にこが凛で、凛がにこで
「寝不足ね……」
にこは口に手を当てて大きくあくびをして、部室のドアを開けた。
「あっ……」
部室には凛しかいなかった。凛はテーブルに突っぷして寝ていた。
「ふふふ……かわいいところあんじゃない……ふだんは毒吐くくせに」
にこは凛の寝顔をのぞきこむ。凛の頬は桜色に染まっている。すうすうと寝息もたてていた。
「ふぁぁぁ……」にこは凛の向いの席に座る。「気持ちよさそう……どんな夢を見てるのかしらね……」にこもテーブルに突っぷす。「まだ時間には早いし……おやすみ……」
(にこ)「……う、うん……」
「凛ちゃん、凛ちゃん、起きて……」
眠りのなかでだれかが肩を揺すっているのをにこは感じた。
「……う……」
にこは眼元を手の甲でこすりながら、おもむろに起き上がる。準備体操のときのように、腕をぎゅうっと上に伸ばして「ぷわあぁあっ……」とあくびをした。
「ああ……よく寝たわ……」
「えっ?」
にこは声のほうを振りかえる。花陽が戸惑ったようすで、小さく口を開けて、固まっていた。
「ああ、ありがとね。花陽!」
「う、うん……凛ちゃん……」
「うん?凛ならそこに……」
にこが振り向くと、そこには……にこがいた。にこは一瞬固まった。
《な、何これ……にこが二人?》
にこは混乱して、花陽の顔を慌てて見た。
「花陽!た、大変よ!にこの偽物がいるわ!」
花陽は、不思議そうに首を傾げたが、何を思ったか急にクスクス笑いだした。
「凛ちゃん、面白いね。それ、にこちゃんのものまね?」
「えっ?」
《あれ?何かにこの声がいつもの声じゃ……》
にこは自分の身体を見た。リボンの色といい……三年生の制服じゃない……そもそも自分の身体じゃ……
「違うわよ! あたしはにこ! 宇宙No.1アイドル矢澤にこよ!」
「ハハハ……! もう! 凛ちゃん、にこちゃんのものまね、かわいすぎるよ!」
《……凛?》
「もう、凛ちゃん、大好き!」
花陽がにこに抱きつく。にこは抱きしめられている間、呆然としていた。抱きつきから解放されたにこは部室の隅にある鏡にふらふらとした足取りで近づく。
「り、凛ちゃん!?どうしたの!?」
鏡に映っていたのは……凛だった。
《な、何これ……ど、どういうこと……?》
「り、凛ちゃん、顔真っ青だけど大丈夫?」
凛(にこ)「……だ、大丈夫よ……いや、だ、大丈夫だ、だ、にゃ……」
「大丈夫じゃないよ!ひ、膝が震えてるよ!」
凛(にこ)「……少し休んでいくから……さ、先に行ってて……」にこは唾を飲んだ。「……ほしいにゃ……」
「いや、だけど……」
「いいから!先に行ってて……行っててよ!」
にこは凛の姿で、花陽に怒鳴った。花陽は一度風邪気味の猫のように震えてから、俯いて嗚咽をもらしはじめた。
「ご、ごめんね……凛ちゃん……」花陽はくるりとにこに背を向けた。部室のドアが、自衛隊の演習での砲撃のような音を立てて、閉まった。テーブルの上の花瓶が小刻みに震えた。
その衝撃で「にこ」が起きた。
「ああ……よく寝たにゃあ……」
「凛……起きたのね……」
「ふわあ……ええっ!……凛が増えてるにゃ!」
「違うわ……あたしはにこよ……」
「えっ……」
「ちょっと……来なさい……」
にこは凛を鏡の前へ引きずっていった。
「痛た……凛、凛も凛だにゃ。自分には優しくしてほしいにゃ……」
「だから……あたしはにこなのよ……」
にこは、凛を鏡の前に立たせた。
「あれ……?えっ……?」凛は呆然として口を、金魚のようにパクパクさせながら、何度も鏡を見かえしていた。
「わかったでしょ……今はにこが凛で、凛がにこなのよ……」
凛はにこと鏡を交互に何度も見たあと、また席に戻ってテーブルに突っぷした。
「ちょっと!何で寝るのよ!今それどころじゃないでしょうが!」
凛は蒼白な顔に、泣きそうな笑みを浮かべた。
「にこちゃん……寒いにゃ……」
「えっ……?」
「ゆ、夢に決まってるにゃ……いれかわるなんて、そんなバカなことあるわけないにゃ……」
「夢じゃないわよ!こんなリアルな夢があるわけないでしょ!」
「に、にこちゃんは知らないかも知れないけど、これは明晰夢ってやつだにゃ……全くにこちゃんは夢のなかでも痛い子だにゃ……」
「あんた……そんなこと思ってたのね……」
にこは歯ぎしりした。錆びたのこぎりで木材を切るような音がした。
にこはテーブルを手で思い切り叩いた。花瓶が倒れた。花瓶の水がテーブルの上にこぼれて、広がった。
「あんた……ふざけたこと言ってんじゃないわよ……」親を殺した犯人に被害者の子がするような殺意に満ちた眼で、にこは凛を睨みつけた。「夢じゃないって……わからせてあげようか……」
凛の乾いた笑顔が急に消えたかと思うと、眼から急に涙が溢れだした。
「ちょっと……泣きたいのはこっちよ……」
にこはその場にうずくまった。何でこうなったのかわからない。夢であってほしいと思う。にこは膝に顔を埋めて、呻くように泣きだした。
そのときドアが勢いよく音を立て、開いた。
「ちょっと……遅すぎよ……二人とも……ええっ!」
真姫は呆然としてにこと凛を交互に見た。
「真姫ちゃん……」
にこは真姫に弱々しい声で言った。
「ちょっと……凛……にこと何があったの?」
真姫は戸惑った顔で凛の姿をしたにこに尋ねた。
「えっ……」
《真姫ちゃん……にこはにこだよ……わからないの……?》
「えっ……えっとね……な、何でもない……にゃ……」
「何でもないわけないじゃない……」真姫は呆れたように首を振った。「にこちゃん!にこちゃんが何か変なこと言ったんでしょ!」
真姫はにこの姿をした凛に詰め寄る。
「……凛はにこちゃんじゃないにゃ……凛は凛だにゃ……」
「全くふざけないで!真面目なのよ!こっちは!」
「凛は凛だにゃ……凛は凛だにゃ……」
「もう……にこちゃんなんて知らない!」
にこは思わず真姫に言った。
「ま、真姫ちゃん!」
「もうなんなのよ……」
「わ、わたしがにこなの……」
「はい?」
「だから……あの……にこと凛がいれかわっちゃったの……」
「もう凛まで何言ってるのよ!そういえば花陽を泣かしたでしょ!」
「いや……だから……あの……」
「早く屋上行って謝ってきなさい!にこちゃんは私が何とかするから!」
「えっ……でも……」
「凛は花陽の親友でしょ! 親友を泣かせるなんて最低なことでしょ! ほら、早く!」
真姫はにこの手を引っ張った。部室のドアが閉まった。
呆然と突っ立っていると、中から「にこちゃん、大丈夫?」「どうして泣いてるの?」と真姫が凛を優しくなだめる声が聞こえてきた。
《にこはここにいるのに……なんで?》
にこは胸がきゅうっと苦しくなって、涙がぽろぽろとこぼれた。
《真姫ちゃん……真姫ちゃん…》