オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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注)かなり残酷な表現があります
注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています

補足)登場人物紹介
魔樹……………………………まだ誰もその名前を知らない。ピニスン捕獲に期待


STAGE42. 支配者失望する/猛ル魔樹ト帝国ノ代償(16)

 バハルス帝国西方地域に雨が降った。

 それは、皇帝ジルクニフと帝国、そしてもう一人の罪人共にとっての運命の雨―――。

 

 エンリ率いる小鬼(ゴブリン)の大軍団が、帝都アーウィンタールから退去を初めて4日目の朝を迎える。

 昨夜10時過ぎから野営地へと降り始めて一時強くなった雨は、夜中の内に分厚い雲が通り過ぎたのか午前3時半頃には上がった。

 今は中火月(なかひつき)(八月)の初旬で夏場。にも拘わらず、帝国西方地域の日の出が近い周辺の空気はひんやりとしていた。

 これは霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)達が住むというアゼルリシア山脈から北西の風となって()りて来る冷気に因るものである。冷気系の彼等は夏場に暑さを抑えるべく、雨が降ると周辺の溜まった水を氷へと変える習慣を持っている模様。南北に300キロを超えて伸びる山脈の中央部付近の山麓には大森林が広く途切れている部分があり、そこから直接帝国西方地域へと温度の低くなった空気が流れ込んでくるのだ。故にこの地方へ住む農民達は建国以前より代々、冷害に強い品種を選りすぐり植え育て続けていた。

 また晴れた明け方は、放射冷却で夜中より気温が下がる事も拍車を掛ける。空気中の水分は気温の低下によって飽和し、濃霧となって姿を現していた。

 なお今の気象状況は、数日前から降雨とその後の霧の濃さと持続時間を的確に帝国政府側で把握されている。

 それは、この地方に住む農夫の中で湿気や事前の空模様だけで天候について熟知する者がおり、ここ数日で張り巡らせた騎士達の伝令を通じて帝国情報局へ予報が集められていたのだ。

 皇帝秘書官のロウネは午前3時頃、予報通りの待望の西方地域への降雨を早馬で知る。

 彼は直ちに皇帝執務室へ赴くと主へ最後の確認を取ったのち、『皇帝陛下からの厳命』として秘匿作戦開始の密命を、速さが売りのジャイアント・イーグル隊へ指示し前線へ全速で飛ばした。

 

 

 

 

 巨樹の進路上700メートル前方地点の朝霧の中。

 午前5時を前に帝国が誇る四騎士の一人、〝激風〟ニンブル・アーク・ディル・アノックは複雑な心情を胸にしていた。それでも、皇帝ジルクニフ陛下の厳命を実行しようと眼前に揃う配下である皇室兵団(ロイヤル・ガード)100名程の騎士達へと、視線も巡らせつつ清廉(せいれん)な声を掛ける。

 

「全員、準備はいいか?」

「完了しております、いつでも。アノック様」

 

 騎士隊隊長の声に、金髪でスラリとした青年騎士(ニンブル)は頷く。

 アダマンタイト製で魔法強化もされた黒色(こくしょく)全身鎧(フル・プレート)を纏うニンブルは、帝国八騎士団の将軍と同等の権威を持っており、時としてこのように一軍をも率いるのである。

 彼が指揮する皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士達は当然、剣や槍だけではなく弓術や体術、魔法に関して一般の騎士達よりも厳しい審査と評価を満たした面々である。

 既に馬へ跨る彼等の肩と手には、弓と火炎矢の武装が見て取れた。

 ロウネからの密命による指示は「巨樹へ火系攻撃を仕掛け引き付けつつ、多くが寝静まる小鬼(ゴブリン)大軍団のところまで()()()退却し、散開する」事である。体裁の良いなすり付けだ。

 濃霧の立ち込める周囲の視界は僅かに50メートル無い程度。

 霧内の魔樹のおおよその位置については二日前、複数の希少金属を細かめに砕いて混ぜた食物系の重粘着質の液体を上空から掛ける事で付着させ、希少金属の感知で捉える事が出来る。

 的がデカい事から、それで十分であった。

 本作戦は帝国が女将軍と交わした『帝国全軍は亜人の軍団へ敵対しない』との覚書通り、直接亜人らへ攻撃をするわけではない。攻撃対象なのはあくまでも巨樹である。結果は知らないとして、帝国は姑息に一応だが逃げ道を残していた。

 これに対し、誇り高き貴族騎士のニンブルとしては『巨木の存在を知らせず、亜人らへの完全な騙し討ち』に思える。

 それでも、皇帝陛下と帝国、帝国民の為にここは動かなければならない。

 

「ではいくぞ。両翼へ展開を開始する。巨木の動きには十分注意してくれ」

「「「はっ!」」」

 

 帝都までの距離が80キロを切った地域を動いていた()の『巨大な魔物』はこの時、随分と速度を落としていた。時速にして約500メートル。

 それは、穀倉地帯に実り始めた穀物からの養分を、足と言える根の部分から大量且つ存分に吸収出来たからである。奴は満足していた。

 ニンブルを始め騎士隊100騎は、事前の計画通りに霧の中で向かい来る巨樹へ対し、希少金属を感知出来る者を先頭に50騎ずつ二手となって広がり接近した。重さで6キロ程の油を壺へ詰めた物に長めの縄を付け、遠心力を利用し放物運動で投擲する。難度30程度の者なら100メートルを優に超えて投げる事が出来た。半数程の騎士達が一斉に投擲した後に残りの者が火矢を射かける手順。

 別働でジャイアント・イーグルと並び、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)所属の2体の鷲馬(ヒポグリフ)――体長が3メートル弱で翼を広げた幅は6メートル程の、胸部と後半身が馬で前脚と翼と頭部は鷲――も騎士を乗せると上空へ舞い上がる。そして、地上の部隊位置から敵との距離を掴むと順次、濃霧に紛れて直上から25キロ程もある大きい油壺を鷲馬(ヒポグリフ)1体当たり4個投下する。更に騎乗する騎士の一人が、希少なアイテムを使用し第3位階魔法である〈火球(ファイヤーボール)〉を直上から見舞う。

 上空からの油壺は全て巨木へと当たり割れ、〈火球〉からの火が引火して一部で霧中へぼやけるように燃え上がる。同時に再度地上の前方左右からも、巨樹へ多くの油壺を投げつける行動に続き火矢が放たれていく。

 これらの敵対行動に対し魔樹は―――当然、猛然と人間達へ襲い掛かってきた。

 ここ数日、ヤツは結構気分よく穏やかに地を進んで来ていたが、全てを台無しにするこのイヤな火計攻撃で憤慨し始めた。突如、地響きを起しつつ急激に速度を上げ前進を始める。

 魔樹は、ニンブル達による地上からの攻撃を6本の巨大な(つる)とその小枝群により全て払った。でも投擲した油壺はそのことごとくが衝撃で割れ、蔓等へ掛かる。火矢攻撃は視界内に入った多くを撃ち落とすも視界の悪さと数の多さからか数本が命中し、霧の中に赤い火の手を上げ出す。

 ニンブルらの攻撃は成功したかに見えた。

 しかし、巨木は身体の左右へとぐろを巻いていた6本の蔓を全展開する。奴の太い蔓はそのままニンブル達へと襲い掛かっていった。空中の鷲馬(ヒポグリフ)は既に圏外へ去っていたため、その6本全部でだ。

 巨木側から見て、ニンブルは前方150メートルほど離れた先の右位置で、直ぐに動けるよう背を向ける形で50騎程を率いていた。だが、素早く伸びて来た(つる)は僅かの時間で150メートル程度など一気に詰めてくる。

 

「全員散開っ! ()()()()()走れー!! 誰でもいい、何としても到達しろーーー!」

 

 今はそう叫ぶしかない。目的地はここから約3キロ東であった。

 ぼんやりと霧の奥から巨大な蔓が騎士らへ幾つも迫って来ていた。隊列などを組んでいる暇など無い速さで。

 巨樹は、視覚か生体反応の有る物にしか反応しないように思えた。なぜなら危険な火矢はともかく、油壺にはそれほど過剰反応しなかったから。

 最も動きの早かったニンブル他、十数騎が殆ど散り散りで攻撃圏からの脱出に成功する。

 残りの者は馬ごとふっ飛ばされたり潰されたり、蔓や枝に捕まり巨大な口へ放り込まれたか、ひねり殺されていったのだろう、その絶叫や悲鳴だけが霧の中にくぐもる風に響いていた……。

 恐怖から馬を畑の中へと全速で走らせるニンブルは馬上で震え、冷や汗が額へ滲み、言葉が口から噴き出してくる。

 

「今のがヤツの攻撃か……圧倒的じゃないかっ。家の高さ以上の太い蔓を持つ魔樹など、普通に考えて人の剣や腕力でどうこう出来る相手では無い。あれを倒せるとすれば――(ドラゴン)の火炎砲や強大な魔法以外に存在しないはずだ!」

 

 相手が体格の近い小鬼(ゴブリン)軍団の方が、まだなんとか対戦可能のように思えた。

 ニンブル自身、帝国騎士で最強の一人と言われている身ではある。だがこの局面へ対し、思考内には祖国最後の希望として世界で『逸脱者』と呼ばれるバハルスの守護者的魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿しか浮ばない。

 ただ今の混乱の中にあっても、帝国四騎士の彼は名に恥じず、希少金属を感知出来る騎兵を守るように走っていた。

 その者の横に並ぶと声を掛ける。

 

「おい、奴はすぐ後ろを追って来ているのか」

「……あぁぁ、いえっ。アノック様、御無事で」

「今、どれほど離れている?」

「大体500メートル程です」

「――っ、止まれ!」

「ひっ、正気ですか。追いつかれれば、殺されるっ」

 

 ニンブルは剣を抜いて、並走する騎士へと翳す。

 

「止まらなければ、私が貴様をここで反逆者として切り捨てる。この作戦にも帝国の命運が掛かっている事を忘れたか! 既に数十人の血が流れている。貴様も彼等と同じ誇りある騎士ならば腹を括れ」

「――了解っ」

 

 叱咤された騎兵はハッとすると帝国の騎士らしく従い、手綱を引き直ちに馬脚を緩める。

 しかしこの時、ニンブルはもしこれがレイナースなら……と一瞬頭に(よぎ)った。

 

(……彼女は譲らないでしょうね)

 

 目的の為には、同胞と争い見捨てる事も辞さない女である。

 その時どうなるか。

 現在、バジウッドやナザミらは竜軍団との戦いへ王国まで赴いているが、苦戦時に自分も居れば今の自然にとった『帝国第一の行動』から『保身する』彼女と闘争になる可能性は高いと思えた。バジウッドはその状況を見越して帝国に自分を残したのかも、と金髪の貴族騎士は考える。

 でも今はと頭を一度振り、横の騎兵に合わせ手綱を引いて馬へ制動を掛けさせた。

 濃霧は午前9時過ぎまで濃い状態が続くと聞いている。先程、魔物が放った想像外の攻撃なら、小鬼(ゴブリン)の大軍団にも相当の被害が出るはずだ。

 視界が悪い中でも、ニンブル達の多くは現在地から()()()についての道程を把握出来ている。

 ここ三日程近隣周辺をずっと、霧の掛かったような眼鏡を付けて実際に回り、状況と土地勘を掴んでいた。

 既に日は登っており、周辺が明るい中で彼は改めて後方を振り返る。

 濃霧の為、後方へは壁のような真っ白い世界が広がっていた。

 本来なら魔樹の高さ100メートル超、両翼300メートルにも及ぶその目にした者達へ間違いなく強圧感をいだかす巨大城塞の如き圧倒的姿で迫って来る光景がハッキリと見えただろうが、今は全く捉えられない。加えて音についても霧の所為か随分と響かない。ただ不気味な振動だけは僅かだが確実に馬の鞍から伝わって来ていた。

 ニンブルは騎兵へ確認する。

 

「巨木との今の距離はどれぐらいになる?」

「およそ400メートルです」

「……なら分速80メートル、時速で5キロ程か(30分ぐらいで目的地へ着きそうですね)」

 

 視界は50メートル弱あった為、ここでニンブルの所へと左右から5騎程集まってくる。

 皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士達は、皇帝陛下の盾となって死ぬ覚悟が出来ている者も多い。彼等は指揮官であるニンブルの動きをしっかりと見ていた。

 人間と馬が7騎纏まり揃っていた事で、魔樹はここを目掛けて近寄りつつある。

 しかしニンブルはまだ動かない。彼は先程まで剣を握っていた手に弓を握りしめていた。希少金属を認識出来る先程の騎兵へと告げる。

 

「250メートル程の距離になったら知らせよ。移動を開始する前に、再度火矢を放つ」

「はっ」

 

 難度で70を超える帝国四騎士の身体能力なら通常の5倍の剛弓を引き、重い鋼鉄製の矢を200メートル先へ飛ばす事は難しくない。また風系の補助魔法も付く弓でもある。

 ニンブル自身、弓矢はそれほど得意ではないが人並みには打てた。

 指揮官が馬首を前へ向けたまま半身で振り向きつつ、火が灯る矢を引き絞り構える中、騎兵が叫ぶ。

 

「今ですっ!」

「はぁっ! ――全員、まず敵との距離を確保し騎馬間を取りつつ、目的地へ常歩(なみあし)にて前進せよっ」

 

 火矢を放つ指揮官の指示に、横並びの7人の騎士は素早く最終目的地へと移動を始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『トブの大森林』のエンリ・エモット将軍率いる小鬼(ゴブリン)軍団5000余の内、午前5時半前の時点で約半数が起きていた。

 それは――将軍のエンリが早起きだからである。

 村娘でもある彼女は、野営地中央の陣幕内一角の寝所で辺りが明るくなった午前4時半には目が覚めていた。村での生活習慣がそうさせる。

 ただ今朝は、彼女の近くでアルシェ・フルトがまだ眠っていた事もあり、起き上がる事なく頭上の天幕を暫くの間見ていた。

 昨夜は雨が降っていたので、幕を寝床の上部へ斜めに天幕の如く(たる)みなく張る事で、雨を地面へと流す形にしてくれている。

 小鬼(ゴブリン)軍師を始め、この大軍団の小鬼達全員がエンリをとても大事にしてくれていた。先に登場した19体の軍団の面々と同じである。

 

旦那(アインズ)様に頼るだけじゃなく、私自身がみんなの事をしっかりと考えなくちゃ)

 

 ジュゲムらについては部下というよりも、一蓮托生の共同体みたいな存在と考え始めていた。

 最近の彼女の中では既に人の世界という思考ではなく、旦那様の率いる偉大なるナザリックの中で自分達はどう貢献していけるのかというものに変わってきている。

 帝国を出て森へ到着後も居住地の整備や食料自給についても考え率先して指示し、行動を起こさなければと『将軍』は思う。

 

(でも今はとにかく、争いや問題なく無事に森まで到達することが大事かな)

 

 皆を率いる者として40分程あれこれ思いにふけっていたエンリは、床を出て自分で将軍の服を着始めた。

 小鬼軍師は、昨日も(エンリ)のこの自主行動に余り良い顔をしなかった。『閣下には、もっと閣下としての自覚を持っていただかなくては――』と親身に色々と小言を言ってくれていた。

 エンリにより召喚された彼等には、世界の知識もある程度備わっている。

 思い返せば小言を言ってくれたのは、今は亡き父母だけであったので彼女には少し心地よい。

 兵5000の将軍ともなれば、どの種族であろうとも間違いなく上流階級なのである。だから彼女の下々的行動を心配してくれているのが伝わる。

 上流層は皆、服装の着付け他、日常の世話は下位の下僕にしてもらう事が標準(スタンダード)なのだ。そして、そういう権力地位に就いた者はそれを往々にして好む。

 (きら)びやかな装飾や金ピカが大好きな妹のネムもそうかもしれない……。

 だがエンリは少し違った。

 彼女は出来れば敬愛する旦那(アインズ)様にひっそりと慎ましく寄り添い、父母の生まれて亡くなった大好きなカルネ村で子を育て、秋には収穫で汗を流す農夫として静かに一生を過ごし村の土へ還れれば満足なのである。

 豪華な生活や栄達などは全く望んでいないのだ。

 しかし現在、身に付けている豪華な軍装にしろ、彼女の周辺は大きく変わりつつある。それでも彼女は心の奥底でカルネ村の一人の村娘という気持ちを変えようとは思っていなかった。

 勿論、大恩あるアインズ様第一なのは不変だ。大切なカルネ村と家族である自分や妹を守ってくれている旦那様の希望ならば、先頭に立ち王国や帝国との一戦も辞さないつもりでいる。

 それが、彼女の真っ直ぐで芯の強い心の形であった。

 エンリは着替え終わると髪を()き、いつもの通り一部を三つ編むと寝所から出る。

 すると既に起きて陣内の安全を確認し始めていた、綸巾(かんぎん)を被る凛々しい髭の軍師が笑顔で挨拶してくる。

 

「おはようございます、閣下。ほっほ、また自らお着替えですか。お声を掛けて頂きませんと」

「おはようございます。ありがとう。でも、まだ早い時間ですし――」

「――時間は関係ございませんぞ。こうして皆、常時控えておりますゆえ」

 

 陣幕内の脇へ控えていた雌の小鬼(ゴブリン)達が、軍師の羽扇を向けられて会釈をして応えた。

 

「そ、そう。あ、でもほら、体を少しは動かさないとなまっちゃうのかなと……」

「はぁ……。まあ、今朝はそういう事にしておきましょうか」

 

 小鬼軍師も大切な主へあれこれ言うのは本意ではないので切り上げる。

 「はい」と笑顔で返すエンリは、彼のそんな優しい気遣いが有り難い。

 恒例となりつつあるやりとりを終えると、軍師が報告してくる。

 

「閣下、本日は周辺の霧が少々濃おうございます。今のところ陣内に問題はありませんが、出立の時間に晴れない場合は影響があるかもしれませんぞ」

「えっ? あ、本当だ」

 

 陣幕内では白い幕が視界の大部分に入り気付かなかったのだ。改めて幕の上方の遠くを良く見ると、昨夕は周囲に見えてた森の木々が随分モヤって見えにくい事を把握する。

 

「じゃあ、一応時間が後ろへずれる事も考えて……ん?」

 

 この時、話しつつ腰掛けたエンリは椅子の座面へ僅かな振動を感じた。立っている者や歩いている者は意外に感じにくいものである。

 また、小鬼(ゴブリン)は多くが大雑把な精神構造をしており、横になっていても微振動を気にする者は少なかった事も災いする。

 昨夜は夜番として50体程の小鬼(ゴブリン)らが警戒の任についていた。

 そして午前5時半の現在、ハムスケも夜番明けで出立まで仮眠をと30分ほど前に寝入ったところであった……。

 周囲を感知出来る獣の彼女だからこそ、起きていれば違う展開になっていたかもしれない。

 

(地震……かな?)

 

 まずはそう判断したエンリであるが、僅かにびりびりとする感じで『揺れる』という雰囲気ではない。

 

「閣下、何か移動に関して問題でも?」

 

 言葉を突如切った将軍の様子に小鬼軍師が尋ねた。

 エンリは首を横へ振った後に伝える。

 

「今……地面が細かく揺れているみたいなんです。でも、弱さに対して長い気がします」

「……」

 

 羽扇を握る彼は癖であろう己を仰ぐ様な仕草をやめると、少し濡れた草の生える湿った地面へ視線を落とした。そして、しゃがむと汚れるのも構わず耳を地へと付ける。

 

(――!?)

 

 軍師はそれが何かを部分的に理解すると、顔色を変え立ち上がりながら主へ告げる。

 

「将軍閣下、大変です。これは地響きですぞっ! 近くを大規模な軍団か、巨大な攻城兵器でも移動させているのでは?」

「大規模な軍団!? 攻城兵器?」

 

 エンリは『なにかなそれは』という表情を一時浮かべる。

 彼女は、人類三大国家であるバハルス帝国との覚書を真摯に信じており、先程からずっと『これはきっと自然現象だ』と思い込んでいたのだ。

 ここはまだ帝国領土のど真ん中と言える場所。しかし――その帝国からは何の知らせも無い。

 

 

 何かがオカシイと、エンリはここで(ようや)く気付く。

 

 

 女将軍の顔色は急速に悪くなり同時に険しいものへと変わった。

 

「皆へ命じます。直ちに総員起こしをっ! 続いて速やかに陣形を整えて」

「ははっ、直ちに!」

 

 小鬼(ゴブリン)軍師は羽扇を翳し命じる。

 

「エンリ将軍閣下所属の全軍、全兵団へ伝令っ、総員起こせーー! 順次円陣を組むとも伝えよ」

 

 その声が終ると同時に十数体の伝令が陣幕内と周辺から各兵団へと散って行く。

 でも遅かった。そんな時間は既に殆ど残されていなかったのだ。

 魔樹は濃霧の中、野営地まであと400メートルを切った位置まで猛然と迫って来ていた。

 まだそれを知らないエンリはアルシェを起す為に寝所への幕を潜る。すると、異変に気付いたアルシェはもう魔法省の制服を殆ど着終えていた。

 修羅場を見ており即応へ慣れているワーカーの少女は、何度かモンスターから夜討ちされる経験もあった。

 

「地面が揺れてる。一体何が起こってるの? まさかっ、帝国騎士団の朝駆けじゃ」

「まだ分からないですけど、急の異常事態なの」

「……この地から急いで離れた方がいいかもしれない」

 

 そんなやり取りの際中に、巨体が陣幕を下から押し退け、ハムスケが大きい顔をのぞかせる。

 だがその表情に余裕が無い事が自然と窺えた。

 

「エンリ殿、逃げるでござる。スゴいのが直ぐ傍に向かって来てるでござるよっ!」

「えっ!?」

「凄いのって?」

 

 エンリに続いて思わずアルシェも尋ねていた。地響きが耳でも捉えられる程にデカくなって来ている。もう答えている余裕などない。

 

「急ぐゆえちょっと失礼するでござるよ」

「あっ、ハ――〝森の賢王〟さん!?」

「え、くっ、どうする気?!」

 

 ハムスケは尻尾を器用に8の字に変え、エンリとアルシェの体をその輪の中へ抱えると、全速で寝所を区切っていた幕を突き抜けて陣幕内中央へ戻る形で駆けていく。

 流石の彼女も逃げる一択だ。迫り来るヤツへ尻尾による攻撃や〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉を掛けようとは思わなかった。強さの感知は余り出来なくても、圧倒的な大きさは把握出来たからだ。

 走り抜けつつハムスケが、小鬼(ゴブリン)軍師らへ叫ぶ。

 

「軍師殿らも、怪物がそこまで迫ってござるから急ぎ逃げるでござるよ!」

 

 エンリも普通では無い状況から、ハムスケの判断を優先して後方となった軍師達へと叫ぶ。

 

「全員、南へ逃げてーー! 立て直しはそこでしますっ」

「「「――!」」」

 

 軍師が口笛を吹くと狼が現れ、それに飛び乗ると周辺全体へ聞こえるよう大声で指示を出す。

 

「全兵団、閣下の御命令ぞっ。一時南へ移動せよ!」

 

 野営地内を移動しつつ連呼し、羽扇をオーバーアクションで兵らを陣外へ誘導するようにしてハムスケの通った後へと続いた。

 小鬼(ゴブリン)兵らはその指示を聞くと、レッドキャプスを筆頭に多くが続いて行く。

 中央の陣幕近くにいて、移動の素早い死の騎士(デス・ナイト)だけが速いハムスケへと並走出来た。彼等は、見渡す限り一面がほぼ穀倉地帯の畑内や畦道を南方面へ全力で逃走する。

 1分後――巨大な本体に先駆けて陣内へと太い蔓の先端が襲い掛かって来た。

 貴重な糧食を積んだ直ぐに動かせる馬車を退避させるべく走らそうとして、まだ残っていた健気な小鬼(ゴブリン)達へ向かって行った。

 その攻撃的な蔓群に対して、無防備な仲間らを守ろうと有志が足を止め駆け戻り加勢する。しかし、迎撃した勇猛な小鬼(ゴブリン)兵10体以上が次々に犠牲となっていく。

 彼等は皆Lv.25以上の者達ばかりであったが、小枝部分は兎も角、強烈なパワーを持つ魔樹の太く重い蔓本体の先端部を受け止めきれなかった。

 小鬼(ゴブリン)の大兵団の野営地は大混乱と化していく……。

 だが、この絶望的状況において突如不思議な事が起こる。

 

 

 次の瞬間に、全ての攻撃が治まったのだ。

 

 

 同時に周辺の全員が感じる程大きくなっていた酷い地響きも突然にピタリと途切れた。

 野営地から南へと全速で駆け離脱しつつあったハムスケが、地面へと跡を残しながら急に立ち止まる。

 彼女は魔物の反応を捉え続けていたので、急変を感知したのだ。

 

「なんたること!? あの怪物の大きな存在が――いきなり消えたでござるよっ」

 

 霧満ちる後方右側の巨大怪物の居た方向を振り向きつつ、叫ぶ形で尾っぽに握るエンリらへ伝えた。

 

「えぇっ、消えたって?! もう、一体何が起こっているんですかっ」

 

 急展開の連続に、今まで凌いで来たエンリも冷静ではいられなかった。

 すると、将軍少女の思考へとあの不思議な音が鳴り、彼女の主(アインズ)の重々しい声が聞こえて来た。

 

『エンリよ聞こえるか。私だ。お前達の無事な姿は魔法で見えている』

「は――(ぁ、いけない)」

 

 思わず愛しの頼れる旦那様へと嬉しさから元気よく「はいっ」と言いそうになったが、直ぐ近くにはアルシェが居たので思い留まり、彼女から見えない形でゆっくり頷く。

 それを受け支配者は言葉を伝える。

 

『こちらで一応全体の状況は把握しているので、用件だけ手短に話すぞ』

 

 エンリは『了解』と、また一つゆっくりと頷いた。

 アインズは指示の要点を語る。

 

『巨大な樹木の魔物に見える、よく分からない()()()()()はこちらで引き受ける。帝国は、故意に面倒な者達の同士討ちを狙ったのだろうな。もうそちらでの怪物への直接的対処は不用だ。だが、帝国の軍団が東側から迫って来ている。空からも魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊が動いているようだ。同士討ちで残った方を片付けるつもりの兵に違いあるまい。それら帝国との交渉は――お前に任せる』

 

 エンリはナザリックへ多少慣れたと思っていたが、今回も驚きの連続である。

 まず、ハムスケの強さは死の騎士(デス・ナイト)以上という事は聞いていて、その彼女が一目散に逃げ出す程の強敵を、さも平然と引き受けると語る旦那様に一つ。

 次に、この状況で非常に重大な帝国との再交渉の任を告げられたことに一つ。

 でも出来ると旦那様から見込まれての指示だろうと考え、身が震えつつも少し嬉しくもあった。

 ナザリックの支配者の命を受け、ゆっくりだがここは大きく頷いた。

 彼女の驚きはまだ直ぐあとにも訪れる。

 アインズの言葉が続く。

 

