孟獲様と主だった重臣の首を塩漬けにして成都の桃香様の下に送り届け、屍の山を築き南方を平定した蜀は後顧の憂いが無くなりました。いよいよ北伐を開始します。
桃香様を前にした軍議の席で、鎮北将軍の魏延さんは潼関を急襲し占領しようと提案して来ました。
「魏を火の海にしてやるんだ!」
鎮東将軍趙雲さん、揚武将軍鄧芝さんたちの率いる軍が魏軍を引き付けて陽動を行っている間に攻める計画です。
「私はメンマさえあれば何処にでも行って見せましょう」
星さんの言葉に焔耶さんは水を差された様で睨み付けていました。
「はわわ」
「あわわ」
武官の皆さんはやる気に燃えており威勢の良い提案でしたが、一刀様は否定的でした。
「魏延は甘いよ。幾らかの敵将を倒して街を落とした所で、蜀に比べて国力で勝る魏の大勢に影響を与える程の事ではない。頭を潰さない限り戦は終わらないよ」
曹家一門の排除。これが魏を倒す唯一の策だと仰いました。
洛陽を目指すのではなく、曹操様の本拠地である許昌を攻める事。
後先考えずに急襲するのは可能です。問題は蜀からの長い兵站線と糧秣等の補給です。大軍を動かすには食べる物が必要で、食べれなくば戦う事も出来ません。
(蜀は兵力と兵糧が足りない)
一刀様の意見を参考に朱里ちゃんに相談しました。
その後で、桃香様に許昌急襲の利点と欠点を報告しました。桃香様に選択肢を提案するのが私達、軍師のお仕事ですから。
「雛里ちゃん、私はどんな厳しい事でも皆で協力すれば逃げ切れるって信じてる。それに人は一日、二日食べなくても死なないよ」
戦乱を静めると言う理想を語る桃香様は、剣を取って戦い漢中を制し蜀と言う力を手に入れました。私達は桃香様を綺麗なままで守り立てる事が仕事です。
王には共に歩む友や家族は必要ではありません。王の為に死ねる臣下こそ求められます。
桃香様がやれと仰るならやるだけです。
「それに曹操さんは弱い人を切り捨てているってお話だし、それはいけないと思うんだ」
曹操様の幕下では才能を愛され、凡人は排除されます。曹操様の覇道とは弱きを挫き、強きを守ると言う施政です。それでは才能の無い凡人や弱者は生きていけません。
曹操様の信念と桃香様の信条は交わる事が無いのでしょう。
桃香様は漢の正統な後継者として曹魏を逆賊として誅する事を決断されました。
「御意」
桃香様の王者としての風格に、拱手の礼をする私達でした。
今回の北伐は朱里ちゃんの主導で進められました。
「魏領内深く進攻し、心胆寒からしめる事が桃香様の意思を示す事に成るでしょう」
驃騎将軍の李巌さんと苟安さんが兵糧を運びます。私は一刀様とお留守番です。
「武人と言っても、戦いに快楽を見出だす戦闘狂で自己愛性人格障害か」
雄々しく、勇ましく、華麗に進軍する皆を見送りながら呟く一刀様。仰る言葉の意味はよく分かりませんが、武官の皆さんに良い感情を持っていない様です。
私から見ても急過ぎて準備が足りません。軍師である以上は結果を出さなくてはいけないので朱里ちゃんは大変です。
今回は蜀の総力をあげた戦です。荊州は孫呉の勢力圏ですが、不可侵条約の締結と通行許可を得ていました。これも朱里ちゃんの外交による結果です!
