オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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STAGE37. 支配者失望する/竜王国ニテ/姉妹ト主ト(11)

 リ・エスティーゼ王国に(さきがけ)る形で、滅亡の足音が割と近くから軽快に聞こえ始めた人類国家。

 ――竜王国。

 

 黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)である女王ドラウディロン・オーリウクルスが治めるこの国は、長年の間、東側に接するビーストマンの国から不定期で越境侵略を受け続けてきた。

 女王は竜王の血を引くが基本体形と能力は人間。僅かに自爆技(じばくわざ)的で使用不可に近い巨大爆発を起こす『始原の魔法』と老若の形態を自在に操る身体を持つが、通常戦闘においては概ね一人の弱者に過ぎない。先代辺りからビーストマンの国に舐められている一つの要因でもある。初代王で曾祖父の七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)がいればこの事態は避けられたであろうが。

 今や8分の1に薄まった血を反映するのか、七彩の一色も維持出来ていない……竜王のカラーは黒だ。

 竜王国の(あるじ)の能力低下を反映するように先々代、先代と受ける攻撃の回数と規模が段階的に拡大を示した。

 ただ数年前まで、ビーストマン軍の侵入規模は大軍でなく、多くても数百名の大隊程度までが殆どと記録されている。

 小規模のビーストマンの兵団は、自国北西部の山岳部を踏破し竜王国国内の各地へと神出鬼没であった。柵や塀で備える村々が突如襲われ、幾つかは攻撃に耐え切れず陥落し、都市からの冒険者を組み込んだ掃討軍が到着する前に、村民は資源や食料代わりも兼ねた人間狩りでほぼ全て姿を消した。

 一方で竜王国の掃討軍も、ビーストマンの軍をなんとか追撃し多くで国外へと撤退させている。とはいえ連れ去られた者達を、生きて再び取り戻すのは難しく、救出生還の割合は10分の1もなかった。

 また近年も三度、東方の山岳地と平地から連隊規模で3000名程を擁したビーストマン兵団に広範囲で侵入される事態となったが、かろうじて隣国であるスレイン法国やバハルス帝国からの援軍を借りて撃退に成功している。

 そんな終わり無き闘いがこの国では、100年を超えて延々と繰り返されてきた……。

 

 しかし――。

 

 夏へ向けてのここ1カ月半に渡るビーストマンの国からの継続侵攻は、戦略と規模がこれまでと明らかに違っていた。

 彼等の侵攻は当初から平野伝いに粛々と、連隊を上回る兵数6000程の旅団規模を3つ繰り出し、遂に二週間ほど前からは万を超える大規模な数師団もが参戦。今やその総兵力は四将軍が5万を率いる軍団規模まで拡大していた……。

 ビーストマンは、ライオンや虎などの猛獣が二足歩行している形の肉食亜人種の連中だ。体躯と体力面から人類よりも個々で圧倒的に強い。その難度差は10倍程度ともいわれている。

 自前の毛皮に、分厚く武骨な鎧や兜を装備する将軍達ともなれば難度で60程度はあった。

 ビーストマンの国の侵攻開始序盤は、竜王国軍側も冒険者達を前面に立て散発的ながら平地で応戦し、局地戦でいくつも勝利していた。

 しかし、万に届く師団規模を投入されると状況は一変する。

 敵の個の力と数が掛け合わさった圧倒的軍事力に対して、野戦は確実に不利とみた竜王国各都市守備隊はやむなく籠城戦を選択する。

 竜王国には小都市規模の首都『竜王都』の他に、東方へ3つの小都市が在った。

 それらは、東に隣接するビーストマンの国への防波堤も兼ねている。各都市は予想される国境からの侵攻面である南東平野部に対し、その途中の正面へ壁の如く8キロ程の間隔で3つ並べ阻止する位置に置かれた。

 また各都市は非常に堅固な城塞として設計建築されている。川から引いた水源を兼ねる幅のある深い堀に、跳ね上げ式の橋。加えて引き込み入り組んだ城門と高く分厚い二重の城壁。弩弓などの各種兵装に石造りの櫓も各所に備え、周囲の住民などが避難出来るキャパシティーも有していた。

 竜王国の北と北東側には山岳地帯が広がっており、ビーストマンの国が大軍で攻めるには、東方の平地を遮る都市群を落とし進むしかない。

 なぜなら竜王都までの街道途中の要所にも砦が幾つか並び、山越えの大隊程度の少数では流石に打ち破るのは難しいからだ。

 あと東のビーストマン達はその本能的習性から、仲間を囮にする戦法は殆ど使わない。

 彼等の国の指揮官達はそうやって昇進してきていた。

 山岳越えがあるとすれば、それは主力ということだが、この戦略展開からしてまず無い。

 今回の場合、敵はこちらの三都市の連携を防ぐため数と力で同時に攻め、弱い都市から叩く。

 狩りと同じである。

 逆に言えば、三つの都市が同等の防衛力ならどこかに集中されることはない。

 竜王国の上層部は、90年程も前にこのような渾身の守りの一手を打っていた。

 だが、2週間前からの大増援を加えたビーストマン側の予想以上の攻撃は、この三つの都市の対応能力を超えようとしていた。

 その為に各都市は竜王国首都へ再三の援軍要請を送ってきている。

 要請を受けた女王や宰相と側近達は、ひと月程前に三都市に対しアダマンタイト級冒険者セラブレイト率いるチーム『クリスタルティア』を始め、精強な冒険者チーム群40余組と兵15000の援軍を送る。その後、半月程前に冒険者チーム群10余組と兵9000を送った。

 それで――手は尽きていた。

 竜王国の()()()()()()軍司令部は5日程前に前線へ以下の書簡内容を通達する。

 

 『竜王都の守備を空には出来ない。これ以上首都周辺の守りを割いての増援は厳しい。スレイン法国からの援軍が来るまで、補充には都市内の一般住民達を臨時の兵として徴兵し極力使え』と……。

 

 返事を引き延ばされており当てのない隣国の援軍情報を伝えるのみ。非情である。

 

 そんなジリ貧の続く日々の今夕程に8日ぶりで、長い薄緑色髪の若く美しき王女ザクソラディオネが()()でソワソワしながら隣国から王城へと戻って来た。

 今日も前線を思うと陰鬱である姉の女王ドラウディロンは、夜を迎え天井のシャンデリアへ明かりの灯り出した王宮の一室で装飾の施された椅子へと掛ける。

 女王の姿は、豊満な胸や肌へもまだまだ張りを見せる本来の容姿端麗である大人の姿に戻っていた。歳は40代へ乗ってしまったが、見た目は20代後半だ。

 ドラウディロンは、頭冠を付けた宰相も傍へ立つ中、国民色漂う薄絹もある踊子風の衣装を身に付けた妹から早速報告を受ける。

 

「姉上、朗報です! リ・エスティーゼ王国東方の大都市、エ・ランテルの精強な冒険者達の援軍が4週間程で来るかもしれません。いえ、必ず来ますっ(()()()()()()なら……きっと)」

「……そうか。良くやった」

 

 姉のドラウディロンは、ひとまずザクソラディオネを(ねぎら)う。

 どうやら予算が無かったにもかかわらず、何とか話は上手く纏まったようである。

 一方で、埃を被ってはいるが妹の身形や表情への乱れはない。また予想よりも数日は早い帰還である。()()()使()()()()()()()()をも覚悟し送り出していたため、少し気になり尋ねた。

 

「その……費用交渉は大丈夫であったか?」

 

 いずれは確認の必要がある重要事項といえた。彼女はその為の人身御供なのだから。

 すると妹の王女はにっこりと答える。

 

「報酬は後払いという事になっています。ビーストマン達を早く追い返せば戦費分が浮き、それで払えるだろうと」

「そ、そうか。確かに早期に撃退出来れば戦費分を報酬に回しても構わない。……うむ。よく纏めたな、我が妹よ」

 

 姉は漸くホッと息を吐く。妹の身も大事であるが、今回は多くの民と国の存亡が掛かっている。

 現在最重要なのは、援軍の派遣の約束を取り付ける事だ。王族娘の操ではない。

 女王は己自身すらもすでに覚悟している。この戦争が終った時にあの変態アダマンタイト級冒険者への莫大な報酬を全額払えない場合だ。奴からは極秘ながら、代わりとなる褒美の選択肢に『十を超える幾晩もの奉仕』も組み込まれての提示があったのだ……。ヤツはコレしか選ばないはず。

 世継ぎすら生まれるかもしれないが、最早背に腹は代えられないっ。

 王族の者として、国家や人民の犠牲になるのは――もはや職務の一つ。

 でも妹は今、やたらニコニコしていた。幸せそうですらある。

 決して楽しい旅ではなかったはずだ。現に出発時は泣きそうにしていたのだから。

 それはそうだろう。他国の中で初めて会う腹の出た少し臭いオッサン達に乙女を散らされ、夜毎弄ばれる事も覚悟しての旅立ちであったのだ。

 そんな妹に何があったのか。

 

「……ザクソリー、旅先で他に何か良い事でも?」

「えっ?」

「先程から笑顔が絶えぬが? 確かに援軍契約の大任を果たした喜びはあろう。だが、それとは質の違う表情に思うてな」

 

 仲良き家族であるから、その表情が読み取れるのだ。

 そうでなければ、こんな苦行の如き交渉役を妹も承諾するはずがない。

 姉に尋ねられたザクソラディオネは、エ・ランテルでの事を話し始めた。

 だが妹の話を聞き冒頭より、ドラウディロンは背もたれから身を起こし驚きの声を上げる。

 

「なにぃ!? リ・エスティーゼ王国北西国境から竜の大軍団が侵攻して来ているだと?」

 

 彼女と絶句し口が半開きの宰相は、催促をしてもスレイン法国が今動かない原因を聞いたように思えた。以前から竜軍団の動きを掴んでいたのかもしれないと。

 かの大国は、人間第一主義と人類国家の守護を国是に掲げている。

 現在も近隣の亜人種を淘汰する為に、確か南の森妖精(エルフ)の国とも戦争を継続していたはずである。

 それでは流石にこちらまで戦力を回す余裕は無いと思えた。

 

(くっ。 最悪この本格的な戦いを、自力でなんとかしなければならんのか……。すでに守備兵の残りは5万程しかなくこの都市は……いや、国自体が限界なのだぞ。この身で何とかなるなら、どこへでも喜んで差し出すが……)

 

 状況は竜王国にとって『最終戦争』の水準に届いていた。

 竜王都に残っている冒険者も精鋭チームは(ゴールド)級を中心に10組余り。他の100組弱は(アイアン)級以下のチーム。あとは凄腕1組を含むワーカーチーム群ぐらい。

 元々、東の三都市へ戦力を多く振り分けていた。侵攻からすでに戦死者行方不明者は兵2万7000、民間で1万5000人を数え、守備隊は恐らく総数で12万を切り始めている。冒険者チームも計170組以上いるはずだが……。

 三都市内へ退避した周辺からの一般市民は16万に達し、籠城総数は兵も合わせ54万を超えていた。各都市内の道や通路にも彼等避難民が溢れ不安な日々を過ごす。

 これだけの人間の数に兵糧が長く持つはずもない。

 都市内の街路の傍らで、土埃に汚れて泣き叫ぶ我が子達の額を拭う避難で家財を失い疲れ切りやつれた母親の姿。

 その近くでは、家族を目の前で食い殺されたと喚き散らし立ちつくす農夫の男……。

 

 縋る藁すら見当たらない――正に絶望的光景が女王ドラウディロンの脳裏へ広がった。

 

 そんな地獄の思考の中の姉へ、妹は熱く語り出す。

 勿論、頼りになる漆黒の戦士モモンの話である。彼については拡大版的に女王へと語って聞かせた。

 しかし、妹の話を聞き終えたドラウディロンは視線を落としたまま複雑な表情になった。

 

(モモンという戦士。魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居るとはいえ2人のチームで、4階級もの飛び昇級は確かに聞いた事が無い。一刀であの人食い大鬼(オーガ)の巨体を両断とは剛剣だと思う。加えて華麗に二刀を使うなど確かに武勇伝は、白金(プラチナ)級に留まらない強さに聞こえる。アダマンタイト級に近いのかもしれない。それでも――相手は竜軍団だ)

 

 妹もそうなのだが、女王自身(ドラゴン)の末裔。

 本当の怪物の恐ろしさは知っているつもりだ。その脅威はビーストマン達の比にあらず。

 1体でも伝説――世界最強種族である竜は一撃で倒せる程弱くない。

 リ・エスティーゼ王国は確かに大国だが、援軍については望み薄に思える。竜らの撃退で手一杯のはずである。それすらも危ういと彼女は考えていた。

 リ・エスティーゼ王国の地は、すでに死の獄だと……。

 とはいえ、妹のザクソラディオネの鋭い感性も信じたい。

 逆に救いの無い今だからこそ、縋りたいという女王の気持ちは膨らむ。

 そんなドラウディロンは妹へ一つ尋ねる。

 

「ザクソリーよ。この件、お前は厳しい賭けだとは思わないのか?」

 

 

「はい。なぜなら、あの方はその過酷である戦地へ正に向かおうというのに―――全く怯えていませんでしたから」

 

 

「――っ! ……なるほど。それは竜の強さを十分知っている者だからだな」

「はい」

 

 彼女が本国への帰路で、想いを抱く漆黒鎧の戦士の事をあれこれ考えているうちに辿り着いた結論である。

 本当に不安無くニッコリと微笑む妹の表情と今の話に、ドラウディロンは僅かながら希望を見出す。

 

(どの道ジリ貧。これに賭けるのも悪くないか――)

 

 彼女は顎先へ指先を曲げた右手を当てつつ、(おもむろ)に左傍へ立つ宰相の方を向く。

 宰相の方も、既に女王へと顔を向けていた。

 目線を静かに合わせた両者は無言で小さく頷いた。

 

 

 翌日、女王の名が記された形で、東方各都市へひと月分の兵糧に加え兵1万ずつの援軍を送るとの御触れが出された。

 

 

 

 

 

 

 一方、ここは竜王国の築いた絶対防衛線である三都市から、南東へおよそ12キロ程離れた多くの畑が一望できる平原。

 王女ザクソラディオネが竜王国へ帰還し、既に丸二日が過ぎていた。

 某『至宝奪取作戦』が行われる日付へ変わった、まだまだ闇夜広がる深夜の時刻。

 平原のこの場にはビーストマンの国の侵攻拠点として、200メートル四方の周囲を少し掘って囲う形に盛られた陣地の中の一角に、前線野営司令所が設けられていた。

 曇天の為、星や月の無い闇の濃い中で魔法による少し薄暗い明かりが、椅子代わりの土塁内の段差に腰掛ける彼等二人の傍に灯る。

 一人は、見事なヒョウ柄の毛並みの腕を羽織るローブから覗かせる、細身で長身の文官らしき豹顔の男。もう一人は勇ましい銀色の鎧を纏い、厚みのある巨剣を背負う首回りが一際フサフサしている獅子顔の将。

 豹顔の男が、獅子顔の将へと声を掛けた。

 

「将軍、先日より大した進展はなしですかな? これはまだ暫く時間が掛かりそうですな」

「い、いや。あと一息なのだがな、大首領第二参謀殿。頑強に抵抗され中々先兵が城内へ侵入出来んだけだ。だが、先日から聞く師団増援の件は、早急に上手く通して欲しいぞ」

 

 ひと月以上前の作戦当初、各都市へ五千獣長率いる6000ずつを広範囲展開で進撃させ、さらに2週程前に増援軍として万獣長である虎顔将軍や美洲狮(ピューマ)顔将軍、美洲虎(ジャガー)顔将軍率いる約1万ずつを送っていた。本陣拠点には、このひと月半ほどで出た負傷兵3000弱と予備戦力3000余を残すのみである。

 現在、ビーストマンの軍が攻め立てている竜王国側の堅固な三都市の各兵力は、約4万の人間兵と冒険者という職の者に一般の人間達も加わっていて兵数差でこちらの約3倍。同等の敵への攻城戦には3倍程度が必要ということだが、恐らく都市の防御力が異常に高く、総合的にその差は優に15倍以上の人間の軍と同等となっている。そのため戦線が拮抗している形だ。

 しかし今、ビーストマンの国内の最寄りの小都市には、猎豹(チーター)顔将軍らが率いる2万の兵力が集結を完了しようとしている。

 そして、この地にはまだ()()()()()()()()も残されていた。

 『大首領第二参謀』と呼ばれた大首領側近の男が、その事へ触れながら将軍へと語り掛ける。

 

「まあ、確かに将軍はまだ――あの強力で対魔法外装をも付けるゴーレムを最前線で使っておりませんからな」

「ハハハハハ、その通りだ。まだ焦ることはない」

 

 ビーストマンの国は長年に渡り小競り合いで竜王国の対応力を把握してきた。今回は隣国のスレイン法国などからの援軍があっても、押し切れるだけの戦力を用意して臨んでいる。

 そもそも竜王国への援軍には限度が存在するもの。他国の事へ無尽蔵であるはずがない。またバハルス帝国とは金の切れ目が縁の切れ目の問題がある事実も掴んでいた。

 十分な勝算の背景と余力に対し、第二参某と将軍はニンマリと余裕の表情でほくそ笑む。

 ゴーレムは、ビーストマン系の国家では多く使われている決戦兵器といえるモンスターである。

 大陸中央で有名な、ビーストマン連邦では8メートル級ケンタウロス型ゴーレムを保有している。ミノタウロスの国家との戦争でも使用され、かつて8体存在したが今は4体まで減ってしまったと伝わっている。

 この竜王国の隣国であるビーストマンの国もゴーレムを現在3体保有していた。

 7メートル級ギラロン型ゴーレムである。

 ギラロンは、ゴリラのような顔とガッチリした体格に脇下辺りからも腕が生え計4本あるモンスター。

 このゴーレムはビーストマンの国の虎の子的戦力だ。難度は実に162を誇る。

 その一体が、竜王国の都市攻略へと投入する為に、本国からこの陣地内へと既に運び込まれていた……。

 豹顔の大首領側近の第二参謀は将軍へと問う。

 

「いつ頃お使いになりますかな?」

「フフフ、三つの都市の内でどこかが落ちた後だ。人間共の中に、1組だけ随分と強いチームがあると聞く。今のところ、その都市へぶつけようと考えておるわ」

「なるほど、良い考えです。一気に戦いの趨勢が見えましょうな」

「ハッハハハハハ――」

 

 陣内から勝利を疑わない獅子顔将軍の高笑いの声が響いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、竜王国側の東方三都市へと夜行性でもあるビーストマンの国の軍が、雲広がり闇深き今夜も夜陰に紛れ猛烈なる攻撃を仕掛けてきていた。

 

 一軍を率いるのは、黒光りする鎧に身を包み黒茶のマントを靡かせた万獣長である虎顔の将軍。

 彼は暗闇でその眼を黄緑の蛍光色に光らせ、前方600メートル程先の平原の中へ視界一杯に横たわる人間達の籠る城塞都市の影を、重厚なガントレットの右手で指さし吠える。

 

「掛かれーーっ、今日こそあの壁を踏み越えるのだ!」

『『オオッーーーー!!』』

 

 ここは三都市の中で一番早く北側に築かれた『東方第一都市』。

 30メートルを超える高い外郭璧と幅40メートル以上の堀もあるが、敏捷性の高いビーストマン兵らは、肉球のある手足で水を掻きながら巧みに泳ぎ切ると、僅かな出っ張りをも足場にして軽快に壁を昇ってくる。

 城内側は、それを豊富にある水を沸かした熱湯や、弩弓、弓、石などを使い、正攻法で壁面上部にしがみつく者から順次叩き落としていく。特に熱湯が顔や舌に多く当たれば、ビクンと飛び上がるように落ちていった……。

 だが、その雨の如き攻撃の中から、壁の頂上まで辿り着くビーストマン兵も少なくない。

 

「ガハハッ! 俺様が一番乗りダァっ!」

 

 身長2メートルを超える1体の獅子顔のビーストマンが城壁頂上へ手を掛けると、一気に片腕の力で飛び上がり、遂に城壁上へと降り立った。

 槍を持った兵が突きを見せたが、ビーストマンの太い腕で腰から抜き払われた1メートルを超える剣の一撃の威力で軽く飛ばされる。槍兵は外郭璧の上から堀へと落ちていった。

 獅子顔のビーストマンに続き、その部下達と思われる虎顔の兵らも数体が壁を登り切ってきた。

 

