これは悟飯が1年から2年へと進級する間の春休み、その最後の日に起こった出来事である。
「しまったなあ、すっかり忘れてたよ」
夜の街を走る悟飯。春休みの課題としてだされたのは薄いテキスト1冊と読書感想文。真面目な悟飯はテキストの方は初日に全て終えてしまったのだが、後回しにした読書感想文を今日まで忘れてしまっていたのだ。
しかも昨今問題となっているインターネットで感想を漁ってそれをそのまま写すような不正を防止するため、かなりマイナーな本が指定図書として指示されていた。つまり、元々持っていた本や過去に読んだ本の感想を書いて取り繕うこともできない。
そう言った訳で慌てて本屋へと走っているのだった。
「店が閉まるのは10時、今は9時だから余裕かな。売り切れていないといいけど」
時計で時刻を確認し呟く。最悪、クラスメートの友人に借りると言う手もあるが、夜分に家に押しかけるのも気が引ける。そう思い目立ち過ぎない程度に足を速めるのだった。
「ふう、思ったより長引いてしまったな」
一方、その頃、別の場所で同じように走る者が居た。ただし悟飯とは大きく異なる点が存在した。それはその走っている人物は別の人物を乗せた人力車を引っ張っているということである。
「お疲れ様です英雄様!! もうしばらくでお屋敷に着きますのでそれまでお休みください」
その人物は忍足あずみ、そして彼女の引っ張る人力車に乗るのは九鬼財閥御曹司、九鬼英雄である。学生ながら既に企業の役員として働いている彼は春休み中も精力的に活動ておりし、今日も遅くまで会議に参加していたのだ。
「そこまで疲れておる訳では無い。それにこうして夜の街を眺めると言うのもたまには悪くないわ!!」
従者の気遣いに対し声を張り上げて叫び応える英雄。流石に夜間なので多少は抑えているが。
「きゃるーん。忙しい日々の中でも優雅な心を忘れない英雄様、流石です!!」
何時もどおりの主に対し、こちらも何時もどおりに猫かぶりで賞賛する従者。しかしそこで彼女の意識が切り替わる。元傭兵としての彼女の鋭い感覚があるものを捕らえたからだ。それを音であった。それを何か大きなものが空中を飛ぶ風切り音だった。
(何の音だ?ミサイル? まさかな。幾らなんでも日本のしかもこんな街中じゃありえねえ)
音の正体を確かめようと、視線をその発生源の方向へと向けた彼女は、それを目撃した瞬間にその目を大きく見開いた。ありえないと切り捨てたミサイルが飛んで来ていた方がまだ驚かなかったかもしれない。何せ、飛んで来たのは西洋の宮殿にありそうな巨大な柱であったからだ。しかもその上には人の影らしき物が見える。
(おいおい、幾らここが川神だからって非常識にも程があるだろう!!)
非常識が日常的に見られる得意な地である川神にあって尚、異常と呼べる光景。しかし、今、彼女がやるべきことは喚くことでも自分の正気を確かめることでもなかった。彼女のやるべきこと、それは”こちら”に向かってくる柱を回避し主を守ることである。
「英雄様、車にしっかり掴まって居てください!!」
主に警告を発し、急停止と方向転換を同時に行う。
そして見事に衝突を回避する。しかし、それで危機が去った訳ではなかった。
「あのままぶつかれば手間が省けたのだがな」
柱の上に乗っていた人物。それが柱から降りて二人の前に立ちふさがり、自分達の命を奪う宣言をしたからだ。その男は異様な姿をしていた。顔面の上半分は機械で覆われており、目のある場所には暗視ゴーグルのような形をしたレンズが埋め込まれている。更に両腕は金属製の義手である。
(やべえ、こいつはまじでやべえ)
戦慄するあずみ。男の見た目は怪しいがそれ以上にその中身がやばいことに気づいたからだ。目の前の相手の実力は自分よりも遥かに格上、恐らくは壁越えの実力であることを彼女の戦士としての直感が訴えかけてくる。しかもただ強いだけでなく、明らかに他者を殺しなれた人間の雰囲気を漂わせていた。
そして男から絶望的な言葉が発せられる。
「私は世界一の殺し屋桃白白。お前達の命を奪うために雇われたものだ。九鬼英雄、お前の命をいただこう。ああ女、お前に用は無い。邪魔をしなければ見逃してやろう」
圧倒的な力を持った相手からの殺害宣言。それは死刑宣告にも等しいものだった。あずみ自身は殺害対象に含まれてはいないが、無論のこと彼女には主を見殺しにして自分だけが助かろうとする選択肢等存在しない。
「我の命が目当てか」
「そうだ。言って置くが買収などは無駄だぞ。こちらにも一応殺し屋としての誇りがあるのでな」
殺し屋を前にして一切の怯えを見せない英雄。彼が話しかけている間にあずみはこの状況を打開する手段を必死に考える。
(どうする。ベストはあたいがここで足止めをして、英雄様一人で逃げてもらうことだが……)
その場合、あずみはほぼ間違いなく死ぬであろう。たった一人で壁越えに相対して生き残れると思う程、彼女は自惚れてはいない。
そして主のためであれば自らの命を捨てる覚悟等、当の昔にできていた。しかしその策を実行することはできない。何故ならば自らの主が従者を犠牲にして自分だけが逃げるようなことを絶対にしない人間であることを彼女はよく理解していたからだ。
(そうなると味方が来るまで時間を稼ぐ。他に手はねえな)
九鬼の御曹司程の重要人物。当然、護衛はあずみ一人では無い。彼女が直ぐ側で警護しながら、周囲を取り囲むように広く人材を配備している。そうすることで、狙撃などの長距離からの暗殺や、暗殺者が近づくこと事態を防いでいるのだ。しかし、今回の場合は敵があまりに非常識な移動手段を用いたため、裏目にでてしまっていた。
(一番近くに居る李とステイシーがここに駆けつけるまで多分、後、1分か2分ってとこか。正直きついな)
「それでは死んでもらうぞ」
護衛の布陣を頭の中で思い浮かべるあずみ。考えが完全にまとまる前に、桃白白が再度殺害宣言を発する。その言葉で思考を中断し、彼女は持っていた苦無を投げつけた。
(なるべく接近せず、距離を置いて時間を稼いでやる!!)
