電を建造してから、早1ヶ月が経った。
幽と電、大淀の3人は、壊れた提督室の代わりに設えた部屋で、引き継ぎの書類や鎮守府運営関係の書類の山に追われ続け、今朝までかかってなんとか全て終わらせることが出来た。
「はぁ…。…もう当分、漢字を見たくないわ…。」
「と、とても疲れたのです…。右手が痛いのです…。」
「あはは…。まあ、慣れるしかありませんよ。幽さんは、これからもこんな風な状態になることもあるかもしれませんから。」
「そ、そうね…。やっぱり慣れるしかないか…。こうならないようにやっていくようにしないと…。」
幽はこのときに、今後絶対に書類をためないように仕事をこなしていこうと強く思った。
「な、なんで大淀さんは大丈夫なのですか?」
「私ですか?まあ、昔からこういう事務仕事とかやる機会が多かったですし。それで平気なんだと思いますよ。」
大淀はすでに大惨事になっている二人とは異なり、大量の書類をこなした後でも平然としていた。元々他の鎮守府でも事務仕事経験のあった大淀は、これに対する慣れがあり、耐性が出来ていたのであろう。
対してこの基地の提督であるはずの幽は、事務系の仕事に対して全くといっていいほど耐性がなかった。元々海兵には高い教養が求められているが、勉強がそこまで好きではなかった幽は、必要最低限の時間に収めてしか勉強をしていなかった。長い時間勉強する、ものを書く習慣がなかったこと、それが今回は仇となって帰ってきたのであろう。
「大淀さんは、結構事務の仕事に向いてるわよね。事務仕事苦手な私とは違って…。」
「そ、そんなことありませんよ!幽さんだって、結構できるじゃないですか!」
「後始末とかの書類だけだけどね…。ふ、ふふ…ふふふ…。」ズーン
「ゆ、幽さん!目が死んでますし、あらぬ方向を向いてます!こっちの世界に取り敢えず戻ってきてください!」
「と、とりあえず落ち着くのです~!」ワタワタ
幽のネガティブな一面から変な方向に向きだした場の空気を、間一髪電が元に戻した。このままだったら、最終的にどんな空気になっていたかわからない。
幽はふと突然ポケットから懐中時計を取りだし、現在の時間を確認してから、
「さーて、そろそろ玄関に向かいますか。修理担当さん、もうじき来る予定だし。」
そう、今日やっと、着任当日にすでに起こっていた提督室の大破損が直るのである。海軍の修理担当班の修理の順番が、やっと回ってきたのだ。
「そうですね。少し早めに移動して待っていましょう。」
「じゃあ、大淀さん、電、行くわよ。」
「「はい!」なのです!」
やっと提督室を使えるようになると、ワクワクしている3人は修理担当班に挨拶をするため、揃って玄関へと向かっていった。
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「お初にお目にかかります!今回、廿日市基地提督室修復を担当させていただきます、第72海軍建築隊隊長、梅月技術大尉であります!」
「初めまして。呉鎮守府所属、廿日市基地提督の簓雪幽中佐です。よろしくお願いします。」
第72海軍建築隊。機密情報等が大量に保管されている海軍基地のためそれを専門に、建築や修復を行っている海軍の特殊部隊の中の1つである。日本海軍内に全部で90隊存在し、最近増えてきている鎮守府や基地の破損の修復を行っている。その隊員は、海軍兵士にして2級建築士や電気整備士の資格を持っている。
「本日中に出撃・遠征などて用いられる通信回線を含めて、全ての修復を午後5時までに完了する予定となっております。」
「了解しました。では、修復よろしくお願いします。」
「はい!失礼いたします!」タッタッタッ
梅月技術大尉が走って現場の方へ向かっていくと、幽の右隣にいた大淀がふっと言葉をもらした。
「海軍建築隊…、噂には聞いていましたけど、本当に存在していたんですね。」
「はわわわ、びっくりしたのです。」
「まあ、知らないのも無理はないわ。ほとんど見かけることがない上に、今とんでもなく忙しい部隊だもの。」
現在では艦娘による鎮守府、基地の破損事例が全国で起きている。原因の例としては、艦娘同士の喧嘩や提督と艦娘の喧嘩等がある。その修復のため、海軍建築隊が総出で全国へ向かっているため、本所属である横須賀ですらその姿をほとんど見ることができないのだ。
「みたいですね…。動きがすごいです…。妖精さん並…?」
「本当にお疲れ様なのです…。」
「あ、そうだ。大淀さん、お客様にあげる菓子折って、あといくつあったかしら?」
「菓子折なら、たしか10セット位残っていますよ。」
「うーん…、大淀さん、一つ持ってきて。お礼として渡すから。」
「わかりました。」
大淀は、海軍建築隊に渡すための菓子折を取りに基地の中へ走って行く。
電は、高速で修復されていく提督室の様子を幽と共に眺めていたが、暫くしてから幽に話しかけた。
「あの、司令官。」
「ん?なにかしら、電?」
「少し…海風に当たってきてもいいですか?」
「ええ。いいわよ。あまり遅くならないようにね。」
「わかったのです。失礼するのです。」
電は一人、海岸の方へ向かい歩いていった。遠くへ離れて行く電の姿を幽は見ながら、ふとこう呟いた。
「…あの娘(こ)、これから大丈夫かしら…。」
幽の周りを、強い風が吹き抜けた。幽の放った呟きは、その風の中へかきけされた。
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電は幽と別れたあと、1人岸壁に座って海を眺めていた。
「…海は、やっぱり広いのです。」
海を見ながら、電は考えていた。かつて、船のかたちであったときの自分の一生を。戦の中、人々を助けながら生きてきた自らの記憶を、思い出していた。
「今は、かつてのあの時とは違う…。あの、空が常に煙に、戦火に覆われていた、あの頃とは。人々の涙が留まることの無かった、あの頃とは。」
ふと、電は目を伏せる。瞼の裏には、あの頃の景色が浮かんでくる。砲を放ち放たれ、傷をつけつけられ、敵の艦船を沈め仲間が沈められていった景色が。そして、あの頃の自分達が持っていた『助けたい』という想いが、電の中に伝わってくる。その想いは、強い奔流となり電の中を駆け巡っていく。その流れは電の心と混ざりあい、電の中に一つ、ある想いを作り上げていった。
そして、少ししてから目を開き、電はそっと、こう呟いた。
「…沈んだ敵も、出来れば助けたいのです…。」
岸壁には波が打ち付ける。海には、僅かに波が現れ始めた。
電は、海を見る。波の現れ始めた海の、その遥か向こう、水平線には、陽の光に照らされる、穏やかな海が見えた。
次回から、少しずつ海のシーンを入れていきます。