「隊長、流石でスネっ。これは、俺達大手柄デすゼ!」

「ガハハハッ! 慌てルな。褒美をモらウのはこの都市ヲ落としテからだ。そレまで――エサ共の殺戮を楽シムぞ」

「へいッ。ヒャっはぁーーーーーっ!」

「うラぁぁぁぁーーーーー!」

 

 城壁上への侵入個体数は既に7体にまで達し、周囲の兵隊の顔色が青くなった。

 しかし。

 

 

「――余り調子に乗るなよ、猫族風情が」

 

 

 気が付くと縁際(へりぎわ)の高い場所に、すらりとした一人の凛々しい雰囲気を持つ剣士が立っていた。

 髪が銀色の流れる巻き毛の長髪で、整ったハンサム顔の青年。鎧は軽装ながら総オリハルコン製の逸品で正に騎士らしい身形。赤い派手なマントも纏い――非常に目立っている。

 急に現れた弱いはずの人間にデカい口を叩かれ、小隊長である獅子顔のビーストマンが吠えた。

 

「あァ? 何だテメェは」

 

「私は紳士の騎士――セラブレイト。ここは我がカワイイ(おさない)女王(ようじよ)陛下の領土だぞ。うせろ」

 

「ガハハッ。餌の言う事ナンぞ、聞けネェな」

「「「そうダ、そウだっ!」」」

 

 小隊長のビーストマンへ呼応するように、周りの獣兵らも威勢よく相槌を打つ。

 そのガナる彼等へ紳士と自称する騎士は目を閉じると、ふた言述べる。

 

「そうか。――では死ね」

 

 次の瞬間に、獅子顔で小隊長のビーストマンをはじめ、敵兵達は人間の騎士を見失う。

 同時に奴らの間をすり抜ける形で、鋭く光った軌跡を残す斬撃の連続。

 そして、全員のその獰猛な肉食獣の顔が頭ごと縦へ真っ二つに切り裂かれていった……。

 金属や肉の塊が落ちた風に重い音が7ツ起こり、7体の敵ビーストマン兵の躯が石床に転がる。

 

 

 まさに――――『閃烈』。

 

 

 リーダーが侵入兵を片付けている間に、チーム『クリスタルティア』のメンバー達も、敵の後続を外郭璧の下へと魔法や高速の石塊で突き落としていく。

 セラブレイトを名乗った銀巻き毛髪の青年は、躯達の後方へ抜けており離れて立ち、すでに腰の鞘へと細身の剣を収めていた。

 アダマンタイト級の騎士ら戦友の雄姿に、周囲の守備兵達から歓声が起こり始める。

 さっくりとこの場での対応を終えると、戦闘で息一つ切らさなかったセラブレイトは周囲の兵らへと、若干ハァハァしながら力強く語った。

 

 

「すべては、カワイイ(おさない)女王(ようじよ)陛下の為に!」

 

 

「「「女王(じょおう)陛下の為に!」」」

 

 最後だけ合わせてくれた周囲の兵らに満足したのか、紳士と自称する騎士は仲間を連れて、次の修羅場へと向かっていった。

 

 

 

 

 この様子を外郭璧上のすぐ傍で、驚異的に突出した戦闘力を誇る二つの影が静かに見守っていた。

 

「あの人間。全然弱いですけれど、この視界内一帯のビーストマン達ではちょっと勝てないっすかね」

 

 いつもより少し丁寧に話そうとしつつも、語尾に日頃の癖が出ている赤髪で黒服の美少女(ルプスレギナ)の言葉に、漆黒の服を着るダンディな白髪白鬚の男性(セバス)が彼女の語尾を気にする風も無く真摯に答える。

 

「そうですね……確実とは言えませんが、少しは任せてもいいでしょう。我々は余り表立って派手に動けませんからね」

 

 彼は大切な主からそのように命じられてこの場へ来ていた。

 『ビーストマンの国』はナザリックと直接的に関係がない。つまらぬ露見によるナザリックへの余計な脅威認定や敵視を避ける為でもある。

 この程度の数のビーストマンを退けるのは、Lv.100を誇るセバス一人で半時間もあれば十分だが、不必要な殺生をしなくても良い事に内心で少しホッとしている。

 周りの大局を丁寧に見ている、そんな主であるから仕える事に何の不安も無い。

 だから勿論、至高の御方の指令があれば何万、何十万であろうとも敵は全力でただ倒すのみだ。

 

 

 彼等――セバスとルプスレギナがこの地に来たのは、つい先ほどの事。

 二人は、ビーストマンの軍団に侵攻され窮している竜王国延命の任へ向かう事になっていたが、両名がナザリック地下大墳墓に揃ったのは『至宝奪取作戦』が行われる今日の日付に変わる直前であった。

 ルプスレギナがそれまで(あるじ)アインズから受けていた任務を熟し、胸を張って第九階層の上司セバスの執務室にて帰還の報告を終える。

 

「アインズ様からの任務を無事に完了しましたっ」

「分かりました。ご苦労様です。さて、ルプスレギナ。早速ですが、次の仕事を――」

 

 そして休む間を置かず、彼女は次の指示としてアインズ様発令の、初めてとなる『戦地』でのセバス補佐という指令を上司自身から伝えられる。人狼(ワーウルフ)娘は即刻動き出した。

 当然なのだ。「喜んでっ!」である。歓喜に尻尾を激しく振るがごとく。ご主人様をべろべろに舐めて差し上げたい思いで一杯だ。

 確かに彼女ら戦闘メイドプレアデスは、至高の御方の為に散る事が最大の誉れであるが、主の希望する仕事を成すのも無論、存在意義としてとても重要であった。

 おまけに間引き作戦とはいえ、『戦闘』である。

 属性の凶悪(カルマ値:マイナス200)や、職業(クラス)のバトル・クレリックを存分に生かせる機会。

 ルプスレギナは再出撃で地表へと向かう前に、第九階層でふらりと少しだけエントマの顔を見に寄る。プレアデスの執務室には居なかったので部屋へ向かう。他の姉妹が任務で王都にいるため、比較的この可愛い妹と良く会っていた。末妹も残ってはいるが重要箇所の桜花聖域内の為、会いにはいけないのもある。

 エントマの自室は一角の棚全てが蟲達で覆われている。その自室にいた妹に対し早速、ルプスレギナは胸元近くで両拳を握り腕をフルフルさせながら嬉しそうに笑顔で話す。

 

「聞くっすよ、エンちゃん。アインズ様からの三連続の任務っすよ。私、頑張るっすよー」

「いいなぁ。がんばってねぇ」

 

 可愛い声で励ますエントマもアインズから、配下となった人間達44名の教育を任されており、激しく使命に燃えているため、ルプスレギナの気持ちはよく分かっていた。

 時間が無いため1、2分の会話のあと「じゃあ、行ってくるっすー」と妹の部屋を後にし、自身の部屋へ一瞬寄ると人狼(ワーウルフ)の彼女は、四足で駆けるように集合場所の地上へと向かった。

 夜中で真っ暗なナザリック地下大墳墓の地上にある、中央霊廟の正面出入り口前まで来る。

 この時はさすがにまだ、『至宝奪取作戦』の参加メンバーやシモベ達は集まっていない。

 既に居たセバスとルプスレギナ達二人は今回、街中ではなく戦場での潜入活動となる。

 普段着の衣装は多くを持たないが、戦闘服については幾つか彼らの創造主が用意してあった装備衣装が残っている。

 ルプスレギナは、黒のシスター服系ながら胸部や腕部へ白銀と漆黒の鎧が付加され、スカートも深いスリットを残しつつ、裾は膝下程度の位置までV字に斜め上がりカットされた動き易い衣装を纏う。キャップも布製とは違い希少金属で出来た逸品の兜だ。武器と勿論、可愛さは変わらない。

 セバスも普段の執事衣装とは変えてきていた。モンクらしく白手袋ではない、漆黒のクールで分厚い特殊装甲のガントレットを装備。硬質革製で肩部に金属防具のある前部に頑丈でゴツいチャックが付いたバトルジャケットを羽織っている。靴も悪路に適した金属防具の付いた黒のローブーツを履く。黒シャツにネクタイは変わらないがチョイ悪なダンディさが一際引き立っていた……。

 彼らにとって、この使命は重要であるが内容的にみると随分容易と思えるものだ。

 片手間どころか両手間でも十分だと思える水準。

 気負いなどはない。ただただ、完璧に熟すのみ。

 

「遅くなりました、セバス様」

「いえ、問題ありません、ルプスレギナ。そちらの準備は大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「そうですか。では早速行きますよ」

「はい」

 

 ナザリックから竜王国の東方の都市までは、カッツェ平野を挟んでおよそ400キロ以上離れている。

 今から陸路を使う場合、万一時間的に間に合わないと問題なので、パンドラズ・アクターを〈転移門〉で送り込んだ階層守護者へと頼む。

 

「それではお願いします、シャルティア様」

 

 先程から彼女は、この場所で優雅に佇み闇に溶け込んで待っていたのだ。

 セバスは実質的に第九階層守護者であるが、元々の『至高の41人』の生活面を支える最高責任者である『家令』という役職を重んじており、紳士的に振る舞う上でも女性階層守護者達へは敬称を付けている。

 一方でデミウルゴス、コキュートスやヴィクティム、ガルガンチュア達に対しては敬称を付けず対等の立場で呼んでいた。

 

「了解でありんす。今日はこちらも頑張るでありんすから、両名ともそちらでしっかり役目を果たしてくんなんし」

「はい」

「はいっす」

 

 セバスと違い、ルプスレギナは少し緊張気味である。彼女も、今日シャルティア達がナザリックにとって、これまでで最も危険となる任務に就くことを知っていた。己も御方の為にたとえお腹が減っても、負けてはいられないという強い想いの気合が入った。

 

「〈転移門(ゲート)〉」

 

 真祖である令嬢の美声により〈転移門〉は開かれ、そうしてセバスとルプスレギナは一気に竜王国東方の小さい森の奥へと出現する。

 ここは、最寄りの小都市まで5キロ程西の位置と聞いている。三つの中で北側に在る都市だ。

 2名の超越者達は、そこから任務へと動き始めた――。

 

 

 北の都市について、「取り敢えず大丈夫でしょう」としたセバスの判断に従い、二人は南へ7キロほど地上を駆けて中央の都市へと移動する。

 この都市も幅50メートルにも及ぶ堀と、30メートル以上の高さがある外周壁で堅固に守られた城塞としてビーストマン軍の前へ立ち塞がっていた。

 ここを攻めるのは、無柄でベージュカラーの毛並みをした美洲狮(ピューマ)顔の将軍だ。

 彼は緑系色の軽装防具を鎧替わりに装備する、速攻重視の武将であった。

 将軍自ら掘の傍まで寄り、抵抗を強烈に続ける壁が立ちはだかる最前線へ向かい仁王立ちで檄を飛ばして命じる。

 

「突っ込めーっ、登り切れー。下等である人間如き、今踏みつぶすのだーー!」

『『ウォォォーーーーー!』』

 

 その指示に、周辺の獣兵達も吠えて応え、今日も続々と堀へと飛び込み、高い外周壁へもしがみついて一歩一歩登っていく。

 しかし、竜王国側の都市守備隊も冒険者部隊を中心として昼夜連携し必死に応戦していく。

 ここでも上からの熱湯散布は大活躍である。

 弓や落石にも辛抱強く耐えるビーストマン達の、本能的な部分を激しく攻めていた……。

 熱湯攻撃をモロに浴びた獣兵らは、次々と壁から飛び上がるように跳ね堀へと落下していく。

 

「おのれぇ……(人間どもめ、制圧の折には鍋で煮て()()()()()、食ってやるわっ!)」

 

 壁の上部を睨み上げつつ、美洲狮(ピューマ)顔の将軍は右拳を強く握り込んで唸った。

 現在この都市への攻撃戦力は獣兵1万4000程だ。侵攻以来、400名以上の戦死者と1500名程の負傷者を出している。

 負傷した兵は傷の重いものを後方の本陣へと移送していた。

 彼等ビーストマン軍の戦法は基本『力技』である。

 一斉に攻撃し、弱者をあぶり出し狩るという基本戦法に沿っている。

 それが彼らの誇りだ。

 仲間を囮にする下策の戦法しか残されていないなら、潔く撤退する。彼らにとって撤退は恥ではない。隊が全滅する程の無理のある進撃をしたり、仲間を見捨てる者が恥さらしなのだ。

 そういった集団主義の種族である。

 それゆえなのか、平均難度の30以下も少ないが平均以上も少ないという、差の非常に小さい兵力編成も持つ。

 突出した難度を持つ個体は非常に希少で、難度で51以上は5000名に1名程度。

 難度60以上は将来、将軍が約束されるほど貴重だ。

 また侵攻軍の獣兵は基本雄で構成されているが、雌の方も弱い訳では断じてない。雌の猛将軍と雌のみの師団も多数存在している。

 そんな彼らビーストマンの国が長期で竜王国への大侵攻を計画したのは、増え続けた人口に対しての食糧問題があった。

 大陸中央は亜人の列強国同士が互いに覇権を争い、大規模な戦争がいくつかあり人口は長年横ばいなのだが、周辺の亜人の国は列強の要請に出兵はするが、矢面に立つわけではないため、ここ100年での国民数の増加が顕著であった。

 無論、『ビーストマンの国』の領内でも人間を十万単位で飼育してはいるが、以前は安価だった価値と生産コストが近年は大幅に上昇。

 ビーストマンの雌達が組織する婦妻全国会からの突き上げも受け、中央議会とフサフサで立派な(たてがみ)を持つ白獅子顔の大首領閣下は決断を余儀なくされていた……。

 

「……(妃達に噛まれるかもしれん)……侵攻せよ」

 

 黄金の王冠を戴く恐妻家で知られる閣下の重い気持ちの命が下り、参謀府と大将軍を中心に作戦が練られ、勇猛で知られる獅子顔将軍を方面総指令官に据えて出陣し今へと至る。

 

 セバスとルプスレギナは、中央の都市の周辺戦況について確認するが、美洲狮(ピューマ)顔の将軍の師団戦力と都市側の戦いは、北の都市に比べまだまだ十分拮抗して見えた。

 美洲狮(ピューマ)顔の将軍自身の難度は60程あるが、外周壁上の守備隊内に混ざる冒険者達には、それに十分対抗出来るミスリル級の冒険者チームが4チームは揃っていた。

 

「どうですかねー。さっきの都市程のレベルを持つ人間はいないみたいですが、ビーストマンの方も攻めきれない感じっすよね」

「ふむ。確かに人間達は陣地の要所をしっかり押さえていますね。このまま長期化すれば分かりませんが、今日明日はまだ大丈夫でしょうか。次の都市に移りましょう」

 

 今回二人は、セバスが主力でルプスレギナはバックアップという形だ。

 セバスが3つの都市を日々確認しながら移動し対応。ルプスレギナは3つの内、いずれか一か所の都市へ留まって連絡をする係。当然、手が必要なら人狼娘も他の都市へ付いて行き処理する。

 活動資金は、交易のあるスレイン法国の金貨も使えるという事から、陽光聖典の者達が持っていてナザリックが没収した金貨の中から20枚程持ってきているので問題はない。

 間もなく両者は、深夜の闇に篝火の絶える事がないこの中央の都市を後にし、更に南へと移動を開始する。

 そして僅か1分程で3キロを超えて街道を移動し、南の都市へと近付きつつあったその時。

 

「ん? あれは……」

「あぁっ。セバス様、アレちょっとやばいんじゃないですかねー?」

 

 麦畑の中を貫き、都市へと繋がる北方街道から近付く二人が見た光景は、遠くの平原に横たわる長い外周壁の影の一角から、闇夜の空へ淡く赤みが見え始めている状況であった。

 

(――むぅ、火災ですか)

 

 セバスは咄嗟にそう判断する。

 普段は冗談を交えるルプスレギナも目を見開き真剣な表情で無言。この初手段階で失敗に終わらせるわけにはいかない。

 ――敬愛する(あるじ)様をガッカリ(失望)させるわけにはいかないのだっ。

 二人は地を激しく後方へ蹴り上げると猛加速する。

 弾丸の勢いであっという間に街道を突っ切り南の都市へと接近し、地面へ線を引きながら制動を掛けつつ、セバス達は視線を左右へと振って直ちに現場の状況を確認した。

 視界へ納まる中に、ビーストマン側で突出した猛者を捉えることは出来ない。

 二人は立ち止まり素早く状況と方針を確認する。

 

「……どうやら防壁上の一部で数に押し切られたようですね」

「この場から少し間引きますか、セバス様?」

「いえ、先に都市内の様子を確認しましょう。まだ、炎は小さいみたいですから」

「分かりました」

 

 この時、二人の周辺には10名程の纏まったビーストマンの小隊がいた。

 そして――夜目の利く彼等は不幸にも『先を急ぐ者達』を偶然に見つけてしまう。

 今の深夜の時間に、それも都市外に広がるこの平地のド真ん中で、忽然と現れた人間を二人確認し、少し怪訝に感じた虎顔の小隊長である。

 

「アぁん……あレ、さっキまで居たカ?」

「イえ」

「雄ト雌か……(人間どモは皆、震えあガッて都市の中にいルと思っテイたが。まア、腹も減ッタしな)おい、オ前ら行クぞ――夜食の時間ダ」

 

 そうして、よせばイイのに彼を先頭として小隊は、小走りで近付きつつ声を掛けてしまう。

 

「よォ、人間共がこンナところで何ヲシてん―――」

「―――悪いっすねー、見られちゃ。今は遊ぶ余裕が無いんすよ」

 

 すでに彼の目の前まで逆に踏み込むルプスレギナは、人狼の目をギラめかせ1・3メートル程も有る武器の聖杖をフルスイングしていた――。

 虎顔のビーストマンの小隊長は、言葉の途中で全身が砕かれ絶命する。ガッシリとした彼は砲弾として、後方に続いて並んで駆けて来る10名程の配下全員を巻き込みその者らごと肉塊を周囲へと派手に飛び散らせていく。

 小隊長の躯の剛体をカウンター気味でモロに受けた配下達も、訳の分からぬ間に周囲へ弾け飛び、圧倒的な衝撃により内臓破裂や全身の粉砕骨折などで躯となって全員が40メートル以上の広範囲に広がって倒れていた。

 その光景は正にビリヤードのブレイクショット状態だ……。

 

「あーっ、コレ……不味かったですかねー?」

 

 反射的に動いてからルプスレギナは、後方に立つ上司セバスへと恐る恐るゆっくり首を大きく向けた。

 

「いえ、問題ありません。姿を見られましたし、初めが肝心ですから。でも、状況には注意してくださいね」

「あー、(よかったっす)……了解でありますっ」

 

 左肩に武器の聖杖を担ぐルプスレギナは、可愛く笑顔で右手を上げ敬礼のポーズ。

 敵にビビることはないが、上司へは気を遣わなければならない。勝手に動く奴だと、御方へ心証が悪くなる話が伝わるかもしれないのだ。ナザリック他で当初凡ミスを繰り返していた彼女は、最近巻き返しを見せている。仕事を命じてくれる優しくて尊く大好きである主に対し――これ以上、駄犬であってはならないのだ。

 対するセバスも、敵のビーストマンの(もろ)さを確認出来て良しとした形。

 

「(私にとっては初の遠征ですから、)ここは慎重に行動しましょう。では行きますよ」

「はいっす」

 

 共に気力十分のセバスとルプスレギナは、急ぎこの場を後にする。

 しかし、通常では考えられない強力なゴーレムにでもぶん殴られ潰されたとも思える、多くの破損遺体が転がるこの惨状は残された。

 少し後に、未帰還であった先の小隊を探しに来たビーストマン兵がこの驚愕の現場を発見。その報告により、当都市攻略師団の獣兵1万5000余を率いる美洲虎(ジャガー)顔の将軍や野営司令所の豹顔参謀らが、何かこの地に『途轍もないモノが舞い降りたのでは』と推測する要因となる。

 人狼の彼女は派手で華々しい痕跡を残してしまっていた……。

 さて、そうとは知らない二人の怪物達は、助走加速しあっさり堀ごと外周壁を飛び越えると都市内の夜陰に沈む区画へと地味に潜入した。

 

 

 

 

