島津飛翔記   作:慶伊徹

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二十九話 島津義久への羞恥

 

 

八月十八日、酉の刻。

島津家久は眼下に広がる大友軍を睥睨する。

同月十三日に高城周辺に布陣。その翌日から開始された大友勢35000による城攻めは、当初の予想に反して穏やかな包囲戦となった。

ほぼ一年掛けて大増築した高城を見て、無理矢理な力攻めは下策と判断したと見るべきだが、大友軍を実質的に率いているのは名将として名高い戸次道雪である。

雷神の異名すら持つ姫武将だ。

此処で気を抜くのは自殺行為と考えるべきであろう。

 

「戸次道雪、どう動いてきますかな?」

 

背後に佇む新納忠元が静かに問い掛ける。

島津家中でも五指に入る猛将。加えて文化や伝統を愛でる知識人としての側面も持つ。親指武蔵とも呼ばれる歴戦の武将である。

五ヶ月間、島津家久と共に豊後を睨み続けた。

今では背中を預けても構わない程信頼している。

 

「このまま持久戦に持ち込むんじゃないかなぁ」

「儂も同じ結論に至りました。蟻一匹通さぬ包囲網から察すれば持久戦一択でしょうな。されど相手は鬼道雪。何か策を練っているに違いませぬ。解せぬ事も一つ御座りまする故」

「うん、あたしもそう思う。水が断たれたらしいけど後十日は持つよね?」

「無理をすれば二十日は持ちましょうな。兵糧は数ヶ月ほど蓄えてあります故、その点は心配いらぬかと」

 

高城に篭る守兵は2500だ。

持ち運んだ鉄砲300丁。国崩し2門である。

十倍以上の大友軍に囲まれていても、島津兵の士気が下がらないのは豊富な兵糧と武器弾薬のお陰でもあった。

必ずしも常備していた訳ではない。

十日前の事だ。

島津忠棟から海路を利用して兵糧と鉄砲が順次運び込まれた。使者の持っていた手紙には、そろそろ大友家の日向南侵が始まるから準備しておくようにとも記載されていた。

 

「不思議だなぁ」

 

物見櫓にて家久は小首を傾げる。

 

「如何致しましたか?」

「源ちゃんの事だよ。大友軍がいつ動くのか、どうやってわかったんだろうね?」

「あの者は独自の情報網を九州全土に敷いております。百地三太夫とかいう忍衆の筆頭から情報を得たのでしょうな」

「三ちゃんなら納得かも!」

 

島津家お抱えの忍衆。

その棟梁を勤めるのが百地三太夫だ。

軽薄そうな顔付きに飄々とした態度から家臣の中で忌み嫌う者も多いが、島津家宰相の腹心である為に明言する者は殆どいなかった。

忠元は何度か忠棟に諫言しているらしいけども。

島津忠棟が齢十八にして島津家宰相という地位に成り上がってからというもの、何故か二人は以前よりも友好的になっていた。

 

「何か儂の顔に付いておられますかな?」

「ううん。何でもないから気にしないで、忠元」

「御意。ならば気にせずにおりましょう」

 

しかし、と忠元は続ける。

 

「あの者が築城にも精通しておられたとは」

 

高城は日向国内に三つ存在する。

新納院高城、三俣院高城、穆佐院高城。

この三つを総称して『日向三高城』と呼ばれた。

家久と忠元が籠城する新納院高城は、北にある谷瀬戸川と南にある高城川に挟まれた岩戸原の標高六十メートルほどの台地の縁辺に築城された。

つまり北側、東側、南側は断崖絶壁。

唯一平地に繋がっている西側には空掘を設けてある。

今回の大増築によって変わった点は三つ。

空堀を五つから九つに増やした点、三の丸を増築した点、更に西の丸を造ることで攻城に耐え易くした点である。

 

「そうなの?」

「大体の図面は忠棟殿が引いたと聞きましたぞ」

「へぇ。流石だね、源ちゃんは!」

「三洲平定直後でした故、何事も自分一人でやらねば気が済まなかったのだと推察致しまする」

 

忠元は髭を擦りながら口を尖らした。

やれやれと首を振りつつ、大友軍に視線を戻す。

 

「あの者の話は止めましょう。いずれ義久様と共に援軍に駆け付けるのは必定。その時まで高城を死守するのが儂らの役目ですからな」

 

