島津飛翔記   作:慶伊徹

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十四章 伊集院忠棟の籠城

 

七月十日、明朝。

加久藤城一帯は騒然となった。

6000という大軍で包囲を固める伊東相良連合軍と相対すること早くも六日。俺からしてみたら順調に推移している戦局である。

だが、どうやら敵方は焦りを感じ始めたらしい。

相良勢2000の兵士が鯨波の声を上げて大手門に攻め寄せて来た。まさしく我攻め。多少の犠牲も厭わず、数に任せて踏み潰そうという算段であろう。

 

「忠棟殿の申された通り、どうやら相良勢が痺れを切らしたようでありますな」

 

俺は物見櫓から敵の動きを観察していた。

背後から話し掛けてきた肝付兼盛殿は甲冑に身を包んだ姿だ。

元々の精悍な顔付きも重なって格好いいの一言。

こういう渋い中年男性って憧れるよな。

じゃなくてーー。

歴戦の武士らしく、この状況でも顔色一つ変えていないのは流石である、うん。

大気すら震わす鯨波の声を受け止めている。

相変わらず心臓に毛でも生えてそうな人だな。

 

「この六日間は今日の為に有ったような物ですから。相良勢には是非とも奮戦してもらわねばなりますまい」

 

籠城戦を開始してから六日が経過した。

史実の上田合戦にて、真田昌幸が徳川秀忠に行った対処を模倣した策は上手くいき、伊東義祐の眼を加久藤城に釘付けにさせることに成功する。

加え、怒り心頭の伊東義祐は加久藤城が寡兵だと侮り、何も策を講じることなく我攻めを選んだ。

初日は籠城戦に慣れる為にも、兼盛殿に助けてもらいながらひたすら防衛に徹した。

効果的な銃撃を行うタイミング。

疲弊した兵士を休ませる時間と場所。

押して引いて敵方の流れを狂わす手法など。

経験しなければ身に付かない様々な事柄を学んだ俺は、三日目に今後の事も鑑みて反撃を行った。

元々こうなる事を兼盛殿と予見していた為、有川貞実に100の兵士を与えて、城外に潜ませていたのである。

その有川隊が伊東勢に襲い掛かったのは、朝靄の立ち込める早朝だった。

わざと大きな鯨波の声を上げたと同時に鉄砲を撃ちかける。と言っても、これは攻撃ではない。あくまでも伊東勢の注意を集め、城に引き付けるのが目的だったからだ。

その証拠に、伊東勢が反撃に転じようとすると、すぐさま加久藤城に向かって後進を開始した。見事なまでの逃げ足であった。よく釣られてくれたと今でも不思議に思う。

ともかく、これに対して伊東勢は有川隊が囮であると知らずに追撃に移った。岩剣城で俺が狙ったような『付け込み』と呼ばれる戦法を狙ったんだろう。

だが、甘いな。

その辺は知識だけでなく、既に経験済みである。

当時も物見櫓から戦況を眺めていた俺は狼煙を上げさせるように下知し、有川隊が大手門に繋がる唯一の道から散開したのを確かめ、そして大きく采配を振るった。

有川隊の代わりに現れたのは岩石。身の丈を悠に超そうかという巨石が十数個。驚いた伊東勢を躱す暇も与えずに勢いよく吹き飛ばし、次々と礫死させた巨石は彼らの隊伍すら大きく乱した。

それを見逃す俺ではない。

出撃と号令一下、大手門を解放。

散り散りとなる伊東勢に対し、200の兵を投入する。有川隊と合流して、合計300の島津兵が逆落としに襲撃したのである。

瞬く間に100余の伊東兵が討たれた。

此方の死者は数名足らず。

一度の戦果としては充分過ぎる程だった。

更に俺と兼盛殿が狙ったのは二つ。

罠を警戒して敵方の攻勢が弛む事。そして、伊東勢だけを攻撃することで相良勢と疑心暗鬼に陥らせる事。たった二つ。だが、効率的に勝つためなら、完全勝利を目指すならこれが最上だからな。