 竜王国の東方三都市のうち、最も南にある『東方第三都市』。

 この地は三つの都市の中で最後につくられた場所であった。

 その為――いろいろと予算面での皺寄せがこの都市の防御設備建造時に出てきていた。

 堀の幅は平均すると40メートルを数メートル割り込み、都市を囲う外郭璧の高さが、設計段階よりも1から2メートル低いという……。

 公共事業でさえ、無い袖は振れないという、当時も今も予算乏しき小国の悲しき現実。

 だが、戦いが拮抗すればするほど、こういった手を弱めた部分がここぞという時になって凶悪な牙剥く顔を見せてくるのだ。

 また不運も重なる。

 この度のビーストマンの国の侵攻に際して、この地へ配置された冒険者チームに竜王国唯一のオリハルコン級冒険者チームがあった。

 確かに平時であれば彼等は、ビーストマンの兵達をその難度70超えの優勢的武力で退け続け、問題のない働きをしたであろう。

 しかし、既に侵攻からひと月半を経て、オリハルコン級冒険者チームの中心的リーダーで主力の彼――59歳の髪の薄くなった鎧姿の老戦士には、身体の隅々へ戦いの疲労が重く蓄積してきていた。

 城塞都市守備にとって、貴重である魔法詠唱者には魔力を温存してもらう意味でも、多くの者達が各種回復を薬に頼っていたが、この世界で一般的に流通する回復薬は完璧ではなかった……。

 某大都市エ・ランテルの当代有数の名薬師製ですらそうなのだから。加えて、戦場であるこの都市での過剰消費に安定生産は概ね破綻し、粗悪品も多数出回っているのが現状だ。

 そして今夜もまた始まった敵の猛攻へ、薬を飲んだ老体に鞭打ち外郭璧の最前線でリーダーの彼は輝きを見せ奮闘する。

 だが、老齢と超過就役に睡眠不足、蓄積された疲労がついに、戦いの最中で噴き出してきた。

 10体程のビーストマン兵を討ちとった時である。老戦士は突然の猛烈な目眩に襲われる。

 

「(――?!)むぅ……」

 

 彼はその場で立っていられず、右手に握る大剣を石床へ杖の様に刺し、思わずガクリと右膝を突く。

 

「リ、リーダーっ?!」

 

 敵の攻撃を受けたのかと、仲間達から驚きの声が上がる。

 体を襲う突然の異常に驚き、瞬きもせず息を乱し大きく目を見開いて床を見る老戦士。その前には、次の新たな美洲虎(ジャガー)顔のビーストマン兵をはじめ、3名の敵が現れ立っていた。

 種族は違っていても、相手の老若男女は判別できる。

 美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンが少し息を切らせつつも悠然と語る。

 

「ふぅ。どうされたかな、御老体? そろそろ黄泉の世界へ向かう頃合いでしょうか」

 

 すました口調で、すでに剣を振り上げていた。

 そのビーストマンが放つ上からの強烈な斬撃に、老戦士は咄嗟で仲間達側へ転がり身をかわした。

 周囲の守備兵達が槍や弓を構え、壁上部の幅の狭さを利用し老戦士を援護する。

 老戦士は何とか仲間達の傍まで来たが、やはり立上がれなかった。

 ここで彼の仲間の魔法詠唱者が、〈火球(ファイヤーボール)〉を二連射で放ち、美洲虎(ジャガー)顔のビーストマン兵らを外郭璧上から飛び降りさせ撤退に追い込む。

 だが、身体的に強いビーストマンの兵は30メートル程の高さから堀に落ちても死ぬことはない。たとえ下が地面であっても柔軟な身体で軟着地し、重傷は10体に1体程度だ。奴らへの対処の基本はやはり傷付け、倒すほかない。

 それでも一時的だが危機は去った。

 この隙に、仲間の魔法詠唱者がすぐ〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉と〈中疲労治癒(ミドル・キュアストレイン)〉を老戦士へと施す。だが、彼の疲労状態は重症気味であったため大した効果がなかった。また疲労治癒は概ね一時的といえる誤魔化しに過ぎない。

 

「これは不味いぞ……すぐに回復しない」

 

 仲間の魔法詠唱者の言葉に、老戦士と仲間達、周りの守備兵達はその顔色が一気に青へと変わる。

 『東方第三都市』には、オリハルコン級冒険者チームである彼らの他にもミスリル級冒険者チームが2組や白金(プラチナ)級らも外周壁上各所に配置されているが、勿論その者達の受け持ち場所も修羅場になっている。

 この辺り一帯の広い外郭璧上部をオリハルコン級である屈強の老戦士らのチームが受け持っていた。

 故に彼らが機能しなくなると、この都市の防衛上で大きく穴が開く事になってしまうのである。

 

「ま、まだ戦えるぞっ」

 

 老戦士は、死を覚悟し剣を杖に立ち上がる。

 

「無茶をいうな、まともに一人で立てないじゃないか。……リーダーは一度下がってくれ」

「なっ……くっ、足手纏いにしか……ならんか」

 

 彼へと向けてくる年齢差はあるが良く纏まった仲間達みんなの微笑みの表情に、『死に場所はまだここじゃないだろ』という熱い思いが読み取れたのだ。

 「すぐの援軍はない」と首都の軍令部から都市長へ書簡が届いたと伝え聞く。綱渡りが続く戦況の現状を考えれば、この東方三都市が落ちるのも遠くない未来に思える。そうなれば首都決戦となるだろう。

 死ぬ事はいつでも出来る。多くの知り合い達の為にも耐え、そこまで生き延びると決めてこの地の戦闘に臨んでいた。

 リーダーの自分が今、駄々をこねている場合ではない。

 

「分かった。暫く任せるぞ」

「ああ」

「任しとけ」

「朝飯は肉がいいなぁ」

「朝からかよ、ははっ。よし、下で儂が用意しておいてやる」

 

 そこで周囲に小さくも笑いが起きる。でもその時間は本当に短く。

 

「来たぞーっ、4体だーーっ! その後も続々来ているぞっ」

 

 和んだ雰囲気を、(へり)に居た弓兵の緊張感に満ちる鋭い叫びが破り、次の凶悪な来客を知らせた。

 先程、老戦士が戦う間にオリハルコン級の仲間が、一度この周辺一面の壁をかなり綺麗にしたが、数分しかもたない。

 壁には再びイナゴの様に鈴なりでビーストマン達の軍が壁を攻め登って来ていた。

 

「ドラ猫退治だ。迎え撃つぞーーー!」

『『おおぅ!!』』

 

 先程、切れた水を運び上げ足した釜も煮え立ち始め、応戦の準備も整ってきた。オリハルコン級チームの魔法詠唱者の掛け声で、塀際へと皆が急ぎ駆け出していく。

 老戦士は、肩を貸りる1名の若い兵とこの場へ残り、それを見送った。

 こうして彼は最前線を後にする。

 

 それから40分――。

 だがやはり、リーダーの彼が抜けた穴は大きかった。

 熟練的な剣技の前衛であった老戦士を欠いたオリハルコン級チームの強さは、ミスリル級冒険者チームを僅かに凌ぐ程度の力しか発揮出来なかった。

 チームには野伏(レンジャー)の男がいて奮闘するも、一人では数の多さに前衛を支え切れず、都市内へのビーストマン兵の侵入を許し始めていた。

 一般的に魔法詠唱者は当然殆どが連射出来ない。なので再発動までの時間(リキャストタイム)を前衛が稼ぐのが常識である。それが上手く出来ずチームの苦戦はやむを得なかった。

 だが、さすがはオリハルコン級冒険者チームであり、不利になっても連携を強め討たれるほど弱くはなかった。また侵入者は最小限に抑えている。それでも、時間が経つほど討ち漏らしの個体は増え、それが20体以上となっていた……。

 

「うおわぁあーーーっ、ビーストマンが現れたぞぉぉーー」

『『キャァァァーーー!』』

『オギャァ、オギャァ』

「た、助けてくれぇーーー」

「わーん、お父さん、お母さーん」

「まだ死にたくねぇぇぇーーー」

 

 婦人らに赤子や子供、男達と阿鼻叫喚が街路の夜陰にこだまし始める。

 街中にも守備兵達は大勢いた。しかし、難度の差が大きい上に暗闇に苦戦を強いられる。

 ビーストマン兵達の平均難度は30。街中に立つ農夫や漁師上がりの兵達は概ね6から12である。守備隊側の小隊長や騎士の者には難度30近い者もいるが、大勢(たいせい)は一方的であった。

 立ち向かった人間の兵達は全て殺された。その数は30分足らずで200名を超えてゆく。

 逃げ遅れ孤立した市民達も同様である。今日までの外郭壁外での散々と言える苦戦の憂さを晴らす形で、ビーストマン兵達による守備兵以外の無抵抗者への殺戮も起こった。

 また街へ侵入直後に奴等は、外郭璧を上へ登る階段脇に置かれていた篝火の幾つかを、木の柄ごと槍の様に傍の家々の中へと窓を突き破って投げ込んでいた。

 ほどなく建物から火の手が上がり、徐々に両隣へと燃え広がっていく最悪の展開。

 ビーストマン兵達の目的はあくまでも城門であった。跳ね上げ橋の機構部分を制圧し橋自体を下ろしての開門だ。それにはまず、都市内の市民達が大混乱している状況が理想である。なぜなら組織立った都市守備隊の行動がとれなくなるからだ。

 奴らの狙い通りに騒然が混乱を呼び、街中の一角が徐々に逃げ惑う人々の騒めきで溢れていく。

 その中であの老戦士は、外周壁を降りて少し歩いた篝火の明かりが置かれている袋小路の路地奥にあった井戸で水を飲み、その後は敷布を借りて井戸の程近くで先程から横たわっていた。

 だが勿論、状況的に眠れる訳も無い。そして周囲の異常な悲鳴も混ざる人々のざわめきが、敵の侵入を知らせてくる。

 

「いかんな」

「は、はい。これは、かなり入って来てますね」

 

 付き添いの若い兵との会話が凍った風の緊張感に包まれていた。

 井戸の周りのこの路地へも所狭しと、都市周辺から退避して来ている農民ら弱者の一般の民達で道は溢れている。

 そんなところへ、子供や赤子を連れた婦人達が30人程逃げ寄せて来た。

 街中の守備兵や男達が、盾や囮になって逃がしてきてくれここまで辿り着いていた。

 しかし、ここは袋小路であった……。

 殿には数名の男と槍を持った兵士が2名いた。

 返り血を受けている羽根付きの簡易兜をかぶった兵が苦い顔で叫ぶ。

 

「くそっ袋小路か。向こうの通りも……ダメだっ。――囲まれたかっ!」

「ちくしょうっ。いや、最後まで戦う……」

 

 私服で帽子に口髭のガッシリした男が暗い路地外の通りの奥を見ながら愚痴った。

 続けて口髭の男が、こちらへと振り返り叫ぶ。

 

「この路地にいる男達よっ、手伝ってくれ。クソッたれのビーストマン達がそこまで来ているんだっ。もう向こう側の通りは4組程の奴らの兵隊でどこも塞がれている、逃げ道はすでに無いぞ」

 

 その絶望的な知らせに、この路地内と周辺の建物の窓から顔をのぞかせる者達が騒然となる。

 

「あぁっ、なんだとっ!?」

「うおおお、ヤッてやろうじゃないかっ」

「冗談じゃないわーーっ!」

「キャーっ、だれかぁ」

「うわぁぁ、一体どうすればいいんだいっ」

「おかあさぁーん、うわーん」

 

 路地内には130名程が座ったり寝転んでいたが、今30名程増し敵を間近へ感じて動揺で一気に場が騒めき立ってきた。

 見回せばここは、4メートル幅の路地を出入り口に一つ持つ、左奥近くに井戸がある幅10メートル奥行40メートル程の空間が4、5階の建物の壁で完全に囲まれた場所である。

 建物の壁は垂直で、今から脱出するには皆が建物の中の階段を上がり最上階から屋根に出て逃げるほかない。しかし男は兎も角、小さい子供に赤子を抱えた婦人達が屋根に上がるのは難しいだろう。

 それにビーストマン達の方が――壁伝いで屋根側に回るのが早いはずであった。

 だがここで、ある建物の3階の窓から中年の叔母さんに見える婦人が告げる。

 

「うちの建物には、反対側の建物へ抜けられる扉があるよっ。婦人や子供達は急いで来な!」

 

 それを聞き、まだ文句を言いながらも、竜王国の男達はその場から次々と立ち上がる。勿論、時間を稼ぐためだ。未だ本格的に都市内の徴兵は進んでいない事もあり、ここで立ち上がった40名程は老若混じっていた。彼等は、身内でビーストマンに食い殺された話を聞かない者はいない。そして、常に男達が女子供を守って死ぬ話もだ。決死の考えの男達は、路地の家々の外にあった角材や、桑、斧などを手に入口の路地側へと集まり始める。

 それを見て、使い込まれた金属鎧を纏う老戦士の彼もゆっくりと身を起こす。もはや寝ている状況にあらずと。

 女子供達を守らずに、漢は名乗れない。

 彼が横になって15分は経っていた。しかし、病とは一度ある程度回復しなければ、まともに動けるものではない。

 

「むう……(まだ身体が動かんか)」

 

 鞘へ納まった剣を杖にし立ち上がろうとしたが、重い体がいうことを聞かない。

 すると付き添っていたまだ若い兵士が立ち上がり伝えて来た。立派な漢の顔で。

 

「あなたは、()()()()()()休んでいてください。――私が行って来ますので」

 

 どこから見ても彼は普通の兵士であった。

 それはビーストマンの強靭な強さに敵わないという事。近い終わりを自身も予感し彼の左手は小刻みに震えていた。でも彼は腰の剣の鞘へその手を添え老戦士へ別れの会釈をすると入口の路地へと堂々と走り寄っていった。

 老戦士は、兵士の漢の決断を黙って見送るのみ。自分の今すべき事は、少しでも僅かでも体を回復する事なのだ。

 無論今、赤子を抱える婦人や親と手を繋いだ子供達は、あの抜け道の扉があるという袋小路のやや奥めに在る建物の扉へ殺到している。しかし、抜け道が狭いのか、遅々として退避は進まない。建物の外には近隣の住人まで出て来て加わりまだ100名以上を数えていた。

 だが時間は、ただ無常に過ぎる。

 この袋小路から殆どの男達が、幅4メートル程の路地へと消えて2分ほどが経った頃。

 

「来たぞっ!」

「うぉぉぉぉーーー!」

「ギャアァァァァーーー!」

「ぐあァァァーーーぅっ」

「死ねぇーーーー! ガッ」

「いてぇーーー、右手を食われてるぅぅぅーーー」

「ぁぁぁあああーーーっ!」

「とあぁァァーーーーぁへッ―――」

 

 多くの者の決死や正に断末魔の絶叫が、突然のこと切れも交えこの袋小路へも伝わり大きく反響し響き渡る。

 だがそれも――僅かに3分ほどで途切れる。40名程いたはずなのに。

 一方的闘いの終わりを告げる様に、勇敢な男達であった数名の遺体の断片が路地へも転がって来た。

 そして身の丈がなんと3メートルに届こうかという大柄で虎顔の戦士が刃渡り1・6メートルという大剣を握り現れる。

 その大剣には人が串刺しになっていた――あの若い兵士であった……。

 虎顔の戦士は剣から邪魔な血を払うように、大剣を横へ払う。

 血飛沫(ちしぶき)と共にぐったりした若い兵士は袋小路の地面に叩き付けられ一度大きく跳ねると地を長く転がり壁際で止まった。

 だが、若い兵士はまだ剣を手放してはいなかった。握った手が、痙攣なのかまだ微かに動いている。

 もう彼が助からないのは分かっていた。

 袋小路の奥で胡坐をかき地に座る老戦士は、その光景について目を閉じ心へと焼き付けつつ、仲間達の顔を思い浮かべ呟く。

 

「みんな……すまんな」

 

 目を開いた彼は懐から小瓶を出すと栓を抜き、入っていた緑の薬を一口で呷った。

 

 剣のゴミを払った大柄で虎顔の戦士と続く獣兵ら14名は、一軒の建物へ殺到している下等な人間の雌や子供の集団がまず目に入った。

 先程から兵や雄達に邪魔され、取り逃がしてきていたので、思わず口を開けて柔らかい肉を思い浮かべ舌なめずりしニンマリとする。

 

「ハハハ。無駄な足掻きであっタナ。今かラ存分にブチ殺してくレルわ」

「柔い首をモいで紐を通し首飾りにデもしマすか?」

「ハハ、それも良イナ」

 

 無茶苦茶な事を言って余興の始まりだと奴らは楽しんでいたが、人間の雌達が逃げようとしているのは分かっているので、それを阻止すべく虎顔の戦士が歩を早めて突っ込んで来た。

 建物の入り口から引き剥がす為に、その部分に立っている赤子を抱いた裾の長い青い服のまだ若い婦人を目標にその圧倒的威力を持つ巨剣を振り上げつつ踏み込んでいく。

 

 それを見た老戦士は――すっくと立ち上がる。

 もう、疲労は感じない。痛みも感じない。そういうとっておきの劇薬であった……。

 袋小路の井戸傍の奥から虎顔の戦士の動きが見え、彼は一気に動き出した。

 虎顔の戦士が、赤子を抱いた若い婦人へ巨剣を振り下ろし始めた時、散り始めた婦人達の集団を大きく飛び越えて老剣士が若い婦人の前へと鮮やかに降り立つ。

 そして彼は、両手で鞘に納まる剣をガードとして掲げ仁王立ちの姿で、虎顔の戦士の巨剣の剛撃の前へ留まる。

 剛撃は構わず振り下ろされるが、それは見事彼に受け止められていた。

 その衝撃は老戦士の両足が僅かに足形を残し地へ沈む程の威力。だが、十分受け切っていた。

 

「―――なニィっ?!」

「隊長の剛剣がッ、バカなァ!?」

 

 見たところ、1名でたかだか身長170センチ程の人間の老戦士だが、自慢の剛剣を完全に止められ虎顔の戦士とビーストマンの兵達は大きく目を見開き驚くと思わず5歩程下がった。

 老戦士の彼は鞘から使い慣れた愛剣を抜くと、目の前へ居並ぶ虎顔の戦士らを強く鋭く睨み付けて言い放つ。

 

 

「我ら人間達の最期の輝きを侮るなよ、猫供」

 

 

 59年生きて見て来た人々の生きる輝きを彼は少しも忘れてはいない。

 先程の若き兵の姿も無駄ではないのだと。兵士の行動には心へ炎を滾らせる想いがあった。

 そして今、己の最期の輝きをそこに重ねていく。

 

 相手の人間の凄まじい気迫に、大柄の虎顔の戦士は巨剣を両手で握り込む。

 闘いの場となったため、奥に脱出扉のある建物の前から婦人や子供達と近隣の家の者らは袋小路の奥側へと退避せざるを得ない。

 つまり、この老戦士が負けると逃げ場はもう無いという事だ。

 100名程の命は彼の両肩に掛かっていた。

 

 その男へ仕掛けたのは虎顔の戦士の方であった。

 彼等には都市内の混乱を拡大させるという大きな役目が残っており、ここで時間を使うのは避けたい考え故だ。

 恐らく、後続のビーストマンの兵達も更に入って来ているはずで、手柄がそれだけ減るという事も焦りを生み出していた。

 虎顔の戦士は大剣を剛力で振り回してきた。

 それを、老戦士は熟練技が冴える剣の縦受け横受けで華麗に受け切っていく。

 だが敵の数は他に13体を確認している。

 その者達も、後方へ回り込もうと動きを見せた。

 回り込む獣兵に対し、彼は武技〈縮地〉を連発して、あっという間に3体を切り捨てる。

 とは言っても、多勢を相手に隙が出来ない訳も無く、特に大柄の虎顔の戦士は難度で50程と思われ、片手間で倒すのは中々難しい相手であった。

 

(せめて1分でも他のビーストマン兵達を足止め出来れば、奴へ専念出来るのだが……)

 

「戦士様がんばれーーっ」

「がんばってーーー!」

「頑張ってくださーーい」

「お頼みしますぅーっ」

「せんしさまーーーーーっ!」

 

 子供や婦人達から応援の声が上がった。

 先に彼が救った、赤子を抱く若い婦人も叫ぶ。

 

「みんなの仇をっ、あの人の仇を―――」

 

 老戦士の剣には皆の多くの気持ちが込められていく。

 

(……そうだな、ただ倒すのみ。全てのビーストマン達を――)

 

