモンと会っていた……。

 だが、そうして会うまでの下準備は案外面倒であった。

 まずは『深探見知』の周辺探知に関しての対応である。

 漆黒聖典の『深探見知』と言えども若く未熟さの残る人間である。彼女も休憩地で時々睡眠を取るのだ。そこに突破口を見つける。

 クレマンティーヌは忍び猫の如く行動し、この行軍の間に『深探見知』の呼吸を捉え、寝息を掴むことに成功する。

 『深探見知』の熟睡時間はおよそ1時間10分程。この間は流石に周辺探知されていない。

 次はモモンとの合流地点の決定だ。

 クレマンティーヌの小隊長の『神聖呪歌』は一見大人しそうで、実は勘の鋭い曲者であった。

 直接何度も質問することは、不審感を感じる点だとして気付かれる恐れがある。

 だから、それとは違うルートで情報を仕入れた。それは、普段から結構情報通の『時間乱流』へ、配給食の中からデザートを譲りつつ、行く先々のおおよその休憩地を前もって何気ない話の中から聞き出していた。

 それから割り出した密会位置情報を一昨日の夜中に、モモンからアイテムを通してきた連絡時に知らせる事で、彼との直接打ち合わせが可能になった。

 条件が揃ったことで今朝、休憩予定地から10キロ程離れた指定場所付近へ王都からモモンに脅威の身体能力で先回りしてもらい、暫く待っていてもらうことで大森林の中で再会していた。

 無論アインズは面倒であり、身体能力ではなく〈転移門(ゲート)〉を使っているが。

 密会の際に、二人はモモンの持参し広げた地図を見ながら20分ほどの打ち合わせをしている。

 もちろんその間、クレマンティーヌは彼へ可愛くスリスリしつつ、愛しのモモンから少し固い膝枕とナデナデをしてもらってだ……。

 これがあったから、先程の彼女のブチ切れが抑えられていたと言ってもいい。

 今朝の打ち合わせでは、その時居た休憩地の次の次、廃墟エ・アセナルの西方8キロへ回り込む位置で、漆黒聖典は総攻撃を開始するはずとモモンへ伝えてしまっている。

 次の休憩地までの到達時間は3時間先である。その休憩地にて最終の連絡があるはずだが、今は連絡の取りようがない。

 それに、隊長が居ないだけで、ほかの漆黒聖典のメンバーとカイレはここへ残る。なので現状、次の休憩地における予定状況からの差は、敵竜軍団の竜王と副官の上位指揮官級が残っているかいないかのはずだ。

 そこから竜軍団へ総攻撃を掛けるのなら、今は現状維持がベストだとクレマンティーヌは判断した――。

 

 

 右手に鋭い輝きを放つ槍を持つ『隊長』は、脱出用アイテムの所持を確認してきたクアイエッセへ回答したあと、まるでこれから安全な神官長室にでも赴く風に平然と告げた。

 

「不満や文句、詳しく聞きたい事はクアイエッセに任せた。では、私は少し行ってくる」

 

 彼の、〈飛行(フライ)〉の能力も併せ持つ最高峰に位置するという騎士風の衣装装備は、『隊長』を軽快に宙へと向かわせる。

 その空へ舞う凛々しい人類の誇る勇者の姿に、フードを被る老齢の第三席次の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が祈りのようで呪いのような言葉を捧げる。

 

「我らが人類の未来とこの勇者に栄光あれっ、亜種の怨敵は全て滅び去るのみっ!」

 

 それに続く隊員達。

 

「蜥蜴の親玉なんか一撃で軽く倒してくださいよーーっ!」

「人類の敵は、撃滅あるのみですからっ!」

「“隊長”、頑張れーーーーーッ!」

「竜共など……殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ――――」

「カクヤイカマラン、ザマラン。――敵将星落ちるべしっ!」

「絶対勝たんとあかんよ、“隊長”ーーっ」

 

 部下達の激励の声が届き僅かに口元を緩めると、『隊長』は右手に握る槍の如く高速で北側の空の彼方へ飛び去って行った。

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層にある統合管制室。

 現在ここでは、重要対策案件としてチームを組み、24時間体制で漆黒聖典戦車隊の動きを詳細に追跡している。

 この場の責任者で、黒い革張りの立派な席へ座るエクレア・エクレール・エイクレアーに、『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』を見ていた怪人から声が掛かる。

 

「エクレア様、至高の御方からの最優先目標の部隊で動きがありました」

「……どんなことですか?」

「部隊の指揮官と思われる者が、一人で北方向の空へと飛び去りました」

「行先はどこへ?」

「隣の席の者が、現在まだ追跡中です」

「分かりました。とりあえずセバス様……は出張中ですのでアルベド様へ報告してきます。厳重な監視を続けてください」

「はっ」

 

 エクレアは席を――立たず、横に立っていた怪人風の男性使用人の小脇に抱えられると管制室から退出する。その姿はイワトビペンギンのはく製が運ばれているようにしか見えない。

 彼は種族レベルがたったの1の鳥人(バードマン)であるため、スキルも魔法も持っていない。

 オマケに連絡には自分の足で進むより、運んでもらう方が早いという低スペックぶりであった。

 だが、セバスの配下で執事助手でもあり、理解力と判断力も高いため、アインズによりこの役職についている。

 アルベドの執務室へ通されると運んできた怪人風の使用人により、統括の座る机の前へと据え置かれる。

 そこでエクレアは一礼すると口を開いた。

 

「アルベド様、アインズ様から最優先目標とされている部隊『漆黒聖典』に動きがありました。どうやら指揮官が単独で北へと動き出した模様です。その行先はまだ追跡中です」

「……エクレア、管制室へ急ぎ戻りましょう。行先を確認してからアインズ様へは報告します。私も確認した方が良さそうですね」

「は、そうですか。では参りましょう」

 

 エクレアは飄々と答えた。

 そして再び、怪人風の男性使用人の小脇に抱えられて、アルベドの退出に続くべく待つ。

 アルベドは謀反を度々口にするエクレアを余り信用していない。

 主が指名したから使っているに過ぎないのだ。もし、報告に重大と認める問題があれば、直ちに更迭を支配者へ進言するつもりでいる。

 その為の自分の目による確認であった。

 アルベドは席を立つと、統括専用の執務室を後にし廊下を進み統合管制室へと入った。

 エクレアの座っていた席に座らず、立ったまま怪人のオペレーター達へ確認する。

 

「どう、漆黒聖典指揮官の行先は掴めたの?」

「現在依然飛行中ですが、直線的に進む移動経路がそのまま北側にある竜軍団の宿営地の方向へ向いています。速度からして到着まであと40分程かと」

「……分かりました。監視を継続しなさい」

「はっ」

 

 アルベドは迷わず、支配者へと〈伝言(メッセージ)〉を繋ぐ。

 

「あの……アインズ様、緊急の報告がございます」

『……アルベドか。どうした――』

 

 連絡を受けた時、モモンはクレマンティーヌとの約束をまず果たすべく行動ていた。

 これはズーラーノーンとの信用的な取引の一項目も兼ねており、片付けておきたい案件。

 護衛としてアウラとそのシモベ達5体、並びにフランチェスカを従え、エ・アセナル西方の山岳部麓に広がる森の中へ、漆黒聖典に先回りする形で潜伏中であった。

 勿論、王都のモモン役をパンドラズ・アクターと代わってだ。

 マーレの代わりだとして、モモンと手を其々繋いで頬を染めているアウラとフランチェスカは大いに張り切っている。

 冒険者チーム『漆黒』は今日、竜王国の件もあり朝一から大型馬車で連れに来たアインザック達や王都組合長と行動を共にしており、マーレもマーベロとしてモモン役のパンドラズ・アクターと共に行動しなければならなかった。

 昼前には解放される予定だとモモンはマーレより〈伝言〉で連絡を受けている。

 マーレもナザリック主力として参加する『至宝奪取作戦』の引き金である漆黒聖典の竜軍団への総攻撃は、午後2時頃を予想しており、その時チーム『漆黒』は昼食後に宿屋で休んで居るというアリバイを計画してある。

 

 モモンは、アウラから周辺に誰もいない事を確認済で、アルベドの声に耳を傾けていた。

 

「――何かあったのか?」

『はい。漆黒聖典の指揮官が、竜軍団の宿営地へと単身、〈飛行〉で向かっているとの事』

 

 アルベドは一応、残った漆黒聖典の部隊の構成や位置も細かく伝えた。

 

「(なんだとっ)……アルベドは、この行動をどう思う?」

 

 急に先手を取られた今の状況に内心(あわ)てつつもアインズは、広い考えの中から答えを拾うため、先にアルベドの考えを聞いた。

 その問いにナザリックのNPC統括は答える。

 

「はっ。スレイン法国の部隊戦力資料から、漆黒聖典隊員の総攻撃では、竜王や百竜長らの攻撃で隊員の多くが一撃で死ぬ可能性が高く、総攻撃に先立っての最強戦力“隊長”単体による敵の上位潰しと考えます。威力偵察の更に強行版かと」

「……(そういう目的の行動かなるほど)――流石はアルベド。私もそう踏んでいる」

「あぁぁ、ありがとうございます。それでアインズ様、いかがいたしましょう」

 

 アインズは『えっ?』と思った。しかし、最終対応を判断するのは絶対的支配者の自分であることをすぐに思い出す。

 アルベドは『至宝奪取作戦』の変更はないかと聞いているのだろう。

 ここで『どうすればいい?』とは聞けない。

 主は考えた。だが今、5分も10分も考える訳にはいかない。

 幸い『至宝奪取作戦』――『エィメン作戦』は最上位悪魔デミウルゴスにより漆黒聖典の部隊がカイレの傍へある程度残っている場合にも増員により対応可能な作戦となっている。

 ちなみに、トブの大森林侵攻作戦の呼称は『ハレルヤ作戦』、竜王国延命作戦は『ゴスペル作戦』である……。

 アインズは今作戦指揮者へと伝える。

 

「アルベドよ、作戦を前倒しで実行せよ。マーレにも緊急で連絡を取れ。あと変更手順はこうだ――」

 

 1分ほど指示を受けたアルベドは主へと謹んで答える。

 

『仰せのままに。それでは、作戦を開始いたします』

「うむ。私は並行して独自で動くが、全体の指揮は任せた。ではな」

『はい、アインズ様!』

 

 ナザリック地下大墳墓の誇る、強大すぎる戦力が徐々に動き始める。

 主力の一人、マーベロことマーレ・ベロ・フィオーレに連絡が入ったのはその直後だ。

 アルベドからの〈伝言〉で『作戦開始』の命令を受けたマーレは、即行動を開始する。

 その時、『漆黒』のマーベロは、アインザックら王都冒険者組合長達と王都内を大型馬車で移動中であった。

 しかし――モモンガさまから作戦開始が発せられた以上、何を放ってもである。

 

「す、すみません。僕、急用を思い出しましたっ。失礼します」

 

