島津飛翔記   作:慶伊徹

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十三章 島津義久への連絡

 

 

島津義久率いる300の兵士が飯野城に布陣してから早くも一週間が経つ。

眼下に収まるは日向国真幸院(現えびの市加久藤カルデラ盆地)は七百五十町、およそ一万石をも越える穀倉地帯である。そして交通の要所としても知られる重要地点。真幸院を完全に島津家の物に出来れば後々の合戦も有利に運ぶ事が可能だ。

だからこそ、長年様々な勢力がこの地を巡って相争ってきた。今回もその一端に過ぎない。

三洲一の美女と誉れ高い島津義久は、城の中でも見晴らしの良い一角に佇んでいた。

遠目に映る加久藤城を見つめて物思いに耽る。

考えることは合戦のこと。

何処に伊東家と相良家の間諜が紛れ込んでいるかわからない。軍議を開くにしても、加久藤城にて戦端が開かれてからでも遅くないだろう。

第一段階が終われば後は怒涛の勢い。

忠棟から教わらずとも理解できる。

だが、先ずは加久藤城が持ち堪えなければーー。

三洲平定は絵に描いた餅となってしまう。

時間にして酉の刻(午後6時)。

島津家次期当主は、赤銅色に燃える夕焼けに照らされながら口を開いた。

 

「あらあら〜、貴方は確か源太くんの忍さんじゃなかったかしら?」

「こいつはどうもー。大旦那の主君に覚えていてもらえて光栄っス。百地三太夫っス。これからもお見知りおき宜しく頼みまっス」

 

音もなく現れる銀髪の青年。

闇に紛れて生きることを主とする忍は、武士と異なる軽装を好むと聞く。表情に貼り付けた軽薄そうな笑みは心情を悟られないようにするためか。

名家の姫に対する口調としては最低の部類だと言えよう。

だが、義久は青年を咎めたりしなかった。

合戦間際の緊張感すら容易く押し沈めてみせた義久は、心優しい姫のまま合点がいったように微笑んだ。

 

「そうそう。三太夫くんだったわね。書状の件は助かったわ〜」

 

一ヶ月前の話に遡る。

御家騒動に発展しそうな書状を手に入れた三太夫だったが、その内容からしてみても忠棟に渡すかどうか数分間逡巡してしまい、怪しすぎる忍の行動に偶然通りかかった義久が問い質した結果、過日の一件に繋がってしまった。

主君に手間を取らせてしまった忠棟からしてみれば痛恨の一打。

家臣に余計な心配事をさせたくない義久からしてみれば会心の一手。

互いを思いやる主従の、だからこそ見事なまでの擦れ違いであった。

 

「あはははー、どういたしましてー。いやぁ和むねぇ、義女将さんは。大旦那が忠誠を誓うのもわかる気がするよー」

「そうかしら?」

「そうっスよ。殺伐とした伊東軍に潜入しているオレからしてみたら、まるで裸で森林浴しているみたいだね。ホント癒されるわー」

 

現在、三太夫は多数の忍を率いて敵軍の一兵卒として潜伏している。

任務内容は以下の通り。

忠棟の指示した噂を連合軍内部で広める。加久藤城と飯野城を繋ぐ連絡役。最新の情報を掻き集めて報告する。いずれも大役だ。直接的な戦闘に参加せずとも、正確無比な情報を入手するだけで合戦に勝てるのだと、情報を制す者が戦を制すのだと三太夫と忠棟は知っているからだ。

 

「人生に潤いは大事よ〜」

「それには同意かなーって、いけねいけねぇ。大旦那からの知らせが有ったんだった。人払いは出来てますよね?」

 

三太夫は床下、天井、柱、隙間に視線を遣る。

気配は感じられない。義久に話し掛ける前に潜んでいる輩がいないか調べたりもした。だが、万が一の可能性が存在するなら用心しなくてはならない。

床に耳あり障子に目あり。

もしも敵方の間諜に聞かれたら策はご破算なのだから。

 