 老戦士は修羅と化す。

 大柄の虎顔の戦士へ、グッと踏み込み巨剣を払って奴を一度大きく引かせると、後方へと右から回り込もうとした7体を時計回りで一気に斬って斬って斬りまくった。

 武技〈連鎖斬〉――斬撃数は実に18撃。一切受けをしない斬撃のみを繰り出し続ける熟練技が可能にしていた。

 

「くソっ、何ダこいつハっ?!」

「ヤバイですぜ、ヤツはっ」

 

 一気に残り4名となり、ビーストマン側の気勢と優勢感が大いに後退していた。

 巨剣を握る獣戦士の視線が一瞬、袋小路の外へ繋がる通路側を見る。

 その行為へ、老戦士が猛烈に煽る。

 

「ふふっ、もう逃げる算段か猫の大将よ。――弱いな。あの若い兵士をはじめ、先の皆がお前達を前に誰か一歩でも下がったか? あいつら皆が命で稼いだ時間は貴重なものだ。儂がお前らを一匹でも逃がすと思うなよ」

「クッ。ヤれーっ!」

 

 虎顔の戦士の叫びに、両手へ斧を持ったビーストマン兵が老戦士へ切り込んでいく。だが老戦士は〈縮地〉で横を抜けながら相手の胴を大きく致命的に薙ぐと、残り3体へ再び武技〈連鎖斬〉を炸裂させる。

 斬撃数12撃に、虎顔の戦士以外の受け切れなかったビーストマン兵2体は絶命し倒れていた。

 血が(したた)る剣を強く握り、老戦士は背中越しに残った大柄の虎顔の戦士へ淡々と現実を伝える。

 

「あとはお前だけだぞ」

「………馬鹿ナ。人間如きガただ一人でコの短時間に、我らビーストマンを13名モ斬り倒したダと」

 

 虎顔の戦士もこのまま戻っては、仲間を全て死なせ人間の前から逃げ帰った恥さらしである。

 

「グフフっ、面白い。お前の首ハ食わズに塩漬けにしテヤるわ」

 

 両者は、自然と振り返り剣を構え合う。

 夜陰の街中の袋小路で僅かに灯る篝火が、両者の薄く長い影を地面に照らしている。

 筋二つ向こう側の街並みでは火の手が上がっており、僅かに焦げ臭い空気が漂う。

 街中は完全に戦場。

 そして、血の臭いが充満するこの場でも再び斬り殺し合いが始まる。

 大柄の虎顔の戦士は先程から一撃の威力に頼らず、剣の速度を重視していた。パワーで比類する者に、速度で劣れば勝ち目はない。

 本来ビーストマンの身体能力は総じて高い。特に近接戦でのその素早さと動体視力には定評がある。同難度の人間に対してであれば、確実に素早さで上回っていた。

 だがこの目の前にいる人間は、恐らく難度で一回り上の水準と判断し全速で応戦している。

 そのためか、20合近く打ち合っても勝負がつかずに過ぎた。

 両者は一旦離れ対峙する。

 

「……(流石に速いな、デカい体躯といい千獣長並みの強さか)」

「くっ……(今のコの俺に一撃も斬ラセないとは、こイつ人間の癖に。だが、早く倒さネば)」

 

 焦りがあったのはビーストマンの側であった。

 斬り結ぶ大柄の虎顔の戦士は、更に威力を落として当てに来た。また体躯の差を使い、多少斬られても人間側へのダメージを重視する形にも変わる。

 しかし歴戦の老戦士には、虎顔の戦士のこの考えが直ぐに読めた。

 覚悟の差というのだろうか。

 当てに来るという事は、腰が入っていない。一撃を放つ時、それは途中から容易に変えられないものだ。だから勝負はあっけなく付いた。

 虎顔の戦士の軽く浅い踏み込みの一撃に――老戦士が合わせて深く踏み込み渾身の一撃を下から斬り上げた。

 老戦士の左肩を狙った虎顔の戦士の一撃が当たることはなかった……。

 

 なぜなら老戦士の一撃が、虎顔の戦士の橙色の毛で覆われた太い両腕を、肘先から空へと切り飛ばしていたからだっ。

 

 また例え当たったとしても、腰の入っていないその斬撃は彼の鋭い踏み込みの勢いと鎧に弾かれていただろう。

 

「グぉぉーー、俺のウでッ――――」

 

 老戦士は、即時に返しの振り下ろす剣で無防備にした獣戦士の首を半分断っていた。

 宙に舞った大剣を握ったままの両腕がゴトリと地へ落ちてくる。

 腕と首から血しぶきを上げ、虎顔の戦士は重い肉の塊と化した巨体をゆっくり倒していった。

 

 老戦士は、静かに愛剣から血を一振りで払うと鞘へと納める。

 遂に彼は一人で凶暴に襲って来たビーストマン部隊を全員撃破した。

 この目の前での偉業の達成に、婦人や子供達と住民は大興奮する。

 

「すっげーー、戦士様ーっ!」

「やったぁぁぁぁーーーーーっ!」

「「戦士様ありがとうっ!!」」

「オギャァ、オギャァ」

「愛してるわよぉぉーーーー!!」

 

 泣く赤子を他所におばさんの投げキッスと大絶賛の嵐だ。

 振り返って苦笑う、髪の薄い哀愁漂う鎧姿の老戦士。

 しかし――今の彼は漢らしく間違いなく格好イイの一言であった。

 

 ふと、老戦士は自分の足元へタラタラと血が滴っているのに気が付く。初めは返り血かと思ったが、すでに薬により痛覚が感じられないため、斬られたかも不明である。だが軽く体を動かすが、バランスを崩す事は無く脇腹や筋が切られたという話でもなさそうだ。

 そして気が付く。下を向いた時に己の鼻からポタリポタリと垂れていることに。

 

(ははっ。あと動けるのは5分か半日か)

 

 先程の緑色の薬に明確な制限時間はない。

 動けなくなった時、それが薬の効力の切れる時。でももう役には立った、それでいいと。

 今は、婦人や子供達の退避が先だと考える。

 老戦士は鼻を手拭きの布で拭うと、急ぎ呼び掛ける。

 

「早く逃げてくれっ。ここはビーストマンの連中の侵入口に近い場所だ。すぐに都市の反対側へ行った方がいい! でないと恐らく、すぐに奴らが―――」

 

 

「―――その通り! あぁあぁ残念でしたね、御老体」

 

 

 

 悠然と語り、この場の英雄の声を遮る大きい声が、建物の上から反響と共に聞こえてきた。

 老戦士をはじめ、婦人ら皆が大きく見上げると、7体程のビーストマン達が入口の路地近くの建物の屋根上からこちらを見ていた。眉間の皺を更に深めた彼は、屋根へ立っていた美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンを見て、聞いた声だと思い出す。外周壁上で体調を崩した直後に、剣を振り上げて襲って来たビーストマン兵であった。

 だが老戦士は先と違い、今は戦える。

 

「降りて来たらどうだ、猫共」

「ほう。――ん!? そこに転がっている大柄な我が同胞の躯は……五千獣長の御子息。まさか御老体が倒したのかっ?!」

「ああそうだが?」

 

 老戦士がそう答えると、屋根へ立っていた美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンは、途端に(まばた)きを盛んにしつつ視線を逸らして告げた。

 

「私達は――先を急ぐのでこれで失礼する。ではっ」

 

 ビーストマンらは返事を聞くことなく踵を返し、足早に屋根を伝って離れていった……。

 これは恥ではない。目的ある転進なのだ。

 老戦士も呟く。

 

「奴は……デキるな」

 

 考えを切り替え、すぐに彼は袋小路奥に居る皆の方を振り返って、再度大きな声で告げる。

 

「――さあ敵は去ったぞ、御婦人達に子供達、近隣の者も急いで避難してくれっ」

 

 そんな老戦士は背中にふわりと生ぬるい風を感じた。

 彼の方を見ている婦人らから、「キャーッ、後ろー!」「後ろにー!」と急に悲鳴が上がる。

 彼は、後ろを窺う素振りをする前に、咄嗟に両手を曲げて僅かに屈み脇を守った。

 次の瞬間、老戦士は凄まじい衝撃を受け左側へと飛ばされ、建物の壁へ激突しめり込んだ。

 

「――ガッ、がはっ」

「やはりお前か。我が息子を殺したのは?」

 

 長さ2メートルを超える両端に棘部分のある金属の太い棍棒状の武器を構えた、鎧姿の老け気味ながら貫禄ある虎顔の獣兵が1体立っていた。

 その身長はなんと3メートルを超えていた……。

 老戦士はここで気付く。

 美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンがこの場を直ぐに離れたのは、適任がいたからなのだと。

 

(く、油断した。甘かったな。右腕が……折れている)

 

 めり込んだ壁から老戦士は何とか這い出てきたが、絶体絶命である。

 今、配給の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を飲んだが、これはすぐにも完全にも回復しない……。

 相手の難度は60以上ありそうに思えた。

 そして不意を突き、最大の威力で先制打を当ててきていた。明らかに戦慣れしている。

 流石、何度か戦場で手を合わせ見知った顔である。

 当初6000名を率いて、この地へと攻め込んで来たビーストマンの国側の攻撃部隊長であった個体だ。今は副将の職にあった。

 

「今日こそは死んでもらうぞ、この都市で冒険者一番の戦士よ。息子を討たれて仇を取らない親はいないっ」

「くっ。己の時だけ都合よく怨敵扱いか? お前らのしてきた事を考えろ、この猫が」

 

 残る左手だけで左腰に差す剣を抜き構える。

 歴戦の老戦士は、当然左片手での剣も十分修練してきている。だが、困ったのは完全に折れた右腕だ。緑の薬のお陰で痛みはない。

 だが正直、ブラブラしていて邪魔なのだ……。しかし切り捨てる訳にもいかない。出血で数分しか戦えなくなってしまう。

 それに最大の問題は――万全でもこれまでに三度勝負がつかなかった相手である。

 このハンデで勝つのは、相当厳しいとの考えが頭の中で蔓延していく。でも今ここで負けることは、多くの尊い輝きを見せた命を無駄にしてしまう事になる。

 彼は大いに苦悶し震え、思わず初代王へと祈っていた。

 

(――――我らが王国、竜の神よっ!)

 

 すると……救いの手は、急に現れる――――。

 

 

 

「失礼しますよ。――はァッ」

 

 

 

 再び頭上から低く渋い男の声が、良く通ってこの場全体へと響いた。

 先程の感じから間違いなく建物の屋根上からの呼び掛けだろう。

 でも老戦士は、6メートル程前に立つ棍棒を握った老け気味に見える虎顔の獣将から目を離す事は出来ない。声の登場者は恐らく敵と思うが、獣将程の者ではないはずであった。老戦士は気配だけでの対応を余儀なくされる。

 続けて屋根から飛び降りて来た雰囲気。虎顔の獣将が僅かにそちらを見たが、ふと右片手で棍棒を水平に掲げ上半身を守る防御の構えをとった。

 いや――とっていたのだが。

 

 

 老戦士は見た。防御した太い金属の棍棒ごと、虎顔の獣将の頭がひしゃげ地面の下へと完全にめり込んでいくのを……。

 

 

 それはどう見ても、一般的に言う『踵落とし』である。

 ただそれだけなのだが――威力が段違いであった。

 建物の上からの攻撃というだけでは説明がつかない、周辺の大地が揺らぐ程の圧倒的なパワー。

 敵の老け気味に見えた虎顔で巨躯の獣将は、もう動かない。強引に膝を屈し上半身を地へと付けるようにして命の時間は止まっていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 漆黒のバトルジャケットを着る人間姿で白髪白鬚の男性は、獣将の大柄の躯へ気を残さず背を向け、老戦士の居るこちらへと静かに落ち着き歩を進めつつ涼しく尋ねてきた。

 それはこっちの台詞なのだが、袋小路に居た全ての者が固まっていた。

 

「……は、はい………………」

 

 老戦士は呆然とそう答えるのがやっとだ。

 白髪白鬚の男は、まるであっさりと、道で見かけた害虫をそっと踏み殺した程度の事――そんな雰囲気の物腰に見えた。

 確かに力量差から『象と蟻』の邂逅だったのかもしれない。

 

「セバス様ーっ、こいつだけまだ、生きてますけど?」

 

 突然、意識外の方向からの若い女声に、老戦士は緊張してそちらに視線を向けた。敵がまだいたのかと。

 いつの間にか視線の端には、漆黒の服を纏い武器らしき物を担いだ人間の女性が、あの壁際で転がる若い兵士の傍でこちらを向いて立っていた。

 

「では、助けてあげなさい」

「えー(ツツいて苦しむ断末魔を見届けずに助けるんすか?)……了解でっす。〈大治療(ヒール)〉っ」

 

 彼女は満面の弾ける笑顔で答え、魔法を発動した。

 路地に()()他の者は、酷いありさまでこと切れ10分以上時間が過ぎていた。〈大治療(ヒール)〉でも、そこからの完治は無理である。

 だが、若い兵士は仮死状態に陥りつつもまだ辛うじて心臓が鼓動を打っていた。

 それであれば一瞬の間に完治可能だ。

 周囲の闇の中で淡い光に包まれた若い兵士の左腹に開いた大穴がみるみる塞がり、全身骨折も治っていく――。

 

 

 

 

 治療魔法が終わって、やがて若い兵士は目を覚ますと敷かれた布の上で飛び起きた。

 

「大丈夫か、若いの」

「……戦士殿?」

 

 彼の周囲では鎧姿の老戦士と、婦人達に子供や住民らの十数名が心配そうに、少し焦げ臭い中で見守っていた。

 ここで、若い兵士は意識を失う直前の事を思い出し慌てて尋ねる。

 

「――あっ、敵は?! ビーストマンの、虎顔の――」

「安心しろ、皆討ち果たしたわ。すでに侵入したビーストマン共は外へ押し返しておる。それに奴らの副将が討たれて混乱し、今日はもう撤収気味だしの」

「ええっ!? それ……すごいじゃないですかっ!」

 

 あの状況から何をどうすれば巻き返せるのか。そういう単純な興奮と疑問が若い兵士に浮かび、彼は率直に尋ねる。

 

「一体どうやってですっ?」

 

 質問に対して、老戦士は困った風に答えた。

 

「――あーー、聖者が現れたとしか言えんなぁ」

「は? はぁ……」

 

 死に直面した者を一瞬で完治させる魔法――それぼどのものをあの時、老戦士は初めて見た。

 仲間でベテランの魔法詠唱者が言っていたのを思い出す。

 『第四位階魔法の〈治療(ヒーリング)〉が使えればなぁ』と。〈治療〉は戦傷において重傷もほぼ完治させ、仮死状態の者すら持ち直させると言われる最早奇跡の域の魔法だと。

 しかし、この若い兵士の後に、老戦士も若い女からの魔法治療を受けたのだが――傷ではない『病』といえる重い疲労感や劇薬による重度の後遺症までもが一瞬で完治していた。

 〈大治療(ヒール)〉――これを神業といわず何と言おうか。

 そういった大業を成した2名の聖者達は「それでは、失礼します」「おさらばっす! ああ、近くにいて逃げなかったビーストマン達は、30匹ほど退治しておいたっすから」と言って名も告げずに颯爽と屋根へ飛び上がると去って行く。彼等は行きがけの駄賃に「ふん」と拳圧で火事まで吹き消して。

 目立ち過ぎである……。

 

 あとで老戦士が確認したビーストマンらの躯の中に、あの美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンがいなかったのは確かだ。恐らく逃げたのだろう。

 

 

 

「セバス様、どうしますー?」

「そうですね、ルプスレギナ。この都市には他と比べ構造上に弱点があるようですし、暫くここを拠点にしましょうか」

「了解でっす。適当な部屋を借りますねー」

 

 どうやら聖者達はまだ、この都市のどこかにいるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仮面を被ったアインズが、王都のロ・レンテ城内ヴァランシア宮殿3階にあるいつもの宿泊部屋へと戻って来たのは午後3時半前頃のことだ。

 だが、その前に彼は一度ナザリックへと戻ったのち、再び外でアウラ達を労い、フランチェスカとシモベ達にも声を掛けていた。

 

 

 何と言っても今回は、ナザリック地下大墳墓がこの新世界へと転移して来て以来、最大の危険を伴う作戦(ミッション)であったからだ。見事に達成した者達を労うのは主の務めといえる。特に前線で指揮したアルベドを誉めてやろうと考えていた。

 〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉の黒き重甲冑姿を解き、いかした骸骨顔に漆黒のローブ姿のアインズが、〈転移門(ゲート)〉を使いナザリック地表の中央霊廟前へ現れると――すでにアルベド自らが出迎え跪いてくれていた。

 アインズは一瞬戸惑い、眼窩(がんか)に輝く紅い光点がまばたきの如く明滅する。

 どうやって今ここに現れる事を知ったのかが不気味だと……。

 

(忙しいアルベドが、ずっと待つわけはないよなぁ)

 

 彼女が第九階層の統合管制室で、仕事の傍ら『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』の最大望遠にて、王国北東の地でのアインズの行動を先程から20分ほど食い入るように見ていたことまでは気が付かない。

 アインズは「まあ偶然もあるか」と疑問を横へ置いて気を取り直し、アルベドの前まで静かに歩を進める。

 彼女は、穏やかな表情で目を閉じていた。しかし、期待からか……腰の黒いモフモフである翼を微妙にパタッパタッとさせている。近付くとその度合いが劇的に増した……。

 パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ――――。

 可愛いものである。それには今触れないのが思いやりだろう。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「うむ。……先に伝えておこう、アルベド。本日の働き見事であったぞ。流石は我がナザリックの守護者統括だな」

 

 アインズは跪いていたアルベドの頭を優しく――ナデナデする。

 頭を撫で易い位置へ置くための跪きでもあった。完全にアルベドの作戦通りである。

 ナデの瞬間、彼女の黒い翼は羽ばたきがピタリと止まって完全に伸びきり……痙攣していた。

 そして眼が全開し、軽く握られていた手もプルプルしていく。

 

(あぁぁ、アインズ様……幸せっ。よっしゃぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ! 撫でをもろたでーーーっ!!)

