島津飛翔記   作:慶伊徹

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三十九話 百地三太夫の帰還

 

 

十二月二十四日、午の刻。

二日前、俺は約一ヶ月振りに隈本城へ帰還した。

筑後と肥後の国境に張り付いていた龍造寺隆信率いる15000の兵士が、肥後侵攻を諦めて国許へ引き上げたからである。

陣中で年を越すのかという嫌戦気分が一般兵だけでなく武将にまで伝播していた頃だった。どうにかして追い払わないと拙いな、と一戦交える覚悟すらしていた矢先の撤退。正直、助かった。

但し不意を突いた侵攻の可能性も充分に有る。

菊鹿砦と高瀬砦には金で雇っている常備兵をそれぞれ500ずつ配置。菊池城にも夥しい弾薬を運んである。万が一の事態にも対応できる筈だ。

勿論、年越しという神聖な行事の中、他家へ侵攻するという発想は思い浮かばないと思うが、肥前の熊に常識は通用しないという直茂からの忠告に従うことにした。

 

「--寒い」

 

火鉢の前で丸くなる。

炬燵の中に潜り込む猫の気持ちが凄くわかる。

どうにかして再現できない物か。

きっと馬鹿みたいに売れると思う。

特に北陸や東北の大名から注文が殺到するに違いない。伊達、蘆名、最上、南部、安東などなど。恩を売るに持ってこいである。下手したら一戦交えずに島津へ臣従してくれるのではなかろうか。

 

「アホくさいな、うん」

 

寒さから脳まで萎縮してやがる。

そんな事よりも午後の時間をどう使うかだ。

久し振りに暇な時間が持てた。

小姓と将棋するも良し、雪さんと囲碁に興じるも良し、明日の分の政務を早めに終わらせるのも一興である。

実に悩ましい。

一ヶ月も菊池城で三家の動きに気を張り巡らしていた上、薩摩から送られてくる改革案の進歩状況や現在起こっている問題点の改善策などを提示する為に四六時中何か思考していたからこそ、唐突に降って湧いた暇な時間という物に戸惑いを隠せないでいたりする。

こうして振り返ると自業自得である。

島津包囲網さえ発生しなければ。

せめて毛利家の参加だけでも防いでいれば。

もっと気楽な年越しを迎えられたというのに。

 

「で、だ」

 

俺は胡乱な目付きで眼前の男を睨む。

 

「貴様、何をしておる?」

「ほえ?」

「気色悪い声を出すな」

「酷いなぁ、相変わらず」

「呑気に蜜柑など食べおって」

「いいじゃん、仕事の後に食べる蜜柑。最高だよね、大旦那。手炙りのお蔭で外よりも格段に暖かいしさ」

 

俺同様、背中を丸めたまま蜜柑を食べる忍者。

島津お抱えの忍衆。通称『御庭番』の初代棟梁。

元伊賀の上忍であるという異例の肩書きを持つ白髪の男は、火鉢を挟んだ正反対の位置で部屋の主人のように寛いでいる。

その程度で怒るほど短気ではない。

だが、問題は三太夫の食べた量なんだよなぁ。

 

「四つ目だぞ、それ」

「お腹減ってたの。飢えを凌いでいるんだって」

「蜜柑で?」

「うん、蜜柑で」

「財布は?」

「落とした」

「いつ?」

「二十日前」

「今日までの飯は?」

「そりゃあ野山にある山菜でどうにか飢えを凌いでましたけど?」

「……相変わらず不幸体質だな、お主は」

 

思わず憐れみの視線を送る。

最近は他人に伝染しなくなった不幸体質。

財布を落とす、鳥に糞を掛けられる、山から滑り落ちる、犯罪者に間違われる、不審者として斬られそうになる。様々な不運に見舞われることを運命付けられた男は、わかってますよーと口を尖らせた。

 

「財布を複数に分けてみるというのは?」

「やった。全部落としました」

「筋金入りだな……」

 

ドン引きである。

神様から直接賜った呪いなのかもしれない。

割と本気で思った。

いやまぁ、三太夫の不幸は知っていたけれども。

 

「して、仕事の方は?」

 

前振りは此処まで。

書院の外に気配がない事も確認済み。

既に小姓に命じて人払いも済ませてある。

身を乗り出す軍師に対して、忍の棟梁は形容し難い表情を浮かべた。まさか失敗したのかと眉根を寄せると、三太夫は慌てて違う違うと否定した。

 

「そりゃあちゃんとやりましたよ」

 

