アルマちゃんのクロスボウ   作:芋一郎

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九話 隠密3

ジュドーは鷹の団において古株の一人だ。

以前は旅芸人の一座で投げナイフの技を披露する毎日であった。

その後、一座の公演にフラリと立ち寄ったグリフィスにその腕を買われ、入団する運びとなった。

 

「(懐かしいもんだ)」

 

ふと感慨深く思って周囲をグルリと見渡してみると、二列になって、勇ましく進む騎兵の数六十。その後ろで荷馬車を操る見習いが十人。

鷹の団旗を翻し雄々しく進む、計七十の団員たちの姿が見て取れる。

 

「(何の後ろ盾もない俺たちが、たった二年でよくここまで来たもんだぜ)」

 

個性的な仲間も数多くいる。

 

巨漢のピピン。

元盗賊頭コルカス。

女剣士キャスカ。

未だ見習いのリッケルト。

 

そしてーー

 

「おいアルマ。顔が真っ青だぜ」

「…………」

 

傭兵狩りの村の娘、アルマ。

 

つい半月前に入団したこの娘を、実の所ジュドーはずっと訝しんでいた。

いや、ジュドーだけではない。

先日仲良くなったようだがキャスカも、ピピンも、コルカスは…置いておいて。みな同様にである。

 

何故なら、あまりに普通過ぎる。

 

育ての親にあれだけの怨嗟の声を向けられた大元の原因である鷹の団に対して、例えそれが演技だったとしても、好意的過ぎるのだ。

この半月間、自分たちに何でもないかのように接するアルマを見てーーとても言える義理ではないがーー仇に対する態度がそれでいいのかと、少なくない団員たちがそういう思いを抱き、少々の気味の悪さと共に彼女と付き合ってきた。

 

『もしかしてあいつは、ああやって自分を守っているのかもしれない』

 

そんな中、今朝のキャスカはそう言った。

 

『これまでの知り合いは皆殺しにされて、新しい仲間も全員が仇。普通は耐えられない。だからグリフィスに全ての責任をーー……なるほど。これが昨夜グリフィスが言っていた…』

 

その後何やらブツブツと言いながら去っていったが、言わんとするところの大体は理解できた。

 

「(つまり気遣ってやれってことだろ? ったく、お優しいんだから)」

 

ジュドーはフッと笑うと、馬上で俯くアルマの肩を叩き、ようと声をかけた。

小難しいデリケートな部分は取り敢えず脇に置いておいて、まずは初陣の緊張をほぐしてやろうと考えたのだ。

 

「!」

 

ジュドーの呼びかけに少女はビクリと過剰反応し、見開いた目で声の主を見た。血の気の引いた顔に脂汗を貼り付け、瞳は頼りなく揺れ、どこか助けを求める子猫のようにも見えた。

 

「……えーと、なんだ…」

 

ジュドーはその普段と異なりオドオドとした、何とも庇護欲の唆られるアルマを見て、つい発破をかける為の言葉を言い淀んでしまう。

そして同時に、こうして大人しくしていればの話だが、やはりこの少女は容姿だけは一級品だと再確認した。

 

下から見上げてくる深緑の瞳は薄っすらと涙で潤んでいて、陽に当たり、それ自体が光を放っているかの如く煌めく金髪は目に眩しい。

滑らかで透明感のある、象牙のような肌。直に触れることができれば、さぞ心地よい感触なのだろう。

 

「……その…」

 

それらを意識した途端に、少女の肩に置いたままにしてあった己の手が、何とも居心地悪そうに汗をかき始めた。少し震えてきているようにも感じる。

 

「(……オレはキャスカ派なんだ。ドミニクたち(アルマ派)みたいなロリコン野郎どもとは違うんだよ)」

 

ジュドーは内心の動揺を悟られぬよう、ごく自然にアルマとの接触を断った。

 

キャスカの話によりこの少女への不信感が僅かなりとも薄れたせいか、途端に色目を使い出した己の中の男の性に、ジュドーは切なさを覚えずにはいられなかった。

 

「あー。まっ、気を楽にな。オレが初陣んときもそんなもんだったぜ。だが過ぎちまえば大したことなかった。何せションベンちびりながら震えてただけだったしな、オレ。はっはっはっ」

「…………」

 

アルマは何も答えず、視線を前方へと戻した。

 

「おーい、そこの澄まし顔したお嬢さん。耳の穴はちゃんと開いてますかねぇ?」

「……うるせーな。いま考え事してんだよ」

 

