島津飛翔記   作:慶伊徹

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十章 百地三太夫の心情

 

 

俺には一つの趣味がある。

唐突な話だが勘弁願いたい。

先駆者の祖父から勧められ、凄腕の父上に手解きを受け、奨励した忠良様から絶賛されたほどの腕前を持つ。

唯一誇れる趣味でもあった。

隠し事する物でもないので簡単に明かす。

『薩摩琵琶』と呼ばれる物だ。

史実と同じく、薩摩の盲僧として知られる淵脇了公が忠良様に召されると、一つの命を受けた。武士の士気向上の為、新たに教育的な歌詞の琵琶歌を作曲し、楽器を改良しろと。

結果、これまでの盲僧琵琶を改造して、武士の倫理や戦記、合戦物を歌い上げる勇猛豪壮な演奏に向いた構造へ変化した。

具体的に記すと面倒なので閑話休題とする。

ともかく——。

伊集院家の屋敷。

その一角に俺の部屋はある。

そして大事な琵琶が飾られている。

 

「話が違うぞ、三太夫」

 

勢い余って叩き壊してしまおうかな、と思わず琵琶の飾られている方向へ手が伸びてしまうほど、俺は三太夫に対して頭に来ていた。

話は3時間前に遡る。

義久様の差し出した連判状から、鎌田政年殿以下十名は地下牢へ連行。

大した抵抗もせず、恨み言一つ言わない様は寧ろ間違っているのは俺たちなんじゃないかと思わせるに足る潔さでもあった。

思わぬ混乱から中断されていた深夜の軍議も無事に終わり、俺の提示した三州統一の策は貴久様の鶴の一声によって可決された。

貴久様を総大将とする5000の本隊は明朝に出立する予定である。

これは変わらない。

忠将様の率いる1000の軍勢と合流。6000の兵を以て肝付兼続を破り、勢いのまま大隅を平定するところは不変なのだ。

問題は本国に残る3000の使い道だ。

一時間弱の話し合いで決まり、最終的に策通りの配分となった。

つまり——。

伊東相良連合軍を食い止めるのは、義久様と俺、東郷重位、肝付兼盛殿を含めた島津勢1000人。

別働隊として飫肥城へ赴くのは、義弘様を大将として久朗など五人の武将を付けた1500の兵士たち。

最後に、万が一の為に置いておく500。本来なら隠居したばかりの祖父に留守居を任せようと考えていたんだが、鎌田政年殿たちの監視及び薩摩全体に睨みを効かせる為、急遽ながら歳久様が本国に残ることになった。

策の実行に必要な条件は全てクリア。

本当なら屋敷に戻り、達成感に満ち溢れながら久しぶりの睡眠を味わえるはずである。

だが、それは露と消えた。

理由は一つ。

俺の目の前で、反省もなく、頭を掻きながら苦笑いする不幸忍者の鞍替えに心底怒っているからだ!

 

「何が?」

「惚けるでない。連判状の件だ」

 

そもそもな話。

義久様を糾弾し、義弘様を担ぎ上げる存在が現れたこと自体は驚愕に値する物じゃない。

十二分に予想できたことだ。

初陣で武将の首級を挙げ、その後の二回に及ぶ合戦でも縦横無尽の活躍を見せた義弘様を武神として崇める者たちが少なからずいる。

『鬼島津』の名も広まり始める頃だろう。

政務に関しても人並みにこなし、家臣たちを差別せずに接して、明るく武勇に長けているとなれば、義弘様を次期当主にという声が何時か出始めると考えるのは妥当であった。

義久様と義弘様。

二つの色分けを鮮明に浮き彫りとする為、俺はわざと肝付兼続の策に踊らされるように薩摩で流言を飛ばした。

結果、見事に引っかかった。

その証拠を義久様に渡されてしまったけど。

 

「成る程ね。いきなり呼び出されたから何か遭ったと思ったけど。遂に出しちったかぁ」

 

あらら、と肩を竦める三太夫。

俺は畳をトントンと叩きながら尋ねた。

 

「……何故、義久様に渡した?」

「渡したら拙かったの?」

「余計な問答となる。わざわざ答えてやらねばわからぬお主でもあるまいて」

 

問い掛けではなく、断言する。

三太夫は見かけによらず切れ者だ。

職業柄、俺よりも様々な情報を見聞きしているからこそ、導き出す答えはいずれも正解を引き当てる。

忍の枠を超えた、俺の腹心。

それが三太夫に対する評価だった。

にも関わらず鞍替えしやがってこん畜生。

 

