島津飛翔記   作:慶伊徹

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六章 肝付兼続への情報

 

島津貴久が娘の成長に咽び泣いている頃。

薩摩の隣国——『大隈』の大部分を支配下に治める『肝付兼続』は自室に篭り、一人で頭を悩ませていた。

史実に於いても肝付家の最大判図を創り上げた知勇兼備の将として、家臣たちからの信頼も厚い『大隈の雄』である。

日向南部にも手を伸ばしつつある現状、兼続が危惧するのは薩摩にて飛躍する島津家の存在だった。まさに目の上のたんこぶだ。

反島津連合とも呼べる蒲生氏と祁答院氏を岩剣城の合戦にて下し、その残党勢力も五月の遠征にて見事叩き潰してみせた。

これによって薩摩国では島津貴久に従わない勢力も消えたことにより、奴らの今後の目的は大隈、もしくは日向の平定だと容易に予想できる。

加えて掻き集めた情報によれば鹿児島港と坊津の拡張に勤しんでいるらしい。大量の船が集まり、さながら貿易の中継地として進化しつつある隣国の港を家臣たちが羨ましげに見つめていた時は柄にもなく吼えてしまった。

 

「しかし、な」

 

兼続は手にした扇子を開いては閉じる。

突如として行われた発展。

前々から準備していたのだと思う。

それでも卓越した智慧者の存在なければ、準備期間に蓄えた材料を効果的に扱うことは出来ないだろう。

つまりは、背後に策士がいるということだ。

そうなると一体誰が裏で献策しているのか。

島津四姉妹の誰かか。

いや、彼女たちは長女の義久ですら16歳の小娘である。四女の家久など11歳の子供。如何に有能であろうとも限度がある。あり得ない。

考えられるのは伊集院忠朗か。

先代の島津忠良から仕え、薩摩平定に貢献した智慧者。武を誇るよりも策を巡らす智謀の士だと聞き及んでいる。十分にあり得る。

だが此度の発展は唐突であった。

その全てが伊集院忠朗一人の発想だとでもいうのか。

兼続は悪い夢と一笑する。まるで妄想だ。

現実的な答えとしては数人の者たちが偶然にも有効な献策を行い、それが偶然にも合致した結果、この飛躍に繋がったのだろう。

島津にとっては祝着の極み。

肝付にとっては悪夢の到来。

どちらにせよ、と頭を振る兼続。

 

「このままでは拙い、か」

 

現在、島津家と肝付家は友好的だ。

島津家は薩摩の安定を図る為に東の脅威を無くそうとして、肝付家は大隈全土に影響力を及ぼす為に西からの侵攻を無くそうとした。

その結果として両家は同盟を結ぶ。

忠良の娘が兼続に嫁ぎ、兼続の妹は忠将の嫁となった。いわゆる『婚姻同盟』である。

婚姻による同盟は戦国時代の常であり、姫武者でなければ御家の為に政略結婚に使われるのが女性の避けられぬ定めでもあった。

こうして両家は手を取り合い、早くも8年の月日が流れ、同盟の狙い通りにそれぞれ薩摩と大隈の平定に成功。

ならば次の目的を見出さなければならない。

島津家は三州平定の悲願の為に。

肝付家は南九州による覇権の為に。

どちらも互いの領土を狙い始めている。

同盟相手だろうが関係ない。

世は戦国。

弱肉強食、権謀術数、勇往邁進。

様々な四字熟語で表現できる時代だ。

そして口にするのは皆同じ。

勝てば官軍。御家の為に裏切りも働く。

だから肝付兼続は唇を噛むのだ。

これ以上、島津家に力を蓄えさせたら肝付家は抵抗できずに飲まれてしまう。

 

「それはならぬ」

 

一刀の下に不穏な未来を両断する兼続。

肝付家と島津家の国力に大きな差はない。

まだ、という仮定が付くが。

それでも今は互角に戦えるだろう。

むしろ工作、謀略、調略を駆使すれば互角以上に争えるかもしれない。何しろ、こちらには日向の大部分に勢力を待つ伊東氏が付いている。場合によっては相良氏も巻き込める。

であるならば——。

兵数、地理、外交の3つ。

いずれをもってしても肝付家に敗北は有り得ない。家臣の質も劣っていない自信がある。

間違い無くここで動くのが得策である。

家臣の一部も即時開戦を催促してくる始末。

それでも兼続には漠然とした不安があった。

 

「この心の臓に刺さった棘は馬鹿にできぬ」

 