 

 彼女の心の中で、足を開き力こぶを作る形で盛大にガッツポーズが何度も行われていた。

 

「ありがとうございます」

 

 しかし、表面上では控えめに答えて淑女を装う。

 なぜならアインズであるモモンガ様が、自分への愛を設定へ刻んでくれたのは、彼女自身の清楚で貞淑そうに見える雰囲気の部分であると考えていたからだ。それを彼の為にも大事にし壊さずに守りたかった。彼女の設定は、創造主によりギャップ萌えの内容でてんこ盛りだが、絶対的支配者が望む姿へと少なくとも努力をし続ける必要はあると。

 漸く上げた彼女の顔の表情は美しく満面の笑みを浮かべていた。

 そして当然の様に、アインズの指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)をそっと差し出す。

 

「あの、アインズ様、こちらを」

「うむ。いつもすまないな、助かる」

「いえいえ(くふふっ、もうすっかり夫婦の会話だわっ)」

 

 アインズが、受け取った指輪を指へと嵌める動作を彼女はにこやかにジーーっと見守る。

 主の向けてくる優しい表情と言葉に、アルベドの最近の良い所の無かった仕事へ関するモヤモヤは、全て綺麗に流されて澄み切った()()()()()のみが心の中へ広がっていた……。

 

「では、中へ移動しようか」

「はいっ。それで――こちらでのご休憩は60分ですか、90分ですか?(やはり執務室奥の防音振動対策済の寝室で……熱く熱くっ。……シャワーをアインズ様が先でぇ、私が後から……キャッて)」

「ん。いや、休んでいる暇はないな。アルベドの気遣いには感謝するが。まず、第二階層へ行き、シャルティア達を(ねぎら)ってやりたい」

「(えーーーっ……焦らないで、ま、まだチャンスはあるハズよっ)あぁ、そ、そうですよね。参りましょう、直ちに!」

 

 勝手に持ち直したアルベドを伴うと、アインズ達は指輪により第二階層へと一気に足を運んだ。

 シモベの吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)から、アインズの来訪を伝え聞いたシャルティアは自室の死蝋玄室から急ぎ〈転移門(ゲート)〉を使い建物前へいつもの紫系の衣装で登場し、石床に御方へと跪き出迎える。

 

「ああ、我が君っ。お戻りをお待ちしていたでありんす」

「うむ。それにしてもこの度、敵との直接接触という危険な任務を見事に果たしたな。ご苦労であった。さすがは戦闘において守護者序列一位のシャルティアだ」

 

 アインズは真祖の彼女へ近寄ると、優しく頭の可愛く大きいリボンを避けて撫でてやる。その右手の一部が彼女の髪下の耳をもくすぐっていた。

 

「あぁぁ、何と気持ちよく、嬉しきや。あぁぁーーーーっ、我が君の御手は……絶品でありん……すっ。(――――っぁぁ)」

 

 そう言ってくれたシャルティアであるが、そのあとナゼか表情を見せず頭を下げたまま小刻みにプルプルしているだけであった。一瞬伸びきった舌が見えてたのは気のせいだろうか……。

 主は、何かオカシイ感じもしたが、その場を乙女としてアルベドがそつなく静かにフォローする。

 

「シャルティアは、余りの嬉しさに感じ()ってるようですわ。アインズ様、エヴァ達にも何かお言葉を」

 

 シャルティア以外に、作戦へ参加し遺体回収隊を率い偽装工作も行なった謎スライムのエヴァと吸血鬼の花嫁達も脇に控えていた。

 

「ああ、そうだな」

 

 アインズはそれらの近くへと数歩移動する。

 

「エヴァよ良い働きであった。これからも頼むぞ」

「…………(ハッ、御言葉有難ウゴザイマス)」

「うむ。横へ並ぶ他の者達もよくやった」

「ははーーーっ」

 

 この階層のシモベの中でも下位の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達にとっては、正に神の如きナザリックの絶対的支配者である。

 言葉を直接貰うことは中々ない。そのために彼女達は凄まじく緊張していた。

 しかしそうでもない者が、その端へ新参のシモベとして膝を突く。

 アインズの視線が、そのナザリックでは見慣れないスリットの大きい黒き現実世界の大陸風の衣装装備を身に纏う者を捉える。

 

「……お前が()()()か? (おもて)を上げよ」

 

 その指示に応え、金髪ツインテールの少女が細い眉に涼やかな瞳の顔を上げる。

 

「はい。至高様へはお初にお目にかかります。本日、シャルティア・ブラッドフォールン様のシモベの端へと加えて頂きました、カイレにございます」

 

 アインズへも忠誠を誓ったが、あくまでも主はシャルティアである。その初期化当初と言える今の心の中は、ナザリック産のシモベ達とは忠誠心の純粋面で差があった。

 

「そうか。これまでの過去は問わん。シャルティアと私に尽くし我らナザリックへ貢献せよ」

「はい。シャルティア様より分けて頂きましたこの血に誓いまして」

「うむ。ところで、お前が身に着けていたスレイン法国の至宝に付いて、制限や性能面を聞きたいのだが?」

 

 スレイン法国の至宝、それは国家の最機密事項である。本来ならば死しても秘匿すべき内容である。

 しかし生まれ変わったカイレは、即頷く。

 

「はい、何なりと。私の知る限りの情報を提供させていただきます」

 

 それから10分ほど、アインズはカイレから至宝について情報の提供を受けた。

 攻撃対象は1回につき1体。

 対象は耐性や種族、難度(レベル)を問わない。

 使用時に使用者は難度3(1レベル)ダウンする。

 難度75(レベルで25)以上なければ発動できない。

 連続使用は使用者の魔力量と残レベル次第で可能。

 再使用までの時間は20分。

 最大射程は150メートル。

 使用者は、魔法攻撃(才能)が低い割にMPが異常に高いこと。比率で5倍以上。(能力表において魔法攻撃8程度の者がMP40以上ある等の特殊ケース)

 

 そして――支配効力は256時間、約10日半程である。

 

 効力が切れれば概ね敵対対象であり、その前に自身の体を壊させ自殺させるという。

 確かに考えれば、無期限有効なら世界中の強力なモンスターを支配下に置き、スレイン法国の戦力としてもいいはずである。

 それが出来ていないのだから、有効期間の制限や問題点も考えられるはずであった。

 実際、カイレは再度の難度引き上げには数カ月掛かり、継続支配は実現できなかったと発言。

 ただアインズは、クレマンティーヌから重要であるはずの至宝による支配有効期間について、報告を聞いていない。なので無期限有効か、とも考えていた。少しの期待外れ。

 語られなかった点から、彼女はたぶん有効期間の存在を知らなかったのだ。

 

 なぜ、クレマンティーヌは知らなかったのか。

 

 アインズにこれは納得出来た。有効期間存在の事実は明らかに至宝の『弱点』であるからだ。

 対象の身柄を確保し続ければ、やがて支配状態は解除されるという手が有効と分かる話。

 法国としてクレマンティーヌ……いや漆黒聖典にも隠していたのだろう。至宝を使って敵を支配下に置いても、恐らく効力期限がバレる前に「人類への脅威は早急に滅せよ」など理由を付けて不自然なく直ぐに殺させたのだ。

 さて、カイレの情報でアイテム効果は絶大だが、レベルダウンなど対価も少なくない事がわかった。

 ナザリックにおいても使用者選定はかなり難しい。

 特異な使用者制限もあり、使う場合は今のところやはりカイレが適任と思われる。彼女ごとの確保は結果的に正解であった。

 また彼女へ他の至宝と秘宝について確認したが、彼女自身で使用出来ない事から詳しくは知らず、以前クレマンティーヌが伝えてきた以上の情報は無かった。

 それも予想の範囲内である。法国としてこれほど危険度の高いアイテムを持つ者が、万一敵に回る可能性も考えれば情報の制限や遮断は当然だ。

 アインズでさえ、宝物殿だけは基本開放していない。詳しく知るNPCはナザリックでも当然口止めしてあるパンドラズ・アクターのみだ。

 

「なるほどな、良く分かった。カイレよ、何かあればまた頼む」

「はい」

 

 アインズからの視線が去った事を感じカイレは頭を垂れ、目と閉じた。

 

「アルベドよ。回収した至宝を私へ渡せ」

「はい、こちらです」

 

 静かにゆっくりと歩み寄って来たアインズへ、脇へ立って控えていたアルベドは自身で預かっていたアイテムを躊躇なく手渡す。もはや、彼女自身では使えない代物と分かったこともある。

 だがもちろん、奪取したアイテムを主へ渡して初めて今回の指揮官の任務の完全終了を意味すると考えていた。

 綺麗に畳まれた白銀色の生地の衣装装備に金の竜の図柄が見えていた。それを絶対的支配者は受け取る。

 

「ふむ。これは私自身の手で宝物殿へ移しておく」

 

 アインズは、新しく非常に貴重であるアイテムを手にし満足する。一時的にアイテムボックスの奥へと収納した。

 主の少し嬉しく見える様子にアルベドは、大任終了を安堵しつつ同意の言葉を伝える。

 

「はい、それがよろしいかと」

 

 一つ頷いたアインズは、シャルティア達への用を終えてこの後の行動を伝えようと口を開く。

 

「さて、次は――」

「――ご休憩ですか?(くふふっ)」

 

 アルベドが、豊満な胸の前で手を包み合わせ、頬を染め期待の表情で主の言葉へ被せるように尋ねてきた。

 シャルティア達への労いは終わったのだ。もう二人の時間はたっぷりと――。

 

「あ、いや、デミウルゴスやコキュートスのところへ行くぞ。作戦の基本案を出し、ナザリックを守っていた事を労わねばな」

「そ、そうですわねっ……(くすん。いえ、まだまだっ)、行きましょう!」

 

 カラ元気に半分声が裏返るもアルベドは負けない。今日は既に撫でを貰い悩みも消え気分が最高であるから、多少のことでは気にしないのだ。

 

「シャルティアよ、今日はゆっくりと休むが良いぞ」

 

 アインズは背を向けかけた去り際に、中々顔を上げなかった彼女(シャルティア)が、作戦での気疲れで疲弊しているのかと思い優しく声を掛けた。

 すると、漸く僅かに()()()()()()()シャルティアが恥ずかしそうに火照った顔を上げる。

 

「は、はいで……ありんす」

 

 しかし(ひざまず)く彼女のボールガウン姿の大きく膨らむ紫色のスカート中では、人知れず太腿が時折スリスリし共に内側へ妙に寄っていた……。

 加えて元々真っ白く美しい肌のため、耳元や首まで綺麗に赤くなっているのがよりハッキリと分かってしまった。

 それを見た、アインズが驚きに眼の紅い光点を強くし思わず心配になって歩み寄る。

 

「んんっ? シャルティア、熱でもあるのではないか?」

 

 NPCであり体調を崩す事はないはずなのだが、何かの突発的な異常が発生したのではと絶対的支配者は彼女の前へ屈み、右手を優しく背へと回して抱き、咄嗟に左手をシャルティアの額へと当てる。

 その愛しく尊い主からの献身性溢れる心配振りと密着の抱擁に加え、絶大なる謎のパワーを持つ御手の再タッチである。

 ある意味、先程から続いている嬉し恥ずかしといえる羞恥プレイ状況の果てに掴んだ思わぬご褒美で、シャルティアはついに――。

 

「――――ぁぁっ、我が君っ。あぁぁーーーーーーーィィっ!」

 

 カクリ。

 

 彼女は――極限の愉悦によりアインズの腕の中で満足し、幸せそうだと思える表情を浮かべ失神していた……。

 目と口を閉じておりとてもお上品であったことに、横で見ていたアルベドは「ふーん」と感心して冷静に眺めている。

 一方、さすがにアインズもシャルティアの声が可愛い嬌声にも聞こえていた。

 

「ど、どうした? シャルティア……?」

 

 しかし、原因(ネタ)や今のこの状況でか、とも思い半信半疑に困惑する。

 その時に、見かねたアルベドが間へと立ち入った。

 

「アインズ様、今日シャルティアはやはり少し疲れているようですわ。ここは私にお任せください」

「そ、そうか」

 

 アインズの向かいへ跪いたアルベドは、支配者から気を失うシャルティアの背を受け取る。

 いずれにしても、ここは女性のアルベドに任せるのが最適だと絶対的支配者は判断する。今日の作戦では、緊張した戦闘があり今のシャルティアの感情にいつもと差があった可能性も十分考えられる。

 なので今の出来事は引き摺らない方が良いと考え、支配者は立ち上がると足もとの守護者統括へそれを伝えておく。

 

「では、頼むぞ。この倒れた件、シャルティアが気にするようなら、無礼は無かったと伝え安心させてやれ」

「分かりました」

「さて、私はデミウルゴスのところへ行ってくる」

 

 笑顔のアルベド以下、エヴァ達皆の見送りを受け、絶対的支配者は指輪を使い第二階層を後にした。

 

 

 その直後、一瞬で笑顔を殺したアルベドは支えていたシャルティアの背より、パッと手を離す。と同時に立ち上がる。

 当然、バッタリ後ろへと倒れて真祖の乙女は後頭部を(したた)かに打った。だがこの程度はLv.100の者にとって当然ダメージにはならない。これは気持ちの問題である。

 そして見下ろすアルベドは、片膝を立てているがほぼ仰向けの真祖の乙女へ言い放つ。

 

「――シャルティア。ちょっと、どういうつもり?」

 

 非常に雲行きが怪しいと、機敏であるエヴァから、今日の作戦でも使用した無音での手先指示を受け、シモベ達はサーっと階層守護者の二人だけを残しこの場を退散していく。

 

「――んっ……もう。いい気分でありんしたのにィ……」

 

 まだ快感の余韻残る仰向けの乙女は、まだ太腿を少しスリスリしながら気怠げに薄目を開く。

 腰に手を当てて見下ろしているアルベドを視認すると、彼女へ反撃の言葉を送る。

 

「下の統合管制室で、我が君の様子をネットリとストーカーしていた者に言われたくないでありんすね」

「ちょ、ちょっとぉ。ストーカーだなんて。私はただアインズ様の安全を確認していただけよっ。それよりも一人だけズルぃ……コホン、失礼なんじゃないアインズ様の前で――楽しむなんて」

「これはっ、敏な耳まで触って頂けたからよ。完全に成り行きでありんすからね。偶然なのっ」

 

 しかし、アルベドは納得できない。

 あの戦略会議室の自身の時は、全公開風で()()()()()()()()()()()()()シャルティアとマーレに外へと連行されていったのだから。そのまま、第五階層の氷結牢獄の姉の部屋へと投げ込まれて……。

 

「私の時には2日も強制休養だったのにぃーー」

 

 アルベドの不満にシャルティアは依然仰向けのままで、掌を上へ向ける形でのパフォーマンスも加えて呆れる。

 

「そりゃそうでありんしょ? あれは我が君に対する暴力行為。筋肉ゴリラであるぬしお得意のね」

「何ですってぇ?」

 

 眉を怒らせカッと大きく目を見開き、肘を曲げて拳を握り込むと両肩へ筋肉が盛り上がらんとしたが、それ以上をアルベドは思い留まる。

 今は御方がナザリックに帰ってきているのだ。いつでも出来る口論に時間を食っている場合ではない。それに今日は、シャルティアの働きを少しは評価してやるべきと考える。

 かなり安全に目的のアイテムを入手できたのは、万一乗っ取られても短時間で消えて後腐れの無い『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』を使えたからである。

 だから先程も、微妙となった場の中へ入りアインズへ取り成したのだ。

 

「――ふん。今はあなたの相手をしてる暇はないわ。じゃあね」

 

 アルベドは、NPC達の中で唯一持つ指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を使ってこの場から消える。

 

「……あらん? 随分引きが早かったわね。まあ……助かったでありんすけど」

 

 主の趣味もまだ詳しく分からず妃の事も有り、やはり少し女の性へは慎重を期したい真祖である。

 アルベドが去るのを見送ったあと、シャルティアは冷たい石床から体を起こすとゆっくりその場へ立ち上がる。床には僅かにシミが少し広がっていた……。

 彼女は、周囲を一応確認すると――最後にスカートの中へと〈乾燥洗浄(ドライ・クリーニング)〉を密かに実行した。

 

 

 アインズが移動し現れたのは、ナザリック地下大墳墓の第七階層『溶岩』。

 見渡す限り一面はゴツゴツした溶岩で埋まり、高熱から放たれる地面の明かりで赤く薄暗い雰囲気が広がる。奥には小高く鋭い山も見える。気温は無論かなり熱い。当然、アインズは装備やアイテムによりほぼ影響は受けないが。

 中央の溶岩の川を挟み、その奥に立つ赤熱神殿が第七階層守護者デミウルゴスの居室のある建物だ。

 溶岩の川には、領域守護者の中でも最高水準の戦闘力を有する戦闘特化型NPCの紅蓮が潜んでいる。

 赤熱神殿は、一部がわざと崩壊した形の古代ギリシャ様式の神殿で、施された彫刻も最高級であり格調の高い趣きのある建物だ。

 アインズが歩を進め溶岩の川へと近付く。

 敵であれば容赦しない超巨大奈落(アビサル)スライムの紅蓮であるが、至高の主を迎え川から顔を出すと会釈をし、その体を伸ばしわざわざ30メートル以上の長い橋を作ってくれた。

 〈飛行(フライ)〉で上空をパスしてもよかったのだが、主として気持ちに応えてやる。

 

「紅蓮よ。では、通らせてもらおう」

 

 アインズは橋の中央を堂々と歩いて渡り、周りの光景を眺めながら少し歩くと赤熱神殿へとたどり着く。

 そこにはシモベから聞いたのであろう、既に神殿前へデミウルゴスと魔将軍らが跪いていた。

 

「これはこれは、アインズ様。この地へのわざわざのお越し感激でございます。お声を頂ければこちらから出向きましたが」

 

 アインズの種族の弱点に『炎ダメージ倍加』があり、炎や熱に対しての相性は良くない。

 そのため、この階層へ来ることは余りないのだ。

 

「私がこの世界への転移の直前に来て以来か。たまには、主として回らないとな」

「左様でございますか。ささ、中へどうぞ」

「うむ」

 

 アウラ達との第六階層でのやり取りがあるので、アインズは「邪魔するぞ」とは言わなくなっていた。

 神殿の奥へ通され、普段は使われていない至高の者達の会席していた広間に入る。

 見るからに重厚さが伝わる岩盤造りの上座の席へアインズが腰掛けると、その前に付き従っていたデミウルゴスが床へと跪く。

 

「今日ここを訪れたのは、先の作戦が上手くいった労をねぎらいたいと思ってな。デミウルゴス、今回も柔軟性のある作戦の基本立案、見事だった」

「はっ。お褒めの言葉を頂き有り難き幸せ」

 

 最上位悪魔は、口許に満面の笑みを浮かべ頭を下げる。

 ここで、アインズは尋ねる。

 

「デミウルゴスには先日も王都での良き働きがある。何か望む物はあるか? 可能なものであれば与えよう」

 

 アインズ個人としては、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)が良いかと思ったが、本人の希望をまず聞いてみることにした。

 すると、顔を静かに上げたデミウルゴスが伝えてくる。

 

「では、ひとつ頂きたきモノがございます」

 

 絶対的支配者は内心で「ほう」と思うと同時に強い関心を持った。このデミウルゴスがわざわざ言い出すほどの物があることに。

 

「申せ」

「はい。それは――先日、パンドラズ・アクターがアインズ様より頂いたものでございます」

「ん? (なんだ? ……宝物殿のアイテムをアイツの傍に貸し出している事かな?)」

 

 アインズが、視線を僅かに左右へと漂わせてそんなことを考えていると、デミウルゴスは()()()に伝えてきた。

 

 

「あの者は、アインズ様から――頭を撫でて頂いたとか」

 

 

「―――っ?! (確かにマーレも見てたけど……どちらからか伝わったんだな。いや、今更詮索は意味がないか)」

 

 既にパンドラズ・アクターへ与えている事から、この場での言い逃れは無理に思える。

 配下の丸眼鏡が、彼の大きくする期待でキラリと光ったようにも見えた……。

 

「(……ええい、どうにでもなれぇ)……分かった。デミウルゴスのたっての願いだ、叶えてやる」

「ははっ、ありがたき幸せ」

 

 アインズは席から立ち上がると、忠臣の最上位悪魔(アーチデヴィル)へと歩み寄り、その後方へ靡く形であるオールバックの髪を、後ろへ軽く流す形でポンポンポンポンと撫でた。

 デミウルゴスはナデを直接受け宝石の眼をカッと見開き感極まる。

 

「……っぁ(こ、これはっ……想像をはるかに上回る、魔性の御手……でございます)」

 

 アインズは、10秒ほど褒美を与えると、問うた。

 

「これで良いか」

「はっ。格別なるご配慮にこのデミウルゴス、更に日々の貢献を胸に誓いましてございますっ」

 

 デミウルゴスの忠誠心は、正にエクストラモードへと昇格したかに感じられた。

 

「(そ、)そうか。期待しているぞ」

 

 アインズはその後、数分デミウルゴスと話を交わすと赤熱神殿の外へと向かう。

 ざっと話を聞く限り、やはりデミウルゴスは多くの仕事を抱えていることが感じられた。

 一応総量をアルベドと分け、彼女が同程度を回してくれているので大丈夫ですと聞く。しかし二人への負荷は相当であると改めて気付く。アインズがナザリック内部について殆ど任せ、外にいる事に原因があるのは明白であった。

 とはいえ、もとは凡人の営業マンに大企業以上である組織を円滑に回す事など難しい。

 ユグドラシルの時にはNPCを始め、配下達は単にゲームの駒であった。だが、今は全く違う。それぞれが意志と感情をもってバラバラに動く。組織としてしっかりした統率と管理が必要なのだ。

 

(格好だけではいけないなぁ。今度、下の大図書館で少し真面目に帝王学の本でも探して読むか……)

 

 今は忙しいが、寿命とは無縁の死の支配者(オーバーロード)である。時間は有るはずだと。

 先の事を少し考えつつ、デミウルゴス達に神殿の外まで見送られ、アインズは第七階層を後にする。

 

 

 絶対的支配者は、次に第五階層の『氷河』を訪れる。

 この階層は、概ね冷気ダメージと行動阻害のエリアエフェクトに覆われているのだが、維持コスト低減のためにこの時間は停止している。第七階層と交互に稼働させている形だ。

 勿論、ナザリック周辺へ敵が迫れば全力稼働へと移行する。

 

 アインズが階層フィールドへ出現すると、速攻でアルベドが近付いて来た。今は見通しが良いので直ぐにみつけられることもある。デミウルゴスの次はコキュートスを労うと聞いていたので、彼女は勿論先回りしていたのだ。

 