「もしも、さ。オレが大旦那に連判状を渡してたらどうしてたわけ?」

「知れたことよ。三州統一後、新たな策の一つとするつもりだったのだ。誰が企てていたとしても、島津家の為に有効活用させて貰うつもりであった」

「だよね。大旦那ならそうすると思ったよ」

 

吐息一つ。

静かに続けた。

 

「だから……渡さなかったんだ」

「戯けたことを申すでない」

「だってさ。その新しい策って、連判状を使った策って、大旦那が危険な目に遭うんじゃないの?」

「何」

「例えばだけど、連判状の載っている家臣の所に乗り込むとか」

 

確かに考えた事はある。

乗り込むというよりも乗っ取る方だが。

幾ら義弘様を当主として相応しく思う者たちでも、貴久様から鑑みれば大事な家臣であることに変わりない。

島津家の行く末を純粋に苦慮した末の決断であるなら、俺としても直接赴いて説得するのはやぶさかじゃなかったりする。

だが、大友家や肝付家に唆された愚か者すらも許すのは気が引けた。わざわざ見抜く時間もない。

故に、違う策を練り上げていたんだがな。

そんな内心を表に出すことなく答える。

 

「俺とて人間。死することに恐怖はある」

「それでも島津家の為ならやれるでしょ?」

 

鋭い切り返しだ。

俺は一拍の間を置いてから口を開く。

 

「……否定はせぬ」

「後一つ、理由があってね」

「申せ」

「大旦那を、君側の奸として排除するって書かれてたんだ」

 

ほう、と呟く。

 

「であるか。だが致し方無し。彼ら武断派からしてみれば、俺の存在を疎ましく思うのも道理よ。何しろ金勘定しかできぬ餓鬼なのだからな」

 

だとすれば、義久様を武力排除するつもりはなかったのか。

いや、当然だな。

島津四姉妹の誰かを傷物にしたら、貴久様が烈火の如く怒り狂うことは明白。むしろ、其方の方が御家騒動に発展しそうで恐ろしい。

あくまでも標的は伊集院忠棟だったんだ。

君側の奸として取り除き、然るのちに政治力を用いて義久様から義弘様へ次期当主の冠を移す。狙い目としてはこの辺りだろうな。

だが、これは鎌田政年殿だからこそ出来る方法だと思う。他の家臣ならどうなるかわからない。やはりもう少し色分けに時間を裂ければ良かったんだが、後悔しても後の祭りだ。

 

「大旦那は割り切れるだろうけど、彼女はそうじゃなかったみたいなんだよ」

「彼女?」

「義女将さんのことさ」

 

三太夫特有の人物名称。

今回ばかりは嫌な予感しかない。

それでも耳にしたからには訊くのが筋だ。

 

「一応訊いてやろう。義女将さんとは誰だ」

「あれ、わかんないの?」

「わからぬ」

「義久様のことさ」

「お主な……自殺願望でもあるのか?」

「無いって!」

「いや、お主の不幸属性とその発言、殿に聞かれる可能性は五割以上でもおかしくないのだぞ。故に自殺願望でもあるのかと推察した次第なのだが」

「なんか釈然とする呼び名がこれしかなかったんだよ」

「だからと言って——。ちなみに他の方々は何と申しておるのだ?」

「弘女将さん、歳女将さん、家女将さん、かな」

 

駄目だコイツ、早くなんとかしないと。

割と本気で貴久様に殺される。

むしろ殺された方が良いんじゃないか。

一瞬だけ浮かび上がった疑問も、答えを用意するよりも早く気泡のように弾けて消えた。

三太夫らしい呼び名。

何だかんだで任務を遂行する有能な部下。

そして腐れ縁の如き友人を亡くすのも惜しく感じる故に、主君相手でも庇ってしまうだろうなぁと嫌な未来を想像して頭を抑える。

不幸属性は伝染しないと信じたい今日この頃であった。

 

「頭が痛い……!」

「大旦那は頭使い過ぎだって」

 

誰のせいだと思ってんだ!