今度は面倒そうにジュドーを見上げ、そう返すアルマ。

 

「考え事って? 敵前逃亡とか?」

「!」

 

再び細い肩が跳ねる。

 

「お、おいおい、その反応は洒落になんねーぜ?」

「うるせぇ! 分かってるよ! 俺はただ、護衛付けられるって聞いてたから……だ、誰になるかなって考えてただけ!」

「ホントかよ……まっ、どうやら今回、オマエのお守りはオレに任されるらしい。お互い気楽にいこうぜ。なっ?」

「……ちっ、クソが」

 

舌打ちをして、苛立たしげに顔を背けるアルマ。

結局ジュドーは、目的地に着くまでの間、ついぞこの生意気な少女とまともに会話を交わすことが出来なかった。

 

 

 

鷹の団と子爵兵団の編成軍が盗賊団の拠点へと向かう道中、グリフィスの発案で、当初の予定にはなかった一時休憩が取られることになった。

その際、休憩の理由として「マルコ加入による指揮権の見直し」が表向きには説明されたが、実際のところ、このインターバルがマルコ暗殺の為の時間だということは、俺にとって明らか過ぎるほどだった。

 

ーーそう、マルコ暗殺は、戦場へ着くまでの間に成し遂げておかねばならない。

 

考えてみれば分かる。

一度戦が始まってしまえば、マルコーーつまり味方の将を失うことは、指揮の面で明らかにマイナスとなってしまう。

それどころか、マルコが死んで指揮権がグリフィス一人に集約された後。前線にいるグリフィスが大声を張り上げ、それが後方で待機する子爵兵団に「全軍前進」と正しく届いたとしても、彼らが咄嗟に行動へと移せる、または移ってくれる保証は何処にもないのである。

故に、鷹の団の真の作戦を決行する為には、どうしても開戦の前に邪魔者であるマルコを暗殺せしめ、子爵兵団の指揮官を予めグリフィスに上書きしておく必要があった。

 

「おーいアルマよぉ! 早く降りて、馬を休ませてやりな。なぁに、お前の背丈が足りなくて、一度下馬したら次は一人じゃ上がれないってんなら、オレが肩車して乗せてやっからよ。はっはっはっ!」

「死ね」

 

俺は名も知らぬ団員の軽口に短く返し、馬を見習いたちに預けたあと、近場の茂みへと向かって歩き出した。その際、愛用のクロスボウは馬の横腹に括り付けたままにしておく。「行動へ移すときは無手で」これは、予めグリフィスに命じられていたことだった。

 

「(自分のことながら随分と冷静だ。俺は受け入れているのか…? あの気の良いマルコさんを殺すことを…)」

 

踵はちゃんと土を踏みしめ、この歩みに淀みはない。向かう先に、マルコへとギロチンの刃を落とす役目が待っていると知っていながら、俺の頭は嫌なほどスッキリしていた。

 

「おい新入り、どこ行くつもりだ。すぐに出発だぞ」

「ションベンだようるっせぇなァ!!」

 

大声で怒鳴りつけて、すぐさま茂みの中へと姿を隠す。そしてそのまま気配を消してジッとする。

 

「…………」

 

しばらく待っていても、団員たちが追ってくることはなかった。どうやら、俺が本当に用を足しに行ったと考えているようだ。

 

暗殺の件は俺にしか知らされていない。彼らに、俺の行動を不審に思わせる訳にはいかなかった。

グリフィスは、こういう汚い部分を団員たちに見せることを嫌うのだ。

 

「じゃあ、なんで俺だけ…」

 

言いかけた言葉を飲み込んで、体を低くしながら隊の後方へと向かう。

グリフィスによって休憩の号令がかけられたこの場所は、すぐ側が森と隣している草原。森側に入れば、身を隠す場所など幾らでもある。

しかしその中で最も理想的なスナイプポイントを取るとすれば、それは先ほど馬上より見つけた……この場所だった。

 

「(倒木によって出来た暗がり…そしてその上に掛かる、雑草で出来た天然のカーテン…)」

 

これ以上ないというほど好条件の揃ったポイントである。

俺は絶好の場所に身を潜めると、茂みの間から、編成軍の前方にいる鷹の団の団員たちを覗き見た。皆の、地面に座り込んで思い思いに体を休めている様子が見て取れる。そしてその中には、地図を広げながらキャスカと談笑しているグリフィスの姿もあった。

 

「(くそ…ずるい……俺だけにこんなことさせて…!)」

 

