騒がしくなった村の中心地では、ある人物が紙芝居をしていた。
上から下まで黒1色で染められた服装で、怪しい雰囲気を出していた。
「始まり始まり~」
心地よいオルゴールの音色と共に、黒ずくめの人物は語りだす。
【霧の都と呼ばれるロンドンでは、スモッグと呼ばれる煙が霧の代わりとなり、街全体を覆っていた。
街の海から聴こえる筈の汽笛の音は、波しぶきと街中に響く鐘の音によってかき消されていた。
煙が立ち込め宵闇が支配する街の防波堤の灯りは、泳ぎながら照らす景色を変えていく。
『はあはあ……ちきしょう! 目を付けられた! ……っ!』
声の主は荒い息を吐き常に後方を確認しながら、ただ走り続けていた。
「いやいや。美人に目移りするのは、男として当然だろ?」
『……っ!?』
まさか前方から声をかけられるとは思わなかったらしく、驚愕してしまう。
『いつの間に! ……けっ。降参だ降参』
逃げ切れないと思ったのか、その足を止めたのは……赤くきらびやかなドレスに身を包んだ金髪のーー美しい女性だった。
「ん? 意外に素直……なのか?」
肩で息を吐く女性と対話するのはーー黒いシルクハットとロングコートを羽織った背の高い……凛々しい顔立ちの若い男性だった。
肩に身の丈よりも大きな鎌を担ぎ、煙草を加えながらその煙が霧の中に溶けて行くのを楽しそうに眺めている。
「……ってか、何処まで逃げるつもりだよ?」
鎌の取っ手部分を腕に乗せ緩やかに回しながら女性に向かって、悠然とした態度で待ち構える。
「鬼ごっこなんて飽きただろ? 俺は、可愛い孫と遊びたいんだ。とっとと、終わらせて貰うぜ?」
全てを黒1色に身を包んだ男性のシルクハットの下から覗く漆黒の髪が風に煽られ、ミルクチョコレートの様な薄い茶色の眼球は、女性を捉えて離さない。
『ちっ! 化け物め……』
荒い息を吐きながら、額に汗でベットリとくっついてしまった髪を鬱陶しそうに払いのけ、行く先を塞ぐ男性を睨む。
「ん? ああ。化け物で結構さ。とっとと済ませようや?」
『殺人鬼め! テメーみてーな化け物は、馬にでも蹴られて死んじまえ!』
とても女性とは思えない乱暴な言葉使いだ。
「おいおい……俺みたいの蹴ったら、馬が可愛そうだろ? 第一お前さんは……」
鎌で宙に大きく円を描く。
「その身体の持ち主の魂を食ったじゃねえか……」
『……は? 当たり前だろ。それが俺ら魔族の役目なんだ』
「人の魂を食うのに、役目も糞もあるか!」
優しい口調だった男性は、突如そのリズムを変え……両手で取っ手を持ち足に力を込め、刹那の如き速さで地を蹴った。
『……っ!?』
いきなり戦闘になるとは思っていなかった女性は、両手を盾にするかの様に前に出し、鎌をすんでの所で受け止めた。
「テメーの食った魂の身体の人はな。ガキが居たんだよ! そのガキには、母親しかいなかった」
怒りに身を任せた鎌が、女性の身体を強く地面へ打ち付けた。
「まだ小さいガキだ! そのガキは、母親を失ってどうやって生きろってんだ!? ああ!?」
優しい表情は微塵も感じられず、ただ怒りと残された子供の悲しみを背負っている様な……そんな表情だった。
「遊びは終わりだ」
柄の先を女性の腹部に打ち込み、刃の部分で瞬時に切りつけた。
女性は一瞬だけ苦しみの表情を浮かべ……そのまま永遠の眠りに付くかの様に、その場で目を閉じた。
「これで、5人目……か。そういやあ、俺が魂を送った女全てバラバラになって発見されてるみてえだけど……どうなってんだ? 魔物の仕業……いや。あれはどう見ても刃物の後だった……」
霧で視界が悪くなっているのだが、それを物ともせず女性の亡骸の両手を、そっと胸の上に添えてあげた。
煙草を吸って気持ちを落ち着かせていると、少しかん高い声が聞こえて来た。
「じいちゃーん!」
段々近付いて来る声は、霧の中から姿を見せて行く。
肩まで伸びた真紅の髪と、その髪と同じ色の深紅の瞳。声の高さからして子供と推測出来る。
小さな手をブンブンさせ、黒ずくめの男性の元へ嬉しそうに走って来た。
「もう、遅いよ! 弟が目ぇ覚まして、おじいちゃん何処!? って、大泣きしてるよ?」
「何だ……もうお眠むの時間だから、寝てたんじゃねえのか?」
男らしいゴツゴツした手は、子供の小さな頭の上にすっぽりと収まった。
「俺は寝てないよ。弟は、さっきたまたま目を覚ましたんだ。それより、じいちゃん凄いね。流石は、[リィン]家の当主だけあるじゃん」
「……それ、微妙だから止めてくれ。俺の名前はジャックだ」
子供らしい大きな瞳は男性を見つめながら、キラキラと何かを期待する様に輝いていた。その純粋な目に一瞬たじろぐも、男性は片手をヒラヒラさせた。
そんな子供を見た男性は「帰るか」と、子供の手を握った。その時たまたま通り掛かった住人がその惨状と、子供と共に霧の中へと消えて行った男性の姿を目撃し、霧の街の夜は、騒動の街へと変わった。
ーー亡骸となった女性の事を調べた刑事が、目撃者から聞いた話は……『猟奇的快楽殺人鬼』だった。
そして誰が言い出したのか……この事件を知る者は、誰もがロを揃えてこう言った。
[切り裂きジャック]と。】
紙芝居をする男性は一瞬だけ……一瞬だけ、タクマを見た。
(……え?)
その視線の意味が何なのか分かる筈もなく、ただ首を傾げるしけなかった。
「切り裂きジャックと呼ばれた男は、別世界へと旅に出る。そこで出会う人々の暖かさに触れ、もう1度頑張ろう。そう思った」
『この陽の世界では俺は、殺人鬼なんて呼ばれない。ううん。呼ばせない! 俺は……』
次のページを捲ろうと紙に触った時、ポツポツと小雨が降り始めてしまう。
徐々に傘なしでは要られない程に酷くなり、集まっていた人々は次々と走って自宅へと戻っていった。
マリアは屋根のある場所へ避難する様にタクマに言うのだが、タクマはどうしても目の前の男性が気になって仕方ないらしく、マリアの言葉が耳に入ってこなかった。
紙芝居の男性はその場を動く事なく、タクマを見ていた。その表情は、微笑みーーというよりも、皮肉めいた挑発的な笑みに思えた。
「悪いマリア……先に戻っててくれ」
言い知れぬ負の感情を露にするタクマと……黒ずくめの男性は豪雨などお構い無しに、睨み合っていた。
何時もの雰囲気とは違うタクマに一瞬だけ身を引いてしまうマリアは、コクりと頷いてその場を後にする。