島津飛翔記   作:慶伊徹

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四十九話 島津義久との会話

 

四月二十九日、未の刻。

隈本城に帰還してから三日経過した。

松永久秀と密談し、安国寺恵瓊と交渉し、三好長慶と会談し、足利義栄に謁見するという七難八苦顔負けの苦行を成し遂げた俺に待っていたのは見上げるほど溜まっている仕事の山だった。

島津家当主である義久は世継ぎを身籠っている。

無理させられない。心身に苦痛を与えるなど言語道断。

故に島津家当主代行も兼ねることになった俺こと島津忠棟は、終わらせても直ぐに追加される仕事を一心不乱に片付けていった。

島津家の領土は十ヶ国だ。

南から薩摩、大隅、日向、肥後、肥前、筑後、筑前、豊後、豊前、そして本州の足掛かりとなるであろう長門。全ての守護に任じられた義久は、民から十州様と呼ばれたりされている。

三年前まで薩摩一国だったとは到底信じられない膨張振り。だからこそ文官が足りず、俺や歳久様に掛かる負担が大きいままな訳だけど。

 

「…………」

 

今思えば、三好家の申し出は有り難かった。

周防まで奪えたら御の字だったがそれはそれ。長門を譲り受けた事で関門海峡は完全に島津の領海となった上、本州へ兵を進めるのも容易いから良しとする。

当時の島津家は問題を抱えていた。急激すぎる領土の拡張により、平定した土地の把握すら十全に成されていなかった事である。何しろ一ヶ月で三国占領し、もう一ヶ月で二国も増やした。石高にすれば百五十万石を三ヶ月足らずで接収したという事。人が足りなくなるのも自明の理。周防、もしくは安芸までが島津家の攻勢限界地点だったのだ。

いや、人が足りないのは今も同じなんだけどね。

 

「どうしたの、源太くん?」

 

何はともあれ--。

島津家宰相専用の書院を埋め尽くした仕事の山を捌き終えた俺は、ふらつく身体に鞭を打って、義久の部屋に転がり込んだ。

突然の訪問である。迷惑だろうが我慢してくれ。

今の俺に必要なのは義久成分なのだから。

顔を見るだけで心が癒されていく。

特に何度も何度も口論を交わした女郎蜘蛛、さながら毒婦、もとい松永久秀に汚された心身が清められていった。

 

「もしかして緊急の用事?」

 

小首を傾げた島津義久。

初めて会った日から十年。

二十二歳の今でも童女のような仕草を見せる。

おっとりした部分は変わっていない。きめ細かそうな麗しい長髪も、爛々と輝く紅い垂れ目も、三洲一と名高い美貌すらも色褪せていない。

そんな当たり前の事が何故か酷く嬉しくて、俺は思わず漏れた笑みを携えながら答えた。

 

「何も無いよ。少し義久の顔が見たくてな」

「あらあら〜、嬉しいわ。此処に座って、ね」

 

義久はトントン、と隣の畳を叩く。

 

「良いのか?」

「勿論。疲れた夫を追い出す妻はいないわ〜」

「ありがとう。お言葉に甘えさせて貰おうかな」

 

勧められるがまま、俺は義久の隣に腰掛けた。

直ぐに女中がお茶を持ってくる。

疲れた身体を癒す義久の匂い。そして臓腑に行き渡るお茶の潤いによって、俺は漸く一息つけた。

 

「御免ね、源太くん。疲れてるでしょう?」

「少しだけだ。義久は気にしなくていい。軌道に乗れば楽になるはずだ。それまでは俺と歳久様が頑張るさ」

 

既に論功行賞は済んでいる。

九州平定に尽力してくれた島津家譜代の家臣は当然ながら、外様ながら武功を挙げた者、また事前に約定を交わしていた者などに新たな領地を与えた。

禄も充分に増やした。それでも有り余っている。

長門も含めれば石高にして約二百七十万石。史実で比較すれば関八州に移された徳川家康よりも大きいのだ。

薩摩、大隅、日向、肥後の四国でも人が足りていると言えなかった。にも関わらず、今では十国も拝領している。人が足りるようになるまで時間が掛かるだろうな。

 

「そう。無理しないでね、源太くん」

「義久の方こそ」

「私は大丈夫よ〜」

「どうだか。内城の時だって何も無いところで躓きそうになってただろ、義久は」

「もう。それは昔の話でしょ〜」

 

