オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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注)一部残虐的な表現や衝撃的場面があります
補)後書きに時系列あり
備)当初6200行 14万3千字あった為、前話のSTAGE46.と分割し1週後に7千字拡大版での公開
  元々このSTAGE47.のサブタイトルを予定していました

補)登場人物紹介
ゼザリオルグ…………………評議国の竜王。500年ぶりに復活の若き竜王少女(STAGE36.参)
『ナニカ』……………………竜王は色々と勘違いしてるが完全に姉妹同好会会員天使(ルベド)
『なにか』……………………元々ユリに付けていたハンゾウ。御方の命令で影から蒼薔薇支援中


STAGE47. 支配者失望する/一方的ナ戦いノ果てニ(21)

 

 王国史名『北西部穀倉地帯の戦い』は更に一夜明け、7日目の早朝を迎える。

 

 昨夜、竜軍団宿営地へ本国のアーグランド評議国からサテュロス――ヤギの脚を持つが、バフォルクと異なり顔と上半身は人に近い体毛の少なめな角の生えた種族――の雄が先触れで現れた。

 突如2日後に監察的使者が来るという話を受け、竜王らは急遽長い臨時の対策会議を開いた。現在、この軍団は本国の中央評議会より『一度でも苦戦すれば撤退』という厳しい条件で戦争を継続しており、人間側の遅滞戦が続き膠着感のあるのこの戦場から出ての新戦果が必要との結論とその早期対応が決定される。

 こんな本国関連の嫌なシガラミも加わった後のこと。

 一つの残念な報告が、朝の竜王出撃前の休息中に飛び込んで来た。

 宿営地内で恐ろしく厳つい表情の煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグ=カーマイダリスが、内容を聞き怒りから思わず吠える。

 

「なにぃ、例の老いた人間ともう一匹を途中で見失って逃げられただとぉーっ?!」

 

 昨日夕方前、竜王の行動時に度々邪魔をした脅威『ナニカ』と(おぼ)しき存在を監視部隊が見つけたのだ。竜王はそれを直ちに追跡させていた。

 だが、そんな『謎の強敵』への大きな糸口を一夜の間にいきなり失った形。

 

「しっかり2頭付けてただろうがっ?(評議会のクソ議員の使いが来るって、新たな難題が湧きやがったのに)」

「はっ、申し訳ございません。本日未明頃、東の戦域内で突然姿が消えたとの事」

 

 監視情報の伝令役であった竜兵が恐縮しつつ、長い首と頭を地へ擦り付けていた。

 監視部隊の2頭を先の人間へと貼り付けていたが、戦域内で唐突な体のダルさも発症し、半日持たず早々に撒かれてしまったという。

 加えて、リグリットは十三英雄らしく意外に用心深い。高度を随分と上げていた竜兵だが、彼女は付けてきている視線に途中で気が付き、ガガーランも常時屈折化のローブを持っているという話からリグリット自身も〈屈折(リフレクター)〉の魔法を発動。混乱した戦闘戦域内を抜けながら追跡を見事に振り切って見せた。尚、彼女の配下の動死体(ゾンビ)達2体は某所で暗躍中である。

 竜王も『ナニカ』が只者では無い事は良く分かっている。故にそれ以上、配下へ当たる事はしなかった。

 

「もうよいっ。……おのれぇ、〝ナニカ〟め。次に見つけた時は絶対に俺がぶっ殺すっ」

 

 平地に露天となってる竜王の『寛ぎの間』へと、ゼザリオルグが放つ無念の咆哮が轟いていた。

 カウラウ婆さんの危機回避能力は半端ではない。波乱の英雄譚も数多(あまた)持つ十三英雄の中で、今まで伊達に生き残っていない事を示すものであった。

 

 一方で、リグリットの祖国である王国軍側の死傷者数は連日、数を増やしてゆき、前日の15万の大台も容易く上回り、一気に16万人超えで異常事態を更新していた。

 開戦以降、全国各地からの増援兵3万8千を加え総兵力は延べ23万8千人まで達したが、まだ元気に戦える者は遂に3分の1程度へまで減少している。

 負傷兵も戦場の遠く外まで運び出される者は極一部で、動けない者の殆どが戦場の中へ放置に近い状態で蠢いていた……正に地獄である。

 

 

 南東の戦線で戦い続けていたニニャ達『漆黒の剣』の周辺も死が蔓延中だ。

 土塁防壁による奇跡の(シルバー)級冒険者チーム6組編成の部隊であったが、実質的に反撃の手が僅かな彼等は竜兵達から削られるばかりでいた。

 日々一人、また一人と殺されていき、今まだチーム全員が残っているは『漆黒の剣』の4人だけで、他は残った者で臨時の2チームを作っている状態。人数的には半分以下である。

 ニニャの傍に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が付くものの、ついでに『漆黒の剣』を守っているだけで、それ以外は対象外。

 実際、他の(シルバー)級冒険者チームが土塁防壁ごと竜に踏みつぶされた場面が何回も見られた。ミステリーはシビアに限定事象なのである。

 それでも『漆黒の剣』と組むチームは幸運だ。『漆黒の剣』への攻撃時には守られるのだから。

 ルクルットが土塁から顔を出し、雲が広がっている東の空を見上げる。

 

「あぁ、曇ってるけどもう朝なんだな。昨夜もヒデぇ晩だったなぁ」

「……皆さん大丈夫ですか?」

「眠いです。水浴びしたい」

「頑張るしかないのである」

 

 ペテルのくたびれた問いへ、ニニャは睡眠不足の思考により思わず本音の欲求を述べ、疲労からかダインの鼓舞の声に力がない。

 流石に連続では身体(からだ)が持たないので4日目に1度後方へ下がり、半日程休息を取ってはいた。

 しかし、戦場の中にもうそんな余裕は見られない。まるで袋小路に追い詰められた感覚が近い。

 うち捨てられた死体の山にその死臭と、怪我人の苦しみ呻く声が戦場全域を覆い尽くす。

 王国軍の将兵の数が大きく減って、冒険者達も残り少なくなっており、動く人間は竜兵からの標的として絞られ易くなっていた。

 だが、不思議な事に『漆黒の剣』の周辺は押しなべて竜兵達の周回が少なかった。

 

「……あっれー? 竜が遠くに離れていくな。時々あるけどなんでだ?」

 

 その正解を彼等が知る機会はないのだが。

 ここ数日、攻撃して来た竜兵が突如吹き飛ばされる等の直接的ミステリーはニニャらの周辺で余り起きなくなっていた。

 竜兵達が近付く前に少し離れた場所で、地上にある全身鎧の死体を不可視化中の8本ある足先に4体程突き刺し、歩く風に動かして気を引くなどミステリー側には工夫がみられる……正に支配者的な何者に知恵を与えられたが如く。

 こういった大きな力による保護でもなければ、到底(ゴールド)(シルバー)級の冒険者が無事では済まない状況が戦地に広がっていた。

 

 

 冒険者達の中位層に対して、中上位に当たるミスリル級と白金(プラチナ)級の冒険者チームにしても、厳しい現実を思い知らされる今次大戦である。

 難度75以上の竜兵と対峙した場合、結果的に殆ど攪乱や時間稼ぎしか出来ない展開をみた。

 最強種族である(ドラゴン)を相手にするには、どうやら装備や実力が不十分だったのだ。攻撃が通っても耐性と異常な体力を持つ竜兵を弱らすまで追い込めず、怪我人と犠牲者が増えていく始末。

 犠牲者の中には、大都市エ・ランテルで上位冒険者チームの三つに入り結構有名なイグヴァルジ率いる『クラルグラ』の4人もあっけなく入っていた。竜兵に突如襲われたという噂が流れたのみで、混沌とした戦場内の為なのか真相と彼等の亡骸は……永遠に見つからない。

 そして、反撃戦力の実質最上位に近いオリハルコン級冒険者達も危機的窮地を迎える。

  一応、オリハルコン級複数組での部隊は王都+小都市で2部隊と、リボウロロール+小都市、リ・ロベル+エ・レエブル、リ・ウロヴァール+リ・ブルムラシュールとモモンらの配属部隊の計6部隊がある。1部隊約十数名で、難度90程度の竜兵1頭となら渡り合え、どうにか戦闘不能には出来る水準。でも竜兵はこちらの都合で動くわけではない。

 オリハルコン級冒険者でほぼ占めるモモン達の部隊も大変過酷な戦況の中で戦い抜く。

 偽モモン(パンドラズ・アクター)は開戦2日目に、グレートソード二刀のうち一振りを十竜長斬りで強引に折った事にし、部隊リーダーのアインザックへ自身の乱用防止策について伝えている。

 

「今回、かなり無理をした感じです。残念だけどグレートソード1本では、今後、同じような水準の闘いは厳しいかな」

「そうか、モモン君……。仕方ない、今後の相手はよくよく見て考えねばな」

 

 十竜長を見事に討った()()モモンは実質、部隊最強と言え、彼の発言力は大きくなっていた。

 そのためアインザックは、それ以降の竜への攻撃判断に漆黒の戦士の言葉も重視する。

 おかげで、そこから丸5日程、概ね部隊の身の丈にあった竜兵との対戦が続き、難度87の竜兵1頭をエ・ペスペルの魔法詠唱者と剣士がトドメを刺し討ち取った他、10頭を超える竜兵と十竜長へ重傷を負わし退却させることに成功した。

 でも何度か、王国軍小隊の窮地を救うために難度120を超える竜兵へ突撃する場面があった。

 結局部隊が押され厳しくなった時には、手柄を立てすぎない様に偽モモンが急所を外す一撃を浴びせたり、マーベロが第4位階魔法の〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉を撃ち込んで窮地を凌いだ。

 正直、ナザリック勢にすれば上手く誤魔化して手加減する方が難しい。

 そんなマーベロにエ・ペスペルの魔法詠唱者達が驚いて礼を伝えて来た。

 

「凄いな、〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉か! 今回は、マーベロ殿の攻撃で助かったな、ありがとう」

「いや本当に。この若さで彼女は大した才能ですよ。第4位階魔法を使える私でも、かなり難しい魔法でまだ撃てないんだ。感謝する」

 

 もちろん、魔法狂のラケシルも興奮気味に思わず叫ぶ。

 

「マーベロ殿っ、まさか第4位階魔法まで使えるとは! それも強力な〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉だとっ、すげぇ!」

「は、はい。お役に立てて良かったです」

 

 控えめなマーベロが少し積極的に動いていた。最近何か嬉しい事があったのかもしれない。

 モモンとマーベロが活躍する彼らの部隊は、竜兵達が何故か動きの悪くなる東部の戦域で何とか全員がまだ生き残っていた。

 しかし、他の各地で難度150に近い竜兵と遭遇したオリハルコン級部隊が既に3つあり、それぞれ何人かを犠牲にする事で、逃げ延びている。

 オリハルコン級冒険者部隊でも、対峙する竜兵が難度120を超えると傷を負わし弱らせる事はかなり難しく連日苦戦を強いられた。

 今日までで、貴重なオリハルコン級冒険者の犠牲者は10名に届く。

 開戦時に3000人以上を数えた冒険者達も、既に多くが負傷や死亡し戦力は半減している。

 

 

 そんな火中の様な戦場で、栗を奪うが如き息荒く大暴れを期する者らがいた。

 ただ彼等は、リ・エスティーゼ王国の人間にあらず。バハルス帝国の冒険者とアウトローなワーカー達である。当初、その数は数百名に上った。

 皇帝ジルクニフの名で帝国内へ布告された、竜討伐の恩賞に目が眩んでやって来たのである。

 でもやはり殆どの者は、踏み込んだ各所で地獄を見る。

 目の前で味わった竜達の余りの強さに絶望し、多くの犠牲を出して引き返して行った。元から王国の地で死ぬ義理は無いと。

 残ったのは、一握りの実力者達だけである。

 

「〈縮地改〉、〈空連斬〉っ!」

 

 〈能力超向上〉なども発動させ、上空を舞う竜兵へ単身で挑む男――エルヤー・ウズルス。

 卓越した剣術は帝国でも最高水準の冴えを持ち天才と言われる腕前で、ワーカーチーム『天武』のリーダーである。チームと言いつつも実質メンバーは彼只一人のみ。

 連れて回る3人の森妖精(エルフ)達は、全員奴の奴隷である。

 その森妖精(エルフ)達のうち1名に、竜兵をおびき寄せる危険な囮をさせる。

 過酷なこの地へ来た理由の半分はこのためのもの。既に閨で抱き飽きた奴隷は数名、こうして使い潰してきた。

 彼は、決して彼女らを売り払おうとは思わない。

 最初に死んだ奴隷は、売り払おうとした時にハッキリ「ホッ」と安心しやがったからだ。

 

(人間より劣る生き物が、人間である私の手を離れて〝楽〟になれると思うとは。許しません。命を使って死ぬまで働かせてあげましょうっ)

 

 帝国では脱走防止も兼ねて、生地と共に仕立てもみすぼらしい服に最低限の装備であったが、王国内は奴隷が禁止されている為、入国に際し人並みの服と装備に変えて切り落とした耳を隠す帽子も被らせていた。無論、脱走防止に離れると首が締まる首輪を帝国内から付けさせている。特殊な魔石を5つへ砕き、それが離れたり欠損すると効果を発動する仕掛けの首輪4つと主人用腕輪セットをわざわざ購入。差別主義者(レイシスト)は金では無いのである。つまり、エルヤーや仲間の森妖精(エルフ)が消し炭になって魔石が破損しても、奴隷達は死んでしまう。鍵は帝国に置いて来ており、必死で主人を支え仲間で助け合うという訳だ。

 改めて遠いこの地へやって来たもう半分の理由は、周辺諸国最強と言われる王国戦士長(ガゼフ・ストロノーフ)に自分の強さを知らしめる為である。

 近年、王国で御前試合は開催されておらず、エルヤーはストロノーフと強さ比較の絶好の機会とみて足を運んだのだ。竜を2匹も倒せば、奴に先んじて『竜殺し』と『最強剣士』の二つ名の両方を得られるだろうと。

 

(くははっ、()の王国戦士長の記憶に私の名を深く刻みつけて差し上げましょう)

 

 とはいっても……実現は並大抵でないと彼も身をもって知ることになる。

 流石にエルヤーは愛剣や装備に金を掛けてきた。愛剣は金貨1500枚程で手に入れた掘り出し物の名品。彼の剣技を認めた大商人が、腕を見込んで南方からの業物を安く売ってくれたのだ。

 次にまず対戦する相手を選ぶ事を忘れない。竜達は2匹一組で行動する連中と、単体に近い動きをしている個体に分かれる。狙うのは当然、単独行動している竜である。

 こうして少し(すべ)と自信を持って戦地に臨んだエルヤーであった。

 ところが、開戦から6日間で20匹以上と相まみえる状況ながら、まだ1匹も倒せていない。

 難度が75前後の個体を2匹戦闘不能手前にした所までだ。十竜長らしい救援が現れて2匹で攻撃を受けては一時撤退しか手はない。

 竜鱗は斬れても、彼の剣力ですら剛筋肉の両断までは難しかった。どうしても腕力が足りない形になる。それは剣技で補うしかない。彼は鍛錬を重ねるように対戦を積む。

 その中で今、高い剣技も乗せて空を舞う難度80を超える竜兵に武技〈空連斬〉を叩きつけた。〈空斬〉を連撃し、時間差で目標へほぼ同時に重ね斬りさせる事で一点への威力を上げている。

 三光連斬よりも高度かもしれない武技である。

 

「グぉぉーっ、おのレ人間めぇぇ!」

 

 結果、竜兵の鱗と肉は切り裂かれ悲鳴を上げてるが、すぐ怒りに変わり火炎砲が返って来る。

 エルヤーは、己の強さが依然として十分通じない悔しさに苛立つ。

 

「くっ、これでもまだ威力が軽いのですかっ、化け物め」

 

 地表へ届いた火炎は、灰塗れの地面を焦がすのみ。剣士は〈縮地改〉により、軽快に火炎砲の連射を躱していく。

 エルヤー個人の強さで言えばオリハルコン級冒険者以上と思える水準。ただチームとしてはミスリル級冒険者チーム程へ下がってしまうだけ。

 1対1に持ち込めば、相当素早い彼は不覚を取りにくい。

 戦いの間、奴隷の森妖精(エルフ)達は、呼ばれれば駆け付けられる距離を保ち、戦場を移動しなければならない。そうしなければ手酷く()たれ足蹴にされるのも有り必死だ。

 彼女達は、主人への肉体能力上昇や剣の一時的な強度上昇、皮膚の硬質化に五感の鋭敏化などの強化魔法や負傷時の治癒魔法が主な役目である。

 エルヤーは数度剣技を放ち敵わないと見ると、王国軍の小隊へ(なす)り付けて離脱した。非情な手であると言える。

 彼は参戦当初、剣士らしく堂々と振舞おうとした。

 しかし、初めて倒せない(ドラゴン)という本当の怪物に当たり、綺麗事では死に掛けて箍が外れてしまった。彼の精神部分が随分幼かったのが大きい。

 

(何でもいい。最後に生き残った方が強いんですよ)

 

 一つの真理かもしれない。でも最早、ストロノーフの英雄精神には更に程遠い剣士となった。

 それでも、エルヤーは『竜殺し』と『最強剣士』の二つ名を諦めてはいない。

 ある意味逞しく、彼は戦地をまだ這いずり回り続ける。

 

 

 帝国のワーカーチームは、他にも幾つか残って参戦していた。

 甲虫風の全身鎧を付けたグリンガムが率いる『ヘビーマッシャー』もその一つ。

 彼等は、手傷を負うなるべく重傷の竜のみを相手に絞り込んで戦った。ただ、ミスリル級水準のチームであり戦果は未だゼロ。

 チーム『竜狩り』は異色の参戦方法を取っていた。

 彼等は、(ドラゴン)を警戒しつつ中々攻撃を仕掛けなかった。老リーダーのパルパトラ・オグリオンは80歳ながらも非常に優秀で慎重な男であった。

 彼の裏目的は何と火事場泥棒的な物資回収。戦場において膨大な戦死者を見越し、その残した金貨銀貨に武器や鎧の他、希少アイテム集めだ。

 死ぬ確率が高い竜を相手にするより、合間に足元を少々漁る方がずっと安全と言う理由に因る。そして地獄の戦場内を行動するので当然、危険が同居し皆が出来る訳でもない。パルパトラ達は襲われてもエルヤーではないが、周囲の王国軍へ擦り付ける実力を持っていた。

 

「ひゃひゃひゃ。笑いか止まらんな。そろそろ引き上けるかの」

 

 前歯の無い老人は、()()拾った剣や金貨の数に仲間達と笑みを浮かべた。

 金貨で2000枚分以上のお宝を持って彼等は頃合いの良い今、全員無事で帝国へと退場して行く……。

 

 一方、帝国の冒険者達では、アダマンタイト級冒険者チームの『銀糸鳥』と『漣八連』は遠征せず。彼等は、〝帝国のアダマンタイト級〟として、もしもの帝国戦時に備えている為だ。

 それは、オリハルコン級以下でもほぼ同じ流れだが、隣の王国内で決着が付いた場合に旨味が無いとして、王国へ出向いて来ているオリハルコン級冒険者チームもあった。

 ただ、1チーム単位ではどうにも出来ない可能性を持つのが最強種族(ドラゴン)と言える。

 この6日間で、帝国の冒険者達全体でやっと1頭を倒した形である。

 それも結局、オリハルコン級2チームとミスリル級冒険者3チームの合同で延べ10体程と渡り合うも、難度78の竜兵を討ち取ったのみに留まる。互いの連携も上手く運ばず、4名死亡に7名負傷と払った犠牲も小さくなかった。

 帝国の冒険者水準が王国よりも僅かに低い部分もある。2頭目を倒す戦力は、事実上残っていない。

 彼等は現在、やむなく後方へ下がるも帝国へは撤収せず、何か転機はないかと探っている。

 このように帝国からの民間遠征戦力は僅かな効果しかなく、大戦の裏側で完全に埋もれていた。

 

 

 さて、日々のこうした王国側の苦しい現場の戦力状況と被害進行をみれば、現実的に長期戦が無理なのは明白だ。もし敵が、同じ人類国家のバハルス帝国などであれば、完全撤退や条件降伏も十分有り得た損害と言える。

 しかし此度の敵対者は竜王(ドラゴンロード)(ドラゴン)の軍団。

 加えて竜王は、和平会談において『人類国家連中の全ての都市と地と国民を踏みにじって前進する』と公言し交渉を決裂させている。

 この戦争は当初から竜王軍団による人類殲滅掃討戦と表現した方が的確だろう。

 出陣した者達は故郷へ大事な家族や友人らを残してきた者達である。それは貴族も騎士も民兵も傭兵も冒険者達も変わらない。

 国王さえ出陣するこの戦地を捨てて逃げ出せば、後方へ残る愛しい者達が死ぬことになるのだ。

 飛行する竜の進撃速度を考えれば、バハルス帝国やスレイン法国まで避難する猶予はなく、もう逃げ場はない。竜達の無慈悲な戦いを経験し、全員がこれを現実なのだと強く受け止めた。

 

 故に――展開された陣が一歩も下がることはなかった。皆、全滅するまで戦う気である。

 

 それを証明するように戦死者数は実に7万へあと200に迫る数が積み上がって来ていた。

 戦場では、麦も人も装備も物資も地面までもが焼き尽くされ、その光景が朝にもかかわらず黄昏て見えている。

 視界に惨憺たる自国の情景を捉える王国軍総司令官であるレエブン候も、覚悟はしていながら余りの被害の大きさに内心のショックは相当酷い。

 

(私は地獄行きでも構わない。兵達を犠牲にし、鬼にでも悪魔にでもなる。息子、リーたんが守れて、あの子の幸せな未来が残るならそれでよい……)

 

 初日に王国軍の被害報告を聞いて以降、腹は括っており、兵を最大限有効に使いながら損害を割り切って凄まじい指揮を執り続ける。配下の元オリハルコン級冒険者達のチームと精鋭に守られ、移動しつつ戦地を駆けていた。

 既にボウロロープ侯爵亡き今、もはや権限を持ち王国全軍を十全に動かせる()()()は彼ぐらいである。

 

 未だ総数410を数える竜兵達は、その後も地上で粘り強く抵抗する人間共を容赦なく火炎砲によって焼き尽くし暴れまくった。

 王国軍兵達は命令にその命を賭け、竜軍団の攻撃の合間を縫って傷を癒し仮眠や食事を取り、隊を分け再展開して遅滞戦を演じる事を止めない。

 冒険者達も王国総軍の攻撃担当として、貴族達の兵の合間を縫って果敢に竜兵達へと攻撃を仕掛け続けた。

 でも、そんな皆が勇ましく臨む戦況は、7日目午前の時間が過ぎる中で()()()()。竜王軍団側有利の一方的流れがより加速してゆく。

 理由として、南部戦線から竜と戦う全ての者達にとって衝撃的な訃報が届いたのだ。

 

 

 ――剣豪ルイセンベルグ・アルベリオン討ち死にの報である。

 

 

 彼はアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダー。チームの6名は、本日未明に南部戦線の激戦区で難度150に迫る十竜長2匹一組の敵に遭遇。

 実は、王都強襲に失敗した竜軍団の上層部が腹いせがてら急遽、対『朱の雫』撃破用に編成した2組の一つであった。

 アルベリオンは得意の二刀流で奮戦するも、十竜長の首への攻撃が頑強な鱗により深く通らず、十竜長の放った前足の強烈な爪の攻撃を受け袈裟懸けに斬られてしまう。即死であった――。

 残った仲間達は秘蔵巻物(スクロール)の最大魔法攻撃〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉を浴びせ脱出を図ったが、火炎砲で更に一人も重傷を負った。

