島津飛翔記   作:慶伊徹

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四十五話 秋月種実への誤算

 

 

二月十七日、辰の刻。

昨夜から続く曇天は明け方から凍雨へ変わった。

寒いのは嫌いだ。戦国時代に産まれてから雨も嫌いになった。火縄銃が例外なく使い物にならなくなってしまうからである。

谷山にて造られた最新鋭の鉄砲。即ち『薩摩筒』を濡らさないように全軍へ指示を出す。又、毛利勢が音を搔き消す雨を利用して、突如奇襲してくるかもしれない。各武将に伝令を送った。

筑後川の増大にも気をつけよと下知。もしも川が氾濫でもしてしまえば万事休す。幸いにも大雨に成りそうな気配はないから、要らない心配かもしれないけど一応念の為である。

 

「申し上げます」

 

取次ぎの者が伺候したのは、床机を据えている光明寺にて絶え間なく指示を出し終えた直後の事であった。

 

「鍋島信房殿が目通りを願っておりまする」

「信房殿が?」

「はっ。手勢2000を率いておりますれば、光明寺前にてお待ちになられておりまする。如何なりまするか?」

「何をしておる。すぐに御通しいたせ。無論、鄭重にな」

「御意」

「それとな。直茂も此処へ連れて参れ」

「かしこまりました」

 

取次ぎの者は一礼した後、足早に立ち去る。

幾許もしない内に三十代前半と思しき武将が案内されてきた。目許が直茂に似ている。端正な顔立ちはさぞかし世の女性の瞳を釘付きにする事だろう。

上座に腰掛けている俺に対して、直茂の兄は凛々しい容貌を崩さず、綺麗な姿勢を保ったまま下座にて胡座を掻いた。流れるような動作で頭を下げる。

 

「お初に御目に掛かりまする。直茂が兄、鍋島信房に御座ります。ご尊顔を拝し恐悦至極に存じ上げ奉りまする」

「島津掃部助忠棟に御座る」

「以後、ご昵懇を」

「此方こそ。良くぞ参られたな、信房殿」

 

既に俺の背後には直茂が控えている。

何しろ実の兄妹だ。久し振りの再会である。

積もる話もあるだろうと思ったのだが、お互いに視線を交わすだけで言葉を紡ごうとしない。沈黙が続く。

居たたまれなくなった俺は口火を切った。

 

「して今日は如何なされた、信房殿」

「はっ。甘木への参陣が遅れました事、深くお詫び申し上げまする」

「お気になさるな。鍋島家は肥前にて領地を与えられたばかり。毛利との戦に参陣為さらずとも良いと書状にも記しておいた筈だが?」

「仰ることはご尤もなれど、主家の危機に馳せ参じない家臣はおりますまい。故に遅ればせながら甘木に馳せ参じた次第に御座りまする」

 

鍋島家には肥前にて十万石を与えた。

過大な報酬かもしれないが、竜造寺隆信を沖田畷に誘い出せたのは直茂のお蔭だと云えよう。更に竜造寺家の情報を藤林長門守に逐一教えていたのは鍋島信房であった。

竜造寺隆信討伐に貢献した功績を持って、肥前西部に所領を持たせた。今年一年は領地経営に尽力しても良いと伝えておいたんだけどな。

 

「手勢を2000も率いてか?」

「御意。是非とも島津家の恩顧に報いるべく」

「有難き事よな」

「十万石を受け賜わりし事、槍働きにてご奉公致しまする」

 

現時点で島津家は約二百万石を有している。あくまでも史実で行われた太閤検地で計算した場合だけど。串木野金山などを含めれば二百万石を超しているだろう。

だが、これは目安の一種。

平定したばかりである三つの国は未だ混乱が収まっていない。正確な国力が判明するのは今年末か来年未明と云った所だと推察する。

--何はともあれ。

鍋島信房殿は真剣な面持ちで宣言した。

意気や良し。直茂の兄だからか、才気に満ちた顔だと思った。

 

「信房殿のお覚悟、しかと受け取った。ならばこそ問い申す。島津と毛利の対陣、どのように見受けられる?」

「有り体に申し上げますれば、互角であると愚考致しまする。先に痺れを切らした方が不利となりましょうな」

「某も同じ見解よ。此処は我慢比べ。幸いにして時間は味方である故な」

 

