今になって思い出す。
子供の頃、私にしか見えない友達がいたこと。
私よりも一回り大きくて、おしゃれな服を着ていた。
大きな帽子。
体を周回するホースのようなもの。
点滴の管?
その少女は、とても素敵な笑顔で、私を楽しませてくれた。
母が妹を身ごもってから、少女の姿は見えなくなった。
妹が生まれてから、私はお姉ちゃんとして、色んなことを我慢してきた。
両親も妹には甘くて、私は両親の気を引こうと、たくさん勉強して、いい成績を残していった。
そのお蔭か、一流大学を出て、一流企業に就職して、職場結婚を果たした。
やがて私も親になり、可愛い女の子に恵まれた。
お金にも困らないし、旦那の両親もいい人だ。
娘も旦那が大好きで、パパ、パパ、といつも言っている。
旦那も娘にデレデレで、なんでも買ってあげちゃうほどだ。
誰もが夢見る、幸せな家庭像。
私はその中にいる。
その筈なのに、私の心の中には、いつもぼんやりとした不安のようなものが、残っていた。
ある日、娘を公園で遊ばせている時だった。
「こっちだよ」
こっちだよ?
娘は誰もいない方を向いて、空を掴み、はしゃいでいた。
その光景を見た瞬間だった。
あの頃の思い出が、一気にフラッシュバックしてくる。
「枯れイドに蛙を」
「かれいどに……かわずを……?」
「そう。私は貴女とお別れしなきゃならないの」
「え……なんで……?」
「貴女が大人になるからだよ」
「私は子供だよ?」
「見た目はね。でもね、心は大人になるの。エゴを持つってことはね、そう言う事なんだよ」
「えごってなに?」
「教えてあげる。だから、あの池へ飛び込もう?」
「駄目だよ。お母さんが、あの池には近づいちゃいけないって言ってたもん。危ないって、言ってたよ?」
「そっか。じゃあ、さようならだね」
「え?」
「枯れイドに蛙を」
その時、後ろから母の呼ぶ声が聞こえた。
「愛~!」
「お母さん」
「もう帰るわよ」
「うん。じゃあね、お姉ちゃん」
振り向くと、もうそこに少女はいなかった。
「どうしたの?」
「今ね、お姉ちゃんと遊んでたの」
「え? 貴女、ずっと一人だったじゃない」
「え?」
「お化けでも見たんじゃないの?」
子供ながらに、そうなのかもしれないと、思ったのを覚えている。
「ママぁ!」
娘の叫ぶ声。
ふと、我に返って声の方を見ると、娘が池で溺れていた。
急いで娘を引き上げる。
しかし、娘は何かに引きずり込まれるように、ズブズブと沈んでゆく。
「どうして引き上げようとするの?」
懐かしい声がした。
池の中から、あの少女が顔を出していた。
「ねえ、どうしてこの子を助けようとするの?」
「どうしてって……娘だからよ!」
「娘だから? なんで? なんで娘だと助けるの?」
「私が親だからよ!」
その瞬間、娘の体が一気に軽くなって、私はその反動で後ろへ倒れた。
娘は私の胸の中でわんわん泣いていた。
とりあえず元気そうだ。
池の方を見ると、少女が悲しそうな顔でこちらを見ていた。
「やっぱり、大人になっちゃったんだね」
「貴女ね……娘を池に引きずり込んだのは……」
「そうだよ」
少女は悪びれる様子もなかった。
「どうしてこんなことしたのよ!?」
「貴女のイドが枯れていたから」
「私の……イド……?」
「うん。貴女はその子が邪魔だったんでしょ?」
その言葉を聞いた時、私は言葉に詰まった。
この子が邪魔。
それを否定できなかったからだった。
「あの日、私が貴女を池に引きずり込もうとしたでしょ? それはね、貴女の両親が、貴女を邪魔だって思ってたから、私が手伝ってあげようとしただけなんだよ。今もあの時と一緒。なのに、貴女はその子を助けた。やっぱり貴女のイドは、すっかり枯れてしまったんだね」
そう言うと、少女は池の中へと消えていった。
私は娘に、妹の姿を投影していた。
無条件で愛されて、何でも買ってもらって、旦那の愛を独り占めしていた。
旦那は私を愛さないわけじゃなかったけれど、娘が生まれてからは、私への愛情を示す数は、減っていた。
お姉ちゃんだから。
そんな昔の言葉が、今でも、無意識に私を踏みとどまらせている。
少女は言っていた。
「貴女のイドは枯れている」と。
それは、私が大人に、より大人になった証拠であり、親になった、証拠だった。
人間は人間らしくあるために、親は親らしくあるために、イドを枯らし、エゴとスーパーエゴを潤さなければならない。
あの少女は、私の創り出した……いや、人間の創り出す欲望なんだと思う。
どんな人間でも、大人になろうと、親になろうとした時、あの少女を見るだろう。
イドに、潤いを与えようとするだろう。
私は一人の人間として、親として、この事を伝えて行かなければならない気がして、筆を取った。
タイトルは……。
-枯れイドに蛙を-