島津飛翔記   作:慶伊徹

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三十話 百地三太夫との暗躍

 

 

 

八月二十日、子の刻。

財部城に布陣する島津義弘の軍勢。

大友軍の日向侵攻に際し、義弘は待ってましたと言わんばかりに佐土原城から3000の手勢を率いて出陣する。

戸次道雪の強行軍によって当初の目論見通りに行かなくなってしまったが、実の妹である島津家久が高城に立て篭っているのだ。

少しでも大友軍を牽制する為に、少しでも高城の包囲を緩める為に、義弘は財部城から睨みを効かせていた。

それでも僅か3000の兵士。

雷神率いる大軍と比べれば見劣りするも必定。

結局、島津義久の本隊が到着するまで歯痒く過ごすのか。

手槍を扱くだけの五日間。

焦燥感に身を焦がす日々だった。

それも軽薄な忍者によって終わりを告げた。

 

「源太ってば偶に無茶なこと言うよね」

 

財部城の至る所に明かりが灯されている。

静かに準備を続ける出陣予定の島津兵たち。

島津義弘は周囲の状況に頷きながら愛馬の首を撫でた。

 

「大旦那だから仕方ないさ。しかも同士討ちになりそうな夜中に殺れっていう指令だからねぇ」

 

背後に佇む不幸忍者が至極同意とばかりに鷹揚に頷いた。

その表情から若干の疲れが垣間見える。

真幸院の戦いでも四方八方で大活躍だった百地三太夫は、今回の合戦に於いても島津忠棟によって酷使されているようであった。

それでも崩れない信頼関係は素直に羨ましいと思った。

 

「私を信頼してくれてるって思うことにするよ」

「大旦那が言ってましたよ。こんな事を頼めるのは島津義弘様だけだって。一歩間違えれば全滅しちまうからね」

 

騎馬武者を中心とした最精鋭部隊を結成。

数にして僅か1000の島津兵を用いて、闇夜に紛れる為に丑の刻にて大友軍の側面を突くように急襲せよ。

昨夜、百地三太夫から手渡された書状に書いてあった内容である。島津家宰相の名前が記されていた事から、島津家当主である島津義久も了承済みの作戦だと言えた。

直ぐに開いた軍議で諸将に伝える。

反対意見も有ったが、其処は無理に押し切った。

三太夫から直接聞いた戦略を鑑みれば、何処に大友軍の忍がいるかわからない場所で策の一部でも開示するのは危険な賭けである。

賛成する武将が多かったから問題なかったが。

むしろ逆だった。

是が非でも奇襲に参加したい、と手を挙げる武将が多くて選抜に困ったぐらいであった。

 

「本当だよ。相手は鬼道雪だっていうのに」

「ま、その為にオレがいるんすけどね」

「お互い大変だね、三太」

「全くッスよ。はぁ、休みが欲しいぜー」

 

そういえば、と義弘は目を細めた。

百地三太夫が休んでいる場面など見た事がない。

佐土原城にて内政も執り仕切っている義弘は、忠棟の遣いとして三太夫と幾度となく対面する事があった。

頻度としては一月に五回程度。

ーーつまりだ。

六日に一度は薩摩と日向を往復している事に。

加えて、忍衆の棟梁として後輩の育成に励みつつ全く別の仕事もこなす。今回は大友軍の陣中を引っ掻き回す役目があるらしい。

何だか本気で三太夫に同情した島津義弘だった。

 

「今回の戦が終わったら休暇でも取ればいいんじゃない。私から源太に言っといてあげるからさ」

「え、ホントに!?」

 

双眸を煌めかせる不幸忍者。

勢いに負けてしまい何度も頷く鬼島津。

すると三太夫は心底嬉しそうに両手を挙げた。

 

「やったー、助かるっ。弘女将さんマジ天使!」

 

天使ってなんだろうか。

南蛮の宗教で聞いた覚えがあるけど。

それよりも三太夫の喜び様に頬が引き攣った。

 

「げ、源太が休暇をくれるのかどうかわからないけどね?」

「大丈夫だって。流石の大旦那でも休暇くれないような鬼畜じゃないから。うん、きっと、多分」

「あらら。休暇貰えなかったら佐土原城に来るといいよ。少しの間だけど忠棟の目から匿ってあげるからさ」

 

