島津飛翔記   作:慶伊徹

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九章 鎌田政年への詰問

 

肝付兼続挙兵の報せから3日。

連日に及ぶ評定の結果は以下の通り。

岩剣城の城主であらせられる島津忠将様が1000の軍勢を率いて廻城へ進軍。

廻城の城主である『廻久元』は島津方に帰順しているが、目が不自由な為に家中が混乱して弱体化していた。

故に忠将様が援軍として派遣され、貴久様を総大将とした島津勢5000の本隊到着まで守護することになった。

肝付兼続は廻城を取り囲むだろう。

籠城する兵と本隊で挟み撃ちにできるが、背後は肝付家の治める土地だ。島津の大軍を動かすことは中々に難しいと思う。

肝付勢の挟撃が無理となれば、必勝を期す為に地の利を得た陣を敷かなくてはならない。

つまりは拙速こそ此度の合戦に於ける勝利の鍵。故に、内城は慌ただしく戦支度に追われていた。

——だが。

そんな喧騒とした内城も俄かに静まり返ってしまう。

理由は多々ある。

そもそも子の刻、午前零時だから。

明朝の出陣の為に英気を養っているから。

しかし、貴久様の部屋に静寂が舞い降りた理由は全て俺の献策によるものだった。

島津家家中で最も影響力を持つ九名の前で披露された策は、あまりに予想外過ぎる内容だったからなのか、既に一分近く絶句したままの状態である。

いや、ちょっと待って。

誰か反応してくれないと先に進まないです。

そんな俺の祈りが通じたのか、一足先に我に返った貴久様が咳払いしつつ口火を切った。

 

「何故、これを評定の際に申さなかった」

「はっ。この策は秘匿こそ勝利条件。敵を騙すにはまず味方から。功名に焦る方々の暴走を食い止める為にも内々で進めるべきと判断致しました」

 

廻城の援軍に向かった忠将様。

加世田城にて坊津の政務に取り掛かる忠良様のお二方を除いて、島津貴久様を筆頭にした島津四姉妹と父上である伊集院忠倉、そして新納忠元殿、鎌田政年殿、肝付兼盛殿が集まった部屋は5月の深夜と思えないほど熱気に溢れていた。

彼らを見渡しながら答える。

評定で献策しても構わなかったが、どこに忍の耳があるかわからない。

特に、伊東家へ知られてしまえば策の根底が崩れてしまうことになる。

部屋の真ん中に置いた地図を中心にして円状に取り囲んだ九人は、皆一様に顎に手を当てて物思いに耽ってしまう。

『策』を評価するには2つの項目がある。

実現性、有効性だ。

6年前の島津家なら実現は不可能だった。

しかし、今なら答えは違うものになる。

確保した金銭、兵糧、鉄砲。

発足させたばかりの水軍。

事前に行った様々な工作の成果。

これらを組み合わせれば実現は十分に可能である。そして有効性は限りなく高い。現状で最も島津家の利益となる結果を残すことになるだろう。

だが、貴久様は首を横に振った。

 

「であるか。忠元、この策をどう見る?」

 

意見を求められた忠元殿は即座に答える。

 

「一言で申し上げれば、絵空事だと思われまする」

「理由は?」

「相良と伊東の両家が連合を組み、手薄となった薩摩に攻勢を掛けるとは到底考えられませぬ。もし連合を組んだとしても、肝付家の援軍に訪れるのではないでしょうか」

 

我が意得たりとばかりに貴久様は賛同した。

手にした扇子で飫肥城を指し示しながら口にする。

 

「俺もそう思う。忠棟よ、お主も言っておったではないか。伊東が援軍に駆け付けた場合は忠親に裏を掻いてもらうとな」

「お言葉ながら当時と情勢が違いまする」

 

三太夫の齎した情報によれば、肝付兼続は伊東義祐へ使者を送り付け、無事に援助を確約したようだ。そして伊東家は友好関係にある相良家へ決起の書状を送ったとのこと。

まさに史実通りである。

宴会の席で起こった喧嘩は、四つの大名家を含んだ南九州全土に及ぶ戦乱へ発展していくことになった。

相対する陣営の数は一目瞭然。

島津家が孤立無援の中、他の三家は協力関係にある。大隅、日向、肥後といった三国に囲まれてしまった島津家の危機に思うかもしれない。

でも。だけど。

島津の天下取りの為には伊東家と相良家の参加が絶対に必要だった。

虎穴に入らずんば虎児を得ず。

敵対する大名家が増えれば増えるほど平定可能な領土の拡大に繋がる。その為の2年であり、島津家の国力と島津四姉妹の才気、そして俺の研鑽した策を用いれば十分に可能だと判断した。