 アズスの〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で重傷メンバーは何とか運び出されている。

 だが、王国の冒険者達は最大の戦力の一人を失ってしまった。

 竜軍団と王国総軍の開戦後6日で『朱の雫』だけが、20頭もの竜兵を始末していたのだから。

 ただこれは、討ち取った竜兵の部位を満足に集められず未確定の虚しい記録となるのだが……。

 その偉大なアダマンタイト級冒険者チームが敗れたのである。衝撃は、冒険者だけでなく一般兵達の士気面へもかなり広がっており、影響は歴然で想像以上に甚大となる。

 

 アルベリオンの死を機に、リ・エスティーゼ王国軍側の攻撃戦力は大きく縮小した。

 

 ラキュース達『蒼の薔薇』が竜王の抑え役である以上、仕方のない事態と言える。

 一度敗れた『朱の雫』は一旦後方へ引きアズスが率いて5人で再参戦するも、魔力量不足と剣豪の不在で攻撃力を欠き、これまでの様に竜兵を狩る事は出来なかった。

 広域展開中のオリハルコン級部隊を始めとする冒険者達と、レエブン侯指揮の王国軍全戦線は士気低下と満身創痍で疲弊の極限状態へ押し込まれつつあった。

 そして――。

 嫌な流れは、南部戦線の南方にある国王とその縁戚貴族の軍勢や、ずっと拮抗が続くかに見えた竜王隊と戦う者達の場にも広がり始める。

 王都北方の穀倉地帯中央部へ広がる大森林北側周辺部へ、国王の兵1万が小隊群へ別れて配置に付いている。その部隊の少し北側へ国王縁戚貴族達が計2500程の兵を展開させていたが、竜軍団はこの地域へも侵攻して来た。

 竜王は西側への海上迂回で王都強襲に失敗した事を踏まえ、()()()()()()()()()正攻法で南を目指すよう指示し、大規模な竜兵の選抜精鋭部隊を動かしたのだ。

 多数の竜兵が、布陣する国王の兵達1万余へ襲い掛かってゆく。開戦7日目の昼前の事である。

 竜来襲の知らせは、15分程で国王ランポッサIII世の籠る地下司令所内へも伝令により届けられた。この司令所は故ボウロロープ侯爵の陣地から東へ20キロ、南へ約25キロ離れた場所にあたる。

 王国総軍の末期的死傷者数と全戦域の惨状に加え、英雄的なアダマンタイト級冒険者の戦死他、第一王子の安否不明と既に今朝の報告で、国王の内心へはかなりの寒風が吹き荒れていた。

 そこへ現れた伝令騎士が、王と貴族らの座る長机の横で跪き知らせる。

 

「陛下、ご報告いたします! 北方の陛下の師団とお身内様の軍へ竜の編隊が約40頭襲来。先程より、激しい戦闘状態に突入しました」

「なんと……遂に近くへまで来たか」

 

 恐怖の知らせに子爵が唸った。伝令騎士は現場の様子を伝える。

 

「現在、騎士団長を中心に戦線維持に努めております。ご安心を!」

 

 髭の男爵が伝令の騎士を(ねぎら)う。

 

「そうか、良く知らせた。報告大儀」

「はっ、では」

 

 沈痛に無言のランポッサIII世は、立ち去る伝令騎士の背を厳しい表情のまま静かに見送る。

 

(ご安心を……か)

 

 今日(こんにち)までの竜王軍団と王国軍主力の戦況を考えれば、1日2日持てばという状況だろう。いよいよ後がないと言えた。勿論、彼はこの国の国王としてこの場から一歩も動くつもりはない。

 国民達は伝説の竜の大軍を恐れず、守る者の為、数多の命を捨てて勇敢に戦っているのだ。

 それは国王自身も同じ気持ちである。

 

(最後となれば、この宝剣でせめて一太刀は浴びせてくれようぞ)

 

 ここで、国王の傍に居た子爵と男爵が兜を手に取りつつ、席を立つ。

 

「陛下、それでは急ぎ我らも出撃いたします」

「うむ。そち達と騎士団長らに武運を」

「ありがとうございます。では」

 

 彼等は連れて来ていた地上の小隊と共に、指揮する北側の自軍へと戻っていった。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフも、今朝からアルベリオン戦死など、急変した事態に思わず目を細める。

 

(あれ程の男まで敗れるとは。我が軍の悪い流れが連鎖している。ゴウン殿、まだなのか……?)

 

 主君ランポッサIII世陛下の座すこの総指令所へ、恐るべき竜兵達が迫り来るまで残されている時間は短いとの思いと、その時守り切れるのかと言う不安が戦士長の心へ広がってゆく。

 後がない王国の状況からガゼフは、自身の出撃が間もなくだと悟る。

 

 一方、厳しい変化は竜王隊と対峙する『蒼の薔薇』達の戦闘でも始まる。

 『イジャニーヤ』達にしてみれば無理もない話であった。

 竜王隊との、拮抗していた天秤が振れた最大の起因は単純なもの――それは疲労である。

 短い仮眠に過酷なまでの連続戦闘に加え敵からのプレッシャーが異常ときては、よく丸6日間も持ちこたえたと言えるだろう。

 それだけ『イジャニーヤ』の面子は精鋭揃いであった証明。

 1人目の犠牲以降、頭領より突撃的な行動は避ける様に指示されていた。そんな彼等に2人目の犠牲者が出たのは、疲労蓄積で極限の戦闘状態にも棚上げにしていた体の怠さと重さから。

 竜兵の1匹を相手にしていた〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を利用して攻撃していた中年のメンバーが、動きの鈍くなった隙を竜兵の翼に叩き落とされる。それをフォローしようとした若手の相棒が、火炎砲の直撃を受けて――死亡した。

 これにより一気に拮抗は崩れ去ってしまう。

 残り3名と負傷した中年のメンバーだけでは、竜兵の動きを抑えきれなくなったのだ。

 竜兵を実際に倒せる力があるのは、剣豪のチャーリー(ブレイン)ぐらいしかいないので、こうなると竜に対する人間側の(もろ)さが浮き彫りとなる。

 『イジャニーヤ』の面々が狩られ始めていった……。

 非情だが、負傷した中年のメンバーをまず見捨てるべきだったのだ。

 竜兵はそれを攻撃する形で実は上手く囮に使う事で、残り3人が空中へ無理にジャンプするしかない状況へ追い込んでみせた。

 そして、圧倒的な腕力と鋭利な前足の爪で一人を両断し、一人を強烈な尻尾の一振りで薙ぎ払いミンチにし、もう一人は火炎で焼死させた。

 だが負傷し最早地上で立ち上がれない中年メンバーは、そのまま見逃された。

 竜兵には火炎回数に余裕が無かった事情もあり、地上へは降りない様に竜王から指示を受けていたためだ。

 そのまま竜兵は、隣の隻眼の竜兵へと合流に向かう。

 これは戦争であり、味方を援護するのは当たり前の事なのだ。

 竜兵2匹が相手となり、新たに4名の『イジャニーヤ』の面々が襲われた。一斉に散開し逃げれば助かるとは想像出来る。

 しかしその後、どうなるのかは目に見えている。

 

 ――頭領達へしわ寄せが行く。

 

 それを考えると、『イジャニーヤ』の者達は最後まで勇敢に戦い続けるしかない。その間に色煙の付いた信号矢弾を上げるのが精いっぱいであった。

 この段階で、他の場の異変に老副官が気付いた。目を見開く。

 

(煙矢か! なっ、東の方で戦っていた竜が、隣に合流しているだと?! ……これはいかん)

 

 爺の額へ汗が噴き出してきた。

 既に、5名以上はやられたことになる。それが10名程になるのも時間の問題であろう。

 

(ここで我々の取る一手は――)

 

 『蒼の薔薇』とは当然、こういった緊急事態へ対し話し合っていた。

 老副官はラキュースが頭領のティラへこう告げていたのを聞いている。

 

『その時は一旦逃げてください。こちらは大丈夫です。その為の転移魔法ですから』

 

 流石はアダマンタイト級冒険者達で、気にするなとの言葉を残していた。

 故に、後はこちら側内だけの判断。

 

(やはり、ここは老い先短い私が――)

 

 チャーリーへは、『万一の時は』と事前に告げてある。憂いは無い。

 すると頭領のティラが〈闇渡り〉で爺の背後へ現れ告げる。彼の重荷を取り去る言葉を。

 

「一人で考えるな、爺よ。顔に出てる。チャーリー達には私がココで派手に〈大瀑布の術〉で仕掛けたら、竜兵2匹と戦ってるところへ不意に仕掛けて全員で散って逃げろと伝えた。爺は1匹側の連中を頼む。時間がない。〝しかし〟は無しだぞ」

 

 頭領らしい立派な即決さを見せるティラお嬢様に、老副官は感激しつつも答える。

 今は即時に動かなければならない。

 

「はい、頭領っ。了解です」

 

 爺の頷きに、ティラは瞬時に姿を消した。

 間を置かず突然に、対決し飛行する百竜長ノブナーガの真下から大量の水が吹き上がった。

 忍術〈大瀑布の術〉である。ここまで彼女が使ってこなかった術でもある。

 それは、この非常時の為にだ。

 最も広範囲に視認的インパクトがある為、目くらましとして温存していた。

 百竜長も一瞬全神経を自身へと向けざるを得ない。

 

「な、これは何だ?! 水か? まさか劇薬か?!」

 

 首と視線を吹き上がった液体に驚き右往左往させた。

 その混乱した状況に老副官とチャーリー達はこの場から速やか且つ鮮やかに散っていく。

 ただしティラだけは残る。

 

(私があと1分は稼がないと)

 

 難度60程度の者なら全力で1分走れば、1キロ以上は優に離れられるだろう。

 昼下がりを迎える時間。ティラはこの場で一人になり、呑気に腹も減ったなと僅かに視界を巡らすと、近くへ用水路が長く走っているのを確認した。脱出路は問題なさそうである。

 突発での大量の水しぶきが納まり、百竜長が気付くと目の前の人間が1体に減っていた。

 

(……何のつもりだ? あぁ、そういうことか)

 

 ノブナーガも周辺の変化へ気が付いた。

 1頭ずつ分かれていた竜兵が2頭で居る様子が見えたので、均衡が崩れ人間共が慌てたと言う事実に。

 かと言って、こちらまで慌てる必要はない。自分達竜王隊側の優位は初めから不変である。

 人間達は大した攻撃力を持っておらず、こざかしいだけの存在なのだ。

 そう思っていた。

 ところが、ノブナーガが横目で眺めていた2頭舞う竜兵の内、1頭が――地上へと落ちていく。

 

「なっ、なんだと?!」

 

 格上の百竜長の強さと動きに慣れたチャーリー(ブレイン)にすれば、竜兵は倒せない相手ではなかった。難敵との長時間の生死も含める極限的試練が彼自身のレベルをも引き上げていた。そして対峙したのは弱点を抱える隻眼の個体の方だ。

 

「―――〈神閃〉!」

 

 空中ながら、死角へのすれ違いざまに自身の奥義とも言える武技を渾身の二連続で発動する。

 襲って来た前足の指を斬り飛ばしつつ躱し、長い首元を一閃して彼は後方へ抜け出していた。

 深々と首を斬られた竜兵はそのまま羽ばたく動きも見せず、一直線で地面に激突してくたばる。

 周囲の竜達はその状況に固まった。

 その隙に、爺も全力の〈不動金縛りの術〉を竜兵へと仕掛け、5名の仲間を逃がすことに成功する。本人は〈影潜み〉でのち程撤退。

 チャーリー(ブレイン)と同行した3名が、負傷した2名を救出しながら他の2名と脱出。チャーリー自身はそのまま、最初に竜兵が勝利した場所を確認しに行き、1名の重傷の中年メンバーを救出したのち離れた。

 

「おのれぇ! ちょこまかと」

 

 ティラは動揺の続く百竜長を、仲間の居ない戦場の広さに自慢の俊足で1分超翻弄し、用水路沿いを一気に〈闇渡り〉で離脱する。地表へと盛大に吐かれた火炎砲で、僅かに火傷を負ってしまったが上出来だろう。

 結局、『イジャニーヤ』はなんとか4名死亡で最大の窮地を切り抜ける。

 しかし累計で5人を失い16人まで数を減らしてしまっていた。

 

 『イジャニーヤ』の退却を受け、『蒼の薔薇』のティアとイビルアイも、仲間の反応が消えた事へ気を取られた竜王との戦いを即止め、魔法で脱出し此度の集合地点まで移動した。

 一度に多くの犠牲を出し更に共同野営地まで戻って来た面々は、悲しみの中もラキュースとティナも交え今後の方針を話し合う。

 と、その前に頭領のティラが改めて伝える。

 

「チャーリー、ありがとう。あなたの腕がなければ、まだ何人か()られていた」

 

 竜兵を1匹減らし、あの場の強力な4頭の竜達の動揺を誘ったのだ。

 彼の働きは仲間の窮地にあってかなり大きかった。

 もう『イジャニーヤ』のメンバーで誰も、チャーリーを新参だと思う者は居ない。

 一方で先程だけで4人の仲間が死んだ。彼は今、少しも喜べる状況ではない。

 

「ただ、必死だっただけだ」

 

 チャーリー(ブレイン)は、そう小さく謙虚に答えるに留めた。

 あの時、竜兵2匹のいる場へ飛び込み、凄く冷静でいられたのは間違いなく超越した人外の吸血鬼、シャルティア・ブラッドフォールンとの対戦があったからだ。

 彼女との勝負に、生死の狭間よりも高い精神の有り方を学んだ気がしていた。

 今、酷く落ち着いてる自分に彼は驚いている。

 場の話題は暫く、チャーリーの素晴らしい戦果面で進んだ。

 彼の戦いぶりもさる事ながら、彼が竜兵を一撃で倒したからである。

 

 ――まだ、他の竜も倒せる可能性があるのではと。

 

 ついでに、竜兵が1匹減った事で21人対4頭になり、状況も戻ったのである。

 希望が残っており、少しだけ宿営地内の面々へまだ明るさが見られた。

 しかし既にラキュースはそう甘く考えていなかった。

 

「次に竜王は、自分の隊をどうするつもりかしら」

「「「―――っ!」」」

「……連中は戦力を変えて来ると?」

「ええ」

 

 凍り付く一同の中、ティラの言葉にラキュースが頷いた。

 竜王隊の内の1体が殺されたのである。我々は決闘ではなくあくまでも戦争をやっている。

 こちらを皆殺しにするために、次は竜21頭で編成して来ても全く不思議ではない。

 それだけ、竜王軍団側には圧倒的余力があるのだ。

 竜王のお遊びはもう終わったと考える方が良いだろうと場へ促した。

 「ん゛ー」と唸るティラに、ラキュースが提案する。

 

「次回は、私達のチームだけで様子を見た方が良いかもしれないわ」

「それは……」

 

 『イジャニーヤ』の頭領は反論しようとしたが、状況次第で自分も含めて仲間も逃げる事すら難しい可能性がある。

 今はまだ昼間であり、忍術は制限されてかなりのリスクが考えられた。負傷した怪我人もいる。

 それも見越しての『蒼の薔薇』リーダーの提案である。

 ティラは、信頼に値する戦友を頼る。

 

「……そうだな。次回だけは、そちらへお願いするのがいいのかもな」

「ええ、任せて」

 

 ラキュースとしても依然『イジャニーヤ』の戦力は代替えの利かない貴重な存在である。

 不用意で友軍を失う訳にはいかない。

 彼女達も、アルベリオンの戦死を伝え聞いており、今の王国内には戦力が残っていないのだ。

 開戦前に催された、王都での上位冒険者達の宴の際に見た400名で、まだ健在なのはどれほど残っているのだろうかと思う。

 

 竜王隊確認の提案から3時間後、『蒼の薔薇』のリーダーは食事と休憩のあとイビルアイと共に出撃する。

 3時間程休んだが、相変わらずイビルアイの魔力量は十分とは言えない中での行動。

 昼間と言う事で、忍者系姉妹のティアとティナには留守番を頼んだ。

 

「「鬼リーダー/鬼ボス、イビルアイも十分気を付けろ」」

「ええ」

「大丈夫だ」

 

 イビルアイとラキュースは、宿営地から結構離れた所へ移動後、手を繋ぐ形で低空を〈飛行(フライ)〉にて移動し始める。〈全体飛行(マス・フライ)〉の場合、急遽切り離せないので戦場内ではこちらが有用だ。

 先程は竜王軍団側の攻撃サイクルの途中で撤退したため、竜王隊はその後に引き上げたのか、戦場を変えたのか不明である。

 まず、最寄りの情報提供の場として旗の上がる王国軍部隊を探す。

 今の彼女達の野営地は西部戦線の後方(外側)になるが、王国軍の展開が随分疎らになった事を改めて上空からの眺めで気付かされる。

 ラキュースは自国の悲しすぎる状況へ対し思わずにはいられない。

 

(ゴウン殿は、まだ動けないの?)

 

 事を()いても上手くいかないのは理解出来る。準備とは重要な段階だから。

 しかしそれでも、全てが終ってしまってからでは遅い事も当然存在する。

 

(時間よ、間に合って)

 

 仮面の彼を考えると()()()()()()()気持ちが自然に強くなる。

 彼女は、冒険者の階級として頂点を極めたが、それは英雄とは別なモノだと気が付いている。

 嘗ての同僚であるカウラウ女史の歩んだ英雄譚は羨ましくもある。旅や冒険を楽しみ、未知の怪物や魔神を下して送る生活は元より、高みへと引き上げてくれた頼りになる英雄的者達が仲間にいた事へだ。

 今、年老いたリグリットにそれを求めるのは酷だろう。なので、新たに目指す日々をイビルアイや自身の中で妄想し歩んでいたが、やはり思い通りには運ばない。

 でも最近、出会ったのである。まだ若くして既に遥か高き英雄の力を持つ人物に。(ゴウン殿)に。

 

(私は彼の大魔法が切り開く王国の未来や、世界中へあの人が今後も魅せるだろう英雄の歩みを近くで見ることは出来るのかしら……)

 

 初めて出会ったタイプの彼に感じる淡い想いもある。

 一方で、多くの弱き民を守り、盾となり剣となって神官戦士として戦場に散る覚悟はある。

 それも彼女の選んだ自分らしい生き方の一つなのだ。崇高で強い精神の持ち主は前を向いた。

 

 林の傍で木々に隠れた情報提供の旗の上がる王国軍部隊を見つけ、2人は降り立つ。

 塹壕のような溝の途中に、地下へ少し掘り込まれた感じの地下坑道が幾つかある陣地で、5人小隊が5つ展開していた。火炎は上に熱が昇るので、塹壕はこの戦の陣地にも多少有効なのである。

 

「じゃあ、少し聞いてくるから」

「分かった」

 

 イビルアイを待たせ、常時屈折化が可能なローブ姿のラキュースは衛兵に軽く手を挙げて塹壕の中へと入ってゆく。彼女はゴウン氏から預かるこのローブを随分気に入っている。薄い『ネズミの速さの外套』の上へ重ね着してる形である。彼の英雄譚で使われたかもしれない上、彼にずっと傍で少し守ってもらっている気がするためだ。

 衛兵は小陣地への英雄級の人物の来訪に恐縮し、緊張しつつ敬礼を返した。

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダーであるラキュースは王国軍にも広く知られた有名人。若く美しい上に貴族の令嬢で更に竜王(ドラゴンロード)と戦って尚、何度も生還するほど途轍もなく強いのだ。

 戦場の兵士達の憧れの存在でもある。正に手の届かない宝石の水準としてだ。

 ここまでは兵士達にとり、束の間の午後の癒しタイムで終わりそうな場の雰囲気。

 流れが変わったは丁度、ラキュースが降りた塹壕から地下道の階段を下ろうとした時である。

 歩哨に立っていた兵士の一人が急に大声をあげた。

 

「竜王だっ、竜王が来るぞ! 『蒼の薔薇』の方々早く備えてくださいっ」

 

 ()()()()()()()()兵が突然騒ぎ出したが、周囲の兵士らは空を見回しても、少し離れた位置の随分高い高度で竜が1匹飛び続けているのが見えるぐらいで、他には見えない。飛び続けている竜もずっと降下して来る様子はない。

 なので、仲間達から馬鹿にされ始めた。

 

「おい、お前。突然、何驚かす事を言い出すんだ。恐怖でオカシクなったんじゃないだろうな」

「竜王なんて見えないぞ?」

 

 そう、ハンゾウは広域探知出来るのだ。

 でも、忍術〈影羽織〉中の彼はそれが言えないので若干工夫する。

 

「あっちだ、あっちから来るぞ」

 

 そう指差して叫ぶのが精一杯であった。林の木々が無く、この場が開けて見晴らしが良ければ遠く見えただろう。

 突然の発言であり、木々に隠れて敵が見えないと言う事は、簡単には信じて貰えないのである。

 やがて、強い風が吹いた。

 地上に立つイビルアイ達は、大きな影の下に入りその存在が何かを見上げ、無言で震える。

 本物の煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグ=カーマイダリスの巨大な姿に。

 

「よう、人間の魔法詠唱者。俺を探してるんじゃねぇのかよ?」

 

 嬉しく嘲笑うように伝えた竜王が、この場を知ったのは勿論、汚名返上に燃えた監視部隊からの連絡である。

 監視部隊は5体組の人間達の行動監察から、連中が出撃後にこういった陣地系の場所へ数度寄り、竜王隊の場所を得ている事を突き止めたのだ。

 今回はそれを逆手に取った急襲である。

 王国軍を襲う竜兵達よりもずっと高い高度1000メートルに、連絡した竜兵とは別で1頭の追跡監視担当の竜兵が張り付き留まっており、それを目印に竜王はカッ飛んで来ていた。

 

 ――油断大敵である。

 

(くそっ、移動が直線的に? 迂回すべきだったか。兎に角、一旦ここを離れないと)

 

 窮地のイビルアイが下す決断は、当然ラキュースを連れての即時離脱だ。竜王隊側の戦力が不明の今を考えるとそれしかない。

 遮蔽物があるので、塹壕上へ転移し、ラキュースを掴んだら〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で、竜王からの最大攻撃封じに戦域中央側へ飛ぶ流れを描く。

 そんな考えの透ける人間の魔法詠唱者へ、ゼザリオルグが厳つい顔の目を細めて告げる。

 

「手抜きは終わりだ。俺だけで十分。今回は転移しようが逃がさねぇから、覚悟しろ」

「「――っ!!」」

 

 単身で乗り込んで来た竜王の言葉に、ラキュース達は恐怖する。どうやって追い掛けるのかは想像が付かない。しかし間違いなく、仲間を殺した者への報復の念を感じた。

 そして巨体が動き出す。竜王の最初の狙いは塹壕内に居たラキュースへ向いていた。

 

「まず、そっちから死んどけ」

 

 逃げ場の狭い彼女に超高速で強烈な尻尾の打撃が襲い掛かる。

 だがそれは、ラキュースには当たらなかった。

 

 吹っ飛んだのは〈上位不可視化〉で護衛中のハンゾウ―――と、イビルアイ。

 

 当然、竜王の狙いは()()()()仲間の傍へ転移系で現れるはずの、魔法詠唱者(イビルアイ)であった。同時に居るだろう『なにか』も纏めてだ。

 既に竜王は、『なにか』の登場タイミングをほぼ掴みかけていた。その上で、人間の魔法詠唱者が〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で現れる刹那を完璧に狙ったのだ。

 竜王の尻尾がラキュースに当たると思い、不可視化中のハンゾウは忍術〈不動金剛盾〉で受けようと移動。しかし攻撃は、現れたイビルアイへ急転換したため咄嗟でフォローに入ったハンゾウは受け身をほぼ取れずモロに受けてしまう。

 ハンゾウは前回負傷時、数百メートル飛ばされるも何とか空中で留まったが、今回は砲弾のように林の木々を30本以上折り、林を抜けて約300メートルも灰の積もった大地を転がった所で倒れた。だが周囲の焼け跡の影に溶け、姿を消す。惨状は『衝撃波の跡』という光景で見えていた。

 一方、同時にイビルアイも衝撃は流し切れず、巻き添えを受けた状態となってしまった。

 仮面の少女は、まるでホームランをかっ飛ばした時のボールのように飛ばされたあと、林外傍のひらけた地面へ転がった。地上へぶつかった衝撃で仮面が外れて今、彼女はうつ伏せのまま素の横顔を晒していた。手足が変な方向を向いている風にも見える。

