永禄四年、一月九日、卯の刻。
正月を迎えた九州は一時の静謐に包まれた。
大隅、日向、肥後と云った各所領から武将たちが薩摩本国へ帰還。現当主である島津義久に新年の挨拶を告げる模様は一週間経っても終わらず、約九日費やして漸く一通り終了する有様であった。
夏から続いた戦続きの日々を労わる為に、義久自ら家臣一人一人と腹を割って対話する事を望んだからだ。功績の大きかった者には薩州金や名刀を直接渡し、これからもお願いするわねと直接頼み込めば涙を流して喜ぶ者まで現れた。
二年続いた飛躍からか、それとも義久の器の大きさに心酔したからか、家中の雰囲気は極めて良好である。
高城川の戦いに於いては大勝、肥後全土を瞬く間に支配下に治めた挙句、朝廷から左京大夫の官位を与えられた義久の存在感はまさに天下に轟く大大名。その確固とした地盤を僅か二年足らずで築き上げたのだ。
一方で三大名による島津包囲網形成という痛恨事も発生した。勝利の余勢を駆って豊後と肥後北部に攻め込み、大友家を滅ぼそうとした島津家の戦意を挫く連合軍の出現であった。
筑後と肥後による一月に及ぶ睨み合い。
毛利家による尼子家征伐など目紛しく情勢が動いた。
それでも家中の高揚が続くのは、島津義久と島津忠棟への信頼からである。若年の当主に加え、婿養子風情の家宰だと馬鹿にする家臣は最早存在しない。
この危機的な状況でも義久と忠棟ならば必ずや打開できると確信するからこそ、島津家の武将は顔色良くして内城へ馳せ参じたのだ。
そんな彼らを仰天させる報告が耳に飛び込んで来たのは、義久によって急遽集められた評定の最中であった。
「龍造寺が動いたわ」
端的な一言に家臣一同が驚愕した。
島津一門衆に加え、島津貴久の時代から仕えてきた譜代衆、更に甲斐宗運を筆頭とした外様衆も含めれば約20名にも及ぶ武将が隣同士で意見を出し合っている。
そんな中、義久の傍らに佇む島津家宰相である島津忠棟が詳しい情報を提示した。
「静かに。情報は一刻前に御庭番衆から届けられ申した。龍造寺隆信率いる20000の軍勢が肥前を南下中。目的は有馬家でありましょう」
標的は有馬家か、と呟いた新納忠元。通称、親指武蔵。
高城川の合戦にて多大な戦功を打ち立てた猛将は顎鬚を扱きながら、家宰殿にお尋ねすると重厚な声音を響かせた。
「龍造寺殿以外の武将は誰が集っておる?」
「名のある武将は確認されているだけでも成松信勝、百武賢兼、木下昌直、江里口信常、円城寺信胤など。後藤家信、大村純忠、江上家種なども参陣なさっているとの事」
「勇猛果敢な武将だらけ。武者震いするわ」
肝付兼盛が勇ましく感嘆した。
何を隠そう、最初に挙げた五人こそ龍造寺四天王と呼ばれる歴戦の武将であった。少弐家と大友家から脱却する道をこじ開けた武は九州全土に広く轟いている。
「つまり、龍造寺殿も本気という事よな」
種子島時尭が得心の云った様子で頷いた。
肥前北部、筑前西部、筑後を領土とした龍造寺家の動員する兵数は無理すれば約30000を超える事が可能である。その三分の二を肥前南部に陣取る有馬晴信へ差し向けたのだ。
龍造寺隆信自ら動くとは、即ち一切の容赦もなく有馬家を押し潰すと宣言しているに等しかった。
「なれど、この時期に出兵とは」
鎌田政年の息子、鎌田政広が眉間に皺を寄せる。
龍造寺隆信率いる15000の軍勢が筑後から撤兵したのは僅か二十日しか経過していない。如何に被害が少なくとも、以前から兵糧など調整していなければ到底無理な動員数である。
「服従していた有馬殿が意を翻したのだ。解らぬ話でも御座らぬ」
「龍造寺殿の思惑は簡単に読み取れようぞ。包囲網が形成されている内に肥前の全土平定を成し遂げようという腹積もりよ。あわよくば肥後、薩摩にも攻め込んでこようて」