故に此処は押し通すのみだ。

 

「伊東氏は豊後を本国とする大友家とも懇意にしております。そして、肥後の相良氏も決起に賛同するとなれば、日向に残る敵対勢力は島津忠親殿だけに限られまする」

 

忠親殿は豊州島津家の5代当主である。

日向南部の飫肥城を領している。

当然、日向全土を支配下に治めたい伊東家が見逃すはずもなく、飫肥城は長い間伊東家の侵攻に晒されてきた。

忠親殿も戦上手な方で、増大する圧力の中でも伊東家の攻勢を凌いでいたが、最近では防衛も限界に近く、動員できる兵士も1500足らずとなっていた。

当然、留守時を狙った遠征も不可能。

こうなると話は簡単だ。

伊東義祐は必要最小限の兵を国許に残し、大軍で遠征が可能となる。

その標的は言わずもがな。

薩摩、そして島津家であることは明白だ。

 

「つまり、忠棟はこう言いたいのですね。伊東義祐は相良家と合流し、大軍を率いて薩摩本国に攻め寄せることが可能であると」

「如何にも。肝付兼続としても島津家の背後を脅かせる為、伊東義祐の進軍を止めることはないでしょう。その程度にも由りますが」

 

歳久様の言葉に説明を付け加え、貴久様へ視線を移す。

6年間の遣り取りで史実以上の英君だと感服させられた。機を見失わぬ戦運び、有効だと思えば若造の献策すら受け入れる度量は『英傑』という単語すら霞ませる大器である。

そんな貴久様が間違った判断を下すはずない。

俺の確信を見透かすように、貴久様は扇子を開閉させる作業をしつつも首を縦に振った。

 

「……確かに。あり得るかもしれぬな」

「殿!」

 

立ち上がりかける忠元殿を、貴久様は手だけで制する。中腰の姿勢で留まる親指武蔵を一瞥した後、今度は腕を組んだまま訊ねた。

 

「忠元、大声出さずともわかっておる。もしも伊東と相良が侵攻を行うとして、総勢は幾らで何処を通ると読んでおるのだ?」

「はっ。恐らくは総勢6000。三之山から加久藤城を通り、後顧の憂いを無くしてから薩摩へ雪崩れ込むであろうと思われまする」

 

伊東義祐率いるは4000。

相良家は2000が妥当であろう。

合わせると約6000の連合軍が出来上がってしまうことになる。

 

「6000かぁ。大軍だね!」

「でも、源太の策だと1000で加久藤城を守護することになってるよ」

「あらあら。六倍だと籠城は厳しいわね〜」

「ご心配には及びませぬ。伊東相良の連合軍を撃退せしめる策は既にありまする。その一端を担うのが、この別働隊で御座ります」

「別働隊には1500か。忠棟、これでかの国を席巻するのは可能だと思えぬぞ。如何に義弘様と言えどもお一人では無茶である!」

 

現状、島津家の総動員数は9000人だ。

2日間に及ぶ昼間の評定で決まったのは、忠将様を援軍として本隊より先に廻城へ派遣すること。

貴久様率いる6000で肝付兼続と対峙すること。

国許に3000の兵士を残すこと。

たった三つだけである。

勿論、戦評定は有利な位置に陣を敷いてからでも遅くない。内城にて全てを決してから軍を動かさずとも問題はなかった。

どちらにしろ、この数も半ば予想通りだ。

3000もの兵士がいれば問題なく策を実行できる。

例え——。

島津義弘様を筆頭とした別働隊に3000から1500の兵士を割いたとしても、だ。

 

「大丈夫だって。私なら行けるよ」

「ふむ」

「忠元殿、その為に忠親殿がおられまする」

「ちょっとー。源太まで無視しないでよ」

「無論、義弘様の才覚を重んじたからこそ別働隊の大将に選ばさせてもらった所存です」

「そ、そう?」

「はい」

 

顔を赤くして頬を掻く義弘様。

俺と同い年だから今年で17歳を迎える。

岩剣城の合戦時は容姿端麗な男と見受けられそうな髪型と振る舞いだったが、年齢を重ねるに連れて女性らしい柔らかさも身に付き初めていた。

島津家のお姫様とて年頃である。

誰ぞに恋でもしているんだろうな。

家臣に褒められただけで照れてしまう辺り、どうも進展が見込めなさそうな初心な感じだけどさ。

もしも相談されたら快く聞いてあげよう。

久朗が相手だったら奴をぶん殴りに行くかもしれないけども。

 

