4話 ローマの死闘 ――始動――
「初めまして、かな。 護堂君」
大都会に乱立するビル群を、軽々と飛び越えられるような大跳躍を繰り返し、周が降り立ったのはコロッセオ近くにたたずむ小高い丘の上だった。
あれだけ高い跳躍だったのにも係わらず、スタッという軽快な音で済むのはその身体能力と減速魔術のおかげだろう。
相変わらず日光の自己主張は激しく、魔術で熱気を逃がしていなければ、今頃は汗だくだくだったに違いない。 それに人目に付きやすいこの時間を選んだのも久利宮の権能頼りなのだろう。 たしかに発動条件は満たしてはいるが、憂鬱な気分に陥るのは避けられない。
(あれ疲れるんだよな)
肩を一度すくめて、いかにも戦闘準備整いましたという体の護堂君に苦笑しながら声をかける。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。 取って食うわけじゃないんだから」
「え、あ、すみません」
大方こんな登場をするとは思ってもみなかったのだろう。 護堂の顔は呆然としたまま久利宮に目を向けていた。 カンピオーネの中では最幼の後輩にこれから降り注ぐであろう災厄を想像し、この程度で驚く彼の将来が心配になる。 だが彼は仮にもカンピオーネのはしくれ。 自分でどうにかするしかないのだ。
そんな護堂から視線を外すと、ちょうど愛しい人が飛び込んでくるところだった。
美しい黄金の長髪をなびかせ、両の手を大きく広げて笑みを浮かべている彼女に、久利宮は抱きとめる際の衝撃が極力伝わらないように気を付けながら優しく自分の胸に抱きとめる。
止まったことで、絹糸のように手触りの良い彼女の髪が、きれいな弧を描いて腰まで流れ落ち、途端にリンスのかぐわしい香りが久利宮の周囲に広がった。
その細くも引き締まった肢体は神の造形美を誇り、腰に添えた手からは柔らかくも弾力のある感触を伝えてくる。
本当に美しい。
今は赤いドレスと赤と黒のストライプの布を身に着けており、白い肌との鮮やかなコントラストが映え、いっそう魅力を引き出しており、暴力的なまでの色香を感じさせた。
それに今、エリカは人を食ったような狐の笑みではなく、彼女本来のひまわりのように輝かしく、愛らしい笑顔を浮かべている。
相変わらずほれぼれする。
彼女――エリカが久利宮の胸にうずめていた顔を上げ、大きな瞳で見つめてきた。 それでも背中に回された両腕に込められた力は変わらない。
「二日ぶりね、周」
「うん。 二日ぶり、エリカ」
何気ない一言が耳に伝わり、脳に届き、頭の中をぐちゃぐちゃにかき回し、理性を揺らす。 久利宮はエリカと見つめあったまま、自制心はあっけなく崩壊した。
「エリカ」
口にするだけで愛おしい名を呼び、彼女の鎖骨のあたりからあごまで、指輪の光る左手の指を滑らせ上を向かせる。
エリカは待っていました、とでも言わんばかりに白魚のような腕を腰から首にまき直し、おねだりするように目を閉じる。
相変わらず積極的な彼女の姿に、口元が緩んでしまう。 そうして、そっと顔を近づけた。
最初は、桜色に染まる唇と久利宮のを合わせる、触れ合うだけの甘いキス。
それは次第に激化し、舌を口の中に入れ込み口内を蹂躙し合う深い物へと変化していった。
長い接吻を終え、互いの口から延びる銀の糸を慣れた手つきで処理する。 久利宮は名残惜しむようにエリカの髪を数回すき、体を少しだけ離す。
さすがにエリカも本題は忘れていないようで、ほのかに朱に染まった顔に不満そうな表情をわずかにたたえ、久利宮のもとを離れていった。
老人たちはみな溺愛ぶりを知っていたようで、たいして動揺していなかった。
むしろ大変だったのは目の前の男だった。
これ以上ないぐらいに顔に紅を垂らし、頭上からは湯気が出ていきそうだ。
「なっ、なっ、何してるんだよ!? こんな真昼間から!」
「何って、キスだけど」
「そうですね! ドラマとかに出てくるヤツじゃない、大人な感じのでしたけど!」
「いやだな護堂君。 いくら君が思春期まっただ中だからって興奮するなよ。 ここはイタリア。 お堅いジャポンじゃないんだからこれくらい普通でしょ。 試にその辺の車とか覗いてみれば――」
「言わせませんからね!? とりあえずイタリア人全員に謝れっ」