目を逸らし、今度は編成軍の後方へと視線を向ける。

マルコは、まだ後隊の子爵兵団の先頭で指揮を執っていた。

 

「(……ここから二十五メートルってとこか。スナイプポジションとしてはここが間違いなくベスト。でもこんなところから撃ったら……あっちはあの人数に馬の足だ。間違いなく捕まっちまう。グリフィスはしばらく待機って言ってたけど…)」

 

武器がなければ味方もいない。それにも関わらず、こうやって身を潜め続けていなければならない。

そんな現状に、俺は段々と焦燥感を募らせていった。

 

「……くっ」

 

そして僅かに歯噛みした、その時だった。

 

「よう」

「……っ!」

 

突然の呼びかけに驚愕して振り向く。

いつの間にか、浮浪者のようなボロを身にまとった若い男性が、身を低くしてそこにいた。

 

「アンタっ…!」

「シッ。同業者だよ」

 

不審な男の言葉に眉を顰める。

しかし、こちらには武器になるようなものは一切ない。話を聞くしかなかった。

 

「警戒するな。オレもグリフィスの野郎に雇われた隠密だ」

「隠密…?」

「そう、お前さんの先輩さ。鷹の団のために動く、うす汚い暗部だよ」

 

男はそう言って、ホレ、と自身の内襟を指指す。そこには確かに、鷹の団のエンブレムが見て取れた。

 

「しかし、スゲェ才能だな。グリフィスが惚れ込むのも分かる。オレも最初からここで見てなきゃ、きっとオマエのことに気付けなかっただろうよ」

「おい、暗部ってなんだよ」

「……先輩が褒めてやってるってのに……まぁいい。暗部っつっても、オレの一人部隊だ。ああ、今はオマエと合わせて二人か」

「はぁ? 俺も?」

「なんだ、不満そうだな」

 

男が威圧的に目を細める。

 

「不満だね。そんな辛気臭そうなのは」

「おいおい。まさか、これまで鷹の団が良い子ちゃんだけでやって来たとか、そんな甘ったるいこと考えてる訳じゃねぇよな。覚悟しとけよ。これからオマエも、山ほど汚ねーことさせられるんだからな」

 

男はそう言いながら、続けざまに自身の足元を指差した。目で追うと、そこには青白い顔をした二十歳ほどの男が、ぐったりと横になって倒れている。

 

「死体…か?」

「いや。ヒヨスっつー秘薬を……まぁ、細かい説明はまだ要らんだろ。簡単に言えば、一時的に仮死状態を作り出す薬があるんだが、そいつを飲ませて、お前がここに来る前に転がしておいた」

「……どうして俺がここに来るって分かったんだよ」

「言ったろ、同業者だって。一流の隠密同士なら、一番に隠れたい場所は同じになるのが必然だ」

 

男はそう言って、薄っすらと笑った。

破綻者の笑みだった。

嫌なものを見た気がして、俺は咄嗟に別の質問をする。

 

「お前の目的は何だ。グリフィスから俺と同じ命令を受けてここにいるのか?」

「いいや。俺の仕事は『とある条件の人物』をさらって来て『行軍中の鷹の団に合図』を送り、そして『その周囲で最も暗殺に適した場所』にそいつを置いておくこと。それだけだ」

「?」

「鈍いな。これはオマエの為の策だってことだ」

「……あっ」

 

そこでようやく、俺はグリフィスの策の全貌について、大体の見当をつけることが出来た。

 

まず前提として、この一時休憩はグリフィスのみによって成されたのではなく、目の前の隠密とか名乗る男が送った合図によって、そのタイミングが決められていたということ。

隠密は足元で倒れ伏す仮死状態の男をどこからか用意すると、予めこの周囲で最も理想的なスナイプポイントへと隠しておいて、そして鷹の団が行軍してくると、グリフィスへと合図を送った。

グリフィスはこの場での一時休憩を提案し、俺はその意を汲む。暗殺に最適な場所を探すため周囲を見渡しーー自然と隠密の男が選んだ場所を選択して、その身を潜める。

 

ということは。

 

「……なるほどな。この寝てるヤツが、マルコを殺した犯人になるって訳か」

「ま、そういうことだな。手はずでは、お前が目標を殺ったと同時に、義憤に駆られたグリフィスが、暗殺者を排すためここまで馬で駆けてくる。そんで、そのまま仮死状態のコイツをぶっ殺して、新鮮な死体を作る。お前は凶器であるクロスボウを死体の手に握らせ、木の上にでも隠れて難を逃れるっつー寸法だ。手は込んじゃいるが……これなら鷹の団へ向けられるであろう疑惑の目を掻い潜ることが出来る…ま、そんなとこだな」

