乱世の拳雄 作:GRU
第一節
台湾。
文化大革命によってこの島へと移り住んだ者の中には、多くの武術家達がいた。
彼等はこぞって武館を開き、その技術と思想を後世へ遺さんとした。
その流れは遠からず大河となり、遂には台湾をして武術の博物館の如き隆盛を極めるに至る。
武館で、公園で、屋敷で、山中で。
大陸を逐われた数多の流派が、至るところで後進の育成に精励する姿が見られた。
複数の流派を学ぶ者も多く、誰もが大いに交流し、交歓した。
自由であった。
故国を喪う事と引き換えに得た自由であり、故国では決して得る事が叶わなかったであろう自由であった。
それは幾許かの悲哀と寂寥を含んでいたが、それを上回る喜びと寿ぎに満ちていた。
その時代、武術に青春を捧げた黎明の時代、彼等は正しく幸福であった。
そして現代。
嘗て程の熱量こそ無いものの、未だ清冽たる武術の息吹が香るこの島を、一人の青年が訪れていた。
台湾第一の都市、台北の武館街を歩くその青年は、学生服の上に漢服を纏うという些か特徴的な身形である。
姓名は別にあるが、故あって曹操と名乗っている。
乱世の奸雄。治世の能臣。法家の巨人。魏王。そして魏武帝。
中華史における最大級の英雄、曹操孟徳の血を引きその魂を受け継いでいる、というのが彼自身の主張である。
それが真実かどうかは彼にしか、或いは彼自身にさえ分からないかもしれない。
外見的特徴から曹操の要素を見出だすことは難しいが、しかしその身に纏う覇気は一廉の英雄に足るものであると言って差し支え無いであろう。
曹操の生まれ変わり等といった戯言も、彼が言うのであれば耳を傾けようと思わせるだけの何かを感じさせる青年であった。
武館街の奥、幾筋にも分かれた細い路地を、迷うこと無く歩を進める。
やがて行き着いた先にあったのは、そこそこの広さの庭と、その端に存在している小さな屋敷であった。
そして門を潜るや否や、通りの良い大音声で屋敷の主へと呼び掛ける。
「老師、老師は居るか!」
言いながら、屋敷の扉を開け放つ。
ここでもまた迷うこと無く、そのまま屋敷の奥へと進んで行く。
外見通りさして広くもない屋敷を抜け裏口から外に出ると、そこに居たのは畑で野菜の収穫に勤しむ、これもまた曹操と同年代であると思しき一人の青年であった。
「老師、ここだったか。」
老師と呼ばれた青年は、顔も向けずに曹操へと応える。
「やあ、孟徳。相変わらず気迫に充ちた好漢だな、お前は。」
曹操を字で呼びながら、収穫を終えた野菜で一杯になった籠を背負い、立ち上がる。
「しかし、良い加減に老師呼びは勘弁して貰えないか。俺はそんな年ではないし、お前の槍術は俺が口を出す迄もなく独自の境地へと達しつつあった。何より―――」
そこで一旦言葉を切り、曹操へと向き直る。
「何より、我らは友であろう。友に師と呼ばれても面映ゆいだけで、それが孟徳とくればもはや気持ち悪さしか感じない。素直に名で呼んでくれ。」
微かに笑いながらそう宣った青年だが、その右目には眼帯が掛けられている。
些か人目を引く容貌ではあるが、曹操は慣れているのか気にした素振りは見せない。
彼もまた笑みを浮かべて話しを続ける。
「君へ敬意を示すことに何ら恥じるところはないが、友にそこまで請われて尚押し通す程のことでもない。君がどう思っていようが、俺は君を師と思っているがね、圏。」
青年―――圏(チュアン)は、軽く嘆息しつつ曹操を屋敷内へと誘った。
「まあ、ここで立ち話もなんだ。中で茶でも飲もうか。」
そう言って屋敷へ入る圏に、曹操も続く。
「冷茶で頼む。ここまで来る内に喉が渇いた。君の淹れる冷茶は絶品だからな。」
随分と遠慮のない口振りであるが、それもまた二人の仲が良好であることの表れであろう。
その尚武の気風以外に似通った部分と言えば、精々が年格好位のもので、寧ろ精神性はかけ離れていると言ってもいい。
故にこそか、二人は初めて会った時から妙に馬があった。
以後、年に数回、こうして曹操が圏の家を訪う形で二人の交誼は続いている。
茶の用意をする圏と、それに頓着する様子もなく、椅子に座って寛ぐ曹操。
共に気を許し合った友との、穏やかな時間がそこには流れていた。