島津飛翔記   作:慶伊徹

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二十七話 東郷重位との逃避

 

 

 

 

三月十四日、午の刻。

薩摩国の本城として名高い内城に着目する。

隣接する鹿児島港の発展に負けず劣らず拡張していく城下町。砂糖の売り上げと南海航路の中継貿易による莫大な資金を用いて、京の甘美な街並みを知る義久様の知識を組み合わせた結果、南の都とも呼び声高い街が出来上がった。

今日も今日とて騒がしく賑やかである。

坊津と鹿児島に続々と運ばれる明や南蛮からの物品が、大通りを貫くようにして開催される市を大いに盛り上げていた。

だが、時は戦国時代だ。

更に九州の最南端という立地が拍車をかける。

畿内と比べれば国力の源と言える民草は少ない。

加えて、保守的な政策故に今日の発展が限界であろうな。

やはり織田信長を真似るしかないか。

多少なりとも家臣団の反発もあるに違いない。

しかしーー。

大友家の決戦に勝利した武功を盾にして押し切るだけだ。島津家の天下統一に必要不可欠な政策を邪魔するならば俺の敵である。

 

「兄上、怖い顔をなさって如何致しましたか?」

 

隣から掛けられた声で現実に戻った。

驟雨に襲われた俺と東郷重位は雨宿り中だ。

唐突な土砂降りに慌てふためく重位の手を引っ張り、気前の良い坊さんのお陰で近くにあった寺の一室を一時的に借りている最中だった。

二頭の馬は裏手の厩舎に繋いである。

 

「何でもない。気にするな」

 

適当に返答しながら濡れた服を乾かす。

この大事な時期に風邪でも引いたら拙いからな。

もし万が一風邪を拗らせてしまったら物笑いの種になる。

故に綺麗な黒髪を持つ重位にも徹底させて、雷雨が止むまで此処に滞在すると告げてから早くも一刻が経過したが、未だに雨雲は内城の城下町を睨み続けていた。

 

「止みませぬな、雨」

「心配いらん。長くは続くまい」

「川内川の氾濫も気にせずに済みますな」

 

何故か嬉しそうに笑う重位。

川内川とは九州山地の白髪岳南麓を発する一級河川の事である。太古から肥後国を経由して薩摩国を潤す巨大な河川だったが、大雨が降ると度々小規模な氾濫を起こす厄介な面も存在した。

また、加久藤盆地や菱刈平野などで栽培される稲の灌漑の為に多くの用水路が必要となった事が起因して、二年程前から大規模な治水工事が始まったのだ。

これらに必要な金銭等は島津家が工面した。

まさしく現代で呼ばれるところの公共事業だ。

現在でも景気を回復する起爆剤として提案される物である。失業者に仕事を与え、かつインフラ整備によって生産物の向上や流通の促進を図る事ができる。

千歯扱きによる未亡人の失業者は砂糖製造に割り当てた。しかし、農民の次男や三男は、田畑を継いだ長男の手伝いをするだけだ。

島津家飛躍に必要な雌伏の二年間。名誉と金銭を得る為に戦を望む彼らの余りある労働力、それを無駄にするのは酷く惜しいと考え、どうせなら生産力も増やしてしまおうという結論に至った訳である。

川の大きさすら変えた治水工事も昨年度末に無事終了。川内平野にも田畑が広がり、元から穀倉地帯だった加久藤盆地も安定して収穫出来るようになったと聞く。

 

「やけに喜ぶではないか、重位」

「無論、兄上の功績ですから」

「某は提案したまで。最後まで陣頭指揮を執ったのは我が父よ。此度の治水工事の功績は我が父、忠倉にあるのは明白であろうな」

「そういうものなのですか?」

 

重位が小首を傾げる。

どうも俺の事を過大評価しているみたいだ。

俺を示現流の開祖だと宣伝する時点で兆しはありました。三洲平定の策を成し遂げた時から、何か神様でも崇めるような視線を向けてくることもある程だ。

進化するにしても早すぎませんかね。

当然ながら幾度となく否定した。

だが、重位の中で定着した人物像は頑固だった。

最終的に諦めた俺だけど、事あることに訂正していくお陰で最近は神聖視されることも少なくなったと思う。

俺ってば超頑張った!

