申し訳程度のワンピ二次【完結】   作:安木ポン酢

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第八話 巨大魚

 そういう訳で、私の身体に起きた異常については短期的には解決したと言って良かった。

 見ないようにする事にしただけとも言う。問題の先送りとは実に優れたやり方だと思う。具体的には戦力の逐次投入を敵に強要するところが凄い。調子に乗って使っていると波状攻撃に変わってしまうからやり過ぎたら駄目だけど。

 今のところそうやって放り投げている問題の中で確実に対処しないといけないものは全部で三つ。家族への連絡と、無人島から脱出して家に帰る方法を探る事、それから当面の衣食住についてだ。

 それ以外の細かいものを挙げるなら髪の毛の手入れの事とか何処かで無くしたジャージの回収の事とか色々有る。後は忘れた。必要になったら多分その時に思い出すだろう。今は差し迫った問題を何とかしないといけない。

 

 まず、家族への連絡だけど、これはひとまず諦める事にした。

 ボーナスポイントが明らかに足りていないからだ。仮に足りていてもそれだけボーナスポイントが有ればもう少し溜めて直接家に帰る事を選んだ方が賢いし、そこまでいく前に間接的な方法で帰宅する事を考えた方がもっと賢い。

 深く考えすぎてホームシックに陥る事を防ぎたいというのも有る。今の私に必要なのはそれなりに冷静で柔軟な思考で、枕を涙に濡らす事じゃなかった。

 

 じゃあ次はその帰るという事を達成するにはどうしたらいいかという話になるけれども、これは『メニュー』に頼るしかない。まさか泳いで帰る訳にもいかないのでどうにかして十分な量のボーナスポイントを集める必要が有る。

 ただ戻った後の事を考えると、可能な限り世間にも説明が付きやすいような方法を選びたい。

 つまり『世界間転移』は駄目だ。それがどんな形で行われるのかは分からないけれども、リスクとコストを考慮すれば最善の手段ではないように思える。物理的に実現可能な方法で帰還するのは必須という訳ではなくても、重要な事だった。

 それに、奇跡の生還を果たす事ができれば半年くらい時の人になれるかも知れない。それから何だかんだでアイドルとしてデビューして――

 

 妄想はさておき、現実問題としてどうやって家に帰ろうか。取り敢えず島から脱出するのは確定だけど、そもそもどうすればここから安全に出られるんだろう。船か何かを呼び出しても操縦できるとは思えないし、明らかに無駄が多い。使い終わった後の処理にも困る。

 じゃあ陸地に着くまでのレンタルという事にして、その上で自動操縦的な機能の付いた船を選べばいいんだろうか。ホテルを一泊借りられるなら、船だって同じように借りられるだろうし。

 陸地との距離も知っておきたい。昼間に見た時は陸地の類は見当たらなかった。だから少なくとも四キロメートル以上は離れているのは確かだ。だけど同じ地平線の先でも一〇と一〇〇とじゃ全然違うから、多少余裕を見ておく必要が有る。時間切れでいきなり海のただ中に放り出されたら堪ったもんじゃない。

 陸地に辿り着いた後の事も大事だろう。何処に着くにしても、日本より安全という事は考えにくかった。『翻訳』のお陰で最低限のコミュニケーションは取れるだろうし、できなくても『メニュー』が有れば何とかなるとは思うけれども、外国というだけで得体の知れない危険を感じずにはいられない。日本人は色々と隙が多いと聞いた事が有るし、ああ、今からもう不安になってきた。私は本当に無事に日本へ帰れるんだろうか。

 

 ボディガードが要る。

 それも飛び切り腕の立つような。外国で行方不明になった人のニュースは何度も耳にしている。日本に居た時は怖いなあと思うだけで良かったけれども、今は他人事じゃない。身を守る為に誰にも負けない最強の護衛に着いていてもらう必要が有った。

 最強の護衛――というとこれはもう未来から送り込まれてきたロボットの人とかが真っ先に思い浮かばずにはいられないけど、それはさておき。『メニュー』が服やら天然水やら広辞苑やらを出せるのは知っている。だったら、ボディガードだって呼び出せてもおかしくはない。

 ……いや、別にふざけてる訳じゃない。確かに『メニュー』が凄いのは分かる。だからと言って、いくらなんでも生きた人間を呼べるなどとは思っていない。私が呼ぼうと思っているのは黒いサングラスの人とかじゃなくて、介護ロボットの強くなったような奴だ。

 

 そんなものは無い、とは言い切れないのが『メニュー』のおかしいところだと思う。と言うか、むしろ護衛能力持ちのロボットよりも『メニュー』の存在の方が有り得ない。謎のポイントと引き換えに好きなものがいつでも手に入るって、どんな仕組みだ。

