後に『真幸院の戦い』と呼ばれる合戦から早くも三か月が経過した。
一連の流れを簡単に纏めてみよう。
先ずは伊東相良連合軍を加久藤城にて足止め。油断した所を見逃さずに夜襲を仕掛ける。連合軍が二手に別れた隙に相良勢を虚旗を用いた策で人吉城に退却させ、伊東義祐に虚報を流して佐土原城へ戻る時に釣り野伏せを仕掛けて各個撃破した。
合戦自体は練っていた作戦通りの展開だったんだけども、一つだけ予想外な事が起きてしまった。
島津義弘様の佐土原城攻略である。
まさかあれほど短期間で攻め落とすとは。
実質的な時間は三日と掛かっていなかった。
『鬼島津』にしても無茶苦茶過ぎませんかねぇ。
真幸院の戦いに勝利した後、有川殿と肝付兼盛殿に負傷者を含めた500の兵を国許に返すよう頼み、俺と義久様は残り500の島津兵を率いて日向へ侵攻。無事に義弘様と合流を果たした。
直ぐに佐土原城の事を聞いてみたところ、義弘様は快活に笑いながら俺の肩を元気よく叩いた。
「あぁ、アレね。源太のお陰だってば」
「え?」
「この書状、忘れちゃったの?」
「忘れておりませぬ。日向に向かう前に俺が渡した書状なのですからな。……あ。義弘様、まさかとは思われますが『しかみ戦術』を用いたのですか?」
「うん。助かったよ、源太。アレのお陰で佐土原城に篭っていた伊東勢を誘い出せたんだから。お父さんにも源太の手柄でもあるって伝えといたから安心して」
「あ、はい。勿体なきお言葉に御座りまする」
ああ、成る程ね。
だから短期間で攻略できたのか。
納得は出来たが、少しだけ後悔してしまう。
義弘様の仰った『しかみ戦術』とは三方ヶ原の戦いで武田信玄が用いた戦術に対して名付けた物である。
勿論だけども俺が名前を付けた。
反省はしている、後悔もしている。
そもそも義弘様が佐土原城に苦戦し過ぎた時の保険として提案した戦術だったんだよ。例え使用したとしても一回目から使いこなすなんて想像していなかったよ。鬼島津に進化したら俺だってどうしようもねぇんだよ!
ちなみに、しかみとは三方ヶ原の敗戦後、徳川家康が戒めの為に描かせた肖像画の名前に因んでいたりする。俺にしかわからない名前の由来であった。
ーー何はともあれ。
合流した後、義久様を総大将とした4000の島津兵は日向全土を席巻。瞬く間に没落した伊東家に見切りを付けた国人衆も島津家に靡く。6000にまで膨れ上がった島津義久隊は、一ヶ月も掛からずに大した障害もなく日向を平定し終えた。
大友家の侵攻を警戒して、猛将として知られる新納忠元殿を高城に置いてから薩摩本国へ帰還すると、久し振りに父上と会うなり頭を撫でられた。
「忠棟、真幸院の戦いに加え、日向平定に関してもよう働いた。お主の才を甘く見ていたようだ」
「有難きお言葉。父上も肝付兼続との合戦で活躍したと聞き及んでおります」
「肝付勢を追撃しただけよ。お主と比べたら些細な武功よな」
「いえ、決してそのような事は……」
「無用な謙遜は止せ。某は喜んでおるのだ。殿も仰っておられたぞ。忠棟の才に上限なし、とな」
「お言葉ながら俺とて人の子。武勇の欠片もありませぬ。あまり誇張な評価はよろしくないかと愚考致しまする」
「なにを申すか。お主の智謀は今や九州、いや日ノ本全土にまで轟いておるのだぞ。『島津の今士元』と呼ばれておるのだから胸を張らぬか!」
「何なのですか、その某半兵衛的な異名は……」
貴久様率いる島津本隊6000は、肝付兼続を総大将とする7000と一ヶ月間睨み合った。
動いた方が負けてしまう。そんな互角の対陣を続けていく内に、相良義陽と伊東義祐が合戦に敗れたという急報が届いたらしい。
島津に援軍が来ると恐れた肝付兼続は即時に撤退を開始。当然ながら貴久様は追撃するも、重臣を数人犠牲にした退却戦の末に肝付城へ帰還を果たす。ところが情勢を鑑みた大隅の国人衆は島津家に乗り換え、急速に衰退した肝付兼続は半月後に肝付城で切腹した。
こうして無事に六年間思い描いた、史実よりも十年以上早い三洲平定を成し遂げた訳なんだけど。
何やら俺に異名が出来たらしい。
島津の今士元とか、戦国の鳳雛とか。
やめて、本当にやめて!
