子供の頃から、親に勉強しろ勉強しろと言われて育った。
あれは駄目、これは駄目、あの子とは遊ぶな、勉強しろ、勉強しろ。
俺は、人から言われないと、何もできない人間になってしまった。
働いてもすぐに仕事を辞めて、家に引きこもりがちになると、母がうつ病になって入院した。
親父は俺を追い出した。
日雇いの仕事も続かず、パチスロを打って稼ごうとしたが、すぐに借金まみれになった。
家賃を払えずに、アパートを追い出された。
路上生活にも社会がある。
空き缶を拾う場所も決まっているし、稼いだ金の何割かをその地区のボスに納めないといけないらしい。
俺はすぐに駄目になって、とうとう、どの社会からも疎外された。
海で死のうと、ボロボロの靴を引きずりながら歩いていると、目の前に高貴な服を着た少女が現れた。
青? 紫? とにかく、細いホースのようなものが、少女の体の周りを覆っている。
「お兄さん、死ぬの?」
俺の格好があまりにも惨めだったのか、こんなところを歩いているのが可笑しかったのか、少女はそう言った。
「そうだ。生きていても、いいことなんかちっともない。だから、死ぬ」
「イドが枯れているよ」
「井戸……?」
「うん、イド。お兄さんのイド、枯れてるよ」
何言ってるんだコイツ。
というより、この少女は一体。
「私が枯れイドを潤してあげる」
そう言うと、少女は俺の胸を刺した。
黄ばんだシャツに、血が滲む。
不思議と痛くない。
それよりも、心臓の音が、段々と、体全体に響くのを感じる。
段々と、段々と、頭の方へ。
目の前が暗くなってゆく。
死ぬのか。
こんな少女に刺されて。
「枯れイドに蛙を」
そう言い、少女が笑う。
俺は気を失った。
死んだのかもしれん。
次に目を開けた時、目の前に、血まみれになった親父を見た。
夢か。
意識がぼんやりとしている。
体が熱い。
手には、血の付いた大きな包丁が握られていた。
「なんだか……気持ちがいいな」
割れた窓ガラスから涼しい風が吹いた。
外はすっかり夜で、月明かりの逆光の中、あの少女がいた。
「死にたくなくなったでしょ?」
「ああ、不思議とな」
「枯れイドに蛙を」
「枯れイドに……蛙を……」
「そう。潤いの無い人生に、潤いを与える言葉だよ」
「……ははは、俺にはよく分からねえや」
遠くでサイレンが響く。
それが、俺の家……いや、かつて俺の家だった場所に、止まるのが見えた。
「捕まるのか」
「その包丁で死ぬ?」
「いや、なんだか死ぬ気が失せた。このまま、罪を償うことにするよ」
「そっか。じゃあ、さようならだね、お兄さん」
「ああ、さようなら。また会えるよな」
「ううん、きっともう会えない。私はイド。イドの中の蛙。乾いたイドの、蛙だよ」
精神に問題があると診断された俺は、一人、小さな畳の部屋で、番号で呼ばれる生活をしている。
鉄格子の向こうには、春を告げるように、桜のつぼみが開花しそうになっていた。
あれから少女の姿は見えない。
本当に存在したのか。
それとも、俺の創り出した幻影か。
どちらにせよ、その答えは分からないけれど、俺はこの鉄格子の向こう咲くであろう桜の下で、酒の一杯でも飲みたいと思った。
-枯れイドに蛙を-