 宙に舞う竜王は上空から余裕を見せ近付く。

 

「ははっ、少しは頑丈じゃねぇか、魔法詠唱者。普通の人間は(かす)っただけでもグチャグチャだぞ」

 

 竜王は、先の衝撃でバラバラに飛び散らなかったこの人間の丈夫さに賛辞を贈った。

 面倒な『なにか』と転移系魔法使いを一緒に封じた形となり、竜王様はご機嫌だ。

 ゼザリオルグにとって魔剣使いの方は、所詮魔剣を最大限に使い熟せない小物と考えている。

 また、先の竜王の「転移しようが逃がさねぇ」という言葉は別にブラフでもない。あの謎の『ナニカ』への対抗策にやむなく、絶対に嫌ではあるが()()()()を出す場合、不可能ではない。

 〈転移(テレポーテーション)〉は無理だが、距離の短い第3位階魔法の〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉程度なら〈超翼〉で追撃は可能なのだ。

 上空で高(わら)う竜王に痛々しく地面に転がった仲間を見下ろされ、追い込まれたラキュースは唇を噛みしめる。

 

「(イビルアイっ!)くっ……(今、あの人を失えば昼間の竜王への対抗手段が厳しくなる)」

 

 ティアとティナは夜間なら竜王に対抗出来る。イビルアイも魔力量が満タン時なら一味違う。

 ガガーランはそんなみんなを上手く率いてくれるはず。リグリットも(いま)だ健在だ。

 それに。

 

(私はみんなのリーダー。やっぱり仲間は守らないとね――何としても)

 

 ラキュースは懐から急ぎ、小瓶を取り出す。

 それは裏で仕入れた()()()()()()()。持続時間は20時間程という代物。

 しかし、副作用が厳しい――恐らく酷い後遺症が伴う――という。身体不全で冒険者を引退する事になるかもしれない。

 でもこのままでは竜王に2人とも殺される未来しかない。

 

(そんなことは、私の冒険者生命を賭けてでもさせはしないわっ! イビルアイは絶対に助けてみせるから)

 

 彼女は栓を開けると躊躇うことなく小瓶の中身を全部飲み干した。

 

 竜王は、まだ()()()()()()()人間の魔法詠唱者へ止めを差しに上空より近付いてゆく。

 

(コイツ、人間の分際で俺様を散々おちょくってくれたよなぁ。俺の隊の配下も死んだ。単に火炎で灰にするのでは手ぬるすぎだぜ。握り潰してミンチにして宿営地の奴隷共の晩飯に食わせてアゲル)

 

 元々人類への怒りに満ちるゼザリオルグだから尚、この6日間の怒りは並々ならない。

 竜王は人間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が無様に転がる地上へゆっくりと降り立った。

 そして近付き今、右前足を伸ばして死に掛けの奴を掴もうとしたその瞬間――。

 

 

「―――〈  龍    雷  (ドラゴン・ライトニング)〉ーーっ!」

 

 

 イビルアイの左手から彼女の誇る最大最強の攻撃魔法が、竜王の伸ばして来た前足の指先の間を抜けるように、竜王の目を狙って5メートル程の超近距離で放たれた。

 

「なにぃ!? うおぉぉ」

 

 それは完全に不意を突いており、僅かな距離から確実に竜王の顔面へと直撃した。

 竜王は慌てて顔を抑えつつ、後ろへ数歩下がるも(つまづ)き転ぶ。竜王の20メートルは優にあろうかという巨体が大地をズシンと振動させて倒れた。

 

「うっ、ガハッ。どう……だ、この()()っ」

 

 血を吐きながらも、膝に手を当ててズタボロの身体(からだ)を起こし立ち上がった、素顔に紅い瞳を光らせるイビルアイ。

 折れていたはずの手足は、残った魔力量を消費しながら再生治癒し始めていた。

 

 そう、彼女はアンデッドの吸血姫(ヴァンパイア・プリンセス)

 

 首や腰や四肢と内臓が潰されたぐらいでは死なない、不死身の体である。痛いけれど。

 そして、ヤラレたらヤリ返す。それが、たとえ最後は勝てないと彼女自身が知っていてもっ。

 嘗て十三英雄らと肩を並べ共に戦った一員として、竜王へ一太刀浴びせてみせた。

 しかし最大魔法まで使ってしまい、魔力量はほぼ底を突く。

 

(ふっ、流石に限界か)

 

 ぐらつきつつ歩き近くの仮面を拾い上げた彼女は、早くも立ち上がってきた竜王を見上げた。

 厳つい竜顔へ僅かに焦げ跡が見えるも、竜王の瞬きの方が早く、目にダメージは与えられなかった模様。

 勿論、更にヤツの怒りの炎へ油を注いだのは語るまでもない。

 

「テメェ、よくもやってくれたな。それに、その紅い瞳と回復力――人間じゃねぇんだな。

吸血鬼(ヴァンパイア)か。どおりで頑丈なわけだ。脆弱で罪深い人間共に手ぇ貸すなんて愚かな選択しやがって」

 

 ゼザリオルグには理解出来ない。多くの種族を殺戮した八欲王側の人類になど味方する考えが。

 対して、人類側としてやり切った感が、再び今()えて仮面を付けるイビルアイに竜王へ堂々と言い返させる。

 

「竜王には関係ない。こっちの事情だ。さあ掛かって来れば?」

 

 彼女は元人間である。やむなく吸血鬼の身体に変わってしまったが、人間達を恨む要素は特にない。無論、素のままだと差別的な扱いはされるので、常時指輪や仮面を付けているけれど。

 幸い、竜王の攻撃で派手にふっ飛ばされ陣地から離れた事で、周囲に王国軍兵はおらずイビルアイの秘密はここでバレず助かった。人間の一人としてまだ戦える。

 そんな彼女だが、既に仕掛ける程の余裕はない状態だ。

 まだフラついて歩ける程度しか回復出来ていなかった。最期の意地として仁王立ちして睨み付けているのである。

 ゼザリオルグとしては最早、吸血鬼だろうが許す気などない。宿営地の奴隷人間らに、共食いをさせる楽しみも消え、消し炭にするのに躊躇いもない。

 

「じゃあ、吸血鬼らしく灰と化して死ね。全力火炎(フルフレイム)――」

「――受けよ、魔竜っ!」

 

 その時、竜王の後方から〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉の声を遮って、高らかに英雄願望者の正義の声が轟く。

 

 

「超技! 超 暗 黒 刃 破 壊 斬(メガダークブレードブレイク) ゥーーっ!!」

 

 

 異質な活力にあふれた()()()超攻撃が炸裂したっ。

 技名に関し例のノートに書き溜めていた単語を即興で組み上げたのはナイショ。本人のラキュースも一応、ノリノリである。

 だが、ソレだけでもない。

 魔剣キリネイラムに帯びた無属性エネルギーの()()()が、高周波ブレードのように竜王の超絶強固な体すら削り斬る。

 竜王の背中に長く、竜王鱗と超剛筋肉を切り裂き一閃の筋が煌めいた。裂けた痛みがゼザリオルグを襲う。

 

「グオァぁぁーーーっ。な、何だ!?」

 

 長い首で振り返ったゼザリオルグの目には、魔剣を両手で握った先のドウデモイイはずの人間が居た。

 竜王がダメージを受けている。それも、脆弱と考えていた人間剣士風情にである。

 

(馬鹿な……今の威力の感覚、コイツ、難度が()()()()()上がってねぇか?!)

 

 これまでの6日間、この人間の一撃で竜王鱗が両断された事は皆無。それなのに今、明らかに竜王鱗を断ち超剛筋肉を数十センチの深さまで斬り込んで、尊い竜王の血を流させていた。

 

「(一体、どうなってやがる)いてぇんだよ、クソがぁぁ!」

 

 竜王は、強烈な尻尾の一撃で人間を薙ぎ払いにいく。

 それをラキュースは、なんと剣で一瞬受けると横へと威力ごと尻尾を流してみせたのである。

 

「っ?!」

 

 有り得ない光景に、竜王だけでなくイビルアイも驚愕する。

 

「ラキュースっ!? えっ、ウソぉ(一瞬受けるとか……って、まさか)」

 

 イビルアイはここでラキュースの見せる異常さの秘密に思い当った。

 

(裏で仕入れたっていう特別強化薬(アレ)か。にしても、どれだけ効いてるのか)

 

 普通の強化薬では有り得ない変化。個人差を考えても異常に思える水準だ。

 剣士の脅威度が上がったことで、竜王は吸血鬼から魔剣を持つ人間の方へと素早く体を向けると羽ばたき、空中へ舞い上がる。

 巻き起こった強い風に負けることなく、ラキュースは竜王を睨みつけていた――。

 

* * *

 

 彼女は小瓶の薬を飲んで、10秒ほどで倒れる。突然、力が抜けたのだ。

 そして激痛が襲って来た。更に喉から全身へ焼ける様な痛みも。

 

(くっ。こ、これは毒じゃ……………一体……って、あら?)

 

 急に痛みが引いてゆく。そしてラキュースは、自分の全身へ起こりつつある変化に気が付く。

 

(えっ……まさか、この感じって)

 

 それは、神官にはあるまじき――()()()な力の波導であった……。

 5本の小瓶の内、1本だけ『神聖者向け』などと書かれたレーベルが張られていたのだが。

 どうやら禍々しい魔物的な要素を利用した(いにしえ)の複合強化薬の模様。

 

(騙された……?)

 

 まずそう考えたのだが……以外に体の感覚が軽かった。力も増している様な感覚。

 本来、神聖者に悪魔的波導は劇物以外の何物でもない。ところが、どうも相反作用が力へと全転換されている風に感じるのだ。

 まだ握りしめていた小瓶のレーベルをもう一度よく見てみる。

 

(……効果には個人差があります、か)

 

 モノは言い様。もう全部飲み干してしまったものは仕方がない。そして時間もない。

 イビルアイが危ないのだ。ラキュースは塹壕から飛び出すと駆け出した――。

 

* * *

 

 そうして現在、『蒼の薔薇』のリーダーは会心の新必殺技を一太刀浴びせ竜王と対峙する。

 仲間の危機に、無我夢中で攻撃しただけのラキュースは、自分自身の(パワー)が信じられない。

 

(竜王の鱗を切り裂いて、怪我を負わせただなんて……)

 

 『蒼の薔薇』5人で何をどうやっても鱗を突破出来なかったのに、一撃である。

 彼女自身、一体どうなっているのか良く分かっていない状態だ。

 それでも使う魔剣の切れ味が上がっている事だけは確実だ。今はそれで十分と言える。

 一瞬、『もしかすると竜王を倒せないか』とも考えたが、兎に角、今すべき最優先はイビルアイを逃がす事だと冷静に決める。

 怪しい薬を使っている最中であり、都合よく欲張るのは危険すぎるとも思えた。

 竜王討伐は、イビルアイを逃がしたあとでも試す事は出来るのだからと……。

 一方、空中に上がったゼザリオルグは唐突な現状を考える。

 

(くそっ。あの人間の剣士め、魔剣が突然使えるようになってんじゃねぇかっ。鱗や爪では流して受けねぇとまともに受けりゃ斬られるな。接近戦がやり辛くなりやがった)

 

 折角、『なにか』と魔法詠唱者の吸血鬼を無力化出来て上機嫌だったというのに、随分と台無しである。

 しかし怒りつつも竜王は冷静だ。

 

(今回、俺だけで来て正解だったぜ。ノブナーガでもあの魔剣の切れ味だと、翼を切り落とされたかもしれねぇところだ)

 

 確かに傷を負ったのは驚きだが、竜王ゼザリオルグにすれば所詮まだかすり傷に過ぎない。

 あの一撃は剣士のほぼ全力と見ている。

 

(フン……やっぱ、やられっぱなしってのも面白くねぇよなぁ)

 

 竜王も意外に負けず嫌いであった……。

 人間の剣士を睨むと、厳つい顔の口許を緩めた。そして告げる。

 

「俺を傷付けるとは中々の魔剣だな人間。いいだろう――地上に降りて接近戦で勝負してやるぜ。その仲間の魔力が溜まるのが先か、お前が死ぬのが先か勝負といこうじゃねぇか」

 

 『ナニカ』がまだ出て来ていない事も竜王の頭にはあった。

 昨日現れし老いた人間が一番の危険度とはいえ、この剣士も忍術使いの人間を尻尾攻撃から逃がした時には居なかった。あの時は完璧に弾かれた点からすれば、(パワー)不足と思えるが可能性はゼロじゃない。

 ちなみに当の『ナニカ』は現在、主人の周辺警戒をしつつも優先事項の同好会活動に忙しい。三つ子姉妹の鑑賞に夢中でニヤニヤしている最中……。

 ゼザリオルグは、とりあえず勝負を少し楽しむように再び高度をゆっくりと下げ始めた。

 ラキュースとしては「勝負を受ける」なんて返していないのだが、断われるものでもなく受けて立つしかない状況だ。

 イビルアイは、リーダーへ「逃げろ」と言いたいが自分が回復するまで、今のラキュースでも竜王から逃げ果せるのは難しく思えた。

 そもそも、覚悟を決めて薬を飲んだラキュースは逃げないだろうし、竜王にはまだ火炎砲という武器もある。

 竜王は降り立つと、全く待たずに後ろ足で二足歩行し軽快に距離を詰め、ラキュースへと前足の爪で猛然と襲い掛かる。身長差から遠目で見ると、完全に地面を擦るような攻撃だ。

 

「おら、おらっ! どうした、人間?」

 

 先程は不意を突かれ面食らっただけで、巨体の割に竜王の素早い動きは相当なものである。

 ハッキリ言ってアダマンタイト級冒険者達よりも断然早い。

 それを強化薬服用のラキュースがより低い体勢で()い潜り魔剣で応戦する。そして前に出ている鳥脚タイプの竜王の後ろ足を狙い、踏み込んで斬り込んだ。

 斬撃が当たりそうなところも、竜王は尻尾での下からの軽い跳ね上げで剣を浮かすと、前足での強烈で鋭いフックのような爪攻撃を飛ばしていく。

 竜王の攻撃は、巨体とその超剛筋力から繰り出さるもので、速いだけでなくどれも桁外れに重たい。

 真面に受けたら強化していようとラキュースは終わる。

 

「くっ、はぁっ、せぃっ!」

 

 右からの爪フックを剣を寝かせて受け流し、左からの前足攻撃も反り返るようなスウェーイングで躱し、再度斬り込んでいく。

 竜王は、上体が泳ぐも尻尾で魔剣を上手く弾く。

 お互いに下がらず、攻撃の当たる間合いの距離で3分程斬り合うと、一旦互いに下がり距離を置いた。

 様子を窺う段階の竜王は、圧倒的な体力を背景に全く疲れが見えない。

 対して、軽快すぎる自分の体の動きと体調に慣れないラキュースは、ペース配分が掴めず上手く力を抜けないことから息が上がり掛けていた。

 

(うぅ、マズいわ。早く自分のペースを知らないと)

 

 イビルアイの体調と魔力量の回復を考えれば1時間は必要だろう。

 逃げ果せるのを考えれば〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉だけでも10回分ぐらいは溜めなければ意味がないのだ。

 必要な残り時間を考えると絶望しそうになる。

 しかし――英雄を目指す彼女に『諦め』の二文字は対極の言葉。

 彼女はここまでずっと使いどころを考え、常時屈折化のローブ下に6枚重ねて纏め隠す様にしていた『浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)』をローブ外に展開すると再び果敢に踏み込んでいく。

 

「はぁぁぁーーーっ! 一 斉 全 力 射 出(オールソーズ・フルファイアー) っ!」

 

 6本全発射し、彼女は初見の手数を増やして、竜王を翻弄するのが狙い。

 脅威度不明の素早い刺突攻撃に、両前足と尻尾に両翼も使い弾かざるを得ない竜王の間合いへ深く一歩を踏む混んだラキュースは、構わず全力攻撃に出る。

 

超 暗 黒 刃 破 壊 斬(メガ・ダークブレードブレイク) ゥーーっ!!」

 

 左袈裟懸けに振り下ろしていく。

 狙うのは当然、地上での機動力を生み出している後ろ足だ。若干前に出ている右では無く、今体重が掛かっている奥の左足を狙う。

 しかし、竜王は下がれないその左足一本で「おっと」と上へ飛んで足を延ばし斬撃軌道を躱す。その動きも読んでいたラキュースは、両手首を急速に返し素早く右下からの切り上げで攻撃力を持たせたまま斬り返す。長い魔剣の剣先部分が前に出ていた、踵にも見える右足つま先裏部分を斬り込んでいた。

 

「「チィッ」」

 

 両者からの同時の舌打ちが響く。

 斬られた竜王は兎も角、ラキュースは大した傷を付けられなかった為だ。

 剣士を飛び越えて機敏に着地したゼザリオルグは、振り返ったラキュースへ向かって突進する。

 短い距離で長い首を槍のように真っ直ぐ下げ、あっという間にその固い竜頭をぶつけて来た。

 

「ウラァァーーッ!」

 

 ラキュースは振りかぶる動作がほぼ出来ず、剣を盾にする形で受け止めるぐらしか出来ない。傍へと戻ってきている『浮遊する剣群』も盾にはならない。

 恐るべき竜王の瞬発力と激突の衝撃で、人間剣士が跳ね飛ばされる。

 

(くぅぅぅ、(ドラゴン)って地上でもこんなに素早くて攻撃が多彩なの?!)

 

 単に巨体から力任せで、両手や尻尾を適当に振り回してくる程度か、なんてとんでもない。

 困惑しつつラキュースは、勢いよく転がされる途中に手を突き反動で起きあがると、依然後ろへ流されるところを両足で踏ん張り地面へ線を引きながら制動を掛けて止まる。

 ゼザリオルグの指示もあり、竜王軍団側はこの戦争の基本戦術を空中戦に絞っていた。空中ではホバーリングからの、急上昇や急降下後の急旋回を交えた形での接近が主流。

 そういった一連の動きの見た目を踏まえラキュースは、竜達が地上戦が不慣れと思いきや、陸でも強い蜥蜴人(リザードマン)的動き以上と考えるべきかと敵を睨む。

 まあ竜王ゼザリオルグは、人の動きを熟知していて少し特殊なのだが。

 

(フン。やっぱコイツなんて、頑張ってもこの程度の弱さしかねぇんだよな)

 

 再度傷を付けたのを評価しつつも竜王としては、数日見ているこの剣士はやはり例のヤツとは違うと考えた。この人間を『ナニカ』かもと思い観察しているが、自分の今のぶちかましにも完全に吹っ飛んでおり、ゼザリオルグとしては、先の尻尾攻撃を完璧に壁の如くはじき返したヤツの力量とは程遠いとしか思えない。

 最強種の眼光の先に剣士が立ち上がってみせるも、攻撃はかなり効いている様子。

 竜王の右足のつま先裏は少しチカチカ痛みもして気になるが、腱を斬られたわけでもなく足先でもないので動きにはまださほど影響せず。

 

「(ケッ、この勝負も先が見えてんな……つまらん)どうした人間、もう来ないのかよ。調子に乗って斬り込んで来たにしては、全くだらしないぜ?」

「……ハァハァ……くっ」

 

 ラキュースは打撲の負傷と全身の疲労で息が相当上がって来ていた。

 

(息を整えて、まずはあの足を止めないと)

 

 竜王からの言いたい放題の言葉にも反論せず、その時間さえも反撃への備えに充当する。

 しかし、今の戦闘の感じで首まで伸ばされると、敵の足元までの距離は果てしなく開く。

 そもそも竜王は巨体で間合いが人間などより何倍も遠いのだ。

 

(どうする)

 

 何か、竜王の気を大きく逸らす技を見せる必要があるのだが、先の『浮遊する剣群』は見せてしまった。二度目だと、竜王鱗を突破出来ないことは考慮されるに違いなく、こちらの魔剣による接近攻撃への対処が最優先されるだろう。

 一瞬の迷いを見せる人間へ、竜王の方が先に動いたのは余裕と勢いのある者からの流れだ。

 

「ふっ、無駄だ。オメエ程度が何しても結果は変わらねぇぜ。もう―――死んどけや」

 

 ゼザリオルグは勝利を確信したように、言葉を叩きつけて迫り来る。最早前掛かりに、矮小な剣士の肩口へ狙いを定め、素早い前足の爪攻撃がうなりを上げ襲い掛かった。

 その俊速の動きへ僅かに初動が出遅れたラキュース。

 

(―――っ、間に合わない)

 

 ダメ元で、魔剣を全力で振り、爪攻撃への撃ち落としに出ようとした。

 すると同時に、既に宙を駆けるイビルアイの声が上がる。

 

「ラキュース! 隙は私が作るっ」

 

 仮面の吸血鬼は魔力回復よりもこの一瞬、攻撃を優先し協力しての攻めに出た。彼女もラキュースの窮地と切望に気付いたのである。

 竜王の尻尾を警戒して距離を測りつつ、背中側の左から右方向へ〈飛行(フライ)〉で素早く蛇行しすり抜けながらぶっ放す。

 

「〈魔 法 抵 抗 突 破(ペネトレートマジック)部  位  石  化(リージョン・ペトリフィケーション)〉っ!」

 

 普通に考えれば、石化魔法も竜王鱗に覆われた竜王に通じるとは思えない、しかし。

 

「ぐぁあ、な、なんだコリァっ?」

 

 ゼザリオルグは()()()強烈な違和感を感じ一瞬仰け反り、動きが大きく鈍った。

 何かが、背中に長く走っていた傷口を僅かに押し開いたのだ。

 そう、石化されたのは竜王が流して固まり掛けていた中途半端な血の半凝固物である。流したての血は、素材としても特殊で容器に入れれば強い耐性もあり固まる事はない。

 けれども、竜体の傷を癒す段階において鱗の変わりの瘡蓋(人間では血小板血栓)として、少し弱い物質へと変化を起こす。それが完了する前は更に弱い不安定な物質なのである。

 これはイビルアイが250年以上生き、十三英雄達との共闘という立場での冒険譚の中で得た大切な知識の一つだ――。

 『蒼の薔薇』のリーダーはこの千歳一隅の好機を逃さない。今持てる全てのエネルギーをこの攻撃に込め、竜王の懐へ深く飛び込みながら渾身の一刀を放つ。

 

 

「おおおっ、爆ぜろ私の英雄魂っ! ()()()() 究極全開(ギガ) () 暗 黒 刃 雷 破 斬(ダークブレードライトニングブレイク) ゥーーっ!!」

 

 

 魔剣の放つ漆黒の真の無属性の刃へ、魔界の紫光の雷撃威力をも纏う強力な破壊斬撃。

 ネーミングについてはこれでも、彼女が刹那の時間で懸命に考え付けられたものだっ。

 英雄を目指す彼女の斬り込んだ自身渾身の一撃は勇気に満ちて、竜王の右足膝横の腱へ向かい振り下ろされた。

 

「――!」

 

 だが次の瞬間―――ラキュースは強烈な衝撃を受けて魔剣ごと天高く吹っ飛ばされていた……。

 

 竜王の途轍もない()()()()()が魔剣の一撃の威力ごと蹴り上げていたのである。

 ラキュースの体は圧倒的な衝撃により致命的なダメージを受け、彼女の精神も――すでに燃え尽きていた。

 

(とても(かな)わない……ごめんなさい、イビルアイ……みんな………………ゴウン殿……)

 

 1キロ程も飛ばされ、灰にうずまる地面に落ちたラキュースが竜王へ向かい立つことは二度となかった。

 対する煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は膝の鱗が割れ僅かに出血していたがその程度の傷。

 

「ラキュース……」

 

 唖然とする愚かな吸血鬼の魔法詠唱者へ、ゼザリオルグが高い首の上から見下(みくだ)(あざわら) う。

 

「愚か者め、図に乗り過ぎだ。あの魔剣でもテメエら弱者程度じゃ、戦いの結果はまあこんなもんだろ?」

 