『あと常時安全は確認しつつも、独自にカルネ村を抜け出したので当初から連絡は取っていないのだが、間もなく周辺からンフィーレアとネム達の隊が合流するはずだ』

 

 幼馴染からの手紙で帝国へ来ている事は把握しているエンリだが『えぇっ?』と思った。彼女はここで初めてンフィーレアとネムが、旦那(アインズ)様の指示では動いていない現状を知る。だが、『常時安全は確認しつつ』の言葉から黙認されている状況であり罰は無さそうとは推測出来た。

 また、ネムやジュゲムへ連絡を取らなかったのはンフィーレアがいた為とも理解する。

 続く主の最後の言葉にも村娘は表情を固める形で驚かされた。

 

『それと――上空へ先行して来ていた帝国の老人(フールーダ)だけは、レベル……いや、装備込みの難度で140以上あったので捕獲させてもらった。それもこちらで()()する。以上だ』

 

 エンリが頷くと、『では頼んだぞ』の声で旦那様からの〈伝言(メッセージ)〉は終わった。

 彼女は『ナザリックの将軍』としてこの後の行動を直ちに組み立てる。

 

「おお閣下、御無事で何よりですぞ」

 

 ここで、狼に乗った小鬼(ゴブリン)軍師が後ろから追いついて来て再会への喜びの声を上げた。

 羽扇を振る彼へと頷きながら、エンリは旦那様の言葉を考慮し自分の考えとして伝える。

 

「森の賢王さんの周辺把握の感覚で、恐るべき敵は急にいずこへか去ったようです。そして状況的に考えて――バハルス帝国は領内に居た恐るべき敵の存在を知りながら私達へ知らせて来なかったみたい。またこんな、丁度野営地にぶつかると言う偶然は有り得ません。故意にこの悲劇は仕組まれたのでしょう」

「――閣下。毎日の行軍距離の不規則さから見ても、帝国軍の狙いは同士討ちだと仰るのですな」

 

 ここでハムスケの尻尾から制服の魔法少女と共に開放された将軍は、軍師の言葉に頷く。

 エンリらの言葉を聞いたアルシェは、帝国の後先を考えていない強引なやり方に愕然とする。

 

(なんて無謀な……。謎の強い魔物と私達の力が拮抗していれば成立するけど、現実はどうみてもそうじゃなかった。小鬼(ゴブリン)の大軍団は確かに減らせたかもしれない。だけど、魔物は残ったはず。……そうか、皇帝陛下はパラダイン老に倒させる気だったんだ。ただどちらにしろ――そうなると帝国からの人質である私は……)

 

 アルシェとしては、このまま何事もなく無事に小鬼達の退去が完了してしまえば、全てが上手く回っていくはずであった。

 しかし、これで人質のアルシェが無傷で解放されるという事は『不自然』という話に変わる。

 視線を落とし表情が冴えない小柄な帝国の少女の様子をみて、エンリと小鬼(ゴブリン)軍師もその忘れかけていた問題点に気付く。

 

「フルトさん、お話があります。実は……」

 

 将軍エンリ嬢の口からトンデモナイ処罰案が飛び出すのはこの後すぐであった――。

 

 

 

 

 朝、虫の知らせや嫌な予感もあってか、ンフィーレアは早く目を覚ます。

 薬師の天才少年とネム達カルネ村エンリ救出部隊は、昨夜も、日が沈み周辺を封鎖警戒する帝国騎士団の動きが無くなった8時過ぎから1時間程掛けて移動。見渡す一面全てが麦畑の中で確認出来たエンリ達の野営地の南側約900メートルの所に見つけた林内へと潜んでいた。

 仰向けに寝ていた彼は、懐から取り出した時を刻む高価なアイテムを見て確認する。

 今の時刻は午前5時20分過ぎ。

 木の根元の乾いた落ち葉の上で身を起した少年は、昨夜から一変していた周囲の状況に驚く。

 

「うわぁ、50メートル先も見えない凄く濃い霧じゃないか――――あぁっ!」

 

 この瞬間、利口な彼はバハルス帝国の狙いに気が付き、思わず大声を上げる。

 昨晩、ここへ移動する前に巨木のモンスターとエンリ達が遭遇する危険について仲間達と話をしていた。そこでは毎日の不規則な移動距離を疑問視するも、エンリの軍団が自主的に動いている可能性もあり様子をみてしまった。

 昨夜10時過ぎから雨が降り始めるも、その時点ではまだ夜目が利けば遠くまで見渡せる感じで安全は十分確保出来ていると思い込んでしまったのだ。

 天候をも作戦に組み入れた帝国の憎らしい計略である。

 

「……なんですかい、兄さん?」

 

 少年の上げた声で、戦士のジュゲムやゴコウらが目をこすりつつ警戒気味に起き出す。

 ネムだけはまだ「ムニャムニャ」とぐっすりと夢の中だ……。

 ンフィーレアが、指さす周囲の光景を小鬼(ゴブリン)達は見るがまだ気付かない。

 寝起きで頭がまだ回っていないのか、霧と巨樹とを結び付けれない模様。少年が補足する。

 

「この霧を利用して、エンリの軍団を巨木のモンスターの前まで誘導するんじゃないのかな?」

「ああぁ!」

「まずいじゃねぇですかいっ」

「姐さーん」

 

 (ようや)く大問題に気が付きジュゲムやゴコウらの目がカッと開かれた。

 一気に深刻さが増した一行を追い打つように、戻ってくる時間では無いはずの蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が空から駆けおりて来た。

 緊急事態を感じ、ンフィーレアはネムを急ぎ揺り起こし話を聞いてもらう。

 冒頭は半分寝掛けたが、余りの内容に少女は眠気が飛んで完全に目覚め驚く。

 

「えぇっ、人間の騎兵隊が火矢で巨木を怒らせて、お姉ちゃん達の所に向かってるの!?」

 

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)曰く、濃霧の為に状況把握が遅れたらしく、それで経過時間を考えればエンリらの野営地までもう1キロを切っているだろうという。

 帝国は今からエンリ達を誘導するのではなく、巨木の魔物側を引っ張って来てぶつけようとする作戦であった事に薬師少年は頭を抱えて唸る。

 

「うわぁぁーー、エンリーーっ」

「混乱してる場合じゃないですぜ、ンフィーの兄さんっ」

 

 ジュゲムの言葉にその通りだと、少年はその場へと立ち上がり皆に指示を出す。

 

「エンリ達の所へ乗り込んで助けよう! 全員、すぐ準備してっ」

「「「おおーーっ!」」」

 

 もう、かくれんぼは終わりである。

 帝国の酷すぎる計略を考えれば、エンリ側へ援軍があっても文句を言われる筋合いではなくなったのだ。

 ネムを通して蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に上空から先行させると、ンフィーレア達は荷物を大袋に突っ込みつつ死の騎士(デス・ナイト)へしがみ付く形で乗ると林から飛び出して行った。

 少年らの居る場所から野営地までは1キロ無い距離であり、死の騎士(デス・ナイト)の全速なら2分掛からず到達可能の位置にいたため、(じき)に北北東方向へ薄らと南に向かい移動する小鬼(ゴブリン)の集団と霧の中で遭遇する。

 この時ンフィーレア達は、エンリ達の野営地に対し若干南西から接近しており、視界の悪さから真南へ向かったエンリとハムスケとは行き違う形になっていた。

 だが、構わずネムは死の騎士(デス・ナイト)達一行を出会ったその者らへと寄せていく。

 突如現れた死の騎士(デス・ナイト)3体にしがみつく小鬼(ゴブリン)達に、一時小鬼聖騎士団の隊が身構える、だが。

 

「お姉ちゃんは――エンリ・エモットは無事ですかっ!?」

 

 エンリの妹であるネムの姿とその言葉を聞いて、小鬼(ゴブリン)聖騎士団の長が一歩前に出る。彼等にはネム達が認識出来た。

 

「これはこれは、閣下の妹君一行でありますか! 私はエンリ将軍閣下率いる軍団の小鬼(ゴブリン)聖騎士団団長であります。閣下は既に友軍の方や供回りと南へ脱出され、我らと重装甲歩兵団は後方からの追手を遮断しつつ向かう途中であります。ささ、共に参りましょうぞ」

 

 エンリの無事を聞いて、ネムを筆頭にンフィーレアやジュゲム達も一安心する。

 ンフィーレア一行は聖騎士団の一隊と共に、すぐさまエンリの居る南へと向かった。

 

 

 

 

 本題と概要はエンリから話があり、補足事項を小鬼(ゴブリン)軍師より告げられて処罰案を聞いたアルシェは、少し複雑な表情をする。

 しかし、大国である帝国に対しての事情を考慮すれば、他に選択の余地はないように思えた。

 

「……分かりました。それで、構いません」

 

 覚悟を決めたワーカーの魔法少女は、決意を伝えるとエンリの瞳を見つつ頷いた。

 ハムスケが急停止して以来、処罰の件の話を進めている最中も、北から小鬼軍団の各兵団小隊が続々と追い付き集結しつつあった。

 ここは野営地から真っ直ぐ南へ750メートル程来た辺りだ。

 その時、エンリの耳へ見知った者達の声が続けて飛びこんで来た。

 

「お姉ちゃーん!」

「エンリィーーー!」

「「「姐さーーん」」」

 

 エンリが振り向くと、ドリフト気味に横向きで格好良く止まった死の騎士(デス・ナイト)達から、妹のネムとンフィーレアらが飛び降り駆け寄って来る姿が見えた。

 

「ネムっ! ンフィーレアっ。ジュゲムさんやカイジャリさん達に死の騎士の方々まで……」

 

 二人の後ろから13体の小鬼(ゴブリン)達や死の騎士らの続いてくる様子も目に入る。

 先日に少年から手紙を貰い、先程は旦那様から聞いてはいたが、隣の大国である帝国内のこんなド真ん中で再会するとは思っておらず、危険な場所であるため何とも言えない気持ちであった。

 ネムは姉へと抱き付き、エンリも妹を抱き締める。  (「スバラシイ!」)

 ただエンリは、姉として言っておかねばならない。彼女は一度抱き締めたネムの両頬を強めにつまむと怖い顔をして告げる。

 

「ネム。勝手にこんな危ない事をして、ダメじゃない」

「痛いよお姉ちゃん。だって――お姉ちゃんが心配だったから……」

 

 ここまで明るく気丈にしていた妹は、姉との再会に涙ぐむ。

 それは頬が痛いからでは無い。やはり姉と離れて寂しかったからである。

 ネムの言葉に「バカね。怪物はもうどこかへ去ったしお姉ちゃんは大丈夫」と語り、エンリは一回目を閉じ妹の頬から手を離すと、再び可愛い妹の顔を確かめ優しく抱き締める。

 少しだけ眼前の危機が遠のいた今、温かい姉妹の姿に帝国の魔法少女(アルシェ)の他、ンフィーレアやジュゲム達、そして小鬼(ゴブリン)軍師ら新軍団の者達も和みつつ見守った。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)だけは上空で大きく旋回し続けていた。彼はンフィーレアの護衛が主命であるため、広域をカバーする意味でもこの形が良いと判断し実行中だ。

 姉妹の再会を終えたエンリとネム。

 ンフィーレアはここでやっと会いたかったエンリへと話し掛ける。

 

「本当に無事で良かったよ。でも、怪物はどこかへか去ったの?」

「うん。怪物についてはもう大丈夫。()()()()消え去ったはず。何も追ってこなかったでしょ?」

 

 エンリは言い切った。旦那様の落ち着いた声の雰囲気から、あっさり処分されたに違いないと。

 

「まあ、そうだったけど……(カルネ村ぐらい大きさがあるって聞いた巨木の魔物のはずなんだけどなぁ)」

 

 ンフィーレアも実際に見た訳ではないので、そうなのかと思ってしまった。確かにそれ程大きい魔物を外部からどうこう出来るとも思えないから。

 

「ところでエンリ、そちらの方は?」

 

 ここで少年は、幼馴染の横に立つ格式のありそうな魔法詠唱者風の衣装を着た、見慣れない可愛く小柄の少女について尋ねた。

 エンリは笑顔で恩人を紹介する。

 

「ンフィーレア、こちらはアルシェ・フルトさん。魔法省で捕まって本当に困ってた私を助けてくれた人なの」

「そうなんだ。エンリを助けてくれて、本当にありがとう、フルトさん」

 

 『本当に困っていたエンリを助けてくれた』――バレアレ少年がアルシェを信用するのにそれだけで充分である。

 

「「「ありがとうございますっ」」」

 

 妹のネムやジュゲム達も同様の思いだ。恐らくアルシェがしてくれたその行為は、大国が相手で命の危険も当然あったはずなのだから。

 

「あ、はい。よろしくお願いします。皆さん」

 

 アルシェは、エンリの村の人と亜人達に仲良く礼を言われて、カルネ村の雰囲気を少し理解しつつ、こうして皆の輪へ馴染んでいく。

 さて、(ようや)く十分落ち着いた一同。ネムは、早速次に姉の豪華衣装へ興味津々である。

 

「お姉ちゃん、その衣装カッコイイ! すごいすごいー」

 

 金属装飾の多くに金やプラチナも使われピカピカしていた。ネムは姉の周りを笑顔で踊るようにぐるぐると眺めながら回る。

 

「確かに、その凄く豪華な衣装はどうしたの?」

 

 ンフィーレアもエンリの素晴らしい軍服姿に見惚れつつも、自然な疑問を投げて来た。

 一瞬、エンリの目は泳いだが、その方向にはハムスケの姿が有り、そこから無理やり言葉を捻り出す。

 

「えっと、そこにおられる〝トブの大森林〟の〝森の賢王〟さんが届けてくれて――」

「〝森の賢王〟って、まさかあの!?」

 

 5年程前から何度もトブの大森林近郊に足を運んでいるンフィーレアはその度に祖母のリィジーから聞かされていた。少年が目線を向けると、その名にふさわしい勇壮な姿をした小部屋程もある魔獣の姿が目に映る。

 「うわー」とハムスケの姿に気を取られ感嘆する少年を傍で見ているエンリ。だが、このままではまだ『森の賢王とどういう関係か』や『なぜ森の賢王が人用の衣装を』など色々マズいと思い、軍服の話を早々に切る為に本心からの小言をンフィーレアへと向ける。

 

「――それはそうと、気持ちは嬉しいし有り難いけれど、ンフィーレアもンフィーレアよ。相手は村から一瞬で私を攫って、王国の敵といえる帝国内へ戻ったのに。どう考えても危険過ぎるでしょう?」

 

 彼に何かあれば保護責任者として、旦那様は勿論、リィジー様にも申し訳ない事になる。

 てっきりこれは、アインズ様の了承が得られているものと考えていた部分もあったのだ。だから手紙を受け取った時は嬉しさと感謝だけが残った。でも今は半々というか複雑だ。

 確かに王都へ行っている事になっている旦那様から、直接了承を貰ったりは出来ないだろう。

 でもだからと言って、強大な帝国にまで乗り込んで来ることはない話である。

 薬師の少年は第2位階魔法詠唱者であり、博学で優秀なのは知っているけれども、相手は世界有数の第6位階魔法詠唱者フールーダ・パラダインその人であり遭遇する可能性もあったのだ。

 流石に『逸脱者』が相手では、ンフィーレアが二人居ても逆立ちしても絶対に敵わない。

 でも一方で、先日求婚を断ったにも関わらず、死ぬ可能性を顧みないで来てくれたという彼の優しさと勇気と不屈の想いには、人間の乙女として様々な気持ちが混じる。

 対して、目の前に大軍団の指揮官として立ち、剣を帯びて豪華な軍装姿で腰に手を当てるエンリについて、想いを寄せながら今、有名な天才少年から見ても彼女は、いつの間にか迫力を感じる存在に見えた。

 だけどやはり熱い気持ちは冷めず。

 好意のためなのか、華麗な衣装を纏うエンリはとても美しく輝いている――。

 

「ご、こめん。だけど今、アインズ様は村にいないし、僕は同じ村の中に居たのにエンリが攫われたと知って、凄く心配で苦しくて居ても立ってもいられなかったんだよ」

 

 不在の盟主(アインズ)へ対し狡いとは思ったが、それでもここはエンリの為に危険を顧みず行動出来る男だと強くアピールさせてもらうンフィーレアであった。

 エンリと同年代の女の子であるアルシェ。彼女も混じった大勢の前で大々的に告げられると、将軍少女もここは少し頬が赤くなる。

 人間同士の少年とくっ付くのも悪くないと思っているジュゲム達はニタニタしていた。

 帝国の魔法少女も、『あ、この少年はもしかしてエモットさんを?』と勘付く。カルネ村を救った英雄の話を知らない事や、一般的に見ても年が近いペアが多い傾向なのもあるが。

 『もう、この雰囲気をどうするのよ』と困った顔をするエンリであるが、それを救う形で小鬼(ゴブリン)軍師が現状で先にやっておくべき案件を述べてくれる。

 

「ほっほっほっほ。皆さん、話の途中かもしれませんが今は急ぎ、まずは陣形を整えて帝国の出方へ備えるのが肝要ですぞ。恐らく先の怪物と我らの残った方を、傷ついている間に討つのが目的のはずでありましょうから」

「「「「――――っ!」」」」

 

 少し和んでいた全員が、緊張した顔へと戻る。

 ここは(いま)だ戦場なのである。

 ンフィーレアも、エンリへのアピールは出来て裏目的はほぼ達成したとし、現在の状況の後へと続く発言をする。

 

「僕達も王国側へ戻るまで同行するよ。何か今、協力出来る事はない?」

「この辺りで小山や河川など、陣地や戦場として考えられる情報はありませんかな?」

 

 軍師には残念ながらバハルス帝国の地理についての知識がなかった。それは(あるじ)のエンリの中にそれらの情報が存在していなかった事に引っ張られている。

 尋ねられたンフィーレアは、現在自分達の居る地域へ関して、広い穀倉地帯のど真ん中でありほぼ平地であると認識していた。なので個々の兵の技量等が拮抗すれば、大軍や戦力が勝る方が有利に戦えるはずだと考える。

 エンリ率いる大軍団の総戦力を数で捉え気味のンフィーレアとしては、やはり地の利は多くが帝国側へある様に感じていた。

 ただ幸い、河川に関しては広大な畑へ水を引く為、各地へと満遍なく引かれている。その中で馬で渡るには幅と深さの有るものを要害として使う形で利用は出来そうである。

 ンフィーレアらは昨晩、エンリの居る野営地傍へ潜む場所を探す際、同時に周辺を調べて回っていた。少年が考えを伝える。

 

「残念ながら、周辺2キロ程は起伏が少なくて麦畑が殆どです。その中で、先の野営地は少し小高く木々に囲まれ、周囲の一部には小川も沿う感じで流れてました。昨夜の雨もあり水量が増しているはずなので、先の魔物には関係なかった部分も帝国の騎士団や軍馬には攻めにくい形になるんじゃないかと」

「なるほど。エンリ将軍閣下、この少年の案を考慮し具申いたしますぞ。今一度あの場所へ戻られるべきかと」

 

 軍服の少女は、ンフィーレアと小鬼(ゴブリン)軍師の真剣な表情と、主から『帝国との再交渉を任せる』と命じられていることから、このまま単に帝国を退去するのは下策になるだろうと判断する。

 確かにただ混乱し逃げる様では、弱気と思われて後方から攻撃される可能性も十分にある。

 エンリ達は被害者なのだ。旦那様やナザリックは――強さを全面に前へ出る戦略に見えた。

 『トブの大森林』のエモット将軍は全軍へと命じる。

 

「決めました。我々は先の野営地へ本陣を置き兵を展開。間もなく来るであろう帝国の部隊を待ち構えます、戻りましょう」

 

 将の命を受け、軍師が羽扇を振るう。

 

「ほっほっほ。皆の者、お下知された通り、速やかに移動を開始しますぞ」

「「「「オーーーッ!」」」」

 

 エンリの傍で集結し始めていた小鬼(ゴブリン)大軍団は折り返す形で北上を開始し、南下して来る隊を吸収しつつ1キロ足らずの距離を急ぎ戻って行った。

 なお結局、戻りの道程で新参の死の騎士(デス・ナイト)の左肩に乗るエンリは、並走するンフィーレアより『森の賢王とどういう関係なの?』と『なぜ森の賢王が人用の衣装を?』という難題についてを質問される。

 そこで一時、顔を背け目を激しく(しばたた)かせるも『森の賢王とどういう関係か』へエンリは、強力な19体の小鬼(ゴブリン)軍団を得てから、ンフィーレアが来る以前に彼等と薬草を取りにトブの大森林へ行った際、〝森の賢王〟と対峙し同盟関係になったと話す。

 黙っていたのは、人間達を驚かせたくないという〝森の賢王〟からの約束があったという理由にして。

 そして『なぜ森の賢王が人用の衣装を』については、随分昔〝森の賢王〟を襲って来た異国からという冒険者を倒した際の戦利品であり、カルネ村との友好同盟の証しとして譲渡する予定の話や、エンリが攫われたと村に残っている小鬼(ゴブリン)より聞き、救援ついでで帝国との対話の場で役に立つかもということで持参し贈られた形だと説明した。

 

 

「へぇ-、凄く優れた考えだよ。なるほど、流石は名高い―――〝森の賢王〟だね」

 

 

 かくして、ンフィーレアはニッコリと納得してくれた。

 濃霧のお陰で視界が悪く、エンリと反対側の死の騎士(デス・ナイト)の左肩へ捕まって乗り、話を聞いていたアルシェも〝森の賢王〟の風格ある立派な魔獣の姿からフムフムと頷いている。

 真実を知るハムスケやジュゲムは知らんぷりをし、カイジャリやゴコウ達は苦笑い気味。

 ネムも『お姉ちゃん頑張ってるけど』とハラハラ。

 

(ンフィー、ゴメンね。殆どウソで)

 

 エンリは胸が少し痛く苦しい感じもしてきた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『我がバハルス帝国は、第6位階魔法詠唱者フールーダ・パラダインがいる限り不滅である』

 

 一大帝国の頂点に君臨する金髪の貴公子は、何があろうとも変わらない事だと信じている。

 今の度重なる国難についてでさえも――。

 

 

 午前3時過ぎの、帝都アーウィンタール中央地区にそびえる皇城中央塔の皇帝執務室。

 皇帝ジルクニフは書類の山が並ぶコの字型の大机にて、手元の書き進めていた書類の手を休めると顔を上げ、今入室してきた秘書官ロウネ・ヴァミリネンからの報告を受ける。

 

「陛下、予報通りに昨夜より西方から現地へかけ広い範囲で、雨がしっかり降っているとの報告が参りました」

「そうか。では爺にも知らせ、予定通りに――帝国の敵を全て片付けよ」

「はっ」

 

 ロウネは執務室の扉を出て、足早に塔上部の待機場で待たせていた皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)飛行魔獣隊の騎士達へ知らせると、次に自ら皇城中央塔内にもあるフールーダの個室という区画へと入る。

 帝国の大英雄らしく、数代前より皇帝以外で唯一、皇城中央塔内で広い個人的な空間を与えられている。

 これに異を唱える者は、帝国の中に誰もいない。

 ロウネは幼い頃に祖父から「先々代の陛下も、パラダイン様を随分頼りにされていてなぁ」と何度も聞かされたものである。

 パラダイン老は国の柱石であり、正に帝国の繁栄と共に歩んで来た存在なのだ。

 歴代の皇帝達が何人もひっそりと、歩く道すら譲ったという話もあるぐらいの偉大な人物。

 現在、自分がそんな大賢人と帝国の中枢を共に預かる立場に、改めて身が震える思いのロウネである。

 

(確かにこの難局、フールーダ・パラダイン様以外で、払拭出来る方は帝国内に存在しない)

 

 騎士であったという(ロウネ)の祖父は、かつて南方のカッツェ平野の戦場にて実際に老師の放つ凄まじいまでの大魔法を見たらしく、その話も秘書官は聞いていた。

 今一度、連続する国難に脅威の攻撃魔法を炸裂させて帝国を見事に救って欲しいと願いつつ、パラダイン老の部屋の扉前へと立つ。

 普段の老師は、帝都西方にある魔法省内の自室区画に居る事が多いのだが、ここ数日の夜から朝までは秘匿作戦へ待機する形で皇城側に来ていた。

 本区画の普段の警備は近衛隊の騎士の他、魔法省の魔法詠唱者達も務める。

 魔法詠唱者の一人が中へお伺いを立てると扉が開かれ、ロウネは進み入る。

 室内ではフールーダが奥で、前にローテーブルのあるソファーへと座り魔法書を見ていた。

 

「傍まで失礼します」

 

 声を受け、僅かに顔を上げ目を合わせ無言で頷く白鬚白髪の老人に対し、秘書官のロウネは秘匿作戦であるジルクニフの命をソファー脇より耳元まで近付きそっと伝える。

 

「本日朝に決行との事。生き残った者は、()()()()との命にございます」

「……わかった。直ちに配下の部隊を率いて出陣しますと、陛下へお伝えせよ」

「はい。では失礼いたします」

 

 ロウネは速やかに退出し去って行った。

 フールーダは、扉外の衛兵らへ「私は急用ゆえ魔法省へ戻る」と伝え皇城を後にする。

 だが、老師は魔法省へは戻らない。

 〈飛行(フライ)〉で皇城上空へ滞空すると〈伝言(メッセージ)〉を使用して帝国魔法省にて待機していた高弟の一人であり責任者代行の者へと伝える。

 

「私だが、陛下からの命が下った。昨日の作戦会議で伝えた通り、お前達は行動を開始せよ」

『はっ、畏まりました、師よ』

 

 人間が使う〈伝言(メッセージ)〉は近距離でさえ音質が非常に悪い事や、過去の歴史において甚大な被害とそれ以来の風評もあって殆ど一般には使われないが、フールーダの水準や情報系魔法が得意な者達は比較的鮮明に通話が出来た。

 老師は帝国魔法省内において〈伝言(メッセージ)〉の質で信用出来る水準の者を選抜し、最近は試験的に約10キロ圏内では使用する傾向である。

 魔法省最高責任者から連絡を受けた高弟は、周辺の大都市の魔法省支部へ招集を掛けて完全攻撃装備で待機させていた精鋭70名に及ぶ魔法詠唱者部隊へ出撃を命じた。

 一方、帝都上空をゆっくりと進むフールーダ・パラダイン本人は――

 

「あのエンリ・エモットなる村娘だけは、何としても確保せねばな。ふはははーー」

 

 ――そう語りつつ、彼は深淵の魔法の探求者らしい嬉々とした目をギラギラさせ、当初の予定通り()()()行動を開始した。

 