結果として上手くいった。

思わぬ反撃を食らった連合軍は体制を立て直す為か、二日間も遠巻きに加久藤城を包囲するだけに終わった挙句、忍を使った相良氏寝返りの噂も効果を発揮しているようで足並みも崩れつつある。

だが、勝って兜の緒を締めよ、だ。

本番はこれから。

相良勢だけが攻め寄せてくる様を改めて眺める。心の内でほくそ笑む。

そうだ、攻め込んでこい。

俺には古今東西、その殆どの戦争知識がある。

如何様にも料理してやる。

そんな俺の内心を読み取ったのか、兼盛殿は肩を竦めながら苦笑いした。

 

「これはこれは。忠棟殿も成長なされましたな」

「兼盛殿のお陰かと」

「何のこれしき。島津家の次代を担う麒麟児を育てる為なら。義久様もお喜びになるでしょうな」

「兼盛殿の申される事よ」

 

此度の籠城戦の指揮は義久様が執っている、とは対外的な話だ。しかし、実際に加久藤城で共に戦う武将たちは俺が全体指揮を行っていると知っている。

だからなのか。

ーー最近、軍議でも献策しやすい。マジ助かる。

特に三日目の武功が効いているようで、今回の作戦も手直しを二度行うだけで全員の了承を得られた程だ。一目置かれている兼盛殿の賛同もあるからだろうけど、一週間前と比べてみたらまさに雲泥の差である。

俺の事を毛嫌いしていた有川殿も、昨日は酒を勧めてきたぐらいだ。伊集院家の麒麟児殿は逞しくなられたなぁと肩を抱いてきた時は、親友のトラウマからか背筋に冷や汗が流れたけども。

何にしろ有り難い事ですよ、本当に。

 

「冗談はこのぐらいにして。如何なさるおつもりですかな、忠棟殿。大手門を開け、相良勢を二の丸まで誘き寄せる手筈ですが」

「無論、相良勢と伊東勢を疑心暗鬼に陥らせる。その策略に変わりありませぬ。しかし、ここまで上手く事が運ぶのは些か不自然。好事魔多しとも言いますからな」

 

相良勢の士気の高さも不可解だ。

仲間内で疑心暗鬼に陥れば、例え同士討ちが始まらずとも士気は低下する。

如何に武将が声を張り上げて叱咤しても、戦友たちの口にする噂話は脳裏にこびり付いて離れないだろうからな。

一度疑ってしまえば簡単には払拭できない。

にも拘らず、鯨波の声を上げる相良勢は血気盛んだ。まるで奮戦すれば疑いは晴れるかのようで。

 

「敵も策を用意してきたとお考えで?」

「伊東義祐も莫迦ではありますまい。この六日間で頭も冷えた事でしょう。何か策を用意してくると考えるが必然。俺の考えでは、おそらくーー」

 

あり得なくは無い。

伊東義祐の考えた策が成功すれば、寡兵な加久藤城は瞬く間に陥落する。

勿論、その事に関して事前に対処しておいた。

だが、もしも敵方の覚悟が予想よりも強ければ。

このままだと奴らの侵入を許す事になる。

むざむざ負け戦にしてしまうなど冗談ではない。

 

「おそらく?」

「兼盛殿。貴殿は、城の裏手にて待機していただきたい」

「城の裏手、で御座りまするか?」

「如何にも。旗指物を隠し、物音一つ立てぬように待機されたし。了承して頂けるだろうか?」

 

一点を見つめたまま言い放つ俺に対し、兼盛殿は小首を傾げた。

無理もない。

加久藤城に通じる道は、大手門に通じるそれを除けば全て俺が塞いでしまっている。つまり城の裏手には急峻な崖があるだけ。およそ敵の軍勢が押し寄せてくるとは考えられないからだ。

