杏ちゃんの家族に関する妄想。

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杏ちゃんの家族に関する妄想。


淡くいり混じる杏と夢の色

知らないうちにここにいた。

見渡すかぎりの白い部屋。

ああ、これは夢だ。

幾度とないデジャヴ。

またとないメジャヴ。

もうありえない明日。

まだ終わらない昨日。

未来と過去が入り混じる、そんなひととき。

私は、この世界を楽しむ。

思うだけで私の心は空を飛び、体は安楽椅子に根を生やす。

私が信じるだけで空は海に、海は空へと姿を変える。

青から白、白から青。

青から青、白から白。

流れていく昨日の記憶が、私を追いやっていく。

まだ見ぬ明日は、昨日の延長線上。

つまらない明日。

おもしろい昨日。

未来への希望など、ない。

 

ぱちり、と目を覚ました。

小さくエアコンの音。冷たい風の立てる音。

たぶん、今はお昼。

のっそりと体を起こすと、うさぎ型のぬいぐるみの上に私はいた。

静かな部屋。高層ビルの上層階。

頭を巡らせると窓の外には憎きあの太陽。ビルたちが溶けそうな光の圧力に目をそらす。

ぬいぐるみから足を下ろすと、ひんやりとした感覚が足裏に伝わってくる。

時計を見ると、お昼時。

「どうりで太陽が高いわけだ……」

そこらへんに放り出していた靴を履く。

大きな部屋にひとりきり。

大きくあくびをして、さて、ご飯でも食べに行こうかと考えて伸びをした瞬間、部屋の入口のほうにある子部屋から一人の男性が姿を表した。

「双葉さんですか」

「んぁー……。プロデューサーか……」

「双葉さん、私はこれから食事に行くのでこの部屋を空けるのですが、どうされますか?」

「んゃー、杏もご飯に行くよ」

ひらひらと手のひらを振って見せる。

「そうですか」

とだけ、言うと彼は黙ってしまい、外に出る気配がない。

ちょっとだけ不思議に思う。

こういうことはいままで何回もあった。

自慢じゃないが私は高校に通っていないので、この部屋には毎日のように来ているし、他の仲間たちが学校のある時間からでも来られるから、お昼を社内で食べることも多々あった。彼は社会人で、もちろん基本的には会社にいて、この部屋で仕事をしているのだから、昼食の時間がかちあってしまうことはあった。

けれど、そんなときでも私達は一緒に御飯を食べたりなんかしなかったし、こういうときはさっさと部屋の外に出てしまい、彼が鍵を締めている間に私は立ち去ってしまうのが常だった。

