島津飛翔記   作:慶伊徹

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四十四話 鍋島直茂から好愛

 

 

二月十六日、午の刻。

日に日に激しさを増す寒風。

春の兆しすら見えない極寒の最中。

島津家と毛利家の対陣は三日目となる。

床机に腰掛けた俺の傍らに佇む直茂が呟いた。

 

「動きませんね、元就殿は」

「当然よ。この状況なら俺でも動けぬ」

 

龍造寺隆信と大友宗麟が死去してから一ヶ月。

瞬く間に九州北部の勢力図は一変した。

史実再現と呼べる『沖田畷の戦い』により、龍造寺家に従っていた筑後の有力な国人衆は競って島津家に鞍替え。

毛利か島津か。己に選択肢があるのだと勘違いしていた国人領主たちの立て籠もる城を幾つか落とし、目立った損害もなく僅か二十日で全土を平定した。

肥前に於いても同様である。

鬼島津こと島津義弘様に肉薄する武功を挙げた家久様。戦術の鬼才である彼女に恐れをなした国人衆は一斉に恭順を示した。肥前も三週間という短い期間で平定できたのは、間違いなく鍋島家の協力が大きかった。

 

「兵力、陣構えも互角ならば動くに動けまい」

「先に仕掛けた方が不利になりますね」

「さもありなん」

「新納殿の部隊が参陣できなかった弊害ですか」

「大友家の底力よ。新納殿を責める事はできぬ」

 

唯一の問題は豊後の大友家。

大友宗麟の跡を継いだのは僅か二歳である『大友義統』だった。未だ言葉も話せない若すぎる当主を擁立した豊州三老は懸命に戦う。臼杵城を攻め落とされても、府内館を抜かれても、大友家再興を夢見て頑強に抵抗していた。

勿論、何度も降伏の使者を遣わした。義久の名前が書かれた誓詞血判付き。降伏すれば大友家を一万石で存続させるという内容に嘘偽りなどない。

にも拘らず降伏しないのは、大友宗麟の死去には島津家が深く関わっているという根も葉もない噂が流れているからだ。

下手人は判明済み。十中八九、毛利元就である。

確かに大友家の言い分はわかる。

あの状況で大友宗麟が臨終すれば、最も利益を得るのは島津家だからだ。暗殺という卑劣な手段を講じた島津家を許すな、と存亡の瀬戸際で大友家中が纏まったのは皮肉な話だろう。

当然ながら冤罪を押し付けられるなど御免だ。既に御庭番衆の三分の一を動員、九州全体と畿内を抑えている三好家などに、九州探題を殺害したのは毛利家なのだと真実を流布させている。

それでも島津家憎しで固まった大友家は梃子でも降伏に応じず。今は残り一つとなった拠点、杵築城を新納勢9000に包囲されたまま身動きが取れずにいる。

 

「毛利勢は約28000ですか」

「その内8000は秋月種実の百姓兵だ」

「種実殿は昔、元就殿の庇護を受けていたとか」

「うむ。離間工作は上手くいかぬだろうな」

「困りましたね。付け入る隙が見当たりません」

 

島津家が肥前、筑後、豊後南部を制圧する最中。

毛利元就を総大将とする15000の軍勢は門司城を拠点に周囲へ展開、豊前と筑前の殆どを大した苦労もなく速攻で占領した。

その後、筑前国に建つ秋月城を攻めようとした俺こと島津忠棟へ対応する為に、龍造寺家から独立したばかりの秋月家と同盟を締結。太平山の麓に陣を構えた。

総勢28000にて鶴翼の陣を敷いている。

 

「直茂でも不可能か?」

「秋月城を落としていれば話は変わりますが、現時点だと無理でしょう。元就殿自ら采配を振るっているのです。種実殿も大抵の不平不満は我慢すると思いますよ」

「であるか」

 

対して島津勢は久留米城から甘木へと進軍。

肥前を制圧した家久様も参陣なさったお蔭で、筑後の国人衆も含めれば約29000にまで膨れ上がった島津軍は、毛利勢と僅か一里の距離に本陣を設けた。

周囲は平地。利用できる山も特に見当たらない。

兵力は五分五分。千の差など些細な物だ。

陣構えは共に鶴翼。共に武将の質に自信があるからだ。

島津勢の有利な点は一つある。

時間を気にしなくて良いことだ。

新納隊が杵築城を攻め落とし、約9000の軍勢によって側面から毛利勢に強襲させれば勝利は必定。大混乱になる。総大将の首すら穫れるかもしれない。

 

