素晴らしいと、『修羅』は歓喜の念を覚えた。
蠢く六本の腕は自分の思う通りに動き、筋肉を詰め込んだ肉体はこれ以上無いほどに冴え渡る技を繰り出す。
老体だった頃、いや全盛期の自分ですら成し得なかった動きを、この体はいとも容易く行えてしまう。
それを喜ばずしてどうするか。
握りしめた拳は喜々として悲鳴を上げ、先程撃ち抜いた感触には絶頂すら覚えた。
これだ、この力だ。
壁に激突して死に絶えた男、いや青年を見る。
突き刺さった大剣は彼の得物、それは武人である事を示している。
若人を殺める事に対して何も思わぬ訳では無い。
だが、刃を向けて迫るのならばそれは既に死合いとなる。
試合は試し合い、だが刃を向け殺気を向けるのならば別。
武人として、死こそが決着となる。
「悪く思うな、小僧」
倒れ伏した青年に向け言葉を放ち、そしてこの素晴らしい体を試す。
この肉体はどれ程のものなのか。
先ほどの一合は、ただの試運転に過ぎない。
宇藤浩太朗と言う人間の積み重ねた全て、それらを全て体現できるのかどうか。
それを確かめたくて、体が疼いていた。
いや、腕が六本あるのだからそもそも今までと同じ型ではならぬ。
新たなる型、自分だけの型が要る。
そう考えた時、今までに無い高揚感が自分を襲った。
自分だけの武、他の誰でもない、自分しか扱えぬ戦法。
それは何と甘美な響きか。
何度も拳を突き出し、蹴り上げ、空を裂き、満足いくまで振るう。
そして振るえば振るう程、この体のポテンシャルが高い事を理解する。
まだ行ける、まだ足りぬ、まだ出来る。
己が九十年積み上げた全てを振るう、片っ端から全てを試す。
広大な迷宮の奥底で拳を振るい続ける修羅は、幸福の絶頂に居た。
試せば試せば分かる、その事実。
甘い甘い、死ぬほど甘い。
自分の技術が、積み重ねが、修練が。
全てが甘かったのだと。
老練と驕ったか、それとも単にコレが人の限界と言う奴だったのか。
言い訳は腐るほど存在する。
この肉体のポテンシャルでは今まで積み重ねて来た技術など『有って無い様なモノ』だった。
より強く力を伝搬させる為の突きは、単純な腕力でどうとでもなってしまう。
速度も、威力も、何もかも比較にならない。
型など不要、これでは単純に殴るだけでも人ひとり容易く殺める事も出来よう。
しかしそれでは駄目だ。
それでは、頂きを目指せない。
必要なのは、絶対的な力なのだ。
その日から、とある迷宮に階層ボスが現れたと言う情報が流れ出した。
協会はその情報を元に調査団を派遣したが、消息不明。
後に救出任務に従事した探索者も全て消息を絶った。
協会はこれを階層ボスによる部隊全滅と判断し、階層ボスを『特殊討伐対象』として指定。
探索者に狙われる階層ボスの一匹となる。
28日経過後
「隊長、どうも此処が最下層らしいです」
目の前に広がった空間、僅かに湿った空気が流れる広大なフィールドは一面松明に照らされている。
とある中級迷宮、その最下層。
巷で噂の特殊討伐対象を探す為に周囲を見渡すが、それらしい姿は見当たらなかった。
私達の降りてきた階段から、続々と後続の部下が降りてくる。
「‥‥‥目標が視認できない」
「‥‥先駆者によると、この階層で遭遇したとの事です」
この階層に踏み入れて戻ってきた者は多く無い。
元より危険度は『A』とされていたので、それ以下のランクを持つ探索者が挑む事は不可能なのだが。
残念な事に、中級迷宮と言う事を良い事に無断でこの階層ボスに挑む者も居た。
そして例外なく殺害されている。
だが稀に、殺されず生き延びる者も居た。
最初は相当な手練れか、或は知恵の回る者だと思っていたが、そうでは無かった。
単純に弱かったのだ。
中級迷宮どころか、初級レベルの探索者が生き残ったと言う。
私達もそれには首を傾げた。
しかし、折角拾った命、生き延びた探索者から情報を得て、私達はこの場所に立っている。
得た情報は大きく三つ。
・対象は人型、体長凡そ二メートル弱