 そう告げると、走って揺れる馬車の中でモモン役のパンドラズ・アクターの隣席からスッと立ち上がると、側面の扉を開け放ち飛び降りる風に石畳の通りへ駆け出し、建物の脇道へとあっという間に消え去っていった……。

 同乗の皆が唖然とする中、落ち着いた偽モモンが「あの、マーベロは買い出しの忘れ物を見つけたみたいで……」と誤魔化す。幸い訪問先は回り終えていて、宿屋へ送られる途中であったためそれ以上の問題にはならなかった。

 

 マーレは、建物が犇めく脇道奥へと入ると周辺に人気の無いことを認識して〈転移〉でナザリックの地表部まで帰って来る。

 中央霊廟の正面出入り口前には、すでに作戦へ参加する戦力が集結していた。

 指揮官のアルベドを始め、マーレ旗下の8体の(ドラゴン)隊がすでに統括からの出撃準備命令を受け待機していた。平均でLv.80に迫りその内の2体はLv.90程にも達する。

 マーレはそれらを率い横に居るシャルティアが開いてくれた〈転移門〉によって出陣していく。

 それに続き、シャルティアも謎スライムのエヴァと吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達を連れてその門を潜って進む。

 最後にアルベドがデミウルゴスへ「しばらく守りを頼みます」と告げ、彼の秘策となる物体を抱え〈転移門〉の中へと消えた。

 出征する仲間を見送ったデミウルゴスとコキュートスが呟く。

 

「まあ、大丈夫でしょう。アインズ様の傍にアウラ達もいますし」

「ソウダナ。……シカシ、私モ早ク先陣デ剣ヲ存分ニ振ッテ戦イタイモノダ」

「竜の軍団と竜王国の件が終って少し先ぐらいでしょうかね」

「ムウ。マダヒト月近クモアルノカ」

「なあに、すぐですよ、すぐ」

 

 そう言ってデミウルゴスは、逸る武人のコキュートスを慰めた。

 

 

 

 アルベドが〈転移門〉を通った先は、漆黒聖典の戦車隊が留まる場所から15キロ程南西の位置に僅かに点在する森の中。

 集った戦力は、アルベドが単身で、シャルティアとマーレは配下を従えて整然としていた。

 作戦はすぐに実行へと移される。

 

「マーレ。(ドラゴン)達に例のアイテムを装備させ、命令を再伝達しなさい。私はこの者達に外見の〈上位幻術〉を掛けます」

「は、はい。じゃあみんな、まずこのステータスを誤魔化すアイテムを――」

 

 小柄で可愛いマーレからアイテムを受け取り彼女の明朗な説明に、個々で全長20メートル程ある巨体の(ドラゴン)達はコクコクと長い首で頷く。

 その後ろで、アルベドがスキルで1体1体に〈上位幻術〉を掛けていく。

 マーレは説明を終えると、「みんな、頑張ってね」と8体のうち既に幻術の掛かった4体を漆黒聖典の駐留場所へと送り出した。

 シャルティアも出撃準備を始める。一瞬で特別に強化のされた伝説級(レジェンド)アイテムの真っ赤である全力装備衣装を纏い、神器級(ゴッズ)アイテムのスポイトランスを握った。

 真祖の姫はあとの細かい事を、残る配下のエヴァに任せる。

 彼女の声はこれまでで一番真剣に聞こえたかもしれない。

 

「あとは頼んだでありんすよ」

「……(ハイ、オ任セクダサイ)」

 

 残りの(ドラゴン)達も〈上位幻術〉を掛けられ終わると、マーレの言葉で飛び去って行く。

 それを見送ったシャルティアもこの場より消えた。

 アルベドは、エヴァと吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達へ地面に転がしていた『例の物体』を指差し告げる。

 

「指定の場所で待機し、マーレからの〈伝言〉の指示に従ってコレを確実に届けなさい。そして、()()を絶対に忘れないこと。貴方達の役目は非常に重要です」

「……(ハイ、全テ心得テオリマス。デハ出マス)」

 

 アルベドとしては、機転がほぼ利かない吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)を率いるのが、結構短慮といえるシャルティアではないので幾分安心である。

 エヴァを先頭に吸血鬼の花嫁達6名が秘策の物体を抱えて出撃した。

 ここへ残ったのはアルベドとマーレである。だが、彼女達は『このケース』では待機で、出撃は状況次第だ。

 

「マーレ――状況はどうですか?」

 

 漆黒聖典が出撃して初めから標的である老婆の周りに居ない場合は、竜隊の陽動は使わずに彼女達二人が〈完全不可知化〉で出る計画であった。

 でも今回の状況では、マーレの広範囲の識別能力を全開で使ってもらう。

 デミウルゴスの立てた『至宝奪取作戦』の第一段階は陽動である。

 それも、三重に用意し執拗に実行する。

 まず4体の(ドラゴン)達の小隊を迂回させ、漆黒聖典の駐留場所へ北側から弧を描く形で偵察風にゆっくりと接近させ偶然の発見を装い攻撃させる。

 漆黒聖典側は『深探見知』により(ドラゴン)達の接近を事前に知るだろう。

 この時(ドラゴン)達は、偽装アイテムと幻術により煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の配下の竜にしか見えない。

 漆黒聖典の者達は攻撃に対して抵抗するはずで、其々が難度120程度に見える竜小隊に対して恐らく老婆の傍へ2名程を残し撃退戦に出るだろうとデミウルゴスは想定した。

 ――そして実際には。

 

「あ、あの漆黒聖典は、老婆の護衛に3名を残したみたいです。残った中に――“深探見知”はいません」

 

 アルベドは『よっしゃー』という思いから拳を握る。

 この陽動による最大の狙いは、老婆の傍からの『深探見知』の引き離しである。

 計画案として、漆黒聖典隊員へは均等に攻撃する事になっていた。

 可能なら厄介な眼鏡の彼女(深探見知)についてのみ半殺しにしたいところであるが、集中攻撃すると『なぜ知っている?』ということにも繋がるので出来ないのだ。

 この攻撃はナザリックと無関係で、あくまでも竜軍団によるものと見せかけるのが作戦の狙いの一つである。

 竜4体の小隊は、漆黒聖典からの攻撃を躱しつつ、至宝を纏う老婆から遠退きながら隊員達を引き付け上空で予定通り騒ぎ立てた。

 その騒ぐ様子に対し遠方より発見したとして、東方より接近する2体の竜達で2つ目の陽動を駐留場所付近へ仕掛ける。

 これにより戦車隊を止めた所から移動し、林の奥の開けた場所で待機する老婆の傍に漆黒聖典は居なくなっていた。

 隊員等は前方へと出て、定石通りにカイレを守るべく敵を引き付けていた。

 この段階でまだ漆黒聖典が残っていたとしても、残る2体が間もなく西方の空より攻撃に入る。

 これが3つ目の陽動。そして第二段階の暗殺へと移る。

 至宝を装備する老婆の護衛は、杖を握る陽光聖典の5名。カイレも含め、彼らは上空に現れ周囲を舞う竜に注目せざるを得ない。

 

 ――それがチェックメイトとなった。

 

 アルベドの声が〈伝言〉で、全力装備で待機中のシャルティアに届けられた。

 

『シャルティア、今よ。時間が無いわ、2分以内に終わらせなさい』

 

 マーレは、『深探見知』とカイレの距離をずっと測っていた。

 それは竜では無い()()()()()の存在を知られない為にだ。実行者は強力だが〈完全不可知化〉が使えなかったのである。

 余り時間は無かった。第二の陽動で引き離した漆黒聖典の3名がカイレの上空に現れた竜を見て急ぎ戻って来つつあった。

 だが、万全で待機していたシャルティアは不敵に笑いこう伝える。

 

「ふっ、10秒あれば、十分でありんす」

 

 返事の前に、シャルティアの〈完全不可知化〉が使えない『白き分身』はもう動き出していた。

 デミウルゴスの計画では〈完全不可知化〉も可能なシャルティア本人であったが、アインズがここだけは変更させた。

 穀倉地帯のまだ緑の風景の地上を風の様に抜け、1キロ程あった距離を『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』は神速で詰める。

 そして本体の彼女が最後の言葉「んす」を告げる頃には、長く伸ばした白く発光する右手5本の鉤爪が、カイレを円陣で守ろうと動き出したまだ一列に並ぶ陽光聖典の5名を、後方からまるで竜の爪で粗々しく引き裂かれた感じでバラバラの姿に変えていた。

 護衛の彼等は真実を何も見ないまま一瞬で絶命する……。

 

 その刹那の周囲の異変と雰囲気に、武人であるカイレが気付き振り向きかけた時、耳元で可愛らしい少女の声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 『――死ネ』と。

 

 

 

 それは幻聴だったかもしれないと、銀色地に金の糸で竜の刺繍の入った法国の至宝である衣装装備を纏うカイレは思った。

 その直後、自分の耳に入ってきたのが、己の苦痛に喘ぐ枯れかけた声であったから。

 

「あ゛……ぁぁぁ……」

 

 彼女の暗くなり始めた視界には、己の体を背中から心臓を突き抜けて光る血に染まった長く鋭い2本の爪が見えていた……。

 世界最高峰のアイテムを装備したカイレの視界は、間もなく暗転する。

 

 『至宝奪取作戦(エィメン作戦)』の最後は、第三段階の証拠隠滅である。

 至宝の装備者が絶命するとほぼ同時にこの地へ、エヴァと吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)らが現れた。

 そして、持ってきた秘策の物体――統合管制室の映像から至宝を模造した銀色の衣装を着た老女の死体を地面に置くと、『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』と吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)はカイレの死体を担いで退散する。

 残ったエヴァは、彼女らの足跡の痕跡を、竜の足形に変形した自身の身体を使って出来るだけ崩しておいた。

 そして〈完全不可知化〉しながら、エヴァ自身もこの場を静かに離れる。

 この間1分。

 最後の仕上げとして、上空にいた2体の(ドラゴン)が模造した目立つ血の付いた銀色の服を着た偽老婆の死体を掴んで飛び去ると同時に、この凄惨極まる現場へと〈火炎砲〉を多数打ち込んだ――。

 

 間もなく戻って来た漆黒聖典の3人は、木々や草が燃え盛る現場で、竜に連れ去られていくぐったりとした朱色にも見える服の老いた人物を見つめた。

 

 

 

 

 

 

「なっ、カイレ様ーーっ!」

「陽光聖典の護衛が全滅?!」

「なんだ、と……」

 

 戻って来た『神聖呪歌』達が目の前の惨状に叫ぶ。

 漆黒聖典の顔ぶれは『神聖呪歌』の他に『時間乱流』と大剣を握る第六席次である。

 

「くっ、時間を最大で巻戻して飛んでも状況が変わらないぜ。あたい一人じゃあの(ドラゴン)兵2体も倒せねぇし」

 