義久は頬を膨らませた。

俺の嫁が可愛すぎる件について。

優しくて、世話好きで、何より美人。

料理は死ぬほど不味い。もはや生物兵器。

それでもお釣りが来る。俺の自慢の嫁である。

 

「そういえば、源太くん」

「なに?」

「毛利家は潰さないのかしら?」

 

明日の天気を尋ねるような雰囲気である。

口調も平時と変わらない。内容は過激だけど。

 

「今は潰さない。いや、潰せなくなった」

「幕府の面子かしら?」

「そうだ。長門を譲られて、義久も十国の太守として認められた。毛利家と争う大義名分が無くなった今、幕府の面子を潰してまで攻め込んでも得られるものは少ないからな」

 

事実上、毛利家は三好家の影響下に置かれた。

備前備中の守護に任じられた宇喜多家も親三好勢力の一員と云える。更に河野家すらも毛利を通じて扱うとなれば厄介至極だ。

駄目押しとして未だに三好長慶が存命している現状だと、仮に幕府の意向に逆らって、四家と全面的に争ったとしても容易に決着など付かないと予測できる。

長引く対陣は国力を低下させる。島津家然り、三好家然り。結果として織田家が漁夫の利を得る事は明白だった。

 

「やっぱりそうなのね」

 

義久は残念そうに呟いた。

無論、原因はわかっている。

二ヶ月前、毛利家の九州北部侵攻に呼応した島津義久に対する謀叛者。鎌田政広を筆頭とした奴らは毛利勢の援軍と共に志布志城を囲んだ。

だが、速攻の進軍を持って出鼻をくじいた義久と忠久の軍勢で蹴散らした。種子島恵時、年配の武将を内応者として潜入させていたからこそ可能な鎮圧劇だった。

 

「腐っても将軍、形骸化しても幕府は幕府。それなりに影響力はあるさ。顔に泥を塗って敵対するよりも、今はまだ従っていた方が良い程度には権威も残っている」

 

いずれ潰す。

足利家に戦国の世を正す力は無い。

武家の棟梁として、朝廷の庇護者として不適格。

時代に呑まれた名門は滅びるしかないだろう。最適なのは信長に幕府滅亡の汚名を引き受けてもらう事だが、果たして上手くいくのか。

 

「直茂も同じことを言ってたわ」

「歯痒いかもしれないが、二年は動かないつもりだ。先ずは九州の足場を盤石な物にする。畿内が荒れてから山陽地方を制圧していく予定だ」

「山陰はどうするの?」

「今のままなら尼子家に任せようかなと」

「大丈夫かしら?」

 

心配そうに眉を顰める義久。

俺は肩を竦めてから大丈夫だと頷いた。

尼子家は本拠地である出雲国を取り戻した。更に伯耆、因幡、美作も領有していて、石高としては六十万石程度。毛利家の侵攻にも耐えられるぐらいの国力は有している。

さりとて恐らく数年は軍事的行動を取れない。長年に渡る毛利家との合戦により、領内が著しく疲弊している。崩れた足場を盤石なものにする必要があるだろう。石見国に攻め込んだ所で、また因幡が反旗を翻す可能性とて零では無いのだから。

畿内から帰る最中、美作で尼子義久に挨拶。今後のことを話し合った。二、三年は大人しく内政に励むとのこと。愚鈍には見えなかった。相手が悪かったな。毛利元就の次は小早川隆景。俺でも発狂する。良く耐えたと思う。

山中鹿介は見目麗しい姫武将だった。いずれ我に七難八苦を与え給えと言うのだろうか。絵面的に拙いのではと考えたが、今に始まった事ではないので比較的驚かずに流した。諦めたとか言うな。

 

「山陽から畿内に攻め込むのね?」

「長門を保有したからな。問題ない」

「四国はどうするの」

「長宗我部との交渉次第だ。河野の件で、元親殿とて伊予国に迂闊に手を出せなくなったからな」

 

毛利家の弱体化。三好家の影響力拡大。

これら二つの事象から、河野家は三好家の傘下となった。三好長慶の意思に逆らえない。謂わば属国だ。

伊予国単独ならば元親も張り切って攻め掛かったに違いない。だが、河野家の背後には毛利家と三好家が存在する。長宗我部家の国力だと押し潰されるのがオチだろう。むしろ土佐に侵攻されないように上手く立ち回る必要が出てきた。

元から昵懇の間柄だった島津家に使者を送ってきたのも、畿内で動乱が起きるまで、どうにかして生き残ろうとしているからだ。

 