「アインズ様っ、こちらでお持ちしておりました」

「(うぉっ。他の仕事は大丈夫なのか……)そうか」

 

 突然の登場に内心驚くが、アインズは主らしく落ち着いて答えた。

 アルベドは、有能さを見せる臣下らしく先程の件について、早速最良の結果を報告してくれる。

 

「シャルティアの方はご心配なく。既に目を覚ましました」

「……色々任せてアルベドも忙しいのであろうな」

「いえいえ。まだまだ大丈夫でございます」

 

 アルベドは、気疲れを感じさせないニコやかに笑う余裕の表情で答える。

 ここで時間を取って、後ろへシワ寄せが来ようとも全く苦では無い。

 いや、今時間を空けずにいつ空けるのかという考えでいた。至高の御方と共にある時間の尊さは他に代えがたいもの。他の多少を放るのはココなのだ。

 

(今よ、今でしょ)

 

 どこでも誰でも愛には盲目なのである……。

 そうこうしていると、コキュートスの館へ着き、シモベの雪女郎(フロストヴァージン)を通して中へ入り、守護者の武人へと会ってアインズはナザリック防衛の労を労った。

 

「コキュートスよ。作戦中のナザリックの守備、大儀である」

「ハハッ。勿体ナキ御言葉」

 

 ここでの時間もあっという間に過ぎる。

 凍河の支配者とシモベ達に見送られ、アインズとアルベドはクリスタルの建物を後にする。

 遂に先の作戦に関しナザリックでの労いの件は終わったはずである。アルベドは『至宝奪取(エィメン)作戦』の指揮官。間違えようがない。

 確かにまだマーレが残るも今はまだ外にいるし、絶対的支配者配下の人間の女(クレマンティーヌ)の救援任務で、まだ当分は……ご休憩60分はいけるはずである。

 第五階層の風景を二人で眺めていたその時。アインズが口を開く。

 

「では、私は少し―――」

 

 この瞬間アルベドは、今度こそ確実だと考えた。『休憩』のニ文字が主から飛び出すと。

 だから自信を持って彼女は、晴れやかに口走る。

 

「―――ご休憩120分ですねっ?」

 

 時間が30分延長込みでサービス最大(マキシマム)に伸びていた……。

 だが痛恨である。アインズから出た言葉は違っていたのだ。

 

「いや。お前達の懸命なる働きを思えば、私に()()()()()()()()()な」

「――!?」

「これから宝物殿へ行って危険度の高いこのアイテムを厳重に仕舞ってくるつもりだ。アルベドも付き添いはもうよいぞ。仕事へと戻るがいい。私はこの後、マーレやアウラ達を労いに再び王国北東部へとゆき、また王城へ戻るつもりだ」

 

 大きく心に衝撃を受けるアルベドであった。

 

(そ、そんなぁ。貢献しようと働くほど、“ご休憩”無しだなんて……どうすれば)

 

 彼女はアインズの為に一生懸命働いている。しかしそれがここで枷になろうとは――。

 

「ではな」

「は、はい……」

 

 やっとの思いで返事を返し黄昏るアルベドを残し、アインズは宝物殿へと移動した。

 

 

 宝物殿の入口と言えるこの場所は、広く正十二角形の床面を持つ天井まで数十メートルもある黄金の巨大宮殿の大講堂内と思われる圧倒的空間。

 壁面全ての棚には天井までキラ星の如く遺産級(レガシー)以上伝説級(レジェンド)までのアイテム群で埋め尽くされ、その天井から一筋落ち続けるユグドラシル金貨の滝で中央には数多の下位アイテムも混じる金貨の山脈ができ、その下の床一面は兆を超える金貨で埋め尽くされた黄金郷の光景が広がっている……。

 アインズは、そこで〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉によってアイテムの能力を詳しく知ることが出来た。

 

 至宝は予想通り――世界級(ワールド)アイテム。名は『傾城傾国』。

 

 『傾城傾国』の性能は、先程カイレから聞いた内容を裏付ける内容であった。

 それは彼女の忠誠を物語る証拠にもなった。

 アインズは、もちろんこの為にカイレへ事前に問うたのだ。

 確かに、シャルティアによる血の支配力は絶大だが、アインズはNPCの設定すら変化を見せるこの世界では100%だとは言えない気がしていた。

 並みのシモベならどうでもいいが、万が一にこの世界級アイテムを使わせる者なのだ。慎重すぎても後悔することはない。

 なので今のところ、大丈夫というのが確認出来てホッとする。

 アインズは『傾城傾国』を収納するため、奥の厳重封印の武器庫へ進むべくホール真正面奥の高く幅広い『闇』の壁を見据え前に立つ。

 

(えーっと、パスワードは何だっけ……)

 

 先日アルベドがパンドラズ・アクターと初顔合わせした折に来て以来である。

 その際にもここを通る必要があり、一応事前にシズへ確認していた。

 シズ――CZ2128・Δ(シーゼットニイチニハチ・デルタ)は、ナザリックの全ての仕掛けと解除方法を知っているという設定のNPCなのだ。

 こういった点からシズはかなり重要そうに思えるが、漠然とした質問には答えず、回答もあの口調である。また指輪を持っていないことと宝物殿の秘蔵アイテムの知識も全くないため、単体での存在について他のNPCと同様と考え、アインズはナザリック外へも連れて出ている。

 その彼女に、先日アインズは自力で思い出したパスワードを確認し問題ないと使ったはずだが、今は長すぎてとっさにパスワードが出てこなかった。

 支配者は、とりあえず慣れた共通パスワードを語る。

 

「“アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ”」

 

 すると、Ascendit a terra――で始まるラテン語で80文字程の一文が闇の上へ漂う形に白く輝く文字で浮かび上がる。

 通常なら共通パスワードのみで解除されるが、この場所だけは大ヒントが表示された。

 それを見たアインズは思い出し、正式な長いパスワードを述べる。

 

「(あぁ、確か)――“かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう”(――かな)」

 

 すると闇が一点に吸い込まれるように退き、奥への通路が現れた。

 そうして中へ進み、霊廟の更に最奥にある世界級(ワールド)アイテム保管庫までくる。

 棚はシースルーだが、いきなり手にすると大ダメージを受ける呪いのトラップがあり、多少緊張してパスワードを告げる。

 漸く棚へと手が届くようになった。ここの枠のサイズは可変である。それでもデカすぎて入らず玉座の間に置いてある物もあるが……。棚の総数は210。

 勿論見栄とは思うも、トップギルドが目指すものの一つとして、世界級アイテム制覇はあって当然である。

 その棚の一つがここで埋まった。アインズが『傾城傾国』を収納したのだ。

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』にとって12個目。保有数は過去最大となった。

 ユグドラシルにいた頃、途中で世界級アイテムを1つ奪われた時は、まだナインズ・オウン・ゴールの古き時代で、もっとも増えたのは1500人の討伐隊から巻き上げた時だ。あの時には一気に増えたが。

 

「うーん。やっぱりいいよなぁ。感慨深いものがあるよ」

 

 仲間達との事を思い出ししみじみと眺めていると、アインズの姿であったが素に戻っていた。気が付けば、10分ほど世界級アイテム保管庫を彼は静かに眺めている。

 だが、いつまでもここへ居る訳にはいかない。

 

 

 今は、ナザリック地下大墳墓のNPCやシモベ達すべてが、絶対的支配者アインズ・ウール・ゴウンである彼を待っているのだ。

 

 

「さて、行くか」

 

 再び、重々しい声で呟くと彼は、この場に背を向け歩き出し武器庫の外へと戻っていく。

 アインズは宝物殿を去る前に、アイテムボックスの中に忘れていた、クレマンティーヌから渡されていた『叡者(えいじゃ)額冠(がっかん)』を取り出し、壁の棚の一つへとそっと置いた。

 

 

 ナザリックの面々を労い終え、ヴァランシア宮殿へ帰還し室内に現れたアインズ。

 

「……(この天井付近の位置なら邪魔じゃないよな)」

 

 間に、ナザリック第二階層で()()()を食べようと上がって来ていたエントマに会って指輪を渡し、王国北東部でアウラ達も労った後である。

 時刻は午後3時半前頃。

 この時、支配者は〈転移門(ゲート)〉ではなく、不可視化した状態での〈転移(テレポーテーション)〉による宿泊部屋帰還であった。〈転移門〉は確実だが〈伝言(メッセージ)〉による事前確認と、目立つという部分があるため、この時は〈転移〉の方を選択した。

 不可視化し〈飛行(フライ)〉するアインズが室内へ現れた際、丁度ツアレが窓拭きを終え、居室内から奥の家事室へと移動し始めた時と重なる。ルベドとソリュシャンにシズは、一瞬で大切な主の登場に気が付いたが、ツアレがまだ居るため視線だけが左右へと泳ぐ。

 

 一応、ツアレには未だアインズの替え玉の件を伏せていたからだ。

 

 支配者としては、密かに身近なところで、ルベドやプレアデス達の人間世界での対応力を継続して磨く狙いもある。

 ソリュシャンは、手ぶりでユリとナーベラルへ知らせた。

 しかし今、突然ツアレの移動を急かすのは不自然であり、ここは見守るのが最良と判断する。とはいえ全員の口は、完全に止まっていた。

 やがてすぐ、ツアレが奥の家事室側へ入り扉を閉めた。

 たちまち替え玉アインズ役のナーベラルが不可視化し、仮面のアインズが隅から移動し床へ降り立つと不可視化を解除する。そしてソリュシャンらが整列すると、小声での主のお出迎えがユリの声で起こる。

 

「お帰りなさいませ。作戦成功おめでとうございます、アインズ様」

 

 ルベドをはじめ、不可視化のナーベラルも壁際で皆が揃った笑顔での礼で迎える。

 

「うむ。こちらは変わりないか」

「はい、特には」

「そうか」

 

 (あるじ)の満足そうな言葉のあと、ユリが申し訳なさそうに伝える。

 

「ただ……あのぉ、戦士長様が昼食会のあとで馬車に轢かれました……。申し訳ありません、私の不注意でした。怪我は無いのですが」

「はぁ? ……んーまあ、怪我が無かったのは良かったが。今後は注意しておくように」

 

 アインズはユリの話しぶりから、ふと現実世界の感覚で稀にある、少し身体が接触した程度に軽く感じていた。だが実際には、重量のある荷馬車で思いっきり胸の上と片腕両足を踏まれたのだ……それでもLv.27の身体は頑丈と言えた。

 肝心の食事会については、戦士長になるまでの話をガゼフから聞いたという。

 

(そうか……、戦士長はまず自分の過去話でユリに興味を持ってもらおうとしたんだなぁ)

 

 ガゼフの強引ではない正攻法の努力に、アインズは理解を示す。何が上手くいくかは分からないのが他者との関係といえる。

 食事会第二弾もあるという話なので、引き続き黙って見守る事にする。

 ユリとの会話のあと、アインズはいつもの一人掛けのソファーへと座り、まず落ち着いた。

 彼は間を置かずに、いつもの声で口を静かに開く。

 

「さて――」

 

 実はアインズには――まだ働きを(ねぎら)うべき者が一人だけ残っていた。

 

 

 そう、ルベドである。

 

 

 アインズの描く『プレーヤーを呼び込む大作劇舞台』の敵役のトップである竜王の護衛を任せていたのだ。

 漆黒聖典の隊長が負けたと速報は聞いたので予定通りだが、意外に責任の大きかった役目を彼女は難なく無事に務め終えていた。

 正直、ルベドを除けば力量的に階層守護者級でなければ厳しい相手であったように思う。だからまず、この可愛いNPCを褒めようと考えたのだ。

 腰へ届く長い艶やかな紺色の髪と、大きい胸を時折弾ませる白い鎧装備を纏い、最上位天使として神聖さの溢れた立ち姿。

 だがアインズの考えに対し――動きは彼女の方が早かった。

 

 ニコニコの表情で主の膝もとへ可愛く縋っての、ルベドのその衝撃的な報告の言葉が、支配者の『大作劇』の屋台骨を直撃する。

 

 

 

「アインズ様っ、竜軍団の竜王って――姉妹だ。仲良し姉妹は揃ってるのが一番、ねっ」

 

 

 

「(なにぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーっ!!!?)……」

 

 驚きのため強烈に全開した骸骨の顎で、思わず仮面が外れそうになった。

 アインズの(くつろ)いだここでの時間は一瞬で吹き飛ぶ。「ねっ(笑顔)」ではないっ。オシマイである。

 話が急過ぎる上に、彼にとってはとんでもない話であった。

 支配者の計画では、苦戦する人類国家を助けるプレーヤーをまんまと呼び込んだあとに、竜王一派を倒し『アインズ・ウール・ゴウン』の名を高らかに周辺世界へと広めることなのだ。

 そこへ、ルベドの希望は『竜王の保護』と言ってきた……。

 現在のアインズ周辺の状況は、完全に竜軍団が王国や法国ら人類国家にとっての敵である。

 竜王を保護するという事、それは。

 

 絶対的支配者の計画を含め現状を全て投げ捨て――人類国家との敵対か。

 一方でルベドの願いを払うということは――最強のNPCとの敵対か。

 

 絶対的支配者はここで、重大で難しい二者択一を迫られた。

 今日の昼の作戦、『至宝奪取(エィメン)作戦』が新世界転移後でナザリックにとって最も危険な……という話であったが、それは『今だろ』という事態になっていた……。

 しかし、仮面の中で赤き(まなこ)の光を落とすと、彼は呟くように即答する。

 

 

 

「――ダメだな」

 

 

 

「「「――っ!?」」」

 

 ルベドの笑顔が口を僅かに唖然と開けた表情で固まっていた。同時にその他の者達も。

 あの圧倒的強さを誇るルベドの願いである。姉妹の絆を大切にし拠り所の一つとするルベドの考えを支配者は却下した。

 

 場へ、異様に張りつめた空気が漂い出す。

 

 アインズを守る為に、ユリは一瞬で戦闘メイド服姿へ変わると、ソリュシャンとシズへ素早く目配せした。頷く妹達。壁際のナーベラルはナザリックへ「〈伝言(メッセージ)〉――」と繋ぐ。

 勿論攻撃は、同時に3名掛かりでだ。ところが今、ルベドは御方の足もとに密着していた。

 絶体絶命――。

 その中で、栄光のナザリック地下大墳墓の主として、ユリへと左手を挙げ『待て』の意志を伝えると静かにアインズは語り始める。

 

「ルベドよ、それは出来ない」

「……どうして?」

 

 ルベドの声を聞きつつ、アインズとしては内心でドキドキの苦渋の選択である。

 

「改めて問おう、ルベドよ。お前は、自分の言っている事が分かっているのだろうな? 私にも出来る事と出来ない事がある」

「……」

「ナザリックへの害の無いものなら、私もお前の(ささ)やかな希望は叶えてやりたい。ただし今回は、そうではないだろう?」

 

 アインズはただ静かに問う。

 

「よいかよく聞け。この王都へ竜王軍団が攻め寄せて来た時に、王都内の私の屋敷と私の保護するあの三姉妹達はどうするのだ? それをお前は見殺すのか? あのカルネ村もだ」

 

 そう、ルベドの願いには大きい矛盾点が存在したのだ。説得するのは難しくないとアインズは自分の考えに賭けた。

 今のところ、ナザリックの者達から異常に戦闘力の強いルベドへ対して、主が引いているのではないかという明確な考えはまだ起こっていない。だが、このままでは何れ権威に陰りが見える可能性は否めない。その芽は早いうちに摘むべき必要が、絶対的支配者の宿命として有った。

 これはナザリックの支配者として、ルベドも含めた配下の誰であろうと断固跳ねのける事があるという主の意志を示す見せ場だと思いアインズは臨む。

 彼は今、力での制御が難しいルベドに対して、言葉で押さえつける機会を得ていた。

 それでもこれは賭けの部分も大きい。

 ルベドが完全に拒否し、離反すればナザリックにとっては致命的にもなりかねない事態も考えられるのだから。

 しかし、普段からルベドを見ていると、彼女は優しく属性通りに髙い『善』者である。

 

 ギルドマスターとして、これは――絶対に勝つと信じていた。

 

 主からの強くて正論を含む言葉に、ルベドは言い澱む。

 

「……それは……」

「ここでお前にはっきりと問うぞ、ルベドよ。竜王の姉妹と私と、どちらを選ぶのだ?」

 

 ルベドとアインズ、両者の視線が密着した体勢の至近距離で交錯する。

 でも、彼女が考えた時間は僅かに20秒程。

 そして主を持つ当然の答えを最上位天使は選ぶ。

 

 

「………アインズ様」

 

 

 結局ナザリックで最強の戦闘力をもつNPCのルベドが折れた。

 アインズの、ルベド相手に一歩も引かないその驚愕の成り行きの全編を、間近でユリら戦闘メイドプレアデスの面々はハッキリと見た。

 

「「「……(流石はアインズ様―――お強い、カッコイイっ!!)」」」

 

 ルベドは、腰掛けるアインズの腰へと手を回して可愛く身体を預けて抱き付いて来ていた。パタつくモフモフである純白の翼の先が、アインズの顎下を時折くすぐる。

 詫びに甘えるルベドの頭を主は優しく撫でてやる。

 心を持つNPCを信じたアインズの大勝利と言えた。

 

「(助かったぁ……)……ふむ。お前の私への忠誠心はよく分かった。今日の作戦でもルベドは良い働きをした。それへ応えるため、私も出来る限りの手を回そう。――評議国を動かすぞ」

 

 アインズとしては、竜王と戦わないのは無理だが、殺さないことは可能に思えた。状況としては竜王を半殺しにし、評議国側が撤退の意志をもって軍団を引かせれば、アインズの名声を高める計画に問題は無い筈と考えを巡らせる。

 アインズは余裕の雰囲気を漂わせ、この場で静かにそう宣言する。

 顔で笑って心で泣いて。ルベドの顔も立ててやるのが真の名君だろう。

 だが支配者は、ここで大きい問題に気付く。

 非常に残念な事に、今王国で名声上げをやっているのは、アインズの独断である。

 忙しいと考えるデミウルゴスやアルベドへ情報が微少である評議国を動かす知恵を、今から頼む訳にもいかない事をここで思い出した。

 

(うわぁっ、どうしようーーっ)

 

「嬉しい……アインズ様にお任せ」

「おうっ」

 

 ルベドの、主からの一杯の撫でに頬を染める乙女の顔で告げられた言葉に、アインズは思わず勇ましく答えてしまう。

 だが、どうすれば。

 仮面の中で彼の紅き光点の視線が、グルグルと巡る。

 ここでふと、アインズの脳裏へ鮮烈に一つの煌めきが起こった。

 あのデミウルゴスやアルベドをして危険人物と言わしめた一人の王国の才女を思い出したのだ。

 

 

(―――そうだ、ラナーがいたっけ)

 

 

 なぜかどこかに『いよいよ』という雰囲気。

 相手が竜王軍団に留まらず、アーグランド評議国へも広がりを見せ始める。

 『黄金』とも呼ばれる思考の魔女を軍師に巻き込み、アインズの戦いは草原に広がる野火の様に一気に拡大を続けていく予感が一瞬漂う。

 

(気のせい、気のせい。だよなぁ、そらそうダよ)

 

 もしそうなった時、火中へ取り残されて焼け死なないように、彼は出来るだろうかという不安を残して……。

 

 

 

 奥の家事室の扉が丁寧にゆっくりと開く。

 お茶セットを乗せたワゴンを押して出て来た、もうすっかりゴウン家のメイドらしいツアレが、窓際のテーブル席へ優しく穏やかに皆を誘う。

 

「あの、アインズ様、皆さん。お茶にしませんか?」

 

 王都遠征組の今日の夕刻前は、こうして平和に過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリックの面々で某『至宝奪取作戦』の行われたこの日、遂にバハルス帝国のリ・エスティーゼ王国内への対竜軍団派兵が秘密裏で開始された。

 帝国へ脅威の侵攻が伝わり、僅かまだ4日目での対応行動である。

 日頃より即応態勢について訓練整備されていた騎士団員と作業兵らは、24時間体制での装備や軍馬に車両、食料の準備を行い瞬く間に編成と駐屯敷地内での行軍予行までを終えていた。

 精鋭騎士騎馬隊の総勢は、主力騎士5000に輜重隊も精鋭騎士で、1000を加えた6000騎。

 彼等を帝国八騎士団の6名の将軍らが率い、歩兵ゼロという騎馬と戦車、荷駄馬車のみで最終編成された特別高速機動軍団である。

 魔法省開発部からも試作段階ながら、最新の対空魔法兵器も戦車上へ20台以上設置し、突貫であるが騎士達の装備も全て衝撃と火炎に対し効力が急遽付加された鎧で揃えられていた。

