暗殺教室 月陽の時間   作:霧咲桐乃

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ビッチの時間

 

 

「……もう5月か」

 

 早いもので、伊月が3年E組に初めて登校した日から一ヶ月が経過していた。

 登校初日に見せた暗殺で、クラスメイトから恐れられて距離を置かれてしまうかもという少々臆病な懸念を抱いていた伊月だったが、その心配は陽菜乃や矢田、磯貝や前原を中心にむしろ大歓迎されたことで杞憂に終わり、今や伊月は殺せんせー暗殺の中心人物として頼りにされるほどにまでなっていた。

 

「ホント、心底変わったクラスだよなあ、E組って」

 

 誰に向けて言ったわけでもない小さな独り言は、しかし隣を並んで歩く陽菜乃や矢田にはしっかり聞こえていたらしく、二人はクスクスと笑った。

 

「まあ、伊月君が悪い人じゃないっていうのはこの一ヶ月でみんな分かってるからね」

 

「そーそー。それに、カルマ君に比べたら伊月はまだ大人しい方だよ?」

 

「あー……カルマか」

 

 E組最凶の問題児である赤羽業の姿を想像して、三人は揃ってため息をこぼした。

 素行不良が原因でこのE組に落とされた優等生は、その冴えた頭脳をいつも悪巧みに使ってしまうのだ。更には飄々とした風体に斜め上から物を見がちなあの態度。

 なんというかこう……、

 

「………中二半、かな?」

 

 伊月の呟きに、少女たちはほとんど同時に頷いた。

 すると、そんな三人の耳にエンジン音が届き、振り返った彼らのすぐ横を見慣れた黒塗りの車が通り過ぎた。車は20メートルほど前方で停車し、中からカバンを片手に持った烏間が降りてくる。

 

「烏間先生、おはようございます!」

 

「ああ、おはよう、矢田さん、倉橋さん、伊月君」

 

 元気よく挨拶をした陽菜乃に、烏間は相変わらず無表情に返事をした。体育の訓練時には途端に厳しくなる教官気質の先生ではあるが、その反面授業外では優しく、生徒たち──特に女子からの人気が高い人である。

 三人に挨拶を返した烏間はそのまま旧校舎まで歩いていき、伊月たちも彼の隣に並ぶ。

 

「そうだ伊月君。頼まれていたブレードの強化だが、今朝試作品が届いた」

 

 そう言って烏間はカバンから初期状態の対先生ブレードを伊月に差し出した。伊月はそれを受け取り、刀身を展開する。

 

「先月の君と奴との暗殺データを元に、君の技にも耐えられる素材を合成した。それによって刀身の強度は鉄と同じくらいまで上昇している」

 

「…………」

 

 烏間の説明を聞きながら、伊月は新しくなった対先生ブレードを軽く振ってみる。鉄並みの強度になりつつも、素材自体が軽いので振りやすい。

 伊月は満足そうに頷いて、

 

「なかなか良さそうです」

 

「それは良かった。だが、強度が増した分、人に怪我をさせてしまう危険性も増えているから、奴以外には決して使わないように」

 

「了解です。……と言っても、前科持ちだから説得力はないか」

 

 バツが悪そうに苦笑しながら頰を掻く。しかし、烏間は「大丈夫だ」と小さく微笑んだ。

 

「君がそんなことをするような人間ではないということは知っている。だから俺も、安心してこれを君に托せる」

 

 そう言って伊月の頭に手を置いて、校舎の中に入っていった烏間。その背を見送って、両隣の陽菜乃と矢田は「ほわ〜」と瞳をキラキラさせて息を吐いた。

 

「やっぱカッコいいな〜、烏間先生」

 

「ねー、私も撫で撫でしてもらいたいな」

 

 確かにと、二人の言葉に同意するように頷いた伊月だったが、同時に、彼に対して思うところもあった。

 

「(……どうして烏間先生は、オレにこんなにも肩入れしてくれるんだ?)」

 

 そんな疑問を本人に聞いたところで、例えば以前、家に殺せんせーの暗殺を依頼しに来た時のように、『依頼者として当然の支援』と言うだろう。それはれっきとした事実なのは分かっている。

 だが、果たしてそれだけだろうか。

 

「(やっぱり、父さんが関係しているのか……?)」

 

 父はかつて防衛省の職員だった。だから烏間と面識があっても不思議ではない。だとしたら、二人はどんな関係だったのだろう。上司と部下、あるいはただの同僚か。いろいろ考えられるけど。

 

「……ま、どうでもいいや」

 

 そう、どうでもいい。殺せんせーの存在を知らされる前の自分が月の事件に対してそう思っていたように、知ったところで伊月の人生が変わるわけではないのだ。

 だから、今は、

 

「烏間先生の期待に応えて、さっさと殺せんせーを殺すとしますかね」

 

 とりあえず、さっそくこの強化した対先生ブレードで暗殺を仕掛けよう。

 ブレードをポケットに仕舞い、独り言に首を傾げる陽菜乃たちに「何でもない」と告げ、伊月は誰かの暗殺で賑やかになり始めた教室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 いつも通り授業と暗殺の準備をしていたE組の教室に、烏間と殺せんせー、そして殺せんせーに腕を絡めて笑う謎の巨乳美女が入って来た。

 

「……今日から来た外国語の臨時教師を紹介する」

 

「イリーナ・イェラビッチと申します! 皆さんよろしく!」

 

 烏間の引きつった紹介の後に続いて、美女──イリーナは殺せんせーの肩に頭を乗せつつそう自己紹介した。

 

「本格的な外国語に触れさせたいとの()()()()()だ。英語の半分は彼女の受け持ちで文句は無いな?」

 