「此処は我慢だな」

「無論、調略の手は止めぬ事です」

「承知しておる。時間を無駄にするものか」

「私も出来る限りの策を講じるとしましょう」

 

淡々と会話を続ける俺と直茂。

人払いは済ませてある。

小姓すら傍に置いていない。

本陣として据えている光明寺の周辺には、島津兵7000が配置されている。寒さを凌ぐように身を寄せ合い、決戦に備えて手槍を扱いていた。

 

「良いのか、直茂」

 

いつになくやる気な鍋島直茂。

三ヶ月以上、地下に幽閉されていたと思えない艶やかさ。誰しも息を呑む美しい顔立ちは一片も損なわれていなかった恐るべき女性である。

龍造寺隆信が討死。かつての主家が零落したからこそ側室に復帰できた。肥前にて、龍造寺家の代わりとして鍋島家が台頭したのは決して偶然ではない。全ては一人の謀略家による策略だった。

 

「話が見えませぬが?」

「嘘吐け。俺とお前の約定についてぞ」

「無事果たされましたが、何か問題でも?」

「確かに無事終わった。隆信は死去、龍造寺家は没落。鍋島家を抑えつけるモノはおらぬ。お前も自由よ」

 

鍋島直茂には野心があった。

否--ある日を境に野心が芽生えたと言い換えるべきか。唐突でなく、偶然でもなく、ある種当たり前な反骨心だった。

龍造寺隆信の視線に不審、不満、不純なモノが入り混じった時。即ち八年前のこと。直茂が十二歳となり、元服した時から二人の不仲は始まっていたのだから。

直茂一人に向く敵意なら我慢できたらしい。けれど、龍造寺隆信が鍋島家そのものを取り潰そうとしていると確信した日から計画は始動していた。

だから俺に嫁いだ。

島津家の力を借りて、龍造寺家を潰す為に。

もしくは島津と龍造寺を共倒れさせ、鍋島家が漁夫の利を得る。そして間隙を縫う形で九州の覇権を握る為に。

相良家討伐の際、従軍を申請したのも島津家の力を計る事が最重要目的だったと直茂は語った。島津家の有する国力、武将の質、練度の高さが想像以上だった故、前者の計画を影ながら推し進めたのだと。

結果、策は成った。

鍋島直茂の謀略は完成を見た。

俺の側室であれば鍋島家は安泰である。だが、例え側室に留まらずとも、島津家が鍋島家を蔑ろにする事は考え難いとわかっているはずだ。

 

「私の代わりに道雪殿を側室に?」

「阿呆」

「はい。直茂は阿呆です。貴方様の口から聞かないと分かりません」

 

手放さないと誓った。

直茂も俺の妻であるのだから。

それでも嫌がる女を抱きたくない。

束縛もしたくなかった。

直茂は万能である。武将として大成している。

側室という場に留まってしまうよりも、主家を失ったばかりの鍋島家を盛り立てる地位にいた方が世の為人の為だと思った。

そんな俺の考えぐらい読み取っているだろうに。

思わず舌打ちした。ぶっきらぼうに吐き捨てる。

 

「女狐め。……わざわざ内城から前線に駆け付ける必要など無かったのだぞ。まして側室に拘る意味もなかろう」

「旦那様を愛しているから。元就殿の策に嵌められた旦那様を心配したからですよ」

「巫山戯るな」

「巫山戯ておりません」

 

横目で睨み付けると、直茂も低い声音で返した。

 

「事実です。私は、旦那様を愛してしまった」

 

ふぅと一息。

 

「私の予定にありませんでした。旦那様を利用する。鍋島家を残す。そして生き残る。この中に島津忠棟を愛する必要などないのに、いつの間にか私は旦那様をいつも目で追っていました。夜伽の最中も、口吸いをする時も、共に食事を取る時もです」

 

突然始まった告白に俺は固まった。

嬉しくないと言えば嘘になる。むしろ嬉しい。

鍋島直茂は美女だ。

胸は小さいものの、丸まった尻は安産型である。

けれども無表情なのだ。

紅潮せず、身じろぎせず、言葉を紡いでいく。

 

「勿論、私は心の底に隠しました。愛という衝動から計画を狂わせない為に。奥方様と楽しく笑うお姿。歳久様と仲睦まじく政務を為さるお姿。東郷殿と共に視察へ赴くお姿。家久殿と将棋を打つお姿。それら全てに狂いそうな嫉妬の念を浮かべながら、私は何食わぬ顔で旦那様と接していました」

 

光明寺の外は雪が降りそうな天気だ。

恐らく日本列島を寒気が覆っているのだろう。

にも拘らず、俺の額から汗が伝った。

背筋が震える。

あれ、もう合戦が始まってしまったのかな?

