島津飛翔記   作:慶伊徹

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三十七話 甲斐宗運との面会

 

 

九月十日、卯の刻。

眼下に広がるは黄金色に輝く稲穂の海。

恭しく頭を垂れる様はいつ見ても喜ばしい限り。

暑い夏を乗り越えた稲は刈り取られる日を待ちわびている。さながら無垢な家畜のようだと思う。

九州は今年も豊作だった。喜ばしい事だ。如何に坊津や砂糖、その他様々な改革で莫大な銭を得ていても米俵無くして戦などできない。

他国から買うという手もある。些か値が張るとしても島津家の持つ経済力でどうとでもできるのもまた事実。敵国の軍事行動を制限できるという意味合いもまた強い。

それでも百姓の観点から見れば、自分達で丹精に育て上げた稲穂を刈り取り、幾多にも積み重なった米俵を見ている方が裕福を感じ取れる。暮らしが楽だと思えば一揆など起こさず、島津家への忠誠心も高くなるに違いない。

お互いに利のある関係である。

来年も豊作になりますようにと柄にもなくお天道様に願いながら櫓から降りる。

瞬間、忠犬もとい東郷重位が近寄ってきた。

 

「兄上、部屋に戻りまするか?」

「うむ。重位、城下の様子はどうなっておる?」

「至極平穏に御座ります」

「で、あるか」

 

約二年掛けた浸透作戦は上手くいった。

紛れもなく三太夫率いる忍衆の功績だ。

島津家の領地に於ける税率の安さや労役の少なさに加え、治安の良さといった噂を不自然に感じない程度に長い月日を掛けて少しずつ流した結果であった。

百姓を味方につける事は難しい。

機を見るに聡い彼らは噂話にも敏感だから。

余りにも急速に流言を拡大させれば不信感を抱かれる。故に約三年費やした。どうも予想以上に成功したようだ。

この辺りは戦らしい戦が無かったのも要因の一つと言えよう。多少戸惑いつつも肥後国の百姓は島津軍を受け入れた。

有り難いことだ。

何しろ事態は最悪の方向に動いたからな。

 

「…………」

 

重位を部屋の前に立たせる。

護衛を自称する重位は嬉しそうに頷いた。

自室へ戻った俺は机に地図を広げた。

忍衆に用意させていた肥後と筑後の国境付近を描かせた物だ。細かな部分まで記載してある珠玉の一品。特に今後の事を鑑みれば必要不可欠と断言できる。

 

「肥後は取った。だが--」

 

現在、俺は肥後国北部に位置する隈本城にいる。

高森城が陥落すると、それまで日和見を決めていた肥後国の国人衆は一気に島津家へ靡いた。決戦を終えたばかりの島津家が行った電光石火の肥後国侵攻は、国人衆を震え上がらせたばかりか阿蘇家の重臣すらも寝返らせた。

宇土氏、赤星氏、隈部氏、菊池氏といった有力国人が軒並み降伏。御船城にて頑固に籠城する甲斐宗運の尽力虚しく、隈本城は阿蘇家の内部分裂によって一戦もせずに落城する結果に。

正直、涙が出るほど有り難かった。

九州北部平定の際、隈本城は一大拠点となる。

段取り良く進めば来年にも島津家の本拠にする予定でもある。

家臣団の反発は避けられない。間違いない。

だが、天下を狙おうとすれば薩摩は遠すぎるんだ。

 

「いや、それは時期尚早。今は防衛を考えねばならん」

 

隈本城は平城だ。

有事に於いては防衛力に不安が残る。

膨大な兵糧、武器弾薬の集積場所としてなら活用できるものの、最前線の護りとしては不適用と言わざるを得なかった。

一刻も早く砦を建設する必要がある。

幸い時間は有る筈だ。

決戦の痛手から大友は動けない。

筑後攻略を急いだ龍造寺も南下する余裕はない。

なら残るは毛利か。

しかし尼子家を無視できるのか。

そもそも現状、九州戦線に参加できる国力を有しているのか毛利は。嫡女の死去、尼子家の反攻などを考慮すれば山陰地方の安定に努めるべきだと思う。

毛利元就の思惑が全く読めない。

この島津包囲網が尼子家を討伐するまでの時間を稼ぐ為だけなら怖くないのだ。それなら此方も大友と龍造寺を各個撃破するのみ。万難を排して予定通りだ。

 

「毛利が南下してきたら酷いことになる」

 