見くびってもらったら困ると吐き捨てた。

百地三太夫の技量は心配していない。

それでも極稀に阿呆かお前と罵りたくなるような失敗を犯すのだ、コイツは。その後は自ら物事を整理して、紆余曲折を経た挙句、より大きな利益を齎らした上で仕事を達成するという褒めたらいいのか、貶したらいいのか判別が難しい状況で帰還するというのも三太夫らしさだったりする。

 

「尼子義久に伝えたか?」

「当然。大旦那の書状も渡したって」

「返答のほどは?」

「有り難く受け取るってさ。相当拙いよ、山陰の方は。謀神様が年甲斐もなく張り切ってらっしゃる。一年持たずに蹂躙されると思うけどね、オレの見立てだと」

「で、あるか」

 

毛利元就が動き出したのは二週間ほど前。

山陰地方に鎮座する尼子家に対して、遂に全軍を挙げて侵攻を開始した。

大友と龍造寺と云った西側の脅威を排除したからである。下手すれば来年の夏までに尼子家が滅亡するかもしれない、と雪さんは悲痛な面持ちで口にした。

俺も同感である。

謀聖と謳われた曾祖父ならいざ知らず、自他共に認める不幸体質だと噂の尼子義久では到底対抗できそうにない。

故に、俺は物資を送る事にした。

敵の敵は味方。

まさしく遠交近攻。外交戦略の基本骨子だ。

廃棄処分間近な古い鉄砲に質の悪い軍馬。後は行軍に必要不可欠な兵糧などを載せて、日本海側を経由して搬送する予定である。冬の日本海は猛烈に時化るから、どうしても届けるのは春前になってしまう。大丈夫か。大丈夫じゃなさそうだ。

それまで持ち堪えてくれなさそうである、三太夫の口振りだと。

 

「大旦那の梃入れがあったとしても焼け石に水じゃないかな。毛利両川も出張ってるし。正直、尼子家に未来はないなぁ」

「安心せい、尼子に頼みたいのは時間稼ぎ。元就殿の九州参戦を遅参させてくれるだけでまさしく大金星よ」

「だから山中鹿之助にも書状を?」

「最悪の事態に備えた結果だ。尼子家が毛利の侵攻を食い止めれば問題ない。俺も十中八九無理だと思うが」

「だよねー」

「嗚呼、難儀な話よな」

 

二人して溜め息を漏らす。

今回の危機は俺たちの失態だ。

だからこそ打開する為に必死だった。

 

「今の内にクマーを潰すってのは?」

「時間が掛かり過ぎる。元就殿の思う壷だろう」

 

龍造寺と島津を争わせ、疲弊した瞬間を狙う。

典型的な漁夫の利だ。

例え史実と比べれば格段に強化された島津家だとしても、簡単に倒せないと確信できる強さを龍造寺家は持っている。

最初の合戦で龍造寺隆信を筆頭とした四天王も纏めて殺す事ができれば、肥前と筑後の国人衆は一気に島津家へ靡くと思うが、史実通りに上手く行くと限らないのだ。

下手に手を出せば思わぬ藪蛇になりかねない。

火傷や咬み傷だけで済めば御の字だが、最悪の場合に至れば戦線の崩壊に繋がってしまう。後は済し崩し的に斬り込まれて島津家滅亡まで突き進むと考えれば、無闇矢鱈と北上するのも躊躇われる訳だ。

 

「キリシタンも?」

「高橋紹運さえいなければな」

「サクッと殺る?」

「道雪殿曰く、忍に殺されるような鍛え方はしておらぬとの事。無駄骨となりかねん。今は静観あるのみ」

「八方塞がりかー」

「後は、直茂の策次第か」

「上手くいくの?」

 

最後の一房を口に放り込んだ三太夫。

その眼は信用できるのかと言外に訊いていた。

俺は残り一つとなった蜜柑の皮を剥きながら答える。至極平静に、絶対の自信を持って、何食わぬ顔で断言する。

 

「信用できる」

「何で?」

「申すまでもなく奴が鍋島直茂だからよ」

「--ふーん、惚気?」

「違う。戯けたことを申すな」

「はいはい、ご馳走さまでした」

 

裏は取った。

確証も得ている。

何よりも俺自身が納得した。

どうして鍋島直茂が島津忠棟の側室となる事に賛成したのか。長年の疑念は綺麗に微塵も残らないほど氷解した。そういう事かと苦笑しつつ、鍋島直茂の合理性や冷徹さに愕然とした事も記憶に新しかった。

 

「逆転の一手、か」

 

三太夫が火箸を持つ。

火鉢の中で燻る炭をコロコロと動かした。

 