 

 

 

 午前3時過ぎに帝都皇城の皇帝執務室より発せられた、ジルクニフからの重大な秘匿命令は約1時間程で、大規模に展開されている帝国軍野営地へも伝わる。

 まだ暗い中だが星は全く見えず、日付を越えた未明から雲一面の空より雨粒が落ち続けている。西からの分厚い雲が掛かっていたが小降りとなり、そろそろ過ぎつつある頃だ。

 野営地には、帝国八騎士団の中でも本来帝都のみを守るはずの第一軍の約半数、そして帝都の東西にある各大都市を守る第二軍と第三軍の八割以上、更に帝都南東の大都市を守る第四軍と王国に最も近い帝都南西にある大都市を防衛する第五軍から七割以上に加え、各都市の予備役も招集されて4個軍団の4万2000余騎が帝都から南西60キロの湖西方岸の地域へ集められていた。

 実に、ここ数年毎年秋頃に隣国リ・エスティーゼ王国との戦いで投入されている戦力を若干上回る規模である。

 帝国は王国へ侵攻中の竜王軍団撃退に兵力を裂いたが、国内残存戦力の主力を投入する形で、正に本気の殲滅戦の備えをこのたった数日で揃えていた。それは、4つの都市から70キロ程度であった事から輜重関連を後回しに騎士戦力中心で動かせた事が大きい。

 各軍団を率いるのは帝国八騎士団第二軍の将軍と第一、第三、第四軍の副将達である。

 竜王軍団への精鋭軍へ6名の将軍が赴き、本国には第二軍と第七軍の二将軍しか残っていない。

 とはいえ本作戦の最高総指揮官は、武勇ではないが帝国きっての統率力と堅実さで名声を響かせる第二軍のナテル・イニエム・デイル・カーベイン将軍だ。

 先代皇帝の時代にその才により取り立てられた人物で、風貌や物腰は軍人と言うよりも貴族然とした男であった。

 昨日よりこの野営地へ第二軍の騎士団8200余騎と共に着任している。帝国軍指揮官の幕舎に相応しい立派な天幕の中、現在午前4時過ぎの東の地平線が薄明るくなり始めた早朝にも関わらず静かに椅子へと座り、臨戦態勢で待ちしところへジャイアント・イーグルの到着を知らされる。

 間もなく皇帝陛下の命令書を持った伝令の騎士を、幕内へ互いに敬礼でもって迎えた。

 

「カーベイン将軍閣下、皇帝陛下より出陣の命が発せられました。攻撃目標は――変わらずです。現地にて指揮官判断で決定せよとのこと。以上であります」

「陛下の御命令了解しました、そうお伝えしてくれ」

「はっ」

 

 現野営地へ集った将官の中でカーベインだけが事前に、2つの攻撃目標について知らされている。『移動する巨樹の魔物』と『亜人の大軍団』である。

 他の3名の将達は『移動する巨樹の魔物』のみ一つの通知。

 だが、彼等も帝国で最上位水準にいる軍人達。おぼろげには気が付いている。

 

 これは帝国内に居る、害の有るモノを討ち果たす為の出陣なのだと――。

 

 それに『移動する巨樹の魔物』は城塞の如き規格外の大きさだという情報も告げられている為、人馬ではどうにもならないだろう事は予測出来た。その相手にわざわざ貴重な騎士団を向かわせるとは考えにくい。

 また、極秘に大魔法使いのパラダイン老が帝都へ呼び戻されており、魔法詠唱者部隊の編成準備中との情報も将達の手元へは入って来ていた。

 なので間違いなく『移動する巨樹の魔物』へは帝国主席宮廷魔法使いの率いる部隊が向かうはずだと将達は考えている。

 となると消去法的に、先日皇帝陛下が覚書を示し退去を認めたはずの、大部隊を有する『亜人の大軍団』が相手だと想像はつく。

 嘗て鮮血帝と恐れられた彼は、あらゆる手段を用いて国家を纏めて来た。

 概ね低能な小鬼(ゴブリン)達相手への覚書はタダの紙切れと同然にも思える。

 帝都アーウィンタール南西の大門にて、実際に個体数が計測されており幌馬車内の数を考慮してほぼ5000との最終報告が帝国情報局へ届いていた。

 ただカーベインは、加えて魔法省内における小鬼(ゴブリン)大軍団側の戦術について詳細を聞いており苦慮していた。

 

(敵の亜人らの魔法詠唱者部隊による大規模な〈竜巻(トルネード)〉を受ける前に、早い段階で接近し混戦へ持ち込むしかない。……それは霧を利用出来る今なら可能だが、それだけで本当に勝てる相手なのか)

 

 出陣に先立ち、将軍には街中の絵描きにより先日描かれし筋骨隆々とした標的である小鬼(ゴブリン)達の絵画が見せられていた。魔法省内では結局、小鬼(ゴブリン)兵それぞれの武量は見ることが出来ていない。

 なので接近戦に際して、亜人達の個々の武勇がどれほどのものかという怖さがあった。

 一応戦場予定地は、この野営地から5分で1キロ強進む馬の速歩(そくほ)にて約3時間で到達と再集結が可能。霧は午前9時まで続くという予報であり、現地は殆ど麦畑が広がる平地の中、全軍による存分の騎馬突撃が掛けられる時間は十分に残されている。

 もう主命による敵討伐の厳命は下っていた。

 優秀で忠誠心厚い将軍は、効率よくどう闘うべきかを悩みつつも、天幕を出ると軍馬へ跨り号令を発する。

 

「全軍、前進する。私に続けっ!」

 

 彼の指令は近くの各将へと流れてゆき、どれも見事な隊列で迅速に動き始める。

 バハルス帝国騎士軍団はカーベイン将軍の下、粛々と進撃を始めた。

 

 

 

 

 巨木に追われ『命からがら』という表現が適切だろう状況で、一応の目的を果たしたかに思える帝国四騎士の一人〝激風〟と6名の皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士達がいた。

 彼等以外の者達についてだが、もう1名の希少金属を認識できる騎士が作戦冒頭に死んだ事で二手に分かれた一方の隊は魔樹との距離が分からず、それでも果敢に作戦を継続しようとヤツへ再度接近し殆どが命を落としている。

 2体の鷲馬(ヒポグリフ)に騎乗した騎士達と地上の5名が逃走した形で死なずに済んでいた。指揮官の認識の甘さからか戦力の大差で隊列が完全に崩壊しており、極限的混戦状態を考えれば配下達を責めることは出来ない。

 デカくゴツい魔物(アレ)は、火を射かけてきて腹立たしいニンブル達を先程まで猛然と追って来ていたが、彼等よりもずっと多くの生命反応数を有する小鬼(ゴブリン)の軍団に気付くと、そちらへ向かって家の高さ以上の太さを持つ6本の(つる)を伸ばして襲い掛かって行った。

 ニンブル達は自らの目的を達成したとし、急いで次に帝国八騎士団第一軍から亜人軍団の先導役として派遣されて来ている15騎の騎士達の野営地へ向かう。

 就寝地は連中から200メートル以上離れるようにというアドバイスのみを与えていたが、彼等はその通りに小鬼(ゴブリン)達から250メートルは離れており、運よく怪物の進路からも外れていた。最悪巻き添えを食う可能性も高かったのだ。

 何も知らず綱渡り的な状況にいた先導隊。その夜番の者が〝激風〟らを迎えた。

 ニンブルらは「事情は後だ」とし、夜番の騎士と共にまだ寝ている者らを起こした。

 

「これは……アノック様……こんな早朝にいかがされましたか?」

 

 寝起きの騎士隊隊長が尋ねて来るが、構わず告げる。

 

「急で悪い。しかし帝国四騎士の一人アノックが、八騎士団第一軍将軍からの命を伝える。貴殿らは今の任務を放棄し即刻、南西の都市へ撤退せよとのことだ」

「えっ……?」

「驚きは分かるが、厳命だ。反論は許されない。時間が無い、野営の装備は打ち捨てて急ぎたまえ。ここは――すぐ地獄になるぞ」

「りょ、了解しましたっ」

 

 周辺は既に異様な振動と地鳴りもあり、亜人の軍団を先導していた第一軍15騎の騎士達は、水筒と携帯食を握り慌てて軍馬へ飛び乗ると同時に南へと駆け出して行った。

 彼等は巨樹の進路に対し南側に居た為、帝都への帰還は危険だと事前の取り決めに従い南へ退避させた形だ。兎に角、無事に退却させる事が出来て、将軍との最低限の約束は守れたはずである。

 対してニンブル達は、西から大きく反時計回りで迂回しながら帝都へ帰還する事になっていた。

 最後に任務として、もうじき怪物からの戦端が開かれるだろう小鬼(ゴブリン)軍団の野営地の様子を確認しておこうと約300メートルの安全距離を取り、霧の中で続く地響きを確認しつつ小鬼(ゴブリン)達の断末魔的地獄の叫び声の始まりを待つ。

 

 

 そして、その声が僅かに聞こえた辺りで―――地響きが突然消失した。

 

 

 辺りは単なる濃霧の早朝へと戻り、一気に静まり返る。

 同時に希少金属を感知して距離を測っていた騎士が叫ぶ。

 

「あ? あぁっ、希少金属の反応が消えている……。アノック様、いきなり消えました! 何も感じません。……ど、どうしましょうか?」

 

 それを示すように、周辺を広く覆う形であった魔物からの圧倒的威圧感も全て解けていた。

 ここに残る7騎士の中でも、帝国四騎士の一角であり冷静なニンブルであったが今、激しく思考を混乱させる。

 

「なっ……、一体何が……」

 

 彼にもこの現象が何か分からない。理解不能である。

 多大な犠牲と苦労の末、計画通りに誘導でき、これからという状況であったのだ。

 本当に、どうしようという気持ちである。

 なぜあの巨大な存在が感知出来なく……消え去ってしまったのか。

 ニンブルには、ふと可能性だけがいくつか浮かぶ。

 

(魔法の〈転移(テレポーテーション)〉か、それとも召喚魔法……か)

 

 〈転移〉は第6位階魔法だが、ニンブルはパラダイン老が使えると聞いたことがある。でも今、彼がいたとして敵へ利するだけの事を態々するとは思えない。第一、あれほどの大きさと重さの物体を共に移動させられるかという話もある。

 基本的には、移動対象物の大きさや質量と距離に応じて魔力を消費するのだ。対価は常に発生している。

 また、召喚魔法という事だとしても、あれほど巨大なモノの召喚など昨今聞いたことがなくほぼ神話の領域である。

 

(確かにアレは、神話の怪物かもしれない……。まさか……あの魔物が自分でどこかへ移動したのか……? ……ありえない。いや、そんな事は絶対にあってはならないぞ)

 

 そういう帝国を超え人類の未来すら揺らぐ、おぞましい事まで考えられた。

 だが、それが事実であってもどうしようもない。今ですら彼には何も出来ないのだから。

 ニンブルは思わず、無力でちっぽけな自分自身を思い、目を閉じて僅かに天を仰いだ。

 そして6名の騎士へと努めて冷静に伝える。彼は混迷の状況で将に相応しい判断を示す。

 

「これより我々の取るべき行動は―――小鬼(ゴブリン)軍団の今後の動きを把握する事と、今の現状を陛下や帝国へ知らせる事だ。故に三手に分かれる。ここへ残り把握する隊、帝都へ知らせる隊、そしてこの地へ今動いている騎士軍団へ知らせる隊とする。割り振りだが――」

 

 万が一の再度の巨樹の登場を考えて、此処へは希少金属を探知できる騎士と他1名を。彼等は把握と同時に追って帝都へ知らせに走る。そして先発で帝都へは3名。最後に騎士軍団へはニンブル他1名とした。

 

「各員、困難で重要な任務だが死ぬなよ。帝都でまた会おう」

「「「はっ」」」

 

 ここには、先導隊の残した水と食料がまだ残っており携帯出来る物を通達組の各自は持つと2名の騎士が見送る中、帝都通達組は当初の計画通り確実さを取って西から反時計回りで移動を開始する。次にニンブル達は、果敢にも北上して巨樹の通った場所を南から踏み越えた後で右へと回り込み、亜人の宿営地北側傍を東進して抜けていった。

 その過程でニンブルは、確かに巨樹が通りまだ青いはずの麦が枯れ果てた線上を通過していく。

 

「……本当にヤツはあの巨体で消えてしまったのか」

 

 真実は一つのはずであるけれど、残念ながら彼の思考が正解へ辿り着くことはなかった。

 というか、これは英知の外側の深淵にも届くだろう(パワー)であり、天才をもってしても難しいと思われた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズはその『巨大な樹木の魔物』登場の知らせを、ナザリック地下大墳墓第九階層の執務室にて法国連中から得たアイテムに関する書類の確認作業中に受ける。

 この一報を持って執務室の扉を()く様に通って来たのは勿論、現状のナザリックのほとんどを仕切る守護者統括のアルベドである。

 先日のスレイン法国特殊部隊への『至宝奪取作戦』――『エィメン作戦』の指揮官を拝命・完遂し愛しい至高の『モモンガ様』よりお褒めの言葉とナデをもらってから仕事に対し完全復活しており、日々自信を持って精力的に職務を熟してきている。ただ少々、抱き枕的な至高の御方の温かみが欲しい想いを隠しつつ……。

 普段の実務面を見れば非常に優秀であり、ナザリックをデミウルゴスと円滑に回す姿から、正直もうずっと任せて自分は静かに着の身着のまま冒険者でもしながら、隠居してもいいかなぁと支配者が思うぐらいであった。

 加えてその後光が差す程の容姿端麗な彼女、その美声から緊急事態を思わせる言が告げられる。

 

「アインズ様、お忙しいところを失礼いたします」

 

 アインズとしては、友人の可愛い娘や子供達といえる者らを、微笑ましく見ていたいし優しい声を掛けてやりたい気もする。だが、NPC達がナザリックの絶対的支配者へ期待するのは圧倒的さや威厳に満ちた姿と声であり、それに応える形として改めてどっしりとその身を黒き椅子の背へもたれる形で声を放つ。

 

「ん、どうしたのだ? 少し(せわ)しいな、アルベド」

「ああぁ、申し訳ございません。ですが――統合管制室責任者のエクレアより報告があり、帝国内のエンリ達の部隊に対し西より迫る巨大なモンスターを確認したとの事でございます。距離は約1キロで、進行速度からあと10分少々で攻撃を受ける恐れ大との事」

「なにっ」

 

 アインズは思わず椅子の背から上体を起こした。

 なぜなら内心で『しまった』と思ったからだ。支配者は少し油断していた。ンフィーレア達には独自で2体のハンゾウを付けていたのだが、少年等はここ数日、前夜に移動し翌日夕方まで動かない形であった。なのでハンゾウ2体について、本日未明より距離が近い南西の大都市と南東の小都市へ其々赴かせ、プレイヤーの可能性のある強者の探索を実行させていたのである。そのため、エンリの陣を含む周囲数キロへの探知がされなかった形だ……。でも、今悔いている場合では無い。

 (あるじ)の声に当然説明が必要と、アルベドが現地状況の詳細を語り始める。

 だがまず、監視状況にて映像が拡大気味で周囲把握が不十分で遅れた事を告げ謝罪する。

 そして魔物の詳しい大きさや特徴に始まり、帝国勢の数名の騎士らがその魔物から逃げつつもほぼ誘導する形で、西南西から真っ直ぐにエンリ達の野営地へ向かっている姿を確認したと伝える。夜盗の集団ではなく帝国の騎士と断定したのは、数名が全く同じ鎧装備である点。更にカルネ村襲撃の際に押収していたバハルス帝国製の鎧一式よりも上質の飾りが多い鎧であると、映像から確認された事を補足しながら。

 これにより帝国勢の関与は確定的となり、退去承認を偽装しエンリ達を闇討ち的に巨大な樹木の魔物で潰そうと姑息に考えた作戦だろうと、ナザリックの英才者は御方へと伝えた。

 なお支配者により機能付加と調整で視認能力と精度を向上させている『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』は霧や雲などの影響を最小限に透過する形で捉えることが出来ている。

 

「――アインズ様、いかがいたしましょうか? 愚か者達には相応しい罰が必要かと」

 

 彼女の声のトーンは随分と下がって来ていた。

 現地指揮官のエンリは、可愛いネムの姉で先日より役に立つと認識する者。そして、栄光のナザリックの兵団へと愚かにも牙を剥いて来た低俗なバハルス帝国の人間どもへ、どのような厳罰が相応しいかと統括の頭脳が罪人達を苦行の世界へと落とすべく回り始めていく……。

 アインズも概ね同様の考えではある。

 しかし彼には、帝国内にもいるだろうプレイヤーの存在に対しての考えがあり、現在まだ怒りは随分下がったものとなっている。

 

(マズい。このままアルベド主導の作戦じゃ、帝国に住む人間達を全て殺しかねないなぁ)

 

 そう即座に判断した支配者は、さてどうするかと急ぎ算段する。

 ふと、手元にあった書類へ目が行き、その内容を思い出していた。その瞬間に閃きが連鎖して作戦の骨格へと膨らんだ。

 アインズは思い付きを整理しつつ伝える。

 

「今回の件は――アウラに指揮を執ってもらう。直ちに、次の者らを地上の中央霊廟の正面出入り口前へ集めよ。その間に私は幾つか取って来るものがある。さて陣容だが、まずは指揮官のアウラ、次に――」

 

 その挙げられた意外な名に驚きつつも、一通り聞いた守護者統括は支配者のその後に続いた簡単な作戦の内容の言葉に納得して頷く。

 

「そのようなお考えとは、流石です。委細畏まりました、各員を直ちに招集します」

「うむ、頼んだぞ。私も直ぐに地上へ向かう」

 

 その言葉を残し、アインズは指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を使い移動し姿を消えた。

 

 ナザリック地下大墳墓の地上施設である、巨大で荘厳な雰囲気漂う中央霊廟の出入り口前へ現れた支配者は、最終的にナザリック内の計三か所へ寄って地上へと出て来た。

 その彼の左手には、模造品ではない本物のあの金色に輝くの(スタッフ)――『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』が握られていた。

 更に、右手にも一つの世界級(ワールド)アイテムを手にしている。

 アインズは、執務室から同階層の『円卓(ラウンドテーブル)』へ移動し壁面のニッチからギルド武器を取ると、第十階層の宝物庫へ移動して奥の世界級(ワールド)アイテム保管庫へまで行き、最後に統合管制室にて、エンリ達の野営地周辺の地形を映像で確認しこの場に立っていた。

 宝物庫へは丁度1週間前に、世界級アイテムの『傾城傾国』を収納しに行っているので速やかに出入り出来たのは僥倖(きょうこう)である。

 すでに、アインズの前には招集を掛けた指揮官のアウラと、急派する総戦力3名の強力な顔ぶれが並んでいた。

 御方の登場と同時にアルベドが良い事を伝えてくれる。

 

「作戦については概ね、もう3名へ持ち場ごとに指示しております」

「おお、随分助かる。流石はアルベドだな」

「はぃ~。くふーーーっ」

 

 今回の作戦へ出ないアルベドは、細かい仕事ながらお褒めの言葉をゲット出来て喜びの声が漏れた。

 ここまでの所要時間は6分弱。

 急がなければならないが、これで数分は短縮出来た。

 絶対的支配者は、アウラへ貴重な世界級(ワールド)アイテムとあと一つアイテムを渡すと、基本的な使用方法だけを簡単に説明する。多くても4つ程のステップなので難しくはない。また先程、攻撃対象となる魔樹の映像を見たアインズは、初めて見る姿にも知能はさほどでは無さそうな点に安心する。

 2分程で説明を終えると、指揮官に任命されているアウラが満面の笑顔で御方へと尋ねてくる。

 

「あのー、アインズ様、今回の作戦名はなんですか?」

「ん? (あーなにがいいのかなぁ……あっ、移動支援でもあるし)―――アリヤー、そう“アリヤー作戦”だ」

「“アリヤー作戦”ですね。分かりましたー」

 

 アルベドはその言葉の意味を思い浮かべて、なるほどと感じていた。

 アインズは他の2名へも顔を向け声を掛ける。

 

「急だが、お前達もアウラを助けしっかりと頼むぞ」

「ハッ」

 

 両名が頭を下げ返礼すると、直後に支配者は〈転移門(ゲート)〉を開く。

 ()()()()()()()()であるアウラ達は、漆黒の壁の如き〈転移門〉の開口部へと突入して行った。

 

 

 

 

 魔樹と亜人軍団の激突で修羅場となるはずの地域上空に、自身へ認識阻害魔法を掛けた一人の人物がいた。大国バハルス帝国を代表する魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダ・パラダインである。

 村娘の監禁に使う誰も知らない秘密の場所の再確認を終え、30分程前から到着している。全て討ち果たせという皇帝の勅命を一部曲げる事もあり、老師は単独で動いていた。

 彼は魔物共の激突の始まりが、今か今かと先程から待ち侘びる。現時点で魔樹と亜人軍団の魔法詠唱者達は共にフールーダ本人よりも魔法力の水準が低いと思われたが、双方とも力を隠している可能性があり力量が不明な為、隙を窺っている状況。

 最終的に彼は再び、辺境の村娘であるエンリを攫うつもりである。

 

「他は後でも問題ない。とにかくあの娘だ。私の希望の光を誰にも渡さぬぞ」

 

 邪魔をするなら帝国の兵でも容赦はしない気でいる。

 まあ地位や力量差から、まずそんな状況にならないだろうと豊富な経験から確信していたが。

 

「エンリ・エモットよ、次は逃がすまい」

 

 フールーダには秘策があった。魔法で聞き出したり操作や支配するのが難しい場合、古き昔から『薬』というものも存在するのだ。

 長く生きている彼は人というものが、ソレにより簡単に変わって行く様も随分と見て来ていた。

 魔法に200年を超えて人生を掛けて来ている彼には、いくらでも取れる手段がある。

 

「ふははは、小娘よ。ひと月もあれば私の忠実な助手になっておることよ」

 

 そんな恐ろしい事を実に、もう夢叶う如く楽し気に一人で話す老人は――ふと横から魔法力の波導というべき大きめの気配を感じた。

 自然とそちらへ顔と共に、白眉の奥からスゥと目を向ける。

 その気配は彼の気の所為でなかった。

 フールーダと同様に空中へ腰かける感じに浮かぶ、人間ではないその立った長い耳と金髪で褐色の肌、白いベストに白いズボン姿の()()がいた。

 一応、魔法的オーラはフールーダよりも規模は小さい。

 ところが、何か途方もない存在感を放っているのが分かる。圧倒的な何かを。

 

(なぜ闇妖精(ダークエルフ)が……?)

 

 それだけでも異質。

 しかしパラダインが目を見開いたのは、その者の装備類。

 上下衣装の生地を始め、赤き軽鎧の圧倒する質感や両手の金属プレートの付く手袋、右肩に鞭だろうか握り手部の精巧な仕上げに加え、背中へ負う弓の装飾の見事さは皇帝の、いや帝国中の装備でも見たことがないものだと思える程の出来であった。

 ただ、もっとも目がいったのは腰の後ろに見えるアイテムである。それは最早、装備の次元を超える『何か途方もないもの』を感じさせていた……。

 とても凡庸の者が持っていられるものでは無い。

 上位のアイテムを持つ者は、奪われるリスクも同時に持つのだから。

 個人で守り続ける事は中々難しく、貴族や国家的な権力階層による『力』が必要であるはずなのだ。

 

「お爺さんさあ、もしかしてフールーダって名前の人?」

 

 そんな中、いきなり少年と思われる子供が無邪気な笑顔で尋ねて来た。

 なぜ老人の魔法詠唱者がフールーダだとアウラが知っているのかというと、アインズは先日の誘拐の件をエンリやエントマから聞いた話に関し、一応要点を纏めて執務室で資料にしていたのである。

 守護者達が、御方自ら直々に書いたそれへ目を通さない訳が無い。

 闇妖精(ダークエルフ)の姉は帝国の地へ〈転移門(ゲート)〉から登場した際に、安全確認の為に当然まず周辺を広域で探知した。すると魔樹の他にLv.40に到達する者を発見したのだ。反応は近く、その場で視覚を特殊技術(スキル)で強化すると霧を通して老人の姿が見えたのだ。

 アウラは、今一度の『アインズ様とのお散歩』的ご褒美をやっぱり欲して狙っていた。

 一方の大賢者は、自国の一部に森妖精(エルフ)の者が住む事は知っている。耳も斬られていない事から奴隷ではないと考えた。

 そして相手は子供であり、既に防御系魔法を展開していた『逸脱者』は恐れることなく伝える。

 

「そうだが、それが何―――グハァッ」

 

 フールーダが認めた次の瞬間、分厚いはずの防御魔法を超えての単純ながら難度200を軽く振り切っている筋力での右拳による圧倒的打撃攻撃を腹へ受ける。

 単純な体力と筋力ならマーレをも上回っているアウラである。

 彼女にすれば相手はナザリックへ挑んで来た愚か者。老人だからという手加減は無く、単に弱いからこのくらいという一発見舞った懲罰攻撃であったが、内蔵と背骨がぐちゃぐちゃになるほどの破壊力があった……。

 いきなりの攻撃に帝国の大賢者は混乱する。

 

(ぅうう、おのれっ。防御魔法を突き破るとは……だがなぜ、私は攻撃されたっ? くっ、それに何者か)

 

 口から盛大に吐血しつつも、伊達に『三重魔法詠唱者(トライアッド)』を名乗っていない。

 フールーダは威力で飛ばされるが地上へ落ちることなく、信仰系で第4位階魔法の〈治療(ヒーリング)〉を実行する。

 即時に大半の傷の治癒が成るも、闇妖精(ダークエルフ)が急速に迫って来た為、流石に一時離れようと場を脱するべく叫ぶ。

 

「――〈転移(テレポーテーション)〉っ」

 

 ところがなんと〈転移〉しなかった。それどころか落下し始める。

 気付くと彼の右手首には拘束具の形をしたモノがぶら下がっていた。今の接近時に取り付けられた模様。取ろうとするが外れない。

 そう、これは元陽光聖典のニグンを拘束していたもので、中位魔法までを無効化し亜人モンスターを拘束するアイテムである。

 エントマが人間の魔法詠唱者達を拘束していた話を聞いたアウラは、第六階層の円形闘技場(アンフイテアトルム)から、現在外され使われていないものを独自に持ち出してきていた物だ。

 落下中の老人を、アウラは得意の鞭を走らせて空中で捕まえると巻き取る。

 

「よし、捕縛完了。次、次ー」

「こ、こら、離せっ。私は大事な用があるのだ! 聞いておるのか小僧っ」

「うるさいなー。こっちも急いでるし、えいっ」

「うっ」

 

 (やかま)しいので首筋へ軽くひと当てし老人を気絶させた闇妖精(ダークエルフ)の少女は、簀巻(すま)き状態の彼を軽々と抱え、別の階層守護者が捕まえている随分大きさの目立つ魔樹の方へと空中から近付いて行く。

 至高の御方へと〈伝言(メッセージ)〉で子供らしく嬉々としつつホットな朗報を届けながら。

 

 

 

 

 高さ100メートル超の魔樹が、激しい地響きを起こしつつ猛然と麦畑の平原を進む。

 先程、自分へと投げ射かけられた油や火は、今や油の大半が燃え尽き僅かにくすぶる程度。丈夫で燃えにくい建材と言えるかもしれない……。

 その巨体の(ぬし)は、前へと逃げる細かい数体の獲物のやや左前方に生命反応多数の集団を捉える。恐らく、目の先にいるイラつくモノ達の仲間であろうと。

 だから、僅かなモノよりも集団の方へと本能的に進路を向けていった。

 そして両側の自慢の長く太い6本の(つる)を、攻撃射程圏に入ったところで伸ばしていく。

 

(……ミナ……コロシテ、メシダ……)

 

 さあこれから食事だと、気分良く完全に前のめりの態勢でそう思った瞬間。

 1万トンを軽く超える体の前進が、根元近くの後ろから強く引っ張られる力により止まった。

 

(……ナ、ナンダ……?)

