静かで平和なこの村の朝は、何時も決まっていた。
家畜を飼育している住民は餌やりをし、畑を持つ者は水やりと、平和の象徴かの様に何も変わらない朝を過ごす。時折吹く風は餌の草を散乱させ、家畜が御飯を求めてそれを食べる。飼育小屋からは牛や豚の鳴き声と共に、家畜特有の鼻をつつく匂い……毎朝繰り返し行われている事だった。
「姉さん。俺は今日学校休みなんだけど、姉さんは仕事なんだろ?」
朝御飯のベーコンの匂いが食欲をそそるらしく、二枚あったベーコンは、瞬時に口の中へと消えて行った。
「そうよ。あんたと違って、忙しいんだから」
タクマが姉と呼ぶ女性はタクマと同じ茶色い髪を腰程まで伸ばし、首の辺りで一まとめに縛っていた。
水色のエプロンドレスを綺麗に着こなし腕捲りをした後、慌ただしく食器を洗っていた。
「俺、学生で良かったって思うよ」
「そう言ってられるのも、今の内よ? 学校卒業したら、仕事しなきゃなんだから。あっ! 時間だから、もう行くわね」
髪を整えた後、忙しそうに家を出て行った。
「……俺も、外行くかな」
食器を片付けながらふと、ある物に目が止まる。
台所の隅に立て掛けられている赤い縁がちょっと派手な……写真立てだった。
茶色い髪の小さな男の子と、その男の子より少し背の高い少女。その2人の後ろには、恐らく両親であろう大人が2人、子供と合わせて4人が笑顔で写っていた。
「父さんと母さんが死んで13年か……俺は小さかったら、全く顔とか覚えてないけどね……ふわあ~」
暖かな日差しに誘われて、襲い来る睡魔を無理矢理払い除ける様に背伸びをする。
「タクマ君、居る?」
「ん? マリア?」
台所にいるタクマを呼ぶ声は、玄関から……ではなく、台所にある裏手口だった。
「マリア? どうしたんだ?」
食器を洗っていた手が水浸しになっていたので急いで服で拭いた後、裏手口の戸を開ける。
「おはよう。あのね……今村長さんの所に、旅人さんが来てるんだって。行ってみない?」
「旅人?」
この村は【世界の境界線】の直ぐ側に位置している為か、旅人がよく訪れる。
【世界の境界線】の向こう側へと行きたいという冒険者が、数え切れない程に存在する。恐らく今回の旅人も、その内の一握りに過ぎない。そう思っていたタクマは何時もの事だからと、断ろうとした。
「凄いんだよ。今までの旅人……冒険者さんとは違って、凄く綺麗なの」
「は?」
行っても仕方ないと思っていたのだが、何やら聞き慣れない単語の『綺麗』という言葉を耳にした時、声が裏返ってしまう。
「綺麗って、何が?」
「綺麗な人達なの。冒険者には見えない位に、スッゴク綺麗なんだよ。見に行こうよ~」
マリアの声が上ずっているのに気付いたタクマは、綺麗という言葉だけでどうしてここまで喜べるのか……一瞬それを考えたが、マリアが急かすので仕方なく行く方向に結論付けた。
「しょうがないなあ。マリア、先に村長さん家行っててくれよ」
急いで食器を片付け、長老家へと向かう。
□□□
タクマの家や村人の家は一階建てで、赤いレンガを使用した家が多く建ち並び、どれもこれも似た様な造りになっている。その為、新しくこの村を訪れた人は、迷ってしまう事もしばしばあった。
「経費云々とかで、同じ造りにしたらしいけど……まあ特産品とかある訳じゃないから、家なんかにお金掛けられないもんな。住めば都って言うし。俺は好きだけどね、この村」
タクマが向かっている長老の家は学校の直ぐ側にあり、村の中の家々とは少し異なった見た目だった。
村の中で唯一の三階建てで、横に広いという特徴を持っていた。
「げっ……スッゲェ人だかり」
村長家にたどり着くと、人がアリの行列の様になっていた。
「見えない……」
背伸びをしても人の多さには勝てず、誰が来ているのかすら分からないままだった。
普段余り村人がこんなに1ヶ所に集まる事はないのだが、今回はマリアの言う様に【綺麗】という言葉に惹かれたのかも知れない。
「タクマくーん。こっちだよ」
大声でタクマを呼ぶマリアは、村長家の客間にちゃっかりとお邪魔していた。
「マリアって、結構大胆だよな……」
ポリポリと頭をかきながらも、人混みを掻き分けてマリアの元へと行く。
客間の扉が開いているので、靴を脱いでそこから客間へと入っていく。
「して? 客人は、あの世界樹の種を必要としていると?」
入った直後聞こえて来たのは、長老の声だった。老人らしく、低くノンビリとした口調だ。
そんな長老と向かい合っているのは、二人の旅人だった。
「せや。その種……世界樹の種は、世界樹が生えとる町や村に幾つか保管されとるんやろ? この村の長老なら知っとる筈や。ジャック……いや。切り裂く者の名が、どんな意味をなすのか」
かなりなまりが酷く、上手く聞き取れない口調の人物はがに股になりながら、不敵な笑みを浮かべた。
鮮血の様な真紅の髪をポニーテールにしていて、座っていても床に付いてしまう程に長かった。
少し吊り上がった目のせいか、少々近寄り難くも思える。顔は美形の大人の男性と言っても差し支えない程に整っていた。
白を強調したコートを着こなしたその勇ましさからくる雰囲気は、下手をすると傭兵なのでは? と、思ってしまう程に服の上からでも分かる位に、逞しい体つきだった。
「……ヨシュア。皆引いてるよ?」
そんな男性の隣に座っている小柄で細身の人物は、礼儀正しく正座をしていた。
真紅の髪の男性よりも細長い金の髪は、黄金の麦畑を連想させる程に艶目かしく、畳の上を緩やかに流れていた。左前の一部をみつあみにし、男性とも女性とも言える中性的な顔立ちの人物だった。
薄黄色のポンチョを羽織り、スカートの様な長い服を着ていた。
仕草の1つ1つがとても美しく、言葉では言い表せない何かを身に纏っていた。
そんな金髪の人物はタクマに気付き、微笑んだ――瞬間、タクマの脳裏を何が過った。
『忘れないで。僕、必ず帰って来るから……』