 ゼザリオルグは、間に合わないと見るや狙われた脚部を咄嗟に動かし、竜気を僅かに漲らせ膝で蹴り上げ攻撃ごと粉砕してみせたのだ。

 正に圧倒的な(パワー)の存在である。

 

「さて吸血鬼、次はお前の死ぬ番だな」

「……」

 

 魔力量の尽きた(ふう)の仮面姿のイビルアイは、無言でうな垂れるしかない。

 竜王は空へと舞い上がり地上に立つ吸血鬼を見下ろすと、今度こそ灰にすべく満を持して撃つ。

 

「――〈全 力 火 炎 砲(フルフレイムバスター)〉」

 

 最大の火炎砲ではないが、漆黒聖典の『隊長』ですら避ける必要があった攻撃。灰にするならこれの直撃だけでも相応の威力であった。一応『ナニカ』への手として最大攻撃は残している形だ。

 竜王に油断は無かった。

 

 ラキュース達の戦いは、先の陣地の王国軍兵士達が遠方から固唾を飲んで見ていた。

 だが、リーダーのラキュースらしき剣士が大きく空へと、ローブ類が遠心力で捲れ上がり大の字でゴミの様に回転しながら舞ったあと、視界から点の様に小さく霞み遥か遠方地に落ちていった。間もなく巨体の竜王が上空へと舞い上がり火炎砲を地上へぶっ放すと遠く飛び去って行く姿を目撃する。

 

「あぁぁ………。……負けた?」

「ラキュース様……、くっ。もう……俺達は終わり、だ」

 

 兵士達は、今見たその事実に驚愕し、希望の星堕ちて涙し、王国の未来にも挫折し掛けていた。

 陣地からは、ここで起こった一大事を知らせる火急の伝令兵が悲壮な表情で駆け出して行く。

 

 

 今、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の前に、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』は事実上敗れ去ったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王の傍へ立つ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、真上からではなく比較的近場へ響いたかの振動を微かに感じた。幸い、王国総軍の最重要拠点であるこの地下指令所は一部、巨岩をもくり抜いており地上からの圧力で潰される心配はまずない。

 地下なので本来、時間の流れを掴みにくいが、彼は室内の棚へ置かれた時計で午後5時を回った辺りと確認した。変事への報告には何時頃かは重要であり、反射的に記憶したに過ぎない。

 だが間もなく、ランポッサIII世陛下の座す『王の間』に強張った表情の近衛騎士が駆け込む。

 入室時に一礼し、陛下に無用な用向きへの配慮か、まず百騎士長の下へ近寄り何事かを語る。

 すると騎士長の顔も大きく変化を見せた。非常に一大事という顔である。その彼の視線は気が付けば()()()()()()()()王国戦士長へと向けられていた。

 そこでガゼフは尋ねる。

 

「騎士長殿、何か?」

 

 これ以上、伏せていても近衛騎士達だけで状況は変えられないと考えたのか、騎士長が長机の一席に座るランポッサIII世へ向かい跪き告げる。

 

「陛下、緊急事にて恐れながら申し上げます」

「何事か?」

 

 朝から戦況悪化の報告が続いている所為もあるのだろう。今更という一応落ち着いた雰囲気の顔を向けて、国王は続きを催促した。

 騎士長は視線を下げたまま伝える。

 

「竜兵2頭がここから間近へ降下し、近衛部隊と交戦に入ったとのこと」

「「――!」」

 

 もしやと予見していたガゼフは眉間に小さく皺を寄せ厳しい表情へ変わり、ランポッサIII世は息を飲む表情で固まった。

 そして続報は、というその機へ合わせたかのように今、一報を携え近衛騎士が現れる。

 

「申し上げますっ。地上の近衛部隊は現在、2匹の竜兵とここより北約400メートルの距離で全力交戦中。ですが竜達の強さは圧倒的であり防ぎ切れておりません。恐らく十竜長水準ではとの判断も出ております。陣地経由でこちらへも到達の可能性があります。近衛騎士団長より急ぎご対応を、との事でございます」

 

 既に脱出の検討を願う進言であるが、国王はこの場から動かない事を王国戦士長のガゼフは理解していた。それにこのまま放っておけば、指令所周辺を守る300名しかいない近衛隊が早期に全滅しかねない。

 そうなると先に取る手は一つ――。

 決意のガゼフは己の主君へと申し出る。

 

「陛下、ここは私の隊が地上へ出撃し対処いたしたく思います」

 

 正直、この狭い地下空間で全力を出せば、国王をも巻き込みかねない為、ガゼフは初めから迎え撃つなら当然地上だという考えでいた。

 国王は信頼を置く己の剣の如き忠臣へ問う。

 

「戦士長よ、相手は竜長水準と聞くが」

 

 不安ながらも、「勝てるのか」とまでは口にせず。戦士長を強く信じている意味でも。

 実際、何事もやってみなければ分からない。あの大臣が和平交渉で生きて帰ってきたように。

 

「陛下、ご安心ください。このように王家の宝物をお借りしております。私は負けません。必ずや陛下をお守りいたします」

「……頼んだぞ、戦士長」

「はっ」

 

 今回の大戦の出陣に際し、国王は国家に伝わる五宝物の4つを持参している。

 王都出陣の直後、ガゼフがユリの件で幸せボケを咬ましリットン伯爵の隊列に紛れ翌朝、正気に返って一騎駆けで戻った折、行方不明を心配した国王が早めに装備させていた。本当は地下総指令所に着いてからということだったが……。

 故にガゼフへは今、王家の4宝物が貸し出されており全て身に着けている。

 赤茶の、致命攻撃を避ける守護の鎧(ガーディアン)と疲労無効化の活力の籠手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)に、体力を常時微回復する不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)、そして特殊効果を無効化し斬る剃刀の刃(レイザーエッジ)

 

 程なく、常時臨戦待機に入っていた王国戦士騎馬隊の隊員達40名程と地上へと出撃したガゼフは、出口を出て早くも夏の空気へ混ざる異常な熱風を感じた。

 幸い、まだ300メートル以上は距離があり、この場が見つかった訳ではない状況。

 隊員達は馬には乗らず己の足で隊長のガゼフに続き駆け出していく。軍馬達も竜の恐ろしさは知っており、余り言う事を聞いてくれないためだ。

 大貴族の指揮官馬や伝令等では気の強い馬も使われるが、そんな馬は稀である。

 戦闘域に入ると強烈な炎を帯びた風が吹き荒れていた。2匹の竜兵は上空から火炎砲を何度も撃ちまくっている。

 ガゼフは早くも、〈能力向上〉などの武技で肉体強化などを行い剃刀の刃(レイザーエッジ)を右手に構え、隊員達へ伝える。

 

「そちらの隊は向こうの竜を頼むっ。我々はこちらの竜を引き離す様に動く。固まるなよ、的になる。さあ、1匹ずつ倒すぞっ」

「「「おおーーっ!」」」

 

 王国戦士隊は2つに分かれて、ガゼフを主力に各個撃破の動きを始めた。

 

 

 王国総軍と竜軍団の開戦以来、ユリ・アルファはフル装備の戦闘メイド服に身を包み、国王の陣地の傍でずっと保護対象であるガゼフ・ストロノーフの護衛に就いている。

 開戦初日はハンゾウも居たのだが、彼は『蒼の薔薇』の援護役に移っており、今はユリ一人だ。

 国王の陣は戦域の激戦区から離れていたが、この場所へも広い戦場の各地で燃えた細かい灰が降り注いでいた。

 彼女の装備とその美しい夜会巻の髪へも薄く残る。幾度か落とす為に(はた)いたのだが、きりがない状況。魔法が使えれば楽なのだが、ユリは殆ど使えないので静かに耐えている。

 

(アインズ様直々に任された大切なボクの任務だもの)

 

 まずその責任的思いが強い。この身がどうなろうと御方からの任務を優先する事が正しい。

 彼女達NPCはそのための存在なのだから。

 それに時折連絡を頂くが、あの方自身も同じ戦場へ出ておられる。本当は戦闘メイドとして御側(おそば)を守り、ローブなどに降る灰を完璧に落として差し上げたいところ。

 だが今の任務は努力すれば早く終わる(たぐい)のものでは無い。粛々と熟すのみだ。今はソリュシャンが御側に付いているはずなので、心配は少し過剰だと思い直す。

 

(……ふぅ。さあボクも頑張らないと)

 

 そうしていると、周囲が少し騒がしい感じである。腰に剣を帯びる兵達が慌ただしくなり駆けている姿もちらほら見えた。

 続いて微振動に続き、割と近くで火炎が見え僅かな熱気が周囲に広がった。

 冷静なメイド姉状態へ思考は変わる。

 

(どうやら、竜の軍団の先兵がここまで来ましたか)

 

 ただ、この場でユリが守るべきは王国戦士長のみである。

 それ以外の例え、リ・エスティーゼ王国の国王ランポッサIII世であろうと助ける必要はない。

 この場を守る事も戦士長の部下達さえ守る義理もない。状況によっては彼を攫い離脱すれば、竜兵との交戦すら不要だ。

 でも彼女は属性が善でカルマ値が150の持ち主。非情行動には中々の辛さが伴う。

 

(……広い意味で考えれば、ストロノーフ様が戦わなくて済めば……。この場へ近寄る竜を全部倒してもいいような気もしますね)

 

 しかし、アインズからの指示では『戦士長をさり気なく守ってやってくれ』というもの。

 当初にハンゾウが居た事からも、派手に表で暴れる訳にはいかないと思い留まった。

 またソリュシャンが居ないので、相手の強さは自身で判断する必要もある。Lv.51の彼女単独では、最強装備での差分を考えてもLv.50以上の十竜長が相手だと互角に近くなり、うかつに出るのは結構厳しいと冷静に判断する。一応、暗黒魔力の回復アイテムは持っており、相手が疲弊すればこちらは体力を戻して有利にする手も有効のはずであるが。

 流石にLv.30以下の竜であれば、あっさりと倒せるとは思う。

 

(この先は状況次第で考えるべきでしょうね)

 

 ユリとしても最優先すべきは、ナザリック支配者の言葉である。此度の敵は数も多く、戦士長護衛以外で力を先に使ってしまうのは避けねばならない。

 遠くに人間達の悲鳴が聞こえる中で、場に留まりガゼフの動向だけをユリは追っていると、彼が隊員をつれて地上へと現れた。

 

「ストロノーフ様? 少し早いのでは」

 

 距離がまだある中での登場に、ユリは彼の人物を思う。

 

(知らせが2人程駆け込んでいたから、多分味方を想っての行動ですか。それに国王の傍で暴れる訳にもいかないのでしょう)

 

 ユリも護衛対象の彼を追い、静かに移動を始めた。

 

 ストロノーフの指示で二手に別れた戦士隊は、竜兵2頭を引き離す様に少数で別々に挑発して竜の周りを進む。

 だが、竜達は竜長水準で難度120を超えていた。早くも数名の王国戦士隊員が落命する。

 その犠牲に戦士長は自身が、より前へ出て立ち向かう。

 

「――くっ、流石は伝説になる(ドラゴン)、恐るべし。ならばっ、はぁぁっ―――〈六光連斬〉っ!」

 

 低空で暴れまわる巨大な敵の強さを読み、迷わず全力攻撃を振るい宙の竜兵に挑んでいった。

 並みの鎧など紙の如く切り裂く業物である剃刀の刃(レイザーエッジ)での6撃同時攻撃。

 それは強固な竜鱗を切り裂いて、竜の巨体へと6つの筋を付けてみせる。

 

「ギャァァァァーーーッ、やったな人間め」

 

 竜兵は肩から胸部へと突然の大きな痛みを覚えて咆哮すると、斬りつけた者を睨みつけて来た。

 その様子に周囲の近衛騎士部隊と戦士隊の面々からの歓声も混じり、戦場は一気に熱くなった。 しかし、ガゼフ本人の顔は冴えない。

 

「ぬぅっ(あれでも浅いというのか、途轍もない竜種の身体強度っ)」

 

 本気で斬りつけた懐への攻撃に、竜兵の傷は致命傷へ程遠かったのだ。

 初めての竜との対戦の際、剣豪のアルベリオンが感じた恐れと同じものである。

 更に、この剃刀の刃(レイザーエッジ)は嘗て、アベリオン丘陵から王国の南に現れた怪物(モンスター)達を討伐した折に、〈不落要塞〉の使い手を切り捨てた事もある剣。

 だが、天然の分厚い肉体が生み出す頑強さを突破するには、やはり剣の使い手側の(パワー)が必要なのだ。

 竜兵の口が空中の戦士長へと向きそうになるも、戦士隊員らが弓で竜兵の目の部分へと集中攻撃しその隙にガゼフは地上へ降りる。彼は直ぐに地を駆け左後方へ回ると、続けて高く舞い竜翼へと〈流水加速〉での斬撃を浴びせる。

 

(まずは地上に落とさないと着地を狙われるっ)

 

 だが、薄い様に見えて翼も細かい鱗質の皮で守られており、破り取るには程遠いかすり傷を負わして終わる。

 

「……何と言う頑丈さか。正に御伽話だな」

 

 眼前の個体も竜長水準ということで相当の難度が予想される一方で、こんな竜種が北側の主戦場には数百匹居るという現実。王国の全軍が壊滅的戦況になるのも無理はないと彼も納得がいく。

 

(これでは一般の兵達だと、確かに時間稼ぎが精一杯になるだろう)

 

 今回の大戦、余りに常識外で広域に兵力を分散していたが、レエブン候の取った戦術は現状で取れる最大限の作戦だったと改めて気付く。

 しかし、総軍の戦況も予想通りにすり潰されていく形が進んでいる。攻撃担当の冒険者達にしてもアルベリオンの死と、オリハルコン級冒険者部隊さえ半壊気味だ。上位以下の冒険者達も多くが死亡や負傷で前線から脱落していた。

 

 それでもまだ、王国戦士長は残された一筋の眩しい光に期待している。

 

(――ゴウン殿。俺は、貴殿を信じているっ)

 

 大きく追い詰められた現状でも、ストロノーフの心は折れずに渾身の刃を振るった。

 

 王国戦士隊が参加し20分程が経過するも、ガゼフ達は未だ竜兵を倒せずにいた。

 彼は〈急所感知〉を使用し、眼球、口内、頭部下の首筋や細めの前足の脇下内側付近も弱点として見えたが、簡単に攻撃できる訳もない。傷を負わせ引き付ける事で足止めは出来ていたが。

 ユリとしては、ストロノーフと王国戦士隊員が各所にいるため中々手が出しにくい。

 なので戦士長の負荷を下げるべく、さり気なく彼の居ない方の竜兵の腹へ〈発勁〉を2発叩き込んでかなり弱らせていた。全員の死角を縫う僅かな隙に、Lv.40台の竜が「ウゥッ」と一撃で唸る程の威力で……。

 

(今はこれぐらいしか出来ませんね)

 

 勤勉なメイドの彼女は控えめに動いていた。

 するとそこへ、新たに1頭の(ドラゴン)が現れる――。

 登場した竜の強さは、先の竜兵2頭を優に超えていた。人間達はその存在を知るよしは無かったが、百竜長3頭に次ぐ強さを誇る難度165の十竜長筆頭の個体であった……。

 奴が挨拶代わりで放った火炎砲により、僅か一発で3つの近衛騎士の小隊が消滅した。

 王国戦士長も、その破壊力を目の当たりにし、奥歯を強く噛みしめ驚愕する。

 

「うっ……(先の2匹よりも上だ。見た事の無い圧倒的な攻撃力っ。糞!)」

 

 ガゼフとは距離で100メートル以上あったが、奴の火炎により、周辺は一瞬で焼けつくような戦場へと変わった。

 戦士長は怯まず即断し、単身でその脅威すぎる個体へと先制すべく果敢に斬り込んていく。

 

「はぁぁぁーーーーーっ、〈六光連斬〉!」

 

 ストロノーフ渾身の武技による全力攻撃はその怪物にも見事届いた。竜鱗が斬り裂けてゆく。

 ――しかし、十竜長筆頭には浅すぎた。

 奴の殺気滾る視線が矮小なニンゲンの戦士を捉えると、機敏な羽ばたきの空中姿勢転換と移動を見せて一瞬で標的への接近を図り、ゴミを前足の爪で思い切り斬り捨てた。

 ガゼフは、恐るべき威力の爪の斬撃を咄嗟に剃刀の刃(レイザーエッジ)で受けたが、支えの無い空中である。

 全威力を叩きつけられ、王国戦士長はピンポン玉の様に地面へぶつかり跳ねた――。

 

「ゴハっ」

「「「隊長ーーーーーーーーーーーーっ!!」」」

 

 再度地に落ち転がったガゼフに、王国戦士達の悲痛な声が響く。だが、それで事は終わらない。

 無論、ガゼフは立ち上がっていた。痛々しく剃刀の刃(レイザーエッジ)を杖代わりにして。

 彼の口許からは鮮血が流れていく。

 

「くっ(マズい……左肋骨全部と右足が折れ、腰にヒビと(むね)をやられたか……)」

 

 腰の小袋から小瓶を取り出し青い液体の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を一気に煽る。身に着ける王家の宝物類でも、重傷の回復には時間が掛かるのだ。

 この薬は造られて間もない治療薬である。ただし〈保存(プリザベイション)〉は掛かっていない。元々希少な上に大貴族達がこぞって買いあさり、即効性のある治療薬は当然、平民には回ってこなかった。一応これを飲むと即座に効果は表れるが、瞬時の回復はされない……薬は緩やかに劣化していく為だ。傷は数分から10分程で治る可能性が高い。だが、強敵との戦闘中は1分でさえ余りにも長い。

 

(なんとか動いてくれ、俺の体よっ)

 

 歪む視界に、十竜長筆頭の巨大な姿が迫っていた。奴は己の圧倒的強さへ自信を見せるように、火炎ではなくその手で殺しに地表へと降り立った。

 

「このワシに怪我を負わせるとは、人間にしてはやるな。どれ、直々に殺してやろう」

 

 全く有り難くない褒め台詞を吐く奴は、完全に手負いの人間のトドメを刺しに来ていた。回りからは戦士隊の矢や槍の攻撃もあるが余裕で受け払っていく。

 一方のストロノーフは、折れた右足で踏ん張ろうとするが依然体を支えられない。

 

(まだ断固死ぬ訳にはいかないっ。陛下を守り、せめてゴウン殿の攻撃が始まるまではっ)

 

 それは――王都に残した一人の最愛で眼鏡美人の女性――ユリ・アルファも守ることになる。

 ガゼフは歯を食いしばる。ここで、こんな所でやられている場合ではないのだっ、と。

 

「愚かな人間が、これで死ねぇーっ」

 

 彼の眼前に、十竜長筆頭の上から叩きつぶす形での力任せな右前足による爪剛撃が迫る。

 戦士長は、左足と右手の剃刀の刃(レイザーエッジ)だけで竜の攻撃を躱す事に注力し、機をはかった。

 そして、今と言う時に左足と右腕の剃刀の刃(レイザーエッジ)で地を蹴る。

 だが十竜長筆頭の鋭い視線から逃れるには、動きが甘すぎた。奴は容易にその爪攻撃の方向を修正して振り下ろす。

 

「ハッハー。下等生物がワシから逃げれると思ったか? 終わりだぁーーっ!」

 

 ガゼフ・ストロノーフの顔面へ、鋭く凶暴な死が残り20センチと迫った。

 

「――(陛下っ……みんな……ゴウン殿…………アングラウス……クライム……)ユリ――」

 

 思わず浮かんだ、王城宮殿部屋の扉の外でいつも見送ってくれた愛しい眼鏡美人の笑顔へ、彼の心にあった最期の言葉が、()れた。

 チンケな人間の始末を確信し口許を緩めていた十竜長筆頭。

 

 

 だが奴は突如、頭部の側面を思い切り強烈に殴られていた――――。

 

 

 王国戦士長はその光景を見ていた。いや、もっと視界の局所的一部と言えよう。

 その見覚えのある夜会巻のうなじに、とてもとても良く似合った黒縁の眼鏡顔の女性の顔を。

 思わぬ妨害により、グラついた巨竜の狙い外れた右前足の爪が地面に突き刺さった。

 今、彼女――ユリ・アルファは参戦する。

 さり気なくには程遠いが、それでは至高の御方の命令である彼を守れないから。

 攻撃退避に地へ体を投げ出していたガゼフを敵から庇う様に、前腕部へ幾つも棘の突き出た凶悪なガントレットを付けた、勇ましい戦闘メイド服の彼女が堂々と地に降り立った。

 

 

「ストロノーフ様、あなたは死にません。私が、このユリ・アルファが(命令で)守りますから」

 

 

「ユ、ユリ殿……」

 

 武装した彼女の突然の登場に加え、巨竜をぶっ倒した力等々混乱した状況もあるが、愛以外の何物でもないだろう行動への感動と彼女の熱い言葉に、王国戦士長の死へ立ち向かい鋭かったはずの瞳には――ハートマークが浮かんで見えた。

 もう()()()()()()()()戦士長と、勇ましいユリ達の危機はまだ続くのである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズの焦りは日々少しずつ静かに膨らんでいった。

 

 彼が描いたのは、人類圏の大国が見舞われた天災級の大戦を利用して大仕掛けの舞台とし、その人類国家の窮地を餌にこの新世界へ潜むユグドラシルプレーヤーの参戦と、共闘による友好関係の樹立。

 同時に――モモンガは、『アインズ・ウール・ゴウン』の名で人類側へ盛大に味方することで異色の異形種ギルドだったユグドラシルの色々な過去の悪名を、表面上払拭する狙いも持つ。更に、元ナザリックのギルドメンバーとの奇跡の再会をも夢見たこの計画は順調に進んでいた。

 王国総軍の予定した開戦時間より、竜軍団は突如半日早く動き出したが大勢に影響もなかった。

 その後も王国軍は全戦線で竜王軍団に苦戦し、膨大な被害と死体の山が積み上がっていく。再開戦4日目が終わる頃には、戦場へ投入された王国軍総兵力の約半数近くが死傷者と化した……。

 六大貴族の一人、ボウロロープ侯爵戦死も起こし、予定していたこの惨憺たる戦争劇の進行状況を受け、ビッグプレイヤー的立ち位置の絶対的支配者も少し疑問が湧く。

 

(もう結構、酷い状況だよなぁ。うーん、でもプレイヤーの参戦はまだ早いのかな)

 

 彼等もちょっとした事象で出て来てしまうと、これ以降の面倒事をずっと引き受けるハメを思えば簡単には出れないのかと、その時にアインズはいつもの同意の理解を示した。

 だが、更に3日の時が過ぎる。

 本日7日目の早朝には王国総軍23万8000人の内、健在である戦力が残り3分の1近くにまで減っていた。

 支配者は王都北方の駐留地にて、戻って来たルベドからの戦場全域探査の報告を受けて唸る。

 

(おいおい、まだかよ? もう、登場してもいいんじゃないのかなぁ……)

 

 竜軍団の袋叩き的な攻撃から、各所で全滅に近いこの惨劇の大舞台に、誰一人としてプレイヤーが現れない事態にアインズは困惑し始めていた。

 彼はナザリックでの日課もあってほぼ毎晩、第九階層『アインズ様執務室』奥の黒き大机の席に座り、情報の纏められた書類を確認している。

 その書類の中で、開戦した晩にカルネ村滞在のアルシェがエンリ達との会話の中で、『帝都アーウィンタールをはじめ、帝国内にも竜軍団襲来の情報は届いている』の言葉があったとの内容を読んでいる。それはゴウン邸のキョウからの報告であった。

 その流れであれば、商人達を通じて帝国北方のカルサナス都市国家連合や王国西方のローブル聖王国、スレイン法国の民衆にも王国で起こっている窮状についてもう結構伝わっている可能性が高い。

 プレイヤーの彼等なら、遠方への移動も難しくないはずであり、3日もあれば王国まで来て現状の把握まで十分に可能と思える。

 しかし、実際にはまだ誰一人として戦場へ姿を現していない。

 