 

 

 そして次に、自身の大きな体が下から―――なんと持ち上げられ浮き上がる。

 

 

 更に、後ろへと少し運ばれたと思いきや、最後は豪快に後方へ投げ飛ばされていた――。

 

「グガッ(………バカナ……)」

 

 己が仰向けの状態に魔樹は驚いていた。まさか自分の巨体が放り投げられるとは思っていなかったから。

 周囲を探ると不思議な事に自分を含めて、()()()()()しか存在を感知出来なかった。周辺の景色は特に変わりなく、直前まで前方に数千も確認出来ていたのにだ。

 急ぎ近辺に敵の姿を求め視線を伸ばすと、根元の右斜め前方へ小塔程の高さで岩肌のゴーレムの様な姿を捉えた。

 

(……アレか……)

 

 起き上がろうと両側の太い6本の蔓先を地に付け、力を入れようとしたその時。

 

「〈不動明王撃(アチャラナータ)〉! 三毒ヲ斬リ払エ、倶利伽羅(クリカラ)剣ッ!!」

 

 野太い感じのそんな声が左側下方の地面付近より聞こえた。でもその姿は幹の太さと角度から見えず、小さいヤツのようだ。

 その直後、体の左側へ並び直径が20メートルはある自慢の太い蔓3本からの地面を含めた感触が途切れ、続いて激しい痛みが襲って来た。思わず悲鳴を上げる。

 

「ア゛ァァァァァーーーー」

 

 魔樹は、上質の金属よりも強固なはずの蔓が、3本とも根元から一閃で切り落とされた事実を理解した。

 更に体の根元部分へ、ゴーレムから凄まじいパワーの強烈な蹴り蹴り蹴り、そしてワンパンチが襲い掛かる。

 

「ウ゛ォォォァァーーーーーーーーーーッ!」

 

 堪らず魔樹は、天へ向かい強大な声で怒りを示して咆哮し、目障りな足元のゴーレムと空へ浮かぶ小さきモノへ蔓を伸ばそうとした。

 だが、そんな威嚇など全く気にされもしない。

 ただただ圧倒的な難度200を完全にブッチギった水準の容赦のない重い攻撃が続く。

 

「―――レイザーエッジ・羅刹!」

 

 いつの間にか右側へ回って来た、小さきモノからだろうその言葉が終ると、右側に並んだ残り3本の蔓も20カ所以上が同時に切り飛ばされ、ほぼその根元からゴッソリと切断されていく。

 

(……ナ……バケモノ……。コレ……ヤツラ……バケモノ……)

 

 幹と根元だけを残し、柱の様な棒状となり自力で立てなくなった魔樹は、巨大な口らしき開口部をパクパクさせ慌て怯えた。

 でも、周りからの激しい攻撃はまだまだ終わらない。

 ここで、空に舞う凄く小さきモノが語る。

 

「コキュートス、ふとーい根っこが邪魔。根元もバッサリ切り落としておいてー」

「ソウカ、ワカッタ」

「ガルガンチュアぁー、ソレまだまだ体力残ってるからさー、殴り続けてねー」

 

 分かったと答えるように、両腕を上げてグッと力こぶを作り、ポーズを見せるゴーレム。

 

(アヒィィィィーーー。オ、オノレェ)

 

 単なる棒状と化し丸腰でまな板の上の鯉状態の魔樹は、根をばたつかせ身の幹をよじるも大して動けず、周りのカイブツ達へ対し己の無力さだけでなく更なる恐怖を覚える。

 その後、魔樹は姿見えぬ小さな剣豪に根を丸ごと根元でスパッと切り落とされ、ゴーレムにより一方的に幹が『凹み穴』で埋まるほど、フルでボッコボコにされたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 相変わらず霧が濃く立ち込める中、帝国八騎士団総勢4万2000余騎は行軍3時間半後の午前7時半過ぎに、『トブの大森林』のエモット将軍率いる小鬼(ゴブリン)軍団約5000の野営地へ東約800メートル地点で、見事に整った隊列の横陣を展開し対峙していた。

 場所は帝都アーウィンタールから約75キロ。南西へ伸びる大街道を進み、南東へ街道が分岐する地点を過ぎて10キロ程の所で西方穀倉地帯からの脇道へ折れ、5キロ超入った辺りである。

 視界は80メートル程と僅かに回復していたがなお悪い状況下。斥候の騎士達の報告を総合すると、亜人の軍団は野営地を中心に防御陣を整然と展開しており、()()()『巨大な樹木の魔物』による決定的な被害は確認出来ないという結論へ至る。今回の騎士軍団の最高総指揮官である聡明なカーベイン将軍は馬上にて絶望感に近い衝撃を受け止めつつ大きく迷っていた。

 

「……(我々は――帝国は判断を誤ったのかもしれない……)なんということだ」

 

 そう思わせている大きい原因は他にもあった。

 騎士団の傍に並ぶ、帝国魔法省の魔法詠唱者部隊の者達である。

 彼等の部隊長であるパラダイン老の高弟から告げられた、その最大の衝撃的事実。

 

 

『大変なのです。我らの師が――フールーダ・パラダイン様が、見当らないのです』

 

 

 卒倒しそうな内容であった。

 既に、その報を聞いて1時間程が経過していた。結局魔法省側だけの独断では不用意に動けない事から、将軍へと伺いを立て、現在は地上にて待機している状態である。老師は未だ現れない。

 予定によるとパラダイン老は、1時間半前には魔法詠唱者部隊と合流し、攻撃を開始しているはずであったのだ。

 巨木の魔物によって小鬼(ゴブリン)の大軍団がほぼ殲滅され、その魔物は『逸脱者』率いる部隊の攻撃と大魔法で燃え落ちる形で上手くいけば、将軍率いる帝国八騎士団は後詰め的な亜人の敗残兵狩りすらもう終わっていてもいい時刻。また、魔物を亜人軍団がボロボロになりながらも打倒してくれれば、その疲れ切った連中の側面から魔法詠唱者部隊と帝国八騎士団全軍の騎馬突撃で完膚なきまでに粉砕している時刻でもあった。

 でもどちらの展開とも違った。

 魔樹だけが元気に残っている状況と大差ない最悪の展開といっていい。亜人軍団と魔樹が共同して両方が襲い掛かってくるよりかはマシという水準だ。

 だが、何れにしても帝国主席宮廷魔法使いが不在という状況は想定外過ぎている。

 カーベイン将軍は、帝国民としてまた帝国騎士として、心の支えの一つがボッキリと折れた感じでいた。

 袋小路的考えを繰り返し妄想する将軍の横に、跳ねた泥で漆黒の鎧が少し汚れ気味の帝国四騎士の一人であるニンブルも(くつわ)を並べる形でいた。

 彼は『巨大な樹木の魔物』が忽然と消えた状況をパラダイン老の件より先んずる形で無事に報告しており、そのまま今後の状況を皇帝陛下に先駆けて知る意味でもまだこの地へ残っていた。

 以前から顔見知りで貴族繋がりでもある将軍は実績と年を重ねた尊敬すべき存在だ。

 将軍と同格である帝国四騎士のニンブルだが己の分を弁えれば、経験豊富なカーベインへ作戦等の指揮は完全に任せるのが筋。

 しかし今、混沌とした状態となり、何か助けになればと己の考えをカーベインへ伝える。

 

「依然、敵の亜人軍団の戦力は未知数です。あの化け物であった巨樹が突然消えた事、またパラダイン様が行方不明の点についても関連性があるのかもしれません」

「……確かにそこも大きく気にはなる。――が今だ。今、この局面の最善策とは……」

「ぁ……」

 

 その問いへ帝国四騎士の貴族青年は声が出ず答えられない。

 カーベイン将軍は、目の前の戦いの更にその暗い先を見越しているようであった。

 帝国の柱石であり頼みの綱であるパラダイン老がいれば、ここは全軍前進あるのみだろう。

 だが、その大英雄の姿は周辺に見えない。にらみ合い、時間を稼いでいる形。

 カーベイン将軍だけでなく、ニンブル自身もパラダイン老は十中八九単に体調を崩されて、どこか近隣の地で休んでおられるはずだという思いを持ち続けている。

 捨てきれない思いは今、老師の不在を知る者達の共通的な考えであった。200年以上も帝国を強く支えてき続けた伝説の存在であるのだから当然かもしれない。

 

 

 だがらこそ―――現時点ですでに『帝国の領内にはいない』などと考えられるはずもない。

 

 

 彼はもう……バハルス帝国が誇った大魔法使いフールーダ・パラダインはどこにもいないのだ。

 それは今後、未来永劫変わらない――。

 事実を知る事なく、この局面に対しての重苦しい雰囲気漂う将軍達の軍馬が並ぶところへ、ここで伝令が現れる。

 

「閣下、我が方の軍団前方に亜人側の使者を名乗る者達が現れました。それが――実に禍々(まがまが)しいアンデッドの黒騎士と小部屋程もある巨大で非常に立派な魔獣とであります。魔獣は〝森の賢王〟を名乗っており“エモット将軍の軍団との交渉を仲介したい”と伝えてきております。いかが致しましょう」

「なに?」

「………(確か、その〝森の賢王〟なる勇壮な魔獣は女将軍の配下ではなく盟友という事だったはず……)カーベイン将軍、一度その者と話されてはどうでしょう? 良ければ私が話を聞かせていただきますが。ここが切所かもしれません」

 

 ニンブルからの進言に、カーベインは極限の中で考えを纏める時の苦しい表情を浮かべる。

 帝国の守護者的存在のパラダイン老の健在確認がとれない以上、不用意に戦いを始めるのは危険が大きく難しい。何故なら、帝都の守りは現状でかなり薄く、後が無い。ここで負ける事は絶対に避ける必要があるのだ。

 でもだからといって、皇帝により小鬼(ゴブリン)大軍団撃破の命も受け、ここまで進軍して来ており易々と引き下がることも出来ない。

 将軍は視線を下方の左右へ彷徨わせ、とても長く感じる数秒の間を思案する。

 

「ニンブル……悪いが、会ってくれるか?」

「はっ、お任せを」

 

 結局、時間自体を稼ぐと共に、進展の材料を何か得られる可能性へカーベイン将軍も賭けた。

 

 

 

 

 ――その2時間ほど前の事。

 南へと撤退しかけていた『トブの大森林』のエンリ将軍は、旦那(アインズ)様から〈伝言(メッセージ)〉により、巨大な魔樹について『ナザリックの方で引き受ける』とし、帝国との交渉は『お前に任せる』と伝えられる。この為、小鬼(ゴブリン)軍団を即折り返す形で立て直しながら再北上し、合流したンフィーレアやネム達も連れ一度放棄した先の野営地に帰って来た。

 すでに、小鬼軍師の指示により先発で戻った幾つかの部隊により、混乱し乱れた陣内の片付けや整理が始まっている。

 その陣の傍らに、先程の巨樹の攻撃で仲間を勇敢に守り命を落としたという、小鬼(ゴブリン)兵達の遺体が安置されていた。

 その数、20体。

 少女の率いる小鬼(ゴブリン)達に出た初めての戦死者である。

 エンリは思わず震えつつも歩み寄っていく。ハムスケとアルシェにンフィーレアやネム、そしてジュゲムらの他、各兵団の長達が少し下がった位置で並び見守る。

 多くの遺体は敵の途方もない重量の乗った強撃に潰れ破損が激しく原型を留めている者は僅か数体であった。

 でも、その者らの表情は誇らしそうに穏やかであった。

 まだ一度も声を掛けていない者も兵達には多く、将軍少女は残念でならない。だがこれが戦う事の結果なのだ。

 涙ぐむ優しい将軍の姿に、傍へと近付いた小鬼軍師が声を掛ける。

 

「笑って褒めてやって頂ければ。彼等に悔いはありませんぞ」

 

 あの時、皆が必死で果敢に最善を尽くしていた。それを悔いるのは侮辱だろう。

 

「はい。……皆さん、ありがとうございます。最後まで勇敢に良く頑張って下さいました。私の誇りとしずっと忘れませんから」

 

 両頬を伝う涙を右手で拭い毅然とした表情で一礼後、一度目を深く閉じる。

 軍団の総指揮官である彼女は、悲しんでいる場合では無い。ここはまだまだ戦場である。ボーッとしていればこの後、もっと多くの大事な仲間が死ぬかもしれないのだ。

 それに今は、ネムやンフィーレアやジュゲム達も合流して来ている。

 

 ――決して下策による悲惨な結末を選ぶことは出来ない。

 

 現状況へ強く歯を食いしばりながら瞼を開いたエンリは、即座にこの場より背を向けると、小鬼軍師へと防衛陣の構築と情報収集の指示を出し、兵5000の軍団を再稼働させた。午前5時20分頃の話である。

 それから、1時間半ほどで防御陣と兵の展開を終えていた。

 木材として野営地の周りの木を60本程伐採し活用すると、周辺の幅の広い用水路的小川も堀として取り込み、槍状の突起を設けた軍馬対策の柵を各所へ設け土塁も構築。

 圧倒的な重労働を死の騎士(デス・ナイト)達は、カルネ村で慣れた形で熟していく。

 またレッドキャップスや各兵団の猛者達もレベルが半端ない事もあり、山盛りの作業を片っ端から圧倒的な力技で片付けていった。

 最後は上空へと蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が舞い、総構えの外にルイス君を始め、漆黒のボロマントを纏い巨大なタワーシールドを左手に、1・3メートル程のフランベルジェを右手へ握る3体の死の騎士(デス・ナイト)達が東南北の三方へ其々(それぞれ)麦畑へと寝転んで潜み、陣へ取り付いた敵の後方から襲う形で待ち受けていた……。

 帝国兵がどこから来ても『全て死地』という陣容だ。

 

 並行して今回の件をバハルス帝国へ問いただす意味で、ここ数日先導していた騎士達を探したが姿は見えず。

 その代わり、周辺警戒しながらのこの任務の合間にハムスケが、〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉で捕らえた2名の帝国騎士の捕虜を連れて来た。

 アルシェは変な疑いを持たれないよう、エンリの居る陣幕内から護衛の雌小鬼(ゴブリン)達と馬車の方へ一時退避する。

 捕虜2名は親友と思っていた魔獣に誘い出され、まんまと周りを小鬼(ゴブリン)聖騎士団の15体に囲まれると降伏し捕縛されたが、ハムスケへは「大親友と思っているのに酷いヤツだ」とずっと文句を告げていた。〈魅了〉魔法の恐ろしさである……。

 遭遇時の魔法を掛けた直後、ハムスケが簡単に『所属』『目的』『誰に頼まれたか』『先導隊』へ関し聞き出してくれていた。

 ハムスケが伝えた捕虜騎士の話は、所属が『バハルス帝国皇室兵団(ロイヤル・ガード)』で、目的は『消えた魔樹の再出現がないかと、亜人軍団の動向把握』で、誰に頼まれたかについては『帝国四騎士の一人のアノック様』で、先導隊については『アノック様の命で南の大都市へ撤退』となっている。

 エンリはこの時、『魔物を誘導した者達』についてを問わなかった。それは、作戦を立案し指示した者の責任だからだ。

 中央の陣幕内ではアルシェが不在なところも、博識のンフィーレアが本で得た皇室兵団関連の知識を少し持っていて穴を埋めていた。

 

皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士は、皇帝や皇城を護るのが主任務のはずだけど。だから帝都から出ることは稀のはず。帝国四騎士もそうだね。帝国騎士では個人で最強の4名と言われている使い手達だよ。彼らが先導隊を逃がしたり、魔樹に襲われた後を確認したりと、どうやら完全にバハルス皇帝の勅命のようだね」

「そうなんだ………(騙されてた)」

 

 エンリは友人からの説明を聞いて険しい顔になった。

 彼女だけでは無く、小鬼(ゴブリン)軍師もンフィーレア達も可能性は考えていただけに甘かったと悔やみのある表情となる。

 幼馴染の少年は彼女の結構色々な顔を見てきているが、初めて見る程の怖い顔であった。

 ただ少女は、ンフィーレアに対し敬愛する旦那様の為に『ナザリック』『人間じゃない』『頻繁に連絡が取れる』等の小さくない事を隠しウソを吐きつつ黙っているのだが……。

 それでも死者が出た事で帝国へと凄く怒っていた。

 

(皇帝が大嘘を吐いたんだっ……なんて酷く、愚かなの)

 

 大国の皇帝が覚書まで交わして退去を承認したはずなのに、その本人が命令して――大事な仲間の小鬼(ゴブリン)達が死んだのだ。

 祖国のリ・エスティーゼ王国の内情も貴族達の各領内での欲望的乱れを筆頭に酷く醜い状態。だが、バハルス帝国の内情も、伝説的恐怖の魔物を秘密裏で地下にて研究し人攫いまでする魔法省の最高責任者を筆頭に、皇帝までもが約束を守らずだまし討ち的な行為を先導して実行する……。

 善かれと思って行動をした正直ものが甚だしく悪い目に遭う。

 それは間違っている、と村娘は思った。

 

(どこもかしこも、人の仕切る世界にはもう正義なんてないのかな……それならやっぱり――)

 

 

 エモット将軍は、旦那(アインズ)様の掲げる『世界征服』により人類圏の浄化が急務ではと考える。

 

 

 ただ、普通に戦い争えば大勢の罪のない死者が出てしまう事は悲しいと思う。

 だからこそ旦那(アインズ)様のような、()()()()()()()()()一方的で圧倒的な力の超越者がこの世界には必要なのであるっ。

 しかし今回、帝国との交渉を任されているのはエンリなのだ。

 単純に比べて自分の力だけでは、とても大国である帝国と戦わず穏便に納得させて引かせるのは不可能な話。

 どうしたものかと思いながらも、将軍少女エンリは帝国への罰をと考える。

 

「帝国には今回の件で何か身を切って欲しいかな」

 

 陣幕内には小鬼(ゴブリン)軍師、ンフィーレア、ネム、ハムスケ、ジュゲムやゴコウにカイジャリ達の他、レッドキャップス等20名以上を数えた。

 だが、彼女の発した難題すぎる言葉に反応出来るものは少なかった。

 その中で適任者からの可愛い声が響く。

 

「じゃあ、お姉ちゃん。領地を貰えるように要求すれば? んー例えば、トブの大森林から近い土地とか」

 

 そう、この場にはネゴシエーターの職業(クラス)を持つ少女がいたのだ。

 しかしネムの発した内容は『領土の割譲』であり、普通に考えれば実現可能だと思えない。

 どう考慮してもバハルス帝国と戦争をして勝たなくてはならないだろう。

 するとネムは大ヒントを与えてくれた。

 

「大きな約束を破られたのは、お姉ちゃんと小鬼(ゴブリン)軍師さん達だよね? あと魔法省で大きい竜巻を出したって、確か聞いたけど?」

 

 先の巨大竜巻には、帝国魔法省の魔法詠唱者部隊もお手上げであった。

 あれを今一度出せば、戦いにならずに話が付けられるかもしれない。

 何故なら帝国には今、『公の約束を破った』『魔法省責任者が行方不明』『消えた巨大怪物が再登場するかもしれない』という負の重しが残っているのだ。それにアルシェから聞いている『竜軍団との戦い』という大きい重しも底にある。

 エンリは思考の奥から上策を汲み取るべく瞼を閉じると口を開いた。

 

 その、領土要求をも含む意外性の有る内容に場の者は驚く。

 

 彼女は、軍隊や都市ではなく別の帝国の重要なモノを人質に取る事にした。

 そうなれば恐らく、バハルス帝国は更に王国への毎年の戦争をするどころではなくなるはずだ。

 心配なのはそんな事を要求した時の風の噂や吟遊詩人達から語られよう『悪名』である。

 だがそれについて、先日の騒ぎで既に『帝都で亜人の大軍団を呼び寄せた人類の大敵――狂乱の将軍エモット』というくらいの話になっていてもエンリは驚かない。それへ多少尾ひれが増える程度だ。人として寂しいが、最早気にする程ではないと。

 それよりも本案なら上手くいけば帝国に後々も後悔を促しほぼ誰も傷つかず、現状打破が可能になるはずと考えた。

 

「……凄いね、エンリ。いけるかも。この警告は、流石に帝国も無視出来ないと思う。実際に被害を受ければ凄い打撃だからね。ただ、本当にあの高名なフールーダ・パラダイン老が魔樹と一緒に消えたのならばだけど……」

 

 帝国が乗って来る条件はソコである。老師が居るから、と思わせない事が重要であった。

 エンリだけは彼の不在を確信しているが、他の者は誰も事実を確認出来ていない。

 『フールーダ・パラダインが姿を見せない』という現実を上手く使うしかないだろう。

 

 ただこれに同意し乗ると、同行するンフィーレアやネムも最悪、悪名を付けられ罪人だ……。

 

 捕虜達は幌付きの馬車で隔離しており、まだ見られてはいないはずだが心配である。

 でもそんな気遣いを元気な声が吹き飛ばす。

 

「やろうっ、お姉ちゃん! どのみち大きいお話を出さないと、この場で戦いになるよ」

「「「―――っ!!」」」

 

 交渉仲裁者ネムの言う事は鋭く正しい。

 今の状況でぬるい話など誰も耳を貸さないだろう。

 互いに脅威や威圧などのインパクトがあるから駆け引きになるのである。

 ここで、歴戦のジュゲムが名乗り出るかのように尋ねる。

 

「で、その危険な話を伝えに敵陣へ乗り込むのは誰なんですかい。良ければ――」

 

 

「――それは、(それがし)が適役でござろうな」

 

 

 なんとここで名乗り出たのはハムスケであった。

 彼女は殿(アインズ)からの大事な伝令の一部を失念していた事を挽回しておきたかったのである。

 また、エンリ達を守る役目も逃げる形でしか示せておらず、自分では余り良い所が無いと考えていた。このまま今の策が上手くいって帰還すれば、良い所ナシで終わると思ったのだ。

 

 決して――深い考えはない。

 

 だが、エンリや小鬼軍師にンフィーレアは、悪くないと考える。

 〝森の賢王〟の存在は、帝国も情報局が『100年以上も広大な大森林の南方を支配し凄く強い』事や、覚書の交渉時で『エモット将軍の配下とは違う』という情報を持っているはずと考えた。

 それに小鬼(ゴブリン)達やアンデッド達では、人へ余計な警戒心を募らせる恐れがあるのだ。

 勇壮で立派な魔獣のその姿は、騎士達にも好評に思えた……。

 僅かに視線を上げエンリは考えると、ハムスケへと顔を向けて伝える。

 

「分かりました。ここは〝森の賢王〟さんに使者をお願いします」

 

 かくして、交渉役〝森の賢王〟は準備を整えると、心強き護衛を連れ出陣していった。

 

 

 

 

 霧の中で4万騎を超える帝国騎士達が整然と整列する中を雄渾(ゆうこん)な魔獣が、1体の死の騎士(デス・ナイト)を連れ幻想感漂う情景の如く見せて淡々と歩き進む。

 ハムスケは当初、「某だけで大丈夫でござる」と言ったが将軍のエンリが許さなかった。

 帝国に大きく裏切られた形の少女は、もう信用していなかった事が大きい。

 また程なく小鬼(ゴブリン)達の斥候により、東方に現れ展開されつつある帝国の騎士団は総数でなんと3万5000人以上が確認された大軍団だと陣幕内へ報告される。

 その場の者は僅かにどよめく。

 エンリもそれを聞き唖然とした。どこか国でも攻める気なのかという陣容であるからだ。

 帝国側は本気で完全に『殺しに来ている』――と。

 そのため万一の時、いくら強いと言ってもハムスケにも体力の限界があるはずなので、エンリの傍へ控えていた無尽蔵の体力を持ち一騎当千である新入りの死の騎士(デス・ナイト)に護衛として白羽の矢を立てた。彼は仕える将からの頼みを快諾しハムスケに同行する。

 これで高速移動の出来る無双の戦士が2体いる訳であり、何かあっても一点突破は十分出来るとした上で送り出されていた。

 

 間もなくハムスケ達は、騎乗した騎士達が軍馬と千を超えて並ぶ一角にて、馬を降りている金髪で黒い鎧の青年騎士と対面する。

 するとまず、若い彼の方から先に会釈と共に名乗った。

 

「高名なトブの大森林の〝森の賢王〟にお会い出来て光栄です。私はバハルス帝国、帝国四騎士の一人でニンブル・アーク・ディル・アノックと申します」

 

 ニンブルには周囲の萎縮感を払拭する狙いがあった。

 ハムスケは兎も角、驚異的な伝説のアンデッドである死の騎士(デス・ナイト)の登場は騎士団全軍へ広く大きい緊張感を与えていたのである。

 大軍団における士気は、攻撃の総力に大きく影響する。「恐るるに足らず」という雰囲気を帝国四騎士の一人として見せておかなくてはいけないと感じての行動だ。

 

(向こうの将は村娘と聞くが、重要な所をさり気なく突いてきますね)

 

 金髪の貴族騎士は、死の騎士(デス・ナイト)を派遣する女将軍の渋い手腕にやりにくいかもとの考えが湧いた。

 ハムスケは、目の前の人間の挨拶を受け『帝国四騎士』『アノック』という響きが流れるも、それは思考を素通りしたのか何事も感じず名乗る。

 

(それがし)は、ハ――……〝森の賢王〟でござる」

 

 思わず殿(アインズ)から貰った名で名乗りそうになってしまうハムスケ。

 彼女的には、名前というものに初めは愛着がなかった。でも名を付けられてから、ナザリックの面々より気軽に呼ばれると仲間意識を感じて少し嬉しかったのだ。今は気に入っている。