「その……」

そんなことを思い返していると、彼がおずおずと、私よりも一回りも歳上の男性に使うのにはちょっとおかしいかもしれないが、まさにおずおずと彼が私に声をかけてくる。

ただ、そんなふうにおずおずとしていたのはごく最初だけで、ぱっと顔を上げたとき、彼は私に向かって真面目な顔を向けていた。

「双葉さん。昼食をご一緒しませんか?」

「んぇ!?」

めんどくさい。

一瞬、そんな言葉が口をついて出そうになったけれど、すんででこらえる。

なんとなくいつもより迫力のある彼の姿に正直なところ驚いた。

ただ、彼のそんな姿は、見たことがないわけじゃない。

「お嫌でしたら、諦めますが……」

「い、いやじゃないけどさ」

「そうですか。ありがとうございます」

彼はそう言うと、安心したかのようにこわばった顔から険しさを抜いていく。

「双葉さんはいつもどこで昼食を取っておられるのですか?」

「杏? ……んー」

ちょっとだけ口ごもる。

「ああ、いえ、言いたくないのでしたら、別に無理強いはしませんので」

「いや、言いたくないわけじゃないんだ、ただ」

「ただ?」

「んー……。まあいいか」

彼は不思議そうに私を見ていたが、気にせずに私はかばん中から小さな箱が入った巾着を手に取る。

「双葉さん、それは?」

「ん、お昼ごはん」

「……それは、双葉さんがお作りに?」

こくりと私は頷く。

ちょっとだけ恥ずかしくて、目線をそらす。

「……イメージと違う?」

目を合わせないままで、彼に問うた。

「いえ……」彼は一瞬否定しかけて、「すみません、やはり」

「うん、わかってるよ……」

めんどくさがりの私がなんで弁当なんてものを作っているのか、そもそも私に料理なんてできるのか、そんなところだろう。

「イメージと違うのはわかってるけどね……」

私は、ちょっとふてくされたような声でぼやいてしまう。

「い、いえっ、その、悪いと言っているわけではなく!」

けれど、彼は慌てたように言葉を継いで、

「その、なんといいますか、双葉さんがとても素晴らしい女性(ひと)であるということは知っています」

なんて言い出すものだから、私はますます目を合わせられなくなった。

「双葉さんは優しい女性(ひと)です。それを、私はわかっているつもりです」

ゆっくりと、彼は私をじっと見つめながら言った。

「ですから、少し驚きはしましたが、同時に納得もできたのです。……その、気を悪くしてしまいましたか?」

私は両手で持った巾着の紐をいじりながら、少しだけ黙る。

そして、「気を悪くしたわけじゃないよ」とだけこぼす。

彼に視線を向けると、彼は困ったような顔をして、首に手をやっている。

「けど、杏はそんなにいい人じゃないよ」

「……そうでしょうか」

「そうだよ。さぁ、ご飯を食べに行こう」

私は強引に話を終わらせる。

ちょっと納得の行かない顔をした彼が鍵を締めている間、私は顔を見もせずに意識を逸らして、努めてなにも考えないようにしていた。

別に、他意はない。

 

 

私が弁当なので、彼も私に合わせて購買で弁当を買い、最上階の喫茶スペースで昼食を取ることにした。

ブラインドの降りた窓際の小さな丸テーブルに私達は弁当を広げていた。

「で? ご飯に誘うなんて、どうしたの? プロデューサー。きまぐれ?」

食べるのが私より早いプロデューサーが、弁当の半分を食べ終えて、私がその弁当の半分もない自分の弁当を半分も食べられていないとき、私は彼に聞いた。

こういうことが、自分の小ささを思い出させる。

「きまぐれ、といってもいいかもしれません」

そう言うと、彼は茶碗に入っているお茶をすする。

つられて、私もお茶を飲む。喫茶スペースに備え付けのティーサーバーのお茶だ。

「ただ、双葉さんと、ゆっくりお話をしたことがないな、と思いまして」

「たしかにね」

彼は実直な人柄で、正直な話、初めて会った時こんな無愛想な人が芸能界なんかでうまくやっていけているんだろうかと思ったくらいだ。そんなだから、はたちにも届かないような少女たち相手は大変だろうと思う。それに、私は輪をかけて変なやつだと自覚している。

結局、私から声をかけることも、彼から声をかけることもなく、いままでなあなあでやってきた。それに、私でなくともメンバーの中には彼に声をかけようとする者がたくさんいる。

「で、なにを話すの?」

「なにを、と言われると困ってしまいますが……」彼はひとしきり悩んだように首に手を当ててから「そうですね、アイドルとしての生活はいかがでしょうか」

「いかが、っていわれてもねぇ」

「その」彼は箸を止める。「楽しい、ですか?」

その質問に、虚をつかれて、私も動きを止める。

「まあ……楽しいよ」

「そう、ですか」

彼はそれきり口を閉じてしまう。

それに対して、私は口を開く。開いてしまった。

「プロデューサーは、杏についてどれくらい知ってるんだっけ?」

なんでこんなことを言おうとしているのか、わからないままに言葉を発する。

「……一人暮らしをされていることは知っています」

ただ、その理由は知りません、と彼は言った。

「理由、知りたい?」

きらりにも、あいまいにしか伝えていないことを。

「いえ……」一瞬首を横に振りかけて、「知りたくないというのは嘘ですね」と苦笑する。

苦笑しているけれど、その目は真面目だ。

雨の中に飛び出していったあの時のように。

「プロデューサーになら、教えてもいいよ」

よくわからない。よくわからないけれど、たぶん今がそのときなんだろうと思った。

混ざりきってしまった昨日と明日を、分離するための日が。

私は「けど、ご飯を食べちゃおうよ。そんなに楽しい話じゃないからね」と笑って言った。

うまく笑えたか自信はないけれど、彼も笑い返してきた。

 

 