勝てない、とは思わない。

例え国力で劣っていようとも将兵の質は上回っている。

義久の下で一致団結している島津。その真逆で相手は烏合の衆だ。呉越同舟、足並み揃わない軍勢は各個撃破の的でもある。

それでも国力は国力だ。

物量に押し切られる可能性は十分に存在しよう。

平野で決戦などしたら島津の出血は無視できない所まで広がってしまう。後の九州平定に甚大な支障が生じる。下手したら国人衆の離反に繋がりかねない。

ならば此処で取れる選択肢は一択だろう。

九州平定は一年遅くなるものの、此処は無理せず包囲網を崩すのが最重要事項であると改めて決心した所で外から重位の声がした。

 

「兄上、道雪殿がお越しになり申した」

「通せ」

「御意」

 

畏まった返事と共に襖が開いた。

現代時刻なら午前八時。残暑の残る朝陽に眩しさと熱気を覚えながら、車椅子を巧みに操る相談役へ声を掛ける。

 

「雪さん、どうした?」

 

雪さんである。

戸次道雪である。

義久も加えた三人で話し合った結果、雪さんは俺の相談役となった。神社仏閣、朝廷、軍事、政治経済などに精通する常勝不敗の軍神を相談役にするなど畏れ多い限りだ。

しかし雪さんたっての希望だった。

受け入れるしかなかった。

断る理由も思いつかなかったからな。

 

「忍の方からご報告がありましたので」

「御船城が落ちたか?」

「ええ、先日未明に。阿蘇惟将殿の助命、また阿蘇家の存続と引き換えに甲斐宗運殿は降伏なされたようです」

 

言葉遣いを改めて欲しいという嘆願から、俺は以前よりも砕いた口調を使っている。尊敬すべき戸次道雪に偉そうな口を利くのも不本意ではあるのだが、評定の場に於いて相談役に気を使うような在り方は辞めた方が良いという至極当然な意見から首を縦に振るしかなかった。

 

「一万石に納得したということだな」

「山田殿の説得、歳久様の誓詞血判をもって納得したとのこと。良かったですね、忠棟殿」

 

ホッと一息吐いた。

 

「重畳至極なり。後顧の憂いは無くなった」

「山田殿は甲斐殿を連れて此方へ向かっているそうです。明日にも到着するとのこと。これで10000の軍勢を肥後北部へ集結できますね」

「どうにか間に合ったか」

 

安堵のため息を溢す。

甲斐宗運が島津家に降伏したという事実だけで敵を足止めさせられる。

今は一分一秒でも時間を稼がないとならん。

肥後の安定無くして勝利無し。

足場固めの為にも甲斐宗運を味方に引き入れられたのは真に不幸中の幸いだった。

雪さんも嬉しそうに破顔したが、次の瞬間には表情を引き締めた。歴戦の猛将が醸し出す空気に当てられる。

 

「大友家の動きは如何でしょう?」

「紹運殿を豊後へ呼び戻した。宗麟殿が大層喚き散らしたようで。日向との国境に配置するかと」

「そう、紹運が。では油断なりませんね」

 

確か、二人は義姉妹とのこと。

史実と掛け離れた関係性に吹き出した俺は悪くないと思う。戸次道雪と高橋紹運が義理の姉妹とか想像出来るはずがない。凶悪すぎる組み合わせである。

 

「義弘様には既に早馬を出している。家久様を例の場所に置く為にも、豊後方面軍は義弘様に一任する事と致した」

「紹運とて無理な戦はしないでしょう。鬼島津と呼ばれる義弘様が居られるなら日向国は問題ないかと。不都合があるとするなら高森城へ攻め寄せる場合です。如何致しますか?」

「然もありなん。義弘様率いる万の軍勢が豊後へ押し寄せるのみ。さすれば紹運殿も兵を退くのでは?」

「宗麟様なら退くでしょうね。しかし、紹運だけならば話は変わります。死中に活を求める癖がありますから。そのまま高森城を攻め落とし、龍造寺と協力して私たちを挟み撃ちにする可能性も低くないでしょう」

 

臼杵城は堅牢な城として有名だ。

義弘様とて頑強に抵抗されたら陥とすのに相当な時間が掛かるだろう。ならば一層、退却して不意を突かれるよりも前進あるのみと奮起し、高橋紹運率いる軍勢が肥後北部へ噛み付いたらどうなるか。

考えたくねー。悲惨な結果にしかならないから。

最悪、肥後国から島津勢力は弾き出される。

逆に囲まれると判断した義弘様も包囲を解いて日向へ撤退するに違いない。

今まで費やした時間、準備、戦勝すら灰燼に帰すだろう。

何という会心の一手。不条理である。

 

「大友の両翼、その一端。巨大な翼は健在か」

 

