攻勢防御の原則とは相手の攻撃が失敗した時に攻勢転移を行う物である。その為、守備側は兵を温存しなければならない。今の所は順調で、このまま守りきれるかと思えた。
夜襲の失敗で少なくない損害を出した劉備軍は、民兵に毛が生えた程度の義勇兵で戦闘能力は低い。
「愛紗さん、よろしくお願いしますね」
「うむ、桃香様の為だ。私は幾らでも汚名を着よう」
劉備軍軍師である諸葛亮と鳳統は焦っていた。自分達の主人を出世させる事が今回の目的である。だが現状では、手柄は有力な諸侯に持っていかれる可能性が高かった。その為、形振りを構ってはいられなかった。
敗軍の将である関羽も汚名返上、名誉挽回の機会を求めていた。と言っても今回の策は成功しても汚名を被るだけだ。
馬を走らせると大声で挑発した。挑発の台詞は知識人である軍師二人から授けられた物だ。
「華雄、貴様は真名さえない蛮族らしいな。どうせ将軍の地位もその体で得たのだろう?」
ヤリマンのビッチだ、公衆便所だなんだと馬鹿にされて華雄は遂に我慢の限界に来たようだ。
(あー、こいつは不味いな……)
そう思っていたら案の定、「出撃する!」と言う声が聞こえた。
「待ちや、あんなん見え透いた挑発やんか! アホの相手してどないするねん!」
華雄を張遼は必死で止めていたが、決意は硬いようで止められない。卑怯だが上手い手口だ。
関羽、張飛の二人がかりで華雄は討たれた。将を失い残った部下の兵士達も囲まれて討ち取られている。指揮官を失ったぐらいで、なんちゅう脆い部隊だ。次席の代理指揮官は居ないのか。俺の部下なら俺を見捨ててでも生き延びるぞ。
「あーあ……」
良い女だったのに、勿体無い。一回ぐらいお願いすればヤらせて貰えたか?
まあ一騎討ちをするとは言ってないからしかたないよね。
後に伝聞でこの事実を知った司馬徽は「武人の誇りを貶める策は外道の策」と評し、劉備軍に勤める軍師を破門とした。
防御の一翼が崩れた事で汜水関の関は破られた。雪崩れ込む連合軍を相手に遅滞戦闘を繰り広げながら、俺と張遼は兵を纏めると虎牢関に後退した。勿論、連合軍は中々俺達を逃がしてはくれない。砂埃を巻き上げて追いかけてくる騎馬の先頭には曹操様の旗が見える。
(って言うか、曹操軍は俺を追ってないか?)
張遼より自分の部下の方が討たれる数も多い。本気で殺しにかかっているのか。
「あ、痛っ」
背中に矢を受けて落馬した俺は曹操様の軍勢に取り囲まれた。部下には構わず逃げろと格好を着けて命じたが、絶体絶命ってか?
「観念して下さい、惇亭殿」
古巣なだけに見知った顔がちらほらしている。なんと声をかけて良いのかお互いにわからない。
「御苦労様、秋蘭」笑みを浮かべ曹操様がやって来た。
「はい、華琳様」
労いの言葉をかけられている所から判断して夏侯淵が射ってきたらしい。昔から弓が得意だったからな。
「さて、どうしようかしら」
現実逃避してる間に曹操様が目の前に来て鎌を突きつけていた。綺麗な刃紋だ。
「殺せば良いでしょう」
そう言葉が自然と出た。
二君に仕えない。それは世間の常識だ。
目を細めて曹操様は威圧感を強めるが、自分の死について達観したら怖くはない。
俺の視線から顔をそらすと曹操様は「それを決めるのは私よ」と告げて、兵に俺を縛り上げさせた。
殺さないのか。死ぬのはまだ先の様だ。
都を目前に虎牢関で食い止められた連合軍は、呂布の猛威に攻めあぐねていた。もはや正々堂々等とは言ってはおれず、兵の数に任せた力押しだった。
その間、俺は天幕で寝ていた。他にする事が無いからだ。縛られているとは言え、捕虜一人に天幕とは贅沢だ。
曹操様はあの後、やって来ると「夫の不貞を許すのも妻の度量の内よ」とか意味のわからん事を言っていた。今は連合軍の会議で席を外している。
「無様ね」
そう言って入ってきたのは猫耳フードコートの荀彧だった。
「どうして荀彧殿がここに?」と尋ねたら、「今は華琳様にお仕えしてるの」と誇らしげに言ってきた。軍師なのに会議に参加しなくて大丈夫なのか、と言おうと思ったが縛られている立場から何をされるか分からないので沈黙していた。