 『時間乱流』は生まれながらの異能(タレント)により、数分間なら『過去』に戻れる。また、例えば3分戻り、即2分未来にも行ける。ただし、1日のうちで計10分程しか戻れない。そして過去へ飛んだ時のみ未来に行け、過去へ戻った時間よりも多く未来には行けない。

 なお、飛ぶ前の記憶や位置、ステータスは引き継ぐので、足場が無かったり重傷を負った傷などはそのままである。

 なので、彼女がもっとも威力を発揮するのは過去にもたらす『最大10分先の未来の情報』である。

 だがこの場では活かせない。

 今、後方から追って上空に現れた竜兵に、漆黒聖典らの攻撃がほぼ通らなかったのだ。

 スプライトな螺旋模様のレイピアを持つ『時間乱流』は心で唸る。

 

(難度は120程度だって聞いたのに、鱗や体が硬すぎる。一体どうなってるんだ全くっ)

 

 『神聖呪歌』の第5位階神聖系魔法〈聖者の枷〉は相手の全ステータスを一時的に低下させる力があるはずだが、竜達は影響を感じさせない頑強さであった。

 第六席次の振るう大剣の一点への7連撃ですら、その強靭さに鱗を突破することが出来ていない。

 彼らはこの竜兵達が難度で200を軽く超えている事に気付けずにいた……。

 

 それは、『神聖呪歌』達だけではなかった。

 先に接触した、クアイエッセ達も広い草原や麦畑で戦線を展開後移動しつつ同様に戸惑っていた。

 

「どうなっているっ、魔法も打撃も殆ど効いていないぞ。本当にこいつらの難度は120程度なのかよっ」

 

 『人間最強』が珍しく遠距離攻撃用で大斧を握り、吠えるように不満を吐き出した。

 彼等8人は、上空の4体の竜へ射程の長い各種攻撃を順に繰り出しているのだが、多くが信じられない速度で回避された。強力であるはずの範囲魔法攻撃が当たった場合も一瞬効いた素振りは見せるが、俊敏な動きに変化が無かった。

 しかし『深探見知』の観測する難度は間違いなく120程度を指している。

 

(実質の難度って150ぐらいあるんじゃないの?! まさか……でも……)

 

 相手は全種族最強の(ドラゴン)。種類ごとの差もあるだろうし可能性は否定できない。

 眼鏡を右手中指で押し上げながら『深探見知』は苦し紛れに怒鳴る。

 

「そんなの(ドラゴン)に聞いてっ! 難度以上に強いって言われてるでしょ」

 

 仲間の混乱気味でのいら立ちに、セドランが大声を出し制す。

 

「難度を当てにするなという事だ。目の前にあるのが現実の全て。各個撃破しかない。皆の攻撃を1体に集中しろ」

 

 だがここで上空の(ドラゴン)4体の内、1体が離れていく。

 それに対して――クレマンティーヌが兄を誘う。

 

「兄上様っ、私達二人であの1体をまず血祭りに」

 

 副長である第五席次『一人師団』クアイエッセは一瞬考える。

 仲間が居て乱戦に変わった現状況では、ギガントバジリスクの軍団が使えないのだ。

 彼の主戦力は広域での包囲や蹂躙戦向きであった。

 ならば、ここは分かれた方が力を行使できると考えた。

 それと――妹から声を掛けてくれた事で、後で歩み寄れる多少の切っ掛けにもなるのではとの思いもあった。

 金髪の貴公子のクアイエッセが小隊長筆頭のセドランへ告げる。

 

「この状況では私の戦力が上手く使えません。セドラン、あなたを中心にこの場で3体の竜を足止めください。私と“妹”で、あの1体を片付けて来ますから」

 

 確かに、ギガントバジリスクの軍団が居ない今の漆黒聖典では戦力が万全とは言えないと、セドランも感じた。しかし『石化の視線』などがある以上、この場で彼の強い召喚モンスター群の投入は難しい。

 セドランは頷いた。

 

「よし、引き受けた。早く戻って来てくれ」

「わかりました。では頼みます」

 

 こうして、クアイエッセはクレマンティーヌと共に、1体だけで離れた竜を北西方向へと追い掛けた。

 兄クアイエッセの身体能力は、クレマンティーヌに殆ど負けていない。二人は人間離れした速さで地を駆け(ドラゴン)を追った。

 その(ドラゴン)は不思議な事に速度や高度を上げるなど全力で飛び去ろうとはしなかった。

 それが4分以上も続いた頃、前方を飛ぶ竜を見ていたクアイエッセは静かに眉を顰める。

 

「……(ん、竜が向かってこない? 何か気になります)……クレマンティーヌ、これは少しおかしくないかい?」

 

 すると、並走するクレマンティーヌが告げる。

 大口を開け大笑いしながら――。

 

 

「んはははっ、んふふふふっ。可笑しいよねーーっ。こんな簡単に兄上様が自ら――死地に飛び込んでくれるなんてねー」

 

 

 駆け続けるクアイエッセがゆっくりとクレマンティーヌの方へと顔を向けると、彼女の顔は最高に歪んだ笑いを浮かべていた。

 積年の恨みが報われて愛しの人とも結ばれるし、もう笑いが止まらないという感じだ。

 金髪の貴公子は余りの事に急停止する。

 この地を見渡すと広く麦畑がどこまでも広がっていた。視界の端に木々が集まる林が僅かにある程度。すでにセドランや『深探見知』からは十分離れた場所であった。

 クアイエッセは、妹へ人類の敵と戦闘中だという現状を考えて欲しいとの思いで語る。

 

「こんな時に、何を言っているんだい君は。“隊長”も命を賭けて戦いに赴いている今、人類が滅びるかも知れない敵なのに。兄妹で協力してあの竜を倒すんじゃないのかい?」

「だっさー。そんなのに私は全然興味ないからねー。アンタに興味があるのはー、苦しみ抜いての惨ったらしい死に様だけだからー。今日、見せてよねっ」

 

 妹の殺意漂う言葉に、クアイエッセの雰囲気が流石に変わった。

 

「…………私に、そんな酷い思いをずっと持っていたのかい?」

「ええ。この手でアンタを殺そうと努力してきたけれど、残念だわー。<超回避>、<能力向上>、<能力超向上>――殺せなくてねっ!」

 

 クレマンティーヌは、言葉とは裏腹で既に腰からスティレットを抜き去り二刀流で、クアイエッセへと襲い掛かっていった。

 <疾風走破>は兄妹で先程からもう互いに入っている。

 クアイエッセは、剣撃での勝負は分が悪いと、回避に専念し速やかに間合いを取る。

 そして、その間に召喚詠唱は終わっていた……。

 

 

「出でよ、我が軍団っ、ギガントバジリスクっ。ギガントバジリスク。ギガントバジリスク。ギガントバジリスクっ。ギガントバジリスクーーっ!!」

 

 

 広い周囲の空間にギガントバジリスクが1体ずつ現れ、一声ごとに増えていった。

 その数、実に5体。

 連呼するその声は、単に聴くとマヌケにも思えるが、現れたモンスターの強さが笑う事を許さない。

 体長は10メートル以上あり、蜥蜴に似た八本足で宝石風の固い角状のトサカを持つ巨体のモンスターだ。難度は83程度もある。

 この新世界の水準では、猛毒の体液や『石化の視線』を備えるギガントバジリスクは反則級の強さと言えるだろう。

 それを多数同時に操る彼は、伊達に『一人師団』と呼ばれていない。

 

「(ちっ、やはり厳しいか)……あらー、もう助っ人出しちゃうんだー、弱っ!」

 

 皮肉たっぷりの言葉を浴びせるクレマンティーヌが結構強気でいるのは、今の彼女の全力装備衣装である。

 外装の女騎士風の鎧は、軽装ではあるが聖遺物級(レリック)アイテムで一番厄介な石化等に耐え無効化してくれる。

 主武装の2本組のスティレットも伝説級(レジェンド)アイテムで、ギガントバジリスクの分厚い外皮も切り裂ける逸品だ。

 猛毒の体液も自慢の神速で躱せれば、ギガントバジリスクすら十分倒せるモンスターである。

 だが、それはあくまでも2対1程度での話だ。

 流石に兄も入れて6対1ではどうにもならない。クレマンティーヌの突進する足が止まった。

 それを見たクアイエッセが、疑問をぶつけてくる。

 

「――何故だい、クレマンティーヌ? 何故そんなに私を憎んでいるんだい。私が妹の君へ酷い事をしたかい? 私は何もしていないはずだよ」

 

 それへ、クレマンティーヌは歪んだ満面の笑顔で即答する。

 

「本当に――何もしなかったよねー、兄上様は。小さい時も、侍女任せにされた私が父様母様から注目されたくて、色々したけどスルーだもんねー。ずっと優秀で可愛がられてたアンタはそれを見て見ぬふり。学校でも社会でも常にトップで、ずっと目を掛けられていたから満足してるんだろうけどー。その偉いアンタに取り入ったり近付こうと、私に寄ってきて利用しようと持ち上げて可愛がって騙して捨てて裏切るバカの多い事多い事。ホーント、イヤになっちゃったわー。その時に何度も何度も何度も何度も随分酷い目にもあったけど、見ていたアンタは何もしなかった。知ってるんだよ私は。ろくでもない兄貴面だよねー。でー、腹いせにアンタや家の評判を落とそうと一杯ステキな悪戯をしてみたんだけどー、それほど効果ないみたいだしー。んふっ、気付いちゃった。アンタが居なくなれば、不満が早く綺麗さっぱり無くなるってねー。

 ――だから、オマエは早く死ね!」

 

 クレマンティーヌは、剣を握り凄い鬼の形相で仁王立ちのまま兄のクアイエッセを睨み付けた。

 彼女の視線には、凄まじい殺気だけが込められている。

 

 その妹の姿にクアイエッセが――満面の笑顔を浮かべる。

 彼は怒らない。

 

「素晴らしいね。苦悩に歪む表情もそそるけど、その殺意のある瞳や顔も可愛いよ。胸に響いてドキドキする。可哀想だけど妹の君には私を追い落とす力はないよ。だから――私の為に一生その苦悩を見せ続けて欲しい。ずっと楽しみに見ているからね。でも今、私はあの(ドラゴン)を倒さないといけない。少し忙しくてね。クレマンティーヌはこのギガントバジリスク達と遊んでいてくれるかい? 毒には気を付けるんだよ」

 

 優しい声の兄は――妹以上に平然と狂っていた。

 その事実だけがここに存在していた……。

 

 

 

「――――クズい兄貴だなぁ。まあ、気兼ねなく殺せるかな」

 

 

 

 その時にクインティア兄妹ではない声が空から聞こえた。

 勿論、モモンである。

 二人は条件反射的に声のした左方向を見上げる。

 その見慣れた漆黒の鎧姿へ、クレマンティーヌは思わずスティレットを握る左手を振り、愛の籠る黄色い声を上げた。

 

「キャー、モモンちゃーん。凄ーい、空飛べたんだねー。待ってたよー!」

 

 正に彼女の英雄(ヒーロー)が颯爽と、赤いマントを翻し空へと不可視化を解いて登場していた。

 当然、竜の動きについてはアウラが指示し、クレマンティーヌには「好機に兄を誘い出せ」とモモンからの『小さな彫刻像』を通した指示があった。

 モモンはゆっくりと、クレマンティーヌの隣へ降りて来る。

 彼女は子猫の様に、愛しのモモンへと寄り添い抱き付き、全身を絡めてスリスリした。

 兄の殺害は、二人の鮮烈な『共同作業』でもあるのだ。来てくれるだけで、一生モノの大きさの愛を感じてしまうクレマンティーヌであった。

 そのモモンに熱く縋り付く妹の表情を見て、兄クアイエッセの優しい表情が――怒りで激変した。

 クレマンティーヌの表情が、()()()()()頬を染める乙女の微笑みと言えるものに変わっていて我慢ならなかったのだ。

 

(なにぃぃーー、許せませんっ。クレマンティーヌの慢性苦悶の表情を奪う男などっ!)