・黒い肌に出鱈目な怪力、赤い眼光が特徴
・腕が六本あり、動きが素早い
早くて怪力、正直あまり戦いたくないタイプだった。
ドラゴンの様な存在であれば、或は対竜種武装が存在している。
空を飛べない様にする釘鎖、鱗ごと撃ち抜く大砲、目くらましの閃光弾。
その怪力は脅威だし、空も飛べる。
だが対策と武器さえあれば倒せない存在では無い。
たった一人の英雄に頼る時代は既に過ぎているのだ。
「人型か‥‥」
しかし、今回のボスは人型。
体長も二メートル弱と、他の階層ボスと比較してもかなりの小型だ。
竜種では小型でも三十メートル級、四十メートルが普通だ。
それでなくとも、階層ボスというのは大型が多い。
十や二十メートルは当たり前、そう考えれば二メートルと言う数字がどれだけ小型か理解出来る。
その為、大型のボスに使用する様な武装は使用出来なかった。
「‥‥‥! 隊長、居ました」
隣で周囲を警戒していた部下が声を上げる。
同時、全ての兵士に緊張が走った。
計十二名の兵は、私を中心に陣を展開し始める。
盾が最前列を固め、二列目に槍、三列目に弓、その中央に私。
じっと息を止め待つと、向こう側の暗闇から人影がゆらりと現れた。
ひたひたと聞こえる足音は、段々と近付いて来る。
「‥あれが」
二メートル超えの大男。
パッと見はそんな印象だろう。
殺した探索者のモノだろうか、頭からすっぽり覆われたボロボロの布きれ。
ローブと表現して良いかも判断しかねる布を被った、黒い人間。
その暗闇から、目元の赤い光だけが覗く。
ローブに覆われた体は見えない。
情報通りならば、あの下には六本の腕がある筈だ。
「弓兵、構え」
私が号令を掛けると、弓兵が順に狙いを定める。
弓兵には順に矢を射て、偏差射ちを行う様に言い含めてある。
ゆっくりと近付く黒い影は不安感を煽り、私は額に汗を滲ませながら手を振り下ろした。
「やれっ!」
ビュン、と。
すぐ目の前から矢が真っ直ぐボスへと飛んで行った。
接触までは一瞬、瞬き一つする頃には寸前まで鏃が迫る。
避けるか、弾くか、掴むか。
私達はどれかの行動を予測していた。
矢で傷付けられぬ硬度なら、盾を主体とした打撃戦術を。
避けるのならば耐久に難ありと見て、数の利を生かしじりじりと持久戦へ持ち込む戦術を。
掴むのならば槍と弓で中、遠距離から引き射ちを行う戦術を。
勿論全てが全て上手く行くとは思っていない。
だが、通常の探索者PTの三倍の数、更には国王軍の精鋭を引き連れての討伐だ。
そう易々とやられる気も無いし、勝つ気でこの場に立っている。
だが、目の前の存在はその予測を大きく上回った。
矢が命中する直前。
ほんの僅かな時間、その時間だけで目の前の存在が一瞬にして。
消えた。
避けたとか、受けたとか、そういう事ならば理解出来る。
だが、目の前の存在は体ごと消えたのだ。
目標を失った兵達から、戸惑いのどよめきが起こる。
だが次の瞬間、それは悲鳴へと変わった。
「ごっ」
最前列の盾兵が上げた声。
それは酷く鈍く、そして私達の間で良く響いた。
見ればすぐ目の前にボスの姿。
足元には抉れる様にして散乱する石床の破片、唸りを上げて放たれた打撃が盾ごと兵士を撃ち抜いた。
背後にいた槍兵ごと吹き飛ばし、瞬く間に陣形が崩れてしまう。
馬鹿な、一体どうやって。
想定外の事態に一瞬にして思考がパニックに陥る。
瞬間移動とも捉えられる異常な速度。
そしてその打撃の威力もまた、馬鹿げたものだった。
盾越しの筈の拳は盾兵ごと真後ろの槍兵、弓兵を巻き込み、吹き飛ばした。
諸共吹き飛んだ三人の兵は、十メートル程離れた石壁に激突し、血飛沫を上げる。
驚愕した。
その一言に尽きる。
強い、それも圧倒的に。
言葉を放つより速く、二撃、三撃と拳が振るわれる。
無造作に放たれた裏拳が顔面を砕き、突き出された拳が胸を穿つ。
フルフェイスは砕かれ、鎧は貫かれた。
まるで鋼鉄が紙の様に容易く、一目で分かる威力、即死級の拳。