(……一体どういうことなんだよ。ここまで全く動きがないなんて。王国が滅んでもいいのかよ)

 

 貧乏ゆすりをしながら、イライラ気味に少し手に汗をかく心理内イメージのアインズ。

 未明に剣豪のルイセンベルグ・アルベリオンが戦死し、アダマンタイト級冒険者チームの一つである『朱の雫』が敗れ去ってもいる。

 彼等の敗北は、戦場全域の士気にかなりの影響が出ていた。

 プレイヤーが華々しく目立つ参戦のタイミングとしては、正に今が頃合いだろう。

 それをナザリックの支配者は、完全に(ゆず)っているのである。

 アインズとしては『アインズ・ウール・ゴウン』の名を上げることは重要である。でも、それを使ってユグドラシルプレーヤーに存在を気付かせ彼等と接触するのが最終目的なのだ。

 彼等が出てくれば、勇名を持つアダマンタイト級冒険者チームや王国軍が各地で敗れ去る事は、それほど重要で無くなる。

 この状況で、ユグドラシルプレーヤーが人類国家の大苦戦に参戦しない理由が他にあるというのだろうか。絶対的支配者は、マーレやヘカテー達の状況を確認する合間で、時間を置きつつ何度かよくよく考えてみた。

 そうして午後の良い時間を迎えた頃。

 

(まさか、見殺しにするつもりなのか……いや、そんな。でもなぁ)

 

 最近はナザリックの情報調査が進み、改めてプレイヤーの可能性が高いと思える六大神や八欲王達は500年以上前と昔過ぎた。彼等については伝説の中の誇張もあり、全員滅んでいるという記載が殆どで、今後も会える期待は小さい。

 でも十三英雄達についての話は、第6位階より上位とおぼしき魔法を使用しプレイヤー色の強い内容の上、200年程前と近い点でこの戦場へ姿を見せる可能性は十分とみている。

 またアインズがこの新世界へ来たのなら、同時に現れた者達が少なからずいるはずだとも。

 確かにこの世界には貴族や秘密結社の如き狂った連中が沢山いるし、強いというだけであれこれ面倒事を押し付けられる風潮に、表へ出たくないという気持ちも当然に思う。

 しかし絶対的支配者は仲間を探し、地下の本拠地から地上へと出る事を選んだ。せめて思い出深いユグドラシルを知る者らと出会いたいと考えて。

 彼は他にも同じ想いのプレイヤーが必ず居ると信じる。

 そして――その中に、もしかすればナザリックには来なかったが、新規アカウントで最後の日にだけ遊びで来ていた嘗ての仲間であった者もいるかもしれないと……。

 『アインズ・ウール・ゴウン』は閉鎖気味だったギルドである。身内しか知らないネタには困らない。昔の仲間達なら話を忘れるはずもない、と強く確信するモモンガ。

 

「フッ、ふふふっ」

 

 ふと今、幾つか仲間達の中であったエピソードを思い出し噴き出す。

 第九階層のスパリゾートでは、メンバー達で遊んだ時に気付かぬ間に耐性無効の水質猛毒化が発生し、結果的に時間差で多数を巻き込むフレンドリファイアが起こってしまった件、等々。

 一方で、万が一にメンバーのフリをするプレイヤーが現れて、その野郎のウソに気付いてしまった時に冷静さを保てそうにない。

 今も、僅かに考えただけで、思い切り両拳を強く握り込む支配者がいた。

 

(――ふぅ。まぁそんな奴は殆ど居ないだろうし、精神的に良くない事を考えるのはやめよう)

 

 精神抑制には至らなかったが、不快な一瞬であった思考を彼は切り替える。

 

(仕方ない。とにかくもう数日待つべきかな?)

 

 他が計画通りに順調なアインズは、そう余裕を持って決めかけた。

 するとハッと、彼は一つの大きな問題点に気が付く。

 

(ああっ! もしかすると、レベルが随分低いプレイヤーなのかもしれないよなぁ)

 

 アインズ自身がLv.100だからといって、新世界へ来るプレーヤーが全てそうとは限らない事を失念していた。そもそも、十三英雄がそれに近そうだというのに。新規アカウントの場合は、ちょっとした課金も交えレベルを30程上げた段階かもしれない。

 盲点と言う感じで足元が見えていなかった感じだ。

 

(あー。それにまだ見えていない条件があるかもしれないなぁ。なら、竜王軍団と十分戦える戦力のある俺が火ぶたを切って目立ち、参加のハードルを下げるのはアリだよな)

 

 ここで大きく流れが変わった。『完全な待ち』から『反撃を窺う』体勢へと。

 既に竜王軍団による王国軍への虐殺的といえる悲惨な戦況は、スレイン法国やバハルス帝国などの人類圏全域へ十分に見せれたと思える状況。

 『六腕』や『八本指』と交わした約束、『貴族達への打撃』の件もボウロロープ侯は戦死し他の貴族の力も十分に落とせた。大都市リ・ボウロロールも被害無く健在。

 竜王国救援への要員も確保しつつ、モモンの名声も上がった。

 世話になった王家と友人的ガゼフへは、竜王軍団を撃破することで色々返せるだろう。

 アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』も一度は惨敗し名を落としている。

 竜の死骸も集め、ズーラーノーン対応も並行して実行中。

 

(えーと。じゃああとは――『蒼の薔薇』が負ければとりあえず、様子見はもういいかもなぁ)

 

 絶対的支配者は、竜王隊とアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の戦いをルベドではないが見守る事にした。連中の場所は傍付けのハンゾウに聞くまでもなく、天使が知っていた……。

 アインズ達が駐留地を置く王都北方の林内で、対策万全の〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で彼女等の今の状況を、シズと不可視化中のナーベラルも横で一緒に見始める。これらの魔法は支配者指導によりナーベラルが実行していた。魔法使いの知識としてカウンター対策の勉強には丁度良いとしてだ。

 尚、シャルティアは不可視化して林の外で北側を警戒中。ソリュシャンは南側で警戒しつつ歩哨をしている。

 支配者は直ぐ〈水晶の画面〉に映る『忍者娘の姉妹関連の組織』の人数が結構減ってることに気付く。5人ほど少ないだろうか。竜王と連中の初戦は上空から見ていたので、以前は20名程と覚えていた。それだけでなく『蒼の薔薇』の逞しい女戦士の姿もない。

 変化について、アインズは三つ子姉妹を継続的に観察しているルベドへ確認する。

 この天使様は残念ながら、天然で緊張感ある良き関係を狙っている風で、自主的に細かい事を報告してくれないのだ。

 

「ルベドよ。両集団で人数が減っているみたいだが、連中に何かあったのか?」

 

 ルベドは小さく頷く。隠している訳ではないので、問えば答えてくれる。

 

「〝蒼の薔薇〟のアニキ風の女戦士ガガーランが今、居ない。3日前、アインズ様が竜王の火炎を処理した時に私が助けたけど、その直後から姿を消してた。でも昨日の夕方に知り合いらしい老女と野営地へ現れてる。別行動してるみたい」

 

 人の名前を記憶出来ないナーベラルの為に、見た目と普段の行動から『アニキ風の女戦士』という呼び方をしたのだろう。卵顔の彼女は今、偽アインズを担当するため人間(ムシケラ)についても容姿と役職名は覚えようと努力しているのだっ。

 そこはスルーし、支配者はもう一人の全く知らない登場者について尋ねる。

 

「知り合いらしい老女?」

「足腰はシッカリしてて腰に剣を差してたけど、詳細は知らない」

 

 ルべドの答えにアインズは「そうか」と、とりあえず納得を返す。天使は次にもう一方の集団の話を伝える。

 

「三つ子姉妹を見ていたから部下側は見てないけど、1人は4日程前に減ってた。そして今から2時間ぐらい前の昼すぎの戦いで竜兵の1匹が〝イジャニーヤ〟の1組を潰したみたい。でも、頭領をやってる子の組の刀使いが1匹竜兵を倒して、上手く撤退してた」

「ほう(〝蒼の薔薇〟と組む組織名は〝イジャニーヤ〟というのか……)」

 

 確か十三英雄の一人と同じ名と共に、『イジャニーヤ』側の人間は、ずっと竜兵を翻弄するばかりかと思っていたアインズは少し感心する。

 モモン達の居るオリハルコン級の冒険者部隊にさえ、一人で竜兵を倒せる程の戦闘力を持つ者はいなかった。『朱の雫』の剣豪ルイセンベルグ・アルベリオンに近い腕の持ち主かもしれない。

 

(アダマンタイト級冒険者水準だな。確か、以前見た時は百竜長の爪を斬り飛ばしていたよな)

 

 武技が使えるレアという事で少々興味を引いた支配者だが、『六腕』の面々にマルムヴィストもいるので直ぐに欲しいと言う訳でもなかった。それより今は『蒼の薔薇』の方である。

 ブレインにすれば、この場にシャルティアが居ない等、幸運だったと言うべきか……。

 どうやら今『イジャニーヤ』達は休憩をしている様子に見えた。そこから1時間以上動きの無い時間が過ぎたのち、遂にイビルアイとラキュースが出撃していった。

 一応ハンゾウが居るので、まだまだのんびり見ている感じのアインズ一行であった。

 しかし、ラキュースら2人が王国軍陣地へ寄ってから事態が急変。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)が単身で突如飛来したのだ。竜王側がどの様にこの場所を知り、登場出来たかの経緯はアインズにも分からない。

 

(……どういうことだ?)

 

 まさか竜軍が独自で『蒼の薔薇』達の行動に関する情報網を組織していたとは思いもよらずだ。

 支配者が考えている間に、〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉内の状況は劇的に変わっていく。イビルアイの影に追随していたハンゾウが負傷したのだ。

 栄光あるナザリックの一員の怪我に、ナーベラルとシズの雰囲気と表情は一気に固くなる。

 至高の御方が御不快になられるのではと……。

 ハンゾウの負傷は、少し前にも竜王の変則的攻撃を受けてあったと聞いている。

 怪我の点ではなくアインズはここで機を考える。

 

(あー。〝蒼の薔薇〟が自然な形で負けるのには、丁度いい状況なのかもしれないなぁ)

 

 大局的にそれなりの望む結果が見えており、彼はアッサリと現状へ冷徹に非情さをみせた。

 ――絶対的支配者は黙してそのまま見続けていた。

 ナーベラルとシズはそれを『ハンゾウは任務に失敗したから……罰? いえ、ハンゾウの力はまだ生きていて、自分で何とかすべきという事なのかも』と捉えていた。

 〈水晶の画面〉には、そこからのイビルアイとラキュースの激闘が流れ続ける。

 しかし、遂にラキュースが竜王の膝に蹴り上げられ力尽きた。

 続いてイビルアイも、竜王の火炎砲の炎に包まれる形で死闘の幕は閉じる。

 不可視化中のナーベラルと魔銃を右手に持ったシズは、無言のまま画面を見詰めていた。

 

 その時点で、〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の前に支配者と天使の姿は()()()()()()が――。

 

 

 

 

 

 闘いに完敗し放心気味のラキュースは、全身の激痛で意識が遠のきつつも不思議であった。

 竜王から蹴り飛ばされ、空中で派手に大の字で回転したことで天地が最早分からない状態なのだが、いつまで経っても地面に激突した大きな衝撃がこないのだ。

 全身の筋組織と骨が裂け砕け、すでに体がグニャグニャしているので反射的に受け身を取るのも不可能。

 

(……………高く飛ばされて……地面が遠い……から?)

 

 しかし意識し、腫れぼったい瞼を僅かに開けると狭い視界に、もう灰が盛大に舞っているように見えた。

 既に痛覚の感覚がおかしくなっていて、地面に転がっているのかもしれないと思った時。

 

「ラキュース殿。まだ意識があるようだな?」

 

 ハッキリと聞き覚えのある威厳を漂わせた声が、機能の残る耳から入って来た。

 

「――ェッ……?」

 

 咄嗟に視線を声のする左上方へ大きく動かすと彼の――独特の仮面が見上げる形で見えていた。

 彼の仮面の下の素顔はもう知っている。

 金髪の凛々しい青年の横顔が思い出された。

 彼の横に護衛で純白の鎧姿の余りにも美しいルベドも居る様子。お似合いの二人に思えた。

 でも、これは走馬燈では無い。

 

「……ゴ……(ウン……殿)?」

 

 彼女は弱りきっているので、驚きの声も(かす)れていく形でしか出せなかった。

 おまけにこれ以上ない酷い姿で顔だと思う。それは正に百年の恋すらも一遍に冷めるだろう状態のはずだ。

 だが、彼女は英雄にも引け目なく戦士として限界まで戦い抜き悔いはない。最期の刻に、神様がちょっとした嫌がらせとご褒美をくれたのだろうと思う事にする。

 劇薬の副作用が起こり出せば、この体と体力では絶命するはずだと考えていた。

 そんな傷だらけで醜く変わった彼女へ平然と、仮面の彼は小瓶に入った()()()を勧めてきた。

 

「液体が飲めるか?」

 

 アインズが提示した薬が血色の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)でないのは、〈状態の精髄(ステータス・エッセンス)〉の見立てで負傷だけではなく魔素系の障害的な毒にも酷く侵されていたからだ。

 

「……それ……(は)?」

「(あー、えっと、そうだっ)これは、万一に残していた()()()の回復薬だ」

 

 以前に、魔法的に有用な協力を断っているので、それっぽい言い訳を適当に語っておく。

 

「……ぇ……でも……(いいの……ですか)?」

「ああ、勿論」

 

 アインズ自身では使えない薬であり、それも山ほどあるので問題はない。

 初めてこの新世界で使うので少し実験的な部分も入っているが、ラキュース達には竜王国の件が控えているので弱くなったり死んでもらっては困るのである。

 実験も兼ねて蘇生魔法を施したアルベリオンも、目をそのうち覚ますだろう。

 剣豪は死んだ事で、()()()()アズスの〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉により負傷した仲間と共に戦場から運び出せていた。蘇生直後の彼に竜王国への遠征は直ぐに難しいかもしれないが、大きく減った王国冒険者の当面の穴を埋めてもらう必要もあるのだ。

 メリットがそれなりにあればこそ、絶対的支配者も使用に踏み切っている。

 ラキュースは、ゴウン氏の変わらない考えの様子に小さく頷いた。

 了解を得て、彼は栓を抜いた小瓶の口をラキュースの傷が酷い口許に傾け飲ませてあげた。

 その驚きの奇跡的効果は一瞬で発揮される。

 

「―――ぇ、えっ……えええっ!!?」

 

 ラキュースは全身の激痛と折れたグニャグニャ感が、一気に消えた事へ驚きの声を上げた。硬直して握りっぱなしだった魔剣を思わず落とすほどだ。

 そして自分が、地へ膝を突いたゴウン氏の大きな胸に抱かれ、介抱を受けていた事に気付いて彼女の美しく戻った顔が赤く染まった。落下の衝撃が無かったのは、優しく受け止められていた所為だろう。

 

「立てるか?」

「は、はい」

 

 全身の疲労さえも完全に消え去り、感覚が戻った足で彼女は灰の積もる地面へと立ち上がった。彼からの手が、どこぞのお姫様へ差し出された風に互いの右手の先を握り合う姿で。

 ラキュースは頬と瞳を自然と僅かに熱く潤ませつつ述べる。

 

「ありがとうございます、ゴウン殿っ。この御恩は――」

「――悪いな。イビルアイも危ないのだろう? 話は後にしよう。君はここに居てくれ」

 

 彼女の想いを仲間の惨状で区切る風にそう告げると、「あっ、はい! イビルアイをっ」という我に返ったラキュースの声が聞こえたのか分からぬ間に、ルベドと共にゴウン氏達の姿は消えた。

 

「あ……(ゴウン……様)」

 

 仲間(イビルアイ)を心配しつつも、己の治療薬を失ったままの彼なのにと、不安で一杯になるラキュース。

 地面の灰へと落とした大事な魔剣はまだ拾われず、しばしの間そこへ埋もれていた……。

 

 

 

 その時、イビルアイの魔力量はまだ完全に尽きてはいなかった。

 でも難度150を超える彼女の動体視力は、はっきり見てしまっていた。

 あの猛攻撃を見せたラキュースの強さは、自分にも決して劣らない凄まじいものであったと。

 そして、竜王の圧倒的な(パワー)に敗れ、空へと蹴り上げられたラキュースの――首や手足の折れてぐにゃりと変な方向へ曲がったまま飛んでいくその姿を……。

 隔絶した強者に屈したわけではなく、大事な仲間の姿に不死の彼女は戦慄してしまった。

 

「(―――!)ラキュース……」

 

 己より240歳以上も若いが、頼りになる若く美しく、何より心の折れない強いリーダーであった。

 始めはカウラウ婆さんが自分もいる癖に、「全員女でぴちぴちの若造のチームじゃ」と紹介して来た時、ローブ姿のガガーランへ「大男がいるじゃないか」と()ず食って掛かったのが懐かしい。

 気になったのは、あのリグリット・ベルスー・カウラウが『蒼の薔薇』のリーダーではなかった事。

 本人は「もう歳だからね」と言っていたが、あの女が中途半端な奴に付くとは思えなかった。

 チーム入りの賭けもヒドイ騙しで「よくも放り込みやがって」と、居なくなったリグリットへ当初は拗ね気味であったが、吸血鬼である自分に「元々同じ人間だし」と、事情を知って接してくれた正義感溢れる淑女のリーダー、それがラキュースだ。

 イビルアイは暫くチームの様子を見ることにした。

 リーダーの神官戦士は貴族の娘であったが、それを理由に決め事を押し切る姿は一度もなく、厳しくもあったが公平に理知的且つ仲間を凄く大事にしていた。

 そして他の仲間達も個性は強いがイイ奴らでチームとして纏まっていく。

 だから200年振りぐらいで()()()()、イビルアイも他者とチームが組めたのだ。

 

 なのに――またも大事な仲間の死に()くんでしまった自分が情けない。

 

 昔、一度あったのだ。それもまた別の意味で酷い状況での仲間の死。十三英雄のリーダーの自殺であった。

 基本的な精神に一部、ウブや幼い部分のあるイビルアイはそれに耐えられなかった。

 共闘という形であったが、人外の自分を受け入れられ仲間意識を持ったのは彼等が初めてであった。それ以前と以降は殆ど孤独に生きていた。共闘後もたまにリグリットが会いに来るぐらいだ。

 ガガーラン達の死であれば怒りを糧にし、まだ普通で戦えたかもしれない。何故ならラキュースには〈死者復活(レイズデッド)〉の魔法があったから。望みが見えるならば冷静にもなれる。

 だがリーダーの死は希望が完全に失われ、死が確定してしまう。他に第5位階魔法〈死者復活(レイズデッド)〉を使える者が王国内には見当たらず、他国を見ても個人でその名を聞かない。

 あのバハルス帝国の三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインでさえ習得していない魔法なのだ。また、期待のゴウン氏も支援系魔法は得意で無いと語っていた……望みはもうない。

 自分の敵わないような強敵にもイビルアイの心が折れることは決してない。

 

 だが、信頼を最大に寄せる親しい者の死に、この吸血姫の心は寂しさに耐える事(あた)わず――。

 

 彼女の走馬灯的思考の間に、竜王の吐く言葉「愚か者め、図に――」「さて吸血鬼、次はお前の死――」が耳を通りずぎていた。

 気が付けば、体が硬直している己にイビルアイもただ呆れてしまう。

 

「……」

 

 最早、無言でじっと、うな垂れ続けるほかなく。本当に不甲斐ない。

 

「――〈全 力 火 炎 砲(フルフレイムバスター)〉」

 

 上空から竜王の止めの一撃を宣言するかの高らかな声が聞こえた。

 王国軍の広く展開する陣へと苛烈な火炎を吐く姿を何度か見ているが、百メートル四方を優に炎が覆い尽くす威力。

 直撃地点の兵士達は骨も残らない。

 嘗て『国堕とし』と呼ばれた頑丈な吸血鬼(バンパイア)のイビルアイでさえ、灰燼に帰すかもしれない火力。

 リーダーを守れず、仲間達に会わす顔がない彼女は、その攻撃の膨大な熱気の接近を感じてそっと仮面下で両目を閉じた。

 突如、体がふわりと浮き上がる感覚。同時に聞いたことのある声が聞こえた。

 

 

「諦めるのか? ――ラキュースは無事で生きているのに」

 

 

「なっ!?」

 

 直前の態度から心理を突かれた後で予想外の事も言われ、イビルアイは慌てて目を開いた。

 仮面越しに外の景色を臨む。そこは先程とやや異なる場所で、一面麦畑の焼けた跡が広がっていたのだが……日が傾くもまだ青空の下、確かに見える。

 

 そこにはラキュースが元気な姿で生きて立っていた。

 

 彼女の足元へ目を向けても、しっかりとその彼女の長く綺麗な四肢の両足が地面を踏みしめる。

 

「イビルアイっ! 良かったぁ、あなたも()()()()達に助けて貰ったのね」

 

 (ようや)く吸血鬼は自分の有様(ありさま)に、ハッと気付く。

 背中と膝裏の下から身体(からだ)を持たれている感触で、視線がいつもよりも高い位置なのだ。

 もうおわかりだろう。イビルアイはゴウン氏に御姫様抱っこされていた――。

 

「あっ、その。ゴウン殿、助けて頂いて……た、大変感謝します。リーダーについてもその、ありがたく……ですっ!」

 

 仮面の吸血鬼は、完全に慌てて声も上ずり気味で、しどろもどろとなっていた。250年以上生きて来て、男に抱っこされるなど記憶にない。

 一方の仮面の魔法詠唱者は、落ち着いた深みと威風に満ちる声を返して来た。

 

「いえ。こちらこそ準備が遅くなってしまって、申し訳ない。助け出せてよかった」

 

 自分の言葉との差に、イビルアイは仮面の下の顔を更に赤くしていく……。

 そんな仮面の二人をラキュースが、羨ましそうに見ていた後ろに、ルベドが返って来た。

 アインズ達は、竜王へ対して完全に気付かれないよう手間を掛けた形だ。まだ仕事が一つ残っているが。

 先程は、両者とも〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉でイビルアイの両脇へ立ち、ルベドがイビルアイの代わりに、火炎を流して受けつつ〈完全不可知化〉を解除。〈虚偽情報・生命(フォールスデータ・ライフ)〉で体力反応を燃えたように下げ存在を消す役で、最後に〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉した。ゴウン氏は先にそのままイビルアイを攫って離脱したのだ。

 他の者達では中々真似出来ないのでバレ様がない豪快な手だ。

 

「も、もう、下ろして頂いて大丈夫です、ゴウン殿」

 

 やっとの事で、イビルアイがそう口にするとゴウン氏はゆっくりと彼女を下ろして立たせた。

 彼女はアンデッドだが正直、身体(からだ)はガタガタのはずも、ラキュースも助かっており、心が何故かドキドキしテンションだけで持ち直していた。

 ここで、魔剣を背に下げたラキュースは歩を進め、ゴウン氏の前まで進むと述べる。

 

()()()()、ルベド殿、改めてお礼を。イビルアイだけでなく私まで助けて頂き、本当にありがとうございます。この御恩は必ずお返しいたします」

 

 イビルアイもリーダーに倣って続く。

 

「改めて私からもお礼申します。リーダー共々苦境を救って頂き感謝します」

 

 これに、ゴウン氏は右手を軽く上げ自然に返礼する。

 

「いや、本当に遅くなってしまった。反撃に際し竜王の様子をまず接近して確認しに来てみて、この状況に驚きました。本当に間に合った良かった」

 

 謙遜気味の、迫真の演技というのだろうか。営業ノウハウとは恐ろしいもの。

 このゴウン氏の言葉の中に、ラキュース達は聞き逃せない言葉を耳にし、顔を見合わせる。

 ラキュースがその言葉を熱く確認する。

 

「――反撃なのですね。遂にっ!」

 

 

「そうです」

 

 

 ゴウン氏ははっきりと明言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは上機嫌でその後、編成し直した新竜王隊と空中で合流した。