大友軍が日向に侵攻して早くも八日経過した。

僅か二日足らず松尾城と懸城を陥落させた戸次道雪。最小限の被害で二つの城を攻め落とした鬼道雪だったが、総大将たる大友宗麟は懸城に残るという暴挙に出た。

角隅石宗と数刻に渡って諫言したが聞き入れて貰えず、仕方なく総大将不在のままで大友軍を南下する事に。

さりとて雷神の率いる大友勢は35000。

その巨大過ぎる戦力に恐れをなした日向北部の国人衆は続々と大友家へ寝返った。

門川城、日知屋城、塩見城、山陰城、田代城。

道中の城を悉く寝返らせて、大した障害もなく進軍し続けた大友軍は三日目で高城を包囲した。

余りに早過ぎる行軍速度だ。

元々考えられていた戦略は、佐土原城の城主である島津義弘率いる3000の軍勢と連携。行軍中の大友軍を闇夜に紛れて奇襲し、籠城する前に小さくとも一勝を得るという代物だった。

それは戸次道雪の英断によって崩れてしまった。

 

「忠元が戸次道雪ならどうするの?」

「そうですなぁ。大友軍とて、いずれは島津家本隊が後詰に来る事を把握しておるかと。ならば時間を掛けずに力攻めする他ありますまい」

 

新納忠元の言葉を反芻する島津家久。

現状、大友軍が行っているのは包囲戦である。

速攻で高城の水を断ったと言えども、今では遠くから散発的に弓矢を射掛ける程度の優しい物だ。これでは高城を落とすのに二十日も掛かってしまう。

十日も経たずに島津義久の本隊は到着する。

佐土原城から島津義弘の軍勢も出陣すれば、如何に35000の大軍を誇ろうとも不利な状況に早変わりとなろう。

 

「あ、そっか……」

 

だからーー。

大友軍の行動は解せないのか。

 

「忠元の解せないことって、これ?」

 

先程の台詞はつい流してしまったけど。

新納忠元の意図は読み取れた。島津家久の戦略面を成長させる為に敢えて最初から言及しなかったのだろう。

得意な戦術だけでなく、戦略の方も意識しているつもりだった。しかし新納忠元と比べるとまだまだということか。

可愛らしく唸る家久。

忠元は成長を喜ぶように鷹揚に頷いた。

 

「如何にも。神速とも呼べる行軍を続けた大友軍が今更巧遅に徹するのは不可解極まりない。現状だと戸次道雪の取れる選択肢は力攻め以外にありますまい」

「でも道雪は包囲に徹しているよね。あたし達の中に内通者でも作ろうとしてるのかな?」

「一理ありますな。しかし、時間が足りぬでしょう」

「なら、何を狙ってるのかなぁ」

 

其処を読み切らなければならない。

戸次道雪と角隅石宗が何を狙っているのか。

高城陥落の策ならまだしも、合戦全体の成り行きに影響する物なら厄介だ。家久が高城を守り切ったとしても、島津義久率いる本隊が敗れてしまえば全て無意味になってしまうのだから。

 

「源ちゃんならわかるのかも……」

 

戦国の鳳雛として名を馳せる軍師。

島津忠棟なら戸次道雪の思惑も読める筈だ。

島津家宰相に対する信頼から漏れ出た台詞に反応したのは新納忠元ではなく、誰よりも情報を得やすい立場にある不幸忍者だった。

 

「その通りっスよ、家女将さん」

 

掴み所のない声音に思わず振り返る。

短い白髪に琥珀の双眸。背中にある忍刀と布地の薄い黒装束が特徴的な伊賀の元上忍だ。

現在は島津忠棟の股肱の臣として、忍衆の棟梁という大役を担いながら九州全土を走り回っている忙しい男である。

相変わらず敬意の欠片も無い呼び方だが、既に島津家では周知の事実である為、忠元とて無駄な叱責を行わずに淡々と話を進めていった。

 

「どういう意味だ、百地三太夫」

「大旦那は戸次道雪の動きを読んだって言いたいんスよ、新納の旦那。だから、わざわざオレが此処に派遣されたわけだしねぇ」

 

大友軍の包囲を潜り抜けるのに苦労したよーと苦笑した三太夫だが、疲れなど無いかのように腕組みしたまま仁王立ちしている。

 

「ほう。して、義久様と忠棟殿はどこに居る?」

「高原城スよ。三日後に着陣すると思うね」

「時間を掛け過ぎではないか?」

「その理由も今から話しますって。ただ前提として一つ、最初の内に家女将さんと新納の旦那に言っときますよ」

 