忠元と兼盛が口々に言葉を発する。
島津四天王と呼称される二人の覇気に当てられた他の武将は、容易に口を開く事も出来ず、上座にて評定の間を睥睨する義久と忠棟へ視線を向けるのみであった。
現当主の妹である島津義弘は瞑目を解き、両者の間隙を縫うようにして疑問を発する。
「島津はどう動くつもりなの、源太」
「既に有馬家から援軍の要請が来ておりまする」
「なら肥前へ派兵するの?」
「致し方ありますまい。肥前南部を奪われれば我ら島津家は窮地に陥りまする。最悪の場合だと今年の秋には豊後、筑後、肥前からの三正面侵攻が実施されましょうな」
家臣団の呻き声が至る所から聞こえた。
誰にでも予測可能な未来だからこそ説得力も大きかった。
豊後から大友勢、筑後から毛利勢、肥前から龍造寺勢が一挙に押し寄せれば苦戦するのは必至である。一つでも戦線が瓦解してしまうと、後は済し崩し的に島津家領内は蹂躙されてしまうに違いなかった。
「ならば如何とする?」
「忠元殿、そう睨まれるな。某とて島津家宰相の自負が御座る。安心召されよ、既に龍造寺勢を打破する策は考えてあり申す」
「つまり、有馬家に援軍を遣わすと?」
「如何にも。此処で龍造寺勢を打ち破り、包囲網の一角を崩す。さすれば大友、毛利の連携も崩れるは必定で御座ろう」
神速と呼ぶべき三洲平定。
雷神と恐れられた戸次道雪に大勝利。
休む暇も与えずに肥後国を平定した島津の誇る稀代の軍略家、今士元の自信に満ちあふれた言葉に評定の間が活気に満ち溢れた。
「して、忠棟殿。その策とは如何に?」
二年前に起こった島津家の権力闘争。
親忠棟派と反忠棟派に分かれた争いである。
最も早く親忠棟派を宣言したのが肝付兼盛だった。
義久と忠棟からの信頼も篤く、だからこそ高城川の合戦に於いては相手の脇腹を突く遊撃隊も任された程であった。
兼盛は意気軒昂とばかりに問い掛ける。
今回も戦功を挙げる機会だと張り切っているのだと勘付いた忠棟は、評定に参加している全員に目を配りながら言った。
「お話したいのは山々なれど、何処に龍造寺隆信の間者や忍が潜んでいるかわからぬ故、此処で妙案を口に披露するのは差し控えとう存ずる」
「お言葉ながら家宰殿!」
「龍造寺家へ寝返った者がいるとでも?」
「有信殿、落ち着いて下され。歳久様も勘違いなされては困りまする。寝返った者がいるとは申しておりませぬ。しかし壁に耳あり、障子に目ありと申すではありませぬか」
島津忠棟の涼しげな声色。
成る程、と愁眉が開く島津の武将達。
島津貴久の三女である島津歳久は智謀に長けている姫武将である。また幼い頃から忠棟と知己の間柄だった。故に僅かな違和感から島津家宰相の心境を正確に把握できた。
彼も今回の事態は予想外だったのだ。
確かに有馬家は年末に島津家へ密使を寄越した。
龍造寺隆信の従属から脱すると。今後は島津家にお味方するという有馬晴信の意向を聞いた義久と忠棟は一先ず返事を保留したと聞く。
新年早々、龍造寺勢と戦する理由など無かった。
今は接収したばかりの肥後の安定に努め、谷山にて製造される鉄砲と騎馬軍団を整えて、然るのちに反撃。一気に北伐して九州を平定するという未来図を描き切る必要性があった。
だが、有馬は独断で龍造寺から離反した。
まさに取らぬ狸の皮算用となった訳である。
「しからば各々方、有馬家に援軍を遣わす事で宜しいか。もし意見あれば腹蔵なく申せ。此度の合戦は島津家の飛躍を更に決定付ける事になろう故な。遠慮はいりませぬぞ」
鋭利な瞳が家臣一人一人を捉える。
予想外の事態にも日常と変わらない微笑みを貫く島津義久の安心感と様々な改革と戦功を打ち立てて来た島津忠棟の信頼感から、一癖も二癖もある家臣団は反論せず一斉に頭を下げた。