 

「壊れそうでした。張り裂けそうでした。でも私は計画を優先しました。龍造寺家を排する事を先決としました。そして今、私を阻むモノはありません。我慢する必要など無くなりました。だから奥方様に無理を言って、内城から馳せ参じたのです」

 

俺の肩に手を置く直茂。

冷たい。鎧の上からも伝わる。

冬だからか、それとも俺の感覚がおかしいのか。

 

「そう、か」

 

絞り出すように零す。

直茂は平然とした表情で頷いた。

 

「元就殿に遺恨があるのも真です。私も謀神に踊らされていた一人。このまま手の平で踊り続けるのを許容できるほど、私は大人ではありませんから」

 

やられたらやり返す。

言外に謀神へ宣戦布告した鍋島直茂。

この時だけは謀神に同情した俺であった。

 

 

 

 

 

◼︎

 

 

 

 

 

二月十六日、午の刻。

島津忠棟が不器用な告白を受けている中、毛利と秋月による連合軍の本陣は異様な静けさに包まれていた。

毛利元就は床机に腰掛けたまま瞑目。吉川元春も父親の意向を受けて沈黙を保ったまま。毛利家臣である宍戸隆家、吉見正頼、口羽通良も須らく口を開かず、主君の顔色を横目で伺うのみだった。

秋月城の城主にして筑前南部と豊前南部を所領とした秋月種実は、一刻も早い島津家への攻撃を声高に叫ぶ。

 

「元就殿、何を迷っておられるのか。布陣して早くも七日、太平山に展開してからの元就殿の動きは緩慢そのもの。時間が経つに連れ、島津家は戦力を増強させていきましょうぞ!」

「わかっておる」

「ならば何故に御座るか。成る程、島津包囲網を隠れ蓑として、九州北部を瞬く間に占領するという策には、某も感服致し申した。故に毛利家と同盟を組んでおりまする。しかし、今此処で島津家を打ち破らねば、その鬼謀も全て無駄になってしまいまするぞ!」

 

種実の言う通りだった。

毛利元就は太平山に布陣してから特に目立った動きを見せずにいる。至る所に書状を送り、本国である安芸国から大量の兵糧や武器弾薬を運ばせるだけ。まるで何かを待っているような緩慢とした動きだった。

吉川元春は父親を信じている。

一戦もせずに門司と博多を手中に収めた謀略は思わず背筋を震わせた。そして、島津家との緩衝地帯として秋月種実を利用しているのだと聞かされた時は、実の父親ながら悪辣だなと素直に思ってしまった。

 

「ならば、其方はどうしたい?」

「申すまでもなく決戦に御座る。大友家を攻めている新納忠元が筑前に向かってくる前に、眼前の島津勢を叩き潰すことこそ上策でありましょう」

「手段は?」

「精強な毛利軍と我ら秋月の兵士が間断なく攻めかかれば問題あるまい。島津勢の精強さは知っておるが、奴らは連戦によって疲弊しきっておりまする。国許へ帰りたいと嘆く将兵も多いと思いませぬか?」

 

兵力は互角である。

陣構えも共に鶴翼の陣。

だが、武将の質はどうだろうか。

島津勢には鬼島津の異名を持つ島津義弘を筆頭として、僅か一合戦にて龍造寺家を壊滅させた島津家久、阿蘇家の重臣であった甲斐宗運、高城川の戦いで大友家の戦意を砕いた川上久朗など他国に轟く武士が軒並み揃っている。

そして軍配を振るうのは今士元こと島津忠棟。

毛利勢も負けていない。武将の質なら互角だと思う。元就に関しては他の追随を許さない合戦の経験があるのだ。今士元など恐れるに足らない。

問題は秋月勢だろうか。武功を欲しがっている。

巨大過ぎる同盟者。独立したばかりの小勢力が生き残るには、何としても周囲に侮られない武が必要となる。だから功を求めるのだ。

 

「一理ある」

「ならば、元就殿--!」

「しかし性急に過ぎる。落ち着け、種実殿」

 

立ち上がろうとした種実を、視線だけで制する元就。

 

