部屋にナルトを連れ込んでから十五分程が経過して流石に精神的に落ち着いた頃、今度は話題が見つからずに部屋を沈黙が包み込んでいた。
一応血に濡れた髪を拭いたり、お茶を出したりはしたのだが互いに喋り出すタイミングを計っているような状況がずっと続いているのだ。
しかしそんな俺たちの元に一人の珍しい客人が訪れることで状況は一変する。
戸を叩く音を聞き取った俺は立ち上がり、一先ず誰が来たのか確認するために玄関へと向かう。
家の玄関はのぞき窓が無い引き戸で、開けるまでは誰が来たのかしっかりと目視することは出来ないが、このまま待たせるわけにもいかないので俺は「はいはい、どちら様ですか?」と言いながら、戸に手を掛けゆっくりと開く。
するとそこに立っていたのは里の最高権力者でもある火影様が後ろ手を組んで立っているではないか。
突然の来訪に驚きつつも、まずは用件を尋ねる。
「お久しぶりですね三代目様」
「そうじゃな、まぁ半年ぶり位かの?」
「大体その位です……今日は何のご用でしょうか?
家の方の玄関に来たということは本を買いに来たわけではないのでしょうし」
「なに、ただ迎えに来ただけじゃよ……ナルトが来とるじゃろ?」
「来てますが、火影自ら向かえに来るなんて中々の待遇ですね」
「ついでにお主に話したいこともあったしの、一先ず上がってもいいかの?」
「(俺に話? 何とも嫌な予感がするな)あぁすいません、気が利きませんで……どうぞ」
三代目は俺に小さく頭を下げて家へと上がり、真っ直ぐナルトがいる居間へと歩き始めた。
ナルトがいる居間に通じる戸を開けると、下を向いていたナルトの視線がこちらを向き、三代目と俺の姿を捉える。
その目には驚きが有り有りと見え、おそらく今彼の目には三代目の姿しか映っていないだろう。
「じいちゃん?」
「ナルト帰るぞ、今日は勉強を見る日だったじゃろう?
宿題は終わっておるのか?」
「あ、忘れてた」
「そんな事じゃろうと思ったわい、少しだけ手伝ってやるから急いで家に帰るぞ」
「面倒臭いってばよ……」
そう言いながらも帰る用意を始めている所を見て素直で良い子だなという感想を抱く。
俺がこの位の歳だった頃はもっと落ち着きが無かっただろう……これを落ち着きと言っていいのか、それとも依存に近いものなのかは付き合いの短い俺には判断できないが、何にしても子供の割に色々と内に溜めてそうだ。
帰る用意と言っても何かを持ち歩いているわけでもなかったので用意は直ぐに終わり、ナルトが帰る時間となった。
二人が靴を履き、俺の方を向く。
「ナルトが世話になったのぅ、礼の代わりに今度美味い酒でも持ってくるから楽しみにしておれ」
「それは楽しみですね」
「ほれナルト、お主も礼を言わんか……世話になったんじゃろう?」
「お、おう……おっちゃん、手当てしてくれてありがとうな!」
「いや放っておけなかっただけだから、あまり気にしなくて良いよ」
「でも俺嬉しかったんだ! じいちゃん以外とあんまり話したことないし、おっちゃんが俺の事を心配してくれたっていうのが、本当に嬉しかったんだってばよ」
そう言って少し目淵に涙を溜めながら俺のことを見つめるナルトに罪悪感が溢れ出そうになる。
俺と話せてよかったと本気で喜んでいる子に対して、出来ればもう関わり合いになりたくないと思っている俺のなんと心汚いことか。
彼が物語の主人公でさえなかったのなら……養子に取ることも、イジメから匿うことも出来るというのに。
でもそれも結局言い訳にすぎない。
俺はただ自分の命の危険と彼の人生を天秤に掛けて、前者を取っただけの臆病者。
不意に情けない自分に泣きそうになるが堪え、無理矢理笑顔を作って「そうか、そう思ってくれたなら声を掛けた甲斐があるってものだね」とナルトに返す。
三代目はそんな俺を見て何かを我慢していることを見抜いた様だったが、特に口を挟むことなくナルトの頭に手を置き、それとなく帰宅を促す。
ナルトは目元を服の袖で乱暴に擦り、もう一度俺に満面の笑みを向けると「じいちゃん、競争だってばよ!」と言って走り去った。
瞬く間に小さくなっていく背中に苦笑しながら三代目も歩き始める。
だが数歩歩いたところで立ち止まり、俺の方を振り返った。
「先程言っていた話はこっちの儂と話してくれ……影分身の術」
「流石火影様、印を組む早さが尋常じゃないですね」
「お主も忍者じゃないとは思えん程早いがの」「それでは儂は今度こそ失礼するぞ」
二人の火影の内の一人が瞬身の術を使って目の前から消える。
残ったのは数枚の木の葉と俺、そして三代目の影分身体。
俺は改めて三代目の影分身を家の中へと招く。
居間に着いて座るまで共に無言……そんな中、口を開いたのはやはり彼の方だった。
「早速本題じゃが……話があると言ったが、正確には頼みがあると言った方が正しいんじゃろうな」
「頼みですか……火影様ともあろうものが一古本屋に何を「ナルトの事を頼みたい」……やっぱりですか」
何となくそんなことを言ってくる様な気がしていたんだよなぁ。
俺のシックスセンスも馬鹿に出来ないな。
三代目は俺の眼をガッツリ見ながら言葉を続ける。
「今までは何とか部下に無理を言って時間を作り、ナルトの世話をしてきたがそれも限界に近いんじゃ。
先日日向で誘拐未遂があったことはお主も知っておろう?