「…………」
そんな中、口角を釣り上げる者が存在した。
思惑通りだと高笑いしたくなるのを必死に堪える四肢は僅かに震えていた。嬉しさか、嘲りか、恨みからか。本人にしかわからない情景を思い浮かべながら男はひたすらに沈黙を保った。
反対意見は無いと判断した義久の宣言によって評定は終了した。
その者も足早に内城から立ち去っていった。
「…………」
背中に突き刺さる四つの双眸に気づく事もなく。
◾︎
一月九日、辰の刻。
新年の幕開けに相応しい寒波は、山陰地方の山々を純白に染め上げる。海から流れ込んでくる潮風は冷気に満ち溢れ、街道沿いに築いた本陣の周囲には寒さに耐えようとする毛利家の兵士達が身を屈めていた。
彼らの間を擦り抜けるようにして、毛利元就の三女である小早川隆景は本陣に足を踏み入れた。
今回の遠征で宿敵『尼子家』に引導を渡すと宣言した父親からの招集である。出雲にて何か異常事態でも発生したか、それとも九州か--。
起こり得る事象を羅列し、一つ一つの可能性を吟味して、適切に取捨選択しながら歩いていると、いつの間にか毛利元就の控える陣幕の前に立っていた。
御免、と一言。
陣幕の中に入る。瞬間、胸の奥がざわついた。
理由は明白。床机に腰掛けた齢63の男が瞑目して控えているから。それだけだ。相対しただけで他者を威圧できる覇気を持つ男だからこそ、僅か一代にして毛利家を国人領主から中国地方の覇者に押し上げられた。
我が父ながら恐ろしいと思う。
そして、元就に警戒されている島津忠棟に思わず同情する。油断も隙もない『謀神』が相手では、如何に戦国の鳳雛だとしても勝ち目など微塵もないからだ。
「来たか」
「遅かったね、隆景」
元就の横に佇むのは、隆景の実姉である。
名は吉川元春。毛利家一の弓取りとも称される戦上手で知られる不敗の名将。武に於いても空前絶後、彼女に一対一で相対できる武将は少なくとも中国地方には存在しないと思える程だ。
「申し訳ありません、父上。それに元春姉さまもお許しを。遅れてしまいました」
「構わん」
「隆景は色々と頑張ってるからね。気にしない気にしない。実はあたしもさっき着いたばかりでさー」
「そうなのですね。安堵しました」
「で、あるか」
毛利元就は家族に対して言葉が少なくなる。
端的に物を言う。首肯だけで終わらせる会話も日常茶飯事。もしや嫌われているのかと不安に思った日々は数え切れない。元春とも話し合った回数だけでも三桁は超えるだろう。
だが、長女の毛利隆元によって疑念は払拭した。
彼女曰く、父上は気の許す家族相手だからこそ言葉少なくなるのだと。普段から家臣や様々な人間と大量の言葉を交わす多忙な日々なのだ、家族の前だけでも静かな時間を過ごしたいという現れなのだと言っていた。
「して、一体何事でしょうか」
「父上があたし達に緊急の使者を遣わすって事はよっぽどだよね」
隆景の疑問に、元春が被せた。
娘二人の言葉に対し、元就は腕を組んで答える。
「九州だ」
「島津が動きましたか?」
「いや、龍造寺が動いた」
「えぇー、秋の刈り入れ時まで待つって言ってなかったかな。確か恵瓊からそう聞いてたんだけどなぁ、あたしは」
「はい、わたしもです」
「--標的は島津ではない」
島津家ではないだと。
包囲網が成されている現在、九州に於いて龍造寺家と関係の悪い大名は表向き存在していない。
にも拘らず軍勢を動かした。
その上、標的が島津家でないとするならば--。
「有馬家ですか?」
答えを導き出すと、元就は鷹揚に頷いた。
「如何にも」
「有馬って肥前西部も龍造寺に追い出された奴でしょ。その後は臣従したって聞いたけど、もしかして龍造寺を裏切ったの?」
「そう考えるのが妥当でしょう。問題は、此度の合戦に島津が関与するかどうかですね」