だが、俺は下知を改める事はない。

兼盛殿に150の兵を預ける。

つまり大手門に割ける兵力を減らしたという事。

常識的に考えれば先ず承諾されないだろう。

しかし、俺の自信に満ち溢れた表情から勝機を見出したのか、肝付兼盛殿は手槍を扱きながら鷹揚に頷いてみせた。

 

「ふむ。忠棟殿に策ありと見た。なれば城の裏手に回る事にしましょう。大手門の方は誰が?」

「無論、俺が任されましょう」

 

即答する。

大手門は基本的に防衛だ。

少しばかり策を用いるつもりだが、兼盛殿に比べれば簡単な仕事である。

有川殿もおられる事だしな。

 

「良い顔付きですぞ。では、また後ほど」

「ご武運を」

 

手兵を従えて城の裏手に回る兼盛殿。

俺も気合を入れ直して戦局を注視するのだった。

 

 

 

◼︎

 

 

 

加久藤城の裏手から押し寄せた伊東勢の数は1000。これを指揮するのは伊東祐青であった。

今頃は相良勢が大手門に殺到している事だろう。

つまり城兵の注意は大手門付近に集中しているという事だ。妄りに物音を立てては気取られる。

だが城の裏手は断崖絶壁。草摺が擦れあって無用な音が発生する危険性が高い。故に、伊東祐青隊は重厚な甲冑も着けず、胴丸に鉢巻を着けただけの軽装となり、木々に括った縄を伝って登った。

急峻な斜面に加え、鬱蒼と生い茂る木々に邪魔されて思うように進めずとも、半刻で城壁が視界に飛び込む位置にまで進出したのである。

 

「よし。城兵の注意は見事に大手門へ集中しておるようだ。一兵の気配も感じられぬ。一気に突破してくれようぞ」

 

伊東祐青は隊伍を整えた。

勝ちを確信した伊東祐青は、この策を思い付いた伊東義祐を流石だと内心で褒め称える。戦も知らぬ若輩者に思わぬ辛酸を舐めさせられてしまったが、島津義久の籠城戦もこれでお終いであろう。

 

「かかれ」

 

伊東祐青の下知に呼応し、1000の兵は一斉に鉤の付いた縄を城壁に向かって投じた。そして、それを伝って一気に城壁を乗り越えたのである。

しかしーー。

彼らを待っていたのは剣山のように備え付けられていた無数の竹槍だった。

城壁の先にそのような罠があると知りようがない兵は次々と壁を飛び越え、その度に命を散らしていった。数十名の死体が重なったところで、ようやく伊東祐青は剣山の罠があると気づいた。

だが、悲劇は始まったばかり。

まだ序の口である。

慌てて戻ろうとする伊東兵に対し、それまで息を殺していた肝付兼盛率いる鉄砲隊が突如として出現。一切の容赦なく射撃を加えてきたのである。

数にして20程度だが、甲冑を着ていない丸裸同然の伊東兵にしてみれば、その銃撃は数百にも感じられただろう。

無論、伊東兵も棒立ちしていた訳ではない。

縄を伝って斜面を引き返そうとする者。木立の影に身を潜める者。銃撃音に反応して腰を低くする者。それぞれの仕方で銃弾を喰らわないようにするが、そんな彼らに対しても肝付兼盛は容赦しなかった。

火矢が放たれたのである。

此方も手配りの良いことに、多くの木々に油が塗り込められていた。つまり、油に引火した火は瞬く間に燃え広がるということだ。

大火に伊東祐青隊を呑み込まれ、全滅に近い損害を受けたことは言うまでもあるまい。

 

「おのれぇ、島津義久めがぁ!」

 

命からがら逃げ延びた伊東祐青の歯軋りが一帯に響き渡る。だが、彼の憤怒は収まらなかった。

大手門を攻めていた相良勢がほうほうの態で引き揚げてきたのだ。見るからに負け戦。自らの不甲斐なさと相良勢の使えなさに怒号を発し、伊東祐青は主君の元へ再突撃の許可を求めに走るのだった。