島津の姫君たちに対する訳のわからん人物名称に加え、今後の予定を打ち壊した勝手な判断。反省の色が見えない飄々とした態度。

それらを打ち消しそうな、本気で心配している三太夫の表情が脳裏にちらつく。

全く——。

怒ればいいのか、許せばいいのか。

こんなこと考えるだけでも頭痛に苛まれる。

取り敢えず真面目な返答をすることにした。

 

「俺に武の才はない。なら頭を使うしかなかろう」

「少しは休めば?」

「これから忙しくなるのだ」

 

三州統一に向けた策の実行。

二ヶ国増えることによる問題点への対処。

その後に待ち受ける大友家との決戦。

戸次道雪の参陣を防ぐための外交攻勢など。

課題は山積。

休む暇などない。

二年も休止していたんだ。

ここからは九州統一まで駆け足である。

 

「そっか。じゃあ、オレはこの辺で——」

 

気を利かしたのか。

それとも居心地が悪くなったのか。

どちらにしても逃してなるものか馬鹿者。

立ち上がりかける三太夫の肩を掴み、俺は引き攣りそうな笑みを浮かべつつ押し留めた。

 

「逃すと思うか?」

「ですよねー」

 

三太夫は手を挙げて降参のポーズ。

早すぎる諦めに、俺は人知れず嘆息した。

この不幸忍者を相手にするのは心底疲れる。

ただ連判状を渡さなかった理由は、俺の事を考慮した結果だとわかった。

要らぬお節介と跳ね除けるのは人非人だ。

心配した気持ちは有難く受け取ることにしよう。

それでも——。

どうしても訊きたいことがあった。

 

「俺に連判状を渡さなかった理由はわかったが、どうして義久様に渡してしまったのだ」

「オレだと判断できなかったからね」

「だとしてもだ。義久様に要らぬご負担をお掛けしてしまった。これから六倍の軍勢を相手に指揮するというのに」

「え、逆じゃないか?」

「あ?」

 

思わぬ問いに凄い声が出た。

まるで喧嘩を売る野蛮人みたいだ。

笑顔を取り繕う間もなく、屋敷は沈黙する。

数瞬後、三太夫は思い出したように一歩後ずさった。

 

「……顔怖いよ、大旦那」

「失敬な。いつも通りだろ」

「眉間の皺が取れなくなるよ」

 

気にしてることを言うな。

歳の割りに多く刻まれた皺を伸ばす。

余計に老けて見られそうだ。

溜息をこぼし、ぶっきらぼうに言う。

 

「いいから話を戻さぬか」

「だから——。義女将さんの方が大旦那を気遣ってるんだってば。だって、そうだろ。大旦那はこれから六倍の敵を殲滅して、尚且つ別働隊の取るべき策なんかも考えるわけだし」

「それが家臣たる者の責務よ」

「度が過ぎてるんだって。いつか破裂しちゃうさ。だから、家督相続の件に関しては義女将さん自身で解決しようって考えたんだろ」

「……」

 

思わぬ事実に言葉を失う。

俺は義久様の今後を憂いていた。

次期当主という立場は重圧になってないか。

三人の姉妹と仲良くされているのか。

義弘様に要らぬ劣等感を抱いていないか。

無事に島津家の家督を継げるのか。

様々な心配事から東奔西走したのだが、逆に義久様から気を遣われてしまうとは筆頭家老としてあるまじき失態である。

二年前の歳久様に加え、義久様にまで大きな借りを作ってしまったようだ。

利息も付けば膨大なモノとなる。

いつ返せる日が来るのやら。

そんな俺の憂鬱と裏腹に、三太夫は悪戯小僧のような口調で楽しそうに白状した。

 

「まぁ、オレが連判状持ったまま彷徨いてた時に見つかっちまったのが原因なんだけど」

「やはり殺すか。其処を動くでないぞ」

「御免なさい、もうしません」

「はぁ」

 

勝手に漏れる溜め息。

今後に控える合戦を鑑みれば、一つでも多くの幸運を残しておかなければならないのに。

幾ら万全な策を用意したところで、多少の運は必要不可欠。雨が降りそうなら尚更だ。

史実の桶狭間の戦いだって、運良く雨が降ったから今川本陣の奇襲に成功したんだしな。

けど、運だけで必勝できるなら苦労しない。

信長は豪運だった、色々と。

将来はそんな奴を出し抜くんだ。

俺は俺なりに準備と策略に精を尽くそう。

だから——。

幾ら溜息をこぼしても問題ない、はずだ。

 