「決まれば九州平定まで一直線だよね」

「既に布石は打ってある。心配無用」

「そっか。オレはオレで少し考えてみるよ」

「頼む」

 

百地三太夫は賢い忍だ。

軽薄そうな面構えに飄々とした態度。

その奥に潜む智謀は余人の追随を許さない。

恐らく悔しいのだと思う。

直茂の提示した逆転の一手。

既に布石は幾度も打たれている。

肥前の熊だからこそ引っ掛かる罠もあるだろう。

これらを理解しているからこそ、三太夫は島津包囲網形成に一役買ったとされる安国寺恵瓊に対して忸怩たる思いを抱いている。

外交僧如きに遅れを取るなんて、と。

 

「三太」

「うん?」

「勝負はここからぞ」

「当然。大旦那に負けられたら困るからね」

 

笑う門には福来る。

故に俺たちは笑った。

この危機的状況を打破する為に。

 

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

 

十二月二十四日、申の刻。

三太夫に新しい仕事を押し付けた後、俺は火鉢の前で考え事に耽っていた。火箸で炭を左右に転がしながら静寂な空間に身を浸す。

薩州金は信玄の真似をすれば問題ない。

南蛮商人に伝えてある馬鈴薯に関しては不明。

今月の評定で決まった楽市楽座の施工。既得権益に貪る寺社仏閣は確実に敵と回る。現時点でこれ以上敵を増やすのは阿呆の所業。本格的な施工は大友家を潰した後になるだろうな。

度量衡の統一は急がないといけない。流通の拡大や薩州金の今後を考慮しても、統一的な枡は必要不可欠である。

街道の整備も春頃から本格的に始まる予定だ。

朝廷と幕府に関しては悩みどころ。朝廷の場合だと官位を得られるのは確かに有り難いけれど、何か有る度に金を融通してくれと頼む公家たちは後を断たない。波風を立てずに済ませるには払い続けるに限る。朝敵は御免だ。それでも正直困っている。金は有限だから。貧乏な朝廷は金を払うだけで満足気だから可愛らしいけど。

室町幕府は問題外。権力はお零れ、権威すら応仁の乱で失墜した。株で言えば最低値を更新中。復活の芽は存在しない。あるのは上洛としての大義名分だけだろうか。

史実の足利義昭は幕府再興を願っていたが、この世界だと果たしてどんなお方なのやら。どちらにせよ織田信長に任せればいいか。投げやりだけど一番無難だと思う。幕府を潰したという悪評すら受け止めてくれれば御の字である。

数え上げれば切りがない問題点に頭を悩ませていると、雪さんと重位の両名から城下町の視察にいこうと誘われた。

外は寒い。雪が降りそうだ。

寒がりな俺は当然の如く辞退しようとした。

だが、雪さんの誇る慈愛の微笑みと重位の犬を彷彿させる落ち込み具合に良心が痛んだ結果、供回りを連れて隈本城を出発したのだった。

 

「あぅぅ〜」

 

そして、現在に至る。

城下町は喧騒に溢れていた。

内城に負けるものの、様々な物品が軒を連ね、商人たちによって売り買いされている様は想像以上である。少なくとも阿蘇家の時は此処まで賑やかな雰囲気はなかった筈だ。

島津家の誇る莫大な金銭を投入したからか、日々拡大の一途を辿る隈本の町。熊本平野と呼ばれる絶好の位置に建てられた平城は、今後の島津家を支える本拠地になる予定だ。東側は阿蘇山の外輪山が連なり、西側は有明海の島原湾に面しているからこそ内城を遙かに凌ぐ城下町になるだろう。

 

「ごめんなさいぃ〜」

 

そんな中、一人の女性が何度も平謝り中だった。

藍色の髪は胸元にて勾玉らしき物で括られ、琥珀色の双眸は優しげな光を宿している。白と桃色を基調とした服は煽情的で、特に胸が拙い。谷間は隠す事なく大胆に、言葉を選ばずに表現するなら乳首だけ隠しているような有様である。

男を誘惑しているのか。

それとも無自覚な露出なのか。

前者なら言動のチグハグさから狂人認定確実。

後者なら生粋の露出狂という点で変人認定確実。

どちらにしても関わったら駄目だと警鐘を鳴らす俺とは裏腹に、重位はどうして平謝りされるのか解らないと様子で慌てふためいていた。

 

「そ、そんなに謝らずとも構わぬ。私とて不注意であった。汚れは洗えば落ちる。其方が気に病む必要など御座らん」

「でも〜」

 