 挙句の果てにはホテルにも泊まれるし、しかもそのホテルも微妙におかしいし……。案外護衛用ロボットどころか抹殺用ロボットさえ呼べてしまうかも知れない。抹殺されたくないから呼ばないけれども。

 

 とは言え、まさかそのままロボットを呼び出すという訳にもいかないだろう。ちゃんと管理できる自信が無いし、何より目立ちすぎる。ロボットに護衛なんてさせてたら家に帰るどころの話じゃない。よしんば無事に帰れても有る事無い事詮索されて大変な事になってしまう。まだ、『世界間転移』で戻って色々と誤魔化す方がましだ。

 つまり今の私に必要なのは、特定の人物を護衛できる程度には機転が利き、人の手の管理が要らず、周りの注目を集めないくらい人間にそっくりで、その上どんなものに襲われても撃退できるような実力の持ち主だった。

 つまりシュワちゃん。

 嘘だ。

 現実的には、そんな高性能な代物を手に入れるのに手持ちのポイントで足りるとは到底思えない。ついでに言えば、実際そこまで文字通り人間離れしたような強さは要らないだろう。二、三人に襲われても撃退できるくらいの実力で十分だ。

 という訳なので、それを踏まえて『メニュー』に頼み込んでみる事にする。

 

『おっさん(一時間) 1BP』

 

 何だか変なものが出てきてしまった。

 私の思考に反応して、『メニュー』が項目を表示する。数は一つだけなので、目の錯覚という事は無い。

 おっさん――おっさんと言うと、あのおっさんだろうか。いや、どのおっさんか知らないけど、どういう事だ。生きた人間は呼べないんじゃなかったのか。

 勿論それは私の勝手な想像だったけれども、そんなに間違った想像とも思っていない。だって、人間だ。いくらなんでも、倫理的に問題が有りすぎる。それとも、出てくるのは本物のおっさんじゃなくて、おっさんロボットとかそういう感じのものだったりするんだろうか。

 説明を見たら、歴とした人間だと書いてあった。三五歳の日本人男性という事らしい。本物のおっさんだ。もう言い逃れはできない。

 『メニュー』は、生きた人間を呼べる。

 

 なんという事だろうか。とんでもない事になってしまった。今すぐ警察に電話しないと。

 やや錯乱しながら慄いていたら、ふと頭に一連の思い付きが浮かんだ。『メニュー』における『BP』の存在。『仕事』の報酬。所々に見られる経済活動の概念。『BP』を現実のお金に変えられるという事実。

 もしかして、今まで『メニュー』から出てきたものって、ゼロから生み出されていたという訳じゃないんじゃないか。つまり『BP』はまさしくボーナスポイントで、電子マネーみたいな感じの存在だった、とか。

 『メニュー』という機能を大元から何者かが管理していて、利用者がポイントを使う度にそれに合ったサービスを提供している――それでも現在の技術力を大きく逸脱している事には変わりないし、その何者かって何なんだという話にもなるけど、それなら生きた人間を呼び出せる事にも説明が付くと思う。

 『世界間転移』の存在もそう判断した理由の一つだ。自宅まで瞬間移動できるなら、逆に何処かから連れてくる事だってできるに違いない。要するに通信販売の凄い奴みたいな感じなんだろう。配達人がテレポーターだと思えば何も不思議な事は無かった。

 それより、ずっとスルーしてたけど二、三人に襲われても撃退できるおっさんって地味に凄くないか。私のお父さんとか滅茶苦茶弱そうだし。もしかしたら、ただ条件が反映されなかっただけなのかも知れないけれども。

 

 早速実際に呼んでみようとしたところで、止まる。

 男の人と無人島で二人っきりって、ちょっと不味いような気がする。いや、かなり不味い。何か有ったらどうするんだ。

 じゃあ二人呼べばいいのか? そういう問題じゃない。と言うか、信用してもいいんだろうか。流石に無条件で信頼し切ってしまうというのは危ないと思う。通信販売というシステムに問題は無くても、送られてくる品物にまで問題が無いとは限らないし。

 いや、違う。もっと大きな問題が有った。能力や性格以前に、そもそも護衛なんていう危険な仕事を引き受けてもらえるんだろうか。当たり前だけど、おっさんだって生きている。生活の都合というものも有るだろう。養っている家族も居るに違いない。