曹操軍に所属してるならここに居てもおかしくはないが何の用だ。姫様の元に居た頃、同僚だった荀彧は俺を嫌っていた。捕らえられた俺を見て嘲笑いにでも来たのかと思ったが、こいつの性格から言って、わざわざ近付いて来る事が珍しい。
「あんた華琳様の元に居たのに、なんで袁紹に仕えていたのよ」
それは俺の選択がおかしいみたいじゃないか。
「違います。私が仕えていたのは曹嵩様です。それに姫様は私を拾って下さった」
新しい主に仕えながらも、いまだに姫様に敬意を持つ俺の姿は端から見れば滑稽かもしれない。
「そこまで言うなら何で袁家を去ったのよ」
お前が言うな、と言う気持ちを込めて俺は荀彧を睨んだ。視線に怯みながらも何かを悟ったのか反論してきた。
「私のせいだって言うの!」
無言の抗議に思い当たったらしい。「あんなの他の者にも言ってたじゃない、あんただけじゃ無いわ」と言い訳をしてくる。正解だ。あの件は忘れていない。
確かに彼女は他の男にも態度が辛辣だった。俺だけでは無かったのかも知れない。
「今さら栓無き事です」
自分の罪を知ってなおも言い訳をする相手では、話すに価しない。
「聞きなさいよ!」
彼女の抗議を無視して再び寝ることにした。
体に違和感を覚えて目を覚ました。頭に何かを被せられ何処かに連行されていた。
(やっと殺す気になったのか)
どうやらお迎えが来たと大人しくしていると、視界を覆っていた物が取り除かれた。
曹操軍ではなく、どこかの天幕の中だ。
俺の前には糞ったれピンキーに似ているが、どことなく品のある少女とメガネ美人がいた。
「周さん、お久し振りですね」
「やはり、董先生でしたか」
この少女は糞ピンキーの妹の孫権かと判断していると勝手に自己紹介を始めた。
品のあるピンキーは孫権、周さんは軍師をしていると言う。
俺の後ろに居る目付きの悪いふんどし姉ちゃんは護衛か、きつい目で俺を警戒している。いつでも切り殺せる体制だな。
「こんな形で無理矢理つれて来て御免なさい。でも貴方にどうしても協力して欲しい事があるの」
予想外にも孫権は謝罪して来た。そう下手に出られると俺としても困ってしまうな。
「話を聞かせて貰いましょうか」
俺が聞く気になった事で若干、空気は和んだ。俺は美人の味方なのだ。
周さんがメガネの位置を直しながら解説する。
「知っての通り、連合軍は虎牢関を攻撃しているが、頑強な抵抗で落とせていない」
呂布は天下無双、一騎当千だから当然と言えば当然だ。あいつを倒すなら兵糧攻めで餓死させるか、毒矢を大量に撃ち込む、家族を人質に取るしかない。
「そこで一時休戦をして捕虜の交換を行う事にした」
孫権が欲しいのは捕虜になった姉の孫策だ。そして取引の材料が俺か。
「曹操殿を説得するのは無理だと判断した。そこで少々強引だが拐わせていただいた」
連合軍内部に不和の種を巻きそうだが、一家の主ともなれば何としても取り戻したいのも理解できる。
「なるほど」
孫策と交換とは俺も高く買われた物だ。そう思っていたが、捕虜交換は連合軍の罠だった。
虎牢関を遠巻きに囲む連合軍から俺を連れて孫権とその兵達が進む。身から出た錆で捕虜になったとは言え、縛られた姿は屈辱的だ。糞ったれピンキーも元気そうだ。こっちに気がついて睨んできた。
(こっちを見るんじゃねえよ。俺は巨乳に興味は無いんだ。程ほどが一番だ)
そう言う気持ちを込めて睨み返してやった。
「カツオ、怪我は大丈夫?」
「カツオ殿、心配しましたぞ!」
一時休戦と言う事で双方、最低限度の護衛しか連れて来ていない。
味方からは呂布、陳宮が迎えに来てくれた。お前ら、将と軍師が出てくるなよ。立場って物を考えろよ。でも可愛い奴らだ。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。張遼殿は戻られましたか?」
人がわざわざ残って捕まったんだ。逃げてもらわねば困る。
「カツオ殿のお陰で無事、お戻りになられました」
感動の再会をしてると、呂布がはっとしたように身構えた。
(何?)