 

「うむ。父上の功績を横取りするなど笑止千万である。重位も重々理解しておくようにな」

 

釘を指すと重位はコクリと頷いた。

 

「承知仕りました」

「良い返事ぞ。して、乾いたか?」

 

俺の服はそろそろ乾きそう。

重位に視線を遣ると、示現流馬鹿は首を横に振った。髪先から水滴が落ちていない為、どうも服の方に時間が掛かっているようだ。

しょうがないと思う。

俺に降り掛かる雨を庇ったからな、こいつは。

島津忠棟の専属護衛役とはよくぞ申したものである。

 

「ーー申し訳ありませぬ。髪は乾きましたが、服の方は以前濡れたままに御座ります」

「致し方あるまい。火鉢の前に置いておけばいずれ自然に乾くというもの。斯様に気にするな」

 

今日の目的は午前中に達したからな。

午後からは特に政務など無かった筈だ。

ーーいや、待てよ。

なにも無かったよな?

義久様たちから呼び出された記憶も特に無いから大丈夫だ。何か有ったとしても事前に城下町へ行くと伝えてあるから迎えを寄越すだろうしな。

 

「感謝の極み。まったく兄上はお優しいですな」

「この程度で優しいなど決め付けるでない。お主とて知っておる筈よ。今現在、某の行っていることなどはな」

「三太夫から少しだけ。さりとて、この東郷重位は小難しい事などわかりませぬ。私は兄上を信じて、眼前に迫る敵を示現流で叩き切るだけに御座ります!」

 

島津忠棟の興した示現流か。

現在、島津家の中で流行しているらしい。

門下生だけで数百人に達すると聞く。

専門の道場に一度だけ足を運んだ事があった。

そこで見た光景は忘れられない。

全員が一斉に金切り声を挙げて、裂帛の勢いで刀を大上段から振り下ろす姿は何処ぞの新興宗教かと思うほど異様な雰囲気に包まれていた。

そそくさと帰ったのは言うまでもあるまい。

俺は示現流の開祖だ。嘘偽りなく不本意だけど。

何にせよーー。

キリスト教徒からしてみたらイエス・キリストみたいな物である、多分だが。

どうなるかなど火を見るよりも明らかだ。

そして、事態は深刻になっていく。

示現流の門下生を中心とする最強部隊を作ってくださいとか寝言をほざきやがった。部隊の甲冑を赤色で揃えたら士気も上がるとか何とか。

それって武田や徳川の『赤備え』じゃねぇか。

赤備えとは戦国時代の軍団編成の一種だ。

全ての武具を朱塗りにした部隊編成の事である。

戦国時代で赤色は高級品である辰砂で出されており、戦場でも特に目立つ為、特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊である事が多い。

率いた武将は飯富虎昌や井伊直政、真田信繁など後世に語り継がれる名将ばかりだ。

当然ながら丁重に断った。

重位の武勇は認めるも統率力に欠ける。

『島津の赤備え』を作るのなら新納忠元殿こそ相応しいと忌憚なく言い放った。

最初こそ世の終わりみたく項垂れた重位だったもの、直ぐに復活した挙句、歳久様や直茂等に師事して日夜部隊運用の勉強をしているんだから困った物である。

努力する人間を悪し様に扱うなど無能の極み。

歳久様のお許しが出るか、大友家との合戦で功を立てれば、貴久様か義久様に進言してやらねばなるまいて。

 

「示現流ばかり磨き上げても合戦で使えねば無意味ぞ」

 

念の為に注意しておいた。

後十年も経てば鉄砲の必要性は飛躍的に上昇するだろうが、今の段階に於ける合戦の主役は弓矢と長槍である。

正直、刀を抜いて鍔迫り合うのは非現実的と言えた。要するに示現流にて敵兵を殺すのは殆ど不可能なんだよな。

東郷重位程の武勇の持ち主なら話は別だろうけども。

 

「弓矢と長槍の鍛錬も並行して行っておりまする」

「ならば良し。念のために鉄砲も鍛錬しておけ」

「はっ。鉄砲と言えば兄上、此度の視察で気になった事がありましてーー」

「止せ、重位。何処に誰の耳があるかわからぬ」

 