 

 法国貴族クインティア家の嫡男クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが、顔を真っ赤にしてモモンを怒鳴りつける。

 

「おいっ、平民の冒険者っ。私の妹に幸福を与えるなど――――恥を知れっ!!」

「……は?(身の程じゃないのかな)」

 

 モモンには意味が分からない。いや、多くの者も分からないはずだと思いたい。

 クインティア家の嫡男との価値観の相違だろう。

 なお冒険者と呼んだのは、クアイエッセが法国内での妹の人間関係をほぼ掴んでおり、把握していないエ・ランテルに関わる者と思ってである。

 兄クアイエッセの怒りの喋りは止まらない。

 

「クレマンティーヌは同性も嫌いだが、男はもっと嫌いなはずなんだ。私が強くそう仕向けたのだからなっ」

 

 『お前、何もやってないって言ってなかったか』とツッコミたい思いを押し殺し、モモンは黙って聞き続ける。

 

「つまり、私を含めて男が傍に居るだけで、常に妹はイライラするはずなんだ。苦悩するはずなんだっ! お前が酷い男ならまだ許そう。妹は激しくイヤがり、そう簡単に夜の身体を許すまいっ。そして強引に身体の全てを奪ったとしても憎しみと恨みだけが残る。スバラシイっ。しかし、そのスリスリと抱き付いている今の状況はなんなんだっ。どうしてそうなった? 完全に私の妹が発情しているじゃありませんかっ! どうしてくれるんですっ! 望んだ子供が出来ちゃったりしたらどう責任を取ってくれるんですか! 私のメロリアが凄い幸せを掴んじゃうじゃないですかっ!! 朗らかで歪みの無い幸福な笑顔しか見られなくなるなんて―――兄の私には耐えられない……」

「…………(あの、ちょっともう何言ってるか分からないんですけど?)」

「……兄上様最低ーっ」

 

 妹の殺気の籠る視線とキツい罵倒で、我を取り戻すクアイエッセ。

 

「……クレマンティーヌ、お前はその男に騙されているんだ。幸せなんて――寒い幻想なんだよ。必ず壊れてしまうから。この優しい兄を信じないのかい?」

「モモンちゃんは、温かいし絶対に私を騙したりなんかしないっ。ねーっ、モモンちゃん!」

「(ぐっ)勿論かな……」

 

 漆黒の兜のスリットから覗くモモンの視線は、クレマンティーヌから右下へ外れていた。

 純粋に響くクレマンティーヌの愛の言葉は、モモンの心に言知れぬ何かを激しく突き刺していく……。

 兄の言葉の方が、偶然にも現状に限りなく近い事を語っていたのは皮肉でしかないだろう。

 

(真実を知った時に、クレマンティーヌの心が壊れなければいいけどなぁ……)

 

 モモンは近付きつつある彼女への告白の時を考え、淡々とそう思った。

 だがクレマンティーヌとの約束を実行する時は今。このゲスい兄は殺害有るのみである。

 対象が配下の身内という事だが、支配者に『躊躇(ためら)い』という考えは清々しいほど微塵もない。

 モモンは縋り付く子猫の彼女へと問う。

 

「もう別れの挨拶はいいかな?」

「うん。いいよー。なるべく(むご)たらしくお願いねー」

 

 期待一杯の言葉を後に、クレマンティーヌはモモンから10メートル以上大きく下がった。愛しい彼の邪魔にならないようにと。

 

「(惨くと言う部分は、余り気が進まないんだけど)まあ、頑張ってみるよ」

 

 振り向かず、漆黒の戦士は右手を軽く上げて答え、金髪の貴公子とギガントバジリスク達に対して足を踏み出し歩きだす。

 怯む事の無いそんな漆黒の戦士の様子に、クアイエッセは怪訝に思う表情を浮かべた。

 

(この平民の冒険者、ギガントバジリスクが、石になることが怖くないのかい? そんなはずはない)

 

 中々立派である黒い全身鎧を付け、大きな剣を背負う巨躯の男ではある。

 だが、ギガントバジリスクは強い。多少の武芸や力自慢の人間などの比ではないのだ。

 3階建ての石造りの大きい屋敷ですら一撃で薙ぎ払い粉砕する尻尾もある。

 クアイエッセは、近付いて来るモモンを見詰め、思考のあとに呟く。

 

「……(〈飛行(フライ)〉を使えても、“石化の視線”に耐久(レジスト)出来ても、猛毒を体内中に秘めるギガントバジリスクはそう簡単には倒せないのです。思い知って下さい己の無力に。妹へ幸福を運んで来た事を後悔してですよ)……よろしい。愚か者には死をあげましょう」

 

 その言葉と同時に、クアイエッセはギガントバジリスクを操る。

 モモンに対して一番遠い右端のギガントバジリスクが、まず『石化の視線』でモモンを睨み付けた。

 しかし、漆黒の剣士の歩みは全く変わらず止まらない。

 クアイエッセへと一歩また一歩と近付いてくる。

 金髪の貴公子は、その様子に変わらず口元へ優しく微笑みを浮かべながら伝える。

 

「“石化の視線”を本当に耐えましたか……。では全員で――掛かりなさい!」

 

 そう言って、優雅に右腕を軽く振り下ろす動作でモモンを指し示した。

 クアイエッセの両脇から5体のギガントバジリスクが、我先にと漆黒の戦士へと殺到していく。

 その様子に、漸くモモンは右腕でグレートソードを1本抜き放つ。

 

(魔法で〈溺死(ドラウンド)〉を使えれば、汚れずに殺せて楽なんだけど。まあいいか)

 

 勿論、既に〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉は発動している。モモンに取ってギガントバジリスクなど、もうザコモンスターでしかない。

 漆黒の戦士は近寄って来た順に、ギガントバジリスクの1メートル以上ある太い首を一剛撃ごとに落としていった。

 猛毒である体液が首の切断面から周囲へ雨のように降り注ぐがモモンは止まらない。

 5体の『処理』に掛けた所要時間は合わせても15秒程。

 当然、首を落とされたギガントバジリスクは、その場で痙攣しつつ崩れ落ち即死していた。

 

「こ、この短時間で、全て一撃で軍団撃破だと……、低難度のゴブリン達などとは違うんだぞっ。そ、そんな、馬鹿な……」

 

 目の前で起こった圧巻劇の光景に、クアイエッセは自然と震えを覚えつつ追加召喚するために続けて叫ぶ。

 

「ギガントバジリスク、ギガントバジリスク、ギガントバジリスクっ! ――掛かれーっ、殺せー!」

 

 呼び出されてすぐ、ギガントバジリスク達は素早く突撃していくも、モモンにより確実に彼らのその太い首が、捉えきれず躱せない圧倒的速度の一撃ごとに切り飛ばされていった……。

 クアイエッセの召喚の呼び声は8体を出しすべて殺されたところで終わってしまう。

 彼の指にはめている10個の指輪の内、8つから光が失われていた。

 

「…………あってはいけない、こんな事が……。妹の歪んだ笑顔が……」

 

 今、僅かに震え立つクアイエッセの5メートル程前には、猛毒の体液を鎧に浴び平然とグレートソードを持つモモンが静かに立っていた。

 『平民の冒険者』が改めて告げる。

 

「次はお前が死ぬ番だけど、いいよな?」

 

 クアイエッセはビクリとするも、自分が殺されるなんてことは起こらない事だと思い出す。

 

「ははは。やりますね、平民の冒険者。でも残念でした、私は死にません。出でよ――クリムゾンオウル、クリムゾンオウルっ。この平民の足止めを命じるっ」

 

 金髪の貴公子の召喚に、全長3メートルはある赤く巨大な(ふくろう)のモンスターが二体、翼を広げ戦士との間へ割り込むように姿を現した。

 そうしてクアイエッセはニヤリと優しく笑い、ローブ系の衣装の腰に隠し持っていたアイテムに触れ声を上げた。

 

「〈脱出〉っ―――」

 

 そう叫ぶと同時に、クレマンティーヌの兄の姿がこの場より消滅した。

 

 

 

 

 クアイエッセは、今現れた場所の周囲を見回す。

 幸い廃墟エ・アセナル南方に広がる穀倉地帯のどこからしい。

 使用した緊急脱出アイテムは〈転移〉に近いが、出現位置は地上というだけで場所や距離を選べない。単に危険地帯からの離脱なのだ。

 そのため出口が、池や川、火口、モンスターの住処という場所もありえる。

 ただ、3キロから5キロ程度という距離は分かっているので、安全な広い場所での使用なら概ね問題はない。

 安全を確認した金髪の彼は、ホッとしながら片膝を突くと寸前まで対峙していた鎧の怪人を思い出す。

 

「なんなんですか、アレは……。まるで“隊長”のような強さではないですか」

 

 ギガントバジリスクを一撃で倒せるのは、漆黒聖典でも数名に限られている。

 更に短時間で8体連続ともなれば、『隊長』と『絶死絶命』しかいないのだ。

 苦悶する姿が愛しい妹の件があり、はらわたが煮えくり返るが、あの強さは一人で戦うには危険過ぎた。

 最後に召喚したクリムゾンオウル達もやられた様で、視界下の10個の指輪全てから輝きが失われている。もう召喚出来る駒を使い切ってしまった。

 今逃げ失せても一時しのぎに過ぎないだろう。

 

「これは……どうすればいいのでしょう……。そ、そうです、まず隊員達と合流して時間を稼ぎ、“隊長”をヤツに――」

 

 独り言のように呟いた。

 その考えは、竜のことなどもはや後回しである。人類の存亡の話は、もう思考の端へと追いやられていた。彼は、紛れもなくクレマンティーヌの兄なのだ。

 しかしそんな彼へと―――すぐ後ろから返事が返って来た……。

 

「いやいやさせないから。何を言っているのかな? 処刑劇はまだ続いてるし」

「そうそう。きゃはっ、無様ー。面白ーい。精々足掻きを楽しませてよねー、あ、に、う、え、さ、まっ」

 