 『メニュー』の画面を見ると、『おっさん(一時間) 1BP』という項目が嫌でも目に入ってくる。自給一〇〇〇円で雇えるという事は、つまりそれ相応の働きしか求めちゃ駄目だという事なんじゃないか。私だって自給一〇〇〇円で護衛なんてやりたくない。いや、私の戦闘力だと犠牲者が一人増えるだけで終わりそうだけど。

 

 考えれば考える程どんどん問題が浮上してくる。こんな調子で本当に上手くいくんだろうか。

 いや、でも、ちょっと待った。危険危険って言うけど、良く考えたら、そもそも荒事を想定する必要性なんて有るんだろうか。別に護衛のつもりは無くても、適当な男の人に傍に居てもらうだけでも随分違う気がする。一人だと不安なので、一〇人くらい。サングラスとスーツで武装すれば完璧だ。もう襲われる気がしない。

 だけどそれでも危険が有る事に変わりは無いし、信頼性についても根本的に何も解決してないし……。ああ、何だかややこしい事になってきた。結局どうすればいいんだろう。

 取り敢えず『メニュー』を閉じて思考を打ち切る事にする。考えて悪い方向に行くなら、いっそ考えない方がましだ。どの道今すぐ護衛が必要という事も無い。護衛について考えるのは島を出る時でも遅くはないと思う。

 

 何はともあれ、ボーナスポイントが無ければ始まらないというのは間違いなかった。今は多少余裕が有るものの、こういうのは有れば有るだけ役に立つのは言うまでもない。昨日ちらと眺めた『仕事』の中で、達成できそうなものを選んでやってみるのも悪くないだろう。

 一円玉一万回転とか。報酬は10BP。効率がいいのか悪いのか……。やりたくないのは確かだけど。

 でも、そうは言っても、あまり悠長に時間を掛けて集める訳にもいかない。ボーナスポイントの収支でどれだけの黒字を出せるのかは知らないけれども、一日に何百万円もの利益を生むというのは多分無理だ。腰を据えてやるよりは、むしろ内職的にやって赤字を軽減する方が賢い気がする。

 一刻も早く家に辿り着く為にも、少なくとも三日以内には具体的な行動を起こしたい。そうなるとやっぱり金の亡者ならぬボーナスポイントの亡者などになっている暇は無いと言えた。

 

 具体的な行動というものについて考えてみる。

 無人島からの脱出にまず必要なのは船だ。別に飛行機とかでもいいけど、船の方が安上がりなのは間違いない。私に操縦なんてできないので、自動で目的地まで進んでくれるような船を探す必要が有るだろう。

 もしくは、船の操縦ができるような人に来てもらうというのもいいかも知れない。その人を呼ぶにもボーナスポイントが必要だろうけど、自動操縦機能付きの船を借りるよりは安上がりで済む筈だ。ただ取り敢えずこれ以上問題を増やしたくないので、今回は候補からは外しておく事にする。

 護衛云々についてはひとまず置いておいて、陸地に着いたら他に何か必要なものは有るんだろうか。ひとまず、最終的な目的地は何処かしらの国際空港だ。パスポートを持っていないので騒動は起こるだろうけど、日本に連絡を取ってもらえさえすれば後は何とかなる、と思う。

 まさかいきなり刑務所行きという事は無いだろうし……いや、本当にそうなんだろうか。日本なら色々手続きとかを踏む筈でも、外国もそうとは限らない。まして、気候からして南半球の何処かだ。偏見かもしれないけど、適当に内輪で処理された挙句、碌な取り調べも無く有罪判決を受けて一生帰れないなんて事も――

 

 まあ、後ろ向きな想定をしたって仕方が無い。結局のところなるようにしかならないし、その時はその時で『メニュー』の出番が来るだけだろう。最悪、1BPで馬小屋に逃げ込めるのは分かってる。どうしようもなくなった時の為の保険も予め何か探しておいて、うん、どうにかいけそうな気がしてきた。きっと全部上手くいく。

 頑張ろう、我が家に帰る為に。

 

 とは言っても、流石に今すぐ動き始めるというのも無茶に思える。闇雲に焦っても何もいい事は無い。万全を期す事はできなくても、八〇点の安全くらいは確保しておきたかった。今日一日をその確認作業に充てるとして、島を出るのは明日以降か。それくらいならこのままホテルに泊まって衣食住の問題を解決してしまっても影響は小さいかも知れない。

 悪くない気分だった。目的がはっきりすると身も心も引き締まってくる。

 部屋の時計を見れば、短針は九の辺りを指していた。起きてから二時間近く経っている。どれだけのんびりしたらこうなるのか。自分で自分が信じられない。いくらなんでも、遅すぎだ。