「プロデューサー、時間は大丈夫?」

「ええ、あと二時間程度でしたら」

私と彼は、レッスン室の立ち並ぶ廊下のベンチに座っていた。

彼はコーヒー缶を横においている。私は、小さなミルクティーの缶を両手で抱えている。

「別にそんなに難しい話じゃないよ」

一口ミルクティーを飲んで、唇を湿らす。

「杏は、昔から頭が良くってね。言葉を話し始めてすぐの記憶でさえも残っているんだ」

さすがにおぼろげだけどね。小さく笑ってそう付け加える。

「きちんとした物心がついたころには、家中の本を読みあさっていたよ。一番好きだったのは百科事典だなあ。あれさえあれば、他にはなにも要らないって思ったこともある。ご飯なんか食べもしないでずっと読んでいるもんだから、両親に怒られたこともあったっけ」

近い過去を思い出すように。

遠い昨日を思い出すように。

「小さい頃はよかったんだ。両親もまだ私のことを理解しようっていう気があったからね。小学校のときは、まだ私を自慢する余裕があったね。ことあるごとに杏のことを褒めたし、運動ができなくてもなにも言ってこなかった。それにね」

私は少しだけいたずらげに笑った。

「あのころは杏は全然めんどくさがりじゃなかったんだよ。本当だよ? 毎日毎日図書館に行っては本を読み、どんどん勉強をして、三年生になったときにくれた部屋はすぐに本で埋まったよ。ノートなんかじゃ足りないからちらしの裏紙にも書いて、それでも足りないから頭の中で考えるようになって……」

自分がどんな顔をしているのか。

無表情のままだろうか。

悲しげな顔をしているだろうか。

同情を誘うような顔をしてしまってはいないだろうか。

「だから、かな。両親は杏のことをずっと見ていたけれど、杏はあの人達のことを見たことが、きちんと向き合ったことがない。向きあおうともしなかったし、気づいたときには向き合うことが怖くなってた」

一気に喋ったせいか喉が渇いた気がする。

ミルクティーをもう一口。

「中学校に上がった頃には、もうなにもかも終わってたんじゃないかな。杏のことを気味悪く思ってたんだと思う。まあ確かに女の子が興味を持つようなものには一つとして興味を示さなかったからね。学校でも浮いてきたし。保健室登校って、知ってる?」

聞いてみるけれど、答えは要らない。

「中学校を出た後、留学するつもりだったんだ」

ずっと黙っていた彼が、はっと顔を上げる。

「けど、それを言おうとした夜、両親に言われたんだ。今住んでいる場所のことをね。たぶん、厄介払いしたかったんじゃないかな」

「それはっ」

いま、彼がなんと言おうとしたのか、わからないけれど。

「いいんだ。もう興味をなくしちゃったから。欲しい物はもう、手に入れたしね」

少しだけはにかみながら、けれど誇らしげに私は言った。

うつむいてしまった彼の目は見えない。

「双葉さん……」

「ん、なに?」

「おそらく、おそらくですが……」

彼は丸めていた背中を伸ばすと、力強い声で始めた。

「私の勘違いかもしれません。ですが、ご両親にとって双葉さんは厄介なものではなかった、と考えています」

「え……?」

あっけに取られる私。

「少しだけ、少しだけですが、私にはご両親の気持ちが分かる気がします」

そう言って、彼は笑いかける。

ああ、なぜか両親の笑い顔を思い出す。

はるか時の木々の芽生える刹那を。

燐光のきらめく暖かな森のような記憶を。

「私はもう、結構な歳です。私も、ときどきそう感じてしまいます」

「どう、感じるの?」

「置いて行かれていくこと、です」

彼は立ち上がり、コーヒー缶を傾けて飲み干した。

「あなたたちは今、もっとも成長をしているのです」

「杏、背伸びなくなってるけど?」

苦笑して言う私に、彼は笑って首を振った。

「そうではありません。心の成長です。あなたたちの心は、今、今まさに成長しています。私は、だからこそあなたたちに、あなたたちの笑顔に惹かれたのです」

「笑顔……」

「あなたたちの成長はとても早い。今日の笑顔と昨日の笑顔は違う。今日の笑顔と明日の笑顔も。そして、明日の笑顔と一年後の笑顔も違うはずです。それは、苦しそうな笑顔かもしれません。ですが、変わってゆくのです。あなたたちは」

私は、彼の顔を見つめる。

「大人にとって、変化というのは怖いことです」

彼は言って、逡巡して、

「……私は、本田さんにひどいことをしてしまいました。あれは、私が変わることを恐れたからです。私は、もう大人ですから」と言った。

ですが、と続ける。

「ですが、私は、あなたたちのおかげで変わることができ、本田さん、渋谷さん、島村さんの三人と、そしてみなさんと前に進むことができるようになりました。……ご両親もそうなのではないか、と考えています」