 数は以前より1頭増え計6頭の部隊だ。百竜長のノブナーガと2匹1組となり、他に竜兵の組が2つ付く形である。

 そのまま1時間程、脆弱な人間共相手に暴れると今回の攻撃サイクルの時間が終りへ近付いた。

 竜王自身は全然元気であるが、それなりに疲労する配下への配慮は必要である。

 なので、彼等は宿営地を目指し一旦引き上げの途に就く。

 6頭なので前から丁度1頭、2頭、3頭と順に並ぶ楔形での隊列で飛行する。先頭を進むのは当然竜王自身である。

 そんな彼等が旧大都市廃虚上空に差し掛かった時のこと。

 

「――とこしえに眠れ、〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)深き眠りへの誘い(ディープスリープ)〉」

 

 2キロ以上離れた遠距離から撃たれるこの声は、敵まで届かない――。

 

 

 竜王隊は攻撃を受けた。

 

 

 ――突然の酷い眠気の上、〈竜を討つ槍(ランス・オブ・ドラゴンスレイヤー)〉、〈極地光線(ポーラー・レイ)〉、〈爆裂する槍(ランス・オブ・エクスプロージョン)〉が続け様に集団へ命中。新竜王隊は絶大な威力で吹っ飛ぶ。

 それは圧倒的に強力な魔法攻撃であった――更にただ1匹残った竜王へと。

 

「――〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万 雷 の 撃 滅(コール・グレーター・サンダー)〉!」

 

 この猛攻撃に堪らず、竜王ゼザリオルグは旧大都市の廃墟へと落下し片膝を付いた。

 直後、上空へ急に大きな(パワー)の存在を捉え、()()は長い首を上げて睨む。

 

「ぐぅぅ……テ、テメェっ、一体何者だぁぁ!」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)を容易く撃墜した存在は、(いか)る竜王からの問いかけに威厳のある声で告げる。

 

「私は――アインズ・ウール・ゴウン。

 この戦いでリ・エスティーゼ王国へ味方する旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。アインズと呼ぶが良い」

「ア、アインズ?」

 

 ゼザリオルグは唖然とし、その漆黒のローブ姿の者の最後の言葉へ困惑の色を深めていた。

 

 

 

 話を付けたはずの天使からの視線が痛い中、容赦なく遂に今――王国(じんるい)側の反撃(ターン)が始まった!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. エ・ランテル冒険者組合所属 ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』の最後 Part1

 

 

 彼等『クラルグラ』の退場は、絶対的支配者による決定事項である。

 リーダーのイグヴァルジは喧嘩を売る相手を間違えたのだ―――自業自得の流れの如く。

 

 

 彼は、エ・ランテルの冒険者組合において密かに覇権を狙っていた。

 村にいた悪ガキ少年の頃には英雄にとの思いもあったが、都市で暮らし歳を重ねると現実が見えて来る。結局、冒険者として好き勝手に生き、将来的に冒険者組合長に納まって財を成し名を知らしめイイ女達を侍らせたいと。その計画は30歳を超えた今、結構順調であった。

 そこに湧いて現れたのが、漆黒の戦士モモンである。

 新参者の癖に、高価で立派な全身鎧と大剣が似合うという、ド派手で気に障る出で立ち。

 相棒の美しい魔法使いの小娘と共に組合へ加入するや、たったの半月程で(カッパー)級から白金(プラチナ)級まで上って来た。昇級内容が、眉唾モノの盗賊団退治だけという有り得ない優遇。

 どういうわけなのか冒険者組合長のアインザックと魔術師組合長のラケシルに気に入られているらしい。

 これら全てがイグヴァルジには面白くない。

 

(目立ちやがって気に入らねぇ。次の冒険者組合長はオレだっ。誰にも渡すもんかよ)

 

 その執念にも近い欲が、モモンを敵視させた。

 臆病そうな相棒の小娘はモモンの()()()()っぽいが、美人になりそうなので目を付けている。

 今回の王国北西部への竜軍団討伐の遠征で、目障りなモモンは都合よくアインザックと組んで十竜長以上の上位の竜討伐担当になり、返り討ちに遭って纏めて死んでくれそうで(イグヴァルジ)は喜んだ。

 王都内広場におけるエ・ランテル遠征一行の到着点呼の場で、わざわざ居合わせた様に()()()()し、仲間達とモモンへ強烈なイヤミを伝えて上機嫌であった。

 

―――敬愛する(モモンガ様)への侮辱に闇妖精(マーレ)の怒りは、この段階で完全にオーバーヒート状態に……。

 

 マーベロという娘の方へも、『クラルグラ』の連中はモモンが戦死したらメンバー4人で将来の夜の慰み者に使ってやるとモモン本人の前で暗に伝え、イヤラシさを際立たせ去っていった。

 

―――仲間の子供(NPC)への暴言に、絶対的支配者の怒りもこの段階で飽和状態に到達している……。

 

 イグヴァルジ自身は「組合長になれるのは只一人」としてメンバー達もいざとなれば使い捨てるつもりだが、まだ当面都合良く動いてもらう為にはと甘い汁も吸わせている。そのためかメンバー連中のリーダーへの印象は「そんなに悪いヤツじゃない」という気持ちで付き従っていた。

 

 

 数日流れて、出陣前の王都滞在時のある日。

 王都冒険者組合の幹部が宿屋へ通知に現れ、ミスリル級冒険者イグヴァルジら4人は、今大戦において東部戦線が主戦場と知らされた。

 彼等の役目は、先日から宿屋で合流している他の都市のミスリル級冒険者チーム2組と共に担当域の戦場を駆け回り、王国軍を攻撃中の竜兵達を狩っていくことである。

 強く危険な上位の竜長は、アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』やオリハルコン級冒険者部隊が担当となっている。

 つまり、対竜兵担当ではイグヴァルジ達ミスリル級は、(シルバー)級、(ゴールド)級、白金(プラチナ)級らの上に立ち最高階級。彼はニヤリとする。

 

(下の奴らを上手く働かせそうだし、俺様達は美味いところを頂かねぇとな)

 

 当然、手の出せそうな女冒険者達も込みでだ。

 都合のいい事を考えている中、幹部からは「状況次第では十竜長も頼む」という話も当然出た。

 無論、イグヴァルジとしてはそんな割の合わない事を出来る限りするつもりはない。

 しかし体面を保つために、彼は本心と真逆の事を並べてやった。

 

「……了解です。私達に任せておいて下さいよ(バーカ、やるわけねぇだろ)」

 

 そうして出陣までの数日、王都内で他2チームと合同訓練を適当に熟して過ごす。

 イグヴァルジはこのミスリル級冒険者部隊でも得意の話術と態度で主導権を握ろうとした。

 他チームのリーダーに一人、やけに強気の野郎がいたので、裏路地に呼び仲間の4人で半殺しにシメて大人しく言うことを聞かせた。シメた噂をもうひとチームに軽く流し、イグヴァルジは上手く誘導して丸め込み部隊代表となった。

 シメた野郎の同チームの女冒険者がヤツの女だというので、出陣まで詫びの代わりと強く脅してチームの3人で3周ほど夜となく昼となく廻すなど裏での非道振りをより濃く示した。仲間で野伏(レンジャー)のヤツが「スタイルと顔がタイプじゃない」と言い断っていたが……。

 それ以外で『クラルグラ』は、出陣までの間に1日だけ、エ・ランテル冒険者組合長のチームとの手合わせの機会があった。近く、次期エ・ランテル冒険者組合の責任者になるかもしれない点から、前任の引退者(ロートル)達の実力は少し見ておきたいと話を受ける。

 

(どうせ、アインザックも百竜長と戦ってサックリ死んじまうんだろ? まあ一応、最後に花を持たせてやるか)

 

 とりあえずは当初、適当に相手をするつもりでいた。だが最後は結構本気になってしまう。

 汚い手を使えばもう少しいい勝負になったと思えたが、使うと色々マズイので抑えて終わる。

 結局2戦して2つとも負けた形となった。正直、完敗気味となり面白くない。

 それにイグヴァルジは、一人のミスリル級冒険者として改めて驚く。

 

(ラケシルと二人、引退してたんじゃないのかよ。なのに強すぎだろ。オリハルコン級やべぇな)

 

 チーム『クラルグラ』の目指す次の階級で、指ぐらいはもう掛けているはずなのだが、ピンキリがあるとでも言いたいのかと思うほどの差があった。

 その晩の酒席の最後にイグヴァルジは、「組合長らは、ちょっとアダマンタイト級に近いのかもな」と言い出す始末であった……。

 

 

 そして『クラルグラ』達の冒険者部隊は、運命の戦場へと出陣する。

 流石のイグヴァルジも緊張気味だ。彼自身、(ドラゴン)と戦ったことはないのだから。

 王都では、伝説の怪物(モンスター)とはどれ程の強さなのかと考え、空を舞う鷲獅子(グリフォン)や地上戦は体形の近い蜥蜴人(リザードマン)の動きを踏まえて思い描き鍛錬してきた。

 やがて、予定よりも半日早く両軍が激突し開戦する。

 イグヴァルジの率いる部隊一行は、担当の東部戦線各地を移動する。しかし、開戦初日に彼等の直接戦闘はなかった。

 どうやら竜王軍団は南西の戦線から南、南東戦線へと回って順次攻撃しているという情報が入った。同時に、「竜達は途轍もなく強く、戦闘全域で苦戦中」とも伝わる。

 イグヴァルジは内心で焦る。

 

(おいおい、こりゃ正面から戦うのは得策じゃねぇな。よし……)

 

 そうして竜兵との戦いが始まると、『クラルグラ』達のミスリル級部隊は、白金(プラチナ)級冒険者部隊のあとになるべく現れる感じで戦場を回った。おまけに、周りへ目撃する味方の生存者が少なくなると、生き残った王国軍兵達に竜兵を押し付けて逃げた。

 恥も外聞も無い様な動きには一応理由がある。

 

 イグヴァルジ達は実際に(ドラゴン)と戦ってみて――話通り竜兵達が想像以上に強かった為だ。

 

 彼の一番の衝撃は、竜を斬りつけた際に剣が刃こぼれを起こしてしまった事である。

 イグヴァルジの愛剣も含め、メンバー達の剣も金貨数百枚はする代物で、まさかそういった剣の刃が簡単に欠けるとは想定していなかった。なので巻物(スクロール)の〈中修復(ミドル・リペア )〉のストックもチーム内で数本と僅かであり、多戦は厳しすぎた。

 白金級冒険者の中でも剣が折れて倒される姿を何人も目撃し、完全に他人事ではない。

 

(武器だけじゃなく、俺達の使えるどんな攻撃魔法も2、3発じゃ大して効いてないし、伝説通りすぎだろ? 冗談じゃねぇぞ。こうなりゃなるべく戦いを避けるしかねぇ。死んでたまるかっ)

 

 とりあえず、『クラルグラ』らの冒険者部隊は戦闘に、斬撃や刺突ではなく打撃系の武器を全面に出し()()()()で切り抜けていた。

 更に『クラルグラ』は部隊内でも貧乏くじ的前衛は他のチームに押し付けてなるべく矢面に立つことなく切り抜けていく。

 正に卑怯の限りを尽くして、彼は生き残りに掛けていた……。

 イグヴァルジは、竜達へミスリル級冒険者水準でさえ傷を付ける事すら難しい現実を呪った。

 

(あんな〈不落要塞〉じみた頑丈な化け物、どうやって倒すんだよ。オリハルコン級以上でなきゃ無理に決まってる。やってられるかっ)

 

 しかし2日目の晩、イグヴァルジ達は戦場内に流れて来たトンデモナイ英雄譚を耳にする。

 『朱の雫』が既に竜を5匹以上倒したという無双振りは響いていた。でも彼等はアダマンタイト級冒険者達でありトンデモナイ驚きは湧かない。話はそれとは全然違った。

 

『南東戦線にて、エ・ランテルの白金(プラチナ)級冒険者で漆黒の鎧を纏う戦士モモンが十竜長を倒した』

 

「――っ(な、なんだとぉ!?)」

 

 エ・ランテルの次期冒険者組合長を目指す男は、その内容に激しく動揺し絶句した。

 もし竜を倒した証拠の部位を持っていた場合、次は一気にオリハルコン級になる可能性がある。そうなれば、次期冒険者組合長はどうなるか。大小の都市の冒険者組合長は殆どオリハルコン級の経験者という事実。

 

(モモンのクソがぁ、俺様の邪魔を。余計な噂を流しやがってぇぇっ)

 

 イグヴァルジの瞳は一瞬激しい殺気を帯びた。

 だが、各都市の冒険者組合長は別に『最強の冒険者』である必要はない。王都の冒険者組合長が元ミスリル級冒険者であり、それを証明している。

 信頼や判断力、人望などが重視され、当代の冒険者組合長が次期組合長を指名するか残留意思を表明し、現役冒険者上位陣の同意があって初めて次期の数年間職に就けるのだ。

 

(いや、まだだぁ。俺が奴を認めはしない。俺が認めないって事は、過半数は得られないぜっ)

 

 白金級冒険者の快挙に、イグヴァルジ達の近くへ陣取り戦闘を終え夜戦食中の王国軍兵士達が、「凄いなー」「新たな英雄の誕生だ」「モモンーっ!」「モモン様万歳!」などとフザけたことを(ほざ)いて盛り上がっているのが聞こえて来た。

 イグヴァルジの表情は、正に苦虫を噛み潰したかのよう。

 

「……どうせイカサマだろ」

 

 暗闇の戦場に潜みつつ、『クラルグラ』のメンバー達へ呟いた彼の理論では、圧倒的な竜兵相手に己より格下のモモンがイカサマを出来るらしい。凄まじい理論破たんの言い掛かりであった。

 それもあり『クラルグラ』の他のメンバーには、『噂自体がウソだ』と解釈された。

 だが、この戦場で名前まではっきり挙がる嘘の噂が流れるとは思えなかった。今回の戦争が帝国など人類相手なら何か意味もあるだろう。しかし相手は竜軍団であり、この噂は本物以外考えられなかった。

 今朝早くの出来事だと言う話で、否定する話も聞かれなかった事からも間違いないだろう。

 なので他のメンバー達は、噂に対して内心で『うわ、()()()()()が生き残ったらやべぇ』と大きく心配する空気へ変わりつつあった……時、既に遅しだが。

 エ・ランテルという名に、『クラルグラ』達と同じ都市だと気付き、部隊仲間のミスリル級冒険者がイグヴァルジへ笑顔で御機嫌を取るように声を掛けて来る。

 

「エ・ランテルにも英雄が誕生ですね。イグヴァルジさんも鼻が高いんでは?」

「英雄? 冗談じゃねぇ! 単なる狡いペテン野郎さ。奴は人間性が最低のいけすかねぇ男だぞ」

 

 苛立つ言葉を伝えて来た男の奴を射殺す様に睥睨し、部隊長は言葉を吐き捨てた。

 

「えっ、そうなのか……へ、へぇ、酷い冒険者だ」

 

 声を掛けた冒険者は、同郷の大活躍を激しくこきおろす部隊長の様子に、変な尾を踏んでしまった感を悟り、竜兵との戦いで前面に出されるのを恐れて無理やり話を合わせていた……。

 勿論、イグヴァルジはソイツを直ぐ次の戦いで最前面へ配置してやった。不快にした当然の罰としてだ。

 ただその後、モモンの活躍の続報が届かなかったのは幾分ホッとさせる。同時に疑念を持つ。

 

(やはり実力以外の偶然だろ。オリハルコン級冒険者達が殆ど手を下した最後でちょこっと刺したとかしたんだぜ。全く余計な事しかしねぇムカつく野郎だ)

 

 一方で、『クラルグラ』らの部隊の方も、当然だが全く戦果は上がらなかった。

 

 功無く戦ってるフリのみを続けていたイグヴァルジ達は、開戦4日目になると戦場内に白金(プラチナ)級以下の冒険者の姿が随分と減っている状況に直面する。

 つまり竜兵達と戦う周辺には、代わりで闘わせる連中が居なくなってきたのである。

 そうなればイグヴァルジは切り捨てに入る。部隊長として次は『クラルグラ』以外の2チームを容赦なく矢面に立たせた。

 だが、そんな無理の有る他人への押しつけだけで最後まで上手くいくはずもない。

 

 5日目の早朝前、彼等の部隊は遂に戦場で1頭の十竜長と遭遇してしまったのである。

 イグヴァルジ達のミスリル級冒険者部隊は、部隊長も含めて必死で応戦した。あのペテン師モモンが倒したというのだから、必ずあっけなく倒せる弱点があるはずだと。

 しかし十竜長は難度147で純粋に強かった。全ての攻撃がほぼ通じず、犠牲が出る中で途方に暮れる。結局、王都でシメた野郎のチームのまだ元気な3人を騙して囮に置くと――反対方向へ全力で逃げた……。

 最後にイグヴァルジが振り返って見た光景から、囮の連中は火炎砲の餌食になったはずだ。

 朝を迎えた頃にミスリル級冒険者部隊は、『クラルグラ』の4人と他チームの2人だけになっていた。ずっと『クラルグラ』以外の2チームで前衛をやらされたため、残ったチームも直前の十竜長戦で1名、それ以前に2名死亡している。基本的に部隊構成は人員が減っても補充されない。

 イグヴァルジらも含め、彼等は敗残逃亡状態に陥り、彷徨って全員が疲れていた。

 ここは、東部戦線でもかなり北寄りの地。

 北が山脈で死地と言われる北部戦線から10キロ程東南東の位置。空を舞う竜兵も随分遠く離れて見えている。

 実質、戦場から外れていると言える場所だ。

 なので他チームの2名は一応1時間程一息付いた頃、部隊長のイグヴァルジへと進言する。

 

「そろそろ、移動して担当地域へ戻らないと。臆病者や逃亡扱いにされるし行きましょう」

 

 それに対して、イグヴァルジは視線を左へと大きく逸らせつつ述べる。

 

「そ、そうだよな(正論だが、死にに行くようなもんだろ。何とか引き延ばさねぇと)」

 

 あくまでも姑息にこの場へ留まる現状維持に(すが)ろうとしていた。

 だけど、そんな虚しい抵抗にも、遂に終止符の時間帯が訪れる。

 クダラナイ言い訳を真剣に必死で考えているイグヴァルジの傍にいた『クラルグラ』の仲間が、少し離れた空を見て叫ぶ。

 

「お、おい。あの竜達、こっちに進んでくるぞっ」

「え゛っ?」

「なにっ!」

 

 戦地復帰への進言に来た部隊員とイグヴァルジが、慌ててその方向へ振り向いた。

 すると、遠目にも屈強だと分かる竜兵を先頭に、数頭で組む編隊の姿は次第に部隊員達の視界内へ大きく映っていくのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その楽しげな契機(ケーキ)はアインズの誤算から始まった

 

 竜王の放った超火炎砲〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉が、遠方から突然の流れ弾として飛来し、それを上手く利用してボウロロープ侯爵を屠った仮面姿のアインズ。

 空中に佇んでいると、〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を解いて帰還して来た鎧姿のルーべ(ルベド)が現れた。

 

「三つ子姉妹の二人のついでで、他の〝蒼の薔薇〟のメンバーも助けた」

「そうか……よくやった」

 

 同好会活動を優先しつつも、恐らく彼女なりに今後の竜王国への展開を気に掛けてくれたのだろう。ここは、褒めつつ撫でておく。――このナデが意外に大きかったと後で知る事になる。

 彼女だけが『失敗する事もある主人』と気付いているのを知らない彼は、有能な支配者らしく振る舞いルーべへと尋ねる。

 

「周辺に我々と〝六腕〟以外に生存者はいるか?」

 

 目撃者がいるとマズイので、可能性は全て消しておくべきと合理的に進める。

 

「……9人いるけど」

「方角と距離はどれぐらいだ?」

 

 広域探知によりルーベがそれぞれを遠く可愛く指さし、距離とさり気なく標的の状態も同時に教えてくれた。弱っていなければ逃げられる可能性があるのだ。ただ、どうやら全員が保存食を取りに来た民兵らしい。

 聞き終えると、アインズは『六腕』達の所へ戻りゼヴィエスの姿になると、サキュロント以外へと先程の標的の始末を指示した。獲物に近い者が2つ担当する形。

 善寄りのルーベへ気軽に殺しをさせるのは気が引けたのだ。何かの間違いで、堕天使になられても非常に困る。

 『六腕』達の態度は先程までと更に違って見えた。それもそのはず。先の巨大爆発の規模を考えるとアインズが守ってくれなければ大怪我か最悪死んでいたかもしれないのだ。

 

「ゼヴィエスさん、了解しました。雑用は任せて下さい」

 

 恩義も加わりゼロをはじめ、当然と言う形で皆が指示に従って散って行った。

 また、残したサキュロントにも大きな仕事を与える。

 彼を使うのは、幻術を戦闘で使わなければ割と平凡な強さなので、『〝六腕〟だと一番気付かれ(にく)い』ためだ。表面的な姿も変えられるし、弱い者にも利点は存在するのである。

 そして何を指示するのかと言うと――。

 

「サキュロント。お前には〝ズーラーノーン〟の妨害工作を命じる」

「えっ? 私が……ですか……?」

 

 結構な大役である。何故なら、極悪な仕事を日常的に熟す『八本指』でさえも、狂った秘密結社『ズーラーノーン』とは事を構えたくないからだ。仮に破壊工作なりが成功し『八本指』の関与がバレると一大事となる可能性を抱える。

 

(俺の力じゃ、そんな大役無理。絶対無理です、ゴウンさんっ)

 

 額に汗を浮かべたサキュロントは、目を見開き視線を左右へ彷徨わせ、何となく普段優しいルーベに視線を向けた。しかし、小首を「ん?」と可愛い気に(かし)げられて終わった……助け舟は出ず。

 仕方なく自身で、なんとかこの件に相応しくない理由を考え言葉を捻り出す。

 

「恐れながら、流石に私一人……という事では時間が掛かってしまうのではと」

 

 これに対し、ゼヴィエスは雰囲気を穏やかにして語る。

 

「問題ない。()()()()()()付けてやろう」

「えっ、手下ですか?」

「そうだ」

 

 

 それから、40分程でゼロやエドストレーム達が容易く一仕事を終えて戻って来た。

 躯は放置すると謎を残すので、発見されないように移動なり埋めるなりでキッチリ隠させた。

 

「ゼヴィエスさん、無事に始末は終わりましたぜ」

「苦労」

「……あの、サキュロントのやつは?」

 

 ゼロは舎弟的な仲間の居ない状況に一応尋ねてきた。

 

「ん、実はな――」

 

 『〝六腕〟だと一番気付かれ難い』という理由と共に、サキュロントへ重要な『〝ズーラーノーン〟の妨害工作』の仕事を与えたとゼヴィエスは語った。

 ゼロをはじめ『六腕』メンバーは、奴一人でどうするのかと内心で驚く。

 しかし盟主から、()()()()()の話を聞いて全員が絶句した。

 

 サキュロントは戦場の外縁を疾走し移動していた。

 

(ひぃぃ。こ、これは夢じゃないのかよぉぉぉーーーっ)

 

 彼は先頭を進む。二列縦隊を組む10体の地を滑る死の騎士(デス・ナイト)の肩に乗せられ共に――。

 故ボウロロープ侯爵の陣地跡周辺に、騎士達の死体が一杯転がっていたので有効利用したのだ。

 アインズが命じればサキュロントへある程度の範囲で従わせるのも特に問題はなかった。

 問題がありそうなのは、サキュロントの精神状態かもしれない……。

 

 

 

 ゼヴィエス達が故ボウロロープ侯の陣地跡の傍から撤退を始めたのは、侯爵死亡の約80分後となる開戦5日目に入る直前頃であった。

 ゼロ達には穀倉地帯中央の大森林内を迂回通過して大都市リ・ボウロロールへの大街道傍沿いでの最終的な王都帰還を命じた。リ・ボウロロール防衛はボウロロープ伯爵の要望でもあったため、その辺りへ終戦まで『六腕』が徘徊潜伏しておけば『八本指』としてリットン伯爵ら反国王派貴族達へ色々言い訳も立つと考えての指示。

 今後、竜王と対決する盟主には足手まといでしかない事が、『六腕』達も先の大爆発で理解出来ている。

 

「では、ゼヴィエスさん。討伐後の王都凱旋を我ら〝八本指〟の一同は楽しみにしてますので」

「任せておけ」

 

 盟主の自信溢れる言葉を聞き、ゼロ達は素直に指示へ従いこの場を去って行く。

 一応、仲間の行動に関してサキュロントへも、アインズが周辺を回って10体もの死の騎士(デス・ナイト)を連れて共同野営地へ戻って来た折に、盟主の口から直接伝えてある。

 任務とは言え、恐るべきアンデッド達と戦地に残される彼は不安そうな表情をしていたが……。でも仲間にデイバーノックが居たことは大きい。サキュロントはパニックに成らず済んだ。

 『六腕』を見送ったゼヴィエスとルーベはこの後、王都の北方で警戒する偽アインズ達に合流しようと動き始めるが、その時。

 ゼヴィエスの思考へ聞きなれた着信電子音が鳴り、可愛く元気な声が聞こえて来る。

 

『あのっ、アインズ様、アウラですが。今、よろしいですか?』

「うむ、大丈夫だ(あっ)」

 

 支配者はシャルティア経由でアウラへと、確か1時間半程前に竜兵4匹の調教(テイム)を頼んだところだと思い出す。それを生かす用件はもう終わったのだが、問題でも起こったのかと急がない支配者は続けて気軽に尋ねる。

 

「何かあったのか?」

 

 難題事があれば、「ゆっくりでいいぞ」とも言えるとして。

 するとアウラは可愛く告げて来る。

 

『――テイム完了ですっ! 御命令のあった竜達4匹はどうしましょう。お持ちしましょうか?』

「(えっ、もう?! ちょ、ちょっと早くないか? あ、〝今日明日中〟と言った気が。うわぁ、どうする)……」

 

 命じられた仕事が終わって明るい声のアウラ。間違いなく急いで頑張ってくれたのだろうと、アインズは――しまったと気付く。

 努力した可愛いNPCに、とても「もういらない」とは言えない。

 それはつまり、闇妖精()()の姉を悲しませる悲劇に――隣で仁王立ちしているルーべ(ルベド)がナザリックの平和崩壊の手ぐすねを引いて待っているようにも思え俄然恐怖するっ。

 〈伝言(メッセージ)〉なので会話に注意すればこの場に限り大丈夫ではあろう。しかし危険だ――これは理屈では無い。ナザリックに戻れば、いつかルベドの耳に入る可能性は残り続ける。

 何故、(絶対的支配者)はジワリと追い詰められているのだろうか。

 でも易々とこの場で屈する訳にもいかない。

 声が出るので〈自己時間加速(タイム・アクセラレーター)〉も使えず、只一瞬の閃きにアインズは賭けた。

 

(竜兵達を使って、使って……ええっと何か、殺すヤツ、この戦場で………あっ!)

