─幻想郷の端っこ、博麗神社にて。
何だか眠れなくて、縁側で月を眺めていた夜。
輝く星々と、煌々とその存在を主張する月に見下ろされているような気がして。
自分がちっぽけで、今にもこの暗闇に飲み込まれて消えてしまうんじゃないかと、訳の分からない恐怖に心が押しつぶされそうになった時。
そっと、肩に手が添えられる。
そのまま後ろに引き倒されたかと思えば、何時もの胡散臭い笑顔が視界に入った。
「…どうしたの、紫」
「それは此方の台詞よ、あんなにじいっと月なんて見て。月の魔力に飲み込まれちゃうわよ」
どこか不安げな顔に、自分が何をしていたのか知った。
あろう事か満月の日に月を見つめてしまうなんて、迂闊すぎる。
そう自嘲する頃には、もう恐怖はなかった。
「…ありがとう、紫」
「あら、霊夢がお礼を言うなんて。明日は雨ね」
紫はそう言ってクスクス笑う。
けれど直ぐに真面目な顔になって、
「でもね、本当に気をつけなくちゃ駄目よ。月もそうだけれど、貴女に危険なものは沢山あるの。だって──貴女は人間だから。」
そう言って頭を撫でる紫は、一瞬寂しそうに見えた。
それでも直ぐに何時もの顔つきに戻って、愛おしげに私を撫で続ける。
何だかむず痒くなったので、その手を振り払って、また縁側に座った。
紫もまた、私の隣に腰を下ろす。
そうして、暫しの静寂が訪れた。
不思議と、無音が心地よかった。
虫のさざめきや、木々のざわめきが聞こえては消えていく。
ただ、二人で空を見ていた。
暫くして、ふと横を見れば、紫も此方を見つめていた。
思わずどきりとしてしまう。
「……なによ」
「…ああ、御免なさい。霊夢の横顔があまりに綺麗だったから、思わず見とれちゃったわ」
「っな、あんたはまたそんなこと…」
嗚呼、何故だか心がざわつく。
頬が赤くなっているのが分かる。
紫のことなんて、なんとも思っていないはずなのに。
さっと顔を伏せて、必死に呼吸を繰り返す。
「…急にどうしたの霊夢、熱でもあるの?」
「~~~~~っなんでもない!もう寝るから!」
そう誤魔化して、紫に背を向ける。
見抜かれていませんように、気付かれていませんように。
真っ赤な頬のことも、湧き上がるこの感情も。
分からない振りをして、気付かない振りをして。
そっと心に蓋を落として、微睡みの中に身を投じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
─所変わって、とある森の魔女の家で。
「っていう事があったのよ」
「…それで?」
「いや、あんたなら何か分からないかなって」
「……はあ、そりゃあ買い被りも良いところだ。普通の魔法使いなんかには、精々ヒントをあげるくらいしかできないぜ?」
「なによ、分かってるなら教えなさいよ」
「そりゃ駄目だ。そいつは自分で答えを出さなきゃ意味がない」
「もう、訳わかんないわね」
クルクル、と巫女はカップをスプーンでかき回す。
紅茶は、あまり口に合わなかったようだ。
「なに、難しい話じゃない。私にだって解けた難問だ、精々悩めばいいさ」
「だ、か、ら、分からないんだってば。あれから三日三晩考えても考えても紫のことで頭いっぱいで、あんまり眠れなかったぐらいなんだから」
「…もうほぼ答えみたいなものだろ、それ」
砂糖を一掴み頬張ったような顔をした魔法使いは、紅茶をぐいと飲み干した。
もちろん砂糖は入れていない。
「……あいつの事で頭がいっぱいでどうしようもなくて、胸が苦しいんだろう?」
「うん、まあ、そんな感じ」
「今すぐにでも飛んでいってあいつの顔を見たくなったりするのか?」
「そう言われると…そうね」
「OK、それじゃあそこまでで考えてみろ」
溜め息を吐いて、台所へと向かう親友の言葉に、巫女は今一度考える。
─紫の事しか考えられなくて、胸が苦しくて、今すぐ会いたくて堪らない。
それは、それはまるで──
「恋、してるみたい…」
カチリ、と何かが噛み合った感覚がした。
恋…とは、まるで縁遠い存在の事だと思っていたけれどそうでもなかったのだな、と納得するのも束の間。
「~~~~~~!!!!??」
声にならない悲鳴が炸裂した。
恋?私が?紫に?