よっぽど彼の気に障ったのか、いやに否定してくる。 あれか、彼女を持たない人間が持つというアレか。 割かしどうでもいいことを考えて、今までこのことについて指摘されたことのないことに気付いた。 よく考えるまでもなく、魔王である久利宮に注意できなかっただけだろう。
そもそも、長年非日常に身を置いてきたために、常識とかそういう感覚が鈍くなっているのも原因の一つだろう。
だからと言って、今から治す気などさらさらないが。
「ま、護堂君や。 これくらい一睨みすればみんな見なかったことにしてくれるよ」
「……」
頑張ってツッコミに励んでいた護堂がとうとうあきらめたらしく、がっくりと肩を落とす。 エリカの話からおおよそまともではないとしていた護堂だが、一縷の望みをかけていたというのに。 目の前で崩れていくそれを感じる。
久利宮と会ってまだ数分の護堂だが、どこかの剣術バカと同じようなにおいを感じ取ってしまった。
結局、まともなのは自分だけだという結論にたどり着き、こんな風にはならない。 決して! と決意を新たにした。
「さて、そろそろはじめないと老人たちが居眠りし始めちゃうね」
一瞬何のことかわからなかった護堂だが、すぐに自分がイタリアに来た理由を思い出す。
(はやく終わらせよう)
帰国した後にやりたいことも、やるべきことも、やらなければならないことも山積みなのだ。
護堂は見よう見まねだが一応ファイティングポーズをとる。
気合いは十全。
そんな彼の様子に、久利宮は小首をかしげる。
護堂をよく知るエリカからは、最初は好戦的でなくむしろ平和主義を騙ると聞いていただけに、少しの違和感。
何か心境の変化でもあったのだろうか?
(まあいい)
むしろこちらとしては好都合。 最初から全力でできる。
「ずいぶん遅くなったけど、まず聞いておこうかな。 ようこそ、護堂君。 我らが王の座へ。 君は幸運にも王を王たらしめる神の権能を簒奪した。 君はそれで何をなす?」
「何もしない。 俺は平穏に生きたいだけなんだ」
考えることもなく即答。 そしてその回答は彼の言動から予想したものと全く同じだった。 久利宮は無意識のうちににやけてしまう。 護堂は久利宮が何がしたいのかわからず、にやいた彼を見て胡乱な視線を送る。
「平穏かー。 普通に生きていれば当り前に享受できるものを求めるのか」
でもね――と付け加える。
「君は謀らずとも神を殺し、その力を得た。 神殺しの力は持ち主に比類なき力を与えると同時に、呪いをかける」
゙呪゙という言葉に護堂は反応を示す。 平和を愛している者(本人談)からすれば聞き逃せぬ言葉だろう。
久利宮は続ける。
「別にこれだけに限らないけど、『力の集まるところに戦乱が起きる』ということだ。 十字軍しかり、フランス革命しかり。 歴史をひも解いてゆけば必ず大きな戦乱が引き起こされている」
「それが――」
「仮に」
言葉を言葉でふさぎ、護堂の言いかけたことをなど気にせず、言葉をつなぐ。
「僕が君の敵だとしよう」
「はぁ」
「君が負けたら大切な人は皆殺されるとすれば、君はどうする?」
護堂は相対する男を見据えつつも、眉をひそめる。 出会った時から変わらないどことなく安心感を与える笑いは、今は場違いな気がしてならなかった。
「言ってることが実感できないって顔だね。 そりゃそうか、今までただの日本の学生だったんだから」
今言ったことをよく考えておいてね?
久利宮はおでこを軽くはたき自分の失態を認める。 確かに今の護堂に答えを求めている場合ではない。
そもそも話している時間が長くなりすぎたようだ。
また何か話すとずるずると問答が続きそうだったので、すぐに始めることにした。
久利宮は右手を空に掲げ、人差し指を煌々と輝く太陽のそばにある、白色の月へと向ける。
『我は夜天を見守る神であり、空に輝く星々を従えしものなり』
それは言霊。 久利宮周の権能の一つを開放するときに用いるものだ。 これの効果は
「昼夜反転」
正確には結界の一種だが、その力はまさしく常識の埒外。 半径百メートルの球に凝縮された夜は、二人を包みこんでいた。
夜の中は通常の何十倍というサイズの月が二人を見下ろし、何億という星のまたたきが幻想的な風景を作り出している。
「ここから先は人外魔境」
抑えていた闘争心があふれ出す。 気が高ぶるのを止められない。 止まらない。
「我らカンピオーネにとって、敗北は死と知れ」
さいごてきとうですみません
もう力尽きたので寝ます
きにくわなかったらそのうちへんしゅうしときますんで