「つまり、何処も動けないのね」

「奇妙な力関係が生まれたからな。雁字搦めだ」

「私たちが無理に動いたら他家が漁夫の利を得る。そういう事なのね」

「今は領国の発展に励んで、畿内に隙が生まれてから山陽を奪う。それまで調略はやり放題だからな。九州を平定するよりも楽にこなせる筈だ」

 

大義名分が無いのなら作ってしまう。

幸いに毛利家、宇喜多家共に家臣団の結束は充分な物と言えない。特に毛利家は吉川元春と安国寺恵瓊の内部争いが深刻化していると聞く。崩し放題だ。安芸国では一向一揆の気配すら現れ始めているらしい。毛利輝元からしてみればまさしく踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂だよな、こうなると。

何はともあれ--。

最近は戦続きの日々だった。

義久とて気の休まる暇など無かっただろう。

少しだけ戦から離れよう。

戦国武将として領国を富ませるのは立派な職務だからな。

 

「やっぱり長門に城を作るのかしら?」

「当然作る。後は博多にも城を建てる予定だ」

「博多にも」

「あの地域は他家の匂いがあり過ぎるからな。島津の物になったのだと領民にも分からせる必要がある」

 

城造り、町作りは黒田親子を真似する。

史実だと『福岡城』と名付けられる巨城だ。

博多を望む警固村福崎の丘陵地に築く予定だとすると名称は『福崎城』になるのか。いっそのこと地名を改めてもいいかもしれない。

義久が口許に手をやって、クスクスと笑った。

 

「源太くんの事だもの。完成したらそのお城を本拠地にするつもりなんでしょう?」

「ああ。九州と中国地方を見渡せるからな。長門まで手に入れた今、内城はおろか隈本城でも咄嗟の対応に遅れてしまう。義久は反対か?」

「ううん。どんなお城になるのか、楽しみだわ」

 

ねぇ、と微笑みながらお腹を摩る義久。

我が子が産まれるのを待ちわびる母親の姿。

一ヶ月前、義久は謀叛した者を根切りにした。

罵倒を受け入れ、切腹も許さず、寒気すら感じさせる冷徹な表情で斬首した。普段は菩薩の如く柔らかい人柄だが、胸の内に隠した一匹の鬼も見事に飼い慣らしている。

これが君主、これが天下を治める器。

改めて俺には無理な役柄だと確信した。

義久の下で采配を振るう方が性に合っている。

 

「義久は子供を産むまで安静にな」

「源太くんも無茶したら駄目よ」

「さっきも聞いたって。心配しすぎだ、義久は」

「そうかしら〜」

 

頬に手を当てて惚ける義久が可笑しかった。

取り立てて意味のない会話を繰り返す。十年の付き合いだ。義久の好きな話題も把握している。一刻ほど妻と戯れた俺は、お茶を飲み干してから部屋を後にした。

飯盛山城の時と違い、星空は鳴りを潜めている。

曇天だ。月は見えない。薄暗い隈本城内を歩く。

 

「琉球をどうするか、考えておかないとな」

 

織田と三好が争うまでの猶予期間。

有効活用しない手はない。富国強兵の時期だ。

楽市楽座、関所撤廃、目録の制定、枡の統一。内政面に於いてやるべき事など山のようにある。西国が安定している今の内に済ませておくに限る厄介な改革案ばかり。琉球に対する案もその一つであった。

幕府からの許可も既に得ている。

琉球王朝と明の出方次第だな。厄介ごとはなくならない。

それでも九州平定は天下統一への確かな一歩だ。

島津義久を武家の棟梁とする為にも、俺は足早に書院へ戻るのだった。

 

 

 

 

 

◼︎

 

 

 

 

 

五月一日、卯の刻。

岐阜城と改められた旧稲葉山城の一角。今孔明という異名を誇る『竹中半兵衛』に与えられた屋敷内にて、活発そうな少女が茶髪を左右に揺らしながら心底楽しそうに笑った。

 

「半兵衛ちゃん、久し振りだねー!」

「痛い、痛いです官兵衛ちゃん。振り回すのは辞めてください。半兵衛さんはこのまま死んでしまいそうですぅ」

「あわわわわわ。ご、御免ね半兵衛ちゃん!」

 

喜びの余りに親友を振り回した茶髪の少女は、可愛らしい断末魔を呟きながら口から魂のような物を吐く竹中半兵衛に拝み倒した。

何度も御免ねと謝る。

九死に一生を得ましたと項垂れる半兵衛。

茶髪の少女は大袈裟だなぁと改めて破顔した。

 