「ええ、勿論よ」

「そりゃ重畳。準備が早いっスね」

「そろそろ来るかな〜って思ってたから。源太くんの事だから事前準備は事欠かないだろうし。いつも情報が大事って言ってたし。うふふ、予想が外れなくて良かったわ〜」

「おお、麗しき主従愛かな!」

「主従愛、とは少し違うかしらね〜」

「いきなり惚気られても困るっスよ。って、義女将さんと話すと毎回こうだ。本題に入ってもいい感じっスか?」

 

瞬間、百地三太夫の眼が本気に変わる。

先程までのふざけた様子は垣間見れず、激変した雰囲気は室内の空気まで張り詰めた物へ変えてしまった。

義久も一度目を閉じた。

公私の分別。切り替えなど出来て当然。

一秒も経たずに開目した義久は静かに首肯した。

 

「どうぞ。動きが有ったのかしら?」

「つい先刻、伊東相良連合軍が三ツ山城を出陣したっス。数は目測で6000弱。行き先は加久藤城。大旦那の予想通りでしたね。まぁ飯野城が標的にならないように動いてたんですけど」

「わたしが加久藤城に布陣している。そんな流言飛語のお陰なのかしら?」

 

前以て、多数の間諜によって島津義久は加久藤城に布陣していると噂を流しておいた。

地理的にしても、兵士の数にしても、信憑性のある噂な為に伊東義祐は疑念の余地を挟むことなく信じたらしい。加久藤城へ出陣している点から鑑みても、彼らの第一目標から飯野城が除外されたことは事情を知らぬ童からしてもわかることだ。

飯野城に兵を向けられても対処の仕様はある。

だが、飯野城は加久藤城と比べると低位段丘は標高が低い。防備には不利。伊東相良連合軍が一気に飯野城を攻めれば、城外で策の成功に邁進している家臣たちに動揺が走ってしまう。

故に、最善は加久藤城に敵の目を釘付けにすることだった。

 

「加えてもう一つ。大旦那は伊東義祐に手紙を出したんスよ。時間を稼ぐためにもね。オレの部下が直接渡したんだけど肝が冷えたって震えてましたよ」

「どんな手紙?」

「えーっと」

 

三太夫は四日前の事を反芻した。

加久藤城に陣取る伊集院忠棟は、時間を先延ばしにする為に三ツ山城に布陣する伊東義祐に対して降伏と寝返りを伺わせる使者を送った。

伊東義祐が了承すると、忠棟は城を開け渡す準備をしているので二日間の猶予がほしいと返答。

一兵も欠けずに薩摩国へ攻め入る事が出来ると、伊東義祐と相良義陽は大層機嫌が良かった。

しかし、二日経っても城の明け渡しが行なわれない為、義祐が再度使者を送ろうとした矢先、忠棟から手紙が届く。そこには、二日間の猶予をもらったおかげで戦の準備が万全に整った。いつでも攻めてこられるがいいと掌を返す内容が書き記されていた。

当然ながら義祐は大激怒。手に持っていた扇子を叩き割るだけに飽き足らず、怒りに任せて太刀を抜き、目の前に控えていた旗本の旗指物の竿を斬った。そればかりか、怒りを鎮めようと諫止する伊東祐青に対して、黙れと声を荒げて足蹴りにしたのである。

義祐の荒れ狂う感情は二刻続いたと言う。

 

「まぁ。忍さん、大丈夫だったのかしら?」

 

当時の様子を聞き、口元に手を当てる義久。

語り終えた三太夫は肩を竦めて答えた。

 

「無事に五体満足っス。でも危ない橋を渡ったお陰もあって、伊東義祐は怒髪天を突く勢いで加久藤城に軍勢を向けてます。飯食う時間もありゃしない。腹が減っては戦は出来ぬっていうのに」

「お疲れ様。金子を弾ませるから頑張って〜」

「やったー、助かるーッ。義女将さんの言葉だけで救われますよ!」

 

何しろ三太夫はタダ働きに等しい。

鎌田政年の一件で忠棟の導火線に火を付けてしまったらしく、この合戦で幾ら働こうとも報酬金はない。一週間前に新たな財布を落とした彼からしてみれば義久の言葉は救いの神に等しいものだった。

 

「でも変ね〜。源太くんの策に手紙の事なんて無かったのに。突然どうしたのかしら〜?」

 