おお、と感動する三太夫。

島津義弘は忠棟の人使いの荒さに愕然とする。

そんな異常な空間に足を踏み入れたのは新納忠堯だった。

 

「義弘様、準備が整いまして御座りまする」

 

瞬間、空気が変わった。

穏やかな雰囲気は凍てついた物へ変貌した。

百地三太夫は真顔で軽やかに忍刀を抜き放つ。

島津義弘は愛馬に跨がり、手槍を片手に持った。

今から行うのは闇夜に隠れた奇襲である。

普段なら士気を上げる為に鼓舞するのだが、無闇に騒いでしまって大友軍に何かあると警戒されてしまう可能性もある為、今回は静かに槍を掲げるだけに終わった。

溜め続けた戦意の発露から士気は十二分に高い。周囲を見渡す義弘。すると今回の奇襲部隊に選ばれた島津兵は皆が皆、己のやるべき行為と危険を把握してある様に力強く頷いた。

大丈夫だと一安心する。

これなら途中で隊列など崩れずに済むだろう。

 

「じゃあね。三太も無茶しないこと」

「弘女将さんこそ。本命は家女将さんの突入だからね。それにオレたちは、必ず敗けないといけないって事も忘れないでよ」

「その辺りの匙加減を考えろって訳でしょ。大丈夫だよ。戦術勝利に拘る気なんてないから。家宰殿の定めた戦略に従うって」

 

本当は難しい。

戸次道雪に悟られないようにわざと敗北する。

奇襲を仕掛けた上で敗けたように退却するのだ。

伏兵戦術も用いずに、ただ戦略的勝利の為だけに。

鬼島津と恐れられる武将としては苦虫を噛み潰したい限りだが、忠棟に信頼されているのだと考えれば嬉しさから頬が緩んだ。

家久の本陣突入と撤退を援護する。

その事に徹すれば万事上手くいくだろう。

だから義弘は手槍を天高々と掲げ、愛馬の腹を蹴った。

黒毛を靡かせた愛馬が颯爽と駆け出す。

倣うように騎馬部隊が財部城から出陣した。

遅れれば末代のまでの恥だと歩兵たちも続く。

 

「義弘様」

「なに、忠堯?」

 

大友軍は35000を四つの陣に分けている。

高城を囲んでいるのは野久尾陣と本陣の二つだ。

そして、財部城を牽制するように敷かれた川原の陣と松原の陣がある。

目指すは本陣と川原の陣の間だ。

谷瀬戸川と高城川の川幅狭く、流れは穏やか。

音を立てずに進軍するのに最も適している故に。

更に野久尾陣の兵士たちを多少なりとも動揺させる為に。

退却に至るまでの道程を反芻する島津義弘。

そんな主君に声を掛けた新納忠堯が馬を並走させた。

 

「この様な時に如何と思いましたがーー」

「気にしないで。悩みは取り除いとくべきだよ」

「御意。有難きお言葉。ならば一つ疑念に思った事がありまする。五日ほど前から川上殿がおられぬようですが、何処に赴かれました次第で?」

「ああ、久朗の事か。別の件でいないよ」

「別の件……。それも家宰殿の策略ですかな?」

「そうだね。源太曰く、久朗は切り札らしいよ」

「…………」

「忠堯に落ち度があるわけじゃない。今回は久朗が適任だっただけ。落ち込む必要なんてないからね」

「ーーはっ。次こそ某が家宰殿の切り札を務めさせてもらいまするぞ」

「その意気だよ。だから、討死は許さないから」

「無論。父上の如き武将になるまで死ぬ訳に参りませぬからな。それでは御免」

 

時間にして一刻が経過。

奇襲部隊は丑の刻に谷瀬戸川を渡った。

ここから先は15000の敵に突撃するだけだ。

 

「さて、やりますか」

 

気合は十分だ。

士気は高揚している。

敗北の決まった前哨戦と行こう。

 

「皆、私に遅れるな!」

 

一喝。そして手槍を振り下ろした。

 

「突っ込めぇ!」

 

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

同日、丑の刻。

高城北東に敷かれた本陣。

10000の大友兵が周囲を固めている。

しかし、戸次道雪は油断せず軍配を握り締めた。

煌々と焚かれた明かりに眼を細める。

島津兵が何を狙っているのか、確かめなくてはならない。

 