 

 

 ――――いた。 

 

 

 無論、エ・ランテルのミスリル級冒険者チームの連中(イグヴァルジら)である。

 平和は守り継続されてこそ意味を持つのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. エ・ランテル冒険者組合所属 ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』の最後 完結編

 

 

 程なくイグヴァルジ達6名を囲むように、()()()()が上空で旋回包囲した。

 『クラルグラ』らのミスリル級部隊は、開戦から今日までの戦いで複数の竜兵を同時で相手にした事は一度もない。

 

(ぁぁあ……、なんてことだよぉ……)

 

 イグヴァルジは完全に絶望感で追い詰められ、表情だけでなく体と心さえも固まった。

 ――彼の耳には、何故か耳障りな()()()()()()までが聞こえてきた。

 しかし、慌てる仲間達の激しい大声が掛かり我に返る。

 

「おいリーダー、どうするよ!」

「部隊長っ! 戦うしかねぇぞ。もう逃げ場はないし」

「(えっ、逃げずに戦う気か? マジかよ)ぁ、ああ……」

 

 思わず返事を返したものの、イグヴァルジはまた――『クラルグラ』のメンバーさえも犠牲にして逃げ出す手はないかと考え始めていた。

 戦うなど、先の十竜長の戦いで十分懲りている。

 

(腰の剣にはヒビが入っちまってるんだ。もう直す手はねぇし折れたら、本当に自身を守る手段を失っちまう)

 

 僅かに散開しつつも依然まごまごしている冒険者共の前へと、1頭の貫禄ある巨体の竜兵が降り立つ。難度159の個体だ。東部戦線の竜兵達は、負荷が掛けられた様に些か動作面で鈍くなっているという話も、この4頭は随分元気そうに映る。

 見るからに筋骨隆々とした怪物は、地上を這うように馳せる他チームの1名をあっさりと前足の爪で真っ二つに惨殺。もう一人へは鋭い踏み込みのあと、巨大な足先でただ蹴り上げた。冒険者の上半身が鎧ごと粉砕されて下半身が後方へと転がった。

 

「「「――っ!?」」」

 

 正に竜長級のその動きは先の十竜長よりも圧倒的に早く、とうに疲弊しきっていたイグヴァルジ達は遂にその場へとへたり込む者も出て固まった。

 周辺には『クラルグラ』の4人しかおらず冒険者部隊の援軍は見込めず。王国軍陣地もずっと離れている場所だ。

 イグヴァルジがわざわざ選んだ逃避の場所が――ここぞと言うタイミングで裏目に出ていた。

 

(うぅっ、俺はこんな所で見すぼらしく終わるのかよ……)

 

 彼はガックリと頭を下げ、地面へ視線を落とした。

 英雄を夢見て都市へ出てきた当時からの記憶が、走馬燈のように脳裏を駆けていく。

 それなりに楽しかったなと――だが、彼の往生際は悪かった。

 

(やっぱ、い、いやだ。死にたくない。俺はエ・ランテルの冒険者組合長になるんだよ。イイ女をもっとコマすんだよっ。……こうなれば、仲間の3人をあの降り立ってる竜へ突撃させて、その隙に逃げ出そう)

 

 無茶苦茶な願望を纏めて顔を上げた時、イグヴァルジは自分の視線の先に立つ()()に驚く。

 他の仲間3人も硬直していた。まるで、忽然とこの場へと()()が現れた驚きの表情のままで。

 だがソイツはどう見ても、『クラルグラ』のメンバー全員が知っている顔であった。

 

 

 凄く小柄の綺麗な金髪で褐色の肌の美少女で、純白のローブを纏う――――モモンの相棒。

 

 

 イグヴァルジは声にならない音を上げた。

 

「――ぁはっぁ?!」

 

 意味が分からない。一体全体どういう事なのか。なぜコノ少女がココにいるのか。竜兵が彼女を襲わないのさえ、全てが謎であった。

 ただ先程から近場で、鋭い風切り音が聞こえると思っていたが、その原因を知る事は出来た。

 フードを被り前髪で両目の暗い暗い闇の瞳が見えない少女は、立派な紅い木の杖の細い部分を両手でしっかりと握っている。

 

 そして――高速スイングの練習を熟すかの素振りを何度も何度も何度も繰り返していた……。

 

 振りきる時間と、振るまでのおどおどした動作の時間差がありすぎて不気味さを倍増した。

 イグヴァルジは余りに理解不能な全ての状況から、悲鳴に近い声を喉から飛び出させる。

 

「……きひぃぃぃ、なに、なんだよっ、オマエ!?」

 

 漸くここで、少女は静かな口調ながら、怒気を乗せてハッキリと意志を伝える。

 

「ゆ、許さない。ぼくの大切なあの方を侮辱する人間は、ぼ、ぼくがちゃんと懲らしめます」

 

 マーレは、その一途な想いでこの場へとわざわざ来ていた。

 竜達には優しく「あ、あの。ぼ、ぼくの目撃者を出さないようにお願いします」と告げ『殺せ』とは伝えていなかったが、結果的に他チームの冒険者は死亡する事になってしまった。マーレとしてはこの結果を、特に気にしていないが。

 さて闇妖精(ダークエルフ)の妹がここにいると言う事は――。

 

* * *

 

 この一件は、連中への処罰実行を待ち望むマーレに頼む方がいいのかもしれない、と絶対的支配者は天使危機を回避しつつ刹那で同時に判断した。

 でもその前に彼は、短時間で指令を終了し「テイム完了」と報告した配下へ対し、言葉を贈るのを忘れない。

 

「――そうかアウラ、流石だな」

『ありがとうございます、アインズ様っ』

 

 敬愛する支配者からのお褒めの言葉にアウラは純粋に喜ぶ。後日、トブの大森林でのお散歩もあり随分と張り切ったのだ。それが報われたと上機嫌。

 そこに至高の御方の声が続く。

 

「実は以前から考えていた不快な人間のチームの処分事があってな。竜兵の駒を探していたのだ。それをアウラへ調教して貰ったわけだ」

『……不快な人間共ですかっ?』

 

 元気で高い声のトーンが、一オクターブ急に下がっていた。

 ナザリックの支配者を不快にするものは、地下大墳墓全体の敵である。即時、殲滅するのは当然の処置と言える。アウラは御方の行動になるほどと思いつつ、出来れば自分がという思いが湧く。

 だがそれは、主の話す内容を聞き、考えを変えた。

 

「この件には、アウラの(しつけ)た竜達と共にマーレを当てようと思う。あの子は私への不快な状況を目の当たりにしつつも私が何度か我慢させた上に、自分への変な言葉にも耐えていたからな」

『――っ!』

 

 アインズ様への無礼が最も許せないが、その上に妹までも被害に遭っているというのであれば譲るほかない。アウラ自身もその人間共を懲らしめたいが、この場は可愛い妹へ花を持たせるのが姉というものだろうと彼女は聞き分けた。

 

『分かりました。是非、その役はマーレにお願いしますっ』

「うむ。それで一点頼みたいことがある」

『はいっ、何でしょうか?』

「実は――」

 

 支配者の説明を聞いたアウラは納得し、処刑は標的の行動状況で調整される事になった。

 流石に目撃者の大勢いる戦場のど真ん中では後処理が大変になる恐れも発生するからだ。

 標的の行動監視を第九階層の統合管制室に依頼し機会を待った。それは依頼のあと数時間後の朝に訪れた。

 連絡を受けたアウラが、偽モモンであるパンドラズ・アクターへ事の次第を〈伝言〉し、〈時間(タイム・)停止(ストップ)〉を掛けて貰い入れ替わる。暫くの間、フードを深く被った姉がマーベロ役を「す、少し喉がヘンですが、今日もぼく頑張ります」と熱演中である。

 

* * *

 

 追い詰められたイグヴァルジは今、目に映っている事だけを考える。

 目前でおどおどする小娘の魔法詠唱者の名前は、確かマーベロとかいったはず。

 この場へ娘が現れて以来、凶暴で恐ろしい存在だった地上の竜長はナゼか動かず、長い首を伸ばしてこちらの様子を大人しく見ているだけ。

 (イグヴァルジ)の思考は、ある想像を都合良く閃く。

 

(もしかして、この娘がいれば竜達は襲ってこねぇんじゃねぇか……? つまりコイツに俺様の言う事を聞かせれば脱出出来るっ)

 

 それは確かに正解である。ただし実行出来ればであるが。

 イグヴァルジは迷うことなく、その自分の妄想へとしがみ付きマーベロへと語り掛ける。

 

「な、なぁ。お前、確か名前はマーベロっていったよな?」

「……は、はい」

 

 未だナザリック関連の存在は公に明かせない以上、彼女はマーベロの名をひとまず肯定する。

 それは、偉大な支配者の治める栄光あるナザリックでの呼び名で創造主の付けてくれた名前を、この人間に知らせる必要もないと考えたからでもある。

 対して、自分の言葉へそのビクリとしてみせた態度に、イグヴァルジへ少し余裕が戻る。

 

(へへっ、コイツ、男である俺に怯えてやがるぜ。何とかしてみせるぜ、俺様はっ)

 

 己の妄想に自信を深めると、この男は調子に乗り始めた。上から目線といい、よせばいいのに。

 

「マーベロちゃんよぉ、お前も日々、色々大変なんだろ? あんなデカイ男の夜の相手とか、な」

「……」

 

 全身鎧姿のモモンはイグヴァルジより一回り以上大きかった。

 そんな大男の相手を、小さい身体でとなれば大変かもしれない。イロイロと。

 姉より幾分マセるマーレは、まだ無いが支配者との本格的な夜を想い僅かに頬が赤くなる。両の瞳が薄い灰色まで戻ってきた。

 意外にここまでは、イグヴァルジが善戦しているかに見えた。

 しかし。

 

「な、あんな図体だけのカス男、ひでえ事しかしねぇだろ? 夜も力任せのゲスで、性格も最低のはずだぜ。だがな俺は違う。安心しろよ。俺ならお前を救ってやれる。金も持ってるぜ。おっと、俺は嘘は言わねぇよっ」

「…………………――ゥッ!」

 

 果てしない怒りの我慢の限界に、烈火の吐息がLv.100の闇妖精(ダークエルフ)の口から漏れた。

 後方に立っていた十竜長は、野性的に死の危険を感じ20歩ほども後退していく。

 

 この愚かなる(イグヴァルジ)は――既に地獄が広がる底さえも、一気に踏み抜いてしまったのだ……。

 

 忠誠心溢れる子の怒る大火に油を注ぎ過ぎていた。マーレは、もはや素振りさえやめていた。

 両手に握っていた頑丈な紅い杖が少女の跳ね上がった握力に軋みを上げる。暗い暗い底の見えない瞳に戻った俯き気味のマーレは、振り上げていた杖を静かに下ろしていく。

 単なる撲殺は、ナザリック地下大墳墓の罰において、慈悲深き救いの領域。

 少女はこの目の前の人間に対して「それは明らかに間違っている」と感じていた。

 でもご都合主義のイグヴァルジ達は、素振りが止まりきっと娘の気が変わったのだと笑顔を浮かべる。

 だから彼は近くに居た仲間と、ゆっくりと顔を上げたマーレの表情を正面から見てしまう。

 その果てしなく暗く、全ての幸運を闇へと飲み込んでいく漆黒の瞳を。

 イグヴァルジ達は、笑顔から見てはイケナイものをみた恐怖に顔を引きつらせ震えがきていた。

 地獄の使者と化したマーレは首を壊れた人形の様にコトリと傾けて、愚かな連中に告げる。

 

「た、叩いて終わりにしようかと思ったけど、も、もう――生ぬるいよね?」

「え゛っ?」

 

 同意を求められたイグヴァルジは疑問の声を上げたが、光射す外の記憶があったのはここまで。

 

 

 ()()()()()()冒険者だった彼は、静かに意識が戻り気付く。そこは、漆黒の不気味な空間。

 

(あぁぁ、まだ生きてるのか俺は………)

 

 完全に真っ暗である。ここには一切の光がなかった。

 あれから一体何日経ったのだろう。薄い顎髭の肌への感触で時間の流れを知る。

 ただただ、背筋が凍るような不快感がまたも全身を一気に包み込んでいく。

 それが多数の虫だと初めから分かった。それも()まわしい油っぽい茶色い虫の記憶がある。独特の臭いで分かるのだ。なんせ、鼻からも入ってくるのだ、体内へと。口からも勿論だ。

 ただ、恐れていた耳からの侵入はナゼか無い。

 そんな(おぞ)ましい状況ながら、両手は背中側で両足も足首と膝を縛られ足の立つ位置で吊るされており、ボロ切れを纏い何も抵抗は出来ない体勢。

 口には閉じる事の出来ない大きい穴の開くかませが付けられ、虫を噛み潰すことも出来ない。

 

 

 彼は、この虫達によってのみ水分と糧を得て生かされている……。

 

 

 ここは永久の監獄、ナザリック地下大墳墓第二階層の一角。

 あれから仲間だった3人の姿を見る機会は未だ無い――。

 

 

 

 結局マーレは、イグヴァルジ達の意識を奪うと、生かしてナザリックまで連れて来る。

 それは彼女が現場からの〈伝言(メッセージ)〉で、シャルティアらと合流していたアインズへ経緯を話し相談した結果の指示によるものであったから。

 

『あ、あの、どうしても許せないんですけど、ほくでは酷い処罰を思いつけなくて……』

 

 マーレには打撃とその痛みによる処刑しか思いつかなかった。しかしそれは慈悲深すぎると。

 配下の思いを聞いた支配者はそこからすぐ引き継ぐ。ふと情操面を考えてだ。

 

「マーレは十分働き、ヤツラを強く追い込んだと思うぞ、よくやった。その連中はナザリックへ連れて帰ってこい。私も向かう。お前の怒りの分も込めて十分相応しい罰を私が与えよう。最終的にまたマーレへ頼むかもしれない」

『は、はい。お願いします、モ――アインズ様』

 

 マーレとしては、とりあえず不届き者らに失神するほどの打撃を与え、御方から労いとお褒めの言葉を貰えた事で随分溜飲は下がった。

 長い(みそぎ)のあとで、悔い改まったのちにスイング打撃を与えるとの事で少女は満足した。

 こうして、ニューロニスト監修での5つの段階の第一弾として恐怖公の協力と、エントマへ密かなおやつタイムに合わせたかの新たな日課が加わった。

 

(あのハレンチな人間(ニグン)さえぇ、とてもお優しいアインズ様から大罪を許されたというのにぃ。コイツらは余程の愚か者ですぅ。厳しくしますぅ)

 

 第二階層の通路を歩きながら、配下のニグン以上に御方から怒りを買うとはと、随分な酷さに呆れ強い対処を決意した蟲愛でるメイド。

 やはり『クラルグラ』の4人は、もはや運が尽きているのかもしれない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 残っていたお仕事も天使(ルベド)あれば憂いなし

 

 

 絶体絶命であったラキュースとイビルアイを無事救出したアインズ。

 いよいよとなった『反撃』について少し語り合った彼等は間もなく解散する。

 先に去っていくのは匍匐飛行の〈飛行(フライ)〉によるラキュース達であった。竜王の飛び去った逆方向から迂回する形での移動。

 さて、残るアインズ達だが、実はまだ『とても重要な仕事』が一つ残っていた。

 それを気付かせたのは――ルベドである。

 

 竜王ゼザリオルグはこの(あと)、殺したはずの人間2体が助けられて生き残っているとは知らないままで、1時間程を新竜王隊と上機嫌で過ごしている。救出の場面では、先の人間共よりもずっと重要な謎の魔法詠唱(マジック・キャス)(ター)達の姿もあったはずなのにだ。

 それはオカシイのである。なぜなら――竜王と人間2体が戦っているのを監視していた竜兵が居て、竜王の憤慨する内容の報告を赤裸々に聞くはずなのだから……。

 因みにゼザリオルグがあの(あと)直ぐ、監視で位置を知っていた『イジャニーヤ』達の野営地を襲わなかったのは依然不明な『ナニカ』の存在に加え、吸血鬼の魔法詠唱者と『なにか』を失った人間共の部隊がどう出て来るか見モノと思った次第である。

 

 天使(ルベド)は先程、『反撃』についてラキュース達と語らう絶対的支配者へと、合間に〈伝言(メッセージ)〉の小声で連絡していた。

 

『今、戦場内で、三つ子姉妹の傍の高い空を飛び続ける竜達が5匹程いる。そしてあれも――その内の1匹だと思う』

 

 ルベドの視線が、この場の近い場所で高い宙を舞う竜兵へと注がれていた。

 

「――っ(そうか、なるほどな)!」

 

 絶対的支配者は、何故ラキュース達が強襲を受けたのかをこの時に理解する。次に当然、その対応に動くのである。

 

 この時、上空に髙く舞う難度117の竜兵は、やはりその高き場所より克明に地表での出来事の一部始終を見ていた。

 

「……(竜王様が倒しタはずの人間達が――何者カに助けられ生き残っテいるっ。陣内に現れたと聞く()()魔法詠唱(マジック・キャス)(ター)と、仲間の剣士……カ?)」

 

 そう、先程王国軍の小陣地の兵達が高き空に見た竜兵は監視任務につく部隊の1頭であった。

 彼は5体組側の人間2体が低空を飛行し去る光景を見送り、残った2体の動向を連絡係の竜兵が来るまで張り付いているつもりであった。

 だが、その地上にいた人間2体が――()()突如消えた。

 監視の竜兵は、先程も連中が姿をくらました場面を思い出す。

 

(消えタ。……恐らく〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉カ?)

 

 敵の行動から想定し、その自慢の視力で周辺の広い地表を探索する。〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉の場合は百メートル前後から数百メートル程の移動が多いという事を、彼は物知りな百竜長のドルビオラから聞いていた事で冷静に対処し始めた。

 今は夕刻前のまだ明るい時間。しかしふと、彼は自慢の長い首の竜頭の鼻先に何やら伸びる僅かな影を感じた。

 竜眼の視線を僅かに上に振ると――頭上に2対の足底が見えた。そして人間程度の細い脚が4本天に伸びる。

 

「なっ!?」

 

 戦慄した竜兵の巨体へ、強烈な悪寒が走っていく。

 ゆっくりと見上げると……漆黒のローブが風にはためくも〈静寂(サイレンス)〉により何も聞こえない魔法(マジック)詠唱者(・キャスター)と白い鎧の剣士が居た。

 

「――――(ぁわわわ)」

「〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉っ!」

 

 監視担当の竜兵の記憶は、『竜王様に蹴り飛ばされた哀れで無残な人間の死体を1体だけ見た』というものへと無事すり替えられた。

 記憶の改竄と平行して死体も用意させる。記憶操作中は手が離せないので、そちらはルベド側へ振っている。

 まず、負傷していたハンゾウをルベドに巻物(スクロール)で治療させた。次はハンゾウに兵士の死体を急ぎ探させ、金髪の女剣士へと幻術で擬装し定位置へ配置で準備完了。ハンゾウは、そのままイビルアイらを追わせた。

 姉妹大好き天使のお陰で、支配者は反撃のその瞬間まで竜王にその存在を知られずに済んだ。

 これは先日、姉妹関連でイビルアイとガガーランをついでで助けた折に支配者から褒められた事で、些か勤労へ目覚め掛けているのであるっ。

 無論、魔法終了直後の転移先でルベドが主人からお褒めの言葉と、ご褒美のナデを貰ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 竜王国VS『ビーストマンの国』の近況は?