 そのため思わず口から出そうになった。

 しかし、この交渉ではエンリ陣営と立場の少し異なる〝森の賢王〟を名乗り通すべきだろうと単に思い実行していた。そして遠慮なく話を進める。

 

「早速で申し訳ないでござるが、本題を伝える前に確認したい事がござる」

「なんでしょうか?」

 

 勇壮な魔獣からの改まった言葉を聞き、内心へ僅かに不安が広がるが表情へ出すことなく余裕の有る雰囲気でニンブルは答えた。

 それに対し――。

 

「帝国の大魔法使いは魔樹と共に消えたでござろう? 某は、周辺の気配を感じることが出来るから分かったでござるよ」

「――そ、それは…………」

 

 優秀な青年騎士の彼も、これには言葉が詰まり動揺の無い表情をとても維持出来なかった。

 ハムスケはエンリらと準備段階での打ち合わせが終ったあと、出撃直前の見送り時に将軍少女より小声で『(アインズ)から〈伝言(メッセージ)〉で“魔樹と共に拘束した”』事実から、この確認を最初に帝国陣営側へ告げて欲しいと言われてきており、強烈に揺さぶりを掛ける一声となった。

 ニンブルは視線すら僅かだが右往左往させてしまう。

 無理もない。彼自身が答えを知らない問いであり、帝国の喉元へ食い付かれかねない致命的な内容でもあったからだ。恐らくカーベイン将軍や皇帝ジルクニフでさえ、変な挙動を抑えられない事項だろう。

 『トブの大森林』へ100年以上君臨する〝森の賢王〟から自信ありげに「分かる」と言われては、青年が言葉で否定をしようとも現実にパラダイン老の姿が見えない状況なら、陳腐な回答になるだけなのは明白であった。

 今のは彼に答えようのない質問。それでも何か返事を返さなければならない。

 貴族騎士は覚悟を決め、重たく口を開く。

 

「――これは難しい事情を聞かれる。……申し訳ありませんが、()()そちらの用件をお伺いさせて頂きましょう」

 

 ニンブルは問いを思い余ってパスする。

 先の質問は『本題』の前振りなのは明らかであった。ならば、もう相手の本命の要望を聞いてしまった方がスッキリするというものだとして。

 

「そうでござるか。ならば小鬼(ゴブリン)軍団を率いる将エンリ殿の申した言葉をここで」

 

 だが〝森の賢王〟から発せられた『本題』は、心晴れるどころではなく――苦しい心中のニンブルの密かな怯えを裏切らず、帝国にとって十分に足元を見られた衝撃的な内容が伝えられる。

 

「かの将は帝国へ対して、自軍団について再度の無血退去を提案したいとの事にござる。但し条件がござり、先導無用と、そして――償いに領土の割譲をと。トブの大森林へ隣接する10キロ内の土地全部でござる。もしも、交渉が決裂いたせば追撃を阻止する策の一環として、巨大火炎竜巻で麦畑の広がる西方の穀倉地帯を焼き尽くした上で、()()()()するほかなしとの話でござった。回答期限は本日日没まで。心されよとの事にござる」

 

 なんと、再度の無血退去の意思に加えて、広大な領土を要求しなお、エンリが人質に取ったのは帝国の食料であった。

 人が生きていく為に不可欠であり、土地から離し隠すことは出来ない代物。

 先の巨大竜巻へ、帝国魔法省の部隊が対抗出来なかった事実を前面に立てた優位な要求である。

 勿論、エンリ達へのマイナス要因もある。この件で帝国に対してトブの大森林の軍団は、飛躍的に敵性脅威度を増し隣接するせいで常に緊張状態になるということだ。

 ただ、そうであっても今後、大魔法使いが不在のバハルス帝国は軍を容易に動かせないだろう。

 正に喉元、もとい胃袋へ食い付かれ、且つ森に近い肥沃で豊かな広い土地までもが要求されていた……。

 しっかりと聞いたニンブルであるが、続けざまに絶句するしかない。

 

「……(そ、そんな事を……冗談ではありません)」

 

 食料の安定は民心の掌握に欠かせないものだ。それに打撃があれば、帝国そのものが大きく揺らぎ危うくなる。血の粛清を行なって落ち着いてから5年と経っていない中で、慢性的な食糧不足にでもなれば民衆の不満は加速し数年で確実に混迷した時代が到来するだろう。

 ニンブルは血の気が引く程の衝撃を受ける。僅かに強靭な身体が左へ(かし)ぐ程に。

 そして言葉はまだ出ず思考だけが回る。

 

「…………(相手が一介の村娘の将なんてとんでもない。野営地周辺の防御陣を短時間の瞬く間に整然と効率良く攻め辛く設置する指揮能力の高さの上に、この交渉の機と内容は恐ろしく効果的。正に――鬼才の将です。話はとても厳しい……でも一理ありますか。そもそもが穏便な無血撤退を蹴って、先に襲い大きく信頼を裏切ったのは我々なのだから……)」

 

 少なくない代償を払えば、帝国は絶対に負けられない重大な戦いを避けられる。

 相手に裏切られ、腹立たしい状況の今もそういう道すら明確に残している点が、名うての巧者を思わせるのだ。

 この大局に置いて思慮の狭い凡人には到底出来ない事である。

 ニンブルはこれで亜人大軍団を率いる、名将エモット将軍の全ての用件を聞いた気がした。

 威信ある大国の帝国にとっては厳しい……いや酷過ぎる要求である。

 カーベイン将軍へと報告をするが、まず間違いなく手に余ると思われる。帝国八騎士団の将軍の権限はあくまでも此度の戦闘に関するものである。国政や領土を左右する判断は完全に権限外となる。

 

 

 それを判断し最終決定できる資格を持つ者は、帝都の皇帝ジルクニフ陛下ただ一人。

 

 

 1分程の沈黙の後、ニンブルは目の前に佇む魔獣とアンデッドへ改めて目を向ける。

 

「〝森の賢王〟、他にエモット将軍から、こちらへ伝えておくことはありますか?」

「いや、もうござらぬ。ただ、(それがし)から一言」

「……なんでしょうか」

「帝国は――ここが最後の引き時でござろうな。誰も悲惨な目には遭いたくないでござろう?」

 

 エンリ達の後ろに控える強大過ぎる存在の全てを知るハムスケは、抵抗力の弱そうな帝国の軍隊を()の当たりにして余りの哀れさからさり気なく伝えた。

 その言葉をニンブルは単に警告だとしながら内心神妙に受け取る。

 

「……お気遣いに感謝を。こちらも一つ聞いてもよろしいですか?」

 

 帝国側も確認したい重要な事が残っていたのだ。

 ハムスケはエンリから、質問は極力受けないように言われている。しかし単純に聞いてから断っても構わないと判断した。

 

「何でござろう?」

 

 真剣な表情のニンブルが問う。

 

「巨大な樹木の魔物は、そちらの部隊の魔法で消されたのですか?」

 

 もしそうであれば帝国は小鬼(ゴブリン)軍団に敵うはずもないと。

 彼の問いに対し〝森の賢王〟は躊躇なく答えた。

 

「あの巨大な魔物は――突然自分で消えたようでござる。もし初めから消せるのなら小鬼(ゴブリン)達に犠牲が出る前に消していたでござるよ」

 

 『魔物は自主的に消滅』とした理由は、実際そこまでの魔法を軍団内では使えず、ブラフにしては水準が高すぎて信憑性が微妙である事。

 それよりも実際そうであったし巨樹側の謎とした方が、不安と脅威感が高まるとエンリや軍師、ンフィーレアらは総合的に判断して打ち合わせの段階で決定していた。

 

「そうですか(亜人軍団側でも犠牲は出ていたのか)……話は全て聞かせて頂きました。ただ、内容は非常に高度ですので皇帝陛下へ確認する可能性もあり、時間を頂く場合は2名の騎士の使いをそちらへ向かわせます。交渉の結果については4名の使いを向けるとお伝えください」

「心得たでござる」

 

 ニンブルに外まで送られ、2体のモンスターは帝国八騎士団の陣を後にする。

 颯爽と去っていく〝森の賢王〟達。

 だが彼女(ハムスケ)は――捕虜2名とアルシェの処遇につき帝国側へ伝えるのを完全に失念していた……。

 帝国四騎士の青年はカーベイン将軍の下へ急ぎ向かいつつ、先の2体が会話の際中も4万騎を超える周りの騎士団の中で、終始怯えなど欠片もなく平然としていた事を鮮烈に思い出す。

 その光景から、口には出せないが強く感じた。

 

(勝負は見えているかも。もう我らの信じる陛下が、愚か者でない事を祈るほかないですね)

 

 金髪の貴族騎士は、速やかに将軍へと子細を語り伝えた。

 軍団総指揮官の領域を超えた判断を要求され、経験豊富なカーベインも動揺をみせた。それでも冷静さを保ちつつ、即座に帝都への連絡用にと一度報告後折り返して戻って来てもらい待機させていた皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)のジャイアント・イーグルの騎士へ、書面にて陛下への伺いを立てる。

 ニンブルは将軍へ報告者として申し出ると認められ、その乗り手(ライダー)の後ろへ掴まり帝都アーウィンタールへ同行した。

 

 

 

 

 帝国八騎士団側との仲介もとい、交渉役としての大任を終え、小鬼(ゴブリン)大軍団が陣を築く野営地まで無事に死の騎士(デス・ナイト)と戻って来たハムスケは、当然中央の陣幕内にて報告を行なった。

 まず、交渉の場へ黒い鎧を着た若い一人の騎士が相手に立った事を知らせ、名前については「ニンブルとか申したでござるよ」と報告する。これでは誰も帝国四騎士の『アノック』とは気付かない……。

 そして、帝国側への通達事項をエンリらから一つずつ確認されると、最後に大きな残件に気が付く。

 

 そう――捕虜の騎士2名とアルシェの処遇について通達していないことが判明したのだ。

 

 重要な案『再度の無血退去』『領土割譲要求』『麦畑への巨大火炎竜巻の脅し』を敵側へ伝えるとホッとしてしまったらしい。

 確かに、捕虜の件は先の項目に対して帝国への影響度は随分小さい。

 

「エンリ殿、申し訳ないでござる。某、急いでもう一度行って来るでござるよ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」

 

 背を向け陣幕内から速攻で出ていこうとするうっかりものの魔獣を、エンリは慌てて止めた。

 その声にハムスケは振り向く。

 

「なぜ止めるのでござる?」

「流石に大きな交渉は、気軽に何度も出来るものではないかなと」

「そ、そうなのでござる……か?」

 

 野生の世界も厳しさはあるが、基本ずっと大雑把に生きてきたハムスケに微妙な駆け引きのある交渉は難しい。

 先の交渉はその大雑把さが、怯えの無い大胆さとなってプラスに働いたのだが……。

 ここで小鬼(ゴブリン)軍師が羽扇で僅かに扇ぐ仕草も交えて助言する。

 

「こちらは一度騙しを食ったのですから、駆け引きの小道具として、これも手ではありますぞ」

 

 エンリは交渉に際してある程度誠実に望みたかったのだ。

 だが、軍師の言葉も一理あるとは思えた。それに、もう後出しの手しか選ぶことは出来ない現状に将軍として頷く。

 

「そうですね。では、帝国側の使者が来てから提示することにします」

「すまないでござる……」

「いえ。〝森の賢王〟さんの交渉で本題の話は上手く進んでいます。捕虜についての話は明確な嫌がらせ的な要素でしたので。結果としてはこれで良かったのかも」

 

 実際、今回の件が門前払いの場合、アルシェについては色々あるのだが、基本的に捕虜達は全員『こちらで処分する』という形で警告を促す予定だったのだ。

 それが無かったことで、今は覚書を破ったという帝国側の一方的な非道性が強調され、全てが報復的な要求の形となっている。

 

「捕虜の件の無い分、いい意味で誠実さとしての圧力が掛かっていますね。状況は逆にいいと僕は思いますよ」

 

 ンフィーレアも、怪我の功名として現状へ賛同する。

 天才少年は〝森の賢王〟を不思議と天然でも“賢王らしい”として買っている風であった……。

 

「そ、それなら良かったでござるが」

「大役、ありがとうございました」

 

 笑顔のエンリ将軍からの礼を貰い〝森の賢王〟は、嬉しくて起こしていた上半身で思わず小刻みに頷く。

 わざわざ殿(アインズ)へと申し出てここへ援軍に加わっており、足を引っ張る役立たずという汚名を貰わず済み、ホッとしたハムスケである。

 それから周辺の濃い霧は、1時間程掛けて徐々に晴れていった――。

 

 

 

 

 午前9時を10分程回った、バハルス帝国帝都皇城の豪奢な皇帝執務室内。

 大机の前で、戦地から戻ったニンブルが直立不動の姿勢をとる。

 室内には彼の他、座る主の(かたわ)らへ控える皇帝秘書官ロウネ。そして帝国の頂点に立つ金髪の貴公子ジルクニフのみが待っており、非常に重大と眼前の騎士から渡された現地よりの書簡での報告へ目を通していた。

 またジルクニフはこの時、既に1時間程前だが『魔樹が小鬼(ゴブリン)軍団野営地へ襲い掛かる付近で突然消えた』という報告を、無事に帰還した皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)の騎士から受けている。

 急ぎ読み進めていた皇帝だが、とある文章で突如視線が止まると、書簡を持つ手が震えていく。

 

「バ、バカな、爺が行方不明だと……」

 

 魔法の探求や気が乗らないという気紛れ的話で、姿を見せないのとは違うだろう。

 先日ジルクニフは直接厳命として申し付けている。現状況で姿が見えないということは、全く動けないか本当に巨大な魔物と共に消えてしまったとしか説明がつかない。

 フールーダがいずこかで動けない状況という事なら、まだ救いがあった。

 しかし、既に小鬼(ゴブリン)軍団に同行する伝説の魔獣〝森の賢王〟が老師の不明を知っているということは、事実の可能性が非常に高くなる。

 そして記された衝撃的報告はそれだけではない。座って読み進む皇帝の持っていた書簡が、如実に破れそうなほど手で強く握りしめられていく。

 

「お、おのれ……辺境片田舎の村の小娘如きが、膨大な麦の穂を担保に我が誉れある帝国の領土を望むなどと……」

 

 正に前代未聞のお話である。

 領土要求などバハルス帝国建国以来、リ・エスティーゼ王国はおろか強国のスレイン法国にすら一度も求められた事がないのである。

 それが、まさか汚らわしい亜人どもの軍団を率いる平民の娘になろうとは、慙愧(ざんき)に堪えない。

 ジルクニフの怒りは決して小さいものではなかった。

 その彼が、読み終えた書簡を顔を向けずに右手でロウネへと突き出しつつ、目の前へ立つニンブルへと口を開く。

 

「お前達は誇りある帝国騎士として、この屈辱的要求にもあの場で思案していただけなのか?」

 

 流石に『臆病』とまでは語らなかったが、雰囲気からは伝わるものがあった。

 ニンブルには目の前で怒りに震える誇り高き皇帝陛下の気持ちが良く理解出来た。

 しかし平和な帝都の皇城一室の机上と、怪物や小鬼(ゴブリン)の大軍団の陣と対峙している現場とでは、やはり空気に大きく差が出るのは仕方がない事だと思う。

 皇帝の側近である帝国四騎士の一人として、青年騎士が仕える主へものを申す。

 

「陛下っ。パラダイン様を欠いた酷く厳しい現状、怒りだけでは到底乗り切れません。小鬼(ゴブリン)軍団は将の下で見事に統率され強固な陣を構築しています。更に向こうは大魔法も使えるのです。どうか今こそ冷静に」

「くっ、分かっている。だが、余りにも腹立たしいではないか。貴族どころか騎士ですらない村娘だぞっ?」

 

 相手がまだ貴族の出というのなら帝国として格好が付くというもの。

 それすら僅かも許さないといわんばかりの屈辱的要求である。

 将来、帝国民達が巷で自分をあざ笑う光景が見えるようで、ジルクニフは思わず苛立ちから髪を激しくかいていた。精神的且つ、頭部へのダメージも甚大であった……。

 ここで書簡を読み終えた秘書官のロウネが皇帝へと進言する。

 

「陛下、アノック卿の言葉は正に正論です。書面を拝見させて頂きましたが、帝国の現状を見て非常に痛い所をことごとく確実に突かれております。お気持ちは分かりますが、ここは時間を置く意味でも()()()を示されますよう」

 

 ロウネの考えとしては、現帝国騎士団の主戦力と魔法詠唱者部隊を投入しているが、かなり分の悪くなった今、それも国内にて総力戦をすべきでは無いとの考えであった。

 相手は帝国の西端の土地を要求してきたに過ぎない。

 これと、対竜軍団に加え大賢者の不明等、難しい局面を抱えた現段階での帝国軍の虎の子的戦力の消耗を天秤には乗せられないとの判断である。ここで魔法詠唱者と騎士達の多くを失えば――弾圧され力を随分弱めたはずの貴族達が、再び力を集結し台頭してくる可能性も出てきてしまうと。

 目を閉じ、左手を額から目許へと当てる苦悶のジルクニフ。

 

「はぁ、今はそれしかないのか……」

 

 国を預かっている者だからこその、身を切る程の我慢と決断が必要なのだ。

 彼は感情の豊かな面を持つが、元々非常に高い知性と判断力を持つ優秀な君主でもある。

 悔しくともこの期に及んで自殺的行為は選ばない。

 ただ皇帝は、小鬼(ゴブリン)軍団へと魔樹を誘導した敵の同士討ち作戦への後悔はない。

 何故なら――巨木が居なくなったのは、あの策があったからだと思っているためだ。巨木が消されたか、自ら消えたかは分からないが、きっかけはあの作戦であると。

 表情が暗いままのジルクニフだが、貴族の騎士へと静かに問う。

 

「ニンブル、巨木の魔物と小鬼(ゴブリン)軍団、相手にしたくないと思ったのはどちらだ?」

「――っ。陛下……それは明らかに巨木の魔物でした!」

 

 巨大なアレは、完全に自然災害と同じ水準であり亜人や人がどうこう出来る存在を超えていた。

 小鬼(ゴブリン)軍団をあのまま穏便に森へ退去させていれば、一方の誘導や行動を制御できないであろう巨樹を帝都傍へ近付けさせていた極悪の展開が残ったはず。それが今は、交渉の出来る小鬼(ゴブリン)軍団だけが残る形。

 確かに、依然巨木が再出現する可能性はある。

 だから今だけの結果論かもしれないが、それでも状況差は歴然としている。

 皇帝は皇帝で、最善を尽くしていたのだ。

 さて、回答期限は日没まで。移動の時間を考えれば、回答を決めても残り8時間程で纏めなければならない。

 是非もなく要求を呑むという方針となったが、調整等忙しいのはこれからである。

 先の、秘書官の語った妥協案という単語を思い出し、ジルクニフは言葉を返す。

 

「そうか。トブの大森林傍の数キロは魔物出現の脅威を避ける為、作付量はさほどではないのだったな。では森から5キロまでを譲り、作付けが盛んなもう5キロは与えず、代わりにそうだな……毎年小鬼(ゴブリン)1万体分の年間食料を贈るということで交渉するか。今年は備蓄分から亜人の隊列に続く形で先に渡すと伝えれば現実感も出るだろう」

 

 帝国は血の粛清で取り潰した多くの貴族から得た土地を、政府が一括管理している。現在、西方の穀倉地帯は一部皇帝派閥の貴族が治めているが概ね政府系が管理していた。故に譲る事に大きな問題はない。

 ただ作付盛んな5キロはトブの大森林の隣接幅約120キロほどを考えれば約600平方キロ。年間生産量は、贈る予定の麦の量の何倍もある。

 これは政治的な賭け引きである。

 帝国側は600平方キロの土地を渡さずに済み、毎年贈る事で今後もある程度の信用と友好を保てるという特典も付く。小鬼(ゴブリン)軍団側も不慣れで面倒な農作業が省けるメリットがあった。

 すらすらと案を並べ、皇帝はまだ爺フールーダの帰還への想いを捨てず確認する。

 

「ヴァミリネン、これでどうだ? 爺が戻って来るまでや、竜軍団との戦いが終わるぐらいまでの時間は十分稼げよう」

「はい。大変よろしいかと。後は、向こうの将が土地の削減を飲むかですな」

 

 今の領土割譲問題や駆け引きの話の間、ニンブルはただ黙って聞いていた。

 彼は騎士で軍人であり政治家ではないのだから。

 でもそのやり取りを見るに、やはり皇帝ジルクニフが帝国を率いる名君である事に一安心する。

 

(陛下のあの作戦に騎士として後ろ暗い思いがあったけれども、帝国の今の好転した状況を考えれば、あれは多くの帝国の民を守った一手であったのだ。敵の将や亜人達から非難されようとそれは――帝国の騎士として堂々と受けよう)

 

 国が違えば自然と守るべきものは変わってくる。

 

 正義は一つでは無いのだと――。

 

 ただニンブルが心配なのは、帝国にとり偉大なフールーダ・パラダインの不在である。

 彼の存在に因る帝国への恩恵は非常に大きかった。

 特に南西で国境を接する強国のスレイン法国に対しては顕著であったのだ。

 今後、どういった災厄(さいやく)が帝国へ降りかかるのか……それを凌げる大きな傘であった人物は何処かへ去ってしまったかもしれない状況。

 青年は、柱石にも数えられる帝国四騎士の一人として国民へ対し弱音を吐ける立場では無い。

 

(私も底の部分でもっとしっかりとしなければ。まずは――エモット将軍との交渉だ)

 

 このあと貴族騎士アノックは、皇帝より労われ休憩をと一時皇帝執務室より下げられる。

 

 そして、皇城内では秘書官のロウネがその手腕を発揮する。情報局中心でまず譲渡する土地に関して住民達の数が急遽調べられ移住と補償の件を見積もると同時に、西方の貴族達への根回し他、5時間程で各所へ交渉を押し進め整理しつつ覚書を作成したものについてジルクニフの承認を受ける。ここで、別の部屋で控えていた騎士アノック卿(ニンブル)が再度皇帝執務室へと呼ばれた。

 大机から席を立ち、腰に手を当てた皇帝が直々に告げる。

 

「ニンブル。これよりヴァミリネンに同行し再び帝都帰還まで護衛せよ。亜人軍団の将との交渉はヴァミリネンが務める。よろしく頼むぞ」

「はっ。皇帝陛下と帝国の為、最善を尽くします」

 

 秘書官ロウネとニンブルは皇城上部の待機場へと上がっていく。其々皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)のジャイアント・イーグルの騎士へ掴まると間もなく飛び立ち、帝都アーウィンタールを後にした。

 

 

 

 

 朝霧が晴れた後は、夏の角度ある陽も差し暑い日中が過ぎて、時刻が午後5時に近付いた頃。

 雲が疎らで空の色はまだまだ青く期限の日没に随分時間を残す中、4名のバハルス帝国側の使者がエモット将軍の野営地に設けられた陣を訪れていた。

 勿論、エンリから提示された再度の『無血退去』についての会談を行う為である。

 その陣は、近付いていくほど防御が固く、侵入口も位置を限って置かれ効果的に集中して迎撃出来る様子が見て取れる。そして、聖騎士団団長により陣内を通される途中、備える周りの小鬼(ゴブリン)兵達の姿を初めて直接見た礼服姿の皇帝秘書官ロウネ・ヴァミリネンは、彼等の鍛え抜かれた体格に改めて驚く。報告書には十分目を通していたが、これ程とはという思い。

 明らかに戦えば危険だという空気がそこに満ちていた。

 ニンブルや護衛騎士も王都で亜人達の姿は見て来たが、仲間を失いその責任所在を求める様な厳しい視線の彼等はまた別物にも感じられ、背筋が随分寒くなる。

 朝の闘いでニンブルも率いた多数の皇室兵団(ロイヤル・ガード)を失ったが、それは自軍の作戦の中の話しであり、彼等の思いとは全く違うのだ。

 一行は中央の陣幕内へ入り相互の挨拶を終え、帝国側はベージュと金糸の線の意匠が入る礼服姿のロウネと黒色鎧のニンブルが席へ着き、皇帝八騎士団第一軍の精鋭騎士2名が席の後ろへ控えていた。

 小鬼(ゴブリン)軍団側は、格式と品位漂う赤と黒の軍服に真紅のコート姿の将軍エンリと綸巾(かんぎん)を被る小鬼(ゴブリン)軍師が着席する。他は陣幕内で護衛するレッドキャップス3体と聖騎士団の5体、さり気なくジュゲムとカイジャリにあと、黒い巨躯の死の騎士(デス・ナイト)が1体である。

 因みにハムスケは、外の奇襲へ警戒する隊を率いて警備の任へ就いていた。少し頑張ったので今はその方が気楽だとして。ンフィーレアやネムは帝国側へ目に留まると、色々と面倒に思い場を外させている。

 さて、直前のンフィーレアからの話に因れば、相手の皇帝秘書官は帝国内でも最も知能高く優秀であろう役職という。それを聞き、凡人肌のエンリは小細工的な話術をされる前にと、最後に着席後直ぐ自ら問い掛ける。

 

「では、早速こちらの要求した件につき、回答して頂きたいのですが」

 

 将軍からそう告げられ、秘書官は頷く。

 ロウネは、中央の陣幕へ入ってから密かに人間である目の前の女将軍を分析していた。

 気品ある立派な軍服の報告は先日受けているが、まず改めて衣装装備からしてただ者ではないと思わせる。目利きという自覚は彼にないが、その判断力には自信があった。だからこそ皇帝の宝物でも見たことの無い最上級の品質に大きく驚く。

 

(片田舎の村娘と聞くが。しかしこれは一体、どうやって手に入れた物なのか。もしや、どこか王族か大貴族の末裔では……?)