様々な死地を乗り切った兼続は、心に突き刺さる説明不要な棘の有用性を理解している。

理由のわからない漠然とした不安。

それは一考する価値がある第六感だ。

こういう時に判断を誤ってしまえば戦国乱世の波に飲まれてしまう。

本能的にわかる。

だからこそ兼続は肝付家の最大判図を築くことができた。

時に巧遅を選ぶのも正解なのだ。

今回はどちらか。

巧遅拙速。どちらを選ぶべきか。

高山城に座しているだけでは判断できない。

情報不足。この一言に尽きた。

故に待った。先日雇った新たな人間を。

但し、忍の技を持つ下賤な輩である。

彼らは武士階級でもなければ、足軽以下の扱いを受けて当然な汚れた存在と言えよう。

兼続とて完全に信用している訳ではない。

だがその技術は確かだった。

伊賀に於いても数少ない上忍として君臨していたらしい。有能な忍だから雇い、一ヶ月ほど薩摩国内部に潜伏させておいた。

そして今日戻ってくる約束。

何を聞き、何を見て、どんな情報を得たか。

それらを統合して判断しよう。

瞑目したまま思考を纏め上げた兼続は満足気に頷いて、忍の帰還を待つ為に一度厠へ行こうかと立ち上がった。

瞬間——。

それを見計らったのか、音も無く現れた凄腕の忍が軽い口調で帰還の意を伝えた。

 

 

「旦那ー。無事に帰ってきたよー」

 

 

忍装束に身を包んだ軽薄そうな青年。

長い人生を歩んだ翁を彷彿させる白髪を乱雑に切り揃えている。見るからに怪しく、また武芸を嗜んだ者ならわかる凄腕特有の隙の無さを両立させる不思議な男であった。

彼の名前は『百地三太夫』。

わざわざ肝付兼続に自薦し、そして自らを薦めるに余りある忍の技を披露した結果、こうして金で雇われて仕事をこなしたのだった。

 

「百地、何度口にすればわかるのだ。貴様はこの肝付兼続に雇われた身であるぞ。それ相応の態度があろうに」

 

無礼にも程があると兼続は叫ぶ。

如何に金の関係であろうとも最低限の礼儀は必要だ。まさに常識。正論であった。

だが三太夫は顔を顰めて頭を掻く。

 

「えー。オレ、そういうの苦手なんだよね」

「苦手であろうとも身分の違いだ。温厚な某だからこそ許されているだけぞ。今後は気を付けよ。よいな?」

「了解っス。以後気をつけまっス」

 

兼続のこめかみに青筋が浮かぶ。

この礼儀知らずな若者に、無礼を働けばどうなるか身を持って思い知らせてやろうか。

どす黒い雰囲気を醸し出すも、この忍の無礼千万は今に始まった事ではないと沈思する。

40歳目前の兼続は大きく深呼吸して怒りを鎮めた。

 

「——まぁ良い。それで?」

 

見事なまでに大人の対応だった。

どうやら三太夫に届いていなかったけど。

厠へ赴くのは後からでいいと判断して再び腰掛ける兼続を尻目に、帰還したばかりの忍は襖の柱に体重を預けて立ったまま小首を傾げた。

 

「ん?」

「報告を聞こうか。薩摩はどうであった?」

「そうっスねぇ。何から話したものやら。色々あったからなぁ」

「では、某の問いに答えよ」

「いいっスね。それで行きましょうか」

 

やっと話が進められると胸を撫で下ろす。

ホッと一安心すると共に疲れが押し寄せた。

既に精神的な疲労を感じた兼続だったが、薩摩の内情を知るためだと三太夫へめげずに問いかける。

 

「坊津は如何だ?」

「日に日に活気付いてるよ。堺を見たことあるオレだからあんまり驚かないけど、このまま行けば博多に並ぶ巨大な港町になると思うっス。船の数だけならもう博多並みかなぁ。元々天然の良港だからね」

「左様か。鹿児島港は?」

「坊津より活気は低い。町人の熱気もそこまでかな。どうやら国人衆と一悶着あったみたい。水軍の発足も無期限で先延ばしになるらしいっスよ」

「国人衆と?」

「まぁ、噂だけど。税の増減に関することみたいっスねぇ。どうやら島津家が横暴なやり口で迫ったらしくて。これを調べるのは中々に恐ろしかったっスよ」

「であるか。結構なことよ」

 

坊津の発展は食い止められないか。

恐らく島津忠良の手腕によるものだ。

その手違いに狂いが生じるとは思えない。

それでも——。

鹿児島港で起きている島津家と国人衆の争いは肝付家にとって朗報だ。水軍の発足も先延ばしになるのは諸手を挙げて喜べる知らせ。事実、兼続は扇子で膝を叩き、屈託の無い笑みを浮かべた。