 フールーダ・パラダイン率いる強襲魔法詠唱者部隊100名に先んじる形での出発である。

 その前代未聞の騎馬隊は、昼を少し過ぎた頃より帝国各地から分れて順次出撃する。

 彼等の身形は驚いた事に『商人』。

 王国にて急遽大量に必要となったという馬や鎧を運ぶ商人並びに使用人らとして、50名単位程に分れて120組の移動で行軍を実現した。戦車にも上部へ布が掛けられ、外した鎧や剣などの荷も木箱で積まれて荷馬車風に偽装されている。

 それでも普通は、王国各地の領主らの領地内通過時に不審を持たれる可能性があった。

 だが、この行軍を手配するのは皇帝側近のベテラン秘書官ロウネ・ヴァミリオン。彼は、リ・エスティーゼ王国内の内通者である六大貴族ブルムラシュー候爵派閥の各地の貴族達のいくつかにも素早く接触したのだ。普段から連絡を取る彼等領主へ早馬で予定進路上の順次領地内通過や水に食料、野営滞在といった配慮を軍団に先行する形で今も取り付け続けている。一部では王国の剣や弓矢等、消耗品について補充の約束さえも金貨の大袋で交わしていく。

 通過等の交渉工作費用は少し嵩むが、皇帝命令で採算は度外視であった。

 

 

 

 このようにバハルス帝国では、まずその戦力をもってリ・エスティーゼ王国に侵攻中の竜軍団撃退に動いていた。

 しかし続報で、隣国北西の大都市エ・アセナル内が既に炎上し甚大なる被害が出ていることも伝わってきた。経済的にも衝撃的である話は当然、巨万の富の中で生きる帝都の商人達を中心に帝国全土へと急速に広がっていく。

 その余波として、例の『王国辺境の小村にいるモンスター討伐』についても延期となって現れていた。もちろんこれはフールーダ自身が現地へ行けるようになったからであるが。

 延期の話については、希望したワーカーチームが幾つも依頼元のケーオス商会帝都支店へ参加希望を伝えに行って事情を伝えられたという。

 それを伝手で暗殺集団“イジャニーヤ”も知ることになった。

 

 帝都アーウィンタール内の北端に位置する、少し薄汚れ気味な闇の漂う街並みの中へ建つ建物の一室。彼女らは、居場所を一時的に情報を集めやすい中央へと移してきていた。

 爺と呼ばれる体格のいい白髪に白鬚で眼帯を付けた男から、椅子へ腰かける頭領のティラは聞かされる。

 

「ほう、延期だと?」

「はい。聞いた話によれば、報酬の資金繰りが付かなくなったと」

「……ふん。確かに今は竜軍団出現の話の方がワーカー達にも魅力的だしな。腕利きが集まらんよな。まあ肝心の金が貰えずだと皆、興味をすぐ無くすし危ない橋も好んでは渡らん。変に勘繰られず後腐れなしと」

「ですな」

 

 ワーカー達の求める最大のものは、やはりお金である。目的を無くせば興味が無くなるのは道理。

 しかし流石に、その上の水準の話でティラの所へ来ていた、辺境小村の人さらいについて金貨3000枚での依頼がどうなっているのかまでは掴めていない。

 今、部屋の隅の壁へもたれて立つ腰に刀を帯びた紺の髪のチャーリーを名乗る男も戦力として居る事から、試しに受けてみるのも悪くないと思っていたが、風向きは変わったように思えた。

 ティラは一度目を閉じる。

 

(まあ、なぜか余りチャーリーは乗り気じゃなかったしな)

 

 彼としては当然だ。万が一の怪物(ブラッドフォールン)との再会は御免被るのは当然である。

 場数を踏んでいる者達の直感は無下に出来ない。彼女は頭領としてゆっくりと目を開く。

 

「……この件は一旦見送る。それより今は竜王(ドラゴンロード)の率いる軍団の動きが気になるな」

 

 一大国家の帝国すら怯えたように、暗殺集団“イジャニーヤ”としても、他人事ではない。

 組織としての資産の多くが、この帝国内にあった。帝国の存亡はティラらにとっても重要ごとなのだ。

 頭領の考えを受け、ここで爺が尋ねてきた。

 

「では、中央から竜軍団への対応要請があった場合は動かれますか?」

「そうだな。我々にとっても最優先事項だろうな」

 

 しかしもちろん、タダで動く気はない。ここはまず要請を待つのが得策だ。

 それは長年の職業柄、爺も心得ている。

 

「畏まりました。中央から話があり次第、報告いたします」

「うむ。(……王国内にいる姉妹達はどうする気だ)」

 

 ティラの頭の隅へ、そういった思いがふと浮かんでいた。

 

 

 

 

 帝都内にて時を同じくする形で、『王国辺境の小村にいるモンスター討伐』の延期を語る者達がいた。

 場所は、見事に石畳で舗装された大通りから一つ脇に入った、それなりに賑やかな所へ建つ『歌う林檎亭』というワーカー達の定宿となっている中々設備の良い店だ。

 その一階の酒場兼食堂の中のひと席に座った3名の中の金髪で日に焼けた一人(ヘッケラン)が、同席する全身鎧(フル・プレート)の上へ聖印の描かれたサーコートを着ている男(ロバーデイク)からの話を聞くと、目を閉じ顔を上げ残念ぶる表情でボヤく。

 

「かぁーっ。そうか延期かぁ。良い稼ぎだと思ったんだがなぁ」

「そうよねー」

「店の担当によれば、竜軍団の出現で商会の総売上が予想を全く確保出来なくなりそうで、報酬の予算どころじゃないそうだ」

 

 そう告げたワーカーチーム『フォーサイト』のメンバーの一人であるロバーデイクは、自身も少し残念そうに椅子の背へと背中を預けるように上体を倒した。

 ヘッケランも残念がるが相槌を打つ。

 

「まぁ、数日の竜軍団の攻撃で隣国の50万以上の人が住む大都市が半壊したって話だからな」

 

 実際の情報は『たった一晩で壊滅した』というものだが、帝国情報局によりその部分については余りに衝撃的過ぎると公表されていない。

 とはいえ大都市の持つ経済力は想像を絶するほど巨大だ。それほどの消費市場が大きく打撃を受ければ、商売が傾くところも出てきて当然である。討伐延期の理由に疑うところはない。

 3人の話は早くも、その先に進んでいく。

 

「でも、どうするの、リーダー?」

 

 細身の両肘を卓上へ突き両手に顎を乗せたイミーナが、竜軍団への対応を確認してきた。

 

「んー。相手が相手だしなぁ」

 

 対するヘッケランの口許は少し渋い。

 ワーカーの間で、今一番の話題は全国の冒険者組合()へ帝国政府から出された告知だ。

 

『竜軍団の撃破又は撤退までに、竜1体討伐の報酬として金貨400枚。指揮官の竜を討った場合は数倍の報酬を約束する』

 

 冒険者達の所属には決まりがあるが、モンスターの所属には縛りはない。

 狩場については、王国内だろうが帝国内だろうが評議国だろうが、(ドラゴン)は竜として扱われる。

 そして今回のお振れは――商工会にも出されていた。

 つまり、ワーカー達も大いに該当する話といえる。

 ある者は商人から依頼される場合や、極論、自前で商工会に登録する事もありうる。

 竜もピンキリのはずである。1体で金貨400枚ならチームでも3年は遊んで暮らせるだろう。

 でも『フォーサイト』のメンバーは、先日珍獣狩りで金貨800枚以上を大稼ぎしたばかりであり、約1名を除き懐は満杯と言える状態だ。

 なのでここ数日、彼等はのんびりしていた。今も机の上には、2つはワインで1つは林檎水の入ったジョッキと干し肉が置いてある。

 今日は、早くも懐の金貨が5枚程に減ったその1名が、この店にやって来るという。

 

「大変よねぇ――アルシェ。親の借金に妹達を引き取って、新しい使用人も一人雇ったんでしょ」

 

 イミーナの言葉に他の二人が頷く。

 これまでの付き合いがあり、懐も温かい今、三人は其々が無償で金貨10枚ぐらいなら融通してもいいと思っているが、アルシェ自身からはそういった話は一切ない。

 あれは、加入時から元々しっかりした強い娘である。

 だから3名とも、仲間へのおせっかいは何時でも出来ると、今はじっと見守っている状態だ。

 アルシェはまだ『フォーサイト』を抜けた訳ではなかった。流石に急すぎる話であり「新しいメンバーが見つかるまではいます」と告げていた。

 ところが「そうか」とアルシェへ答えた他の3名に、新しいメンバーを探そうという考えは全くなかった。

 理由はふたつ。まずアルシェ程の能力と気の合う者を探すのが難しい現実。そして、今ワーカーをやめても十分と言っていい資金があったからだ。

 

 そのためワーカー『フォーサイト』は――アルシェの為に、儲け度合いがいい案件のみを探していた……。

 

 今回の延期になった案件は、冒険者でミスリル級チームに匹敵する4人の実力を考えれば、難度60以上でも1体あたり報酬金貨150枚は悪くないと考えたのだ。

 応募に5チームぐらいは参加するという話であったし、複数のモンスターに囲まれなければ十分対応出来る内容とヘッケラン達は判断していた。

 実際には地獄であり――結果的に話が流れて良かったのだが……。

 アルシェの事を3人が色々思案していると、その彼女が今日ここへ来る理由の人物が現れた。

 

「お嬢様がお世話になっております。私、フルト家で執事をしております、ジャイムスと申します」

 

 紺色系の服を着る身形の良い物静かな老紳士はそう挨拶してきた。

 

「どうも。本人はまだ来てませんが」

 

 先日唯一顔を合わせ、話を聞いているヘッケランが席を立ち、仲間の客人を別のテーブルへと招く。

 

「少し早く着きましたので」

「もう来ると思いますよ。こちらで待っていてください」

「そうさせて頂きます」

 

 執事は会釈すると勧められた席へと掛けた。

 実は、フルト家ではジャイムス他、誰もアルシェの新居の場所を知らなかった。

 アルシェが妹達の世話を見てもらう為に雇った使用人の娘は、フルト家に全くゆかりの無い新規の者であった。

 当然の処置ともいえる。アルシェに抜かりは無い。

 彼女は、ジャイムスにだけ連絡場所としてこの店を指定していたのだ。

 そのジャイムスから2日前に連絡を受け、今日会う事になっていた。

 そして、3分ほどするとアルシェが現れた。

 

「あ、来ていたのね。待たせた?」

「いえ。少し前に来ましたので」

「そう。何か飲む?」

「いえ」

 

 アルシェは、立ち上がっていたジャイムスの席に卓を挟んで向かい合う位置へと座る。

 着席を見てから執事は座った。

 

「それで、どうしたの?」

 

 早速本題を切り出させるアルシェ。

 すると、一度周囲を見回してからフルト家の執事が静かに告白する。

 彼は給料だけをもらう只の使用人ではなかった。既にしっかりした考えのアルシェをフルト家当主と考えていたのだ。

 

「大変でございます。実は先日、とある裕福な伯爵家より1通の書簡が参りました。旦那様がそれをご覧になったのですが、酷く興奮されて……。内容がフルト家の再興に関わるものだったのです」

「えっ?」

 

 予想をしていなかった話にアルシェの目が大きく見開かれる。

 彼女とて、貴族の長女としての血が流れている。御家再興は、もちろん叶うなら叶えたい話であった。

 そのためなら、己の婚姻も自由に父が決めて貰っても異存はないほどに。

 しかし、直後に執事から告げられた事実に衝撃を受ける。

 

「その条件ですが――クーデリカ様とウレイリカ様を……伯爵家お世継ぎ様の……その……あの……側女(そばめ)にと……」

「えぇっ!? そ、側女? クーデリカとウレイリカは、まだ……5歳だけど?」

 

 ここでジャイムスは、ポケットから白い手拭きを出し一度額を拭った。

 言いにくい話であるが彼は伝える。

 

「その伯爵家の40代のお世継ぎ様にはすでに妻がおりまして。また……そのお世継ぎ様には女性に対して……特殊なご趣味があるとのこと。……それが年端もいかぬ―――」

 

 その後1分程の話であったが、アルシェにとって聞くに堪えないものであった。

 同様の立場の娘が今、伯爵家屋敷の奥へ、他に数名いるとのこと。

 噂ではこの状態がこれまで20年以上続いており、側女が15歳を迎えるころには飽きたとして心神喪失状態で家へ戻されるという。数名は死んだという話もあるとかないとか……。

 

(―――く、狂っている)

 

 アルシェは人としてそう思った。だがこの時代、全ては権力者の自由で特権なのである。

 たかだがお抱えの準男爵家の一つや二つ、伯爵家の世継ぎにすれば増やすも減らすもポケットマネーの中の水準なのだ。

 

 

 ――――力  こ  そ  正  義(Power is justice)

 

 

 

「――残念ながら、もう旦那様は正常なご判断が……快諾し、伯爵家へ対して助力を要請する動きがあります。昨日、伯爵家へと私が参りました。――間もなく追手が掛かるかと」

 

 姉として断じて、そんな劣悪な所へ可愛い妹達を差し出す事などできない。

 それを望む父は最早、許せない存在であった。

 アルシェは、視線を執事から卓上へ落とす。

 

「そう(……それをしようと考える父も、親として終わっている――)。良く知らせてくれたわ。ありがとう、ジャイムス」

 

 彼女は思う。甘かったのだと。断固立ち向かうのみと決心する。

 しかし、敵は余りに強大と思えた。

 親に加え、この帝国で未だに裕福な伯爵家を維持しているとなれば、皇帝陛下の覚えの良い家ということである。

 個人で相手をするには、シャレにならない水準という現実が窺えた。

 

「少し考えてみる。こちらで何とかするから、ジャイムスは心配しないで。何かあればここへ知らせて」

「分かりました。くれぐれもお気を付けを、お嬢様」

 

 そうして、執事は立ち上がると恭しく主へ礼をするとこの場を去って行った。

 静かに毅然と見送ったアルシェだが、執事の姿が去るなり椅子へどさりと腰掛け、額に右手を当てて率直に唸る。

 

 

「――どうしよう」

 

 

 ヘッケラン達3人も余りの内容に、揃いも揃って渋い顔を見合わせていた……。

 

 

 

 

 帝国八騎士団より選抜された精鋭騎士騎馬隊の分隊が各地から順次出撃する中で、帝国四騎士もまたこの日、皇室兵団(ロイヤル・ガード)の精鋭を率いて出撃予定である。

 ただ、帝国八騎士団で将軍が国内へ2名残ったように、帝国四騎士でも1名が残ることになった。

 残留騎士は――〝激風〟の二つ名を持つニンブル・アーク・デイル・アノックである。

 勿論、紅一点の〝重爆〟レイナースが帝都残留を熱望したが却下されていた。

 リーダーのバジウッドは、戦力バランスを考えて決断する。

 

「どうしてよっ」

「強敵に対して、君のその重く強烈に威力のある攻撃は不可欠だからな。まあ、我慢してくれ」

「……はぁ。……勝てそうになかったら逃げるから」

 

 そう語りつつも彼女は承諾した。

 今のところ、帝国にも王国にも法国にも()()で彼女の呪いを解除できる者を聞かないため、一応だが評議国の竜軍団にすら淡い期待もあったのだ。

 本当になりふり構っていない彼女である……。

 

「ほんとに……俺の分も頼むぞ、レイナース」

「……戦え……」

 

 ニンブルとナザミは呆れ気味だ。

 さて今日より、〝雷光〟バジウッドとレイナースに〝不動〟ナザミの3名は、皇室兵団(ロイヤル・ガード)の精鋭200名程を率いて移動する事になるが、彼らの軍団だけはジャイアント・イーグル等の飛行魔獣に騎乗する皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)を含む為、100名程の商隊2つに分ける。

 ジャイアント・イーグルは全長3メートル、翼を広げると6メートル程の大きな鷲で高い知性と鋭い目を持ち、訓練すると騎乗出来るようになる魔獣だ。だがどうしても姿が目立つことから、帝国内も含めて夜間での行軍に加え、野営地は住民不在の森の中や王国の内通領主の城内や傍という厳しい条件があった。

 一隊をバジウッドとレイナース。もう一隊をナザミが指揮する。

 万一、レイナースが居なくなっても機能するように考えれば、この配置がベストであった。

 次々と帝都から出撃する精鋭騎士騎馬隊の偽装分隊らを見送りつつ、彼等は夜を待った。

 日が完全に地平線へと落ちた頃。

 

「では、そろそろ行きますか」

「……はぁ」

 

 いつもの大剣を持たず革ジャケットを着た私服のバジウッドに続き、馬上で大きく溜息をする深緑色のローブ姿のレイナースが続く。皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の操るジャイアント・イーグルも15体が空へと舞い上がり皇城の周囲を大きく2周旋回して離れていく。

 帝国の命運全てを精鋭達へ託した皇帝ジルクニフが、皇城の広いベランダから城門近くの篝火の列間を進み出ていく帝国四騎士隊を見送る。

 

(頼むぞ、バジウッドっ!)

 

 眺め見送るジルクニフは、両拳を強く握りしめていた。

 こうしてまずバジウッドらの隊が帝都より静かに出発していった。ナザミの隊は1日遅れという予定である。

 なお、全て空路を進む予定である大魔法使い率いる虎の子の強襲魔法詠唱者部隊の出発は、3日程後という話だ。

 ところが期待の部隊を指揮するはずのフールーダ・パラダイン自身は、帝国魔法省の自室でとんでもない事を考えていた。

 

(……うーむ。どうやって、抜け出すかな。1日程弟子達が適当にやってくれれば、王国の各所へ行った事のある私はすぐに〈転移(テレポーテーション)〉で追いつけよう――)

 

 すでに心、ここにあらずという雰囲気。

 老人は長年の執念に掛けて、王国辺境の村への単独行動を全然諦めていなかったのである……。

 

 ちなみにバハルス帝国軍の王国内での移動ルートについては、それぞれ以下となっている。

 帝国軍主力の精鋭騎士騎馬隊の分隊らは、都市を繋ぐ大街道と内通領主領地の小街道が中心で進み、鉱山傍の北東最大の大都市リ・ブルムラシュールを経由してそこから西の間道を通って大都市リ・ボウロロールを経て更に西の旧エ・アセナルを目指す。

 これに対し帝国四騎士隊は、辺境の緩衝地帯にある草原の中やトブの大森林から数キロ南の位置を人知れず移動し北の大都市リ・ブルムラシュールを目指しその後も人口微少地を西へ進む道程を辿る。それによりナザリック地下大墳墓の南15キロの平原やカルネ村の南10キロ程を通過する予定である。

 帝国四騎士隊の進軍は3日後、ナザリック第九階層の統合管制室で捕捉されることになる……。

 

 

 

 

 目の覚める程キビキビとした、即応にも応えるバハルス帝国の洗練された帝国騎士団の派兵状況に対して――リ・エスティーゼ王国内各都市の兵力集結状況はあまり芳しくなかった。

 敵は竜王を含む竜300頭の軍団という、対世界最強種族戦。

 伝説や物語の中の存在が、おまけに集団で襲って来るという冗談のような戦いに、人々は何をするにも士気は上がらない。

 ただ、ここ大都市エ・ランテルでは都市長のパナソレイの淡々とだが的確に行われた指示の下、周辺地域へ緊急招集を掛けて集めた一般兵力3万の出陣準備がほぼ予定通り整い、今日の昼過ぎから北西の門より進軍が始まっている。

 恐らく、先に出撃した冒険者組合長のアインザックの出陣式の影響が大きいと思われた。その勇敢な者達の進む光景は、華々しく周辺地域へも広く伝わっている。

 それもありエ・ランテルでは事前に告知された通り、昼前に一般兵力3万についても第三城壁内の広場にて同様の式典が行われたのだ。

 出陣時に通る都市内の街路には父親や兄弟、友人らを見送ろうと多くの市民達が見送りに集まった。兵達自身が先の冒険者達の雄姿も見ており、『自分達の生まれた街や大切な家族を守る』――そういう今の状況から逃げる者が非常に少なくなっていた。

 

「――諸君ら一人一人の大切なものを守るという思いは大きな力となり必ずや(ドラゴン)を討つ! 勝利は我らに!」

 