 

 

 闇夜の中、竜王国の東方三都市の一つ、『東方第二都市』を囲う高い外周壁上の一角。

 血まみれた石床の狭き戦場の中、鋭い斬撃が倒すべき互いの敵へと容赦なく振り下ろされる。

 

「ギャァァァーーーーーーーっ!」

 

 また竜王国軍兵が一人、精強なビーストマン兵に切り捨てられ城壁上の混戦の中に崩れ落ちた。

 

「衛生班は? 衛生兵っ!」

「もうだめだぁぁ」

 

 弱音を吐く兵達を部隊長が叱咤する。

 

「諦めるなっ! 応援も来る。ここを抜かれたらあとが無いぞ」

 

 続いて奮闘する冒険者達も周囲を激しく鼓舞した。

 

「絶対死守しろっ。押し返せぇ。お前達、家族を殺されたいのかぁぁ!」

「「「うおぉぉぉーーーーっ!」」」

 

 前線部は、毎日毎日毎日毎日――退くも地獄、進むも地獄である。そしてまた夜が一つ明ける。

 人間を餌か奴隷だと考える屈強なビーストマン達の大軍勢を相手に、かれこれ2カ月近く奮戦中だ。

 町中全てが死と隣り合わせの光景が広がり、連日数百名を数える死者が出続けている。最早その総数は、死体を埋める作業や場所で困る程に達していた。

 一応先日、女王陛下の指示でこの東部にある3つの各都市へ1万ずつの増援と食料が到着し、城塞都市の兵力は回復。敵との拮抗状態が今のところは守られている。だが再び兵力は目減りしており、三都市合計で14万に近付きつつある。

 また、東方三都市へは周辺の住民の多くが避難で雪崩れ込んでおり、食料に関して逼迫しかねない問題は継続して残る。

 ただ、首都の軍司令部はそれよりも、このままでは先に敵増援の攻撃で突破される方が早いと見ているが……。

 

 

 竜王国には中央から結構北西寄りの地域に首都『竜王都』が置かれている。その高い外周壁が囲む都市内から、南から西へと海の如き巨大湖が臨める高台に立つ王城内の宮殿一室。

 夏の快晴の空の下、その開け放たれた高く広い窓近くのテーブル席へ、一人の長い薄緑色髪で美しい姫君が腰掛けて北西の方向を愛おしそうに待ち侘びて眺めている。

 

「ああ、モモン様……(早く、1日も早くのお越しを、(わたくし)はお待ちしております)」

 

 竜王国女王の若き妹、ザクソラディオネ・オーリウクルスがリ・エスティーゼ王国東端の城塞都市エ・ランテルにて、冒険者組合所属の白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のリーダーと約束を交わしてから今日で24日目。既に3週間以上が経つ。

 当初、持ちこたえられないのではと思われていた東の3つの小都市を結ぶ絶対防衛線は、首都からの増援が功を奏したようで、本日まで辛くも耐え凌いでいる。

 風の噂では、スレイン法国からの援軍が潜入しているとの話も流れ、首都と周辺の士気は依然まずまずであった。

 ザクソラディオネの姉である女王ドラウディロンと宰相や側近達は、連日前線から届く戦況報告と作戦会議等でほぼ城内に軟禁状態といえる有り様。

 まあ女王は、幼女的天真爛漫さを作る部分で疲れているだけなのだが。

 しかし、多忙も国を預かり動かす者の使命であろうと、妹は豊かな胸元へ祈るように手を組み合わせ目を閉じる。

 

(いつも国民と共に。姉上や皆の心血を注ぐ戦いが報われますように)

 

 そう静かに祈るのみであった。今の彼女に出来ることは限られている。

 万が一、王城へ憎き怨敵のビーストマン達が大挙して攻め込んでくれば、穢される前に決死の戦いを見せるつもりである。しかし、出来れば漆黒の戦士様との先の未来も見てみたい。

 身分差から禁断の恋なのかもしれないが。

 ただ、幸いなことにザクソラディオネは女王の妹。この『最終戦争』とも言える国家存亡の大戦において彼の武功により、我が国で爵位を得られれば絶対無理な話とまではいかないはずである。

 彼女はそれに大きく淡い期待を寄せていた……。

 

(難度30以上とも聞く強いビーストマン兵を10体倒せば名誉騎士にはなれるはず。あ、でも流石にその身分では厳しいかしら……。せめてモモン様には一部隊を率いて頂き、敵の大隊を蹴散らしてもらえれば、準男爵辺りを封爵していただけるように姉上へお願いして差し上げましょう)

 

 少しグレーな手段での未来予想図を、ザクソラディオネは熱く妄想して過ごしている。

 

 

 姉の竜王国女王ドラウディロンは、ずっとギリギリの東部絶対防衛戦線の戦況に胃が痛い。

 すでに首都とその周辺地域に予備戦力は一兵も存在せず。

 つまり、防衛で手一杯であり、3つの城塞都市から打って出る戦力が存在しない。

 このままでは、『ビーストマンの国』から増援軍の来襲により、東部の絶対防衛線は容易く崩壊し突破されよう。

 その最大の対策として――スレイン法国への救援派遣要請は当然続けていた。

 宰相は、連日続く重苦しい会議の中で大臣へと確認する。

 

「……本日もまだ、スレイン法国からの使者は来ていないのだな?」

「はい。誠に残念ながら未だに」

「そうか」

 

 宰相は、ニコニコ微笑み続ける女王に代わり、残念そうに難しい顔で視線を落とした。

 席に着いた臣下達の居並ぶ会議室の大机の最奥。

 そこに置かれた玉座で、愛らしく幼い姿の女王は静かに座っている。

 

「……(むぅぅ)」

 

 彼女は、顔で笑って内心で唸っていた……。

 東部の都市では噂が流れているのに、どういうことなのかと。

 

(ずっと訳が分からんな……情報封鎖という流れとみるべきかの)

 

 スレイン法国は近年、竜王国への『ビーストマンの国』の侵攻を、派遣した精強な特殊部隊の援軍で何度か撃退している。

 此度は、大規模な敵の侵攻軍である為、法国は特殊部隊の精鋭で特別強力な斥候などを寄越している可能性があり、まだ使者が来ていないのはその所為かもと、女王は考えを巡らす。

 

 表には出せないが、一説には白髪の老紳士的戦士と黒衣の美少女で『聖者』とも聞く――。

 

 とりあえず、スレイン法国は動いてくれている様子なので、この場では次の議題へと移った。

 進行役の文官が説明し始める。

 

「では次ですが、妹殿下がお持ち帰り頂いたリ・エスティーゼ王国の都市、エ・ランテルの冒険者の件ですな。先日より約束の時期に入って来ており、そろそろ到着近しと思いますが」

 

 それはカッツェ平野を挟んだ国、王国からの援軍の話である。

 冒険者等は軍隊と異なる為、スレイン法国の街道沿いで来ると思われる。

 

「うむ、そうだな。現状で予備戦力はないが、彼等の到着次第で話は大きく変わって来る」

 

 女王の傍へ座る宰相が、頷きながら要点に触れた。

 あくまでも到着した場合の話とはいえ、実際に下準備を進めなければ急には動けない。それに、『ビーストマンの国』にとっては想定外の動きであり、与えるインパクトも強く期待出来る。

 援軍がスレイン法国だけではないとなれば、未来の戦争が抑止出来る展望さえ生まれる。決して小さな動きではないのだ。

 そして優秀な冒険者達を首都内へ置く事で、兵力を動かせる可能性も発生する。それをビーストマンの軍への攻撃戦力に使おうという考えだ。そのためには到着までにある程度、冒険者達の戦力規模に対してどれぐらい動かすかと同時に、兵糧の手配を検討しておくべきだろう。

 到着戦力の分析から派遣兵力を決定し、準備した兵糧を持って速やかに行軍し侵略軍を撃破・撤退させるのが最終目的となる。

 また行軍の際、誤認で問題が起こらぬように途中の街や村の駐留部隊へ知らせたり、水の補給などの援助準備や野営地手配の指示も必要だ。

 援軍到着に対する段階的な項目が、宰相を中心にして割とスムーズに決まってゆく。

 だが、作り笑顔の女王の心の中に一つ引っ掛かっている事がある。

 

 妹が王国で会ったと聞いた冒険者の――モモンという男の戦士の事だ。

 

 最近、日頃のザクソラディオネの様子から、只ならぬ恋慕の雰囲気を感じている。

 別に恋へ縁のない自分より先取っているからと(ひが)む訳では決してないが、些か問題が大きい。

 

(恋心か……一体どんなものか。女の幸せとは……)

 

 モモンなる彼は、他国者で更にどこの馬の骨とも知れぬ平民の男である。

 話を聞けば、確かに『竜に怯えない勇敢さ』と『妹へ不埒な要求をしなかった誠実さ』は認める所。オマケに援軍が来て国の危機が救われた場合、彼の貢献は目立つものに育つ。

 しかし婚姻となると別問題である。

 

(きっと優しく真面(まとも)な男なのだろうな……)

 

 不意に女王は幼女姿での、変態アダマンタイト級冒険者への夜の餌食になる未来が脳裏へ過る。

 国事に比し、貞操の方が軽い扱いとも言えた。傷つこうとも一時的な状況であると……。

 対して婚姻は竜王国の王家、オーリウクルス家の格へ影響してしまう。

 ()()()(ひが)()()()()()が、ジャマをするべきかもしれないと姉は考える。

 

(……ザクソリーよ、残念だが今のままでは決して縁談は認められぬぞ)

 

 会議が進む中で、姉は妹への心配に(しば)し思考を占有されていた。

 

 さて、国内の諸案件も幾つか片付けた頃、時刻は正午へと近付く。

 昼食になる為、一旦区切りの良い所で宰相が女王へと振る。

 

「陛下、ここまでの案件、いかがでしょうか?」

 

 宰相とは事前に散々事案の内容を詰めており、それにほぼ沿って会議の決定は成されていた。

 なので、女王は場の者達へと明るく元気な声を掛ける。

 

「よし! ここまでの件、皆に任せたぞ!」

 

 守りたくなるような女王の幼げな言葉に、彼女を除く全員が一斉に起立する。

 続いて、宰相を除く大臣や臣下の貴族達のやる気に満ちた声が会議室内へと響いた。

 

「「「はっ! 女王陛下、お任せください!」」」

 

 

 

 

 『ビーストマンの国』の首都は、現在冷酷無比に侵攻し主戦場となっている竜王国の東方三都市から、間に小都市を一つ挟んだ120キロ程東で栄えている。

 首都都市部と郊外に住む亜人個体総数は約57万体。

 都市の中心近くには、国を治める白獅子顔の()()()閣下の住まう広い宮殿や中央議会堂など、政府機関の建物が置かれている。

 ただ、都市や各建物についてアーグランド評議国程のものではない。それは評議国が元は人間の都市を元にして発展したのに対し、ビーストマン達は隣国の人間達の建物文化を幾分取り入れたという程度だからだ。それでも(さら)って奴隷にした人間に、設計から作らせた建物も幾つか存在する。

 その一つに荘厳な石造りの外観を誇る軍総司令部がある。

 本日昼過ぎより、2階奥の大会議室にて大首領閣下以下国家の錚々(そうそう)たる顔ぶれが参加し『竜王国植民地化戦争』の進捗状況報告会が開かれていた。

 会議冒頭から、改めてこの戦争について一通りの経過が場に伝えられてゆく。

 

 此度の竜王国への侵攻は、国内において不足が心配される『人間』という重要消費資源の確保を求める主婦層からの強い要望に応えたものであった。

 長年続けて来た竜王国への人間狩りの攻撃情報から、スレイン法国側の介入度合や、竜王国自体の地理と軍備を調査把握した上での正に満を持しての出兵である。

 戦力は、銀色鎧の獅子顔将軍を総指令官に他三将軍と、兵力にビーストマン兵5万。更にスレイン法国への対抗戦力として、難度162の7メートル級ギラロン型ゴーレム1体を増派していた。

 万全の対処といえよう。

 侵攻開始からひと月半は、予定通り辺境地帯の街や村を襲いつつ、侵攻戦力を段階的に増やす形で順調に戦いを進めていく。計画の中では、竜王国側の兵らが東方地域に築いていた3つの城塞都市群へ立て籠って持久戦に持ち込み多少拮抗状態になる事も想定されていた。

 東方都市群の守備隊には多少手こずっていたが、それはゴーレムを温存しての状況でまだ十分余裕があった。

 だが、この勢いの良い流れに突如、異変か起こる。半月程前の夜中の事だ。

 竜王国内の前線野営司令所に温存駐機していた、虎の子であるギラロン型ゴーレムが何者かに完全破壊されたのであるっ。

 同夜、南の第三都市の市内侵入戦において、猛者で知られた虎顔の老副将親子が戦死。また、都市の北側でも圧倒的な力で潰された兵達の死体までも見つかった。

 加えてその4日後の第三都市の夜戦にて、都市外平地の味方陣内への敵潜入者により1300体以上の兵が惨殺され、後日、数百の死体が不明になるという異常事態までも発生――。

 その後も竜王国内侵攻軍は、敵の援軍3万の各都市への合流阻止にまで大きな被害を出し失敗しており、最早、本国の司令部も静観出来ない事態である。

 

 最前線で何かが起こっていた。

 

 敵城塞都市への攻撃は恐らく本日も続いているが、切り札も無く完全に膠着状態に陥っている。

 昨日までに届いた前線司令所からの報告で、侵攻からの死者数は予想を大幅に上回る5000体に達した。

 にわかに重い空気の中、手元に配られた戦況経過資料を眺めて、猫耳の可愛い黒豹顔の女将軍の一人が率直に場へと言葉を投げる。

 

「全く面白くない状況ですわね」

 

 それには先日、前線司令所から戻った豹顔の()()()()()()()の報告にあった『魔神』のような怪しげな存在への不快感も含まれる。

 7メートル級のギラロン型ゴーレムは『ビーストマンの国』にとって他国へ誇る重要な戦力の一つで、その恐るべき戦闘力を知らない者はこの場にいない。

 それが只の金属の砂山へ変えられてしまったという……。

 完全破壊により修復は不可能であり、強力な兵器の1体をこの国は永遠に失ったのだ。

 長年、この国を戦火から護っていた存在の損失は、周辺国との均衡へ影響が出かねない問題にも繋がっている。

 早急に、竜王国を攻略し植民地化することで他国に対し、国家の威信を取り戻さなければならなくなった。

 とはいえ大首領第二参謀が帰都して、早10日。

 当然であるが、既に『ビーストマンの国』は竜王国への報復も含めて強力に動き出していた。

 女将軍の言へ、魔法詠唱者風の灰色基調の衣装を纏う猫顔の()()()()()()()が口を開く。

 

 

「それはまあここまでの話です。さて皆さん、それでは我々側の猛撃と侵攻を始めましょうか」

 

 

 彼の言葉で、会議室の大机に座る将軍達や大臣に参謀らは、本日の本題である手元の資料の後半へと視線を進めた。

 そこには、先日集結を完了して小都市を出立し本日、竜王国の前線に到着する予定の猎豹(チーター)顔将軍らが率いる2万の兵力の他に、新たに3万の兵力が招集中と記されている。

 

 『ビーストマンの国』が此度の戦争へ投入する兵力は実に10万へ到達しようとしていた……。

 

 内容に目を通した会議の面々の雰囲気が好転する変化を見逃さず、大首領第一参謀は薄ら笑いにも見える余裕のある猫顔の表情で、長く立派な己の上唇髭を指で撫でつつ悠然と語る。

 

「暗躍するのは状況から判断すると、スレイン法国の手の者達でしょう。規模は10体程度の小隊規模かと。恐らくこれまで以上の精鋭と思われます。確かに連中は強い。しかしご安心ください。連中が一部の局地戦で勝利を続けたとしても、戦いの大局そのものを変える事は難しい。また先日こちらへ1300体もの損害を与えながら、やはり向こうも戦力を随分消耗したのか以後、大きな動きもありませんし。まあ依然として強者が残っている可能性はあります。しかしいずれ、他国の事で手に負えないとして、スゴスゴと撤退するはずですよ」

 

 会議の席へ座る多くの者が、彼の的を射た言葉に頷いた。

 そして更に――。

 会議には1体の亜人が賓客参加していた。

 赤黒い皮膚に長い髭が目立つ鎧姿の亜人は、4メートル程の巨体だが――人間にかなり近い姿をしている。

 ()は大陸中央部の六大国で、西方の大国の一つジャイアント達の国『統合同盟』からこの国に駐在している武官の一人である。

 『ビーストマンの国』は『統合同盟』と友好関係を持つ国家の一つ。

 人類圏でも国家や勢力が分かれている様に、ビーストマンも一枚岩ではなく、各陣営に散っている。

 それはある意味、種族の完全滅亡を防ぐ自然の知恵なのかもしれない。

 戦好きである巨人の武官が口許を緩ませて楽しそうに語る。

 

「ほう。中々面白そうなのが居そうであるな。閣下、吾輩もそこで少々遊ばせてもらってよろしいか?」

 

 狩りに行くかのような感覚といえば伝わるだろうか。

 

「ははは、お好きになされよ」

 

 大国の武官の申し出であり、大首領はこれを快諾した。

 どうやら、大陸中央にくすぶる火種が一つやってくるようである。

 

 

 

 『ビーストマンの国』が戦線の膠着状況を一気に崩すべく大きく動き出そうとする中、東方都市群の一つ『東方第三都市』には、栄光あるナザリック地下大墳墓の絶対的支配者から勅命を受け、静かに潜伏(自称)する2人の姿があった。

 雨が落ちる昼下がりの今、セバス・チャンとルプスレギナ・ベータは賃貸部屋を中心に過ごしている。

 先日、竜王国の首都から東方の三都市へ其々兵糧と援軍1万近くが加わり、ビーストマン側の兵力も程よく削って戦力が落ちてきており、攻撃頻度の低い昼間はここ数日少し余裕が出来ていた。

 勿論、セバスに限り油断は見られず。

 昼間も1時間おきの各都市偵察は欠かさない。20分程でこの南から、中央、北の都市までを往復して来るのだから。夜は夜で敵指令所の後方へも足を伸ばし援軍や別動隊の存在にも目を光らせている。

 今も昼の偵察から戻って来たところ。扉を閉めて立つ姿をルプスレギナが出迎える。

 

「セバス様、お疲れさまっです」

「外は、特にまだ変わった動きはありませんね」

 

 わざわざセバス自身が動くのは、本人の意思であり彼が今回の任務の主力であるからだ。ルプスレギナはその補佐という立場。

 2人とも非常に張り切っている。

 

 何故ならここ連日の昼間に、ご多忙なはずのアインズ様から連絡を頂いているからだっ。

 

 ルプスレギナも先日懲りており、暇な時でも女子供が襲われている場合には救助活動を実行してビーストマン狩りをしているぐらい一生懸命である。

 弱者の生死はどうでもいいが、別の戦場にてご主人様が働く中で自分も「気乗りしない事でも、今は何かすべき」と考えていた。時間があると、装備や武器の聖杖の手入れをして過ごしている。

 お腹が空くのは我慢し辛いが、暇を無駄に過ごすのは改善された感じである。

 これも進歩に含まれるかは微妙だが。

 現在、セバス達が最も警戒しているのは、東の平野奥からビーストマン側の援軍とおぼしき2万の兵団が進軍して来ており、今日の日没までには後方の司令所へ到着することだ。

 これで、負傷する者を除いても、各城塞都市へ2万近くが揃う事になり、拮抗状態が再び崩れる状況へ向かう公算が強い。

 

「……今夜から、再び我々が動く機会もありそうですね」

「それは素晴らしい事です。私も精一杯、頑張って――殺しまくるっすよ」

 

 セバスの言葉に、前半は丁寧に語るも、最後は本音が漏れたルプスレギナである。

 

 

 しかし――この晩、意外にもビーストマン側は大攻勢に出なかった。

 銀の鎧を纏う竜王国方面総司令官の獅子顔将軍は、此度だらだらとした消耗戦を避けようとしていた。彼は医療中隊の隊長へ問う。

 

「おい。今、この後方に下がってる負傷兵6000の内の4000は数日後には使えるようになるのだな?」

「はっ。重傷ノ者も多イですが手当後ノ経過は順調ですノで、なんトか」

「ふふふ、よし。治療を十分に頼むぞ」

「ははっ」

 

 つまり獅子顔将軍は負傷兵の回復を待って、援軍2万と共に一気に戦局を変えるつもりである。

 こうして竜王国東方の地も大きな戦いの動きが起ころうとしていた。

 

 

 




補足)46、47話内の開戦後時系列
◆1日目(ナザリック新世界登場から44日目)
午後11:5? 後方の南西戦線より偶然に勃発

◆2日目
朝    ナザリック入り口前、シャルティア出陣
午前8時前 アインズ、シャルティアら王都北部へ移動開始
昼前   アインズとルベド、『六腕』と合流
40分程+ アインズ達、昼食休憩
3時間程 アインズ達、ボウロロープ侯爵の陣へ移動
日没後  エドストレームら、侯爵の陣調査
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆3日目
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆4日目
未明?  王国軍死傷者9万超
     アインズとルベド、ナザリック滞在
午前3:16 アインズとルベド、『六腕』共同野営地へ
??   ボウロロープ侯爵、動員兵力は4万5千人、死傷者は既に約3万7千人
午後   『エンリ将軍閣下の手料理』発覚騒動
日没   ラキュース達、2時間以上出撃時間遅れ中
日没+1.5+ ラキュース達出撃
夜    竜軍団420体超、取り巻く全ての戦場で圧倒
午後10:?? ガガーラン負傷 シャルティア、竜兵4体捕縛
午後10:3? 超火炎砲でボウロロープ侯爵戦死
夜中   ガガーラン、リグリットに会う ガガーラン野営地へ戻らず
     竜王上層部会議、東部戦線で異常疲労
午後10:5? サキュロント、ズラノン妨害工作へ出発
午後11:2? 六腕、生存者始末し野営地帰還
午後11:4? 六腕とアインズ達、侯爵陣傍より撤収
??   王国軍死傷者、総兵力の約半数へ

◆5日目
?    アウラ「テイム完了」
午前2時 続く竜王上層部会議にて、王都強襲の話題
朝    ボウロロープ侯爵戦死伝わる
朝    『クラルグラ』4人処罰
夕刻   竜軍団、王都強襲失敗を悟る

◆6日目
夕刻   帝国軍動かず、アインズの反撃を待つ
     王国軍死傷者数15万間近
夕刻   ガガーラン、リグリットを連れ仲間の前へ現れる
     竜軍団へ評議国から使者来訪の先触れ

◆7日目
未明頃  竜軍団監視部隊リグリットらを見失う
未明   アルベリオン討ち死
早朝   竜軍団会議終わる。新規攻撃指示
早朝   王国軍死傷者数16万 死者7万
午前   戦況悪化
??   女王ドラウディロン、ヒガむ
昼前   王家、国王縁戚貴族部隊接敵
正午前  『ビーストマンの国』で報告会
昼下がり 『イジャニーヤ』配下4名死亡
良い時間 アインズ、『反撃を窺う』体勢へ方針転換
3時間後+ ラキュースとイビルアイ出撃
午後5時前?『蒼の薔薇』敗れる
??   ガゼフ出撃
午後6時頃 アインズ竜王軍団へ反撃する

◆?日目
??   『クラルグラ』、ナザリック内で収監中




考察・捏造・補足)民間遠征戦力は僅かな効果しかなく、大戦の裏側で完全に埋もれていた
因みに帝国のワーカーだけでなく王国のワーカー達もこの大戦へ極少数が参加したという噂が残っている。
彼等は帝国のワーカーよりも随分水準が低かった。なので戦果無く殆どが死傷した。
なぜなら王国では多くの出来るアウトローな連中は、『六腕』の様に幾つもある大きな裏の地下組織へと流れていく……竜とは戦わないし、大多数は戦えない。
逆に言うとしっかりした帝国や法国には小さい裏の地下組織は割とあるが、大組織は少ない。


捏造・補足)アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダー
2018/4/28発売の漫画9巻Chapter-26にてアズスがリーダーの模様。
しかし本作では、2015年11月27日公開のSTAGE.22からルイセンベルグ・アルベリオンが務めておりました。ですが、此度の戦死により現在暫定的ながらアズスがリーダーへ。


考察・捏造・補足)人間の一人としてまだ戦える。
人に恐れられていない点からイビルアイは冒険者登録時の種族を『人間』と推定してます。
また彼女は知らないが、当時隠遁の身元不明者をいきなりアダマンタイト級への加入であるから、登録時に流石の王都冒険者組合も難色を示したと思われる。しかしリグリットが「あやつはわしと互角に戦える。実力に文句があるなら全部わしにいいなっ」と全て一蹴している。


考察・捏造・補足)十三英雄のリーダーの自殺
書籍7-280「あの死は早すぎた」「仲間(ぷれいやー)を殺してショック」「蘇生を拒否」の辺りからの発想です。


補足)他国を見ても個人でその名を聞かない。
ローブル聖王国のケラルト・カストディオは、書籍12-092「死者の蘇生だっておこなえる」とあり〈死者復活(レイズデッド)〉を使える模様。
でも、国内外への公表では信仰系の第4位階魔法までの行使となっているそう。


考察・捏造・補足)西方の大国の一つジャイアント達の国『統合同盟』
大陸中央部の六大国の一つにはあるんじゃないかと。
国名は適当です。統合体とか国家連合っぽいのがいいかなーと。
巨人(ジャイアント)のみじゃなくて、代表がジャイアント。
あと、協力関係がある感じで『ビーストマンの国』は、属国とは異なります。

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