 目を見開いたまま、クアイエッセの首がゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには、クレマンティーヌをお姫様抱っこした『平民冒険者』が立っていた。

 妹は腕を戦士の首へと回し、ウットリ幸せそうに歪みの無い表情で漆黒の兜の頬に愛しくスリスリしている。

 クアイエッセにとって、二つの最悪が目の前にあった。

 先の場で兄の消滅した直後、モモンは完全不可知化したアウラから〈洗浄(クリーニング)〉を受け、猛毒の体液の痕跡はすでにない。

 脱出アイテムについても、クレマンティーヌから聞いており対応済である。

 この場所は、周辺域へ配置していたアウラのシモベ達30体からの情報で即時に判明していた。

 

「ど、どうしてこの場所を……」

「まず場所が近すぎかな(まあ遠くても、ニグレドが居るから逃がさないけどな)」

 

 振り向き見上げて来る片膝を突いた苦い表情の貴公子に、もう逃げ場は何処にもないのである……。

 そんな彼の目の前へと、笑顔の妹から一本のスティレットが放られた。

 

「ねぇ、アンタ。最後ぐらい少しは闘ってみせてよねー。このままじゃつまんないしー、んふっ」

 

 モモンの圧倒的強さをその身で味わってほしいと、クレマンティーヌの欲望丸出しのダメ押しが入る。

 だが、この剣が最高峰のアイテムだと知っているクアイエッセは右手に取った。

 

「(この剣なら、並みの鎧は全て貫通出来るのですっ。舐めないで欲しい、私の妹よ。私は剣も一流ですからね。君の目の前で、この恥を知らない平民の冒険者の心の臓を貫いてあげましょう。だから、絶望と怨念の溢れ出す最高に可愛い君の歪んだ表情を、さぁ私に見せてごらん)……では、勝負を。 ――<超回避>、<能力向上>、<能力超向上>っ」

 

 妹の恨みで歪む熱い顔を想像して冷静さを取り戻した彼女の兄は、立ち上がると騎士らしく身体を横に右肩を前に出し、右肘を曲げスティレットの剣先を天へと向け、膝と手首を反応良く揺らし闘いの構えを取った。

 モモンは、抱き上げていたクレマンティーヌを優しく下ろすと、彼女は無言で数歩戦士から後退した。

 クレマンティーヌはその歪み切った笑顔で強くモモンへと願う。

 

(むご)くだよっ、惨く。ぐちゃぐちゃに酷くもねーっ)

 

 クアイエッセの構えに、彼の妹からの激しく熱い視線を受けるモモンも、右手で背負うグレートソードを引き抜き、両手で正眼に構えた。

 その瞬間に、仕掛けたのはクアイエッセである。

 彼女の兄らしく猫のように、素早いジグザグの動きでモモンの右側斜め前方から回り込んで迫って来た。

 モモンは、そちらへ体を素早く振る。

 その一瞬先――なんとクアイエッセの身体は、モモンの左側間近へと現れる。武技〈縮地〉である。

 金髪の貴公子の狙いは平民冒険者の『心臓』なのだ。右側への振りはあくまでも陽動的動きに過ぎないのであった。

 

(――取りました!)

 

 スティレットの鋭利な剣先が漆黒の鎧胸部へと近付き、表面へ接しようとした刹那。

 クアイエッセは、確かに目の前の戦士の兜から漏れてきた呟きを聞く。

 

 

「――ふぅ。(のろ)いなぁ」

 

 

 次の瞬間、クアイエッセは何が起こったのかよく分からなかった。

 麦穂を巻き込んで畑の地べたを10メートル以上転がり止まる。うつ伏せの彼は直ぐに立ち上がろうとした。

 

 しかし立てない、そしてもう――何も握れない。

 

 クアイエッセは気が付く。自分の身体には、もはや両肘から先と両膝下から先が無い事に……。

 そして彼は見る。クレマンティーヌが、貸していた己のスティレットを拾い上げ、それを握っていた兄の右腕を解くとその血の滴る兄の掌で、自分の右頬を優しく撫でながら嬉しそうな笑顔を受かべている姿を。

 

「兄上様、ヘボっ、弱っ。あ、ゴメーン。モモンちゃんが強すぎたんだよねー? もう一回する?」

 

 出来ないと、不可能な事だと分かっての歪んだ満面の笑顔で告げてくる。

 でも、クアイエッセは妹のそんな歪んだ笑顔にも――――満足していた。

 

(ああ……最期に……魅力的な可愛い妹の顔が見れて良かった…………)

 

 クレマンティーヌはそれから数分、倒れている兄の近くに立ち、歪んだ笑顔で見下(みくだ)しながら散々兄を挑発するも、うつ伏せのまま顔を上げるクアイエッセはそれをただ優しい笑顔でずっと黙って見詰めていた。

 

 

 

「これでいいのかな?」

「うん。ありがとーモモンちゃん……。人生の願いが“一つ”叶ったよ」

 

 目を見開いたままのクアイエッセは満足した笑顔を浮かべ、二人の足元で血を流し切り絶命していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒聖典の『隊長』は、〈飛行(フライ)〉としては随分早いスピードを維持したまま真っ直ぐ飛行を続け、廃墟都市エ・アセナル上空で警戒網を引く竜達の空域へ突入した後も、最後に猛加速し只まっしぐらに――――竜兵の1体へ槍ごと突き刺さっていった。

 そのまま『隊長』は腕にパワーを込め、槍が竜兵の心臓を抉るように貫く。

 衝撃波が突き抜けるように背中側の強固であるはずの鱗とその破片が、剛筋肉片が、竜血が空へ花びらが散るように舞った。

 

「ガッ……」

 

 槍を引き抜かれた竜兵は、そのまま地獄へでも堕ちるように真っ逆さまに空の舞台から沈んでいった。

 

「まずは、1体」

 

 長髪を靡かせ、凛々しい青年の表情を見せる『隊長』の口調は淡々としていた。

 この様子を見て、周辺を飛ぶ竜兵達が火炎や牙で猛烈に侵入者へと襲い掛かる。

 しかし、『隊長』はその続く竜兵4体を次々と一撃で確実に頭や心臓を潰し屠っていく。

 都市上空周辺の直掩には10体の竜兵がいたが、1分程度で半分の5体が撃破されていた。

 この時の『隊長』のレベルは75オーバー程度で全然本気ではない。

 空という得意舞台で、その小さき者から圧倒的な戦闘力を披露された光景に、直掩隊を率いていた十竜長が思わず叫ぶ。

 

「な、なんだ、この化け物はっ!?」

 

 全空の雄、(ドラゴン)の指揮官をしてそう言わせていた……。

 そんな竜兵を率いる彼へ、後方の空から大声を掛けてくる者があった。

 

「狼狽えるなっ。何事だっ!」

「こ、これはアーガード様! それが、あの者から急に強襲されまして……」

「馬鹿者、弛んでいるぞっ。我々(ドラゴン)が空で先手を取られてどうするっ!」

 

 百竜長筆頭のアーガードは、目の前に居る者をしっかりと竜眼で捉えると驚く。

 

「……む、あの大きさに姿、あれは人間か。(ぬう、先程来た和平の使者は陽動だったのか?)……それにしても」

 

 その者の周囲に漂わせる力を感じさせる波動が、竜王の水準に似て感じられたのだ。

 咄嗟に呟く。

 

「お前達は直ぐに下がれ。私でも……何分持つか。はぁぁぁぁ」

「ひぃぃー」

 

 百竜長の激しい気迫に十竜長が気押され離れて行く。

 百竜長筆頭のアーガードが、久しぶりで本気になっていた。

 彼は竜軍団のNo.2である。難度は実に180。

 軍団でも筋骨隆々としたその鍛えられた体は、一目でわかる存在感があった。

 しかし。

 

 アーガードは、小さき者を眼前にして感じた猛烈に受ける『圧力』に―――敗北を悟った。

 

 互いに名乗らず戦いは始まる。

 正直、その小さき者の放った素早い一撃目はアーガードに見えなかった。今まで鍛えてきた本能が躱させたというべきだろう。

 右眼にめり込んだ物体の感覚に全力で首を左側へ振り、脳への到達を防いだにすぎない。

 その直後に胸部への強烈な蹴りを受け、「ぐっ」と一瞬呼吸が止まる。20メートル程のアーガードの剛筋肉の巨体が後方へと飛ばされていた。

 完全に力負けを感じさせる攻撃であった。

 

「ぐぅう……」

 

 アーガードは大翼を羽ばたかせて、体勢を立て直す。

 すでに潰れた右目の視界分が暗転していた。小さき者は、容赦なく死角へと入って近付いて来る。

 

「〈炎の吐息(フレイムブレス)〉ーーっ!」

 

 苦し紛れに百竜長が強火力の火炎砲を放つも、小さすぎる的にあっさりと躱され、それは一気に接近してくる。

 アーガードは鉤爪の左前足で殴りつけようとしたが、それは槍で軽く弾かれる。

 その直後、胸部の一点に強く鋭い衝撃を受けた。もはや痛みを通り越え只熱いという感覚。

 またそれが、胸部から背中まで体内で続いていた。

 すぐにアーガードは理解した。小さき者の槍の攻撃が、右胸から背中までをすでに貫通しているのだと――。

 

「がはっ……」

 

 槍を握る人間の攻撃は止まらなかった。

 目の前の竜にまだ飛ぶ力が残っていると判断し、間髪容れず死角側へ回ると右の大翼を切り落としていた。

 切断面の直径は2メートル以上あるはずだ。

 鋼鉄以上の強度を誇る剛筋肉の塊と剛骨格部分を容易に断っていた。並みの人間の筋力では絶対に不可能である。

 もはや飛ぶこと(あた)わず、アーガードは300メートル以上落下し地上へと落ちた。

 地表への激突でも、指揮官級の竜ならそうそう死なない。それほど彼等は頑丈なのだ。

 その百竜長が、小さき人間からこれほどのダメージを受けていた。

 

「こ……この者……強すぎる……ゴフっ」

 

 アーガードは、長い首を持ち上げたが口の先から血が噴き出した。

 

 

 

 

「な、なんだ、これは……」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは、探知範囲外にも拘らず、突然大きい攻撃的力を廃虚都市上空に感じた。

 こんなことは相当の実力者が接近しないと起こらない。

 体調が悪いとか、気の所為だとか、そういったものとは明らかに違うので間違えにくい。

 もう波動がハッキリ顔に当たってくる程の感覚で、その力の存在が漏れて伝わって来ていた。

 

(これは、竜兵達が危ねぇ……)

 

 迷うことなく、竜王は宿営地を飛び立つと、廃墟都市上空を目指す。

 すると、廃墟都市上空で警戒していたはずの、小隊がこちらへ向かって飛んで来た。

 