それ竹中半兵衛のパクリだから。
でも、多分だけどさ、この世界だと俺の方が先だと思う。
俺が尊敬する軍師の一人、竹中半兵衛が後世でパクリ野郎みたいに呼ばれるなんて滅茶苦茶嫌なんですけど。
父上に物申しても意味はなく、そもそも俺の預かり知らぬところで広まっているらしく、少なくとも島津家家臣たちは三洲平定の戦絵図を描いたのが伊集院忠棟だと知っているとのことだ。
評定でも献策し易くなるから良いんだけどさ。
どうせなら義久様の武功話が広がればいいのに。
ーーはてさて。
その義久様はというと、伊東相良連合軍を殲滅する大役を成し遂げたからなのか、薩摩本国へ帰還する間も終始機嫌が良かった。
「源太くん、怪我は無かった?」
「ええ。俺は軍配を持っていただけで刀を振るうことはありませんでしたから。義久様も大きな怪我がなく安心しました」
「源太くんが策を用意してくれたお陰よ〜」
「武将も討ち取りました故、これで義久様を軽んじる者も少なくなるでしょうな。一安心ですぞ」
「弘ちゃんの方が凄いわよ〜。わたしもお姉ちゃんとして誇らしいわ。鬼島津なんて呼ばれちゃってるもの」
「……義久様」
「そんな顔しないの。源太くんも喜んで、ね?」
「無論、喜んでおりますとも」
「なら良かった。安心したわ〜」
心の底から笑う義久様を見て、俺はこのお方こそ島津家の次期当主に相応しいと改めて思った。
如何に実の妹だとしても、義弘様のような武勇に突出した才能に嫉妬しないだけで器量の大きさがわかるというものだ。
特に御家騒動が当たり前な戦国時代。
義久様こそ最も総大将の才を持っているんだがなぁ。何とかして実績と共に島津家全体に知らしめる事は出来ないんだろうか。
大友家に対する謀略と新たに行いたい内政を一通り纏めつつ、馬上で揺られる俺こと伊集院忠棟。
薩摩本国への帰還途中も悩みが尽きることは無い上に、とある不幸忍者が更なる火種を投下してくれやがりました。
「大旦那、報告があるんだけど」
「面倒事を増やすでないぞ」
「いやー、そうしたいのは山々なんだけどね。何と貴旦那からだよ。大旦那の耳に入れとけって」
「聞きとうない……」
「大旦那の嫁取り話だってば」
薩摩へ入った頃に三太夫が耳打ちしてきた。
遂に嫁取り話が来たかという覚悟。
だけどなんで貴久様直々なんだよという疑問。
主君筋から世話されることもあるらしいが、普通はご祖父様か父上が持ってくる話だろ。俺って直臣じゃないし、貴久様から見たら陪臣だしさ。
まさかとは思うが弟であらせられる島津忠将様の息女じゃなかろうな。
確か俺と同い年だった筈である。
貴久様は俺を過大に評価していると聞くから実際に有り得そうなんだけども。
一門衆になるんだっけか、この場合だと。
「…………」
「…………」
義久様と義弘様がチラチラと俺を見る。
特に三太夫から嫁取り話を吹っかけられた頃からだ。腐っても軍師。気づかない訳ないんだがな。
ただ此方から話を振るのも気が引ける。
そのまま微妙な空気で内城へ帰城するのだった。
◼︎
九州北部に位置する豊後国。
九州探題の官職を持つ大友宗麟は北九州の殆どを勢力下に治め、押しも押されぬ大大名として四方に多大な影響力を持っていた。
しかし全ては上手く行かない物である。
急速に台頭してきた毛利家は旧大内家の権利と北九州の諸勢力の支援を大義名分とし、九州と中国地方の間の 『関門海峡』に出っ張るように存在していた最前線の城 『門司城』を大軍を持って攻撃して占領してしまう。
毛利家との対話を続け、北九州に攻めてこないという約束を取り付けていたと思っていた大友宗麟は見事に虚を突かれる格好となった。
これに怒った大友宗麟もすかさず軍勢を集め、数万の大軍で自ら門司城奪還に向かう。しかしながら毛利家の勇将 『乃美宗勝』や『小早川隆景』に加え、水際での戦いに長けた『村上水軍』の攻勢により大友軍は敗退。
ーーするかと思われたが。
戸次道雪と高橋紹運の巧みな指揮と策略によって不利な戦況を跳ね返し、門司城を奪還。更に退却中小早川隆景に追撃を仕掛けることに成功した事で毛利家は大損害を被ってしまった。
『門司合戦』と呼ばれる毛利と大友の戦は、史実とかけ離れた大友軍大勝利に終わったのである。