一拍。

 

「一度、敗けて下さい」

 

「え?」

「なんだと?」

 

家久と忠元の驚愕な表情が全てを物語っていた。

 

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

同日、戌の刻。

大隈国と日向国の国境線にある高原城。

一刻でも早く高城の救援に駆け付けねばならない中、島津義久率いる20000の軍勢は二日間も高原城に滞在している。

無論、俺の献策による物だ。

一年掛けて大増築した高城は簡単に落ちない。

尚且つ戸次道雪の思惑が俺の読み通りなら包囲戦だろうからな。危惧すべきは水だけだが、前以て城内に井戸を掘らせておいたから二十日は持つ計算である。

故に緩慢な行軍でも問題無し。

俺は今の内に各地の武将に書状を送らないと。

南九州全土を断続的に襲う八月特有の熱帯夜に辟易としつつも、俺は山田有信殿に渡す書状に文字を連ねる作業に没頭していた。

明日の早朝から行軍再開だ。

無理しない内に休まないといけないがーー。

 

「源太くんってば、聞いてる?」

 

隣で小首を傾げる我らが総大将。

島津家当主の疑問点を晴らしておく必要がある。

今回の戦運びは内城を出立する前に一通り説明したが、既に角隅石宗と戸次道雪の働きで変化しつつあった。

山田殿に送る書状を急ぎ記しているのも、腹心である三太夫を家久様の元に派遣したこともそれが原因と言える。

 

「聞いてるって。三太夫に頼んだ件だろ」

「ええ。どうして敗けろって指示したの〜?」

「総大将不在の軍勢は意思の統率に欠けるからなぁ。いくら戸次道雪でも大友宗麟の穴埋めは難儀するって判断からだよ」

 

僅か二日で懸城と松尾城を攻略した大友軍。

史実よりも一ヶ月近く早い落城は流石に予想外だった。

副将として戸次道雪が参陣しているからなのか。それとも他に別の理由があるのか。いずれにしても『雷神』恐るべしだ。

総大将に大友宗麟、副将に戸次道雪という磐石な大友軍と争って勝つには、島津家は肉を切らせて骨を断つ戦法を取るしかないと考えていた。

だがーー事態は好転する。

宗麟は懸城に篭って祈りを捧げているらしい。道雪の諫言も意に介さず、総大将という大役すら平然と投げ捨てた。全くもって愚かな事だ。

高城を包囲する大友軍35000の軍配は、門司合戦に於いて毛利勢を破った鬼道雪が握り締めている。

確かに脅威だと認めよう。

しかし瓦解させることは容易い。

何故なら道雪は彼らの主君ではないんだから。

 

「どういうこと〜?」

「わざと敗ける事で好戦派の武将を焚きつけるんだよ。島津兵弱卒なりって具合にな。後は俺たちから挑発すれば、道雪の意に反して突っ込んでくる」

 

史実でも田北鎮周の暴発故に大友家は敗れた。

総大将の不在は全軍の士気を下げるだけに飽きたらず、武将同士の意思疎通にすら悪影響を及ぼしてしまうほど重要な事柄である。

 

「成る程。でも、家ちゃん大丈夫かしら〜」

「大量の鉄砲を運んだから問題ない。それに家久様は戦術家として天才だ。被害を最小限に抑えた上で敗けてくれるって。忠元殿もあられるしな」

「え、と。最終的には、好戦派の武将さんを餌にして釣り野伏を仕掛けるのよね〜?」

「勿論、それだけで勝てると思ってないけど」

 

道雪さえいなければ釣り野伏一択だった。

序盤は田北鎮周に先陣を切ってもらい、縦に伸びた戦線を確認してから撤退。追撃を仕掛けようとする大友軍を、前以て伏せておいた複数の部隊で包囲殲滅。家久様も高城から打って出ることで決定的となって、大友軍は史実のように敗走していくだろうに。

今回は戸次道雪が参加している。

ある程度、武将たちも纏まっているだろう。

釣り野伏だけで勝利を得られると思ってないさ。

だからこそ山田殿にも働いて貰おうと考えていたんだけどなぁ。

 

「阿蘇家を南下させるとは驚いたな」

「佐敷城の有信を動かせなくなったわね〜」

 

肥後北部に鎮座する阿蘇家の南下。

先ず間違いなく戸次道雪の企みだろう。

山田有信を肥後南部に貼り付けておく為だ。

本格的に干戈を交えることは無い。

だが、万が一という言葉もある。

もしも衝突してしまった時に備えて、山田殿の行って欲しい動きを急いで書状に記した訳だ。

 