 のんびりすると言えば、あとどのくらいの時間ここに居られるのかという事も気になる。部屋を借りたのは夜だった。期限は二四時間なので、取り敢えずまだ暫くは大丈夫だろうと思うけれども。

 安っぽい扉に視線を向ける。昨夜見た時は、あの外は暗闇に繋がっていた。今なら太陽の顏も拝めるんだろうか。

 確かめてみよう。

 どの道ホテルを借り直さないといけないのは分かっているから、ここに戻れなくなっても惜しくはない。恐らく大変な事になっているだろうジャージも一応回収しておかないと。

 

 ドアノブを捻って扉を開くと、眩い光が部屋の中へと差し込んだ。

 明かりじゃない、光だ。人工の明かりでは絶対に出せない圧倒的な生命力。これを感じた後では室内の様子も薄暗く辛気臭いものに見える。勿論、それは単に明るさだけの話じゃないなと思った。

 暑い。

 風が吹いて、砂が玄関に入り込んでくる。扉の縁を間に挿んで、砂浜とマットがそれぞれの領域を主張し合っていた。だけど、人は自然には勝てない。

 

 砂が床まで上がる前に外に出た。

 柔らかい。足を前に踏み出す度に、そのまま身体が沈んでいきそうだと錯覚する。つまり、歩いている実感が無かった。コンクリートで舗装された道路とは違う。成る程、如何にも綱渡りだ。

 後ろを振り向くと、そこにはホテルの一室が有る。反面、扉の縁の向こうには何も無い。ただ乾き切った砂浜だけが広がっている。このまま扉を閉じたら一体どうなるんだろうか。疑問に従ってそれを閉めれば、まるで空気に溶けていくように消え去ってしまった。

 

 ああやっぱり駄目だったか。

 落胆と納得の入り混じった心境で踵を返した先には何故か扉が有った。当然、額を強かにぶつける。とても硬い。死角からの一撃だったので、かなり効いた。

 具体的にはタンスと小指の云々。頭がふわふわする。打ったところが赤くなっているのが見ないでも分かった。

 なんでこんな近くに出てきたんだ、馬鹿。

 

 悪態を付きながら後ずさる。見れば見る程、さっきの扉にそっくりだ。

 と言うか、それそのものに見える。もしかして、消えてしまった訳じゃなかったんだろうか。取り敢えずと開けてみたら、普通に部屋の中に繋がっていた。

 少し考えて、そこから一〇歩程度離れた場所まで移動する。その間も視線は扉から外さない。私が足を止めた後も変わらず砂浜にそびえ立って、いや、良く見たらちょっと浮かんでる。大体二センチくらい。なんだ、あれは。

 そうやって意識を逸らしたのが良くなかったのか、扉は私の視界から音も無く掻き消えた。動揺は無い。元々そのつもりだったので、むしろ手間が省けたと言える。視線を宙に漂わせつつ目的のものを思い浮かべると、予想通り消えた筈の例の扉が私の目の前に現れた。

 

 なんという事だろうか。どうやら時間が来るまでは好きな場所に部屋を呼べてしまうらしい。

 すこぶる画期的だ。何処に居てもシャワーを浴びられる。湯船に入れないのは痛いけれども、むしろ長々と風呂に時間を使わずに済むという意味では逆にありがたい。いや全然ありがたくはないけど、こんな待遇があと半日も続くと思うと、100BPの価値は有ったという気持ちがひしひしと湧いてくるようだった。

 いや、やっぱりそこまではいかない。一日の生活費に一〇万円も掛かるとか、どんな暮らしだ。

 

 近くに落ちていた布の塊を回収して、部屋の中へと戻った。

 ジャージ上下とシャツ、それに靴下。昨日までは確かそんな感じの種族だった筈だけど、どうもこの一晩でぼろ雑巾に転生したらしい。最早かつての面影は見られず、完全に手の施しようが無いように思える。洗濯機に放り込むのは無謀すぎるだろう。ひとまず湯船に浸しておいて、最低限臭みが抜けるまで待ってみる事にした。

 その間に島を出る準備を進めておこうか。時刻は漸く九時を回ったというところ。お昼まであと三時間有る。それだけ有れば作業も随分片付いてくれるに違いない。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「あー」

 

 目がしばしばする。

 地味にきつい。眠気のような気怠さだ。一日分の活力をもう使い切ってしまったかのように感じる。大袈裟なくらいに大きく背伸びをして、二酸化炭素の塊を吐き出しながら『メニュー』を閉じた。暫く人工の光は見たくない。