今朝行った工業都市の視察。

造船所、刀鍛冶、鉄砲生産拠点など。

島津家は様々な工業を一つに纏めた街の開発を行っている。一月前から進めた事業だが、事前準備の周到さから予定よりも数ヶ月ほど早く規定の水準を満たしたと連絡があった。

そこで急遽、俺の視察が決まったのだ。

内城の城下町に隣接する場所である為、護衛役は東郷重位一人で充分だと判断した。なにしろ武勇だけなら義弘様にすら匹敵するかもしれない猛者だからである。

 

「寺ですぞ?」

「寺だからであろうに」

「え?」

 

俺の即答に対して重位は目を見開いた。

薩摩に根を張るお寺でも警戒するなんてと言いたげだ。

転生した俺は宗教の有り難みがわからない。

だが此処は中世。平穏から遠く離れた戦国時代。

生きるのに疲れ果てた一般庶民が行き着く先は宗教である。人間の持つ信仰心に根差した恐怖を煽ることができる宗教という存在に逃げ込むしかなかった。

それは朝廷や幕府の重鎮も例外ではない。

むしろ彼らの方が一般庶民より信心深かった。

故に朝廷や武家でさえ、宗教の権威による神罰を盾にした示威行動に屈したのである。

延暦寺や日吉大社が金融業で大儲けできたのも、人間心理の奥深くにある信仰心を上手く突いて恐怖で縛ったからと言える。自ら金を返すか、または別の物で代替することを容易く成功させてきたからなのだ。

結果として寺社勢力は中世日本で絶大な勢力を持つに至った。この流れは年表や武将の年齢が異なるこの時代でも同じことだ。

史実だと、織田信長が当時の日本を牛耳っていたとも言える寺社勢力から財や特権を剥奪し、これを貴族や家臣に再分配させた事で、武家の圧倒的な地位が実質的に保障され、宗教勢力は相対的に影を潜めるほかなくなったのである。

もしも信長がいなければ政教分離に至らず、現代日本でも寺社勢力の影響力はそれなりに保たれていたに違いない。

織田信長、最大の偉業と呼んでも過言ではないだろう。

だがーー今の島津家はその偉業を踏襲できない。

大友宗麟の南蛮狂いに対抗する為、島津家は寺社の保護を掲げている。こうする事で豊後へ攻め込む時に協力してもらえるからだ。

だから我慢しなければならなかった。

寺社勢力とて島津家の敵だと口にせず、それらしい答えを重位に言って聞かせる。

 

「大友家の放った忍が潜んでいる可能性とて少なくない。ゆめゆめ忘れるな、重位。相良征伐を経て南九州の覇権を得たと言えども、北九州に最大の壁がある事を。大友家は油断して勝てる家ではなかぞ」

「御意。浅はかでした」

「気に病むな。視察の話は屋敷に戻ってからにせよ」

「承知致しました」

 

堅苦しく平伏する重位。

この時、少しだけ義弘様の気持ちがわかった。

仲良くしたい相手に仰々しい態度を取られると悲しくなるな。かと言って、島津家に婿入りした俺が誰にでも下手に出ると侮れてしまうこと必定である。

三太夫は親友だから構わん。

重位は妹のように感じる。もしくは子犬か。

なら直茂に対する評価は如何ほどの物だろうか。

夫婦会議を行ってから少しだけ笑ってくれるようになった。

月見酒に付き合うこと二回。夜伽の後に語り合うこと二回。遅すぎる歩みと言えど、身体と違う目に見えぬ部分が着実に接近していると思う。

 

ーーって、しまったぁあ!

 

「い、如何なさいましたか、兄上」

 

突然頭を抱える俺こと島津忠棟。

その背中に抱きつき、不安げに目を揺らす重位。

最悪の失敗に気付いてしまった。

口から漏れた言葉は死人に近い暗鬱さを纏っていた。

 

「ーー終わりぞ、重位」

「そんな、兄上……。ま、まさか病ですか!?」

「病ならば遥かに良かった。昨日は夫婦会議の日であった」

「三太夫曰く、兄上虐めの暗黒会議をすっぽかしたのですか!?」

 

すっぽかしたとは無礼だぞ。

そもそも暗黒会議ってなんだよ。

いや、俺の体感的にも合ってるけどさ。

 