「儂とて現状を理解しておる。島津の今士元、噂に違わぬ速攻ぶりよな。儂の想定よりも十日早く筑後を平定するとは。何と将来有望な若人じゃ」

「何を呑気な……」

「お主の考えに二つ間違いがある」

「間違い?」

「一つは島津勢の精強さよ。奴らは百姓兵と違うもの。島津家の莫大な金銭によって雇われた者たちも数多くおる。国許へ帰りたいと云う感情も宛にならぬ。奴らは陣中の兵たちに金銭を大盤振る舞いしておるようじゃ。士気は高い」

 

そして、と続ける。

 

「戦とは戦わずして勝つのが最上。儂は門司と博多を手に入れた。お主は龍造寺家から独立した。目的は既に果たされておる」

 

種実は目を見開いた。

 

「もしや一戦も交えず退かれるご所存か!」

「さにあらず。事ここに及べば是非もなし。島津勢と一戦交えねばならぬと理解しておる。心配なさるな。但し、よ。闇雲に突撃し、民百姓を無闇に殺すことは許さぬ」

 

合戦にて決着を付けるのは簡単である。

力関係を遍く世間に知らしめ、敗者を見せしめにできるから。この上なく便利であり、そしてこの上なく下策でもあるのだと吉川元春は父親から教わった。

無闇矢鱈に合戦を行ってはならない。

戦略目的を見極め、退くべき時は躊躇いなく退く。

謀略で済むならそれに越したことなく、一兵も損なわずに勢力を拡大できたら最上であるのだと耳にタコができるほど聞かされていた。

 

「されど時間をかければ島津に有利となりましょう!」

「然り。海から大友家を支援しているが、このままでは遠からず杵築城も落ちよう。親指武蔵なら間違いあるまい。そうなる前に島津勢を甘木から追い出さなくてはならぬ」

「ならば号令を!」

「慌てるな、種実殿。儂の策は始まっておる」

「策、で御座るか?」

「後手に回るつもりは御座らん。此度の遠征、最後まで我ら毛利家が先手を握るつもりよ。島津家を散々に引っ掻き回す所存なれば、種実殿は今暫く辛抱するが肝要で御座ろうな」

「実、で御座りまするな?」

「味方に嘘偽りは申さぬ。安心召されよ」

「ならば御免!」

 

不満げに本陣から立ち去る秋月種実。

騒々しい足音が聞こえなくなるまで我慢した吉川元春は、やれやれと肩を竦める父親に向かって問いかけた。

 

「種実殿に策の内容を伝えなくていいの?」

「必要あるまい」

「寝返らないかな?」

「種実にそのような度胸はない。放っておけ」

 

元就は腕を組み、吐き捨てる。

同盟相手だとしても容赦のない人物評価だった。

 

「辛辣だなぁ。宍戸はどう思う?」

「殿と同じ意見に御座りまする。種実殿は毛利家の庇護無くして生き残れませぬ故、例え不満があろうとも勝手な真似はしないでしょうな」

 

名目上、同盟相手となっている。

だが実質的な国力差から主従関係に近い。

西国の覇者を決める一戦。

それに参加させられる秋月家。

果たして幸福なのか、不幸なのか。

 

「目を向けるべきは島津よ。吉見、首尾は?」

「はっ。御庭番衆が西国全土で不審な動きを見せておりまする。特に畿内では怪しげな動きもあるとか。長宗我部に何度も文を送っているようで」

「対毛利包囲網でも作る気ですかな、島津は」

「口羽殿の仰られる通り、土佐統一間近の長宗我部と三好家を巻き込んだ毛利包囲網が作られるやもしれませんな」

 

宍戸隆家の言葉に、元就が首肯した。

 

「儂の意趣返しか、面白い」

 

哄笑したのも僅か数秒だった。

毛利家が保有する忍衆、世鬼一族。

その棟梁を呼び付けて小声で耳打ちした。

 

「承知致しました」

「励めよ、政親」

「はっ」

「それとな。主の次男坊に伝えよ。八年に及ぶ島津家への潜入、大儀であったとな」

「勿体無き御言葉。しかとお伝え致しまする」

「であるか。ならば疾く行け」

「御意」

 

一陣の風と共に消えた世鬼政親。

毛利家の施した策は既に始まっている。

島津家は果たしてどういう手を打つのか。

今士元と持ち上げられている島津家宰相は太刀打ちできるのか。吉川元春は胸の内に渦巻く高揚した戦意を漏らさないようにしながら来たるべき時を待つことにした。






本日の要点。

1、直茂「好き好き好き好き好き好き(激重)」

2、忠棟「直茂怖い(確信)」

3、元就「今士元、中々やりおる(歓喜)」





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