「関与せざるを得ない」
力強く断言した元就は、続けて口にした。
「故に、我らは九州へ赴く」
突然の宣言に二人は固まった。
数瞬、陣幕に静寂が訪れるのも無理なかった。
此処で九州へ反転すれば、尼子征伐に必要な軍勢を起こした時間、金銭、兵糧、苦労、その他にも貴重な人的資源を無駄にする事と同義だからである。
元春よりも早く正常に復帰した隆景は、ズレた眼鏡を元の位置に戻しながら口早に進言する。
「しかしながら父上。此度の遠征では何も成果を得ておりません。又、此処で軍を引いてしまえば尼子家に背後を突かれます!」
「流石に危ないと思うんだけど、あたしも。九州は龍造寺と大友に任せて、今は尼子家の征伐に集中するべきだと思うなぁ」
元就は首を振る。
何もわかっていないと。
「尼子攻めは中止せぬ」
「なんと」
「なになに、どういうこと?」
「尼子征伐は隆景に任せる。一人、やり遂げろ」
現在、毛利勢は約20000である。
元就が言うには10000の兵士を預ける故、父と姉に頼らずに一人で尼子家と相対しろと。山陰地方を攻略せよと言うことだ。
本気なの、と騒ぐ元春を他所に、隆景は冷静な頭脳で瞬く間に試算した。出来る、出来ないの判断などこの際どうでも良かった。
父親に頼まれたならやるだけだからだ。
今は亡き姉と約束した。
毛利家をお願いねと言葉を交わした。
破ってはならない。
最愛の姉の遺言を無下になどできなかった。
「わかりました。お任せください」
「隆景、大丈夫なの?」
「元春姉さま、ご安心下さい。わたしは小早川隆景ですよ。父上が念入りに行った調略と10000の軍勢を巧みに操り、見事尼子家を屈服させてみせましょう」
「そっか。なら心配いらないね!」
気楽に笑う元春は家中を明るくする。
勇気凛々を体現する姉の為にも奮起しなくては。
一分一秒でも惜しいと判断した隆景は、元就に軍の編成を申し出た。頼んだという返事を聞くや否や陣内から飛び出し、山陰と九州に向かう二部隊に軍勢を分ける作業に没頭し始めた。
「隆景、大丈夫かな」
「心配いらぬ。儂の娘だ」
「そうだね。でもさ、父上」
「なんだ?」
「今回、龍造寺が暴走したのって偶然?」
陣内に残った元春が淡々と尋ねた。
何か意図があった訳でなく、理由すらなかった。
ただ自然と口に出た疑問は元就の口許を歪ませた。
「謀多きは勝ち、謀少なきは負ける。自然の摂理よ」
「つまり?」
小首を傾げる元春。
元就は立ち上がり、軍配を握り締めて言った。
「龍造寺に有馬謀反の情報を流したのは、儂だ」
◼︎
一月九日、巳の刻。
肥前北部と筑前西部、更に筑後を支配下に置く新進気鋭の大名、龍造寺隆信は何時になく戦意を昂ぶらせていた。
数日前に発覚した有馬家の謀反。
隆信は島津家と同盟を結んでいた頃に有馬家と合戦を二度行い、二度とも勝利した過去を持つ。結果として有馬家は肥前南部へ追いやられ、挙げ句の果てに臣従を申し出た。
従属したのである、この龍造寺隆信に。
だが、島津家が肥後を占領するや否や、南九州の大大名へ速攻で靡いた。最早許して置くわけにいかない。風見鶏には相応の鉄槌を下すのが道理だと息巻いているのだ。
毛利から送られてきた書状、そして島津家によって幽閉されている『鍋島直茂』からの書状をそれぞれ片手に持ちながら、人知れずほくそ笑む肥前の熊は輿に担がれながら行軍していた。
「直茂は当然として、藤林にもう一人。裏切り者だらけでないか、島津も。難儀な物よな、乱世とは」
「御意に御座りまするな」
傍らで馬を操る武将の名は成松信勝。
四天王の一角であり、隆信の側近でもある。
特に軍師役たる鍋島直茂が不在となってからは軍略の方も手掛けるように。筑後平定と筑前西部奪取は彼の功績と呼んでも過言ではなかった。