現在、三家に使者を遣わしている。

西から長宗我部、尼子、三好である。

長宗我部元親には二年前から接触していた。物資を提供するのは勿論、昨年度末には一時的だけど島津水軍の一部を貸し与えもした。全ては早期に土佐を統一させ、伊予を治める河野家へ攻め込ませる為だ。

尼子に関しても同じ事。冬の日本海という荒波の中、小早川隆景を足留めさせる為だけに様々な物資を送り続けている。悲しい事実だが、出雲国を失ってしまった尼子義久に挽回の余地はない。それでも尼子家が山陰地方に存在するだけで、小早川隆景という智将を釘付けにできる。

三好家としても毛利家がこれ以上膨張するのを見過ごせない筈だ。既に中国地方に敵はおらず、この上、九州の覇権すらも毛利元就が握れば次に向かう先は畿内しか無い。一気呵成に雪崩れ込まれれば苦戦は必至だろう。

この三家と同盟を締結。然るのち反撃に出る。

これ以外にも様々な策は練ってあるが、毛利元就の出方が定かにならない以上、闇雲に軍勢を割くわけにいかなかった。

 

「卒爾ながら言上仕ります」

 

ふと信房が告げる。

 

「申せ」

「秋月種実殿とは龍造寺家にお仕え致しておりました時、幾度か言葉を交わしたことのあるお方に御座りますれば」

「ほう。人となりを知っておるのだな?」

「御明察。種実殿の気性なれば早晩にでも奇襲を仕掛けてくるは必定。直ぐにお退きになられるでしょうが、お味方の被害を大きくなりますれば全軍の士気にも関わりましょうぞ」

 

毛利家と秋月家の同盟。

その実、国力差から主従に近い関係性だ。

例え島津を撃退せしめたとしても、体良く毛利家に使われれば竜造寺隆信に臣従していた時と何ら変わりない。

鍋島信房曰く、種実が今後侮られないような武功を求めるのは当然の帰結。今夜にでも奇襲を仕掛けてくると予測されるから、事前に伏兵を忍ばせておいて秋月勢に大打撃を与えるべきだと進言した。

成る程、一理ある。

今夜まで雨が降り続ける可能性も高い。

銃が使えない中、我武者羅な奇襲を受ければ少なくない損害を被るかもしれない。神算鬼謀な毛利元就を前に、兵を少しでも損なうのは痛すぎる。

 

「信房殿の慧眼、感服致した。今日の軍議にて取り扱う事と致す。勿論、信房殿も参加なされるが宜しかろう」

「有り難きお言葉」

 

深々と頭を下げる信房殿。

全身から放たれる焦燥に俺は気づいた。

秋月種実と同様、信房殿も焦っているのだろう。

如何に内通していたと云えども、鍋島家が主家である竜造寺家を裏切った事に変わりない。島津譜代の家臣から受けるであろう蔑みの印象を、此度の合戦にて活躍して払拭したいのだ。

ある程度、武功を立てさせるべきか。

幾度か情報のやり取りを行い、俺は信房殿を部屋から下げた。

 

「如何でしたか、私の兄は」

 

今まで一言も口を開かなかった直茂が問うた。

俺は苦笑いを浮かべながら、率直に応える事にする。

 

「お前と似ておるな」

「はて?」

「人を利用して、己の苦境を払おうとする様だ」

「兄の心境を正確に読まれましたね」

「お前と比べれば分かりやすかった故な」

「まだまだですね、兄は」

「お前から見れば殆どの輩がそうであろうよ」

 

久し振りに大笑する。

やはり直茂との会話は面白い。

打てば響くように返事が帰ってくる。

 

「楽しそうだよなぁ、大旦那は」

 

何処からともなく現れた一つの影。

周囲の小姓に気取られず、音もなく跪いた。

 

「三太か。ご苦労であった」

「山陰、畿内、四国、九州を走り回ったからね」

「後で禄を与える。好きな事に使え」

「報酬は上乗せで!」

「仕事の内容によるな」

「了解。じゃあ、報告するよ」

 

一拍。

 

「尼子だけど、そろそろ終わる。三日前に因幡国が毛利に鞍替えした。尻馬にでも乗るつもりなのか備中東部も毛利に降伏。備前では宇喜多家が暴れてる」

「残すは伯耆と美作のみか」

 