 瞼に手の平を乗せて脱力する。目を酷使しすぎた。暫く休ませてやらないと使い物にならないだろう。肩から首に掛けても微妙に重い。放っておいたら疲労が残ってしまいそうなので、多少念入りにストレッチをして緊張を解いていく。やっぱり、慣れない事はするもんじゃないなと思った。

 

 長く苦しい作業を終えて、私は精神的に満身創痍のダメージを受けていた。

 もう少し具体的に言うと、昼になるまで『メニュー』を調べていたら身体の節々が痛くなった。大した事無いとか思ってはいけない。まさか島を出る準備をするだけでこんなに疲れるとは。この鈍い苦痛があともう暫く続くと思うとうんざりする。

 ただ時間と労力を割いただけの事は有り、成果もそれなりに多く得られた。それが果たして三時間の作業に見合うかどうかは知らない。ただ、単純に準備だけじゃなく、『メニュー』の使い方についても理解が進んだように思う。

 まず、島からの脱出についてだけど、これはもう目算がはっきり付いている。予め考えていたように、自動操縦機能の付いた小型の船を一隻借りる事にした。代金は二四時間で50BP。適正価格かどうかは分からない。設定した条件に合った陸地に向かって進むという事らしいから、その辺は臨機応変に対応していけばいいと思う。できればもう少ししっかり吟味したかったんだけれども、他にも調べたい事が有ったから取り敢えずこれで妥協しておいた。

 

 その調べたい事の一つは、自分の現在地を知る事だった。

 島から出る為の移動手段が手に入ったら、今度は何処に移動するかも見当を付けないといけない。いざ陸地に着いた時にも、地理的な情報が有ると無いとでは全然違うだろう。そう思って小一時間『メニュー』を探し回ったところ、何とも言えない微妙な結果に終わってしまった。

 というのも、私が探していたのはカーナビの世界版みたいな感じのものだったんだけれども、何故かどれも妙に高い。一部を除いて少なくとも1000BP以上で、中には10000BPを越えてくるものまで有った。流石に現在地を知るだけの事でそんなポイントを使いたくはない。

 そう考えて、私はもう少しアナログなものを探してみる事にした。正確な場所は分からなくても、せめて陸地の方向だけでも分かれば随分助かるだろうと思ったからだ。

 

 その結果、検索にヒットした項目は僅か二つ。その名も『記録指針』と『永久指針』。それぞれ『ログポース』、『エターナルポース』と読むらしい。聞いた事が無い道具だった。何かの専門用語なんだろうか。

 疑問に思って説明を見てみれば、何やら島の磁気を記録するとか訳の分からない事が書いてある。島の磁気って何だ。もう少しまともな説明は無いのか。

 いや、この際説明云々はどうでもいい。何より問題なのは、大して厳しい訳でもない条件で絞り込んだ筈なのに、その二つだけしかリストに表示されなかったという事実だった。『メニュー』というのは、それはもう私には想像も付かないくらいに凄いものだと思う。その『メニュー』が、コンパスすら出せないというのはいくらなんでも不自然じゃないか。

 

 案の定ピンポイントで探したら数千数万ものコンパスが項目で表示されたけど、そうなると今度はどうしてさっきは出てこなかったのかという事になる。コンパスだけでこんなに有るなら、他のものも合わせれば数え切れないくらいの種類の道具が用意されている筈。

 にもかかわらず、『記録指針』と『永久指針』の二つしか生き残れなかった理由とは何なのか。他との違いと言えば何故か一つ1000BPもするという事が挙げられるけど、まさか値段が高いからとかいうおかしな理由の筈が無い。

 と言うか、そもそもなんでそんなに高いんだ。画像を見る限りではちょっと変わった形をしたコンパスにしか見えなかったし、一体何処にそんな大金がつぎ込まれているというのだろう。

 

 何か重大な思い違いをしてしまっているような感じがしていた。でも何がそうなのかは分からない。

 強いて言うならズレのようなものだ。それは『メニュー』の存在を認識した時からずっと感じているもので、そして今も尚徐々に大きくなり続けている。

 

 

 

 手の平を顏から退けて、何度か瞬きをしてから立ち上がる。そろそろ疲れも抜けてきた。丁度時間もいい具合だし、少し早いけどお昼にしよう。まだ髪の毛の手入れの事とか細々した問題が片付いてないけれども、それは午後にやればいい。

 冷蔵庫の前で何を食べるか考える。折角だから、外で海を眺めながら食べるのもいいかも知れない。すると砂が入りそうなものは止めておこうか。ああ、なんかわくわくしてきた。自然を傍に感じながらも快適な環境で過ごすなんて、早々有る経験じゃないだろう。