島津家の勃興を阻害できるのなら、今すぐにでも彼らに反発している国人衆に接触を図るべきか。いや、もし発覚してしまったら相手に大隈平定の大義名分を与えることになる。むしろ割に合わないか。

そんな物思いに沈む兼続を現実に呼び戻すように三太夫は悲痛な面持ちで報告を続けた。

 

「砂糖に関してはお手上げっスね。奴らも最重要視してるのか、どこで製造しているかも掴めなかったんだよな。完全な極秘事項でさー。オレも参ったよ」

「致し方無し。我らの忍も砂糖については何の情報も得られずじまいよ」

 

肝付家も砂糖製造に参加したい。

その為には製造方法を知る必要がある。

数多の忍を用いて情報を集めようとしても、砂糖に関してだけは一欠片の情報も漏れることはなかった。

砂糖が切り札になると確信しているようだ。

島津家の家中でも完全な製造方法を知る者は少ないと聞いた。大した徹底ぶりである。

 

「後は何だっけ?」

「千歯扱きとやらについては如何した?」

「それについては問題なく。採寸まで図ってきたから複製も難なく可能だと思うよ。アレを発明した人は天才だね、うん」

「敵を褒めてどうする。恥を知れ」

「オレ、旦那に雇われてるだけなんだけど」

 

思わず罵倒してしまった。

三太夫の反論を無視しながら兼続は思った。

手際の良さは認めざるを得ないなと。

坊津の実情と鹿児島港の情報。

それに加えて復元可能な千歯扱きの採寸。

これらを一月で調べ上げたのだ。

やはり百地三太夫は優秀な忍である。

こうなっては致し方ない。

今後は島津家に刃を向けるのだ。

優秀な人材は幾ら居ても足りない事はない。

例え野盗崩れな忍であろうとも、大いなる慈悲の心で許してやるべきであろう。

 

「ふん。光栄に思え」

「?」

 

脈絡の無い展開に目を見開く三太夫に対し、大隈を代表する大名の兼続は尊大な態度のまま続けた。

 

「貴様を本格的に登用してやろうと言っているのだ。貴様の齎した情報は、我らの用いる忍全員が掴んできた総量よりも多い。出で立ちはともかく、稀に見る有能な忍よ」

 

忍が大名家に仕える。

それは彼らにとって青天の霹靂だ。

足軽以下の存在が人に認められたことと同義なのだから、思わぬ救いの手に滂沱の涙を流し、永遠の忠誠を誓うべき申し出であろう。

 

「あー、そいつは有難いんだけどね」

 

にも関わらず、だ。

三太夫は困ったように頬を掻いた。

喜色を孕んだ表情すら浮かべていない。

 

「なんだ?」

「オレ、誰かに登用されるとかはちょっと」

「ほう。貴様はただ雇われるだけで満足と申すか。この肝付兼続の登用を足蹴りにするとは、たかだか忍の分際で無礼であるぞ!」

 

ここまで激昂したのは久しぶりだった。

憤怒に駆られて立ち上がる。腰に差してある刀を抜き放ち、切っ先を三太夫に向けた。

若干の衰えを感じ始めたと言え、兼続は知勇兼備な将として名を馳せた武将である。凄腕とは言えど若い忍を一刀両断することぐらい文字通り朝飯前だった。

 

「いやいや、怒らす気とかないって。旦那ってば落ち着いて。もう一つ、旦那の為になる情報を持ってきたんだからさ!」

 

明確な殺気と達人の抜刀に命の危険を感じたのか、三太夫は顔の前で両手を振り、懸命に兼続の怒りを鎮めようと口を動かした。

 

「それは……?」

「旦那さ、言ってたじゃん。砂糖の製造や千歯扱きの発明、港の拡張とかを誰が思い付いたんだろうって」

「確かに申したな。もしや判明したのか?」

「うん。どうもね、全部14歳の子供らしいよ」

「あ?」

 

凄い声が出た、と兼続本人ですら思った。

信じがたい情報の開示に、思わず三太夫に詰め寄る。殺気と刀の切っ先を向けたままだ。

当然の如く後ずさる三太夫。

彼は両手を天井に向けたまま再度言った。

 

「だから14歳の子供。餓鬼。小僧だって」

「ば、莫迦を申すでない!」

「ホントホント。オレも驚いたけどね」

「では何か。島津家の飛躍はその小僧によるものだとでも言うのか!」

「うん」

 