「彼らとて国許に残すのはごく僅か。その間隙を衝いて、日向南部を攻め落とすと見るが如何か?」

「推察の通りで御座りまする、兼盛殿」

 

肝付兼演の息子である兼盛殿。

史実でも島津忠良の四天王として名を馳せている。未だ30歳手前と年若く、けれど父親譲りの才覚は島津家家中でも高く評価されている。

実際、兼盛殿の推察は的を得ていた。

だが、一つ誤解している。

俺の目指す完勝は日向南部だけではない。

一気呵成に日向全土を平らげる所にある。

伊東義祐率いる本隊を壊滅させ、伊東家の居城である佐土原城へ押し迫れば、日向の有力勢力は我先にと島津家に靡くだろう。

2年間で蓄えた兵糧は一万の大軍を優に5ヶ月間動かせる。それだけの時間があれば、求心力の衰えた伊東家を踏み潰すことなど容易だ。

無論、窮鼠猫を噛むと言う諺通り、油断しては大敗を喫しかねない。

だからこそ軍備の拡張も急いだ。

鉄砲千梃を始めとした予定の数に到達した。

この時代に於いて鉄砲を千梃も保持している大名家は島津だけだろう。

その優位性は筆舌にし難いものがある。

島津家の躍進を支えてくれるに違いない。

 

「儂は絶対に認めんぞ!」

 

様々な要因を説明し終えると、献策した当初と部屋の雰囲気は打って変わった。

容認してしまいそうな流れから此処で一気に勝負を決めようとした瞬間、沈黙を保っていた鎌田政年殿が大声を挙げて立ち上がった。

刀すら振り回しそうな怒気を発している。

僅かに気押されながらも静かに問いかけた。

 

「何故で御座りまするか、政年殿」

「説明せねばわからぬのか、愚か者!」

「落ち着け、政年」

「これが落ち着いておられましょうか。皆々様も小僧の戯けた策に乗せられてはなりませぬぞ。この策は無謀で御座る。肝付家すら倒しておらず、大隅の平定に全力を向けなければならない今、日向へ侵攻しようなど笑止千万。性急に過ぎまする!」

「性急に過ぎるのは同意するが、無謀ではあるまい。攻撃は最大の防御なり。忠親殿をお救いする意味として、飫肥城へ別働隊を派遣することは間違っておらぬ。日向へ侵攻することによって伊東家を退却せしめることも可能であろうぞ」

「忠元までこの若造に毒されおって。そもそも軍勢を分けることは愚策よ。伊東義祐が侵攻してくるのであれば、3000の兵で食い止めれば良い話。わざわざ信用のおけぬ水軍を用いて逆侵攻するなど戦の道理を知らぬ愚か者の企てた下策でしかないわ!」

 

貴久様と忠元殿の発言も何のその。

頭に血が昇った政年殿は身振り手振りを重ね合わせて反論していく。

正直な話、政年殿の言い分もわかる。

例え、伊東義祐が相良家と連合軍を作り、薩摩へ侵攻してこようとも先ずは大隅平定を最優先するべきだという論調は当然のものだ。

むしろ俺の策が博打すぎる。

但しそれは準備をしていなければ、だ、

様々な準備を終わらせてきた。

6年前から策を練り上げてきたんだ。

大隅日向の同時平定の為にである。

故に政年殿の言い分を受け入れる訳にいかなかった。

政年殿の言葉に理があろうと、此処で折れる訳にいかないんだよ。

 

「ならば政年殿にお尋ね申す。敵の数は凡そ6000に及びましょう。半数で如何にして守護なさるおつもりか」

「徹底した籠城戦しかあるまい」

「仮定の話をするのであれば、もし敵が加久藤城を3000で囲み、残り3000で薩摩を荒らしてはどうなさるお考えか」

「所詮は同数。島津兵に掛かれば必勝よ。3000を蹴散らし、背後から残り3000を撃滅すれば大勝である」

 

いや、それはどうだろう。

大勝と大敗を間違えてないか。

政年殿ってこんな猪武者だっただろうか。

合戦が絡んでいないときは挨拶も交わす良好な関係だったんだけどな。

 

「それこそ笑止千万!」

「儂を愚弄するつもりか!」

「策もなく野戦に持ち込めば勝利した所でお味方の被害甚大に御座る。疲労も溜まりますれば、再度同じ数の敵軍と相対しては敗北必定でありましょう」

「やらずして結果は見えん!」

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。古今東西、そのような戦運びで勝利を得た軍はおりませぬ」