「竜王様っ」

「警備はどうしたんだ?」

「お叱りは後で。人間らしき化け物が1体現れて、仲間が5体やられましたっ。今、アーガード様がっ」

「おのれ……。――っ、分かったぜっ! お前達は、ドルビオラへ知らせ、宿営地にて総軍で臨戦待機してろ」

「えっ、援軍は?」

 

 ゼザリオルグは、十竜長から視線を外し、前方の廃墟都市の上空を鋭く見つめた。

 

「……ここまで寄ればハッキリ分かる。お前達じゃ幾ら居ても勝てねぇよ。死者が増えるだけだ。俺が殺して来てやるから後方で大人しくしてろ。いいな」

「は、はいっ」

 

 そう告げると、煉獄の竜王は敵の居る空域へと向かって大きく羽ばたき全速で突進して行った。

 十竜長達は皆、長い首を下げ勇ましい竜王(ドラゴンロード)を見送ると宿営地へ知らせに急いだ。

 

 

 

 上空の『隊長』は、這いつくばる百竜長を見下ろす。

 

「まだ、生きているのか。しぶといな。(とど)めだ……」

 

 地面に向かい必殺の槍攻撃を仕掛けるその瞬間、今まで経験したことが無い巨大で強力な炎の柱が真っ直ぐに迫ってきた。

 『隊長』は、自身の纏う世界でも最高峰の騎士風の衣装装備に信用を置いている。

 その中に火炎や耐熱にも優れているという機能があると知っていながらも――この火柱は本能が避けさせた。

 躱している間に、その強大である火炎を撃った竜王が現れ、地上の配下の生存を確認していた。

 『隊長』はその間の時間を竜王の強さの確認に使う。

 探知能力では無く、直感による相手の強さの把握である。強者との戦いでは重要だ。

 

「(ふっ。これはあの娘みたいに、でたらめな水準ですね)でも――」

 

 『隊長』が愚痴に近い言葉を小声て呟いた直後、部下生存の確認が取れたのか竜王がこちらへとその長い首を回して睨み付けてきた。

 そして、仲間が傷ついたり死んだ怒りがあるのだろう、殺意伝わる表情で冷静ながらも感情の爆発した言葉をぶつけてくる。

 

「……人間種如きが図に乗るなよ?」

 

 こちらも、攻撃態勢は万全だ。

 

「(流石に竜王、隙が無い……。他とは桁違いに手強い)……人類に仇なす者は、ただ倒すのみ」

 

 すでに先日、人類側は数十万人を失った。

 この戦いにはもう余計な言葉などいらない。竜軍団を殲滅する戦いのみが使命として残されているのだ――。

 漆黒聖典『隊長』は本気モードの武技を発動する。

 

「〈不落要塞〉〈回避〉〈超回避〉〈能力向上〉〈能力超向上〉っ!」

 

 彼が今展開する武技を用いた臨戦状態でこれまでに勝てなかったのは、番外席次の『絶死絶命』だけである。

 人類の敵は、守り手である漆黒聖典の『隊長』としてこれまで全て討ち果たしてきた。

 今日この時も、それが変わることはない。

 

 

 『10分後』の勝者は自分である――。

 

 

 神人の彼はそう強く心に決めると、先手を取るべく戦闘を開始した。

 両手で握るその槍と同化するように、竜王へと正面から突撃していく。

 だがここで、『隊長』は驚く。

 竜王が――火炎砲を今度は連発で撃ってきたのだ。

 

「〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉っ、〈全力火炎砲〉、〈全力火炎砲〉ーーっ!」

 

 先程初手で見せた巨大に迫る火炎の柱の連撃である。

 流石に直撃ではダメージを受けると判断し、『隊長』は竜王の右下側へと回り込みながら大きく空中でジグザグに躱す。

 敵の動きに竜王は、首を器用に角度調節し、正確に狙いを定めた砲撃となっていた。

 

「くっ」

 

 それでも、『隊長』の飛行加速力の方が(まさ)った。

 火炎砲を躱して火炎の横をすり抜け、竜王後方の死角へ迫り回り込む。

 巨体の竜王ではどうしても、自分の身体に当たるというそういった角度が出来てしまうのだ。

 巨体の竜の場合、特に尻尾でも攻撃しにくい尻尾の根元周りが弱点になり易い。

 隊長は、竜王の右横を抜けて小さく急旋回し、まだ油断の有った竜王の旋回速度を上回って一瞬の隙を突き回り込むと、背中の真ん中へ槍の一撃を放った。

 キンと耳へ響く、恐ろしく高い音色の金属音といってよい音が戻って来た。

 『隊長』の槍が跳ね返されたのだ。

 

(これは硬いっ)

 

 攻撃時間が僅かしか無く、体勢も悪く、力の溜めも出来ないため跳ね返されていた。

 そうしていると、竜王はあっという間に体勢を整え間合いを取り正面へ対峙したと思うと、再び先程の強大で狙いすました火炎砲を放ってくる。

 巨体の割に空中での俊敏さも流石と言わざるを得ない。

 『隊長』も俊敏に反応して再び竜王の側面へ回り込み、不規則でジグザグに躱す。直線的に躱せば、正確な射撃を見せる竜王に撃墜されかねない。

 この戦い、アウトレンジは明確に、火力が強大で命中率の高い竜王側の分があり過ぎる。

 『隊長』にはインファイトしかない。竜王の巨体へと張り付いた接近戦有るのみだ。

 再び両者が空中で互いに右側へと回り込み合い、ぐるぐると回る状態での戦いに進展する。

 その中で、『隊長』は竜王へと肉薄すべく徐々に間合いを詰めていく。

 だが、竜王は首を器用に調整して、この遠心加速が掛かる中で、火炎砲を撃ってきた。

 もはや狭い範囲で回っており、『隊長』は大きく躱せずギリギリで躱していく。

 そして火炎砲を撃ったことで、僅かに旋回力が落ちた竜王へと逆襲的に肉薄した。

 『隊長』が今度狙ったのは胴体ではなく――翼だ。

 片方を奪い地上へ落とせば随分優位になるはずであるし、落とせなくとも翼を傷めれば少なくとも旋回力は落ちると考えた。

 この状況は千載一遇と言える。『隊長』は渾身の速度とパワーを槍の攻撃へと注ぎ込んだ。

 

 その神速の槍の一撃を――竜王は電光石火の動きで前足を背中側へと伸ばし、強靭に生えたその爪で挟み取るっ。

 

 竜王が口を開いた。口の開き方から何気なくニヤついている様に見える。

 

「そう簡単にやらせるかよ、人間っ」

「……(なんて奴だ)」

 

 その反応速度と器用さに驚く。『隊長』の握る槍のサイズは竜王のサイズからすれば爪楊枝程度の大きさだ。

 竜の前足はそれほど長い物ではないが、翼の付け根付近なら十分届く。

 また、長い首は背中側をしっかりと見る事も出来るのだ。

 掴まれた槍を通して、『隊長』は竜王の剛筋肉が生み出す恐るべきハイパワーを改めて感じていた。

 

 ――それはビクとも動かない……。

 

 流石は全種族最強と言われるだけの身体能力である。

 『隊長』は少し追い詰められ始めている。

 今の彼の身体能力は武技を重ね掛けしての状態である。すなわち体力や持久力的には限界があるのだ。

 すでに7分ほどが経過している。

 

(……これは10分では勝負がつかないか)

 

 武技が使えなくなるまで体力を消耗すれば勝ち目はないだろう。

 だが、10分で限界が来るわけではない。メリハリは付けているので、スタミナ的にはまだ30分は戦える。

 それに『隊長』は――まだ余力を残していた。

 使い処は悩むが、常に試してみたいとは考えている一手だ。

 

 

 『絶死絶命』との模擬戦でも使った事は無いのだから。

 

 

 

(……とりあえず素早く槍を引き抜いて離れないと、近距離で火炎を食らってしまう。それに、生死の掛かる実戦で出し惜しみをしても仕方がない。――使うか)

 

 武技との合わせ技なので、多用すると体力の消耗が激しい最後の『秘蔵技』だ。

 

 

 

「行くぞ、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)……

 ――スキル(奥義)発動、〈上限超越・全能力強化(オーバー・フルポテンシャル)〉っ!」

 

 

 

 体が淡い光に包まれグンと総合力の上がった『隊長』は、竜王の恐るべきハイパワーで掴まれていた槍を、力で引き抜いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ガゼフ参上(惨状かもしれない……)

 

 

 

 竜軍団との対決迫る王都のロ・レンテ城でその準備に忙しい王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。

 彼はゴウン氏を自邸に招き伴侶について相談して以来、氏の配下であるユリ・アルファとの親交を深める為に食事へ誘う機会を窺っている。

 ゴウン氏の滞在する部屋へ行き、ユリを呼び出して告げれば話は早いのだが、彼は城内で彼女との『偶然』の出会いを待っていた……。

 武骨である彼だが、少しロマンチストでもある。

 

「ふう……、今日も運命の出会いはなかったか」

 

 昨日の国王の書簡を持って行った日もそのあと終日機会はなく、屯所の固いベッドでまた朝を迎えた。

 戦士長自身は、自分の配下の王国戦士騎馬隊の城外での部隊訓練他、全国から王都に到着し始めた各都市の冒険者遠征隊との会合や折衝で、王城に居る時間が徐々に短くなってきている。そして生死を掛けた戦い自体も迫って来ていた。

 運の勝負は明日までだと決めている。明後日になったら直接部屋へ会いに行くしかないと。

 今日は、本物のアインズがナザリック地下大墳墓の自室に籠り、幻影の改良に勤しんでいた日の午前中のこと――。

 

 その運命の出会いの機会がついに訪れた。

 

 ユリは、ベッドの替えのシーツを幾枚も積み、運搬用のワゴンを使い運んでいた。

 ヴァランシア宮殿各階の階段傍にワゴン置き場があり、階段だけはシーツを抱えて運ばなければいけないがそれ以外の通路の運搬は比較的楽である。

 使用人の子達は、何度かに分けてシーツを運ぶ。

 下級と言えども皆、貴族の家の娘達である。余り重いものを持ってはイケナイのだ。

 名家の令嬢の嗜みである。だが、男は別だ。

 ガゼフは、ワゴンを押すユリの姿を見つける。ここは宮殿の2階であった。

 

(あれは、ユリ殿! ……ゴウン殿の滞在部屋は3階だ。これは運び上げるのを手伝って会話も出来る絶好の機会っ)

 

 そう思って階段脇にワゴンが止まったタイミングで、ユリへ声を掛けようとしたガゼフ。

 

 しかし彼はその直後――異様なモノを見た。

 

 それは、ワゴンが階段前で止まることなく、斜めに滑るようにユリと共に階段を昇っていく姿であった。

 いや――正確には、取っ手を握った状態で、ワゴンを斜め上に傾かせて持ち上げているのだ。下から手で持ち上げている訳ではない。

 

 

 それは腕力と握力のみで実現されていた……。

 

 

 

(え゛……?)

