僕は阿呆です。
いや、ナルシシズムではなく、事実です。
○○総合病院で「壊れたテープレコーダー」と呼ばれているのが、僕なんです。
子供の頃から、何をするにも失敗ばかり。
おまけに、パニックを抱えています。
それに、僕には、皆に見えないものが、見えてしまうらしいのです。
深夜の病棟。
皆が寝静まった頃に、その子は現れます。
「こんばんは」
「こ、こ、こ、こんばんは」
「また眠れないの?」
「う、うん……。ぼ、ぼ、僕は……よ、夜に、夜に、夜に……」
「うん」
少女は僕の話を今か今かと待ちわびて、ちゃんと聞いてくれます。
他の人は、笑うのに。
でも、この少女は、僕の妄想の産物なんです。
「ど、どうして、どうして君は、わ、わ、笑わないの」
「笑うよ? ほら」
そう言うと、少女はニッと笑った。
「そ、そうじゃなくて……。み、みんなは、ぼ、ぼ、僕の事を……馬鹿にするっ……から」
「それはみんなが可笑しいの。貴方はとても素敵。寝ても覚めても、イドだし」
「イド……って?」
「貴方みたいな人の事」
本来なら、そのイドというものが、僕を馬鹿にするための言葉だって思うはずだったけれど、少女の顔には、今まで見てきたソレが無かったように見えました。
「ねえ、殺そう?」
「え?」
「馬鹿にしてくる奴らを」
「ど、どうして?」
少女は、ムッとした顔をしました。
そう、僕が教室にいるのを発見した、○○先生と同じような、あの顔です。
「貴方って本当に阿呆なんだね。自分を馬鹿にしてくる奴らを殺してしまおうと思わないの? 貴方の事を笑ってくるんだよ? 嫌じゃないの? 消えてほしいって、思わない?」
「だ、駄目だよ……。ど、ど、どんなに僕を、どんなに僕を馬鹿にしてきても、こ、殺しちゃ、駄目だよ」
「なんで?」
「だ、だって。い、い、生き物……だよ? み、みんな、生きてるんだよ?」
「だから何? じゃあ、生き物だったら殺さないの?」
「そ、そ、そうだよ。生き物は、こ、殺しちゃいけない」
「ふーん。ねえ、貴方が昼食に食べていたお肉とか魚って、どうしてるの?」
阿呆の僕でも分かりました。
僕が言ってることは、僕の行動と違うと。
「貴方が食べてた肉魚も、元は生き物だよ? 貴方たち人間は、動物を殺さないと、生き物を殺さないと生きて行けない。生き物を殺す快楽のついでに、それらを食べなければね」
「で、で、でも……僕は……」
「僕は殺していないと言いたいの?」
「!」
「じゃあ、他の人が殺すのはいいんだ。自分は駄目でも、他人ならいいんだ」
「……」
「ねえ、貴方は何なの? イドのくせに、どうしてエゴなことを言うの?」
「エゴ……って?」
少女は呆れた顔をしました。
「阿呆はイドの癖に、イドの行動をしないんだね。普通なら、この病棟じゃなくて、もっと厳重に隔離されたところにいるはずだよ?」
僕には少女の言っていることがよく分かりませんでした。
ただ、少女の目は、他の人と同じように、アノ目をしていました。
「ぼ、僕、もう、お魚も、お肉も、食べない」
「じゃあ、何を食べるの?」
「や、野菜を食べるよ。野菜は、生き物じゃないから……」
「野菜も生き物じゃない?」
「じゃ、じゃあ、野菜も食べない」
「なら、貴方はどうするの? 何も食べないで死ぬ?」
「せ、せ、先生が、言ってた。点滴は、点滴は、点滴だけでも、人間は生きれるって。ぼ、僕、明日、先生に点滴だけでいいって、言ってみるよ」
少女は、分からないというような顔をしました。
子供の頃、まだ僕が、阿呆だと分からない時、お母さんがよくこんな顔をしてました。
アレです。
「どうして自分の身を削ってまでそんなことをするの?」
「い、生き物は、殺しちゃいけない」
「その為に自分が苦しんでも?」
「い、生き物を殺すくらいなら、僕が、僕が苦しむだけで済むなら。ぼ、ぼ、僕は阿呆だから、慣れてるから。そ、そういうの、慣れてるから」
その時でした。
少女は、急に青ざめた顔になったんです。
小学生の頃、席替えで、僕の隣になった女の子が、同じような顔をしてました。
アレです。
「まさか……これがイドのなれの果てだというの……? 私の目指していた、スーパーエゴの姿なの……!?」
少女が何を言っているのかは分かりませんでした。
けれど、酷く怯えたような顔をしていたので、僕は心配になって、自分のコップに、ガラス瓶に入った水を注いで、少女に渡しました。
「だ、だ、大丈夫?」
「私は認めない……認めたくない。こんなのがスーパーエゴですって? ただの阿呆が、スーパーエゴだなんて!」
僕の問いかけに気が付かないほど、少女は絶望に夢中のようでした。
「ねえ! 早く生き物を殺して! 何でもいいから! 魚だろうが虫だろうが、何でもいいから!」
「み、みんなが起きちゃうよ。し、静かにして」
「あああああああああああああああああ!」
これは大変なことになったと思いました。
いや、でも、少女が僕にしか見えないなら、大丈夫なのかな?