 将軍の勇ましい宣言のもと、エ・ランテルからの一般兵力3万の遠征軍は、堂々と大街道を進み一路王都リ・エスティーゼを目指す。

 その王都リ・エスティーゼでも、周辺人口160万という巨大地域からの兵力が集まり始めていた。第一陣として10日間での招集兵力は実に7万。しかし、2日前まではまだ4万程という集結人数であった。

 担当しているのは、王家の大臣補佐の軍役担当者だ。

 大臣が現在いないため、その歪がここに出て来ていた。大臣に比べ大臣補佐の軍役担当者では、近隣領主への確認と根回しが上手くいっていなかった。

 王国戦士長も、困った大臣補佐から時折相談を受けたが、戦士長は平民であるため周辺の貴族領主への物言いは一切できない。あくまでも、王家として軍役担当の大臣補佐が指示する必要があった。

 しかし、そこはさすが戦士長である。事前に神の一手を回していた。

 大臣が居ないということで、それとなく一応として国王ランポッサIII世に周辺の貴族領主への進捗伺いの確認書簡を書いてもらっていたのだ。

 流石に国王から「此度の重要な戦いの準備進捗はどうか?」と聞かれて「まだまだ」とは言えないのが臣下。

 いずれの領主も「間もなく」「問題ありません」との回答が寄せられ、街で荷馬車に轢かれた戦士長が目を覚ました本日夕刻頃に、招集兵力は無事予定の7万に到達していた……。

 戦士長は目を覚ました10分程あとで、わざわざ屯所を訪れた軍役担当の大臣補佐から礼を受ける。

 

「ガゼフ・ストロノーフ殿、感謝いたします。首が繋がりました……」

「いや、私は特に。陛下が此度の戦いに慎重であられたからでしょう」

 

 一件落着し、めでたしめでたしである。

 しかし。

 

「……(実に控えめな方だ)」

 

 戦士長へ恩義を感じ、その人柄にも改めて気付いた大臣補佐は――口走る。

 

「確か、ストロノーフ殿は独り身でしたな?」

「ええ」

「あの、実は私には年頃の娘が一人おりましてな……いかがですかな、嫁に?」

「……あ、いや。私は、(ユリ殿が)……」

「そうですか……いや、残念。いささか急でしたな。また、改めて」

「は、ははは……」

 

 危ない危ない。突如湧く婚姻話(トラップ)。切り抜ける戦士長であった。

 

 

 

 

 

 そして、アインズはラナーとの深夜の極秘会談を終え、翌日へと進む――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 潜入! 『ビーストマンの国』の侵攻軍本陣

 

 

 竜王国『東方第三都市』への滞在を決めたセバスとルプスレギナであったが、ねぐらの部屋を借りて決めようにもまだ日が昇るまで当分時間があった。

 なので両者は、時間つぶしも兼ねて都市の東側へと少し足を延ばす。

 そこは――ビーストマンの国側の竜王国侵攻拠点にして、方面指令官の獅子顔将軍が居座る陣地。前線野営司令所も設けられている。

 ここには兵力として6000名ほどのビーストマン兵が確認出来た。

 

「なんか、手薄ですねー」

 

 ルプスレギナの言葉に上司セバスも頷けた。

 各都市の東方手前には、いずれも1万5000程のビーストマンの兵達がいたからだ。

 しかも、ここの半数ほどは負傷兵の様子。

 

「前線が優位に進めていた部分と、情報では近々援軍が本国からくるようですし安心感があるのでしょう」

「油断してるっすねー」

 

 彼女としては嬉しい。不意や弱い所をじわじわと攻め、苦しむ様を見るのは至福の時間と言える。

 さて、とルプスレギナは左手を庇の如く額へ当てると陣地内をぐるりと見渡す。

 勿論何か獲物はないものかとだ。

 すると、面白い物を一つ見つける。

 

「セバス様、アチラへ行ってみませんか?」

「ふむ……アレですね。確かにこの地では一番危険度が高そうですね、分かりました」

 

 そうして二人は陣地内の中ほどの一角に置かれていた、仁王立ちしているモノの傍へと近付く。

 すると高さ7メートル程の硬質性の金属で出来たモンスター型のソレは、無言で静かに動き始めた。自動迎撃の行動の模様。

 そして、二対四本の腕から()()()()()右拳を二つ同時に見舞ってくる。

 だが奴の巨大である右の両拳は、漆黒のガントレットを付けるセバスの左右の手先それぞれ指3本によって難なく受け止められていた。

 

「ふん、どちらも軽いパンチですね。パンチは()()、ですよ」

 

 刹那の瞬動。

 セバスは、受けていたパンチを左後方へ流す形で踏み込んでいた。

 

 そして閃光と化した右拳の一撃――。

 

 直後、小さい家一軒程もあるゴーレムの動きがピタリと止まった。

 そして、雨が降る時のザーッという感じの音と共に、金属の大きな塊だったものが細かい砂と化して見る見る崩れ落ちていく。

 

「すごいですねー、セバス様……内部からも粉々ですね」

「大した技ではありませんよ。ナイキの上位打撃系技〈粉砕虎撃〉です」

 

 セバスならばスキルを付加せずともLv.50程度の相手は一撃で軽く粉々に出来る。

 「次は」と言いつつルプスレギナはまた額に手を当て周囲を見回すが、他に大したものは見つけられなかった。

 

「うーん。あとは、特に脅威らしきものはありませんねー」

「油断は禁物ですが、取りあえず今日はもう良いでしょう」

「そうっすよね(楽しみは取っておくっす)。では戻りますかー」

 

 そうして二人は、あっさりとビーストマンの国の本陣を去って行った。

 

 

 

 それに入れ替わる形で、3分ほど後に勇ましい銀色鎧を纏う獅子顔の将軍と黒茶のローブ姿で豹顔の参謀ら二名は、ビーストマンの国が誇る最強の切り札である7メートル級ギラロン型ゴーレムの雄姿を見に来た。

 しかし……そこにあったのは、只の大きめの砂状と化した金属の山であった……。

 

「こ、これは?! なんだこれはーーーっ!」

 

 思わず駆け寄って叫ぶ獅子顔の将軍の傍で、顔面蒼白の豹顔の参謀も呟く。

 

「……あのゴーレムが……一体、この場でなにが……」

 

 獅子顔の将軍は周囲へ「衛兵っ! 衛兵はおらんかっ!」と叫びまわり始める。

 その近くに立ちつくす『大首領第二参謀』は、これまで経験した事がない不気味なものを直感で感じていた。

 

(どうすれば硬質性のあの金属が、ここまで細かくなるというのだ……魔神の仕業か?)

 

 豹顔の参謀の恐れはのちに的中した。

 このあと日の出までに本陣へは、南の都市にて副将討ち死にと、南の都市北側で激しい遺体散乱を引き起こした正体不明の敵と思われる存在が報告され、このゴーレムの謎の損壊事件と共に、騒ぎは参謀の帰国の際に大きくビーストマンの国の中央へと伝わっていく事になる。

 

 

 

 

 都市へと戻る途中、一面の暗闇の地を駆けながらセバスがルプスレギナへと尋ねた。

 

「でも今更ですが、良かったのですかルプスレギナ。あなたは人狼。ビーストマンとの戦いは気分的に少し酷では?」

「ご心配に感謝します。しかし問題ありません。セバス様も王国へ攻め込んでいると聞く竜王の軍団と我々が戦うとなれば、関係ないと言われると思いますし」

「……そうですね、愚問でした。我々はただアインズ様のもとで力の限り戦うだけですから」

「はい、そうっす!」

 

 両者は駆けながら、今の至高の御方直々の指令を思い、満足そうに微笑んでいた。

 しかし、やり過ぎである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. あの総会での大事なお話

 

 

「アウラにマーレ、ともにご苦労」

「いえ、お安い御用ですっ」

「い、いえ。お役に立てて嬉しいです」

 

 アインズは姉妹へ順に頭へと優しく撫でを加える。二人の満足と嬉しさが滲む表情の頬は、真っ赤に変わっていた。

 

「そうか。ところで……」

 

 ここはリ・エスティーゼ王国北東の穀倉地帯。その北限近くの麦畑が広がる平原の中である。空へ雲は広がるが日は高く、もうすぐおやつの時間だという頃。

 一応、周囲へ認識阻害の魔法を展開する中、クアイエッセの後始末とクレマンティーヌの救援を終えたアウラとマーレの可愛い闇妖精(ダークエルフ)姉妹がこの場へと揃っていた。

 フランチェスカとアウラ姉妹のシモベ達は、まだ少し残務のためこの場を外している。

 艶々(つやつや)とした褐色肌で笑顔を浮かべる姉妹二人を前に、アインズがいよいよ言葉を切り出し、()()()()()()()()()()()()()を個人的に要望として持ち掛ける――。

 

「その、なんだ……(凄く言い出しにくいんだよなぁ……)実は、少しささやかな希望があってな。出来れば……()()二人揃っての踊りを私に見せて欲しいのだが」

「え? 踊りですかっ」

 

 笑顔のアウラは綺麗の金髪を揺らし、敬愛する主様からの希望なので、並ぶマーレの横で両手を丸めて可愛く身を乗り出し純粋に興味を示す。

 一方、握った右手を口許に当て、純白で短めのプリーツスカートを可愛く揺らすマーレは――その逞しい想像力が空振り的に炸裂していた。

 

「そ、その……服は着てですか?」

 

 深夜に三人きりという話なら、第六階層の巨木の寝室で生まれたままの姿で熱くひっそりと……と。

 しかし。

 

「……ん? もちろん踊りに合わせた服の派手なアレンジは構わないぞ。昼のひと時辺りに私の広い執務室でと思っているが。見るのは傍仕えの一般メイドと、あと一応――()()()()()の者が一名付くぐらいだからな」

 

 アインズからの言葉に、マーレの心へ描いた桃色の空間劇は夢に消える。

 マーレは、少し残念そうに眉が僅かに下がるも、モモンガさまに姉や自分を良く見ていただけるのならと興味と高揚感は高いままだ。

 姉アウラが告げる。

 

「分かりましたっ。マーレと一緒にきっとアインズ様がお楽しみいただけるものを披露します」

「は、はい。僕も頑張ります」

「そうか……嬉しいぞ、二人とも。 ああ、今日明日という訳にもいくまい。いつか希望日はあるか?」

 

 忙しい守護者の二人へ無理を言っている訳で、アインズは急ぐわけではなかった。

 

「いえ、3日もあれば大丈夫です」

「は、はい。大丈夫かなと」

 

 二人の自信あふれる言葉に、アインズは満足する。

 

「その日を楽しみにしているぞ(――ルベドもな)」

「はいっ」

「は、はい」

 

 こうして、姉妹同好会二人会員総会での初議題、『アウラ・マーレ姉妹を愛でる会』開催の企画が実現されることになった。

 

 

 

 なお――その日の担当メイドが、掃除の折に資料を偶然盗み見て同好会の存在を知る一般メイドのフォアイルになるのは、至極『偶然』の事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. デミウルゴス、ナザリック第九階層のBARにて

 

 

 夜が更け、日付が変わるまであと1時間程の時刻。

 地下に存在し、ほぼ睡眠という概念のないナザリックには余り昼夜の関係はなく、単に24時間として時は滔々と流れる。

 

「では、代わりに少しだけお願いしますよ、ヘカテー」

「はい、デミウルゴス様」

『『行ってらっしゃいませ、デミウルゴス様』』

 

 純白の衣装でカラスの嘴を模した仮面の道化師、副官のプルチネッラや三魔将達に、入れ替わりで来てもらった至高の41人の一人、ぷにっと萌え様のNPCである悪魔娘のヘカテー・オルゴットらに見送られて第七階層の主は館を後にする。

 数時間だけ仕事を任せ、デミウルゴスは第九階層にある副料理長がマスターをしているバーへとやって来た。

 扉に付けられた黄金の鈴が、気持ちよくカランと鳴る。

 ここの扉は、西部劇のバーで見かけるあの扉『ウェスタンドア』だ。

 彫刻の細工も凝っており、この扉へも金具部分へ黄金等の貴金属が華美にならない程良い装飾がされている。

 

「待たせましたか友よ?」

「イヤ、私モ数分前ニ来タトコロダ」

 

 寡黙な副料理長が立つカウンターに8つある席の真ん中付近へ座り待っていたのは、デミウルゴスの盟友とも言える第五階層守護者コキュートスである。

 程よい雰囲気と暗さのバー全体の広さは30平方メートルほど。奥へ酒瓶の並ぶ棚とカウンターの他にテーブル席やソファー、自動演奏の最高級グランドピアノなどもある。

 ナザリック地下大墳墓にしては小さい空間だが貴重な場所だ。

 ここのバーへとやってくるのは基本的にNPC達だけである。シモベ達では、エクレアが自分を運ばせる為の怪人の男性使用人ぐらいだろうか。

 なぜならこの場は、至高の御方々が愛用していた場所だからだ。彼等は自分達の可愛く自慢のNPC達を時折同席させることがあった。

 それを偲ぶ部分もあって自然とNPC達はここへ足を運ぶのだ。

 なお一般メイド達は、自分達だけでバーへ来ることはない。まず彼女達は日に2時間半×3回の食事時間以外の休みが殆ど無かった。無論日々楽しく仕事を熟し無休暇の点に一切の不満はない。少し話は逸れるが、現在アインズ自身が多忙過ぎて一般メイド達の休息について頭が回っていなかった。ただし、一般メイド達一同から早い段階でただ一つの業務改善要求が出ていた。内容は新たに改装され登場したアインズの執務室へ、担当メイドを日替わりで置いてほしいという話であった。

 『担当区域が決まっていると不公平があります』――執務室登場翌日に一般メイド長のペストーニャへと上がってきた意見であった。至高の御方へ尽くすことにこそ存在意義がある。ナザリックのNPCにとって最も重要である事。そこから始まって、一般メイド達の熱望する日替わり案は、数日でアインズの承認も通り採用されていた。アインズの執務室担当日には、もしナザリック内にアインズがいれば、傍の用向きを全て請け負うとするもので『今日のアインズ様当番』なる神聖なものが登場していた……。

 もちろんアインズが移動すれば、バーへも喜んで同行してくれるだろう。

 さて、話は再びバーへと戻る。

 コキュートスとデミウルゴスもNPCであることから偶にこのバーを訪れていた。

 デミウルゴスはいつもの様にコキュートスの右側の席へと座る。

 

「マスター、私に“炎の雷”を」

「はい、少々お待ちを」

 

 副料理長は、オーダーを手慣れた手つきで用意する。

 丸い氷の入ったロックグラスに、バーボンを3分の2程注ぐと赤二号を加え、軽くスティックでかき混ぜると、丸眼鏡の守護者の前へとコースターを敷いて置いた。

 ちなみにコキュートスの前には、液体窒素にエチゴサムライと緑一号を注いだ『氷河期侍』が氷点下の白いスモークを吹き出しながら置かれている……。

 彼等がこのバーへ足を運んだ最初は創造主への事もあったが、10日程前の前回と今日は違っている。

 すでに、ナザリック地下大墳墓へ唯一残っておられるアインズ様の為のみに動き出している二人であった。

 栄光のナザリックの最終目的として壮大な『世界征服』を見据え、今はその栄えある長期計画の第一弾、新国家『アインズ・ウール・ゴウン』設立への完遂が、ナザリックの配下全員へ課された使命なのだ。主の為に己の時間も全て使われるべきと考えている。

 故に、コキュートスとデミウルゴスは、計画完遂において必要性のある意見を、戦略会議でも話せない個人的といえる事も含めてこの場で交換していた。

 至高の御方の考えを、最大に汲み取る意味でも。

 初めの1時間ほどは今日の御方からの喜ばしい労いの話を皮切りに、コキュートスの武技の進捗や問題点、デミウルゴスの進軍予定計画などの話が続いた。

 そして本題に入っていく。

 

「さて……どうです、コキュートス。前回の私からの宿題に答えは見つかりましたか?」

「フム……。アインズ様ガ私ヘ望ム戦イトイウモノニツイテダナ? (ちから)ヲ見セルダケデハダメナノダト。シカシ、我々ナザリックニ従ワナイ者達ヲ許スコトハ出来ナイダロウ? ヤハリ斬ルホカアルマイ」

「我々ナザリックの力を見せる事は、確かにとても重要です。ある程度の犠牲は、力の差を気付かせ恐怖として払わさなければいけない。しかしコキュートス、君の考えでは犠牲としてどれほどの数を斬るつもりかね?」

 

 コキュートスは、己の実力に合わせて自信を持って答える。

 

「ソンナモノ、正面から正々堂々と半分モ殺セバ十分デハナイノカ?」

 

 盟友の考えを聞き、デミウルゴスの眉間へ静かに皺が寄る。

 

「………、君はアインズ様が望んでいるのはそういう状況だと? アインズ様は確か君にこう言われた。――『威を見せるのは構わん。だが、大量殺傷には大義名分が無くてはならん。我々にはまだそれがない。また民あっての国という事を念頭に置いて欲しい。若い者や優秀そうな人材も残しておけよ』――と」

「勿論覚エテイル。堂々ト宣戦布告シ正面カラノ攻勢デ討ツノダ。ナザリックノ名ヘ傷ガ付クコトハアルマイ。マタ、半分モ居レバ人材モ十分残ッテイヨウ」

 

 コキュートスの答えに、デミウルゴスは一つ大きく息を吐くと、革新を促す言を伝える。

 

「ふぅ……。では、友コキュートス。問おう―――仮にナザリックの者が半分討たれたとして、それを成した者に君は従うかね? まず、どんな感情を抱くかな」

「ンーー。ムム、ソレハ……」

 

 デミウルゴスへ向けていた顔を、コキュートスはゆっくりと正面へ向け沈黙し視線を落とした。

 15分程の静かな時間が続く。

 デミウルゴスは辛抱強く待っていた。答えは自分で見つけなければ意味がないのだから。

 そして、コキュートスは視線を下げたまま静かに尋ねてきた。

 

「……私ハ……間違ッテイタノカ?」

 

 デミウルゴスはそれに答えず、自分の思考での解決を促す様に語る。

 

「どういう形なら従えるかと、自分がその状況に置かれた場合も考えてみる事だね」

「……ムウ、……弱者ガ生キ残ルノハ――大変ナコトナノダナ」

 

 共に正面を向いているデミウルゴスの口許が僅かに緩む。

 強者には中々気付けない部分があるのだ。

 このあと、強者の二人は黙って暫く飲み続けていた。

 

 

 




考察)総合的にその差は優に15倍以上の人間の軍と同等
人間難度3に対しビーストマン難度30という評価設定。
これは100倍以上の実力差はありそう。
あえて、結構鍛えた人間兵の難度9や難度12とビーストマン兵難度30では差は縮む感じで。
それでも、平地なら10人対1体で全く勝てるが気しない…。
籠城してるので上から弩弓やら石やら浴びせれば。そして熱湯も…。
あとは最前線各所に冒険者達が立っているのでギリギリもっているという状況。



捏造)7メートル級ギラロン型ゴーレム
攻城戦兵器みたいな感じで、あってもいいかなと。



補足)『カワイイ女王』のルビが、『おさないようじょ』
セラブレイトにとっては正義。



補足)ルプスレギナのフルスイング他
「――夜食の時間ダ」
戦場ですし、完全に正当防衛ですね。虐殺なんかじゃない。



捏造)世界級アイテム『傾城傾国』の設定
いずれも本作においてです。

別の案も一杯あるかと。
たとえば、
支配は1体のみ。1体を支配すれば、先に掛けていた個体の支配は消える。(原作では出撃前に自殺させてフリーにしていた)
無期限有効だが、対象はいずれ眠ってしまう(最後は死亡)
アイテム自体に使用回数制限がある。(最後は破れて消える→老婆全裸に 笑)
……とか普通にあると思いますし。
ただ無期限有効で徐々に狂って暴れ始める場合は、歴史に残るでしょうから無いかな。

ジャンジャン発動できない理由も色々考えられますね。
3レベルダウンとかだと回復訓練がキツそう。
神人と同じで、保有が亜人勢力にバレると普通にヤバそう……。



補足)先日アルベドがパンドラと初顔合わせした時に来て以来
STAGE24. のP.S.2 拠点にて



考察)“かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう”
主は世界を手に入れ、悪名だけが消え去り、大団円。
ふと、これって何気なく『オーバーロード』の結末かもしれない…。
なんてね



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