抗う事も逃げる事も出来ず、兵士達が塵の様に宙を舞い、地を転がる。
すぐ真横を転がっていく兵士に反応も出来ず、硬直した体は現実を拒否した。
たった一瞬で、部下を五人失った。
たった数秒。
戦闘開始から、それだけの時間だ。
対峙する、戦闘だなんて烏滸がましい。
そう言えるだけの刹那の時。
だが、自分達の力量と相手の力量を知るには、十分すぎる時間だった。
この日の為に用意した名工の鎧が地面に転がり、貫かれたプレートが甲高い音を上げる。
一瞬の攻防で全てを悟った。
殺される。
勝てない。
今の私達では、死ぬだけだ。
その判断は早かった。
「撤退ッ!」
簡潔な一言。
その言葉がフロアに響き渡ると同時、兵が一斉に走り始めた。
無論、部屋の出入り口に向かって。
本来ならば、敵に近い数名が足止めとして時間を稼ぎ、その内に残りが撤退する手筈だったが。
挑むだけ無駄と思える強大な存在に誰もが逃げの一手を打った。
それを誰が責められようか。
恐怖心に人間は耐えられないのだ。
だが、私は前へと踏み出す。
殿は部隊長の務め。
この怪物の情報が不足していた、それは私の落ち度。
恐怖心を踏み潰し、震える足に檄を飛ばす。
抜刀した剣を手に、私は勝てる筈も無い相手へと挑んだ。
「私が相手だッ!」
恐らく稼げるのは数秒。
攻防が一度でも成立すれば僥倖。
今この時に置いては、その一秒がどれ程の価値を生むかを私は知っている。
集中しろ、この命、安く散らしてたまるものか。
黒い怪物へと疾走し、その距離がぐんぐん縮まる。
兵士を殴り飛ばした姿勢のまま動かない怪物は、ゆっくりと私に顔を向けた。
漆黒を取り込んだような、黒い何か。
その視線を受けて背筋が凍るが、背後に居る部下の命とは釣り合わない。
せめて数秒。
稼げるなら幾らでも。
どんなにみっともなくとも、足掻いて見せる。
剣の間合いに入る、その一歩。
私の持ちうる技術全てと、限界まで研ぎ澄ました世界。
その中で渾身の突きを放った。
怪物の胸目掛けて放たれた突き。
走る勢い、全身のバネ、予備動作無しで放たれたソレは、生涯私が放った中で最も鋭く疾い一撃。
幾つもの戦いを潜り抜けてきた相棒とも言える剣から伝わる絶妙な感触。
世界が速度を失い、脳がアドレナリンを過剰供給する。
それはまさに神業と言って良い程の一撃だった。
彼女の持ちうる全ての才、技術、全てを織り込んだ一撃を。
しかし、その怪物は容易く避けた。
何てことは無い、体を半歩横にずらしただけ。
たったそれだけの動作で彼女の一撃は空しく宙を突いた。
人間なら反応も出来ずに胸を貫かれ、死んでいただろう。
だが目の前の存在は、反応速度も、肉体のポテンシャルも規格外。
人外の怪物なのだ。
例え私の渾身の突きだろうと、目の前の存在にとっては何ともない。
凡庸な一撃だ。
「くそっ」
渾身の一撃を避けられ、姿勢を崩す。
だがまだ諦めない。
目の前の怪物が繰り出す攻撃を、一度、たった一度で良い。
致命傷さえ免れれば、生きてさえいれば。
まだ戦える、部下を逃がせる。
突きを繰り出した姿勢のまま、目の前の怪物の全ての動作に集中した。
躱せるとは思っていない。
最悪生きてさえいれば、四肢を失おうとも構わない。
この剣を失おうと、女として死のうと。
「見事」
声がした。
自分でも無い、部下でもない。
低く響いた男の声が。
それは目の前の怪物から。
一瞬、驚愕に思考が白く染まる。
そして、彼女の目でも捉えられる程ゆっくりと腕を引いた怪物が、ハッキリと口にした。
「が、他愛無し」
瞬間、凄まじい衝撃を横腹に受けた。
視界が一瞬で白く染まり、気付いた時には地面を何度も転がっていた。
攻撃されたのだ。
その事実に気付いた時にはもう、何も考えられなくなっていた。
躱す、受ける、それ以前の問題だ。
そもそも、攻撃を視認する事すら許されない。
転がった拍子に剣を手放し、鎧の破片が地面に散らばっていく。
漸く壁にぶつかって止まった時、その意識は深い闇の中へと消えた。