とにかく、少女を落ち着かせなきゃ。
そう思って、僕は少女に手を伸ばしました。
その時、手に持っていたコップから水が零れました。
「わっ!」
パニックになった僕は、どうしていいか分からなくなって、心臓が早くなるのをただ感じていました。
「あああああああああああああああ!」
その間も、少女は叫んでいます。
僕は、精一杯、声を振り絞って、少女に問いかけようとしました。
「はっ、はっ、ああ、あっ、あっ」
しかし、声は出てくれません。
それどころか、呼吸すら上手に出来ないでいたのです。
「やだやだやだやだやだやだ! こんなのおかしいよ! 絶対におかしいよ! こんなのがスーパーエゴだなんて、私は!」
そこまで言い終えると、少女はピタッと声を止めました。
「そっか。違うんだ。貴方はスーパーエゴじゃない。阿呆なんだ」
少女は真顔でした。
「貴方は動物でも人間でもない。生物の出来損ない。だから、何も考えないでいられるし、エゴにもなれない。赤子にも劣る、イドの出来損ないなんだ」
僕は急にイドとやらが、さっきと違って、僕を馬鹿にするような言葉に聞こえてきました。
「貴方みたいなのがいるんだね。初めて知ったよ。生き物を殺さないのは、阿呆だから。自分より優れている者、強い者を殺そうとはしない。それがイド。貴方は出来損ないだから、誰も殺そうとは思えないし、虫ですら殺せない。そして、どこかで生き物が殺されている事実を、貴方は認識してなかっただけ。魚も肉も、貴方から見たら「物」でしかなかった。自分より弱いものでしか、なかった」
そう言い終わると、少女は満足そうに消えていきました。
あれから僕は、何も食べていません。
ずっと点滴です。
いや、点滴にされました。
僕が何も食べないと、意地を張ったからです。
「ぼ、ぼ、僕は、生き物を殺しては、い、いけないと、思うんです」
「だからと言って、食べないと死んじゃうんだよ? そうしたら、お母さんだって悲しむ」
先生はみんな、こう言います。
でも、お母さんはお見舞いにも来ないんです。
僕が死にそうになっても、いいんです。
それに、お母さんはお肉が大好物でした。
お母さんは、きっと、お肉が生き物だって知っていました。
生き物だって分かって、食べていたんです。
お腹が物凄く空いた夜でした。
また、あの少女が僕の前に現れたんです。
「痩せたね」
「……」
返事をする元気もありませんでした。
その頃には、僕は歩けなくなっていましたから。
見た目は、骸骨に皮を被せたような、そんなアレです。
「貴方は出来損ないのイド。唯一の救いであるエゴも、貴方を見捨ててしまった」
「……」
「面白いよね。本来ならば、生きようとする意志が最後に残るはず。でも、貴方に残ったのは「死んでも生き物を殺さない」っていう意志だった」
「……」
「イドが貴方を殺した。自分自身に殺されるの。普通、エゴが自分を殺すのに。「理想に届かないなら死んでやる」って」
「……」
「……そっか、私がエゴだと思ってたそれは、実はイドだったのかな? 「死んでも死んでやる」っていう、イドだったのかな?」
「……」
「イドは我が儘だね。他人を殺すだけじゃ足りず、自分も殺しちゃうなんて。いや、他人を殺せない代わりに自分を殺すのかも。なら、やっぱり他人を殺し続けなければいけないね」
「……」
「あはは、なんだ。人間って、イドが乾いた人間って、阿呆と変わりないんだね。そうだよね?」
「……」
「次、生まれ変わるなら、貴方は草にでもなればいいよ。草は生き物を食べないし、いずれは貴方を食べてくれる動物にも会うでしょうし」
「……」
「骸。今の貴方を指すためにあるような言葉だね。さようなら。「枯れイドに蛙を」もし人間に生まれ変わってしまったら、そう唱えて。きっと貴方を救ってくれるから」
「……」
「枯れイドに蛙を」
-枯れイドに蛙を-