 

 

◼︎

 

 

軍議の間は凍り付いている。

三日前の惨敗が尾を引きずっていた。

既に全体の死傷者は1000人を超えた。死者は300人程だが、重傷者が数多く、このまま薩摩討伐へ連れて行けるような状態では無かった。

何故こうなった。

軍議に参加する者は首を垂らす。

初日はまだ良かった。島津義久、未だ家督も継いでいないお姫様が奮戦してるなと高笑いしていたものだ。

二日目も同じ。少し焦りを覚えたぐらいか。

だが三日目は違う。伏兵による襲撃、付け込みを予測していたような巨石の反撃、そして間髪入れずに逆落としによる追撃。手慣れた戦運びだ。

四日目、五日目は軍議に時間を費やした。

そして六日目の惨敗。裏手から城内へ忍び込もうとした伊東祐青隊はほぼ全滅。そして、大手門に攻め寄せた相良勢は策に嵌められて大敗した。

それから何度か我攻めを行うが、統一の取れた城兵による籠城は堅固である。闇雲に被害を増やすだけで事態は一向に好転しなかった。

さりとて、わかった事もある。

島津義久は自ら攻め込んでこない。

やはり本国から援軍が来るのを待っているのだろう。その判断は正しい。伊東義祐とてそうする。

だからーー。

 

「黙っていても始まらんな。誰ぞ、加久藤城を落とす策を思い付いた者はおらぬのか?」

 

これ以上は時間の無駄だと伊東義祐は口火を切った。同時に献策したい者が現れるのを待つが、誰も策を披露しようとしない有様。溜息が溢れた。

 

「この三日目で何も思い付かなかったのか、お主らは!」

 

怒りに任せて吼える。

策を披露しない事に怒ったのではなく、誰も彼もが知らぬ振りを決め込む事に腹が立った。

そんな主君の心情を知ってか知らずか、家臣の一人が口を開いた。

 

「殿、我攻めを行えば無闇に被害を増やすだけに御座りまする。ここは兵糧攻めに切り替え、城兵を飢えさせればよろしいかと愚考致しまする」

「ならぬ。奴らは500の寡兵ぞ。6000の軍勢をもってして兵糧攻めとは。末代までの恥晒しじゃ!」

 

孫氏の兵法にもこうある。

『十なれば即ちこれを囲み、五なれば即ちこれを攻め、倍なれば即ちこれを分かち、敵すれば即ちよく闘い、少なければ即ちこれを逃れ、しかざれば即ちこれを避く。故に、小敵の堅は大敵の檎なり』と。

兵力は十倍以上。加久藤城は包囲した。

後は四方八方から攻めるだけで陥落する筈だ。

しかし、島津義久が施した事前の準備と巧みな采配のせいで上手く事が運ばない。

それでも兵糧攻めに移行すれば戦下手の侮蔑を免れないだろう。日向の国人衆も離れていく危険性がある。此処は是が非でも短期で落とさなければならない。

 

「しかしーー」

 

食い下がる家臣に、伊東義祐は畳み掛ける。

 

「それに、よ。近くの農民に聞いた所、島津義久は籠城が始まる前に大量の米を運び込んだらしいからのう。兵糧攻めは時間が掛かる。下手すれば島津貴久の本隊が救援に駆け付けるやもしれぬ」

 

此処で伊東祐青が口上を述べた。

 

「ここは我攻め一択でありましょう。殿が仰られたように加久藤城は寡兵でありまする。6000の兵が集中的に攻めれば一昼夜で攻め落とすことができましょうぞ!」

「待たれよ。それでは余りにも被害が大きくなり過ぎるではないか」

「では、相良殿。貴殿は兵糧攻めに賛成だと?」

「兵糧攻めは消極策。なれど策もなしに我攻めを行えば此方の被害甚大。薩摩を攻める兵すら失いかねん」

「お言葉ながら相良殿。三日目の戦闘でも相良勢の死傷者は少なかったでありませぬか。我々の半数以下とか。にも拘らず、ここまで消極的とは、もしや噂の通りに島津と内通しておられるのですか?」