「申し上げます!」

 

伝令兵が本陣に駆け込んだ。

慌てているが汚れた形跡などない。

奇襲の危険度は高くないと見るべきか。

冷静に情報を集める戸次道雪は先を促した。

 

「どうぞ」

「本陣に奇襲した部隊を指揮するは島津義弘。現在、臼杵殿が応戦中。被害少なく、されど援軍を出して欲しいとの仰せです!」

「わかりました。島津勢の数は?」

「はっ。闇夜に紛れて定かならず。奇襲の規模から察するに1000程度の兵力かと存じまする」

 

部隊の指揮者は島津義弘。

闇夜に隠れて本陣に奇襲を仕掛けるか。

だが、1000という数に違和感を覚えた。

財部城に布陣する島津兵は3000だった筈だ。

残りの兵士は伏兵にしているのか。

本隊が到着する前に小さな勝利を得るつもりか。

いや、今ここで決め付けるのは早計である。

疑心暗鬼に陥る様では敵の思う壺であろうに。

なにはともあれーー。

鬼島津が暴れているなら倍以上の兵力が必要だ。

 

「田原紹忍殿に2000の兵を与えます。直ぐに臼杵殿の援護に駆けつけなさいと伝令をお願いします」

「御意!」

 

走り去る伝令兵。

一拍間を置いて、道雪は新たに下知を告げた。

 

「鉄砲隊と長槍隊は密集形を取るのです。そして島津兵を一歩たりとも本陣の中に入れてはなりません。島津勢の攻撃を完全に封じ込める事が、敵の戦意を喪失させる事に繋がりますから」

 

十数名の伝令兵が一斉に各所へ散る。

川原の陣にいる佐伯宗天にも同様の伝令を遣わした道雪は、一先ずこれで様子を見るべきだと腰を落ち着かせた。

黒戸次に深く座り込み、傍らに立つ男に尋ねる。

 

「角隅殿、島津義弘の奇襲をどう見ますか?」

 

齢50を超える禿頭の武将。

大友家の軍師として名を馳せる角隅石宗。

若い頃の戸次道雪も彼に軍略を学んだ程だ。

共に主君たる大友宗麟の蛮行を戒める仲でもあった。

 

「さて、情報が不足しておりますからな。確実だと断言できませぬが、一つ可能性として挙げられるとしたら伏兵戦術を用いた勝利でしょうか」

「1000という数ですからね。伏兵を用意している可能性は高いでしょう。但し、私は違うと思います」

「ほう。して、その心は?」

 

島津得意の釣り野伏は警戒して然るべき。

だがーー。

戸次道雪は首を振ってから夜空を見上げた。

今日は満月である。

されど全天を覆う濃い雲によって周囲は暗闇だ。

 

「この闇夜です。伏兵に適しているかもしれませんがその実、同士討ちの危険が高まるだけ。鬼島津と呼ばれる島津義弘が理解していない筈ありませんよ」

「さりとて儂らは島津の伏兵を気にしなければならず、撤退する敵に追撃も仕掛けれず。島津義弘も上手く考えましたな」

 

果たしてそうかな。

角隅石宗の言う事も理解できる。

島津義弘率いる奇襲部隊が陽動を担い、撤退する方向に伏兵を潜ませている状態で追撃を仕掛けたら必勝に近い釣り野伏の完成だ。

その可能性が僅かでもあるなら追撃などご法度である。

しかし道雪は確信を持って言える。

伏兵はいない。島津義弘の部隊は陽動ではない。

派手な威力偵察か。

もしくは別の狙いがあるのだと見る。

 

「いえ、ここは追撃を仕掛けるべきでしょう」

 

どちらにしても取るべき選択肢は一つ。

島津義弘を討ち取る絶好の機会だ。

ここで敵に情けを掛けるなど言語道断と言える。

 

「なんと。道雪殿、お気は確かかな?」

 

角隅石宗が目を見開いた。

師の驚いた姿に対し、道雪は力強く首肯する。

 

「無論です。島津家随一の弓取りとして知られる島津義弘を討ち取れば、今回の戦、勝利がほぼ確定しますよ」

「伏兵はいないと断言なさるのですな?」

「ええ。余りにも陽動が派手過ぎますから。恐らく島津忠棟の策でしょうが、私を甘く見過ぎたようですね」

「道雪殿が仰るなら是非もなく。ならば直ぐにでも追撃の伝令を遣わせる事に致しましょうぞ」

 