このままだと話が進まないな。

町の者にも多大な迷惑となってしまう。

雪さんの車椅子から一歩離れ、仲裁する事に。

前を見ずに歩いていた重位も悪ければ、道の中央で憚りなく踊っていた彼女も等しく悪い。重位のお召し物に団子の汚れは着いたが、さりとて踊っていた彼女の方も派手に転んで土汚れが悲惨な事になっている。

即ち喧嘩両成敗であると二人とも戒めた。

はい、と項垂れる両名。

やっと場が落ち着いたと判断した俺は、踊り娘に声をかけた。雪さんから只者ではないと言わしめた彼女に興味を持ったからだ。

 

「して、その方は何故踊っておった?」

「國はですね、踊るのが好きなんですぅ〜」

「國とは、その方の名前か?」

「はい〜」

 

珍しい名前である。

はてさて芸名だろうか。

 

「肥後の者か?」

「いえ、出雲から来ましたぁ〜」

「出雲から?」

「白髪の方から九州南部は良いところだよと教えられたので。凄く活気があって驚いちゃって、思わず國は踊ってしまいましたぁ〜」

 

出雲国から来た國という名前の女。

白髪の方とは三太夫だろうか。つい先日、尼子家と接触する為に山陰地方まで走らせたから時間と場所は合致する。

だとしたら、やはり--。

 

「貴殿は出雲阿国殿だろうか?」

「あれぇ〜、國の事、知ってるんですか?」

「噂話だけなれど。そうか、貴殿が出雲阿国殿か」

 

改めて見つめる。

歌舞伎の基礎を築いた出雲の巫女。

その正体は天然の露出狂で、城下町で人が賑わう道の中央だろうとも構わずに舞う踊り狂いだったという事か。

確かに徳川幕府も風俗が乱れると考えるわ。禁止するのも頷ける。その姿で踊ったら最後、周囲の男たちに暗がりへ連れ込まれてしまうだろうな。

 

「……」

 

クイっと裾を引っ張られた。

視線を向けると雪さんが仏頂面を浮かべていた。

手の動きから察するに屈めという事か。

口許に耳を近付けると、雪さんはボソッと口にした。

 

「不埒です」

「え?」

「胸元を見過ぎです。女性は視線に敏感ですから気付かれています。今後は注意なさい。わかりましたね?」

「ーー承知致しました」

 

平淡な声が恐ろしかった。

ともすれば棒読みに近かった。

反論する気を無くす声音に圧倒された俺は、取り敢えず立ち上がり、出雲阿国に対してとある提案を持ちかけた。

決して胸は見ない。

見詰めるのは阿国の双眸だ。

琥珀に彩られた気弱そうな瞳を凝視する。

 

「阿国殿、貴殿さえ宜しければ薩摩国にて踊りを披露しませぬか?」

「えぇ〜、宜しいのですか?」

「勿論で御座る。日向、肥後、大隅、何処で踊ろうとも構わぬ。某が話を付けるとしよう。どうで御座ろう?」

「うぅぅ〜、國は幸せですぅ〜」

 

今にも嬉しくて泣き出しそうな阿国。

一見、島津家に利のある持ち掛けではない。

だが供回りから聞いた話だと、町の人間は一様に彼女の踊りに魅入られていたらしい。遠巻きに観賞しつつも、興味が惹かれずにはいられないと言った様子だったとか。

このまま済し崩し的に島津家で阿国を囲い込んでしまえば、商業的に大成功するかもしれない。俗物的な言い方だと金のなる木である。逃す手は存在しなかった。

三太夫、良くやった。

文化的な向上は島津家発展に必要だからな。

 

「阿国殿」

「はい」

「某も応援致す。頑張って下され」

「はい!」

 

例え露出狂だとしても根は真面目そうな女性だ。

義久たちも悪い様には扱わないだろう。

兵士の士気を上げるのにも役立ちそうだ。

俺の懐から禄を上げてもいいかもしれない。

 

 

 

「師匠、どう致しまするか?」

「今は静観しましょう。殿に伝えるには時期尚早かと」

「兄上は胸の大きい女性が好みなのでしょうか」

「忠棟殿も男です。可能性は高いでしょうね」

「--私は、小さいです」

「重位、頑張りましょうね」

「はい、師匠!」

 

 

 

背後から不穏な空気を感じながら、俺は思わぬ拾い物をしたと満足げに頷くのだった。

 

 





本日の要点。

1、直茂に秘策あり。

2、出雲阿国、露出狂の疑いあり。

3、忠棟、巨乳好きの疑いあり。島津四姉妹と情報共有。

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