「もう良い。大友家に対する策は一つ潰れたが、此処で膿を取り出せたのは僥倖と捉えよう。後で義久様に感謝の意を伝えねばなるまい」

「あ、じゃあオレは——」

「お主に対しては功を以て不問とする」

「うげ。今回の報酬金は無しかー」

 

淡々と放たれた台詞に、三太夫は肩を落とした。

金を愛するが故に財布を落とす。

仲間を助けたいが故に仲間から捨てられた。

不幸だと一蹴すればそれまでだ。

生来からの特徴なのだから諦めろと、無慈悲な現実を突き付けるのも個人の自由だと思う。

但し、俺からしてみれば馬鹿馬鹿しい話だ。

三太夫にしても、伊賀の忍にしても。

どちらも報われることはないんだから。

 

「報酬金は渡そう。何しろお主の働きが勝敗を左右するのでな」

「有難いけど、何すればいいわけ?」

「伊東軍内部に潜入してまいれ」

「——了解。何となく大旦那の意図がわかっちった」

 

全てを説明せずとも理解する。

まさに一を聞いて十を知る。

伊東と相良の軍勢に対して何をすればいいのか一瞬で把握する能力は、諜報活動が主な忍と思えなく、それでも三太夫らしいとも言えた。

 

「詳しくは他の忍に伝えさせる。よいな?」

「朝飯前だっての。今後ともご贔屓に!」

「ああ。さっさと行け」

「わかってるって」

 

雀の鳴き声。

鶏が朝を告げる。

水平線から微かに顔を見せた太陽は鹿児島の地を照らし始めた。

俺の部屋も例外じゃない。

襖越しに伝わる陽光に目を細めながら、三太夫は立ち上がった。気負う様子も、俺に叱られた不満も見せず、単純に新たな任務へ駆けようとする姿を見て、咄嗟に名前を呼んでしまった。

 

「三太夫」

「ん?」

 

振り返る不幸忍者。

俺は頬を掻きながら明後日の方向を向く。

義久様だけでなく、三太夫も俺の身を案じてくれた事実は変わらない。

礼の一つでも述べないと男として名が廃る。

 

「一応、礼を述べておこう。感謝する」

「気にしない気にしない」

「……そうか。なら俺から一言だけ」

「何?」

 

憮然とした表情で、俺は宣言した。

 

「次、勝手なことしたら脳天吹っ飛ばすぞ」

「怖っ、大旦那ってば怖っ!」

 

 

 

 

 

 

貴久様と家久様は無事に出陣を終えた。

父上と忠元殿も同じく出立。

5000の兵士が隊列を整えて大通りを行進していく様は、島津勢の練度の高さを象徴した光景でもあった。

本来なら忙しいのは此処まで。

留守居を任された義久様たちは島津勢の勝利を信じ、彼らの帰還を一日千秋の思いで待ち侘びるだけだった。

だが、その未来も俺の策で崩れ果てた。

次は水軍の準備に追われる。

二年間で用意した15隻の船。

これを用いて、初めて策の成功は成る。

今回、本国に残ることとなった歳久様が先頭に立って、別働隊の選抜と準備に奔走してくれたお陰で予定よりも一日早く闇夜に紛れて出航させることが可能となった。

時刻は戌の刻。午後八時過ぎ。

何故か、である。

伊集院家の門を川上久朗が叩いた。

久朗は別働隊を率いる武将の一人だ。

何しろ水軍の副将。

策の成否を握る人間の一人とも言えよう。

出航は四時間後である。

さっさと戻れ、馬鹿。

罵詈雑言を浴びせて追い返そうとしたが、久朗は慣れた様子で聞き流し、次の瞬間には至極真面目な顔で相談したいことがあると口にした。

コイツのこういう顔は昔から苦手だ。

仕方なく屋敷の中に通し、部屋へあげた。

久朗も勝手知ったる人の家。

許しもなく畳の上に腰掛けやがった。

 

「して、相談事とは?」

 

前置きもなく尋ねる。

久朗とて人一倍責任感を持つ武将だ。

出陣前の相談事。

並々ならぬ内容なんだろう。

そんな真面目な会話の前に、小粋な冗句をわざわざ飛ばす必要性も見出せなかった。

 

だが——。

そんな俺の想いを——。

久朗の奴は粉々に打ち砕きやがった——。

 

「最近、衆道に嵌った。お主もどうだ?」

 

……。

 

 

「……はい?」

 

 

 

 

 

 


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