「島津忠棟とて、御庭番衆や家臣から内通者が現れているとは夢にも思いますまい。今回の遠征で薩摩も占領できるやもしれませぬな」
島津の本拠地、薩摩国。
以前なら大した旨味など無い土地だった。
今は違う。宝の山に等しい物になっている。
南海航路に於ける最重要の湊、坊津。内城に作られた公家文化を取り入れた先進的な城下町。鉄砲や船を建造する工業の町、谷山。
更に金山すら掘り起こされていると聞いた。
島津家の国力の源。此処を奪えば九州平定は目の前だ。
「うむ。直茂の書状には佐敷城が狙い目と書かれておったわ。事前の軍議通り、先ずは有馬家を完膚無きまで潰すとしよう。島津の援軍も同様じゃな」
「肥後の国人衆にも根回しを行なっておりまする故。大隅、肥後と反乱が起こり、日向には大友家の軍勢が雪崩れ込めば万に一つも敗北は御座りますまいな」
「此処まで上手く行くとはのう。直茂の奴め、流石は我が義妹じゃな!」
周囲に存在する兵士を安堵させる為に響き渡るような高笑いする隆信であったが、内心では台詞と真逆の感想を抱いていた。
鍋島直茂は危険である、と。
隆信の義妹にして姫武将でありながら、生意気な事に知恵才覚は誰よりも圧倒的に優っている。慇懃な態度の裏に隠された野心、此方の一挙手一投足を見逃さない鷹のような視線、放っておけばいずれ龍造寺隆信を害する存在となるのは必然だと言えた。
「消すしかないのう」
「--申し訳ありませぬ。聞き漏らしました」
「気にせずとも良い。独り言じゃ。さて、賑々しく行軍せよ。儂らは無敵ぞ。有馬、島津など我らで押し潰してくれよう!」
全てはこの掌の上だ。
島津、有馬、大友、毛利。
全ての動きを操っているのは自分である。
そう己を高めながら、龍造寺隆信は南下していく。
その先に待つ未来を、まだ誰も知らない。
◼︎
一月九日、午の刻。
臼杵城は俄かに騒然としていた。
龍造寺隆信から送られてきた使者は、年明けの弛緩した空気を吹き飛ばすに値する言葉を言い放ったのだから。
慌ただしく戰支度を進める高橋紹運。
紅の長髪を後頭部で括り上げ、鎧に身を包んだ。
手に持つ槍は血に飢えているかのよう。腰に刺した刀は鯉口を切られるのをひたすらに待っているようであった。
そんな幻覚すら抱く紹運の闘気が充満していた。
待った。待ち続けた。約四ヶ月も我慢した。
「…………」
道雪を口汚く詰る宗麟。
雷神が聞いて呆れると何度も耳にした。
姫武将など所詮口だけだと嘲笑われた事もある。
死んだ、死んだ、死んだ、死んだ、死んだ。
戸次道雪は死んだのだという流言飛語など聞くに値しない。
高橋紹運は信じている。
義姉の強さも、運の強さも、誇り高さも。
だからわかっている。
まだ戸次道雪が生きている事も。
未だにその身から誇りが失われていない事も。
「待っていてください、義姉上」
正直な話をしよう。
紹運はキリシタンの国など微塵も興味がなかった。
「私が、義姉上の雪辱を晴らします」
道雪の汚名を雪ぐ事。
目指すのはこれ一つだけ。
武功は全て義姉上の帰参に使おう。
そして、また二人で大友家を盛り上げていく。
「だから済まないな、今士元」
今の内に謝っておこうと思う。
戦場で目にした瞬間、理性よりも本能を優先して八つ裂きにするだろうから。
「--貴様を殺し、義姉上を取り戻す」
◼︎
一時の静謐は胡蝶の夢の如く消え去った。
これから起こるは九州全土を覆い尽くす戦乱だ。
それぞれの思惑を胸に突き進む。
かくして--各陣営は一斉に動き出した。
本日の要点。
1、忠棟「計画通り」
2、元就「計画通り」
3、隆信「計画通り」
4、紹運「忠棟、殺す」
5、新年明けましておめでとうございます!