 と、そこで一ついい事を思い付いたので、一旦画面を離れて外に出た。それから扉を宙に三〇センチメートルくらい浮かせて呼び出し、そのままにした状態で備え付けの椅子を玄関ぎりぎりの位置まで持ってくる。

 そして冷蔵庫からフライドポテトと炭酸飲料のスプライトを取り出して、いそいそとそこに腰掛けた。

 

 さあ、じゃあ、食べようか。

 

 こういうのがやってみたかったんだ。

 スプライトを口に含み、フライドポテトを啄んで食べる。手は使わない。紙の器をそのまま口に近付けてモハモハと唇で引き上げていく。あまり人には見せたくない食べ方だ。ただ手が汚れない食べ方でもあるので、箸を用意するのが面倒な時に重宝している。

 爽やかな炭酸で喉を潤したら、今度はじっと海を眺めた。緩やかな波のうねりは如何にも舌を休めるのに丁度いい。自然の象徴と言えば海で、海と言えばシンプルな食べ物。シンプルな食べ物から自然を連想する事は無いけど、野性に近付いているような気はする。甘い炭酸飲料が野性的かと言うと、そういう訳でもないんだろうけれども。

 ポテトを啄み、ストローを吸い、水平線をぼんやりと見る。それの繰り返し。時間の流れが遅い。このままずっと夜が来ないんじゃないかとさえ錯覚する。実際にはあと数時間で日は暮れ始めるけれども、それは具体的にどれだけ先の事だというんだろうか。

 安らかな気分だった。視界の海原を縮小したらそうなるんじゃないかという感じ。心を揺らさない範囲で幾つもの感情が寄せては消えていく。そんな心境。なんて穏やかなんだろう。静かに波打つ海面は何処までも広大で美しい。私にはそれがいつまでも変わらない不変の光景のように思われた。

 

 不意に海面が盛り上がる。大きな波の前兆だ。時々こういう事が有るから、見ていて飽きない。少なくとも今はそういう気分だった。

 明日になったらこの感傷も無くなってしまうんだろうか。それは少し寂しいけれども、雰囲気に酔っているだけだという自覚は有る。それに、こういうのは遠くから眺めるからこそ綺麗に見えるんだ。そう思うと、海に出るのがちょっとだけ惜しくなる。

 もしかしたら、近くで海を見る事を怖がっているのかも知れなかった。今の私は泳げないから、風呂の水もプールの水も沈むのが速い底無し沼と変わらない。当然、海だってそうだ。本能的な恐怖も有る。

 今更ながら大丈夫なのか不安になってきたけれども、すぐにどうでも良くなった。今はそれよりもずっと気になる事が有った。

 

 

 

 まだ、盛り上がっている。

 

 

 

 なんだ、あれは。

 正確な距離は分からない。一体何が起こっているのか。水平線の手前の何処かで海面が不自然に盛り上がり続けている。ほんの少し前は自然の風景の一部に過ぎなかったのに、今や物理的におかしな領域にまで到達しつつあった。

 いや、そもそも縮尺がおかしい。かなり離れている筈なのに、なんでこんなにはっきり見えるんだ。いくらなんでも無茶苦茶すぎる。目を酷使したせいでどうにかなってしまったんだろうか。そんな筈は無い。実際、良く見えているし。

 そして――海面にせり上がったドームの頂点から巨大な影が飛び出した。

 

 魚だ。

 いや、あれはなんだ。

 でかい。

 でかすぎる。

 怪獣か。

 

 空を飛んでいる。

 海を割って現れて、緩やかに上昇する途方も無い何か。きらきらと飛沫を上げながら宙を漂うそれはまさに違和感の塊だった。水平線を飛び越えて空の領域に侵入し、尚高く伸びている。意味が分からない。遂に気が狂ったか。

 そう思いながらも、私はそれから目を離す事ができなかった。というより、動けないし、反応できない。これは、あれだ。牛乳パックを引っ繰り返して、おお、おあ、おあとなっている時の状況に似ている。ただ呆けているだけかも知れない。

 上昇が止まった。一瞬の空白が訪れて、そこで漸く周囲に轟音が鳴り響いていた事に気付く。凄い音だ。どちらかと言うと、気付かなかったんじゃなくて認識していなかったんじゃないかと思う。右から左に流れてしまって脳が受け止められていない。視界に映るものがあまりにも常識から外れていて、気を抜けばすぐにでも頭がおかしくなりそうだった。

 

 途方も無い何かが落下を始める。

 遅い。

 本当に落ちているのか。

 いや、速い。

 遅いのに速い。

 もうぶつかる。

 あと三秒。

 大変だ。

 何が。

 知らない。

 二秒。

 やばい。

 終わった。

 一。

 あ。

 