「…………」

「犯人の死体が見つかったら、奴らも二人目ーーつまりオマエを血眼になって探す……なんて真似はしないだろう。オマエは安心して引き金を引くことが出来る」

 

隠密の男は、淡々とそう説明した。

これは鷹の団と、そして何よりも俺を守るためにグリフィスがとった処置なのだと。

 

「……アンタ、良くこの短時間でここまで準備できたな。マルコさんが同行するのが決まったのはついさっき……今朝のことだぜ」

「へぇ。オレがグリフィスから命を受けたのは昨日の夜のことだったな」

「…………」

「いちいち驚くな。あのグリフィスがすることだぞ。万一にも、その計画に綻びなんて生じない。それと、いつまでも言い訳を探すなよ。お前もグリフィスに見込まれた隠密なら、情なんぞ犬にでも喰わせて、『マルコさん』とやらを気持ちよくぶっ殺してやることだ」

「……っ」

「グリフィスの期待に応えろよ」

 

睨み付ける俺を無視して、己を暗部だと名乗った男はあっさりと去って行く。

彼がそれまでいた場所には、硬く弦の張った、矢のつがえられた、黒塗りのクロスボウが無造作に置かれていた。

 

「…………」

 

俺は震える手で、それを拾い上げた。

 

「……ごめん、マルコさん」

 

思い出す。

村でのことを。

父代わりであったダンを、村人たちを、そしてエッガース伯爵を。

 

復讐を誓ったのだ。

こんな、今日会ったばかりの老人一人殺したくないからといって、退くわけにはいかなかった。

 

標的に向け、クロスボウを構える。

その標的とは子爵兵団の先頭に立つマルコ。

兵団の団員たちが全員下馬している中、何故か一人だけ馬上の人となっている。

 

「……あ」

 

そうか、と納得する。

あれはグリフィスを待っているのだと。

この一時休憩の正式な名目は指揮権の見直し。つまり、雇われであり、身分的には下に位置するグリフィスは、雇い主側に値するマルコへと、その名目の通りに「指揮権の見直し」を議論しに向かわねばならない。

そうなると、長々と続く隊列の先頭から最後列へと向かうのだ。グリフィスは当然馬を使うだろう。目下の者から見下ろされることになるので、マルコも馬から降りられない。

 

グリフィスとマルコ……マルコが死んでからは、グリフィスのみが乗馬している状態が出来上がる。

グリフィスは真っ先にこの場に駆けつけ、誰に見咎められることなく、偽りの犯人を斬り殺すことが出来る。

 

「(抜かりねぇな…)」

 

もう外堀は埋められていて、あとはこの引き金を引きさえすれば、万事が上手くいく。そんな状況に追い込まれていた。

 

「(グリフィスのせいだ…)」

 

故に、念じる。

鷹の団に入ってから、惨めさや、不安、そして仇と共にいることへの罪悪感を感じる度、俺はこうやって心の平静を保ってきた。

 

「(グリフィスせい…グリフィスせい…グリフィスのせい…)」

 

半月前。俺がグリフィス暗殺を失敗したあの日……俺は既に悟っていたのだ。

 

グリフィスはこう言ったーー「例え鷹の団が今回の作戦に参加せずとも、オレたちの役目は別の誰かが負っていただろう」ーーと。

 

もし作戦を決行したのがグリフィスでなかったら、俺は傭兵狩りの情報をリークすることなく、滞りなく作戦に巻き込まれて、村の皆と一緒に処刑されていただろう。

 

本来は死んでいたはずの俺が、グリフィスによって生かされた。

 

これはつまり『俺が今後何を成そうと、何を殺そうと、その成果や罪の全てはグリフィスに還る』ということなのだ。

 

そうとも。それが当然。極めて自然。

 

グリフィスのせい、グリフィスのせい、グリフィスせい。

 

「……よし」

 

震えが止まった。

 

顔を上げると、丁度、グリフィスが地図を片付けて、後列へ、マルコの元へと向かって馬を走らせているところだった。

 

マルコも、それに気がつく。

 

二人の間があっという間に縮まっていく。

 

まるで命の導火線だと思った。

 

「(ーー今だ)」

 

俺は迷いなく、引き金を引いた。

 


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