「…………」
史実を無視して大友家を勝利に導いた武将は、臼杵城下に構えた屋敷の縁側にて秋の陽射しを浴びていた。
毛利勢を駆逐した猛将と思えぬ柔げな美貌に漆の如く麗らかな黒髪。そして女性であることを醸し出す色彩豊かな着物。一目見ただけで育ちの良い姫武将だと把握できるが、一点だけ他の武将と明らかに違うところが存在する。
彼女は歩く事が出来ない。
幼い頃の話である。故郷の藤北で炎天下の日、大木の下で昼寝をしていた。が、およそ急な夕立に見舞われた挙句に雷が落ちてしまう。枕元に立てかけておいた『千鳥』と呼ばれる太刀を抜き、雷を斬って飛び退くも、彼女の左足は不具となってしまったのだ。
にも拘らず、武将としての統率力だけでなく、武勇にも目覚ましい物がある。
彼女を支える脚、その名も『黒戸次』。
簡単に説明するのなら車輪の付いた椅子だろうか。
戦場に出るには頼りなく思われてきたが、彼女はまるでそれを手足の様に扱って毛利勢を退却せしめた実績を持つ。
異名は雷神の化身、又は鬼道雪。
彼女こそ大友家随一の弓取り、戸次道雪である。
「暖かく平和ですね。そう思いませんか、紹運」
そんな名将の乗る黒戸次を押すのは紅い髪が特徴的な姫武将、高橋紹運だった。
戸次道雪に負けず劣らず有能な武将として名高い高橋紹運は、尊敬する義姉の言葉にしっかりとした声音で返答した。
「はい。もう秋の中頃ですから」
「今年も無事に豊作だったとか。門司合戦から大きな戦も無く、民に負担を強いることも無く、誠に良い一年でしたね」
「気が早いですよ、義姉上。今年もまだ二ヶ月あるのですから。どうやら日向から火種が舞い込んで来たらしいですよ」
日向からの火種。
とある男は一部の武将からそう揶揄されていた。
その者は、6000の大軍を率いて薩摩へ侵攻しようとするも、真幸院の戦いにて島津義久に完敗し、命からがら豊後へ逃げ果せた日向伊東氏十一代当主の事である。
「存じ上げていますよ、紹運。伊東義祐殿の事でしょう?」
戸次道雪は朗らかに答えた。
「義姉上はどう思われますか、義祐殿の事」
「ふふ、不思議な問いですね。紹運、聞きたい事は素直に口に出しなさい。私と貴女の仲ではありませんか」
探るような物言いに、道雪は思わず苦笑いした。
戸次道雪と高橋紹運。
彼女たちはお互いに大友家へ忠を尽くす武将としても、そして義姉妹としても固い絆で結ばれている。意見が異なったところで今更解けてしまう緩い結び目ではないのだ。
紹運は目を伏せながら口を開く。
「申し訳ありません。その、宗麟様が義祐殿を大義名分に掲げて日向へ侵攻しようとしている事についてなのです」
「紹運は賛成ですか?」
「失礼ながら私は反対です。肥前では反乱の兆しがあると聞く上、島津と交戦している中、毛利家が再び豊前に攻めてくる可能性も高いですから」
いや、違う。
道雪は内心で紹運の言葉を否定した。
毛利家は確実に豊前へ攻めてくる。
大友家に僅かな綻びが見え始めたらその隙を逃さないだろう。間隙を縫うように侵攻してくる筈。
只の国人だった毛利家を僅かな期間で大大名に押し上げた謀将『毛利元就』が、主力軍を日向に向けるという最大の好機を見逃す訳がないのだ。
昨年末起きた門司合戦の二の舞となろう。
盗られたとして再び奪還できるのか。
奪還しろと命令されれば応えるのが武将である。最善は尽くすが毛利家も簡単な相手ではない。この間のような奇襲は通用しないと思って行動しなければ。
ーーいずれにしても。
大友宗麟に日向侵攻を諦めて貰うのが最善手だ。
しかし、そうは問屋が卸さない事情があった。
「私も同意見ですよ、紹運。ただ貴女もわかっているでしょう。宗麟様は最近南蛮の教えに傾倒しています。それも日向侵攻に関係しているのでしょうね。噂によると、神の国を創りたい、とか」
「義姉上が諌めても聞く耳を持ちませんか?」
「何度かお叱りしたのですが、どうにも。残念ですが紹運。例え私たちが日向侵攻に断固反対したとしても宗麟様は心変わりしないでしょうね」
「義姉上でもお聞きになりませんか。なら、日向侵攻はいつ頃だとお考えで?」