善は急げと言わんばかりに伝令を呼ぶ角隅石宗。

だが、それを遮るようにして、新たな伝令兵が本陣に駆け込み膝をついた。

 

「敵が高城から討って出てきたとのこと!」

 

瞬間、やられたと道雪は奥歯を噛み締めた。

 

「詳細を述べなさい」

「はっ。つい先程、高城の大手門が開き、島津家久に率いられた1500の島津兵が討って出ました。現在、田北殿と交戦中でありまする!」

「1500か。ならば問題なさそうではあるが」

 

角隅石宗が眉を潜める。

確かに表面上は問題ない。

田北鎮周に割り当てられた兵の数は5000。

如何に精強な島津兵だとしても突破するのは不可能だ。

だからこそ突撃の裏を読まなければならない。

島津忠棟が考えた策を看破しなければならない。

戸次道雪は直ぐに気付いた。

故に軋むぐらい奥歯を噛んだのだ。

 

「田北殿に退けと伝令。無闇に応戦してはならないと厳命を。高城に追撃するのもなりませんと伝えなさい」

「ぎ、御意!」

 

駆け出す伝令兵。

不自然な指令なのは道雪とてわかっている。

しかし此処で無闇に勝ちを拾うのは拙いのだ。

島津義弘を討ち取るという莫大な戦果があれば話は別なのだが、この状況になってしまえば如何にして田北鎮周を暴走させないかに掛かっていた。

 

「道雪殿、今の指示に如何ほどの理由が?」

「宗麟様の不在を狙われたようです。小さな勝ちを拾ってしまえば収拾のつかない事になってしまいますよ」

「ーー成る程。儂らに罅を入れるつもりか、島津家は。ならば道雪殿、付け込みを狙ってしまうのも一つの手かと」

「なりません。その場合、島津家久は西の丸をわざと焼いて撤退を完了させるでしょう。高城も落とせずに無駄な被害が増えるだけですよ」

 

例え西の丸が焼失したとしても高城は健在。

本丸と二の丸に加え、三の丸まで存在している。

九つの空堀と合わされば、西の丸が無くなったところで防衛力に不備など無かった。

此処まで読んだ上で、過剰過ぎる西の丸建設に踏み切ったと言う可能性とて無きにしも非ずだ。

 

「申し上げます。田原紹忍殿が島津義弘に手傷を負わせたとのこと。追撃を仕掛けるべきか判断を仰いでおりまする!」

「島津義弘隊、撤退を開始しました!」

 

伝令兵と物見櫓から報告を受ける。

先程まで決めた通りに追撃するべきだろうが。

此処で本陣の数を少なくしてしまえば、万が一という可能性も十分に有り得た。

そしてーー。

島津家は挟み撃ちにしようという作戦に移行できる。その上で退却時に伏兵を用意しているという場合も考えられた。

島津義弘が手傷を負ったという報告もある。

やはり陽動か。

いや、いずれにしてもーー。

これ以上の勝利を得れば後に引けなくなると判断した戸次道雪は、伝令兵に対して追撃を仕掛けるなと下知したのだった。

 

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

 

初戦は大友軍の勝利に終わった。

城から討って出た家久隊は田北鎮周率いる5000の大友兵に足止めされた結果、新納忠元が負傷した事で高城へ撤退した。

本陣を奇襲した義弘隊も臼杵鎮続と田原紹忍によって被害を負い、尚且つ島津義弘が手傷を負った為に財部城へ逃げ帰ることに。

島津軍の死傷者は200名に及んだ。

だが、これで仕込みは充分だと百地三太夫は笑った。

 

「全軍の目が家女将さんと弘女将さんに釘付けになったから、その隙に大友軍の忍とかも駆逐できたしなぁ」

 

その手に持つ忍刀は血塗られている。

顔に張り付いた笑顔は赤く凄惨だった。

 

 

「勝ったよ、これで」

 

 

クスクスと笑う。

 

 

「本当の鬼札は、無事に切られたんだから」

 







本日の要点。

1、川上久朗不在。

2、島津家無事に初戦敗北。

3、百地三太夫、暗躍する。

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