「二年ぶり、かな?」

「二年と五ヶ月ぶりでしょうか。わざわざ美濃までお越し頂いて、半兵衛さんは凄く嬉しいです」

「半兵衛ちゃんから助けて欲しいって手紙が来たんだから、家族の反対も押し切ってすっ飛んできたよ!」

 

えへん、と胸を張る少女。

背丈は半兵衛と変わりない。

共に十七歳と年齢も同じである。

 

「成る程ー。だからこんなに早く美濃まで。官兵衛ちゃんのご家族には申し訳ないことをしてしまいましたねー」

「大丈夫だって。利高もいるんだから!」

「そういう問題でも無いような気がしますが、官兵衛ちゃんが良いのなら構いません。半兵衛さんとしては、官兵衛ちゃんが来てくださっただけで大助かりですから」

 

儚げな印象を持つ竹中半兵衛が笑顔を浮かべる。

安心感からか、久しぶりに体調も良くなった気がする。

何しろこの一年、織田信長の無茶振りに全て応えたのだ。心身に疲れが溜まるのも至極当然。親友である官兵衛に助けを求めた理由の一つでもあった。

 

「あはは、だと良いんだけど。でもでも、半兵衛ちゃんってまた有名になったよね。親友として鼻が高いよー」

 

織田家の美濃侵攻。

史実よりも七年早い平定は、半兵衛の軍略があったからである。瞬く間に美濃南部を支配下に治めた上、調略をもって美濃北部も占領。尾張と合わせると、織田家は百万石を超える大大名へ成長した。

 

「私よりも有名になった方がおられますよー」

「島津忠棟でしょ。今士元とか呼ばれてる奴。あたしとしても興味あるけど、何だか完璧そうな人間で苦手かなぁ」

「そうなのですか?」

「だってさー。謀神に戦で勝ったんだよ。西国一の弓取りで示現流とかの開祖らしいし、島津家領内が発展したのも今士元の手腕だって聞くもん」

「付け入る隙が見当たりませんねぇ」

「でしょー」

 

親友が後ろ頭で手を組んだ。

 

「謀略、軍略、政略、全てに精通してるとか反則だよ反則。どんな超人だっての。まぁだからこそ倒しがいがあるんだけどさー」

 

九州平定を成し遂げた島津家宰相。

改めて成し遂げた出来事を羅列してみると、確かに官兵衛が嘆くほど厄介な御仁だと半兵衛は思った。統率、武勇、知略、政治。もしも数値化するなら全てが高水準に収まっている事だろう。

 

「正直な話をすると、島津家の前に三好家すらも一筋縄にいかない大大名です。勝てる可能性も低いでしょう。半兵衛さん一人だと手に余ります」

「だからあたしを呼んだんだよね?」

「はい。信長様にも話は通してありますから」

「了解、任せてよ半兵衛ちゃん」

 

ドン、と自らの胸を叩く少女。

力加減を間違ったのか、ゴホゴホと咽せる。

半兵衛はそれを生暖かい視線で見守る事にした。

ドジっ子のような一面もあるが、彼女は今孔明が認めた智慧者である。軍略家としてなら今士元にも劣っていない。

 

「あたし、黒田官兵衛と半兵衛ちゃんがいるなら問題ないって。三好家も島津家も倒して、織田家の天下を作ってやるんだから!」

「おぉー」

「二人合わせて、両兵衛ね!」

「おぉー!」

 

拍手すると、官兵衛は照れるなぁと頬を染めた。

微笑ましい光景に口許を緩ませながら、竹中半兵衛は遥か彼方にいる強敵の姿を思い浮かべた。話をしたこともなく、顔も見たことはない。それでもわかる。わかってしまう。

島津忠棟こそ、我が生涯の好敵手なのだと。

 

「頑張りましょう、官兵衛ちゃん」

「うん。島津忠棟の鼻を明かしてやろう!」

 

二人は意気揚々と誓い合った。

後世にて、織田信長が躍進する原動力になったとも伝えられる二人の軍師、両兵衛の始まりでもあった。

 

 







本日の要点。


1、忠棟「メシマズでも嫁は可愛い(確信)」


2、義久「久秀殿から文が来てたわね、そういえば」


3、官兵衛「今士元って武勇とかも凄いんだろうなぁ」←勘違い。


4、半兵衛「女性の扱いも上手いと聞いていますよー」←勘違い。



❇︎悲報「次の乗船日が差し迫っている模様」



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