出雲、因幡、備前、備中東部を瞬く間に失ってしまうとは。毛利元就を褒めるべきか、小早川隆景の智謀を恐れるべきか。

左右から毛利勢、南から宇喜多勢。

抑えられないだろう。尼子家の命運は尽きたな。

 

「崩れる時は一瞬ですね」

 

直茂が抑揚も付けずに言った。

 

「直女将さんの言う通り。尼子の分裂が予想以上に早い。畿内でも驚く声が多数だ。三好家の反応も毛利脅威論一色。そうなる為に情報を誇張して広めたけど」

「久秀殿なら見破っておろう。さりとて脅威に変わりない。島津の申し出に応えてくれればよいがな」

 

松永久秀。戦国の爆弾魔。

三好長慶と並んで美少女になっていた。

今更指摘は野暮なのだと自らを納得させる。

女郎蜘蛛のような搦め手と視線。出会った時から絶えず送られてくる粘着質な文から、この戦国時代でも信長に謀反を繰り返すんだろうなと妙に予想できた。

 

「長宗我部は土佐を統一したよ」

 

おお。

朗報だ。

四国は幸先が良いな。

 

「早いな。一条兼定はどうした?」

「伊予に逃げた。家臣に追われてね」

「当然、元親殿は兼定をわざと逃したな?」

「だと思うよ。これで伊予国を攻める大義名分が出来たわけだしさ」

 

十四年早い土佐統一を成し遂げた長宗我部元親。

未だ若い当主ながらも史実に於ける『土佐の出来人』である。一条兼定など鎧袖一触であっただろう。

姫武将に幾度も敗れた事から乱心が目立ち、一条本家とも疎遠になり始めたのだから、近い内に土佐を追われる事は明白だった。

 

「長宗我部は順調だとしても、尼子の残党を匿う必要がある。御庭番衆は既に伯耆へ潜入しておろうな?」

「問題ないよ。世鬼一族が嗅ぎ回ってるけど何とかなる」

「頼もしい言葉よ。決して尼子義久殿を死なせるでないぞ。泥を啜りながらでも乱世を生き残らせる必要がある」

 

尼子家再興の為に生き残らせる。

勿論、慈善事業ではない。

今回の一戦だけでは毛利家を崩す事は不可能。改めて再戦する必要がある。その時に尼子の名前は大きな武器に変貌するだろう。

 

「万事御意のままに。それとね、少し気になることがあるんだけど」

「申してみよ」

「土佐と伯耆に送っている船があるでしょ。順調に運送されてるんだよ。順調過ぎて怖いぐらいでさ。気にしすぎだと思うんだけど」

「…………」

 

瞬間、元就殿の不敵な笑みが脳裏を過ぎった。

 

「三太、義久様と雪さんに報せたか?」

「小南が隈本城と内城に走ってると思うけど」

「であるか。三太、お前も南に走れ」

「え?」

「嫌そうな顔をするでない。それより耳を貸せ」

 

側に寄った三太夫に小声で耳打ちした。

考え過ぎかもしれない。

下手すれば全滅の大博打だ。

だが、成功する可能性は充分に存在する。

一刻も早く長宗我部、三好と同盟を結ぶ必要性が出てきた。安国寺恵瓊に邪魔立てされていなければよいが。

 

 

 

 

 

◼︎

 

 

 

 

 

二月十八日、巳の刻。

出雲国を平定した小早川隆景率いる13000の軍勢は猛吹雪に遭い、自然には敵わないと達観して今日から予定していた伯耆攻めを中止した。

因幡にて決起した反尼子勢も足止めを食らっている事だろう。備前を縦横無尽に駆け回る宇喜多勢は日に日に尼子家の占領地域を暴食していく。

 

「既に尼子家は貪られるだけの存在。宇喜多勢に美作を奪われる前に、何としても伯耆を平定しなければ」

 

流石は名門、尼子家。

出雲を失っても頑固に抵抗を続けている。

だが、内側の結束を崩す算段は幾らでもあった。

吹雪が止めば伯耆に攻め込む。

一ヶ月も調略に時間を掛けた。成果は上々だ。

一息にて尼子家を潰してくれると鼻息を粗くする隆景だった。

 

「隆景様」

 

吹き荒れる吹雪を見上げていると、唐突に背後から名前を呼ばれた。

気配は皆無。近付いた音すら絶無。

凄腕の忍だと判断した。

何しろ意図的に声も変えている節も見受けられた。

 