 

 余りにも破格すぎる装備に疑念は尽きない。ロウネ程の男が思考を困惑させる。

 通常、小鬼(ゴブリン)達の知力は人類よりも落ちるのが一般的であり、高度な政治的駆け引きは難しいと考えられている。故にこの陣も、先の帝国への提案も目の前の謎の娘が指示していると考えて探っていた。彼の中でコンマ5秒内の葛藤。

 

「(……惑わされるな)分かりました、閣下。それでは」

 

 内心で気持ちを落ち着けると、秘書官は覚書を立派な筒より取り出し紐を解いて広げ読み上げていく。

 その内容の概要は――帝国の釈明から始まっていく。

 『今回の仕儀であるが帝国軍による直接の攻撃は一切無く、意図するところでもない非常に偶発的で不幸な出来事であった。しかし、帝国側に安全配慮の不備があったと認める』と、帝国側は威信を守る為の酷い言い逃れを付けていた。

 怒ってもいい部分に思うが、この新世界の王族に貴族や大商人などの上流階級は、殆ど謝らない事が『常識』なのだ。特に弱者である平民などとは、まず論争にもならない。上流階級の家には騎士などの私兵達が大勢おり正義に関係なく、力尽くで物事は運ばれるのだ……。

 だから、帝国が安全配慮の不備を認めた事自体が、異様で異例なのである。

 そこからが本題へ続く。

 『故に帝国はエンリ・エモット将軍閣下の率いる小鬼(ゴブリン)軍団の再度の無血退去申し出を歓迎し受け入れる』とし、要望への一つ目を回答する。

 『その際、帝国は先導を置かず。また、退去完了まで双方とも敵対行動を取らず、閣下の率いる軍団は西方へ向けて任意で速やかに移動し国境を越えて頂く。交渉締結後5日以内で実行完了とする』と領内の行動を認めた。そして争点となる項目へ。

 『今回の安全配慮不備の償いとして、帝国はトブの大森林へ隣接する領土を割譲する。その範囲について――境界より10キロという要望であるが、これを5キロとし代わりに小鬼(ゴブリン)1万体分の年間消費分の穀物を毎年納付する。なお今年に限り納付は収穫期後ではなく、備蓄分より閣下の軍団へ続く形で届ける』と明確に告げた。

 エンリと軍師、ジュゲムらは境界が5キロという部分で顔色が其々変わったが、代替え案を聞き更に各人の表情は違った。

 

 しかし――最終決定するのは最高指揮官の将軍少女エンリである。

 

 ロウネは視線を僅かに将軍閣下へ合わせると、ゆっくり羊皮紙の覚書を巻いて紐で閉じ筒へと納め両者の間に置かれている低めのテーブルへと置いた。

 帝国は『無血退去』を認めたのである。

 これはエンリ達にとっても喜ばしい。だが代償についての案が結構変えられていた。

 ただ実はこういった帝国側の変化球は、ネムやンフィーレア達により想定されていたのだ。

 ――朝の打ち合わせの時。

 エンリとしては提示してみたものの、正直ずっとどうかと思っていた。

 

『あのぉ、幅10キロはちょっと広くないかな?』

 

 要求する総面積は実に1200平方キロ程度にもなり、貴族でいえば侯爵級に並び広大であったのだ……。

 

『まあそうだね、エンリ。でも、減らされるのを考えれば多めに言うべきなんだよ』

『うん、もっと多いめでもいいと思う(お姉ちゃんは素直なんだから……)』

『そ、そう? でも多すぎても話しにならないから。これでいいかな』

 

 ンフィーレアは幅広い相手へ商売をやっていて、加えて余りに商売上手な実力者の祖母もおり、数値的交渉には常識的に駆け引きが発生する場合が多い事を知っていた。

 また、ネムは大物である。すっかりナザリック的考えであった……。

 なので、事前に今回の請求への妥協点を決めている。

 そのために――代表者のエンリは帝国の使者へ対し、平然と速やかに動く。

 

「削減地での生産量に比べて、納付分が随分少なく感じます。3万体分は頂かないと」

 

 エンリからの指摘は的確であった。とはいえ穀物による納付は想定しておらず、村娘の少女は広さから概算での計算だが。

 確かに元がかなり少なすぎる量である。秘書官は眼前の小娘の落ち着いた対応で、将軍としての才覚を汲み取る。

 それは、こちらの意見を想定していての回答だと感じられたことだ。

 場へ無策で臨む将は、限られた時間の戦いの中へ放り込まれた際、判断へ事前に考えることの出来たはずの内容まで思考し貴重な時間を使い切ってしまうのだ。

 故に優秀な指揮官は、数多の分岐を事前に想定している。だから判断が早くて的確なのだ。

 それは敵に回すと非常に厄介であるということ。

 今、ロウネは難しそうな将を相手に小さい駆け引きを始める。

 だが、3倍と求められてそれをハイいいですよとは、帝国側も言わない。

 

「では、2万5000体分では?」

 

 ロウネからの大きめの値切りへ、エンリが上乗せ(レイズ)する。

 

「なら2万8000で」

「2万7000では?」

 

 エンリはンフィーレアから今回の数値交渉について言われていた。欲深く追わない方がいいと。

 なので、将軍少女はここでロウネの告げた数値へ折れて手を打つ。

 

「分かりました。2万7000体分で結構です」

 

 秘書官は一つ頷いて確定を知らせる。彼はこの交渉を絶対纏めなければならず5万体分の納付までは許されていた。

 優秀な将は色々な案を想定するが、その中でも更に『選別』と『加減』がある。

 細かすぎても無駄になり、選択を誤っても無駄になる。そして加減が酷いとそれも無駄になるのだ。

 今も10万と提示されていれば、5万で落ち着いても何と傲慢で欲深いという印象にもなる。

 何事もやり過ぎては遺恨が残るのだ。

 そういう意味でも、不快なく土地や食料へ固執した部分を見せなかった事で、皇帝秘書官の前に座る将の評価は随分上がる。

 

(うむ……狂人などという一部の報告はとんでもない誤りだな。確かになぜ亜人を率いているのかの経緯は分からないが、この指導者との敵対は帝国へのプラスにはならない様に感じる。

 いやいっそ、パラダイン様の不在が現実ならば、これを機に正式に手を組むという案も、陛下は検討すべきでは……)

 

 先日の一連の行動からも誠実さが見えており、帝国の最高幹部級に近いロウネはそういった判断へ変えつつあった。

 対して小鬼(ゴブリン)側で、土地は半減し随分手を引いたと思われるが、実際に広大な土地を維持管理するのは非常に大変である事を村民であるエンリは良く知っていた。

 放置してただ土地を荒らしてしまうよりか、実利を得た方が何倍も良いのである。これでエンリの小鬼(ゴブリン)大軍団5000体は、自力で大量の食料確保に成功した。

 秘書官のロウネは、皇帝の署名の入った覚書へ対して、訂正せずに穀物納付分について小鬼(ゴブリン)1万7000体分の加算がある事を加筆する。

 ジルクニフより、4万体分までの加算や土地への増量についても権限を持たされていた。

 加算加筆部分については皇帝秘書官ロウネのサインが入り、特別な皇帝代行印が押される。

 勿論、勝手に使えば一族ごと首が飛ぶ代物である。

 覚書は再び丁寧に筒へと納められ、エンリの前へと置かれた。

 『トブの大森林』のエモット将軍は、それをそっと手に取り立ち上がる。

 そしてロウネへと合意の握手のための手を伸ばす。

 帝国の秘書官と、ニンブルも立ち上がり、ロウネはエンリと笑顔で握手を交わした。

 

 これで、帝国と『トブの大森林』の小鬼(ゴブリン)軍団との再度の無血退去合意は成った。

 

 さて、将軍少女が先程、先に折れたのには理由がある。捕虜の件が依然残っていたためだ。

 握手をしながら、ここでエンリは秘書官らへと告げる。

 

「あの、実は今朝、野営地の近くで貴国の騎士の方を2名拘束しています」

 

 笑顔を浮かべていたロウネの表情が、『今、ここで言うのか』という顔をしていた。

 当然だろう。もう交渉は上手く終わったはずなのだ。

 あとは気分良く皇帝陛下の下へ帰るだけと考えていたところで捕虜の話である。

 ニンブルはその者達へ思い当り呟く。

 

「まさか、あの者らか」

 

 複雑な様子の二人へエンリは柔らかい表情で言葉を続ける。

 

「交渉合意の握手が出来て良かったです。騎士の方はこの後、解放しますので一緒にお連れください」

「……そうですか、分かりました」

 

 解放と聞いてニンブルはホッし、秘書官は再び笑顔を浮かべようとする。こういうプレゼント的流れならばサプライズとしてアリだと納得出来るからだ。

 でも、その笑顔が浮かぶ前に将軍少女が口を開いた。

 

「でも――先の魔法詠唱者の者は違います。お分かりですね?」

 

 エンリはロウネとの握手をここで手放す。

 そう、魔法詠唱者の捕虜については、前覚書に『撤収までの安全の為、同行をさせる』という記載があったのだ。

 だが安全について実際は守られなかった。

 ロウネ達は先程陣内を通される途中、僅かながら死臭の舞う20程並んだ埋めた後の傍も通っていたことを思い出す。小鬼(ゴブリン)軍団側には犠牲者が出ている状況。

 つまり、魔法詠唱者の捕虜アルシェ・フルトについては処刑されていても文句は言えない存在なのである。

 将軍少女は苦しそうな悲しい表情で伝える。

 

「配下の者からは魔法詠唱者の少女へ『死ぬまで()()()()を』という声があります」

 

 エンリの恩人なので無論そんな声は全く無いが、これは賭け引きである。

 だがそれを聞き、ニンブルらの表情は凍りつく。実行されれば帝国の乙女への惨さ極まるその状況を思い浮かべて。

 

「彼女の待遇について、今は私の権限で預かっています。今日の新たな覚書が今度こそ、最後まで守られる事を切に願います」

 

 エンリは書簡を改めて胸元で両手に持つとロウネ達へと視線を向けた。

 これは帝国の命も『こういう形で何時でもずっと握っている』という警告でもあるのだ。

 

「閣下の御配慮に帝国民として感謝します。そして、今の言葉を必ず我らが主君へ届けます」

 

 ロウネら一行4名は、エモット将軍へと深々と頭を下げた。

 将軍少女はその返事を受け納得し小さく頷く。

 

「では、私達は届くという穀物と荷馬車の列が確認でき次第、撤収作業に入り退去します」

「分かりました。こちらも軍を下げ、早急に準備いたします。それでは、これで失礼いたします」

 

 ロウネ達は中央の陣幕から下がりあとにする。

 先のエンリからの言葉通り、彼等の退去に合わせ捕虜であった皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)の騎士2名は開放され帝国八騎士団の陣へと6名で引き上げていく。

 その去っていく様子を、アルシェは野営地外周傍に止められている幌馬車の荷台の布の隙間からそっと見送った。

 

 

 

 

 この後、バハルス帝国側の動きは顕著であった。

 ロウネとニンブル達の動きは早く、カーベイン将軍へ見張り以外の騎士団の撤収を通達すると、一路帝都へと飛んでいた。

 ジルクニフへの報告を終えると、日没前には帝都の大穀物倉庫から穀物を満載した千を超える荷馬車の列が、輜重護衛隊に護られて移動を開始していた。

 エンリ将軍側も、対峙していた帝国騎士団の撤収を確認した日没の少し後には、ハムスケが持っていた巻物の〈伝言(メッセージ)〉を使い、夕方前の帝国との交渉締結を旦那(アインズ)様へと報告している。

 花摘みへ行くと言って、ンフィーレアやアルシェ達の集う陣幕内から抜け出し、ひっそりとした場所へ来ると、ハムスケから聞いた様に巻物を使ってみた。

 アインズとの〈伝言(メッセージ)〉を乙女の胸をドキドキさせながら、前髪辺りも思わず直しつつ繋ぐ。

 

「あの、アインズ様、聞こえますか? エンリですが」

『うむ、聞こえているぞ』

「お時間は大丈夫でしょうか?」

『ああ、今は大丈夫だ』

 

 旦那様の威厳あるいつもの声が聞け、無難に繋がりホッとしたエンリは、今日あった事を8分程に纏めて伝えた。

 時折、相槌を打つも静かに聞き入っていた旦那様から、エンリは最後に大望のお言葉を貰う。

 

『そうか。エンリよ、本当によくやった。食料の量が相当あるだろう。保管場所は一時ナザリックで用意しよう。皆で気を付けて帰ってこい』

「はいっ。ありがとうございます」

 

 〈伝言(メッセージ)〉を無事に終了する。周囲はほぼ真っ暗だ。

 でも彼女の心の中は喜びや満足感、解放感などの眩しいもので満ち溢れていた。

 

「やったーー、旦那様に褒めてもらえたっ」

 

 もう気軽ないつもの村娘の衣装へと着替えている少女は、満面の笑顔で思いっきり背伸びをし、一人晴れた星空を暫しの間のんびりと眺めていた。

 

 

 因みにエンリの職業(クラス)であるジェ●ラルは、いつの間にか急速にLv.4へと近付いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. VS魔樹 ナザリック視点編

 

 

 絶対的支配者の開いた〈転移門(ゲート)〉を潜ってバハルス帝国西方へまず現れたのは、今回の指揮官で第六階層守護者のアウラ。

 アインズは此度、適当に指揮官を選んだ訳では無い。彼女は過去の詳細な北部地域の周辺調査や日頃の守護者としての的確な仕事ぶりなどを考慮・評価されている。また、先日はアインズとこの国の地を踏んでおり、適任と判断されてだ。

 そして、彼女の補助系の特殊技術(スキル)も丁度合っていた。

 指揮官に続いて帝国の地へ現れたのは、事前にアウラの特殊技術(スキル)でもってパワーが一時的に2割程も強化された第四階層守護者ガルガンチュア。

 30メートルにも及ぶ身長から〈転移門(ゲート)〉を拡張して開く必要が有り、アインズはギルド武器であり各種増幅(ブースト)も掛けられる『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を持ち出していたのである。

 ガルガンチュアの単純な攻撃力は、守護者序列1位のシャルティアを上回るほどである。

 先日の大宴会で起動や移動、動作について全く問題が無い事は確認されており、ナザリックの大戦力の一つとして今回、デカブツの怪獣が相手というのならパワー勝負もあるだろうし適任と派遣された。

 そして最後に登場したのは第五階層守護者コキュートスである。

 蟲王で大剣豪である彼については、多くを語る必要はないだろう。世界級(ワールド)アイテムを持たせるアウラの護衛も兼ねている。あと、敵が長い蔓をいくつも持つ事から、アウトレンジでの打撃戦はマズいとの考えから、『切り落とせ』とのアルベド経由で(あるじ)の命を受けての参戦だ。

 ナザリックの階層守護者3名が濃霧で満ちる帝国の地に立つ。

 

「三色色違いか。へー、レベルは80から85ってとこだね。他に……(あっ、でも先に)」

 

 アウラは豊富な特殊技術(スキル)を使い、10秒程で周辺の探知及び標的の強さを計測し終えるとまず世界級アイテムを使う為に指示する。

 

「ガルガンチュアは、まず霧の先200メートル前方にいる魔樹を捕まえて後ろへ引き戻して」

 

 見上げる可愛い指揮官の指示に、ゴツゴツした岩肌のドデカい体の彼は首らしきものが無いので上半身を使って頷くと、巨体を揺らし速足(はやあし)を見せ前へ出て行った。

 その様子を認めつつ、褐色の闇妖精は蟲王へと伝える。

 

「コキュートス、ちょっとここで待ってて」

「ン? 分カッタ。ダガ私ノ射程カラ離レルナヨ」

 

 コキュートスは視界がゼロでも圏内なら気配ある敵は逃さない。

 

「大丈夫大丈夫、すぐそこだから」

 

 この場での待機を頼み、彼女は何かを見つけたのか笑顔を浮かべ〈飛行(フライ)〉で離れていく。

 

 正に巨大な木の魔物が、エンリ率いる小鬼(ゴブリン)大軍団の野営地へ襲い掛かるのとほぼ同時に、魔樹に対してかなり小さいが相手の巨体を後方からガルガンチュアが太い両腕でガッチリと掴み力技で進撃を止める。

 そのまま下から抱え上げ後方へと移動させることで、魔樹の6本の巨大な蔓の先端は野営地内から遠退いていった形である。

 その機に、空中でナザリックへの罪人を捕縛してきたアウラが戻って来ると、支配者より預かってきた巻物風の世界級(ワールド)アイテム『山河社稷図』を開き能力を発動する。

 このアイテムは敵をほぼ脱出不能な空間に閉じ込める事が出来る。その過程で、閉じ込めた空間は巻物の絵画の世界と入れ替わる形で、現実世界から切り離される。

 元の場所には、絵画とはいえ直前と寸分違わぬ同じ世界が登場する事になる。

 今回の隔離範囲は直径約600メートルで実行されている。魔樹には少し手狭なサイズかもしれない。霧もまだ相変わらず残っている状態だ。

 『山河社稷図』は全百種類より異界を選べるのだが、必ず脱出方法が存在し万一それをクリアされると所有権が移るという弱点的ルールがある。

 特定異空間以外では高難度ながら40個の脱出方法から自動で1つが選ばれる。いくつかの特定異空間は各1つで固定されている。

 若干の注意が必要だが、使用者以外は基本的に脱出方法を知らない事から、突破は容易では無く頭も使うゆえに、今回の相手は油断出来ないが本能的な動きから余り心配なさそうである。

 また今回は()()()()()により角へ逃げられないよう円形とし、ノーエフェクトの特定異空間の一つである単純な閉鎖空間となっている。

 『山河社稷図』が使用者のアウラや待機中のコキュートス、そして魔樹を取り込んだ瞬間、ガルガンチュアが豪快なバックドロップ風の投げ技を浴びせていた。

 巨木を倒した状態にすることで、蔓を鞭として使う威力は随分落ちるはずとアルベドからのアドバイスを汲んだ形だ。

 アウラ自身が鞭を使う事もあり、地面へ擦れるなどの抵抗が大きければ、速度や威力は落ちる事を良く理解していた。

 無様に仰向けとなった巨大な樹木の魔物は、直ぐに左右の蔓を利用して起き上がろうと動きを見せる。

 

「……ソロソロ私ノ出番ダナ」

 

 (コキュートス)は、ただ静かにこの(とき)を待っていた。

 武人の蟲王は、日々ナザリックの先陣で切り込む事により、自らの存在価値を示したいとずっと心の中で望んでいた。一応、間もなく始まる『トブの大森林』侵攻において先陣を告げられてはいる。

 だがそれまでは防衛の要という重要な役目により、最前線での活躍は今日(こんにち)まで叶わず。

 無論、それも至高の御方に高く認められている証しであると理解している。

 それでも早く――創造主である至高の41人の武人建御雷様により、武器攻撃特化型で作り上げて頂いたその『武力』でコキュートスという存在を改めて(あるじ)とナザリックへ示したかったのである。

 

 今、それが報われる。

 

 

「参ル」

 

 気合を込めるよう自身に聞かせるが如く小声で呟くコキュートス。

 御方から『脅威となる蔓を切り落とせ』との命を受けていた。これは絶対に完全遂行しなければならない。

 ナザリックの武人は、主命を果たすべく嘗て創造主が装備していた神器級(ゴッズ)アイテム『斬神刀皇』を抜き放っていた。その見事な刀身からは神秘的輝きが零れ、刃の残像を揺らめかせ流していく。

 そして、腕二対の内の一対で握り持つ手へ力を籠めると、この一瞬無心の一撃を放つ。

 

「ォオーーッ、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉! 三毒ヲ斬リ払エ、倶利伽羅剣ッ!!」

 

 凄まじい気迫が籠る全身の動きから振り絞られ、全てを乗せた恐るべき破壊力の斬撃。

 ただ一閃したはずのその威力で、3本の蔓が見事に太い根元から切断され魔物からは派手に悲鳴が上がる。

 正に圧倒的な攻撃であった。

 今の一撃を受けて、この地上に無傷でいられるものは――いない。

 

「ヒュー」

 

 上空のアウラが思わず口笛で感嘆する。

 コキュートスは普段、なんやかんやとアウラやマーレに結構甘い。

 双子には彼へ対し、優しさからの僅かになあなあ感が膨らんで来ていた。

 だが今、前にいるカミソリのような振れれば斬られるという武人の闘いが本来の彼の姿なのだ。

 

(うはー流石だなぁ、マーレにも言っとかなくちゃ。あたしらもしっかりしないと)

 

 大人の真剣な姿こそが、ナザリックの情操教育にも繋がって行くようだ。

 コキュートスによる左側からの攻撃に対し、ガルガンチュアは魔樹へ右側の根元寄りの位置にて強烈な重たい蹴りを見舞う。

 驚異的衝撃を受けた魔樹の太い根が潰されるように次々とへし折れていく。

 そして強烈な左フックを根元の幹へと炸裂させた。

 ヤツの幹を覆う皮は分厚く固く、(ドラゴン)の鱗に近いかもしれなかったが、突き抜けるように拳の先を一部めり込ませる。

 一方的な攻撃を受け、ここで魔樹が盛大に呻き声を上げた。

 しかし、コキュートス達の攻撃は、より過酷さを増していく。

 武人の蟲王は魔樹の尖塔部側を回り込み、右側へと移動して来た。だが丁度、魔樹の残った3本の長大な蔓と小枝群がガルガンチュアや上空のアウラへと動き出そうとしていることに気付く。

 彼は咄嗟に、複数を標的にする特殊技術(スキル)を使い再び渾身の一撃を見舞った。

 

「ハァァァーーッ、レイザーエッジ・羅刹!」

 

 攻撃は切れ味鋭い複数の斬撃となり、魔樹の残った3本の蔓を根元でたち切りつつ『なます切り』の状態に20以上の部位へとバラバラにしていった。勿論、味方に蔓と斬撃を共に(かす)らせる事もなく。

 蔓を全て奪われた魔樹は、もはや倒れた只の巨木と変わっていた。

 魔樹の側も、幹をくねらせ根をバタつかせ鳴き声を上げて最後の抵抗を見せる。

 アウラとしては、まだ巨木の根元からの根が多く残っている事が気になった。植物にとって体を支えつつ、養分を集める器官である。

 なので、コキュートスにはそれを除去してもらう指示を出し、ガルガンチュアには打撃により体力をドンドン削ってもらう処理を指示する。

 アウラによる先の魔樹への計測で『体力が測定外』で特化していた為だ。

 早速コキュートスの斬撃による『伐採』と30分程のガルガンチュアの華麗なるシャドーキックボクシング大会により、高さ100メートル超、幅300メートルの異様を誇った魔樹は、90メートル程の完全に痛み切った丸太状のゴミモンスターと変わっていた……。

 

 

 さて、討伐はこれで一応終了した。おまけながらナザリックへの重罪人も拘束出来て。

 だがアインズの計画した目的は、巨大魔樹の殺害ではなかった。

 遠大なる真の目的は別にあった。

 それへと繋げるべく弱り切った魔樹へ対し、1時間にも及ぶ――アウラの鞭を派手に華麗に鳴らせた激しく厳しい調教(テイム)が行われる。

 アウラとしては当初、『猛獣使い(ビーストテイマー)』という職業(クラス)から逸脱する気もしていた。しかし、この魔樹が肉食でもある雑食という広い括りにより結構な効果が発揮されていく。

 最終的に、魔樹はアウラへと従属した。

 ここで彼女はプレートの付いている両手にはめた手袋の右手側を外す。すると褐色肌である彼女の手の指には5つの指輪が嵌っていた。

 

 

 それは――クアイエッセが装備していた10個で1セットの召喚指輪。

 

 

 最上位モンスターをも保持・召喚可能と言う伝説級(レジェンド)アイテムである。

 アウラの操作によりその一つへと契約し、魔樹は指輪へと無事に封印された。

 

「ふう。これでよしっ」

「見事ダ」

 

 ほっとした第六階層守護者を第五階層守護者が労う。

 なお、指輪の1つと契約させる事で、今後は他の者でもアイテム越しで『魔樹』を召喚し使役が可能となる。この召喚指輪はそういうレアアイテムなのだ。

 アインズとしては、戦闘メイド(プレアデス)や同誕の六人衆(セクステット)にエンリや将来的にネム辺りへ装備させても良いかなと思っている。

 アウラは封印の後に最後の作業を行う。一度瀕死の『魔樹』を呼び出すと、持参していた巻物(スクロール)で〈大治療(ヒール)〉を実行し、巨樹を完全状態へ完治させたのち召喚を解除して作戦を終了した。

 

 絶対的支配者は、最終的にこの10個の指輪を世界中の強大なモンスター達で埋めれば面白いなと考えている。

 今後もその候補探しと捕獲や調教作業は続いていく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その時、彼女はもちろん見ていた。

 

 

 死の騎士(デス・ナイト)のルイス君から飛び降りたネムが、姉エンリへと駆け寄って行く。

 実に4日ぶりの再会である。

 仲良しの姉妹が、これだけの間離れていたのは初めての事。

 大都市エ・ランテルへ薬を売りに行くのは決まって父であり、エンリとネムはいつもカルネ村で過ごしていたから。

 おまけに、誘拐されての心配事の後での再会だ。

 元気で気丈な風を装っていたが、ネムの方は抱き付く直前でもうウルウルである。

 手を広げる姉に飛びついていった。

 その勢いにエンリの身体がくるりとその場で回る。

 妹はいつもの「お姉ちゃん」の声もなくただ静かに咽ぶ。

 エンリも可愛いネムを強く抱き締める。

 その後の姉からネムへの愛のある小言も含め、心和む姉妹の様子を周りの者達は温かく見守っていた。

 

 そしてその端へ混じり――完全不可知化の中、日々エモット姉妹を見守る最強天使は、死の騎士(デス・ナイト)のルイス君の肩へ腰掛け、ニヤニヤしながら当然のように姉妹の仲良し振りを存分に堪能するのである……。

 

 

 巨大な魔樹が襲い、姉のエンリに危機が迫っていた時。

 〈千里眼(クレアボヤンス)〉で見ていたルベドは――勿論、傍へと駆け付けている。

 ただ、ハムスケやレッドキャップスに死の騎士(デス・ナイト)が居た事で、魔樹への攻撃は控えていた。

 もし傍に誰もいなければ、聖剣の一振りで魔樹をあっさりスライス(成敗)していたことだろう。

 あとの事は何も考えず豪快に……。

 でも今、そんな破格の力を持つ彼女の存在へ誰も気付く者はいない。その軽さ故に、腰掛けられたルイス君でさえも。

 また、天使の放った感激の声「スバラシイ!」を聞いた者もいないという――。

 

 

 守護天使(ルベド)は十二分にニヤニヤし終えると、いつの間にか満足げにこの場より消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 白鬚白髪の老人は(もや)が晴れるように意識が戻った事を感じ、静かに薄暗がりの中で目を覚ます。

 明かりは、部屋の高めの天井付近へ設置されている照明用の水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉の儚げな弱い光のみである。

 

(ん? ……私は、確か闇妖精(ダークエルフ)の小僧に捕まったはずだが……ここは)

 

 彼、フールーダ・パラダインは床の丁度真ん中付近へ仰向けで転がされていた。

 即座には起き上がらない。まず慎重に周囲へと視線だけを向けていく。

 そこは見た目に無人で何もない広めの石室であった。右璧面の足元奥に扉が見える。

 ふと右手首を見ると、記憶の最後に付けられていた拘束具が今はなかった。だが、身に付ける衣服がゴワゴワし随分粗末な状態のまるで()()()()()ボロ着に変わっていた。

 それで直感する。

 

(装備品とアイテム類を全て盗られたか。……まあよい)

 

 身一つでも問題ないと第6位階魔法詠唱者は考えた。

 首筋への強打や猛烈なグーパンチをされた腹部がまだ若干痛くもあるが、手足も問題なく動く事を確認し、一通り周囲の変化も無い事を把握すると彼は漸く上半身を起こし胡坐(あぐら)をかく。

 防御魔法を突き破った先の途轍(とてつ)もない攻撃は一体何者だという気もするが、子供ということから今の雑な警備状況も加えて警戒心は下がる。

 

「ふむ、私に対して随分と不用心だったな。ではさらばだ。――〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 余裕綽々(しゃくしゃく)に言葉を放った―――が、またしても〈転移〉しなかった。

 

「はぁ? 〈転移(テレポーテーション)〉っ」

 

 二度目の言葉は大きく石室に響いた。しかし、彼の体は移動する気配がなかった。

 流石のフールーダも困惑する。アイテム類は奪われたが、制約はないはずである。

 帝国内への転移先を認識することも問題なく出来るのだ。

 

(……一体、どうなっているのだ!?)