「……仕方ありませんねぇ」

 

 不承不承な態度で頷きつつも、普通にデレデレしている殺せんせー。どんな表情をするのかと期待してメモ帳を取り出していた渚も、何のひねりもないピンク色の顔を見てそっとメモ帳を仕舞った。

 教室中の視線がイリーナに集まる中、彼女は殺せんせーの顔を見上げて恍惚の表情で色っぽく息を吐いた。

 

「ああ……見れば見るほど素敵ですわ。その正露丸みたいなつぶらな瞳、曖昧な関節……私、とりこになってしまいそう♡」

 

「いやぁ、お恥ずかしい!」

 

 騙されないで殺せんせー! クラス全員そう思った。地球のどこを探したってタコ型超生物がストライクゾーンな女性はいない。

 

「(まず間違いなく只者じゃないんだろうな)」

 

 伊月は──いや生徒たちは既に気付いていた。

 この時期にこのクラスにやって来る先生が普通の人間であるはずがないということを。

 

 そしてそれは、すぐに周知の事実となるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ヘイパス!」

 

 殺せんせーがボールを蹴る。

 

「ヘイ暗殺!」

 

 そのボールを受け取ったカルマが殺せんせーに向けて発砲する。しかし避けられた。

 これは、この3年E組で休み時間に行われるサッカーと暗殺を組み合わせたゲームである。正式な名称は無いが、クラス内では『暗殺サッカー』と呼ばれている。

 ルールはいたって簡単。殺せんせーとサッカーをしつつ、暗殺をするだけなので、これ以上この話を広げる必要もないだろう。

 

「殺せんせー!」

 

 無数の足で何個ものボールを華麗に操りながら繰り出される暗殺を躱していた殺せんせーの胸に、イリーナが校舎から元気な声で飛び込んできた。

 

「烏間先生から聞きましたわ。すっごく足がお速いんですって?」

 

「いやぁ、それほどでもないですねぇ」

 

 イリーナの褒め言葉に、すぐに殺せんせーは顔色をピンクに変化させた。

 

「実は、お願いがあるの」

 

 イリーナは胸の前で手を組み、上目遣いで殺せんせーを見上げて言った。

 

「一度本場のベトナムコーヒーが飲みたくて。私が英語を教えている間に買って来てくださらない?」

 

「お安い御用です。ベトナムに良い店を知ってますから」

 

 そう言って殺せんせーはサッカーボールをほっぽり出し、マッハ20であっという間に空の彼方に消えていった。

 

「………で、えーと、イリーナ……先生? 授業始まるし、教室戻ります?」

 

 殺せんせーが去ってからすぐ予鈴のチャイムが鳴ったのを聞いて、磯貝が気まずそうにイリーナに尋ねる。するとイリーナは「授業?」と、先程とは打って変わった低い声で答えた。

 

「……ああ、授業なら各自適当に自習でもしてなさい」

 

 そう言って懐からタバコとライターを取り出し、火をつける。そのまま一息吸って、紫煙を吐き出し、

 

「ああそれと、ファーストネームで気安く呼ぶの止めてくれる? あのタコの前以外では先生を演じるつもりは無いし……そうね、『イェラビッチお姉様』と呼びなさい」

 

 耳をくすぐる猫撫で声も、目に焼付く美しい笑顔ももはや消え去り、冷徹な表情で告げる彼女に一同が黙り込む。

 

「……で、どうすんの“ビッチねえさん”?」

 

「略すな!」

 

 約一人、カルマを除いて。

 

「あんた殺し屋なんでしょ? クラス総掛かりで殺せないモンスターを、ビッチねえさん一人で殺れんの?」

 

「……ガキが。大人には大人の殺り方があるのよ」

 

 カルマの挑発に表情を変えることなく、イリーナは鼻を鳴らして渚の方に顔を向けた。

 

「潮田渚って、あんたよね?」

 

 そう言ってゆっくりと渚に近づいて行き、呆然と立つ彼の頰に両手を添えたと思ったら、いきなり唇を重ねた。

 

『んなっ!!?』

 

 全員が驚愕の表情で見つめる中で、イリーナは更に深く重ねていく。抵抗する意思さえも奪われた渚は、唇が離れるとそのまま彼女の胸にくたりと倒れ込んだ。

 

「後で職員室にいらっしゃい。あんたが調べた奴の情報、聞いてみたいわ」

 

 対してイリーナは平気な顔で渚を優しく抱く締め、しかしすぐに力を緩めて地面に落とす。

 

「その他も、有力な情報を持ってる子は話に来なさい! 良いことしてあげるわよ。女子にはオトコだって貸してあげる。技術も人脈も全てあるのがプロの仕事よ。ガキは大人しく外野で拝んでなさい」

 

 彼女のその言葉に合わせるように、山道の方から武装をした屈強な男たちが現れた。彼らはイリーナの横に威嚇するように並ぶと、その内の一人が彼女に銃を渡した。伊月たちが普段使っている対殺せんせー用の銃ではなく、本物の銃だ。

 イリーナはその銃を見せびらかしながら、口端を吊り上げる。

 

「あと、少しでも私の暗殺の邪魔をしたら──殺すわよ」

 

 その瞬間、全員の背筋に悪寒が走った。

 一瞬で気絶してしまうほどに上手いキス、従えて来た屈強な男たち、そして自分たちとは明らかに違う「殺す」という言葉の重み。彼女が本物(プロ)の殺し屋なのだと全員が実感した。

 

 しかし、それと同時に全員が思った。

 

 この先生は、嫌いだということを。

 

 

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