「何奴?」

「世鬼政親に御座りまする」

「わざわざ怪しまれることをしないように」

「これが忍の性でありまする故。平にご容赦を」

「それで、何かありましたか?」

「はっ。昨夜未明、甘木にて小競り合いが発生した模様。島津、毛利共に二百ほどの死傷者を出した由に御座りまする」

 

報告を耳にした隆景は目を閉じた。

毛利元就が着手するであろう策を考える。

今回の小競り合いは、恐らく士気の低下を嫌ったもの。若しくは同盟を結んだばかりの秋月種実が武功を欲しがって突出してしまったのか。

島津兵は精強である。

一筋縄で崩せないと知っている。

だが、毛利元就が軍配を振るっていても尚、毛利勢に二百ほどの損害を与えるとは。島津勢恐るべしと云えた。

 

「状況の変化は?」

「特にありませぬ。島津勢は光明寺にまで退きました。殿も太平山の麓に陣を構えたまま。依然として膠着状態が続くと思われまする」

 

隆景は得心がいったように首を縦に振った。

 

「一戦にて打ち破れませんか。となれば、前々から進めていた策を実行するしかありませんね」

「はっ。その事について、殿から変更が御座りまする」

「変更?」

「御意。九州戦線の勝敗は隆景様の手に委ねられたも同然でありましょう」

 

 

 

 

 

◼︎

 

 

 

 

 

二月十八日、申の刻。

軍議の呼集から一刻が経過した。

毛利と秋月両家の家臣たちは揃って一堂に会したが、秋月種実だけは姿を現さなかった。否、昨夜未明に起きた戦闘で受けた傷が芳しくなく、軍議への臨席を控えざるを得なかったのが正解と云えよう。

元々力関係から、毛利勢の発言力が大きかった。

だが、秋月種実が軍議に参加できない現状、天秤模様は一気に傾く。毛利家が主導権を握るように全軍の方針を固められ、秋月家はそれに従わざるを得なくなった。

 

「秋月家の皆々様、昨夜の強襲で理解致しましたな。島津勢を打ち負かすには一筋縄でいかぬ。鉄砲が使えずとも彼らは精強。弱卒などと夢にも思い為さるな」

 

宍戸隆家の発言に、秋月家臣は力なく項垂れる。

何を隠そう、昨夜未明に行われた島津軍への夜襲は秋月家独断による物。仕掛ける直前になってから毛利家に通達するという有様だった。

理由は三つある。

一つは島津軍との兵力差が3000に増えたから。

一つは雨のお蔭で鉄砲が使い物にならなくなるから。

一つは先日の軍議で毛利元就から小馬鹿にされたから。

逸りに逸って突出してしまう。

夜襲を読んでいた島津の伏兵に逆襲され、秋月種実は腕と脚に負傷。痛みから馬からも転がり落ちてしまい、最早此処までかとなった時、吉川元春の救援によって一命を取り留める事に成功した。

 

「殿、島津勢は甘木に退きましたが」

「構わぬ。奴らも昨夜の奇襲は小競り合いだと認識していよう。警戒を怠らず、常に監視の目を光らせておけばよい」

「御意」

 

吉見正頼が恭しく頭を下げた。

既に秋月家へ意見を聞く事もない。

淡々と軍議が進んでいく。

吉川元春が冷めた表情で床机に腰掛けているのと裏腹に、毛利元就は心の底から嬉しそうに破顔して膝を打った。

 

「島津忠棟は強かよ。奇襲夜襲は通用せぬ。儂の蠢動にも即時対応する様は若人の域を超えておるな。正面からの攻略は下策じゃ。後方を撹乱する他あるまいて」

「では、殿の策を実行に移されるのですな?」

「既に隆景には政親を送ってある。三段構えよ」

「隆景が来るんだったら成功しそうだね」

 

一の矢、二の矢、三の矢。

既に全ての布石は打たれてある。

後は島津家の対応次第だが果たしてどうなる事やら。

 

 

 

「鎌田政広に遣いを出せ。謀反を起こすは今ぞ」

 

 

 

鋭い声音が軍議の間を走り抜けた。








本日の要点。

1、兼定「家臣に追放されたなう」


2、忠棟「謀神様のブレーキぶっ壊れてね?(恐怖)」


3、隆景「輝元が馬鹿だからね仕方ないね(憐れみの視線)」


4、政広「親父の仇だぁぁぁああああ(エコー)」

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