愛紗さんは占領したばかりの南蛮を抑え、治安維持と後詰めの役割です。鈴々ちゃんは33,000の兵を率いて孫呉に備えていました。幾ら不可侵条約があるとは言っても孫呉は18万の兵力を有する大国です。油断は出来ませんから。
出兵の発案者である焔耶さんは56,000の兵を率いますが主役ではなく陽動として動く事になりました。雍州に進攻し司州を窺う動きを見せる計画です。長安を脅かし、総兵力50万以上と言う敵戦力を一部でも誘引出来れば、それだけでも主力の行動を助ける事に成ります。
「幾ら50万と言っても常備軍の数は限られています。それに全力の動員は魏の経済にも影響を与えます。だからこの策には意味があります!」
張り切る焔耶さんでしたが「魏延さんに反骨の相があります」と朱里ちゃんは常々、焔耶さんを警戒していました。
「でも朱里ちゃん、焔耶さんは桃香様に忠誠を誓ってるよ?」
騙されないでと朱里ちゃんは言ってました。でも私には、子犬に怯える焔耶さんが謀叛何て起こすようには思えませんでした。
「魏延さんが裏切った時には討って下さい」
出陣に当たって朱里ちゃんは、焔耶さんの副将として付けられた王平さんに殺害の命令をしていました。
あわわ、黒いよ朱里ちゃん。
そう言えば、前にも塾で徐庶ちゃんをねちねちと虐めてい事を思い出しました。
「ん、どうした?」
怖くなって一刀様の服の裾を握ってしまいました。
裏事情に関係無く蜀軍精兵5万は豫州に進撃を続け、雨が降る中、遂に敵と接触しました。
許昌急襲に向かった蜀軍の前に、偏将軍夏侯覇さんの軍勢1万が立ち塞がりました。
「陛下のおわす都を襲うとは卑劣な賊め」
「おや、賊とは酷い言われようだ。趙子龍、逃げも隠れもせん」
星さん自ら尖兵として率いる兵は2,000。敵は五倍の兵を持ちますが、険しい山道での遭遇戦は正面幅が限定され兵力の差を殺してしまいます。ここで個人の武が役立つ訳です。
後で星さんから聞かされた話では、星雲神妙撃と言う必殺技で夏侯覇さんを倒したと笑っていました。
(星雲神妙撃。派手好きな星さんらしい命名と言った所でしょうか)
「人は必ず死ぬ。でも、感情に溺れると判断力が鈍る。その事は常に意識しておかれよ」
軍師にも通じる事で為になります。
過去にも少数が多数を破ったと言う先例があり、彭城の戦いで項羽将軍率いる楚軍精兵3万は、高祖劉邦率いる漢軍56万を撃退。20万以上の損害を与えました。井陘の戦いでは漢軍大将韓信の率いる3万が、背水の陣で趙軍主帥陳余率いる20万を撃破しています。
ここでも星さんが夏侯覇さんの軍勢を破ったのでした。
そんな風に色々と話して考えられたのも戦が終ってからの事です。
私達が攻勢に出たのと時、同じくして魏軍も蜀に攻め込んで来ていたのです!
「成都に向かい敵が進軍中です!」
もたらされた急報に血の気が引きました。
(そんな……)
長安に敵兵力7万を誘引し陽動は成功していました。だから星さんも敵中深く横断する事が出来たのです。ですが前提条件は狂いました。
それは大司馬曹休さん、曹洪さんの兵でした。その名前の通り、曹操様の親族でこれだけでも蜀攻めに賭ける意気込みを感じさせました。
「このタイミングで攻めてくるなんて……」
一刀様も驚かれていました。
大軍が音も無く押し寄せる何て現実には不可能です。魏軍の兆候を私達は見逃していたのでしょう。
私達、国を動かす者は大きな事は出来ますが、小さな事を忘れてしまいます。それが今回の場合、悪い結果に繋がったのでした。
上に立つ者は覚悟などいりません。その場しのぎの妥協を見付ける柔軟さが大切です。
(失敗を悔やんでも仕方が無い。今、どうするかを考えないと)
切れる手札は何か?
今回の遠征で、漢中に残された此方の兵力は限られています。最悪です。
犠牲を少なく敵を追い払う。無理なら逃げるのも手段の一つです。
漢の正統な後継者である私達が『正義』で、薄汚い宦官の孫で簒奪者の曹操様が『悪』と言う分かりやすい構図ですから、私達には人が集まって来ます。やり直しは何度でも出来るのですから、兵を盾にして逃げるべきでしょう。
私にとって大切な事は敵が侵攻して来るまでの間に、民や兵士がいつ、どうやって死ぬかと言う事ではありません。
命は重い。だからこそお金になり兵士が軍として揃えられます。
軍の存在理由は国を守る事。そして国は民ではなく導く王によって築かれます。
覚悟が無いなら戦えません。前に進みたければ立ち止まってはいけません。
桃香様さえ無事なら直ぐに失地回復と挽回が出来ます。そう、失敗は結果を出して帳消しに出来ると、その時の私は考えていました。