「心配ないって。必ず勝つ」

 

不安げな表情の義久に笑いかけた。

準備は万端。策の用意は十全と言える。

10000の兵力差など容易く覆してみせよう。

その為に、俺は島津家宰相の地位に就いた。

貴久様を隠居させて、義久を当主に就かせた。

 

「源太くん、疲れてない?」

 

筆を置いた俺の手を掴む義久。

慰撫するように柔らかな両手で包み込んだ。

 

「色んな場所の指示を一人でやってるから」

「大雑把な戦略指示だけだってば。後は家久様や山田殿に任せてある。俺に掛かる負担なんて少ない方だよ」

「昨日だって寝たのは子の刻だったわ〜」

「三太夫と一緒に策の手直しを行ってたからな」

「でもーー」

 

四月ぐらいから義久は過保護になった。

理由は知っている。直接謝られたからだ。

俺は嘆息しながら片方の手で義久の額を突いた。

 

「まだ、あの事を気にしてるのか?」

「ごめんなさい……」

「謝らなくていいから。直茂を牽制する為に動いてたんだろ、義久は。なら島津家の裏で起きてる事なんて気付ける筈ないって」

 

三月、俺は雪さんと再会した。

あの人のお陰で見事に立ち直れた。

精力的に動き出せば何事も上手く行った。

だが、義久にしてみれば不可解極まりない事だったに違いない。お抱えの忍衆に頼ることなく俺の周囲を地道に調べ上げた。

そして四月二日。

義久は涙ながらに平伏した。

譫言の様に謝罪を繰り返した。

ごめんなさい、ごめんなさいと。

泣き疲れて眠るまで顔を上げなかった。

 

「島津家でも権力闘争が起きるなんて……」

「大きくなった家なら必ず起こるさ。前々から兆しはあったんだ。俺の婿入りで爆発してしまったんだろうな」

 

俺の島津家婿入りが決まった時から勃発した。

島津忠棟の擁護派と糾弾派に分かれた醜い争い。

最終的な決着は擁護派の勝利だった。

事態に気付いた義久が擁護派に味方したからだ。

別段、権力闘争は珍しくない。

天下を取った徳川家でも起きた事。

文官派たる本多正信と正純が、武功派の大久保忠隣を失脚させた。譜代の重臣同士が権力を握る為に闇夜に紛れて闘争を行ったのである。

いずれ島津家でも勃発したに違いないんだ。

今回程度の規模で済んだと思えば儲け物だろう。

 

「だから気にするな、義久」

 

震える妻の身体を抱き寄せる。

灼熱の夜だとしても義久の身体は心地よい。

最初は微かに身じろぎしていたものの、優しく頭を撫でるとまるで借りてきた猫のように大人しくなった。

以前の肉食系は何処に消えたのだろうか。

今では俺を抱くのにも了承を求める有様だ。

 

「むしろ悪かったよ。直茂の相手を任せてしまって」

「それも私の勘違いだったから。だから私、源太くんの為になる事なんて何もしてないわ……」

 

勘違いという訳ではない。

今でも直茂は何か企んでいる。

でも、ここ数ヶ月でわかった事があった。

鍋島直茂は良くも悪くも損得を重視する武将だ。

このまま行けば問題ない。

直茂とて俺の妻だ。手離す気など欠片もなかった。

 

「そっか」

「……うん」

「なら、お仕置きだな」

「え、ちょっと、源太くんんん!?」

 

背中を擽ると、義久は腕の中で身悶えた。

思わず抗議の声を挙げようとする妻の口を接吻で塞ぎながら、柔らかな身体を何処かしら触り続けること四半刻、義久は我慢できないといった風に眼を潤わせた。

 

「源太くんの意地悪……」

「なら、どうやったら義久の気が晴れる?」

「……虐めてちょうだい。泣いても、やめないで」

 

嗚呼、俺は果報者だ。

 

「承知致しました、義久様」

 

クスッと笑う義久。

俺の首に手を回して、互いの額を合わせる。

そして艶やかな声音でこう言った。

 

「ーーもう。源太くんなんて、嫌いだわ……」

 

でも、と続ける。

 

「貴方を、愛してるーー」






本日の要点。

1、高城包囲される。

2、権力闘争に打ち勝つ。

3、義久とやっと『夫婦』になる。

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