 正直、腰が抜けた。

 爆音と言うにも生易しい。重低音の衝撃。周囲の空間が重くなる。激突の直前に反射的に身体が縮こまったのに、その上で更に私の何かが縮んだ。多分寿命とかそんな感じ。

 びりびりと鼓膜が震えている。身体に力が入らない。本能的な恐怖だ。東京タワーを初めて見上げた時に受けた、訳の分からない圧力が確かこんな感じだった。恐ろしいというよりは、逃げ出したくなる。

 直視できない。

 人の常識では処理し切れない規格外のサイズに脳が悲鳴を上げている。もしくは今起こっている事を頭で上手く想像できないせいで、色々な感覚が狂ってしまって混乱しているようでもあった。

 

「へえ」

 

 なにが、へえ、だ。

 何かとても大変な事が起こっていたような気がする。今し方目にした光景は本当に現実のものなのか。記憶は確かなのに、きちんと心で認識する事ができない。寝惚けて白昼夢でも見ていたという方が余程現実味が有った。

 見ると、指先が小刻みに震えている。夢の訳が無い。遠くで起きた筈の出来事が、あたかも目の前に迫り来るような強烈なインパクトを感じた。

 だけど、いくらなんでも現実というものから掛け離れすぎている。『メニュー』は良かった。同じ非常識でも、まだそれは私の手の中に有るものだった。

 でもこれは違う。私一人だけの話じゃない。これじゃまるで、世界そのものがおかしくなったみたいじゃないか。

 そんな馬鹿な。それは狂人の発想だ。常識的に考えれば簡単に分かる。世界がおかしくなったんじゃなくて、世界を見る自分の目がおかしくなったという可能性の方が明らかに大きい。おかしくなったのは私の方だ。

 本当に?

 分からない。

 どうして。

 何なんだ一体。

 やめてよ。

 もうこりごりだ。

 

 海を見ると、先程の天変地異にも等しい光景が嘘のように静まり返っている。やっぱり、あれは夢だったのか。分からない。自分の脳の事が信用できなかった。あの巨大な影は幻だったと確信する一方で、今にも再び海面から飛び出してきそうにも思えてくる。頭では到底有り得ないと分かっているけれども、見間違いと流してしまうにはそれはあまりに巨大すぎた。

 嘘でしょ。

 あんなものが地球上に存在している訳が無い。もしもの話をするまでもなく否定できる。

 でも、その筈が、さっきの光景だ。あれが現実だとしたらどうなる。有り得ない。だけど、じゃあさっきのは何だ。

 頭がこんがらがっている。上手く思考できない。

 

 思い出した。

 私はこれを一度見ている。確か、昨日の今頃に。今日と変わらず、派手な登場の仕方だった。誰にも気付かれないなんて有り得ない。今世紀最大級の発見だ。

 だけど、ここには人っ子一人居ない。まるで無関心。どうして。不自然だ。そもそも、一体全体どんな理由が有ればあんなものが湧いて出てくるというのか。

 突然変異? 馬鹿げてる。宇宙から降ってきた? 有り得ない。

 ふと、私の脳裏に『世界間』という単語が浮かんだ。

 

 世界間。

 世界の間。

 せかいの、あいだ。

 まさか。

 いや、そんな筈は。

 もしかして。

 馬鹿な。

 有り得ない。

 でも。

 ひょっとすると――

 

「――地球じゃ、ない……?」

 

 声に出してみて、その馬鹿馬鹿しさに笑ってしまいそうになった。

 引き攣った笑みだ。有り得ない。頭がどうかしたんじゃないか。思わず自分の正気を疑う。

 限界だった。『メニュー』だけでも手一杯なのに、その上周りまでおかしいだなんて耐えられない。もう何を信じたらいいのか。何か突拍子も無い出来事に遭遇して、大変な事になるんじゃないかって怖くなる。

 

 ――でも。

 

 もし、ここが本当に地球じゃなくて、そこでの常識が通用しない世界なのだとしたら。

 辻褄の合う事が幾つも有った。納得できる事も沢山有る。それはどちらかと言うと思考の放棄に近いけれども、恐らく最も無理の無い推論でもある。

 悪魔の実だってそうじゃないか。地球上では見つかってなくても、地球じゃないならその辺に転がっていてもおかしくはない。

 どうなんだ。私は正気なのか。

 知らない。

 それに、意味が無い。

 私が正気じゃなかったら、何を考えても無駄じゃないか。

 