額に手を当てて嘆く。

 

「万が一に備えて置く必要がありましょう。幸いにも冬になれば雪が降ります。その間に準備を整えておかねば」

 

問題は雪が降る前に攻めてきた場合だ。

重臣の死去、百姓の減少、疲弊したばかりの大友家に肥後国侵攻の国力は残ってないと思うが警戒するに越したことはないと言いたいわけだな。

 

「正念場だな」

「ええ、本当に」

「雪さんが相談役で助かるよ」

「釈迦に説法のようなものでしょうが」

 

何せ今士元様ですもの、と含み笑いする雪さん。

 

「いやいや、軍事に関しては未だ若輩者。これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いする、雷神殿」

「これはこれは。口もお上手ですからね、忠棟殿は」

「棘があるなぁ」

「ふふっ。して、毛利家の動きは如何に?」

「未だ動き無し。尼子家への備えを残しておくなら九州に派遣できる兵士は約10000と少しだと思うが。油断はできん」

 

毛利家は中国地方に覇を唱える大大名。

下手すれば20000の軍勢を九州に遣わすかもしれない。それだけの国力は当然ながら持っているんだ。何しろ石見銀山があるからな。

 

「良い心掛けです。来るとすれば小早川隆景と吉川元春でしょうか」

「元就殿自ら参戦なされるかもしれぬ」

 

まさに悪夢だ。

元就殿が参陣すれば、例え呉越同舟だとしても纏まりが生まれてしまいかねない。

毛利一族、五人揃って四天王、大友家の両翼の一端。同時に相手したら苦戦は免れない。大敗北すらあり得る。

 

「元就殿が参戦なされば中国地方が揺れます。未だ隆元殿の死に揺れ動いていますから」

「では、元就殿の御出馬はないと?」

「恐らく。あるとしても来年の夏頃かと」

「いずれにせよ恐ろしい限り。中国地方の不安定化を増長させる必要がある。安芸の一向宗徒を担ぎ上げる必要もありそうだ」

 

安芸国は一向宗徒が多い。

本拠地で一向一揆が起きれば毛利家の屋台骨に関わる。九州戦線に関与する余裕は無くなると思うが果たして上手く行くか。

 

「最も喜ばしいのは毛利家の参戦が無いことでしょうね」

「そう上手く運ばぬのが戦だと教えてくださったのは雪さんだと思うが?」

「そうでしたね。真、人生は儘なりません」

 

儚げに呟く雪さんの瞳は、遠くを見つめていた。

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

 

九月十一日、辰の刻。

隈本城の書院に馳せ参じた甲斐宗運。

約10000の軍勢が犇めき合う城内。悲惨な空気など微塵もない。

大友家との決戦では大勝ち。

北肥後侵攻は接収に近い損害で終わった。

大盤振る舞いされた給金を手に、島津家を讃える声が絶え間なく続いている。気持ちはわかる。

それでも敗軍の将として、甲斐宗運は思わず眉根を寄せた。

勝てない戦ではなかった。

島津勢は疲れていた。大友家とて滅びた訳ではなかった。にも拘らず、大友家を見限った国人衆や島津家に怖れを成した重臣の裏切りによって、戦う前に勝負は決してしまったのだ。

全ては島津家の狙い通り。

せめて宗運自身が隈本城にて軍配を振るえば、兵糧が尽きるまで持ちこたえられたであろうに。口惜しい限り。だが、島津の今士元を甘く見た結果だと認めるしかなかった。

 

「宗運殿、今暫くお待ち下され」

 

小姓に茶を用意させた山田有信は、人懐っこい笑みを浮かべる。敗軍の将である宗運に気さくに話し掛ける様は、互いに尊敬すべき好敵手という間柄だからこその振る舞いだった。

 

「これはこれは。忝のう御座る」

 

眼前に置かれた茶を一口。

喉の渇きを潤し、心を落ち着かせる。

有信は申し訳無さそうに小さく肩を竦めた。

 

「家宰殿はお忙しい身に在らせられる。宗運殿を軽視している訳では御座らん。どうかご寛恕あるべし」

「元より某は敗軍の将。気になさらず結構」

「真、有り難いお言葉なり」

 

満足気に頷く有信。

実際、宗運は気にしていない。

肥後北部の安定に勤めなければならない時期。行わなければならない事は山程ある。家宰であるならば至極当然。実質的に肥後を任された島津忠棟は休む暇もないほど多忙であろう。

 

「さりとて一つご質問これあり」

 

只、暇を持て余す宗運ではない。

島津の今士元と相対する前に、少しでも情報を得る。そうする事により阿蘇家の今後をより良い物にできると信じて。

 