「此度の視察は島津家の今後を左右するやもしれぬ物だったのだ。突然な政務から夫婦会議を忘却しておった」

「如何なさるおつもりで?」

「雨が止み次第、内城に馳せ参じる他あるまい」

「謝り倒すのですね!」

「うむ。帰り道に何か買っていかねばな」

「物で釣るのですね。大事だと思います!」

 

俺と考えている事は同じなのに純粋な目が痛すぎる。

恐らく東郷重位のこういう綺麗な部分が、示現流の流行に一役買っているのだろう。

真幸院の戦いでも島津兵を優しく勇ましく鼓舞したらしい。将としての器は確かに有るだろう。敵に策を講じられた場合、対処できなさそうな所に目を瞑ればの話だけど。

なんにせよ此処は一時撤退である。

降り注ぐ雨粒でも数えながら義久様と直茂の機嫌を回復する手段を考えることにしよう。

乾いたばかりの服に袖を通した俺は立ち上がる。

ついて行けない重位はキョトンとした表情を浮かべた。

 

「雨は止んでおりませぬぞ、兄上」

「帰るとは申しておらぬ。雨でも眺めるだけぞ」

「この重位もお伴致しまする!」

「お主は服を乾かせ。年頃の娘が裸同然の姿で無闇に出歩くなど言語道断よ」

「うぅぅ。護衛はいらぬと申されますか?」

「遠くには出歩かんから安心せい。少しの間、一人になりたいだけだ。四半刻もせぬ内に戻る」

 

何か言いたげな重位を放って、俺は割り当てられた部屋から出た。

瞬間、雨粒の音が耳を劈く。

雨特有の匂いを胸一杯に吸い込む。

単純この上ないが少しだけ落ち着いてきた。

取り敢えず平伏して謝れば許してくれるだろうと楽観的な思考に苛まれた直後、俺は寺の入り口で右往左往している黒髪の女性を見つけた。

遠目からでも見覚えのある女性だとわかった。

雨を弾いて輝く濡羽烏の髪と玲瓏たる白い美貌もさることながら、決定的な部分で気付いたのは俺も弄った事がある車椅子によるものだった。

 

「雪さん!」

 

俺は無意識の内に走り出していた。

適当に草履を履くだけに飽き足らず、飛び跳ねる泥で高価な服を汚すことになろうとも関係ないと言わんばかりに。

不安げな相貌で雨空を見上げる彼女に駆け寄りたかった。

三年前の出会い。

それを再現するような邂逅に心が躍っていた。

雨粒による消音効果すら跳ね除けた呼び掛けは、どうやら無事に彼女の耳へ届いたらしい。三年前と変わらぬ憂いを帯びた双眸が光を取り戻したように見えた。

 

「貴方は……」

「忠棟です。覚えていらっしゃいますか?」

 

乾いたばかりの服を雪さんの頭上に掲げた。

只でさえびしょ濡れだ。これ以上は身体に障る。

万歳するような格好の俺を、雪さんは呆然と見上げる。

まさか忘れてしまったのだろうか。

不安に揺れた俺は早口で説明する事にした。

 

「三年前、坊津でお会いました。お酒も飲み交わしたのですが、雪さんは覚えておりませんか?」

 

いいえ、いいえと雪さんは頭を振る。

 

「覚えていますよ、忠棟殿」

「あぁ、それは良かった。お久し振りです、雪さん」

「本当に、久し振りです……」

 

目尻から頬を伝って落ちる物は何だろう。

雨粒の名残か、それとも再会の涙だろうか。

わからない。それでも潤いを帯びた竜胆色の瞳に吸い込まれてしまった。

 

 

「雪はーー。雪は、貴方にお会いしたかった」

 

 

俺の腰に優しく抱き付く雪さん。

驚きのあまり思わず硬直してしまう俺。

だが思考は生きている。

三年前も雷雨が苦手だと言っていた。

例え雷鳴が轟かずとも、現代のゲリラ豪雨を彷彿させる驟雨で酷く心細かったに違いない。

だから俺は、雪さんの不安が落ち着くまで好きにさせようと思った。

 

「大丈夫です。俺がいます」

「はい、はいっ。此処に貴方がいます」

 

貴方がいます、と上の空で再度呟く雪さん。

 

雨はまだ止みそうになかった。







本日の要点。

1、川内川「や、夜戦ができないぃぃ!」

2、東郷重位「赤備えさせろ!」

3、雪「これは運命……?」

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