見たところ桃白白は素手である。飛び道具を使えば多少なりとも有利に戦えると判断しての攻撃。しかしそれは悪手であった。放たれた苦無がキャッチされ、投げ返されてしまったのだ。
「くっ」
自分が投げた以上の速度で返って来た苦無を何とかよけるあずみ。しかしその直後彼女は目を見開く。
「いない!?」
回避の際、相手からほんの一瞬だけ意識が外れてしまった。
そして回避行動を取り、視線を戻した時、先程まで居た場所から相手の姿が消えていたのだ。
「あずみ!!右だ!!」
困惑する彼女に対し発せられる英雄からの警告。その時、咄嗟に右を向いてしまわず、即座に避行動を取ったのは歴戦を潜り抜けて来た経験か、本能的な直感か。いずれにしてもその一瞬の判断が彼女を死から逃れさせる。しかし無傷ではすまなかった。死の代わりに頬に走る激痛。
「これはこれは、若い娘さんのでぃーぷきすを頂いてしまったな」
「この変態セクハラ野郎が。乙女の純潔を奪いやがって!!」
致命をかわしたあずみに意外そうな声で、そして口元を歪めたにやついた表情で言う桃白白。それに対し毒舌を返すあずみ。その内心には堪えきれない苛立ちと焦り、恐怖が渦巻いていた。
(こいつ、本気で化け物だ!! たく、ここまで最悪なのは何時以来だ?)
何せ彼女の頬は先程桃白白の”舌”によって貫かれたのだから。しかも口内に侵入した舌によって彼女の歯を2本へし折られていた。
英雄に捧げたかった口内初侵入を奪われたこと、その手段が化け物じみた所作であったこと、そしてそれを成した化け物が自分の主の命を奪おうとしていること、あずみは戦場で所属していた部隊が自分以外全滅した時以来の最悪な気持ちであった。
(英雄様が声をかけてくださらなかったら、あたいはあのままこめかみを舌で貫かれて……あの威力なら多分、頭蓋骨を割られて死んでたな)
相手が常識の壁を越えた達人であることを理解し、改めて状況の悪さに気づくあずみと英雄。しかし、そこで僅かに事態が好転する。
二人だけではあるが、待ち望んだ救援が現れたのだ。
「へーい、お待たせ。状況は把握してるぜ。しかし間近で見ると本気でクレイジーな奴だな」
「間に合ったようですね。ヒュームさんとゾズマさんには既に連絡済みです」
金髪のアメリカ人、ステイシーと黒髪の中国人、李。共に従者部隊の上位に名を連ねる実力者であり、あずみにとっては最も親しい同僚の二人であった。
「上出来だ」
李の行動に賞賛を送る。彼女が口に出した名前は九鬼従者部隊に2名しかいない壁越えの実力者のものだ。つまりは目の前の殺し屋に匹敵する化け物級の実力者であり、そのどちらかでも来てくれれば一気に勝ち目は大きくなる。特にヒュームは壁越えの領域の中で更に壁を越えた正真正銘の化け物。彼ならば目の前の相手にも確実に勝てると確信していた。
(まっ、あたい等がそれまで持ち堪えることができればの話だけどな)
とは言え、この場に居ない以上、それは絵に描いたもちだ。救援を呼んだと言っても彼が来るまでにどれだけの時間がかかるかはわからない。状況が好転したのは確かだが、まだまだ悪い状況なのには変わりは無いのだ。
「李、ステイシー、死ぬ気で行くぞ!!」
「承知しています」
「全くデンジャラスな職場だぜ!!」
時間を稼ぐにしても倒すのを狙うにしても守り固めるのは悪手。そう判断し、攻めることを選ぶ。その判断に従い、まず最初にステイシーが攻撃を仕掛ける。
「おら、喰らいやがれ!!」
服からサブマシンガンを取り出し、弾丸をフルオートで発射する。浴びせかけられる数百発の弾丸。しかし全ての弾丸が撃ちつくされた時、桃白白は体に穴を開ける事も血を流すことも無く、平然と立っていた。
「撃ち終わったかね?」
「ファッキン!!」
桃白白が口を開き、その手より弾が零れ落ちる。
その光景の意味を理解したステイシーの口から漏れる悪態。信じられ無いことに放たれた全ての弾丸は掴まれ、受け止められてしまったのである。