 

連合軍全体に広がる『とある噂』。

それは相良義陽が島津と手を組んでいるというものだ。最初は根も葉もない噂だと笑って断じられていたが、狙ったかのように死傷者の少ない様を見せ付けられれば信憑性は格段に増してくる。

その噂を払拭する為に相良義陽は被害を無視して大手門に攻め込んだが、簡略化された空城計に引っかかってしまい、それでも予想より少ない死傷者数で済んでしまったのがまさに致命的だった。

それでも名誉を汚された事に変わりない。

相良義陽は立ち上がり怒鳴った。

 

「無礼であるぞ、伊東祐青!」

「火のない所に煙は立ちますまい。冤罪だと仰られるのなら、再び相良勢は大手門に殺到するがよろしかろう。無論、某もお供致しまするぞ?」

「くっ」

 

裏切ってなどいない。

島津家と手を組んでなどいない。

だがそれを証明する手立てがない。

歯痒い気持ちから顔を顰める相良義陽に、成り行きを見守っていた伊東義祐が助け舟を出した。

 

「祐青の言葉、無礼なれど尤もである。相良殿、ここは在らぬ噂を払拭するが賢明かと思うが」

「義祐殿まで……」

「さぁ、返答や如何に?」

 

返答を求める伊東祐青。

決断を迫られた相良義陽はーー。

 

「儂は……」

 

結局、返事を告げる事は出来なかった。

何故か。それは想像よりも早く判明した。

 

「敵襲っ!」

 

悲鳴にも似た声が物見櫓から轟いた。

数秒遅れて断末魔の悲鳴が闇夜に響き渡る。

何事かと軍議に参加していた面々は散らばって目を凝らす。確かに敵襲だった。総数はわからないものの、騎馬隊を中心にして遮二無二に連合軍本陣へ斬り込んでくる。

闇に紛れて押し寄せてくる一団の正体を知るには些かの時間を要し、彼らの目に飛び込んで来た旗指物の模様は見覚えがある物だった。

 

「あれはーーッ!」

 

それには『相良氏』の家紋が染め抜かれていた。

 

 

◼︎

 

 

「流石は義久様。完璧です」

 

物見櫓から敵本陣を眺めていた俺は、抜群のタイミングで敵襲を仕掛けた義久様に喝采を送った。

三日前の戦闘で手に入れた相良氏の旗指物も微かに見える。これで彼らの分裂は決定的だ。暗がりの中でも出来る限り伊東兵に被害を与えようとする事も、それに追い打ちを掛けてくれるに違いあるまい。

 

「策は成りましたな。では我々も大手門から討って出ましょうぞ」

 

物見櫓を降り、大手門へ急ぐ俺に兼盛殿と有川殿が駆け寄ってきた。

甲冑を着ている所にも戦慣れしている部分が垣間見えるな。

軍議で事前に打ち合わせしたが、それでも一声掛けてくださったのは、軍配を持つ俺の面目を気にしたからだろうな。有り難い事である。

だが無用だ。

此処からは時間の勝負となる。

俺も早々に移動しなければならない。

 

「ええ。兼盛殿と有川殿は300の兵を率いて義久様と合流。そのまま第二段階へ移行。この暗闇です。同士討ちに気をつけなされ」

「委細承知!」

「行くぞ、兼盛殿!」

 

足早に走り去る二人の姿を尻目に、俺も50の手兵を率いて出陣した。

敵襲に参加する事なく、統率の取れていない本陣の横を掠めて通り過ぎる。

義久様なら必ず伊東勢と相良勢を分断させてくれると信じ、そして疑心暗鬼に陥った彼らが退却する時に軍勢を二つに分けると確信し、俺は次なる策を成功させる為の準備に追われるのだった。

 

 


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