僅か数刻前にあり得ないと断じたばかりだ。

妄想だと嘲笑い、悪夢だと切り捨てた答えを軽く凌駕する現実に、兼続ですら数瞬だけ思考が麻痺してしまった。

伊集院忠朗ならまだわかる。

もしくは彼の息子である忠倉や島津四姉妹の献策によるものなら、兼続は大いにその才能を警戒していたことだろう。

だが、正解は14歳の小僧だった。

兼続からしてみたら笑うしかなかった。

 

「島津貴久め、耄碌したな!」

 

罵倒する。

 

「実績も何も無い小僧の献策を受け入れるなど。それも14歳とは馬鹿馬鹿しい。薩摩の平定を成し遂げた際に脳味噌をどこかへ捨ててきてしまったか!」

 

兼続は貴久を好敵手として認めていた。

何しろ長年に渡って繰り広げられた島津宗家と分家の争いに終止符を打ち、薩摩の争乱を納め、遂には反島津の北薩地域を鎧袖一触したのだ。その才能を高く評価していた。

だが現実は残酷だった。

薩摩平定で英気を失ってしまったか。

それとも最初から飾り物の当主だったか。

どちらにしても兼続の認めた好敵手はいなくなったも同然だ。笑ってしまったのはごく自然なことだったのかもしれない。

更に三太夫は確信的な情報を口にした。

 

「坊津についてだけど、国人衆の一揆がありそうだよ。砂糖も質が悪くて評判悪いしね」

「……なんだと?」

「後、島津義久についてだけどね。必ずしも優秀じゃないみたい。島津貴久は溺愛してるみたいだけど、島津家家中だと次女を次期当主に押そうとしてるらしくて——」

「血で血を洗う家督争いに発展するか」

 

島津義久と島津義弘の家督争い。

もしも家中を二つに分けた御家騒動に発展すれば、成る程、隣国の大名として兼続にはその争いに介入する権利が生まれる。

薩摩を平定する大義名分を得ることになる。

誰もが納得する大義の下で動けば、名分の存在しない侵攻よりも戦後統治は簡単に済む筈だ。そうなると他家の小言も無視できるだろう。

加えて島津貴久の愚鈍化。

兼続は声に出して一つ一つ確認していく。

 

「忠良殿も体調を崩し気味だと聞く。貴久は耄碌したと考えて間違いない。ならば拙速に走るのは愚策か。ここは島津家に動揺が走るまで我らも富国強兵に勤しむべきだな」

「うん。オレもそう思うよ」

「意外なところから崩れたな、島津貴久よ。ふん、早速評定をせねばなるまい!」

 

小姓に対して「早急に家臣たちを集めよ、評定ぞ」と命令した兼続は己が未来を想像する。

 

「待っておれよ。お主が整理した薩摩を喰らい、某は九州全土に覇を唱えてやるぞ!」

 

声高に宣言する肝付兼続。

しかしこの時——。

様々な情報を齎した百地三太夫。

彼の口角は不自然に釣りあがっていた。

 

 

 

 

 

 

報酬を受け取った百地三太夫はまた走る。

彼は兼続から新たな密命を受けた。

薩摩内部を出鱈目な流言飛語で満たせ。

今度は長期の任務。最低二年に及ぶだろう。

恩賞は莫大だ。数年間は遊んで暮らせる。

勿論、成功したらの話だが。

大隈から薩摩へ向けて駆けていく。

自慢の健脚なら1日2日で辿り着く距離だ。風景の移ろいを尻目に今後の予定を立てる。

 

(取り敢えず、第一の目的は果たしたよな)

 

難しい任務だった、と嘆息した直後、あの人の期待には答えられた筈だと自画自賛する。

最初はどうしようかと思い悩んだものだが、終わってしまえば笑い話に出来る。

人間とは簡単な生き物だと再認識した。

 

(これで肝付家の動きを封じた)

 

最後に流した適当な嘘。

その虚偽は肝付家を縛る鎖となった。

これにより、島津家は時間を稼ぐことに成功した。金銭を蓄え、軍備を整え、武将を揃えて、まさしく好きな時に動き出すことが出来る。

 

(兼続の旦那より多く報酬を貰わないとな)

 

加世田城にて坊津の視察を行う若き天才。

島津忠良曰く『今士元』。もしくは『戦国の鳳雛』。

そしてとある理由により伊賀の里を追われ、約9ヶ月前に薩摩へ流れ着いた百地三太夫を保護してくれた恩人の中の恩人。

齢14と思えない達者な口を持つ生意気な小僧の顔を思い出しながら、三太夫は任務完了と口内で高らかに報告した。

 

(大旦那、オレはアンタが一番恐ろしいよ)

 

大旦那。つまりは伊集院掃部助忠棟。

それが、百地三太夫の本当の雇い主だった。


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