私は、ただ黙っている。

「ご両親の気持ちを、私が言い当てているとはおこがましくて言えません。ですが、私がもしも双葉さんのご両親だったら……と考えると、私はこう思うのです。『この娘の邪魔をしてはいけない。彼女のしたいようにしたほうがいい』と」

「そんな」

私は、そんなことを思ったことはない。

邪魔だと思ったことなど。

彼は、しゃがみこんで私に笑いかける。

それはまるで父親のように厳しさにあふれていて、母親のように優しさに満ちていた。

「繰り返しますが、私は双葉さんのご両親ではありません。ですから、お気持ちがわかるとは言えません。ですが、もしも、もしもそうだとしたならば……双葉さんはどうされますか?」

「杏は……」

彼の顔を見つめているはずなのに、視界がぼやける。

ああ、これが。

涙か。

「涙を流すなんて、何年ぶりだろう……」

「双葉さんは、強い、……けれど、繊細な女性(ひと)です」

「うん……」

涙声になっているのがわかる。

「杏は、ううん、私は」

彼が優しげな笑顔で頷くのが分かる。

「はい」

見えなくても、分かる。

いつだって、私のことを見守っていてくれたのだ。

この人は。

「私は……、二人に謝りたい」

そして、父さんと母さんも。

私のことをずっと見守っていたに違いないのだ。

気づかなかっただけなのだ。

時折届くメールも、久しぶりに会った時に、なぜか私が出た小さな小さなイベントを知っていたことも、中学校のころに私を遠巻きに見ていた目の優しさも、小学校のころに驚くくらいに褒めてくれたことも、すべて、つながっていたのだ。

「謝ってなんとかなるかわからないし、もしかしたら本当に私のことを厄介に思っていたのかもしれない……」

私は涙をぬぐって、立ち上がった。

「けど、謝りたい。謝って、先に進みたい」

きっと目尻を上げて、彼を睨みつける。

その先にいる、二人も。

「迷惑をかけたことは確かだけれど、けれども!」

「ええ」

「私は、父さんと母さんのことが大好きだから! もう逃げない!」

息を荒らげて私はそう言い切る。

そして、できうる限りの満面の笑みを浮かべる。

ステージの上ですら浮かべないような、スポットライトが要らないような。

私ができるかぎりの、いや、したことがないような明るさを。

彼は、涙をぬぐって明瞭になった視界の中で、嬉しそうに、本当に嬉しそうに私に笑いかけて、ただ一言だけこう言った。

「……いい、笑顔です」

と。

 

 

ここからは後日談、あるいは蛇足だ。

家を出てから初めてこちらから連絡して会った両親は、記憶よりも老けていた。けれど、会って、話してわかったのは私も、両親もお互いに勘違いをしていたってことだ。

ただ単なるすれ違いで何年ものあいだ、疎遠だったなんて馬鹿みたいだけれど、昨日は昨日だ。それは今日でもなければ明日でもない。

停滞していた時計は動き出し、私達はまた歩き始めた。

けれど、私のだらけグセはそうそう抜けるものでもない。

それに、最初はただのポーズだったかもしれないけれど、こういう自分をアイドルとして好きだと言ってくれる人もいるし、自分自身も嫌いじゃない。

とはいえ……。

少しだけ、本当に少しだけだけれど、前に進んでもいいかもしれない。

サマーフェス。ステージに上がる階段の前、三人で並んで、緒方智絵里と三村かな子の二人と顔を合わせる。

薄暗くて鮮明に顔が見えるわけじゃない。

けれど、言葉は要らない。

智絵里がいつになく緊張した顔で、でも力強く頷く。

かな子がいつものように、柔らかく微笑んでくる。

私は二人に対して、胸からこぼれてしまいそうな暖かな気持ちを覚える。

そして、そんな二人に対して私は両手を差し出した。

二人はちょっとだけ驚いたように目を見開いて、けれどすぐに手を握ってくれた。

暖かな感触。

私は気恥ずかしく思いながら声を張り上げる。「さあ……行こう!」

「はっ、はい!」と智絵里。

「うん!」とかな子。

手をつないだまま、私は歩き出す。

昨日ではなく、今日でもない明日へ。


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