乱世の拳雄 作:GRU
氷と馴染ませた茶の入った急須から、こちらも氷水で冷やした茶碗に茶を注ぐ。
そうして供された冷茶は、暑い中を歩き通しであった曹操にはまさに甘露に等しく、その心身を解すに十分な味わいであった。
圏の煎れた茶を飲むのは無論初めてではないが、茶とは煎れ方次第でこれ程までに変わるものかと、毎度感心せずにはいられない。
一頻り静かに茶を愉しんだ後、曹操はいきなり本題を口にした。
「赤龍帝が現れたよ。」
その言葉を聞いた圏の眉が少し上がる。
赤龍帝。
二天龍の一にして力の象徴。
昔日の雄々しき姿こそ失ってしまったが、その暴風の如き力は神器に封じられた今も健在である。
「それはまた。何処に?」
問いを返された曹操は即座に応える。
「駒王町。グレモリーとシトリー、それぞれ今代の魔王を輩出した名家であり、その次期当主である妹達がが治める土地さ。」
圏と視線を合わせ、話を続ける。
「聞いた時にはまさかと思ったが、しかしやはりとも思った。力を集めるのがドラゴンの特性であれば、君が引き寄せられるのは当然だとね。」
そこまで言った曹操は、今度は自ら煎れた二煎目の冷茶を口に含む。
「帰るのだろう、駒王町に。」
それは、問い掛けと言うよりは確認に近い響きを持っていた。
「……ああ、そろそろ喪も明ける。それなりに愛着のある家であり土地であるが、祖母をいつまでも独りにしておく訳にもいかないからな。」
圏(チュアン)の愛称で呼ばれている彼は、姓を豪(ごう)、名を圏慈(けんじ)と言う。
両親共に日本国籍であり、彼自身もまた紛れもない日本人であった。
日本の駒王町にて生を受けた圏は、十歳の頃に両親の仕事の都合で台湾へと渡った。
以後八年間、時折祖母へ文を送ってはいたが、自身は台湾島を出ることは無かった。
そして三年前。
圏は不慮の事故で両親を喪った。
流石に本式とはいかないが、それでも喪に服してからは外出さえ最低限しかせずにいた圏であったが、来月で漸く二十五ヶ月の喪が明ける。
日本へと帰って来て共に暮らして欲しいというのが今や唯一の身内となった祖母の願いであり、圏もそれを断る気は無かった。
色々と準備はあるが、恐らく来月中には駒王町へ帰っている筈だ。
しかし、である。
「それにしても、駒王町とはな。成程、確かに運命を感じずにはいられない。」
まるで圏の帰国を待っていたかの様なタイミングでの、赤龍帝の覚醒。
些か出来すぎている感は否めない。
尤も、自分がこの世界でそれ程重要な位置を占める存在だとは、流石に圏も思ってはいない。
ここ台湾ですら、日常生活の範囲の外では武館街に幾人かの知己が居るだけである。
況してや日本に措いて、祖母以外に自分の名を憶えている者が果たして一人でも居るかどうか。
世界は豪圏慈を知らない。
そんなことは自明の理であり、態々言葉にするまでもない。
少々諧謔染みた気持ちで運命と口にしてみた圏であったが、その単語は曹操の琴線に触れたらしい。
「或いは、彼の地にこそ君の天命があるのやも知れんぞ。」
確かに豪圏慈の名を知る者は少ない。
だが、それは大した問題ではない。
今は知るまいが、いずれ知る。それだけのことである。
圏自身が望まずとも、世界が彼を求めるであろう。
その身体に蓄積された功夫は、既に李書文や馬英図と言った武の巨人らと並んで遜色ない領域にまで到達している。
そんな彼が駒王町に住んでいて、何も起きない筈がない。
力の権化たる二天龍。
白龍皇は既に目覚め、赤龍帝もまた覚醒した。
これより先に待つのは乱世であり、駒王町はその中心となる。
そんな中で、圏はどの様な生き方を見せてくれるのか。
曹操にとっては、一人の友人として、また独りの英雄として、興味の尽きない関心事である。
「天命ねぇ。どうにも仰々しい言葉が好きだな、君は。」
苦笑いを溢す圏であったが、それでも曹操の言葉に何も感じなかった訳ではないようで、暫し瞑目し、己の近い将来に思いを馳せる。
「さて、そろそろ失礼しよう。相変わらず美味い茶だった。」
曹操は残っていた茶を一息で飲みきり、徐に立ち上がる。
伝えたいことは伝えたし、帰国前の挨拶も済んだ。
次に会うのはいつになるかは分からないが、自身が英雄足らんとする生き方を変えない限り、遠からず再見の日は来るであろう。
暫く圏の茶を味わうことが出来ないのは些か未練ではあるが、それもまた再会の楽しみの一つと思えば惜しくはない。
供手を組み、辞去の意を告げる。
「次に会うのは恐らく日本でだろう。その時は、また茶を振る舞って貰えると嬉しい。」
圏も立ち上がり、供手を返す。
「君も偶さかには顔を見せてくれ。拙い手前で良ければ、幾らでも馳走しよう。」
圏は曹操がこの世界に覇を唱えんとして既に行動を起こしていることを、朧気ながら察している。
そして、彼は圏を誘うことはなかった。
それはそれで良い。
但しこの先、自身と彼の決断如何では、或いは次に見える時には拳を、刃を交えることもあり得るかも知れない。
だが。
「朋友よ。再会の日まで壮健にな。」
それもまた良し。
たとえそうなったとしても、我らが友であることに何の不都合もない。
そう信じて返した言葉に、曹操も破顔して頷く。
「君もな、圏。また会おう。」
豪圏慈と曹操。
時に勢力を違えることはあっても、終ぞ友誼を絶やすことの無かった二人の関係は、曹操が唯一字を許し、また圏慈を圏(チュアン)と呼んだのも曹操唯一人であったことから、後世において「一呼の交わり」と称されることとなる。
尤も、未だ若輩たる二人の青年に、そんな未来は知る由もない。
二人の間にあるのは、暫時の別れと再会の約束のみであった。