「はて、何で御座ろう?」

「忠棟殿の事に御座る。某の聞く所、未だ齢十九の若人との事。果たして風説に聞く者とはどのような武人であろうか。気になっており申す」

「宗運殿がお聞きになられた風説がどの様なものかはいざ知らず、そうですなぁ、家宰殿を一言で申し上げるならば--」

「金勘定しか出来ぬ賤しい餓鬼であろう」

 

御免、と呟きながら書院に足を踏み入れた若人。

歳は二十歳前後か。如何にも智慧者と思わしき風貌は鋭利な印象を持ち、地味な色合いの平服を纏いて、澱みなく洗練された所作を持って宗運の前に腰掛けた。

そのまま悪戯を思い付いたような視線を有信へ向ける。

 

「違うか、有信殿」

「あいや暫く。某は鎌田殿と違い、銭が好きでありましてなぁ」

「何と。ならば歳久様にご報告せねばなりますまい」

「これはこれは、藪蛇を突いてしまい申した。家宰殿に於かれましてはご機嫌麗しく。何卒、歳久様へのご報告はお控えられますよう、伏してお願い申し上げまする」

「ご安心召されよ。冗談に御座る」

「人が悪う御座りまするぞ、家宰殿」

 

宗運の思惑と違い、二人は仲良く笑い合う。

三洲一と名高い島津の姫を婿に取り、宰相へ登り詰めた若輩者に対する嫉妬の念など山田有信の心身から微塵も感じ取れない。

心底から認めているのか、この若人を。

 

「遅ればせながら、此方に座す御仁が甲斐宗運殿に御座り申す」

「甲斐宗運に御座りまする」

 

一頻り笑い合った後、居住まいを正した有信。

宗運は紹介に応じるように言上した。

言葉少なく端的に終わったが、忠棟は幾許も機嫌を損ねず鷹揚に頷いた。

 

「島津掃部助忠棟で御座る。天下に名高き宗運殿と会えた事、真に恐悦至極なり。今後は手に手を取り、島津家発展の為、切磋琢磨していきとう存ずる」

「勿体無きお言葉なれど、無事約束は果たされましょうや?」

「その点はご心配召されるな。阿蘇惟将殿は一万石で召し抱える所存。既に殿の御許可も得ており申す」

「ならば結構。某、島津家の為、獅子奮迅の働きを致す所存なれば是非とも此処、隈本城に置いて下さりませ」

「ほう」

 

意外な提案だったのか、忠棟は目を見開いた。

面白そうに口角を吊り上げる。驚く素振りを見せつつも不信感は露わにしていない。

有信は眉根を寄せ、お言葉ながらと割り込んだ。

 

「宗運殿は薩摩本国へ赴き、殿の下で辣腕を振るうのが賢明かと言上仕る」

「真にご尤もな仰せなり。なればこそ某は此処で辣腕を振るいとう思いまする」

「宗運殿!」

 

片膝を浮かせた有信を、忠棟は片手で制した。

 

「良い、有信殿」

「……はっ」

 

統率は取れている。

若年の宰相と馬鹿にできない。

此処までの裏打ちされた武功からか、それとも島津義久と島津忠棟に於ける両殿体制となっているのか。

いずれにしても、家臣団を掌握できているなら安心した。猪武者が勝手に阿蘇惟将へ危害を加える心配も限りなく少なくなった。

此方の思惑に気付いているのか、忠棟は身を乗り出すようにして問いかける。

煌々とした双眸は酷く嬉しそうだ。

 

「宗運殿は、肥後北部について詳しいか?」

「如何にも。筑後についても同様に御座りますればご期待に添えると愚考いたしまする」

「益々結構。有信殿、内城へ早馬を。宗運殿は隈本城にて預かる。左様に心得よと」

「--心得申した」

 

さて、と忠棟が膝を叩いた。

 

「宗運殿、某はまだまだ若輩の身。ご指導ご鞭撻の程、どうかよろしくお願い申し上げる」

 

宗運は眼前の男を見て思う。

評価は依然として定まらない。

敗軍の将にも教えを乞う様は島津家の宰相に相応しくない行動だが、己の未熟さを隠そうとしない性根と年長者を敬う心遣いは此方の自尊心を容易く擽った。

 

「どうかお任せあれ」

 

人を乗せるのが上手い方だ、と甲斐宗運はこの日の日記に書き記すのだった。






本日の要点。

1、肥後国、平定。

2、甲斐宗運、ゲットだぜ。

3、人を乗せるのが上手い(意味深)

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