 

 250年も生きているが、こんな衝撃的な事は初めてである。

 

「これは、もしかすると……周囲によって〈転移〉魔法が阻止されているのでは」

 

 彼は恐怖よりも―――大興奮していた。

 

「ふははははーーーー。素晴らしい、信じられんっ。第6位階魔法を阻止しておるぞ。どういった仕掛けと理論なのだ。壁か、床か?!」

 

 老人は嬉々として、床や壁をまるで舐めるようにして丁寧に2時間以上も見て回った。

 普通なら脱出の為、石室の出口の外に関心を示すのが普通のはずである。

 しかし、この老人はそんな事は二の次で、扉も一度開けたが舐めるように調べると再び閉じてしまった……。

 そんな熱心な彼の背へ突然声が掛かる。

 

「――先ほどからお前は床や壁に顔を張り付けて一体何をしているのだ?」

 

 突然の威厳のある重々しい声に、フールーダも驚き気味ではあったが、しかしゆっくりと床へ張り付いたまま体ごと右へ90度向きを変え半身の体勢をとる。

 顔先1メートル程のそこには、変わった仮面を付け両肩部へ白金と紅玉の立派な装備のある漆黒のローブを纏う巨躯の者が堂々と立っていた。

 二者の様子は、他者から見ればまるで老人がもう一人の足元へひれ伏している形であった。

 フールーダは視界へ飛び込んで来た仮面から、ふと眼前の者の身形について帝国情報局からの報告資料で読んだ人物像――『カルネ村を救ったその者は変わった仮面を被り、背丈が190センチ程で黒色のローブを纏う容姿の模様』――を思い出す。

 そしてその名前を口にした。

 

「もしや、貴方はアインズ・ウール・ゴウンといわれる方では?」

「ほお」

 

 アインズは少し驚く。この新世界へ来て名乗る前に初対面の者から『アインズ』と告げられたのは、王城の式典を除くと王国六大貴族のリットン伯や舞踏会でのラナー王女ぐらいである。帝国の者からは初めてだろう。

 それは、僅かだが『アインズ・ウール・ゴウン』という名が広まって来ている事を意味する。

 ただフールーダは、国家の要職を務める優秀な人物であり、カルネ村をピンポイントで襲って来た事から特定の狭い範囲での資料的な情報を持っていたにすぎないとは思う。

 なので、気分が特に良くなる感じには程遠い。

 それにより目の前の老人が行なった行為への怒りは、些かも減る事は無かった。

 とはいえフルネームで呼んでくれた事から、支配者は最低限の礼は返す。

 

「如何にも、私の名はアインズ・ウール・ゴウンだ。アインズで構わない」

 

 フールーダは、その答えを聞き完全に体をアインズへと向けて立ち上がると、その白眉の下に埋もれる瞳を少年のようにキラキラと輝かせて歓喜する。

 

「おぉぉぉぉ、やはり、やはり。私はフールーダ・パラダインと申す者。()()()()()、この部屋は一体どうなっておるのですか? 第六位階魔法〈転移〉を見事に阻止しておりますな。感激しましたぞ、素晴らしい!」

 

 彼は、自分が脱出できない事よりも高位の魔法の存在へと直面した事の方が遥かに嬉しかったのだ。

 しかし、支配者にしてみれば『こいつは何を言っているんだ?』という変人的感覚。

 それでも一応答えてやる。

 

「この場では第六位階魔法の〈転移〉について発動制限を掛けているということだ。自由に転移系の魔法は使用出来ない。更に上の〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉もだ」

「グ、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉ですかっ、一体それは第何位階の魔法で、どのようなものなのでしょうか? 是非、私めにご教授をっ」

 

 老人とは思えない少年的食い付きぶりに、アインズは思わず僅かに仰け反る。

 ふと、フールーダは気付く。目の前の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の回りに本来見えるべき魔法詠唱者特有のオーラ的な輝きが消えている事に。それを尋ねる。

 

「あの、アインズ様は今、自身の魔法力への探知防御をされておりますか?」

「……ふっ、少し待て」

 

 含み笑うと、絶対的支配者は老人の最後の願いを叶えるかのようにローブの袖の中で左手のガントレットを取る。ナザリック内ではいつも左手の薬指へ『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を付けていることから、常時中指へ付けている攻撃強化の指輪の代わりに今は最上位の魔力探知不可の指輪を嵌めておりそれを外してやる――。

 その瞬間、支配者の前へ立つフールーダの白眉で見えなかった瞳が完全に見える程大きく目が見開かれる。

 

「……な…………(なんと、なんという輝きと力の奔流っ!)」

 

 完全に絶句した老人の視界には、眼前の空間全てがただ閃光に包まれて見えていた。

 これまでに見た事のない光景であった。

 もはや目の前に立つ仮面の人物の到達しているその位階が、どれ程上なのか想像もつかないぐらいに。

 

「……ははっ……あはは……ふはははっ…………なんという高みなのですか。最高すぎるっ。これは届くのでは、あの頂点と言われる第10位階魔法にさえも、その先へも――」

 

 彼は魔法の深淵を遂に覗き込める場所を見つけたと確信し、心からの歓喜と感動と驚嘆と運命と希望とに震えていた。

 

「アインズ様、全ての魔法の仕組みの何たるかとその極致を共に極めましょう!」

 

 フールーダの言葉をここまで聞いていたアインズは気付く。

 目の前の老人が、長年本気で上の魔法を探し調べ追い求めているという事が本当なのだと。

 元陽光聖典のニグン達から集めた、フールーダ・パラダインなる人物についての資料が一応存在し、それには『200年にも及びあらゆる魔法の探求者である』と記されていた。

 アウラからも魔力系魔法の〈飛行(フライ)〉や防御を幾つも張っていたり、目の前で重傷の腹部を自ら信仰系魔法の〈治療(ヒーリング)〉を使用して治療したとの報告を受けている。

 今後のナザリックにおいて魔法の研究は必要になる可能性は多分にある。

 されば魔法の原理に詳しい者は有用ともアインズは思う、だが。

 

 ――それが必ずしもこのフールーダ・パラダインであるべきか?

 

 その問いに対して、絶対的支配者は目の前で浮かれまくっている老人へ答えを伝える。

 世界は広く、『絶望』と『拒絶』として。

 

 

「ダメだな。パラダイン、お前に魔法をこれ以上探求するというその機会は無い」

 

 

「え゛っ……?」

 

 既に師と思っている偉大な人物(アインズ)からの冷たく言い放たれた言葉に、哀れな老人は固まる。

 絶対的支配者は淡々と理由を語っていく。

 

「パラダインよ、お前は私の配下であるエンリを(さら)ったな? そして私の行動の邪魔をした。

 故にお前は――不快で不用な存在だ。

 50年、100年後は(代わりがいないかもしれず)分からないが、今の私には必要ない。残りの生涯をこの何も無い場所で静かに朽ちてゆくがいい。これはお前にとり死よりも辛いだろう最大の罰で、同時にその器となったバハルス帝国への私からの報復でもある。

 ――さあ受け取れ」

 

 次の瞬間、指輪を光らせたアインズの姿と設定変更で出口の扉がこの石室から姿を消した。

 

 

「あ゛? うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 

 無力な老人は閉じられた石室の中、絶望から絶叫する。

 ナザリック地下大墳墓第三階層の一角に用意された永久監獄区画内へ、その日いつまでも彼の悲壮な叫び声が微かに響いていた…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女戦士クレマンティーヌは正直迷い困っていた。

 それは、スレイン法国特殊工作部隊の漆黒聖典隊員としての立場と、一方で純粋に激しく恋する一人の乙女として……。

 

 大都市エ・ランテルの冒険者チーム〝漆黒〟の戦士モモンと魔法詠唱者マーベロとの接触を、スレイン法国の王都リ・エスティーゼ秘密支部の面々に知られてから早2日。

 彼女は苛立ちから引き篭もり、昨日も秘密支部へ顔を出していない。ここ最近の王国軍の出陣関連調査で事務所は忙しいはずであるが、彼女には関心もなかった。

 でも滅入る中で、目撃され難癖を付けられ掛けた日の晩に続き、昨晩も愛しのモモンから大事な木彫りの『小さな彫刻像』経由での慰め混じる連絡を貰い、ホッコリ感と安心感から気持ち的に落ち着いてはいる。

 

(モモンちゃん優しーし。あー、でもやっぱりモモンちゃんに会って、隣で甘えたいよー)

 

 あの鋼の筋肉だろう異様に固い膝枕が恋しい。

 そして、全てを蕩かす様な魅惑のナデである……。

 それでもやはり恋乙女として、彼氏にそっと傍で膝枕の一つもしてあげたいと思う。やがて二人は熱く見つめ合い、良い雰囲気になって……ウフフフ、と。

 だからはっきり言えば、今の漆黒聖典の立場は(おおむ)ねどうでもいいのだ。彼女としては、単に彼がスレイン法国や漆黒聖典の動きを知りたいという為だけに居座っているのである。

 

「んー。今度マジで、もうトンズラしてもいいか聞いてみようかなー」

 

 既に兄も消しており組織や待遇、地位に対して、全く未練はなかった。

 とはいえ、自分の意志では抜けられない組織でもある。手練れの追手が掛かる可能性はかなり高い。非常に執拗で鬱陶しいという過去話も聞いており、それも少し現状へ留まる気持ちに加算されていた。

 

「ハラボテ妊婦になっても特攻的な激務をさせられたりしてー、あははー。……はあ、今日はどうしようかなー」

 

 最高級宿部屋のベランダ傍の窓辺に置かれた、金細工が光る白い椅子へと片肘を突いて座るクレマンティーヌ。

 確か隊員でも結婚は出来たような話を聞いた気がすると彼女は思いつつ、窓の外の風景をぼんやりと見ていた。

 時刻は午前9時過ぎ。

 彼女は色々と憂鬱である。今日は、モモン達が王都冒険者組合へと宿泊場所を移すからだ。

 移ってしまえば、会うのが更に難しくなることは必至。

 昨晩の会話では朝の10時頃から移動すると聞いている。

 経路も教わっており街中での接触はまだ可能。とはいえ、この宿屋もどうやら外から監視されているようなのだ。2日前から彼女の特殊技術(スキル)は、細身の青年支部員と太り気味の支部員が交代で動いている気配を捉えている。

 勿論、副支部長の()()()()()だろう。

 人外の身体能力に加え、気配をほぼ消せるクレマンティーヌの実力なら当然、()く事は楽勝である。

 一昨日の晩にモモンへ、太り気味の支部員は残り気での追跡が出来ることも伝えており、愛しい彼から『部屋の内外に限らず、出来るだけいつも気配を消して機会を窺うしかないかな』との助言を貰っている。なので今は睡眠時以外、ずっと気配を常時消して行動していた。

 しかし、そういう問題ではなくなってきている。疑惑も積み重なれば真実に近付く。

 次にモモン達との接触を見られれば、関係が疑われる可能性は相当上がるだろう。

 スレイン法国側の評価を受ける彼女自身はそれでも一向に構わない。

 

 でも――評議国の密偵の任務中であろうモモンへ迷惑が掛かるのだけは避けたかった。

 

 それとこれはもう個人的な粘着といっても良い状況と言える。貴重な日々を食いつぶしてくれている原因は間違いなくヤツだ。

 

(チッ。あの無精髭ヤロウ、部下に仕事させろっての。………うん、もう決めたー。あいつ絶対にぶっ殺す。目障りなんだがらー、ま、しょうがないじゃん)

 

 殺気を抑えつつも怒りは込め、人外の握力で静かに右手を握り込む。

 同時にその彼女らしい歪み切った笑顔の表情は、どうやって奴を残酷に殺そうかと実にイキイキしてきた。

 標的の今日の様子を探るという娯楽的意味を見い出し、クレマンティーヌは鎧装備に身を包むと2日ぶりに気分良く秘密支部へと向かうべく部屋を後にした――。

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼ中央交差点広場から歩いて7分程の場所に、上級風の内装と接客を提供する5階建てで中々の門構えの宿屋が見える。午前10時を前に、白金(プラチナ)級冒険者のモモンとマーベロ達は、王都で表向き8泊した事になっているその4階にある少し慣れてきていた宿部屋を引き払いあとにする。

 外は雲が多めで時折、夏場の強い日が差す程度のお天気模様。

 モモンらは、本日よりエ・ランテルの冒険者組合長や魔術師組合長……というより、今はオリハルコン級冒険者のプルトン・アインザックとテオ・ラケシルの二人と行動を共にする為、王都冒険者組合へ合流する形で宿泊場所を移す事になっていたのである。

 

「じゃあ、行こうかな、マーベロ」

「は、はい、モモンさん」

 

 二人は徒歩で石畳の通りを移動し始める。

 王都冒険者組合へは先日、竜王国への援軍の件で訪れており、今日は馬車ではないが道を覚えているし地図も渡されていた。

 勿論、馬車に乗っても良かったが、モモンとしては気分的に高い空の下で少しのんびりと街中を歩きたかったのだ。

 いつも通りにモモンは、見上げてくるマーベロの手を引く感じで手を繋ぎ歩いていく。二人の後ろには用心して上位不可視化したパンドラズ・アクターが続いた。

 この日の早朝――バハルス帝国内では巨大な魔樹と亜人軍団と帝国騎士団の間で一触即発の状態となった。

 その為、アインズは先程までナザリックに滞在しており、王城宮殿の宿泊部屋へ少し寄った後に冒険者の宿部屋へと現れて現在に至る。

 ここ数日、評議国へ赴いたり、その途中にエンリが誘拐されたりと慌ただしく、冒険者としては多くの時間をパンドラズ・アクターとマーレに任せたきりであった。

 先程〈記憶共有(シェア・メモリー)〉で、パンドラズ・アクターからここ数日のモモンの映像や知識的記憶を纏めて貰ったところだ。ただ大きい事項は無いと聞いており、実際に受け取った記憶に違和感はない。アインズからは通話によるクレマンティーヌへの対応についての記憶が渡された。まめに交換しておかないと齟齬が大きくなるので注意が必要である。

 王城宮殿におけるアインズの影武者であるナーベラルとは、彼女のプライバシーの面を考慮して〈記憶共有(シェア・メモリー)〉をしていない。なので申し送りだけであり多少不安はあるが、基本彼女は虫扱いの外部の人間とは極力接しないのでさり気なく助かっている。幾つか欠落する人名部分については、前後の様子を伝えるとユリかソリュシャンが答えてくれるので大きな問題にはなっていない……。

 王都リ・エスティーゼ内の街の雰囲気は、王国軍の出陣が部分的に始まっており忙しい戦時色に染まった形で活気があるようにも見える。

 王国第一王子が率いる王家の軍などは、明日の午後出立とのことでそれに合わせる貴族も多く、準備の最終確認やまだ不足分についての調達など慌ただしい人の流れも見られた。

 なので通りは大勢の人達でどこも混雑気味の様子だ。

 そんな一方で、物価の上昇は竜王軍団との戦いが布告される前の3倍近くに到達している。そのため、商店や市場では喧嘩腰のやり取りも見られ、庶民らの糧を得て生きる為に必死の殺伐としたものも感じられた。

 ふと、アインズは王都内のゴウン屋敷の事を思い出す。

 

(結構大きい屋敷を3人の女の子に任せているけど、大丈夫かな)

 

 住み込みメイドとして頑張ってくれている普通の人間のリッセンバッハ三姉妹の事だ。

 王国の首都には今、色々な地域の兵や人が集まり、王国戦士長の話では都市内の至る所で治安の手が回らず、物価も上がった事などの不満も重なり凶悪な強盗もかなり増えていると言う。

 一応、某天使(ルベド)が趣味も兼ねてしっかりと連日見張っているらしいので、ゴウン屋敷内は大丈夫に思われた。

 それとあと――実は『六腕』のゼロへなにげにそれとなく頼んでいる。

 ゼロとしては、メンバーや配下をゴウン氏の屋敷へまで殴り込みで差し向けたという借りもあり、「気を付けさせる」との答えをもらっていた。ただアインズとしては、別にどうしろとまで細かくは告げていないが。

 まあ、ずっと某天使(ルベド)からの不満は来ていないので、特に今は問題ないのだろう。

 歩く中、時折モモンの顔を見上げて来るマーベロが、()()()()()()()()()抽象的な言葉を選び聞いて来る。

 

「あ、あの、モモンさん。今日の朝(お姉ちゃん)は……どうでした?」

 

 尋ねてきたのは、勿論、帝国内の闘いにおける姉アウラの働きぶりである。指揮官として出撃して「褒められた」と嬉しそうにどんぐりのネックレス経由で連絡をもらっていたのだ。

 ただ、重要なのはモモンガ様のお考えとして、姉の働きはどうなのかが心配での質問である。

 アインズも、マーレの気にしている部分を理解している。

 

「ああ、うん。(アウラは)とても良い働きだったと思うよ。満足してる」

「そ、そうですか。良かったですっ」

 

 マーベロはホッとし、同時にパッと花咲く風で自分の事みたく、とても嬉しそうにおかっぱで金色の前髪を揺らし可愛く微笑む。

 姉に失態あれば、絶対に自分が取り戻すというぐらいの姉妹仲の良さを、アインズは改めて微笑ましく感じた。

 そんな温かくほのぼのとした空気の中、近くでその会話を聞く者がいた。

 ――クレマンティーヌである。

 彼女は、一度秘密支部へ顔を出したのだが、標的である肝心の副支部長は午前中、王都南側へ急用と言う話らしく不在であった。支部員曰く、昨夜突然女連れで話を聞かされたとかで、女騎士は呆れて事務所から出て来たのだ。恐らく奴はまだその女のところだろうと……。

 クレマンティーヌは、当然気配を消して太り気味の支部員の追跡も振り切っていた。そして、ひと目街角から移動中のモモンの歩く姿をみようかなと、教えてもらっている王都冒険者組合への経路でこっそり待ち構えていたのである。

 そして、不意を打たれないマーベロにより、女騎士は得意の特殊能力(スキル)でシッカリと聞いてしまった……。

 

(朝に……良い働き……で、満足って……)

 

 ちょっとショックであった。

 羨ましい行為を想像し少し頬を染めるクレマンティーヌは、十分分かってはいる。明らかに女として格上なのは自分なのだと。そしてマーベロはモモンの単なる下僕的存在なのだと。

 たまには『マーベロ』を、という日もあると。

 でも、でもである。

 よく考えると確か、昨晩の木彫りの『小さな彫刻像』での通話にて、「今、下着姿」や「下着の色分かる?」に「胸の形見てみたい?」など話の合間へ相当挑発した内容を語ったのを思い出す。

 

(ああっ、モモンちゃん逞しい。やっぱり、私とのエッチを我慢出来なかったに決まってる……)

 

 自分への激しく熱い欲望の猛りが、朝のマーベロの身体に向けられたはずなのだと。

 クレマンティーヌは俯き姿で街角の影へポツンと、通りへ背を向ける形で立ち尽くし、石畳の道をモモン達が過ぎていく中も顔をあげることはなかった。

 彼女が考えているのは、なぜ――昨晩のモモンのベッドの中に自分がいなかったのかと言う事。

 

(……おんどりゃあ、あの無精髭め……これも全てアイツの所為だっ)

 

 もう誰も、彼女の恋に狂った乙女心からの殺意を止められそうになかった。

 

 

 王都冒険者組合へとマーベロと共に通りを歩き近付いていたモモンは、ここで〈伝言(メッセージ)〉の着信の電子音を聞く。続いて、思いがけない者からの声が思考へと流れた。

 

「カジットだが聞こえておるかな、モモン殿。火急でお知らせしたい事が」

 

 それは秘密結社ズーラーノーンの十二高弟の一人であるカジット・デイル・バダンテール。

 先日、『死の宝珠』へと大量の負の魔力を提供された事を受け、現在、ズーラーノーン内でもモモンの所属する組織との協力関係へ比較的前向きに動こうとしている。

 同時に十二高弟の彼だが――モモンから秘術を教えてもらい、現在実行中であり個人的な協力関係も築いていた。

 ヤツは結構律儀且つ真面目な努力家である。

 ただ所属が異質であるので一応、心構えをしつつ平静を装ってモモンは対応する。

 

「はい、大丈夫です。何ですか?」

「実は――我々ズーラーノーンの盟主様が、今回の王国での竜種達との戦いで、死者を巻き込んで盛大に特別な〝儀式〟を実行されると――」

「えっ……?」

 

 恐らく王国貴族にも、ズーラーノーンの息の掛かった者がいるのだろう。

 なるほど竜達の死体も使えば、彼等にとり途方もない負の魔力が得られるのは確かだ。

 また大規模な兵力の集まる場の情報を得て、それを使いとんでもない連鎖的仕掛けを用意しているのかもしれない。

 

「モモン殿も冒険者として戦場へ出られると思い、先にお知らせしておく。注意されよ」

 

 カジットはまだモモンから提供を受けた秘術を実行していないが、恩を感じての行動に思えた。

 

「はぁ、どうも」

 

 モモンは寝耳に水であり、思わずどうしたものかと面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の首を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. フューリス男爵の苦悶

 

 

「右手が痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――」

 

 彼の右腕は既に無いが、幻想的な痛みを訴える。

 40代にもかかわらずまるで子供の様にみっともなく、貴族の当主という自己の存在だけを主張するべく口走っていた。

 寝室のベッドで横になっていたこの人物の名はフューリス男爵。

 彼は今、王都内にある男爵家が所有する小ぢんまりした屋敷に居た。

 本来、リ・エスティーゼ王国の男爵である彼は此度の竜王軍団迎撃の為、騎士3名を含む32名の兵を率いて今日にも出陣しているはずであった。

 しかし先日、王都集結に向かう途中、突然冒険者風の狼藉者に襲われ、騎士3名と兵10名が死亡しそれどころではなくなったのである。

 戦の準備を行い、荷馬車や兵を率いていた事で、戦傷者扱いとなっており闘病中の身だ。

 右腕は完全に紛失したため、傷を塞ぐところまでで治療は終わった。

 損傷など状態が悪くても右腕さえ残っていれば、王都内にある神殿の大神官が使う第4位階魔法の〈治療(ヒーリング)〉やバレアレ家の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)数本でも完治出来たろうが。

 欠損時の即時回復の場合、〈大治療(ヒール)〉でなければ無理であり、王国内に実行出来る程の者がいなかった……。

 襲撃を受けてから5日が経つも、男爵は自身がなぜヤツに襲われたのかが分からずにいた。

 

 だが――他の者に襲われる要素は山程思いつく。

 

 彼は領主になる前の跡継ぎの青年時代から、罪もない領民へ対し殺人も含めて数限りない悪事を行なってきていた。命じるなど直接でないものや人知れず闇で処分した数も含めれば、死んだ人間の数は100名を下らないだろう。

 それでも、領主の家族、そして領主という立場から罪を問われる事は一度たりとなかった。

 だから『領内では思うがまま何をしてもいい』――それが当たり前の考えなのである。

 王国貴族のここ200年の立場(ステータス)といえる。

 彼としては、これでも随分欲望を抑えたつもりでいるぐらいなのだ。

 第一、傘下に一応高利貸しも行う『フューリス商会』を持つが、フューリス家は特段金回りが良い訳では無かった。

 恐ろしくも、数年に1軒の割合で趣味と実益を兼ねて目を付けた娘も居る領地内の商人を騙し、財産を巻き上げて高価な買い物をした赤字分を埋め凌いできたぐらいである。本来、もっとお金を使い贅沢し、多くのいい女を侍らせ楽しんで過ごしたかったのだ。

 またここ15年程は悪名が酷くなり、商人を始めとして領内の人口が緩やかに減り続けていた。他の多くの貴族達も自領内で、少なからず驕傲(きょうごう)で欲深く振る舞っており、他所へ移ってもよそ者は冷たくされる場合も多いので、移住するという選択は余程のことである。

 それでも出ていく者が後を絶たないぐらい、フューリス男爵領は不人気であったのだ。

 人口や商人の減少は当然、男爵家への税収へ跳ね返って来ている。なので数年に1軒で財産を巻き上げられる商人達の年数の間隔が、徐々に短くなってきていた……。

 もちろん、男爵曰く「商人はまだまだ居る」と殆ど気にしていない傲慢ぶりだ。

 そんな彼を襲った今回の不幸。でも。

 

「ええい……どうして、私だけが酷い目に―――オカシイではないかっ!」

 

 男爵は「痛い」という連呼を突然やめると、己の右腕が無い事も含め不公平さを呪う。

 王国の貴族達とは過去など直ぐ棚に上げてしまう、こういった業の深い生き物なのである。

 主人の荒ぶる声に室内で控える小間使いはビクリと怯える。

 本当にろくでもない主人であるが、彼女も長年逃げることは出来ない。なぜなら、父や祖父の代々がフューリス男爵家の執事の一人であるからだ。

 幸い、男爵も身内に近い執事の家族までは手に掛けなかった。

 この狂った男の対象は、あくまでも下々と見ている領民達である。

 不意に寝室の扉が静かに開くと、執事風の口許に整えられた髭を生やした男が入って来た。

 

「旦那様、気分転換にお飲み物でもいかがでしょうか?」

「んぁー……なら、いつものものを貰おうか」

 

 男爵はベッドの中で、執事風の男の顔を見ることなく告げた。

 

「はい。では、早速ご用意を」

 

 執事の男は、部屋の外にまで漏れて来た主人の声を聴いて動いていた。己の娘である小間使いへ視線を向け、顎を使って「早く行って用意してきなさい」と指示する。

 小間使いの娘は父の指示に頷くと部屋を静かに出ていった。

 外はもう昼前の時間だが、寝室の中は分厚いカーテンにより光は遮断され暗い状態であった。

 ただし、燭台の蝋燭型水晶が発する〈永続光(コンティニュアルライト)〉の明かりで、真っ暗ではない。

 男爵は負傷後にまず神殿で神官の治療を受けており、既に痛みはほぼなくなっていて動く事に支障はない水準まで回復している。

 なので、執事の男は進言してみた。

 