「……っ!」

 

遠回しに政年殿を愚者と罵った。

16歳と44歳。一回り以上も違う人生の大先輩に対して使ってもいい台詞じゃないが、先に愚か者と侮辱してきたのは政年殿である。

そうだ。俺は間違っていないぞ。

政年殿を見上げる俺。

見下ろす視線と交錯した。

眼は口程に物事を語るという。

反省も後悔もしていない事に気付いたのか、政年殿は刻々と顔を赤らめていき、そして爆発した。

 

「金勘定しか頭にない餓鬼は黙っておれ!!」

 

刹那、部屋は文字通り硬直した。

誰もが言葉を発しない。身動ぎすらしない。

そんな中、俺は誰よりも冷静だった。

金勘定しか取り柄が無いと揶揄された事は一度や二度じゃない。最早慣れ親しんだ悪口であった。悲しい事だけど。

妬む声、蔑む声、恨む声。

その他諸々の悪感情を振り切って、俺は今回の策を成功させる事に邁進してきた。

全ては野望の為に。

義久様を天下人にする為に。

そして伊集院忠棟の名を後世に残す為に。

だから落ち着いていられた。

挑発に動じるなど軍師にあらず。

如何なる時も冷静に対処しなくてはな。

 

「あらあら〜」

 

こうなれば無礼講だ。

少なくとも貴久様に策を認めてもらう為、踏み台になってもらおうと口を開こうとした瞬間、義久様が『笑顔』のままで部屋の沈黙を切り捨てた。

何故か寒気がする。

義久様を見ていると、勝手に手足が震え出した。頭を床に擦り付けて平伏してしまいそうになる。こんなこと初めてだ。

ふと、額を触る。

冷や汗でびっしょりに濡れていた。

 

「ねぇ政年、此処は誰かの悪口を言うところなのかしら?」

「よ、義久様……?」

「お金を稼ぐって大事よ〜。政年の大好きな馬だって買えるわ。兵糧も火薬も、鉄砲だってたくさん買えたじゃない。これって源太くんが献策してくれたおかげよね〜?」

「し、しかし義久様。我らは武将。合戦で見事働いてこそ武門の誉れとなりまする。幾ら奇抜な策で金を稼ごうとも、それが軍略に直結するとは限りませぬ」

「そうかしら。岩剣城の合戦でも源太くんは見事な策を考えついたわよ〜」

「まぐれに御座います。加え、この小僧を除いた我々武将が奮戦したからこその大勝でしょうとも」

 

義久様と政年殿による応酬が続く。

残り八人は俺も含めて蚊帳の外。

底冷えしてしまう声を発する義久様は憤怒しておられるように見える。初めて見た。普段から温厚な姫君として名高い義久様が怒り狂っている姿など想像できるはずもない。

しかし——。

俺に対する憤りから感覚が麻痺している政年殿は、詭弁又は屁理屈を用いて義久様の追及を躱している。

これ以上は家中の結束が崩れてしまう。

どうしようかと迷う俺を嘲笑うように、義久様は一気に決着を付けようとしていた。

 

「うふふ、そうよね〜。政年ならそう答えるってわかってたわ〜。智よりも武を重んじる貴方ならそう答えるわよね」

「?」

 

独特な言い回しに首を傾げた政年殿。

既に部屋の主導権を握っているのは義久様。

特徴的な着物の中から取り出したのは一通の書状である。厳重な封を解き、全員に見えるように地図の上に書状をゆっくりと置いた。

直後、俺を含めた全員が目を疑った。

 

「ねぇ、政年。これは何かしら?」

 

其処には、政年殿を筆頭にした複数の家臣の名前が書かれている。

見た感じだと筆跡は全員一致していた。

つまりこれは本人が自ら筆記した連判状だ。

その中身はまさに御家騒動の見本ともなる内容が書き記されていた。

 

「武を重んじる政年だもの。次の当主を私みたいな『愚か者』じゃなくて、弘ちゃんにしたくなるのもわかる気がするわ〜」

 

背筋を震わせる冷徹な声。

三州一の美貌は能面の如く。

差し出された物品は地獄行きの切符だった。

そして——。

俺は唐突すぎる展開に漸く頭が追い付いた。

瞬間的にこの書状の出処を理解した。

心の中で罵倒する。

 

 

あんの、不幸野郎!

平然と義久様に鞍替えしやがったな!

 

 

 

 

 


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