義久は予想外な計略に小首を傾げる。

最初の策に流言飛語は含まれていたが、手紙の件はなかった。加久藤城の指揮は肝付兼盛に一任している為、未だ発言力の低い忠棟の献策が軍議を通ると思えない。

答えを求めている質問ではなかったが、様々な情報を一手に集められる三太夫は至極当然のように返答した。

 

「大旦那が籠城戦の指揮を直接執る事になったからっスよ」

「え……。源太くんが?」

「はい」

「でも、源太くんは兼盛に任せるって言ってたわよ。籠城戦を経験したことのない自分には荷が重いから兼盛に采配を持たせて、裏方に徹するつもりだって」

 

籠城戦は最も難しいとされる合戦だ。

城を政治的・軍事的に孤立させられる上に、城内と外部の支援勢力との連絡を絶たれてしまう。籠城する側は、城の周辺の土地から兵糧など必要な物資を城に取り込み長期戦に備えるとともに、攻め方にそれらの物資を利用されることを防がなければならない。また周辺の住民らも攻め方に徴用されることを防ぐために城に入らせたり、そうでない場合は城外に残った住民が攻め方に協力しないように人質を取る場合もある。

これらを踏まえ、更に兵糧攻めや水攻め、敵の調略や昼夜惜しまぬ力攻めに耐え忍ばなければならないのだから。

経験無き忠棟に采配を持たせて無事に済むのだろうか。

 

「義女将さん、大旦那っスよ?」

 

心配事が顔に出ていたのか、三太夫は苦笑した。

 

「?」

「土壇場で自分の策を変えるなんて、そんなの義女将さんの事を考えたからに決まってるじゃないっスか」

「わたしの、為?」

「初めてだからって尻込みしてたら何も始まらない。経験してこそ得るものはある。敬愛する主君の為にも、大旦那は少しでも多くの事柄を吸収しようと必死なんだと思いますね、オレは」

 

夕陽が沈もうとしている。

加久藤城に焚かれた炎が煌々と薄暗い夜の帳を照らし始めた。

伊集院忠棟は恐らく今も走り回っているだろう。

出来うる限りの準備を施して、可能な限りの不具合を消して、万全の体制で大軍を迎え撃つ為に。初の籠城戦で采配を振るう。その緊張は忠棟の心身を極限まで蝕むに違いないというのに。

義久は悔しそうに奥歯を噛み締めた。

 

「でもね、三太夫くん。わたしは、源太くんに無理して欲しくないの。有能なのはわかっていても一人で出来ることは多くないから」

 

もっと頼ってほしいのだ。

島津義弘のような武勇が無いことも、島津歳久のような知略が無いことも、島津家久のような判断力が無いことも全て承知していながら、島津義久は忠棟にもっと頼られたかった。

彼の両肩にのしかかる重みを少しでも軽くしてあげたかった。

 

「オレの考えとしちゃ、義女将さんは大旦那を労ったりするだけで良いんじゃないかなー。それだけであの人は大分元気になると思うし」

「そうかしら?」

「きっとそうっスよ。男なんて単純っス。義女将さんみたいな美人に頭撫で撫でされたら、大旦那なんて顔真っ赤にすること請け負いですよ」

「あらあら〜。それは見てみたいわね〜」

「その時は是非オレも呼んでください。大旦那があたふたしてる所なんて滅多に見れないっスからね」

 

確かに、と義久も内心頷いた。

忠棟が狼狽した様子は一度しか見ていない。

そう、あれは、義久と忠棟が初めて会った日の事だった。

 

「そうね〜。……ねぇ、三太夫くん。喫緊の報告はそれだけなのかしら?」

「うわぁっ。完全に忘れてた。危ねぇ、大旦那から滅茶苦茶怒られるところだった。大目玉間違いなしだったよ、ふぅ」

「あらあら、大変ねぇ」

 

そうなんです。大変なんです。

疲れたようにため息を溢す三太夫だが、元は伊賀の誇る上忍。三日三晩寝なくても欠伸一つしない身体と精神を兼ね備える凄腕の忍である。

記憶力も抜群だからこそ涼しい顔で口にする。

 