 

 その様子に唖然とし、声を掛けるのを忘れてガゼフは数秒その異様な光景に見入っていた。

 シーツも枚数があればそれなりに重いが、金属部もある木製のワゴンの方が断然重い。

 合わせた重量は30キロを優に超えるはずだ。

 ガゼフは考える。

 

(俺の自慢の握力でも、同じことが出来るだろうか……?)

 

 単に持ち上げるのは全然問題ない。しかし手前の取っ手では力点的にワゴン本体の重さに負けて下へ滑るはずなのだ。

 すぐさま階段傍のワゴン置き場の1台を引き出し、ガゼフは試してみた。

 出来た。

 

「おおっ! (――い、いやそういう問題ではないっ)」

 

 ガゼフはワゴンを急ぎ仕舞うと、階段を駆け登りユリへと追いつく。今はパワー勝負がしたい訳ではなかった。ただ、ユリが怪腕持ちだと言う事が少し意外に思っただけだ。

 確かに彼女は上背の有る女性ではある。

 それに――あのゴウン氏の配下。強者であっても納得できる。

 しかし少し『か弱く』あっても欲しい。ガゼフとしては男として守ってあげたいのだ。

 そんな考えの浮かぶ思考を、頭を振って追い払うと、彼は煌びやかな廊下でワゴンを押して優雅に進むユリへと声を掛けた。

 

「ユリ・アルファ殿」

「これは、ストロノーフ様」

 

 振り返った彼女の眼鏡の似合う美しい表情に、ガゼフは思わず心トキメく。

 正直出来れば「ガゼフ」と名を呼んでほしいが、それは後の楽しみに取っておこうと戦士長は考えながら、本題に入った。

 ここまで来て尻ごむ事は男として出来ない。はっきりと告げる。

 

「あの、実はユリ・アルファ殿と少しお話ししたい事がありまして。今度、食事の席でもと」

「まあ……」

 

 善良の心を持つユリは考える。

 本来相手がナザリック部外の男なら、大貴族など関係なく断固断るところである。

 しかしこの相手は――例外的で、アインズ様にとってのお客人級の人物である。すでに準保護対象でもあった。

 優しい彼女は、彼を無下には出来ないという気持ちが起こる。

 これが、ルプスレギナ辺りだと一計を案じそうだが……。

 それにユリは、彼のいう話の内容も気になった。もしかすると、アインズ様のお喜びになる話かもしれないと。

 なので、こう答える。

 

「――分かりました、仕事が有りますので長い時間は取れませんけど」

「で、では……(いきなり夕食はマズいか。明日と明後日の昼は城外の仕事があるな。……なら)……3日後の昼食では?」

 

 

「……はい。その日の昼食を楽しみにしていますわ。……今日もこれからアインズ様に御用ですか?」

 

 

 ユリは今、部屋に居るのが代役のナーベラルという事もあり戦士長へ確認した。

 だが戦士長は、首を横にピクピクと振り、声を絞り出す。

 

「い、いや……………………」

「そうですか。では、失礼します」

 

 そう言ってユリは笑顔を浮かべ僅かに礼をすると、ワゴンを押して廊下の奥へと立ち去った。

 

 

 ガゼフは――そこからの記憶が30分ほどなかった。

 単に嬉しすぎたのだ。

 歓喜が爆発して脳にダメージを与えるなど聞いたことも無いが、有るのかもしれない……。

 後で使用人達の噂で流れた話によると、嘘か本当か彼は宮殿の3階から階段を横になった状態で1階まで転がって来たと言う……そして平然と立ち上がると元気にスキップをして立ち去ったそうだ。

 

 

 

 アインズがナザリックから王城の宮殿に帰って来たのは昼過ぎであった。

 延べ19時間と、思いのほか幻影の体と〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉の調整に時間が掛かったが、現状で鎧が脱げないという問題はひとつ減っていた。

 少し気が楽になったアインズである。

 その彼がいつもの一人掛けのソファーに座り、寛ぎながらユリ達から『訪問者も無く、特に大きな動きは無い』と報告を受ける。勿論ツアレは丁度、隣の家事室でお茶セットの片付けをしているところだ。

 不在時の報告は、いつもの確認程度に留まり終ったかに思えた。

 ソリュシャンやルベド達がアインズの座るソファーから散開し、いつもの立ち位置や仕事に戻る。

 だがこの時、ユリだけがまだ支配者の傍へ残り、小声で一つの報告を行う。

 

「あの、本日午前11時過ぎの事ですが、ストロノーフ様から少しお話ししたい事があるとして――3日後の昼食の誘いを受けたのですが?」

「ん? 先程、今日はここまで訪問者はないと聞いたように思うが?」

「この話は、3階の階段から近い廊下で戦士長様より声を掛けられた時のものです」

「……何の話だろう。分かった、時間を調整して――」

 

 ここで、ユリは御方自身が戦士長に誘われたと勘違いしている事に気付き、小声のまま告げる。

 

「――あのお待ちください、アインズ様。昼食の誘いを受けたのは――『私』なのですが」

「――――えっ?」

 

 その驚きの声を発しながら、仮面の下で口を開けたままの主は連想する。

 『戦士長』に始まり、『ユリ』、『昼食の誘い』、『眼鏡美人が好き』、『配下の者について他家の者との婚姻』、『条件次第』、そして時折ここで見せたユリへの視線……。

 結果、総合的に『戦士長』は『ユリ』が『好き』と気が付く。

 

(……そういう事か!)

 

 今のガゼフの現状を端的で明確に表現するとこうである。

 

 

 

 ――アインズ(絶対的支配者)にバレた。

 

 

 

 戦士長の恋の修羅道が今、本当に始まっていた……。

 

 

 

 

 

 話を聞いたアインズは、ユリに「あの者の話を聞いてくるといい」とだけ伝える。

 彼は仮面下で眼窩(がんか)の紅い光点を消すとその思いを頭へと浮かべた。

 

(……彼の相談へ真剣に応じると決めていたし、出会いや恋愛については本人達でなければ分からないからなぁ。――ただ戦士長殿、道を間違えると貴方でも容赦はしませんので)

 

 再び頭蓋の眼窩(がんか)へ紅い輝きを灯した支配者は、今は黙ってこの恋の行方を見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. それはツアレの気のせい

 

 

「ツアレよ。カップからテーブルへ少しお茶がこぼれてしまった。拭き取りを頼む」

「畏まりました、アインズ様」

 

 ロ・レンテ城のヴァランシア宮殿3階のいつもの宿泊部屋。

 昼食後のお茶会(ティータイム)の際に、アインズが一般メイド服にも慣れてきたツアレへと指示する。

 すると、彼女はテキパキとアインズの座る手前のテーブル上の水滴を上達した所作で丁寧に拭う。そして一礼し下がった。

 ちなみに、貴重であるためご褒美として舌で舐め取るというのは、この場において適切ではない。それは単なる下品なプレイに見えてしまうから。

 『至高の御方から直々に命じられた御用』に対し、お茶会の席へ着きながらも主人のメイドとして控えるユリにシズ、ソリュシャンから羨望の眼差しの視線がツアレの作業の終わるまで付いて回った。(ルベドも一応見てはいる)

 ツアレには、その気持ちが良く理解出来る。

 なぜなら、命令を受けたツアレは――胸の奥が温かくとても幸せで嬉しいからだ。

 

(今日もご主人様から優しく名を読んで頂けて、お役に立つことが出来た。……まだ夜の閨へ呼ばれた事のないのが少し残念。呼んで頂ければ色々と……ハッ、はしたない。……でも……)

 

 奥の家事室で手拭きを軽く濯ぎながら、その身を左右へとよじり、昼間から時折あれこれ桃色のイケナイことを考えつつ、純な想いで頬を赤く染めるツアレであった。

 ドキドキが心地よく、毎日が概ね平和で幸せである。

 最近、物騒事として竜の軍団侵攻の話が聞かれ、お強いと聞く魔法詠唱者(マジック・キャスター)ご主人(アインズ)様の元を有名な王国戦士長や、大貴族からと思われる外からの使者などまでが訪れキナ臭い雰囲気。

 でもツアレは終始落ち着いている。

 それはもう、アインズ様へ黙って付いて行くと腹をくくっているからだ。

 例え、魔法や弓矢に血しぶきが飛び交う戦場のど真ん中であったとしても。

 ツアレにとっては、すでに生涯付き従う唯一無二のご主人様なのである。

 竜の軍団が相手という戦いは、恐らく凡人に想像すら出来ない厳しいものになるだろう。当然、じきにこの王国の全土は人間の死で溢れかえるはずだ。

 それが迫る現状況にもなぜか、ご主人様は未だ悠然とこの王城に滞在し続けている。

 ならば、ご主人様のメイドであるツアレがここを動くことはない。

 メイドの死に場所は主人の傍であるべきだ――と、それはユリからの大事な教えの一つ。

 

 確かにその通りであるっ。

 

 そんなツアレだが、時折ふと思う。

 

(気のせいかもしれないけれど……ううん。きっとそう)

 

 それは――。

 

「ツ~……おい、これより少し室外へ出るが私の服装でどこかおかしい所は無いか?」

「はい、アインズ様。大丈夫です、問題ございません」

 

「ッぁ……――おい、今日はこちらの道の先にある中庭を回るぞ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 と、いう感じで、名前を呼ばれない『時』があるのだ。

 

 

 

 ――偉大なるアインズ様に限り、断じて頑張っている感や不自然さはない。

 

 

 

 一介のメイド風情が主の『噛ンだ発言』を一々気にしてはならないのだ。

 だが。

 数時間にわたりそんな『噛ンだ発言』の多い状況が、日をおいて何度かあったように思えた。

 特に――先日はほぼ丸一日だった気がする。

 

(ご主人様……やはり一日中、名前を呼んで頂けないのは流石に長く寂しいです。次は――「私の名前を今、呼んで頂けませんか」とお願いしますね)

 

 愛と忠誠心溢れるツアレは、アインズ様の『影武者』(ナーベラル)にそんなムチャ振りといえる『とんでもなく最悪の願望』を心に抱いてしまっていた。

 そして、早くも『その時』は訪れる……。

 

 

 

 

 アインズが『至宝奪取作戦』に絡むクアイエッセ暗殺の為、潜伏途中の事である。

 もちろん王城内に残るのは、替え玉である『偽アインズ』のナーベラルだ。

 あの王城内の緊急戦略会議の場での失態もあったが、あれから今日まで卵顔の戦闘メイドはミスらしいものはなく影武者のアインズを適宜演じてきた。

 例の『伝言ゲーム』での伝達ミスは不問にされている。

 あのあとナザリックからの指示を伝えて来たのが、同様に不問となった統括のアルベド直々であったため、一連の内容に関して特に改めての説明や指摘されることはなかった。

 

『妃関連の件の話は、私達の間で当面話題にすることを禁じます。そのようにアインズ様からの通達がありました。浮き立つことなく、栄光のナザリックのため、中期計画を早く確実に軌道へ乗せ実現することが先だ、との理由です。よいですか、つまり――作戦に失敗は許されませんっ。早く、早く、(敵を)はりーあっぷデス(DEATH)っ―――』