戸次道雪は幾度となく宗麟を叱ってきた。
南蛮の教えに傾倒して神社仏閣を蔑ろにしそうな兆候があればこれを戒める。無駄な浪費を行えば理をもって諌める。敵の罠に飛び込みそうになった時も、命懸けの諫言を用いて主君の至らぬところを庇った実績があるものの、此度に関しては宗教的な問題に首まで浸かっている為、さしもの道雪でも宗麟の考えを改めることは不可能だった。
「宗麟様は直ぐに日向へ侵攻すると仰られてましたが、角隅殿のお陰で日にちは大分先に延びましたよ。早くても来年の夏頃でしょうか」
角隅石宗。
大友家の軍師であり、戸次道雪の師匠でもある。
彼は大友家中において絶大な影響力を持ち、正論を根気よく説かれ続ければ、流石の大友宗麟も首を縦に振らざるを得なかった。
無論、日向侵攻は諦めず、日にちが延びただけである。それでも道雪と紹運からしたら大変有り難い事だった。
「なるほど。流石は角隅殿です」
「問題は島津の強さですね」
「真幸院の戦い。詳細を聞けば聞くほど細部まで読み切った島津軍は敬意に値します。薩摩一国から三ヶ月も経たぬ内に三洲平定を成し遂げた事も尋常ではありませんね」
「ええ。恐ろしいものです。特に、島津の今士元と名声が轟く伊集院忠棟。彼の智謀は決して甘く見てはなりませんよ」
島津家による電光石火の三洲平定。
それは九州の諸大名だけでなく、日ノ本全土の大名から国人衆にまで広く知れ渡った。何しろ合戦の開始から三ヶ月掛けずに日向と大隅を平定したのだ。尋常な速さではない。まさに神速である。
島津義久、島津義弘、島津貴久。
三つに分けた隊の総大将として活躍した三人は勿論だが、島津家の軍師である『伊集院忠棟』の名も全国に轟いた。
彼は真幸院の戦いで六倍の敵を駆逐しただけに留まらず、日向平定に尽力した。これだけでも若くして打ち立てた武功として華々しいが、そもそも今回の電光石火による三洲平定を描いてみせたのが伊集院忠棟なのだ。
島津の今士元、戦国の鳳雛。
そのような異名も付けられたらしい。
実績から鑑みれば至極当然な帰結だろう。
「義姉上は信じているのですか。三洲平定の戦絵図を描いたのが十七そこらの伊集院忠棟だと」
伊東義祐、相良義陽、肝付兼続。
三人の戦国大名を手玉に取った話は俄かには信じ難いだろうが、戸次道雪はそれが真実であると断言できる理由があった。
「あら、紹運には言ってませんでしたか?」
「何をですか、義姉上」
「私は伊集院忠棟と会った事があるのですよ」
「え、何時ですか?」
驚く紹運に、道雪は顎に人差し指を当てながら答えた。
「二年前だったかしら。宗麟様に頼まれ、坊津へ秘密裏に視察に行ったのです。其処で利発そうな少年と出会いまして、少しだけお話をしましたよ。まさしく聡明な方でした」
「それが、伊集院忠棟だと?」
「ええ。商人たちからも親しげに名前で呼ばれてましたからね。私は名乗らずに立ち去りましたけど」
あくまで秘密裏な視察だった。
当時は他国に知れ渡る程の武功を挙げていなかった上に、車椅子に乗った女性がまさか大友家の間者だとわかるはずがないからこそ、戸次道雪は苦もなく伊集院忠棟と会話することに成功した。
当時のことは鮮明に思い出せる。
何故なら、門司合戦にて活躍出来たのも、黒戸次の改良点を見つけてくれた彼のお陰なのだから。
「聞いておりませぬ、そのような話」
「まぁ、よろしいではありませんか。兎も角、真幸院の戦いから察するに、伊東義祐殿をわざと豊後へ逃がしたのは伊集院忠棟でしょう。つまり、彼の謀略は始まっているも同じです。決して油断しないように。わかりましたね、紹運」
「はい」
気を引き締めなければならない。
北は毛利、南は島津。
挟まれてしまった大友家。この窮地を脱する為にも戸次道雪は一つだけ心に決めている事がある。
それはーー。
「……日向侵攻の際は、私も出向くしかありませんね」
伊集院忠棟の飛躍を此処で止めることであった。
本日の要点。
1、策の通りに三洲平定成る。
2、忠棟に嫁取り話が。
3、戸次道雪、日向の合戦に参戦決定。
この作品では最後まで戸次道雪、大友宗麟という名前です。
歴史好きな方には混乱させてしまうかもしれませんが、何卒ご了承下さい。