次の瞬間、ふんどし姉ちゃんが他の忍と共に襲いかかってきていた。明確な殺気を感じて俺は陳宮を庇う。
「思春、明命! 冥琳、これはどう言う事なの!?」
何かを叫んでいる孫権は周瑜に抱き止められている。蚊帳の外で、話を聞かされていなかったのだろう。孫策は剣を受けとると呂布を背後から突き刺していた。
「恋殿!」
叫ぶ陳宮を抱えて跳び跳ねた瞬間、孫策の斬撃が地面をえぐっていた。危ないじゃないか、この野郎。
護衛の兵士が慌てて孫策に斬りかかるが倒されて行く。
「糞ったれピンキー、やってくれたな」
呂布は血の海に沈んでいる。助からないだろう。悔しいが孫策を相手にするには俺の技量が足り無い。
今は自分達の命が優先だ。
泣きじゃくる陳宮を連れて俺は関の中へと逃げ込んだ。「董将軍!」と呂布配下の将である高順が駆け寄ってきた。
「敵は直ぐ攻めてくるぞ、守りを固めろ」
門を通った俺は防御を固めるよう指示を出した。
「しかし呂布殿のご遺体を敵の手に委ねる訳にはまいりません!」
「死んでる者より生きてる者を守れ。お前は兵卒ではなく指揮官だろう。考えろ」
呂布の死で味方は動揺しており烏合の衆と化している。どさくさ紛れで侵入した敵の特殊部隊が陣地に火をつけて回り、混乱に拍車をかけていた。
「ここはもう駄目だな」
極めつけは呂布の将であった
「ううっ、恋殿……」陳宮は使い物にならない。小柄な身体を抱き寄せて騎乗すると、退却の指示を出した。
「死にたくなければ走れ!」
本来なら後衛を決めて、交互躍進で後退するなり指示を与えるべきだが、そんな余裕はなかった。既に連合軍の一部が第一線を突破しつつある。
馬を走らせながら今回の件を誰が仕組んだのか考える。
呂布の殺害と味方の裏切り。周瑜だけの策とは考えられない。
(この件に曹操様は関係無いだろう。だが協力者は居るはずだ)
普段から覇道がどうのと言ってる曹操様は奇策を好まれない。やるなら軍師連中が裏で手を組んだか?
皆が仕える主の立身出世を願って行動している。利害の一致で協力した事も考えられる。
(糞ったれピンキーは殺しておくべきだったか……)
何もかもが徒労に思えた。
「そんな……恋が討たれたなんて嘘やろ!」
都に後退した俺達は、最後の決戦を前に呂布の死を報告をした。
「本当なのです。恋殿は卑劣にも孫策の手にかかり……」
仲間であり家族であった者を亡くし、全員が衝撃を受け涙を流していた。
「華雄に続いて恋まで……」
呆然とする賈駆だが感傷に浸っている時間はない。
部隊の集中完結を待って連合軍は、引き続き都に向かい前進を開始する。俺達を賊徒と見なして撃滅する方針だ。
「賈駆殿、これからの方針はどうされるおつもりか?」
俺達は董卓様を守り殉じる覚悟だ。その事には変わりが無い。命令があれば全軍一丸となって敵中突破だってやって見せる。
「月だけは守って!」それは普段、強気な姿勢の彼女が初めて見せた弱気な姿で、親友を思う心からの叫びだった。
「詠ちゃん……私だけが助かっても嬉しくないよ」
賈駆の言葉に董卓様が反応された。相変わらず心優しい人だ。だからこそ、彼女の為に戦える。
それに我が軍の結束は硬い。
「華雄の分も、月はうちらが守ったるよ」
張遼の言葉に俺も頷いた。「ありがとう」と涙する賈駆。
弱肉強食の世界では弱い事こそ罪だが、忠烈なる将士は主君の為に死ぬ。立派に戦って死ぬ事こそ武人の本懐である。
話は決まった。
門の前に整列した軍勢は董卓軍のほぼ全戦力だ。集団の中に俺の姿もあった。
俺達は乾坤一擲の逆襲に出る。
連合軍総大将袁術の首を討ち、混乱に紛れて洛陽から長安に撤退すると言う方針だ。
少なくとも董卓様と何人かは落ち延びさせられると確信していた。
視線を下げると緑色の髪が見える。俺と一緒に騎乗した陳宮だ。
「何ですか、音々音の頭に何か付いてますか?」
呂布の仇討ちを吠えていたが今は冷静に見える。
俺よりも身長の短い彼女を見てると、死ぬには若い。と言うか幼すぎる。
今からでも董卓様の脱出組と合流するべきだが、説得には応じない事もわかっていた。
「いや、宜しく頼みます。軍師殿」
「任せるのです。恋殿を支えた音々音の知略を十分にお見せするのです!」
頭の賢い子だ。俺が言いたかった事もわかっただろうが、顔には現さず前を向いている。
振り返る事はしない。前を見るだけだ。
並んでいた張遼に声をかける。
「んじゃ、いっちょ派手にやりますか」
「もっと気の効いた台詞があるやろ」
俺の言葉に突っ込みを入れながらも張遼は凄みのある笑みを浮かべている。気合いは十分だな。
旗が振られ門が開くと、前衛の尖兵を先駆けとし連合軍の方向に向かって駆け出す。
連合軍の右翼を守る
そして有力な諸侯が並ぶ敵の中央に張遼が突き進む。俺や高順の隊は彼女の背中を守る役目だ。
「カツオ、先行くで」
「また後でお会いしましょう」
そこは三途の川かもしれない。敵もたくさん殺して来たし、殺せと命じて来た。極楽浄土にはいけないかもしれない。