「気晴らしに、午後からは馬車で王都内でも回られてみては?」

 

 その問いかけに、フューリスは上半身を起こす。

 そして、何かを思いついた様にニヤリとイヤラシイ表情で微笑んだ。

 

「――王都の下民達を漁るのも悪くないかぁ」

 

 一度殺され掛けた事で下民共にはもっと酷い苦しみと恐怖を味わわせたいと、懲りない男爵は理解に苦しむ低俗で欲望的考えを平然と言い出していた……。

 (あるじ)に恵まれない者達は優秀な人材でも不幸である。

 主人の気晴らしのつもりで良かれと勧めたのだが、その思いは狂人を別の方向へと向かわせた。

 

 

 

 

 午後に入り、貴族らしく服装を整えステッキを持ったフューリスは、玄関先で待つ二頭立ての馬車へと乗り込む。内装への血の痕は拭き取られたり、塗り替えられたり、張り替えられたりして既にその名残は見付けられない。

 護衛として騎乗した雇い騎士が1名付いている。

 領地から連れて来た配下の騎士が全員討たれいない為に、急ぎ王都で雇ったのだ。難度は21程と聞く結構腕の立つ者を雇えて一安心の男爵。

 フューリスが御者へ指示を出すと、護衛を後方へ従え馬車は執事や小間使い達に見送られ屋敷を出て行く。

 間もなく石畳の通りに入ったが、昼中という時間でもあり道は雑然と混んでいた。

 しかし、貴族様の小ぶりな紋章旗の掲げられた馬車の前は自然と道が空いて行く。平民達は皆、関わり合う事を恐れていたから。

 もし、機嫌を損ね問題になるような状況になれば、その場での無礼討ちもあり得る相手である。

 王都であろうと、貴族達が特権階級なのは何も変わらない。

 商人達も中規模の商人でなければ、商会の動きも微妙である。貴族が相手であれば、商会の受ける影響や損失も馬鹿にならず、小規模な商人らは切り捨てられる事も昔から多く見かけられる。

 フューリス男爵の機嫌は、その道に湧く下々らの紋章旗に慌てる様子を見て特権感覚を得ることで、徐々に上向いていった。

 加えて庶民らの行き交う光景の、ボロを纏う者達の姿で優越感も得ていた。

 

(ふん。私は崇高なる貴族。お前達のような塵やゴミと変わらない存在とは違うのだっ)

 

 殆ど努力をすることもなく、与えられた富と地位、そして多くの欲望の中でずっと生きて来た彼の心の中には、人としてあるべき感性を余り見い出せない。

 人間は豊かな心を持つ。そして助け合い協力し苦労して目的を達成した時こそ、真の喜びが得られるものだと言う事すら、可哀想な男爵は知る機会を得ずここまで生きてきていた。

 彼の欲望の極限は『人の苦痛』である。

 今、馬車の中の彼は窓越しに街中を歩く無数の下々の者の中から最大の獲物である、『幸せそうな表情をした好みの顔の娘』を漁っていた……。

 ふと一人のギリギリ基準に合う目鼻立ちの整った女の顔が目に入る。だが、その者の幾分まともな衣服にあった紋章が見えた。

 

「くっ、王都近郊のデストラード男爵家のゆかりの者か……。仕方ない次だ」

 

 貴族の使用人やその家族などは、紋章が入った服を着る者も多い。彼等は特権階級ではないが、貴族達は家へと連なる者が手酷い事案に(さら)された場合、家名を侮られたと取る事も多かったのである。

 なので無用の問題事を結構避ける事が出来た。

 だが、それを利用し全く関係のない者が騙って紋章を付けたりすることは殆どない。なぜなら見つかった場合に公開処刑を含みトンデモナイ事になるのは常識であり、多数の前例と長い歴史が示していた。

 また、上流階層の互いの常識として他家の者への手出しは、断りを入れるのが決まりでもある。

 破れば両家での抗争や最悪の進展では貴族裁判にも持ち込まれ、かなり面倒で厄介なのだ。

 フューリス男爵自身、貴族としてのプライドはそれなりに髙い事から、他家の者へ『難癖』を付けることは諦め、次の標的を探し始める。

 気晴らしに路上の男達を詰問し二、三人いたぶってもいいのだが、彼は結構な拘り派でもあり標的は厳選する方であった。

 気が付けば小一時間程、馬車で王都内を走らせていたが、収穫は今一つ。それなりの顔の女は数名いたのだが、髪の色や、身長、体形、年齢などで満足出来ず、今日はもう適当でいいかと思い始めた頃である。

 石畳の道前方の歩道を歩く下々の中へ、程よい身長と肩程で揃えた美しい黒赤毛髪に、籠を持つ身形の整った黒紅色の小間使い的姿の者を認める。

 馬車の追い抜き様に、横顔とそして正面からの心配事のなさそうに穏やかで且つ、鼻筋の通った綺麗な顔を見た瞬間、男爵はいやらしく笑う。

 

「おおっ、ふふふ。(ようや)く、たっぷりと楽しめそうな娘を見つけたわ」

 

 黒赤毛髪の娘も横を過ぎたのが、旗から貴族の馬車だと一瞬で気付くと彼女の表情は固まった。

 次にそのイヤな馬車が、なぜか急に止まってしまう。そして、側面の扉が「急げ」と主人に急かされた御者により開けられる。

 中からは一目で貴族と分かる中肉中背の姿をした人物が降りて来た。

 よく見れば、立派な貴族衣装の右袖が中身なくプラプラしている。彼には右腕が無い様子。

 でも今はそんな事などどうでもいいと、馬車周囲の者達は一斉に恐れる形で離れていく。

 当然黒紅色のメイド服の娘も。

 ところが、道に降りた貴族から即、鋭い声が掛かってしまう。

 

「おい。そこの黒赤毛髪で使用人風の娘、止まれ」

「――っ!?」

 

 周囲に黒赤毛髪は彼女しか居なかった。貴族からの声を受け、少女は立ち止まらざるを得ない。

 ――リッセンバッハ三姉妹の長女メイベラは、血の気の失せた顔で声の方へと振り向いた。

 

 

 

 

 昨日も王都内南東部の閑静な街中に建つ、約50メートル四方の敷地を持ち中々に立派なゴウン屋敷では、戦時下の中も平和な夏の朝を迎えていた。

 ここには、もう近場の市場でも元気で美人と噂になり始めたリッセンバッハ三姉妹が、先日から住み込みの小間使いとして働いている。

 彼女達は元々反国王派六大貴族のリットン伯爵系の手配で両親の借金の(かた)として隷属的に“生涯傍へお仕えするよう”と連れて来られていた。ただ彼女達自身は、六大貴族経由で今の状況があることは知らない。あくまでも、以前住んでいた街の領主傘下である『フューリス商会』からの配置であると思っている。

 そんな三姉妹達であるが、屋敷のご主人様であるゴウン氏により、使用人としては異例の厚遇を受ける状況であった。

 なぜなら屋敷管理を仲良し姉妹だけで任された上に、破格の大金である60枚近くの金貨を預けられており、更に両親への救援対処までも口にしてくれていたのだ。

 長年仕えている使用人への温情というのなら理解も出来る。だが、彼女達はまだ殆ど見ず知らずの下賤な隷属的下女で他人なのである。

 このような大恩を受けた形の彼女達は、だからこそせめてもと任された屋敷の管理に今朝も全力で励むのである。

 午前5時、寝起きの良い長女のメイベラが今日も一番に目を覚ます。

 ご主人様が屋敷を出て王城の宮殿へ行かれて7日目の朝。

 目覚めてすぐ、ふと敬愛する方の事を考えるメイベラであった。

 

(ご主人様、今日はお屋敷へお帰りになるかしら……)

 

 彼女は、国王ランポッサIII世陛下から招かれる程の王国への英雄的貢献者に加え、立派な仁徳のご主人様のあの威厳ある声が聞きたかった。あのお声で名を呼んで頂けないかと……。

 

 さて、次女のマーリンと三女キャロルと共にメイベラ達三姉妹は、屋敷へ来て以来、一階の使用人部屋にある三段ベッドで連日仲良く休んでいる。特に元気で寝相の少し悪い三女キャロルが一番下で、最も寝相の良いマーリンが一番上で寝ている構図だ。

 三段ベッドの中段から身を起したメイベラは、まず上段で寝ているマーリンを起こす。

 次女は朝の寝起きが少し悪いのだ。

 

「はいはい、マーリン、朝よ。早く起きなさい」

 

 夏場でもあり、次女は下着姿にお腹への薄い掛け布をして寝ていた。

 姉の声にも瞼を開くことなく、桃尻を隠すことなく可愛くもぞもぞと背を向ける。

 

「んー。メイベラ姉さん……もうちょっと」

 

 そんな寝起きの悪い妹には、最近特効薬があるのだ。長女は、ほくそ笑みながら告げる。

 

「そんなお尻丸出しのだらしない姿を、ご主人様がご覧になったらガッカリされるから」

「え……ぇっ、ご主人様……!?」

 

 『ご主人様』というキーワードにマーリンの瞼は開かれた。頬を薄く赤くして彼女は思わず起き上がる。

 

「はい、早く着替えて顔を洗ってね」

「……はぁぁい、姉さん」

 

 メイベラは、下着の上に薄いワンピース風の寝間着の姿で梯子を下りる。

 一番下で寝ているやはり下着姿のキャロルは、姉マーリンを起こす声を聞いて、同じキーワードに反応して飛び起きたところだ。目を擦りながら、慌てたように語る。

 

「あぁぁ、着替えてないよ……まだ」

「はいはい。大丈夫、まだご主人様はいらっしゃってないから、でももう朝だから早く着替えなさい、仕事よ」

「は~い」

 

 5時20分頃には三姉妹各自とも寝床を整え直して、顔を洗い身支度を整えシャキッとした立派なゴウン屋敷の黒紅色のメイド服姿になっていた。次女のマーリンは、いつもの腰程まで一本の三つ編み髪で黒縁の丸眼鏡姿となり、キャロルは長い髪を丁寧に編んだツインテールを揺らす。仲良くマーリンがキャロルの髪を、キャロルがマーリンの髪を毎日編み上げている。

 メイベラも長めの髪を綺麗に梳いて艶やかにしていた。

 三名とも、いつご主人様が屋敷へ戻られても恥ずかしくないようにと念入りにだ。

 そこから屋敷での毎日のお仕事が始まる。

 今日の担当は、1階がメイベラ、2階と3階がキャロル、門回りと厩舎と倉庫がマーリン。あと洗濯と水回りをキャロルが、残り2名は庭掃除にあたり日々ローテーションする形。

 ゴウン屋敷メイド長代行のメイベラは、全員が一通り出来る態勢を作っていた。

 朝食は7時半である。

 料理についても、パンが作れるメイベラとマーリンはユリの残してくれたレシピを参考に腕を磨きつつある。食事には気を付けよとも、ご主人様から言われており精を出していた。キャロルは倉庫からの材料調達を始め、皿洗いや配膳面など補佐的な作業についての効率と手際を探求する。

 そこから午前中は各自の担当分の掃除を行う。

 正午より昼食休憩を挟み昼からは買い出しや、水回りに庭掃除といった形で、午後3時のお茶の時間を挟み夕方前には日々の作業を終わる。

 そこから夕食の準備となり日が沈む頃には片付けを終え、夜は概ね自由時間となる。

 ご主人様の出してくれた水晶で〈永続光(コンティニュアルライト)〉を放つランプ型の明かりが何台かあり、蠟燭の使用は随分抑えられていた。

 自由時間だが、まず姉妹の団欒。一階には使用人用ながら暖炉付きの部屋があり、冬場を見越してそこを3人で使っている。2階、3階の立派な部屋は、ご主人様方のお部屋であり分を弁えていた。

 その後に個人の時間となる。毎日ではないがこの時間に入浴もあり。

 メイベラは繕いや本を読む一方で、真面目に屋敷や明日すべき予定などを考え、マーリンは新しい料理やお菓子を思考しキャロルは主に読書である。

 そうして夜が更ける頃。

 

「はいはい、みんなもう寝る時間よ」

「あ、はい、メイベラ姉さん」

「はーい、メイベラお姉ちゃん」

 

 長女の呼びかけで、別室の三段ベッドへと向かい姉妹達の「おやすみ」と長閑(のどか)な声が流れる。

 遅くとも午後10時には仲良く就寝した。

 

 新たな陽が昇り、本日も長女メイベラは5時に起き、午前中の仕事を熟したあと予定として昼から入荷すると聞いた魚を手に入れる為、銅貨10枚と銀貨1枚を手に午後から市場へと向かうべくゴウン屋敷を後にしていた。

 買物については、長女メイベラがメインで、日によってマーリンを連れて行ったり、キャロルであったりと徐々に外の雰囲気に妹達を慣らしている感じだ。

 今日は一人であった事だけが幸いと――街中で貴族に呼び止められたメイベラは思った。

 

 

 

 

 

「はい、貴族様。あの何でしょうか……?」

 

 メイベラは、機嫌を損ねないようにと平静を装いつつ尋ねる。

 一方、フューリス男爵は振り向いた娘の顔を改めてみると、どこかで見たような気がした。

 それは男爵が領地内の街で、潰す商人を選ぶ際にリッセンバッハ三姉妹をその目でこっそりと確認しているので当然だ。

 しかしフューリスは――今の目の前に立つ娘の方が綺麗で魅力的に感じていた。

 それは彼女が、今住むお屋敷のご主人様へと淡い恋をしているからかもしれないけれど。

 ただその娘を結局、男爵は以前に反国王派の六大貴族と縁が出来る方を選択し手放したのだが。

 服装まで違う事もあり、目の前の使用人風の娘が商人のリッセンバッハ家の者とは気付かずに告げる。

 

「おい、平民の娘。先程、馬車の中の私の顔を見て、無礼に睨んだな?」

 

 無論、そういった事実はなく凄まじい難癖で言いがかりである。

 特権階級の貴族様からの、逃れようがない非常に危険な雰囲気が辺りへ立ち込め、周りには人が一気に居なくなっていく。

 

(あぁぁ、……これから私はどうなるの)

 

 メイベラは窮していた。しかし、自分の行動と反した事を認める訳にはいかなかった。

 

「……いえ、私は馬車の窓へ目を向けていません」

「ええい。平民の分際で、男爵の私の言葉を否定するのか。――お前には家族もいるのだろう?」

 

 男爵お得意の身内を巻き込んだ脅迫である。汚過ぎる手だが、これが実に良く効くのである。

 

「うっ……(そんな、マーリンやキャロル……ああ、ご主人様……)」

 

 返事に困った表情と姿をみて、男爵の次の答えは決まっていた。

 

「認めるならば、さぁ黙って私と馬車へ乗るのだ。そうすれば、お前の家族は見逃してやろう。ふふふ、お前には我が屋敷で――私が直々にたっぷりと快楽と苦しみの罰をくれてやろう。くけけけけ」

 

 思考が完全に狂い始めた男爵からは、最後に下卑た笑いが漏れていた。

 彼の余りの(おぞ)ましさに加え、メイベラは気付いてしまった。馬車に掲げられた貴族旗の紋章に見覚えがある事に。

 流石に子供の時から見慣れているものは忘れない。それは紛れもなく『フューリス男爵家』の紋章であった……。

 夏にも拘わらずメイベラは腕に鳥肌が立っていく。

 

(あぁぁぁ……もしかすると、この最低の男に激しく無残に犯され殺されていくのが私の運命なの? 私は呪われているのかしら――)

 

 最高に憎い仇の貴族に、二度までも捕まってしまいリッセンバッハ家の長女は、そんな自分に絶望すら感じていた。

 

 

 

 

 ゴウン屋敷から籠を持った可憐な使用人の娘が一人出てくると、どうやら市場の方へと向かう姿を少し離れた場所から見守る者達が居た。

 

「おい、出て来たぞ」

「やっぱり、何度見ても随分と美人の娘さんですねぇ」

「バカ。手を出せば、その首ボスに折られるぞ」

「分かってますって」

「いくぞ」

「へーい」

 

 そんな会話を交わすと、2人の男が娘の後ろを付け始めた。

 彼等は地下犯罪組織『八本指』の警備部門の警備班のメンバー。難度で言えば36程度という腕利き組の者らである。

 警備部門長から直々にメンバー6名が「ゴウンさんの屋敷の者達が、下らない問題に遭わないようにそっと見ておけ」と通達されていた。ゴウンという謎の人物が『八本指』にどう関係があるのか詳しく聞かされていないが、これはボスからの命令である。

 間もなく、混雑する石畳の通りへと出る。

 厳しさの増すご時世の中、ゴウン屋敷の者達は3名いずれも立派なお揃いの小間使いの制服を着ており、庶民の汚れてよれた服装の中で良く目立ち追跡はいつも楽チンであった。

 娘は笑顔も良く、しっかりして気立てのいい事が良く分かり、知り合いなのか買物中も良く声も掛けられていた。

 娘を付けている若い方の警備員が呟く。

 

「ああいう子を嫁に欲しいですねー」

「ウチはもう間に合ってるがな」

「あー、そういえば先輩とこのお子さん元気ですか? 男の子でしたよね」

「ふふ、凄くワンパクで困ってるよ」

 

 そう語る彼の顔は、闘う時に見せる殺気に満ちたモノとは全く違う優しい父親の表情であった。

 地下犯罪組織でも、ごく普通の民衆と変わらないものも持っている。

 和む話の際中であったが、一台の馬車が止まった所から、事態は突如急変した。

 

「先輩っ!?」

「ああ」

 

 会話するもほぼずっと娘を見ていた2人であるが、馬車を降りてきた貴族は娘に対して『事実に無い』言い掛かりを仕掛けている事はすぐに分かった。

 なぜなら……『八本指』の奴隷売買部門でも売春婦を探す時に使う手でもあるからだ……。

 2人は逃げ出した周りの民衆に紛れ脇道へと下がる。

 この場合、相手がチンピラなら、単に二人で叩きのめせばいい。だがこれが正式な貴族となれば本来、警備班メンバーでは手が出せない相手であった。

 

「ど、どうします?」

「チッ。おい、急いでここから一番近くに居るはずのあの方を呼べ」

「えっ? ……わ、分かりました」

 

 若い警備員は大急ぎの全力で脇道の奥へと駆けだしていく。

 相手の貴族旗の紋章をみると王都西方の悪名を聞く『フューリス男爵家』のようであったが、2人は警備部門長から「何かあれば俺の名前を出せ」とまで直接指示されていた。これは『六腕』の名を出してでも対処しろと言う事であり、前代未聞の規模の問題になる可能性も孕む。

 だが、地下犯罪組織『八本指』の者達の気性は荒い。

 はいそうですかという流れに逆らいたい者も多いのだ。

 

「……面白くなってきたな」

 

 警備員の男は少しワクワクして来た。

 ただ、目の前の展開は貴族の思惑通りに進もうとしていた。

 可憐な黒赤毛髪の娘は、自分の過酷な今晩からの激しい運命を思いモタモタしていた、が。

 

「仮に母や姉妹がいれば、お前よりも長く酷い快楽と地獄を味わうのだろうなぁ。可哀想に」

 

 その言葉で小間使いは遂に観念したように「分かりました」と告げ、貴族の後に続き馬車へと乗り込んでいく。

 どう考えても、娘の身が碌な目には合わないだろう展開――。

 

「おいおい、あの方はまだか。間に合わないぞ」

 

 そして御者により、無情にも馬車の扉が閉じられた。

 御者が御者席へと座ると手綱を操り、馬車は動き出していった。

 

「や、ヤバい。このままじゃ俺は、ボスに殺されるかもしれん。くそっ」

 

 警備員は『もう自分が止めるしかない』と石畳の通りへ駆け出していた。

 ところが通りへ出て数歩駆けたところで、先を走る馬車が馬のいななきと共に急停車したのだ。

 

 警備員の彼が目を凝らすと、馬車の前方には――貴族姿の男が立っていた。

 

 貴族の馬車が止まったのはその為である。

 平民なら轢き殺しても最悪の罪状ですら銀貨数枚という安い罰金程度にしかならないが、貴族の場合は膨大な見舞金となるのだ。

 だから流石にフューリス男爵も御者からの報告に停車していた。

 フューリス男爵が馬車の窓から問う。

 

「急ぎなので、馬車内の高い所から失礼する。私はフューリス男爵。お初にお目に掛かるが、どちらの家の方かな?」

 

 すると見慣れない貴族風の男が自信を持って答えた。

 

「俺……私は――『八本指』警備部門『六腕』のサキュロントと申します。男爵様、今馬車内にお連れの娘につき、話は私が聞かせてもらいましょうか」

「な……に?」

 

 男爵はこれでも阿漕な『フューリス商会』を持っており、凶悪で資金力と戦力を持つと聞く地下犯罪組織『八本指』の噂を確かに耳にしてはいた。

 だが、たかが下賤の地下犯罪組織。それらがいかほどのモノかを実際に見たことは無かった。

 これからお楽しみの玩具を得て、(たが)が少し外れていたのか、男爵は思わず言い放つ。

 

「私は、王国の男爵なるぞ。『八本指』か何か知らないが、貴様無礼であろう。我が騎士よ、無礼者を追っ払えっ」

 

 馬車の後方へ顔を向けてそう告げた。

 それを聞いた長い槍を天に向けている男爵の雇い騎士は、銀の面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の目のスリット部分を上げて、顔を見せる。

 

 そして――『イヤだ』と首を横に振った……。

 

 王都内に長年住む雇われの騎士は『八本指』などと関わり合いになりたくなかったのだ。

 彼は騎士として、連中の恐ろしさを知り合いからも随分と聞いている。王国内の悪事の『全て』をし尽している連中であると。

 それと戦う奴は正に大バカ者である。

 雇い騎士の態度に威勢の良かった男爵は固まった。だが、引っ込みがつかず叫ぶ。

 

「報酬に金貨10枚出そう、どうだ?」

「男爵様、これは金貨とかの問題ではありませんぞ。金貨10枚で命は到底買えませんからな。『八本指』と戦うという事は、六大貴族と戦うものだとぐらいにお考えください。それと、もう少し世間の風を知られた方がよろしいですぞ」

 

 騎士はもう首だと分かっている事もあり、今の娘の件も含めて言いたい放題で伝えていた。

 

「なっ……」

 

 六大貴族などと冗談じゃない……それがフューリス男爵の感想である。

 六大貴族達は資金並びに格式は勿論、私兵も一家の単独だけで万を超える。数百名の騎士団も有し、男爵とは全ての水準が天と地ほどの差があるのだ。

 それと『八本指』が比類するという。

 男爵は恐る恐るゆっくりと前方を向く。

 そこには、貴族風の男ではなく、フードを被った戦士風の男が立っていた。

 魔力系魔法詠唱者 幻術師(イリュージョナリスト)軽戦士(フェンサー)であるサキュロントは幻術を解いたのだ。

 彼は落ち着いた風で静かに告げる。

 

「男爵様、先程の言葉は忘れましょう。但し――馬車の中の娘は下ろしていってもらえますかね? 悪い事はいいませんから」

 

 男爵は無言のまま、馬車の中で貴族のプライドを折られた心から左手を震わせていた……。

 

 

(なぜだ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故だーーー、私だけが何故こんな惨めな目にぃぃぃ)

 

 

 間もなくフューリス男爵の馬車は、騎士の馬を取り上げて先頭へ連結して連れ、雇い騎士を残して去って行った。

 そして、可憐な使用人の娘は狂った貴族から無事に開放されていた。

 それもこのまま帰ってもいいという。雇い騎士も見逃してもらい、手を振り笑顔で足早に場を離れていく。

 普通に考えて、貴族を追っ払った男は犯罪組織の人間であり、てっきり貴族から地下犯罪組織へ娘が一人横流しされると思っていた。

 

 彼女――メイベラは礼を伝えると最大の疑問を問う。

 

 

「本当に、ありがとうございました。 あの……その――どうして私を?」

 

 地下犯罪組織『八本指』の名は、商人の娘であるメイベラも両親から、若い娘の〝人攫い〟の噂で聞いたことぐらいはある……。

 人道的な話は聞いたことが無かったからの疑問。

 すると、サキュロントが静かに答えた。

 

 

「それは――屋敷のご主人へ尋ねるのがいいでしょう。じゃあ、俺はこの辺で」

 

 

「……えっ?(ま、まさか、ご主人様が……)」

 

 意外な相手から聞くご主人様の助けに、一瞬複雑に感じるも『正義』は我がご主人様にありと考えて納得する。王国内の貴族達は腐り、地下犯罪組織も大手を振って跋扈している時代なのだ。

 

(私達は敬愛する偉大なご主人様に付いてゆき、ただ信じればいいのよ。私達の正義はきっと――そこにあるから)

 

 彼女は直ぐにそう強く思う事にした。

 サキュロントは、ボスとあの強大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の事を恐れ、それ以上何も語る事も色目を使う事もなく、そのまま脇道へと姿を消して行った。

 警備班メンバーの2人は通りの影から問題解決にホッとし、可憐な使用人の娘の護衛へと戻る。

 

 ゴウン屋敷ではその夕方、無事予定通りに市場で買った魚料理がリッセンバッハ三姉妹の長女メイベラの手により妹達へ振る舞われたという。

 

 

 




捏造)霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)達が雨が降ると周辺の溜まった水を氷へと変える習慣
夏場の暑いのが苦手でその対策という感じです。



補足)アルシェは処罰案として何を言われたか
エンリから
本題「帝国の不誠実に対する捕虜アルシェ・フルトさんへの処遇について」
概要「表向き、苦行による死罪としますが、将軍預かりとします」
軍師から
補足事項「我々の軍団は皆、貴方にとても感謝しています。ご安心ください」



補足・考察)帝国での〈伝言〉の使用について
書籍版9-033に帝国において〈伝言(メッセージ)〉が伝令で使用されている記述あり。
フールーダは有用性と魔法への探求心もあって積極的に使っていると判断しました。



補足・考察・捏造)世界級アイテム『山河社稷図』
書籍版11-402 取り込んだ者のサイズへの記述はなし。
本作では、脱出方法について体が大きくても出口空間が広がる等、体格による有利不利は小さい形に調整されるとします。



補足)フールーダの移送
魔樹を指輪へ封印後、アウラが〈伝言〉でアインズへ通知し『山河社稷図』を終了。
濃霧に紛れて開かれた〈転移門〉からナザリックへ帰還。



補足)「スバラシイ!」
ページ内検索すると…。








朗報?)ルベド歓喜ネタ
今更ながら書籍10巻末、ニンブルの設定に姉・妹を発見…(笑)
12巻のレメディオス、ケラルトのカストディオ姉妹といい、
オーバーロードは絶対に姉妹が多いと思いますね。

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