 ……そうだ。

 あと二日だ。

 あと二日待って、それで決めよう。ヘリコプターか何かが飛んでくるようなら、大丈夫。ここは地球の何処かだ。間違いない。安心できる。

 だけどあの巨大魚が飛んでくるようなら、そうじゃない。今まで培ってきた常識の通用しない、前人未到の領域。それこそ、何が起こってもおかしくない未知の世界。

 人間だって生息しているとは限らない。むしろ、居ない可能性の方が高いんじゃないか。何せ、あんなサイズの魚が元気に海を跳ねているんだ。人みたいな小型の生物が繁栄する理由が無いし、それでなくとも支配者になれるとは到底思えなかった。

 自重をどうやって支えているのかは気になるけれども、そこはやっぱり未知の法則が働いているに違いない。強靭な肉体を持っているのか、もしくは、意外に体重が軽いか。それにこの星も、地球と比べてとんでもない大きさの惑星なのかも知れない――そう考えたところで、思い直す。水平線まで、何十キロも離れているようには見えない。

 そもそも、私がこの場で何の問題も無く生存できている事自体が奇跡だった。息ができる。気圧はどうだ。地球と何も変わらない。

 

 私は唐突に夜空の様子を確認してみたくなった。昨日の夜は特に意識していなかったけど、良く見れば何か普通とは違う事も分かってくるんじゃないか。星座の事は知らなくても、オリオン座くらいなら何とか、いや、季節の事も有るから、ああ、やっぱり駄目だ。あやふやな事が多すぎる。

 

 だけどそれも二日後にはっきりする事だった。

 

 別に三日後でも四日後でも構わない。ただ、一週間後では駄目だ。それは逃げの思考でしかない。

 兎に角、頭を冷やさないと。なんか、顏が熱くてぼうっとする。自分で思うよりも混乱しているのかも知れない。

 スプライトを口に含むと、氷が溶けて味が薄くなっていた。端的に言って、不味い。気付かない内に、そんなに時間が経っていたのか。持っていても仕方が無いので、処理するように飲み干していく。

 ポテトも冷めてしなしなになっていて、お世辞にも美味しいとは言えない。そこまで量が有った訳でもないのに、残りを食べ終えるのに一〇分くらい掛かった。

 

 扉を閉めようと思ったところで、ドアノブに手が届かないという事に気付く。一旦地面に降りて半分程閉めてから、玄関に上がりつつそれを内側に引き戻した。途端に環境音が消えて周囲が一気に静かになる。

 寒い。

 いや、寒くはない。暑かったのが常温に戻っただけだ。でも、この場を漂う閑散とした空気がそれを正しく受け止めようとしない。部屋の中も一段と暗くなったような気がする。暗くなったのは物理的に事実か。何でもいいけど、少なくとも私がこの時物淋しさのようなものを覚えたのは精神的に事実だった。

 

 どうしよう。

 考え直さなきゃいけない事が沢山有る。島からの脱出も後回しだ。あんな怪物が潜んでいるんじゃ船なんて使える訳が無い。そもそも、ここが地球じゃないとすれば無理に陸地を目指しても日本に帰れる訳が無かった。

 いや、それ以前に、私以外に人間が居ないなら何処に着いても無人の世界じゃないか。精々、島か大陸かの違いしかない。むしろ、危険な猛獣でも居たらどうするんだ。犬にだって勝てないのに。もしかしたら、ライオンよりも強いようなのがうようよしているのかも知れない。

 私は急に恐ろしくなった。

 

 手洗いとうがいを手早く済ませて、冷蔵庫の前に向かってふらふらと歩く。無意識だった。台の上の画面を視界に入れてからその事に気付く。私は何をしようとしていたんだろう。

 ぼんやりとした疑問を抱きながら画面に指を滑らせる。色取り取りの料理を見ても食欲が全く沸いてこない。邪魔だとさえ思っている。

 そんな事より、何か保存の利きそうな食べ物を探さないと。

 

 日本に帰る筈が、その前に地球に帰らないといけなくなった。

 まだ、そうと決まった訳じゃない。そんな風に考えてプレッシャーから逃れながらも、ひり付くような予感を覚えている。ここに来てから、漠然と感じていたズレの正体が漸く分かったような気がした。

 これは多分、当たるなと思った。

 




 長くなりましたが、むしろ長くしましたが、これでこの話は完結です。とりあえず途中で空中分解しなくてよかったと思います。読んでくれた人はありがとうございました。
 これを数行に纏められるテンプレは偉大。特定の単語自体が俳句や短歌に匹敵する情報量を内包していて、しかもそれを文章ではなく概念によって成立させて以下略。
 よりよいテンプレを求めて。

【安木ポン酢】
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