あの一件で部下達がピリピリしておっての……警備の見直しやら雲隠れへの対応などで一杯一杯なんじゃよ」
「それは何となく分かりますが、彼の事を頼むと言われても何をしてほしいのですか?」
「ナルトは忍者を目指しておる……故にその訓練と勉強を見てもらいたい」
「お断りさせていただきます」
これは即答せざる得ない案件だ。
綱手の弟やアンコと訓練するのとはワケが違う……色々な意味で危険が伴うのだから。
如何に三代目から頼まれようと断る以外に答えが思いつかない程俺の答えは明確だった。
俺の答えを聞いた三代目は別に落胆した雰囲気もなく、ただ淡々と理由を尋ねる。
「何故じゃ……やはり人柱力だからか?」
「違いますよ、俺が気にしているのは人柱力である彼自身の事ではなく、彼を取り巻く環境が嫌なのです」
「環境じゃと?」
「九尾に親しい者を殺された者にとって彼は恨みの矛先……おそらく彼を庇う者も彼と同じような扱いを受けるでしょう」
「そんなこと「無いとは言えないでしょう?」……そうじゃな。
確かにそれは有り得る事じゃろう」
流石に火影ともあろう者が現実的な考えが出来ないはずがない。
三代目の目の前で何かする人はいないだろうが、隠しきれない悪感情は存在する。
それを見たのならこの件において里の人に全幅の信頼を寄せるのは難しいだろう。
「なら俺の答えが変わらないことも分かっているでしょう?
それに三代目の頼みなら俺以外に受ける人もいるのではないですか?」
「……忍という職業は不定期に仕事が入り、長く帰らない事も多い。
その間あの子は一人になってしまう。
あの歳で孤独に慣れてしまうような事は避けたいんじゃ。
先程言った訓練と勉強も建前のようなもの……親代わりとまではいかなくとも、お主にナルトにとっての頼れる大人になって欲しいのじゃよ。
頼むヨミトよ、この頼み引き受けてはくれんか?」
そう言って三代目が俺に頭を下げる。
俺はその姿を見ても決心が変わる事は無く、ただ「頭を上げてください」と感情を込めずに言った。
三代目は俺の言葉で頭を上げ、俺の眼を見ると気持ちが変わっていないことに気付いたのだろう。
本当に残念そうに一瞬目線を下げたが、直ぐに表情をフラットに戻してとんでもないことを言い出した。
「こういう手はあまり使いたくなかったんじゃが仕方があるまい……お主昔儂と交わした約束を覚えておるか?」
「不老の件を話さない代わりに一度だけ力を貸すってアレですか……」
「そういうことになる……もしお主がこの件を断るなら儂は心苦しいがお主のことを人に話すだろう。
不老の原因が分かれば医療の発展に繋がるかもしれんしのぅ」
頭が真っ白になりそうになる……絶望や怒りではなく失望でだ。
別に過去にこの約束をしたことに対して後悔があるわけじゃない。
確かに俺の事を今まで黙っていてもらったのだから感謝こそあるにして恨んだりするのは筋違いだろう。
だがこういう使い方をするとは思っていなかったのだ……俺の意志を無視するための手段として使うなんて思っていなかった。
俺が勝手にそう思っていただけ……勝手に期待して勝手に幻滅しただけだ。
そこまで考えると少し投げやりな気持ちになり、これでこの人に関わるのは最後にしようと割り切ることにした。
ただそのまま全てを受け入れるわけにもいかないので、こちらからも条件を出す。
「分かりました……ただしこれで貸し借りは無しということにしてください。
それと俺にも予定というものがありますから週一くらいで勘弁してください」
「それで十分じゃ! それでは早速今週末から頼むぞ!
ナルトには儂から伝えておく。
もし誰かに何か言われたなら儂に頼まれたと言えばいいじゃろう。
それでは宜しく頼む!」
そう言い残して影分身は煙と消えた。
俺の三代目への思い込みも共に風へ溶けて消える。
今後の事を考えると不安しかないので、一先ず今日はもう眠り、全部明日から考えることに決め布団に入る……眠りにつくまで脳内でずっと「他に方法は無かったのか?」という疑問とそれに対する自答を繰り返し、結局意識を失ったのは布団に入った三時間後の事だった。