 

 ナザリックの為なのか、口調へ過分に危機迫るものがあった。

 そのため――ナーベラルやユリらは『伝言ゲーム』での伝達ミスにそもそも気が付いていない……。

 しかし。

 

(確かに、大いなる愛を頂き他家との婚姻が完全否定された当然の事象に浮かれている場合ではない。アインズ様へ挺身し同時にナザリックへ更なる貢献を果たさなくては)

 

 ナーベラルも毎日、至高の御方の傍に影として控え、こうして今のように替え玉を務めさせていただいている事だけでも名誉で過分な事である。

 加えて偶にだが、人間のメイドが場を外している時などに、そっと撫でを貰ったり、優しい愛の視線を向けられたり、小声で「代わりとしてナーベラルがいてくれて随分助かっている」とのお褒めの言葉に身体が熱くなり喜びに震えてしまう。

 この宮殿内の宿泊部屋は、幸せな時間が流れている場所と言えた。

 

(アインズ様に……この熱い身体を冷ましていただければと思わない日はないけど……)

 

 今、シズとツアレを伴いながら宮殿内の結構手入れのゆき届いた緑の多い庭園の散歩をし、足を止めてその景色を眺めつつ、いつもの様に仮面を付けた替え玉アインズのナーベラルは、そんな不埒なことを考えていた。

 だが、『……こんな事ではいけない。役目をしっかり果たさねば』と再び歩き出そうとした時に、足元に広がる石床から少しだけ浮いていた部分に躓く。

 ほんの僅かにツアレ側へ身体のバランスを崩した。それにツアレが身体を寄せて支えようとする。

 勿論、偽アインズのナーベラルが倒れるという事は無い。反応速度の最速点が違うのだから。例え体が85度まで倒れ切ってからも、地面に自由落下で体が到達するまでに余裕で体勢を立て直せる程だ。

 

「大丈夫ですか、アインズ様?」

 

 二人の身長差から、主を見上げ優しく微笑むツアレ。

 綺麗である金色の髪が、庭園を通り抜けて吹く柔らかい風で流れるように揺れている。

 人間にしては均整の取れた肢体を持ち、メイド服も当然それなりに似合っていた。

 

「――ッァー、大丈夫だ」

 

 ナーベラルは、ナザリックに保護されすでにアインズの傍近くで尽す姿を間近で見ているこの目の前の人間の名前を、知識内からわざわざ汲み上げようとした。

 

 しかし――明確には出てこなかった。

 

 意識面によるものか、制限によるものなのか……何故だかナーベラルにも原因は分からない。

 下等生物の一個体の名前など本来どうでもよいのだが、最近共に仕えている『人間』だという認識があり、名で呼んでやろうとしたのだが出来なかった。

 ただ、そのことでナーベラル・ガンマがこれ以上深く考える事はない。

 なにせ彼女の属性であるカルマ値は実にマイナス400。

 至高の御方や守護者達相手か姉妹達ならばともかく、邪悪に染まる普段の彼女は悪びれることなどないのだから。

 ところが、ツアレ側は違った。

 『その時』が来たのだ。

 

「アインズ様」

「ん?」

「あの……今、私の名前を呼んでいただけませんか?」

「――!!」

 

 ナーベラルは即、これはマズイと思った。

 『アインズ様』として、ここは気軽でかつスムーズに答える必要がある。しかし、一気に追い詰められたナーベラルの視線が仮面の中で泳ぎまくる。

 咄嗟に助けを求めるべく、期待値最大で傍にいるシズへと一瞬視線を送る。

 すると……。

 

 コクコク。

 

 ダメだった……。淡い桃色の長い髪を揺らし無言で可愛く頷くシズ・デルタはナーベラルの視線の意味を「呼んでいいのか」と単純に判断したようだ。

 ここは『……どうした……ツ●●?』とさり気なく単語として知らせて欲しいところであった。

 『アインズ様』がすでにご存知なメイドの名を、普段の質問で教えてもらう訳にはいかない。

 つまり、この物静かに居る場所で、双方が言葉を口にする〈伝言(メッセージ)〉も使用不可。

 周りに他の姉妹達は居らず、自身の使える第8位階魔法まででは時間も止められない。

 

(困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った――どうすればぁぁぁぁぁ――――)

 

 愛するアインズ様には『ツアレにもバレないように、な』と告げられている。

 

(これは断固死守すべきと。……いっそのこと、この人間をサツガイして隠してしまえばバレることは永遠にないけれど――)

 

 一瞬そう思うナーベラルであったが、ここで保護対象者を消す訳にもいかずだ。

 彼女の思考視野は狭くなっていた。第10位階魔法を収めた巻物(スクロール)も所持していたりするのだが。

 ナーベラルはこうして狭い思考の袋小路で悩んでいたが、アインズとしては当初から軽い気持ちの『訓練も兼ねて、敵を騙すにはまず味方から~』という思いに過ぎなかった。なので、絶対的支配者としてはバレても大したことでは無いのだが、それが中々周りへ伝わるはずもない。

 ツアレの発言から早くも1秒程度が過ぎた。

 不自然さを最小限で留める為にナーベラルはこれ以上引き延ばせず、完全に苦し紛れでツアレへと言葉を返す。

 

「……なぜ……だ?」

 

 唐突の申し出には疑問があって当然。

 ツアレもそう判断し、愛しいご主人様へその考えを素直に伝える。

 

「はい。あの、今日はまだ―――私の名を呼んで頂いていないので……」

 

 メイド服のお腹辺りで両手をモジモジさせつつ、恥ずかしさで視線を時折下へ落とすツアレの顔が真っ赤になる。

 やはり愛しい方から名を呼んで貰えることは特別な事なのだ。

 その気持ちはナーベラルにもよく理解出来た。

 御方から己の名を呼ばれただけで身体が熱くなってしまう時がよくある。特に日が落ちてからなどは妙に大きく期待を込めて……。

 そんな想いもあり、ナーベラルにはこの人間の考えが良く理解出来た。

 同時に反比例する形で『替え玉アインズ』として、この人間の名前を呼ぶことを否定しにくい感じとなる。

 だから、思わず答えてしまった。

 

「そうか……。なら、仕方ないな」

 

 なぜ『仕方ない』などと言ってしまったのか不明だ。

 もうナーベラル自身が、一体どうすればよいのか分からない。

 偽アインズは『ええい、ままよ』と勢いのみで口を開き早口で人間のメイドへ告げた。

 

 

 

「――ツかKE」

 

 

 

「――――ぇ?」

 

 客観的にどう聞いても「つかけ」であった。

 発音は3つと「ツ」だけは何となく『音』として記憶から出て来るので合っているはずだが、期待に胸いっぱいで待っていた目の前の人間の女の表情が固まったのを見て、ナーベラルは慌てて言いつくろう。

 

「あぁ、少し――噛ンでしまった」

「ぁ、ああそうですか。大丈夫です私、待ちます。もう一度お願いします」

 

 ナーベラルとしては、待たなくていいし、心から「リトライするな」と言いたい。

 しかし、場の空気はそうもいかず、笑顔で気を取り直した人間のメイドが替え玉のご主人様へ優しく微笑む。

 もう言い間違いは出来ない。完全に追い詰められたナーベラル。

 しかし、やることは先程と同じである。

 

(もう、バァッと勢いで乗り切るのみっ)

 

 告げると同時に、「そろそろ戻るぞ!」と断固トボけることを決めた。

 そうしてついにナーベラルが口を開いて告げる瞬間――。

 

 

 

 ツアレは目の前に立つ、立派で似合っている魔法装備のいで立ちの、優しく愛しいご主人様から発せられた言葉をしっかりと聞いた。

 

 

「―――ツアレ」

 

 

 確かにいつもの重々しい声で彼女の名前が呼ばれていた。

 名を呼ばれたツアレは『今日も一日幸せです』と満足し、満面の笑みを浮かべて臣下としてお礼を伝える。

 

「……アインズ様、わざわざありがとうございます」

「いや――お安い御用だ。では、そろそろ部屋へ戻ろうか」

「はい」

「……了解」

 

 ナーベラル扮する『偽アインズ』は宮殿内の庭園での散歩を終わり、シズとツアレを連れてこの場を後にする。

 途中で城の兵達らや内務の貴族達とすれ違うも、会釈をして外出の任を無事に終えようとしていた。

 そんな戦闘メイドの彼女を救ったのは、そう――。

 

(ふー、助かったわ。ソリュシャン)

 

 ナーベラルが最後に口を開いた瞬間に、彼女の思考へと接続を知らせる電子音がなり、見知った声が流れて来たのだ。

 〈伝言(メッセージ)〉を繋げて来たのはもちろん妹のソリュシャン・イプシロンである。

 

『全部聞いていたから大丈夫ですわ。音を聞いているだけでしたからいつ割り込もうかと思って。じゃあ部屋で会いましょう』

 

 ソリュシャンはマスターアサシンの職業で、この場のやり取りも終始盗聴していた。

 そしてあの時、『ナーベラル、次に伝える三つの音を続けて言いなさい。ツ、ア、レ――』と、伝えて来たのだ。

 ソリュシャンは、その時にナーベラルへ『人間の名前』として知らせると上手く伝わらないことを良く知っており、的確な形で指示していた。

 だが、ソリュシャンもナーベラルと同じ、カルマ値は邪悪でマイナス400。

 少しだけナーベラルの土俵際の様子をニヤニヤして見ていたりいなかったり。

 

 

 

 こうして、『ツアレの気のせい』は無事に確定した。

 

 

 




参考)時系列
28 和平使者出る ガゼフ相談 ニニャ告白 アルベド女子会 ルトラー婚姻話 ラナーと結託
29 夜中クレマンと会話 緊急会議 ルトラー縁談 王割譲承認 夜中風呂ラナーVSルトラー
30 アインズ幻影改良済 ガゼフバレた 昼そのガゼフから冒険者数等情報有 夜ニニャとエ・リットルで再会
31 大臣が約定持参 ルトラー面会の要望 遠征王都到着 第二回深夜会談
32 ニニャとデート (屋敷から王城へ帰還) ガゼフへ第二報告 『漆黒』の実力の検証 王都組合長と面会 人間捕虜餞別完了
33 竜王国へ延命軍 (地方組合と面会) 和平の使者 至宝奪取作戦 隊長と竜王の戦い ガゼフ昼食
34 冒険者点呼日(7日後)

冒頭の話が『アルベド女子会』
ナザリックが転移してひと月は経過。



捏造)漆黒聖典達の特技・性格設定
『時間乱流』といっても、もの凄いことは出来ないと考えて、これぐらいが妥当かなと。
触れている複数人も同時に、という設定はナシで。情報通なのもこれが出来る事が大きい。
クアイエッセも兄妹仲良く…。




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