ぐるぐると回る頭の中で、訳の分からない問答を繰り返す。
頬は紅潮して、心臓が高鳴っている。
ぐちゃぐちゃにかき回されたみたいな頭でも、どうやら他人に見せられない顔をしていると分かったので。
「魔理沙!私もう帰るわ!」
「あ、おい!もういいのか!?」
力任せに開け放たれた扉から勢い良く飛び出すと、そのまま空へ浮かんでいった。
後に残されたのは、呆れた顔の魔法使いだけであった。
「本当に自分勝手なやつだな……まあ、いいか。アリスに菓子でも集りにいくとしよう。」
普段の自分を棚に上げて、悪態を吐いた魔法使いもまた飛んで行って。
後にはまた、静寂が満ちるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ふわふわと、飛んでいる体と一緒に心も飛んでいってしまいそう。
自覚した恋心がどんどん膨らんで、胸の内を埋め尽くしてしく。
名前を口でなぞるだけで心臓が大きく跳ねて、胸が苦しくてたまらない。
「紫……!」
堪らず零れた言葉を置き去りにして、博麗神社に降り立った。
ひょっとしたら、と期待して見渡しても、何時もの姿は見えなくて。
ただ湯のみが一つ、縁側に置き去りにされている。
何時もあいつが使っている湯のみが。
「紫…いるの!?」
自分でも分からないまま焦りに突き動かされて、もう一度紫の姿を探す。
その視界の端に、金色が映った気がした。
「れーいむっ」
そんな言葉と共に、視界が真っ暗になる。
どうやら眼を塞がれているようだけど、そんなことはどうでも良かった。
その声が耳を打つだけで、堪らなく幸せな気持ちになる。
私の、愛しいひと。
「…紫」
「なあに?」
解けるように外された両手に、くるりと体を反転させられた。
そうして目の前に、紫が居る。
さっきから鳴り止まない早鐘のような心臓が、一際大きく跳ねるのが分かる。
手を伸ばせば届いてしまう距離。
それでも、手を伸ばせば消えてしまうんじゃないかと、探るように手を伸ばす。
紫は不思議そうに笑って、手を差し出した。
その手をしっかりと握りしめて、胸の前にかき抱く。
「あの、ね…話さなきゃいけないことがあるの」
「……?なにかしら?」
「私ね、私、恋しちゃったみたいなの」
そう言うと、紫が少し呆けた顔をするものだから、ついつい笑ってしまいそうになる。
「こ、恋って…誰に?」
「それは、ね…」
深呼吸一つ。
「──貴女に」
「……え」
「私ね、紫が、好きになっちゃったみたい」
紫の顔が、見る見るうちに赤くなっていって。
私の顔もきっと赤くなっているから、お揃いだな、なんて思った瞬間。
ふわり、と金色が踊った。
抱き締められたのだと気付くのに一瞬遅れて、紫の応えが聴こえた。
「私も、私も貴女が大好きよ、霊夢」
嬉しさからか滲む視界を、金色の乱反射が埋め尽くす。
嗚咽の抑えられないままに、感情を声に乗せた。
「うん、うんっ……大好きっ愛してるの!」
「私だって愛してるわ!」
「愛してるって言うなら、もっと抱き締めて…もっと強く!」
「うふふ、甘えん坊さんね、霊夢は」
「この幸せを逃がしたくないの!」
「そういうことにしておいてあげる」
何時ものように軽口が弾んで、自然と笑みが零れた。
堪らなく幸せだ。空へ飛んでいってしまいそうなほど。
──だけど一人じゃない。
「紫、私幸せすぎて飛んでいっちゃいそうだわ」
「いいわよ、何処までも追いかけるから」
「追いかけられるなんて嫌。一緒に行きましょう」
「あら、そうね。一緒に、ね」
何時ものように空に浮かぶ。
だけどいつも通りじゃないのは、隣に貴女が居るから。
愛しいひと。
──幻想の郷の夕焼けは、何時もより輝いて見えた。