「大旦那から連絡っス。一言一句違わず報告するぜー」

「拝聴させてもらうわ〜」

「義久様に置かれましては、加久藤城の籠城戦に対して飯野城を慌ただしくさせて下され。伊東義祐には加久藤城に義久様がおると誤認させております故。それ以降は事前に話した策に変化ありませぬ。但し、近日中にお渡しする物が出来る所存です。物の取り扱いについては義久様に一任致しまする」

「委細、承ったわ」

 

忠棟からの連絡。

それは紛れもなく義久の名声を高める為のもの。

加久藤城の守備は建前上は義久が行う事で上手くいけば戦上手の名声を得る。そして、飯野城を牽制する為に妙見原に布陣した一軍と相対して経験を積むのも島津義久本人のものとなる。

加えて策による武名も得られれば、義久が次期当主になるのを不満に思う輩は殆どいなくなるだろう。

近日中にお渡しする物は何かわからないが、取り扱いについて一任するという事は、それも来たるべき軍議にて義久が献策することで武勲を立てる事に繋がる訳だ。

島津義久と同じ結論に達したらしく、三太夫も遣る瀬無さそうに後ろ髪を掻いた。呆れ顔である。

 

「全く。大旦那には参りますよね」

「そうね〜。こうやって一方的に気遣われるのは心苦しい限りだわ。わたし、そんなに頼りなく見えるのかしら〜?」

「逆っスよ、逆」

「どういうこと〜?」

「頼りにしてるから色々と頼むんスよ。今回の策だって重要なのは義女将さんですからね。多分、義女将さんのことを一番信じているのは大旦那だとオレは思います」

「そうだと、嬉しいわね」

「あくまでもオレの見解っスけどね」

 

じゃあ、オレはそろそろ戻りますわ。

伊東相良連合軍が出陣した事。肝付兼盛に代わって伊集院忠棟が加久藤城の采配を執る事。策に少しばかり変更が生じた事。

伝えるべき三つの事柄を口にした三太夫は足早に立ち去ろうとする。事実、時間が勿体無いのだろう。彼にはまだまだ仕事が残っているのだから。

それでも義久には三太夫に頼まなければならないことがあった。

 

「三太夫くん、どっちに戻るのかしら?」

「伊東軍の方っスよ。大旦那からもわざわざ戻ってこなくても良い、早めに伊東軍へ戻って任務をこなせって厳命されてますから」

「主君筋の命令でも、源太くんの元にいけないのかしら?」

「義女将さんの命なら仕方ないっスけど……」

「あら、良かった。源太くんに伝えて欲しいの。頑張れって。怪我しないでねって。どうかお願いできる?」

 

最初は命令だと威圧的にしておきながら、最終的にお願いだと下手に来た。こういう所は似たり寄ったりだと内心首を横に振りつつ、三太夫は満面の笑みを携えたまま義久の懇願を受け入れた。

 

「そういう事なら委細承知。軽〜く加久藤城に侵入してきますよ。ではでは義女将さん。好機を逃したらダメっすからね?」

「これでも弘ちゃんのお姉さんよ〜」

「そりゃ確かに。余計な心配でしたね」

「三太夫くんも頑張って。死なないでね」

「勿体ないお言葉。大旦那曰く、オレは煮ても焼いても死ななそうなんで大丈夫っスよ。では!」

 

音もなく退室する三太夫。

まさに一陣の風の如く、まるで幻影だったような早業に義久は軽く目を見開き、そして何かを思い出したように敷いている布団に身を投げ出した。

年頃のお姫様が行うに相応しくない格好、即ち着物を着たまま仰向けに横たわる義久は枕に顔を埋める。

思い出すのは三太夫の言葉。

客観的な視点による、忠棟から義久への感情と評価。それは甘い蜜となって三洲一の美女を蕩けさせる。

敬愛する主君。

信じている。

頼りにされている。

 

「うぅぅううう!」

 

紅潮した頬を隠す為に強く枕に顔を押し付ける。

爆発した歓喜の感情を持て余して、両足をバタバタさせてしまう。

そこに居るのは島津家の次期当主でも、将来九州全土を支配下に治める総大将でもなく、たった一人の男を憂い想う年頃の女性だった。

 


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