「随分と沢山いただいてしまったな。少しお返ししよう」
そう言って楽しそうに笑うと手を大きく振り、その方向がステイシーの方を向いた瞬間に開く。結果、手の内に未だ残っていた数十発の弾丸は彼女目掛けて放たれた。それはまるでショットガンのようであり、本物に勝るとも劣らない破壊力を秘める。
「ガット!!」
悲鳴があがる。咄嗟に回避し、胴体や頭部に当たるのは避けたものの数発の弾丸がステイシーの足を砕く。骨が露出するほどにずたずたにされ、戦闘継続は愚か、立ち上がることさえ困難であることが一目で見て取れた。
「はっ!!」
そこで李が仕掛ける。ステイシーは心配だが、今は目の前の相手をどうにかするのが優先と一気に接近した彼女は大振りのナイフを全力で振るい、その首筋を切り裂こうとした。しかしその刃は相手に届かない。桃白白の親指から中指までのたった3本の指によって掴まれ、止められてしまう。
「ぐっ」
その状態からナイフを取り替えそうとする李。しかし3本の指で掴んでいるとは思えない程その挟む力は強くびくともしない。それどころか、ナイフを通して李の体は上空に持ち上げられてしまう。
「ほいっとな」
「きゃああ!!」
その状態から李の体をふりまわし指を離す。遠心力によって飛ばされた彼女は建物の壁に叩きつけられ崩れ落ち、そのままぐったりとして動かなくなる。
「くそったれ!!」
二人が戦闘不能にさせられ、再び一人に戻ってしまうあずみ。その彼女に桃白白が接近する。それを妨害しようと苦無を振るが回避され、空を切る。
「!!」
眼前に迫る拳。その瞬間、彼女は死を覚悟した。
「ほあちゃああ!!!!!」
だがそこで思いもかけないことが起きた。何者かの蹴りによって桃白白の体が横へ吹っ飛んだのだ。その原因を作った人物の正体、それは九鬼英雄だった。
「我の目の前であずみはやらせん!!」
戦闘態勢の構えをとり、高らかと宣言する英雄。目の前でやられていく従者達に対し、それを黙って見ていられず、彼女達を庇うために攻撃をしかけたのである。それは彼本人を除けばその場に居た誰にとっても予想外の不意打ちの一撃であり、完全に意識の外からの攻撃を受けて、流石の壁越えの達人も地面に倒れたのだった。しかし所詮は体勢を崩された程度。ダメージは殆ど無く、直ぐに立ち上がってしまう。しかもその表情にはやられたことによる憤怒が浮かんでいた。
「おのれ、邪魔な手下から先に片付けてやろうかと思ったが。いいだろう。ならば、主従仲良く、共にあの世に送ってくれる!!」
そう宣言すると義手である桃白白の手首が外れる。その内側にあったのは大きな銃口。
「このスーパーどどん波で二人まとめてかき消してくれるわ!!」
気を機械の力で増幅した一撃。その強大なエネルギーが銃口に収束されていく。その一撃が放たれれば文字通り、二人の体など跡形も無く消滅されてしまう。いや、それどころか巨大なビルをも消し飛ばしてしまうだろう。
「英雄様!!」
英雄を庇うようにその体に覆いかぶさるあずみ。それが無駄な行為であることは分かっていたが、そうせずには居られなかった。
そして気の光が放たれ、極太の光が二人を飲み込もうとした。
だがその時、彼等の後方より誰かが飛び出した。
「はあっっ!!!」
そしてその人物は二人を庇うように前に立つと、気合の叫び声をあげる。それだけで、ただそれだけでビルをも吹き飛ばすスーパーどどん波をかき消してしまったのだ。
「なっ!?」
自らの必殺技が打ち消されたことに驚愕の表情を浮かべる桃白白。
そして英雄とあずみもまた驚愕の表情を浮かべる。それは突如乱入した人物が二人がその顔を知り、同時にこの場に居るのが異常な人物だったからである。
「な、なんでおめえがここにいやがる!?」
そしてあずみはその人物の名を呼んだ。
「孫悟飯!!」