魔法戦史リリカルジェネレーション   作:nanase

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第58話 レコードコースター

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 これは夢だ。夢の中で好きでもない男に身体を見られ、まさぐられ、愛する人と彼を想う親友の痴態を見せられた。どんなに叫んでも、抵抗しても助けなんて来ない。ただ心が壊れないようにするだけで精一杯のこの世界だからこそ思う。

目の前の彼は誰? 彼と同じ顔をした貴方は誰?

 もしも彼が私の望む人ならば、それはなんて都合の良い夢だろう。こんな所まで来てくれたなんて、なんて都合の良い話だろう。これもあの男の策略だろうか。私の心を完璧に折る為にした演出なんだろうか。

 

「演出でも何でもない。ただあるのは皆がシュテルを助けたいと思う為に行動した結果さ。君だって俺を助けに次元の壁を越えて来てくれたじゃないか。それと同じだよ。それにね、俺が君を助けに来ない理由は無い。君が何処にいても俺は必ず君を助けに来るよ」

「レ……ン……。本当に貴方なのですか?」

「俺はシュテルの知ってるレン・アマミヤだよ」

「レ…ン。レン!」

 

 今一度確かめる為に彼の名を呼ぶ。伸びた手がそっと頬に触れ、彼、レン・アマミヤは微笑む。その微笑みにスカリエッティに触れられた時とは違う物が心から湧きあがってきた。一度は消えかかった瞳に再び炎が宿る。

 不意に感じる浮遊感。レンが糸を切ったのだ。

 これで彼女を縛る物は何も無い。倒れ込むように黒の花嫁は彼女が本当に求める者の胸へ。

 そしてレンも両手を広げ、そんな花嫁を抱き止めた。

 全身で感じる彼の体温に、あの時とは違う温かい涙がシュテルの目に溢れ出す。余程怖かったのだろう。彼女の心情を察し、未だ震えの止まらぬ体を力いっぱい抱きしめ、レンは奥歯を噛み締める。

 間一髪は間に合ったかもしれない。しかしそれまでこの少女は一人恐怖と戦いながら、必死に心を繋ぎ止めていたのが嫌でも伝わって来る。でなければ、あの気高い少女がこんな顔をするはずがない。いつも自信に溢れ、燃える炎を胸に秘め、自分を叱咤激励する少女は何処に行った。居るのは自分の腕の中で、小さくなって震える一人の少女だ。

 悔しい。堪らなく悔しい。もっと早くここに辿りつけていたならば、この少女にこんな思いをさせなくて済んだかもしれないと言うのに。

 足りない。全然足りない。どれだけ抱きしめても彼女の恐怖を止めるには足りなさすぎる。

 そして、許せない。黒い感情がこんこんと湧きあがり、自分の心を埋めていく。

 レンは握った拳を開きシュテルの頬からその涙を拭うと、すぐに視線は体を起こしたスカリエッティへ向けた。

 今の顔をシュテルに見られたくない。ただそれだけの為に。

 

「良い顔をするじゃないか」

「……うるせぇよ」

「感応力。君達の世界で言うニュータイプの力か? それともイノベイターか? ともあれそれだけでここに入ったというのならば大したものだ」

「ハッ! そいつは違うな。皆がシュテルを助けたいと思う為に行動した結果だと言ったはずだ 俺の感応力はその中の一つに過ぎない」

「だが私の干渉力を上回る程の力など……」

「ジェネレーションシステムを使えるのがお前だけだと思うなよ?」

 

 スカリエッティの顔が憤怒に染まる。しかしそれ以上にレンの顔も憤怒に染まっていた。

 一体どういう事だろう。意味が分からないシュテル。

 

「ここはジェネレーションシステムに作られたシークレートスペース。そこにシュテルの意識を飛ばしている。そうだな? スカリエッティ」

「……よもやこの短時間でそこに気付くとはね。見上げた解析力だ」

「気付いたのはルシフェリオンだ。あんたはシュテルから魔力を奪ったと同時にバイパスを繋げて、シュテルの精神をジェネレーションシステムに引きずり込んだ。だが目論見が甘かったな。ルシフェリオンがそれに気付いて俺達に教えてくれたんだよ。後はアプロディアとシステム内の仲間がここを見つけて、俺の感応力とハルファスの力でここまで来たってことだ」

「そうか、あの忌々しい不死鳥の力か。ククク……。いやいや恐れ入る。まさかそんな力技でここまで来るなんてね」

 

 座りこんだスカリエッティは自分の策略が突破された事がそんなに嬉しいのか、さも愉快そうだ。

 よもやこんな事が起こる事は全く以って想定外。しかもそれに最初に気付いたのがデバイスだと? たかだか人工知能一つがこの企みに気付いた? 本当に笑えて仕方がない。

 だから彼は笑った。貫かれた腹から血が吹こうとも、その痛みをものともせず。ガリガリ、ガリガリと自分の頭に爪を立てて、彼は狂ったように笑い続けた。

 

「ああ、愉快だ。実に愉快だ。そしてこれはなんとも耐え難い屈辱だよ! レン・アマミヤ!!」

 

 立ち上がったスカリエッティの手から伸びる無数の魔力糸。対してレンは驚きもせず、瞬時にヴァリアントザッパーをハーヴェストモードへ移行。大鎌が魔力糸を薙ぎ払う。はらはらと舞い散る赤い残滓にスカリエッティの顔が醜く歪む。既に彼の優位性は消え去っていた。となればいくらスカリエッティが天才的な頭脳を持っていても、レンの前ではただの科学者。肉体面においてレンに敵う道理は存在しない。

 そして大鎌の一刈りはスカリエッティの足をも切り飛ばしていた。大方魔力糸で怯ませて逃げるつもりだったのだろうがそれをレンが許す筈もない。血を垂れ流しながら這いずるその科学者に先ほどの余裕は微塵も残っていなかった。対するレンの顔に一切の慈悲はなく、淡々と罰を与える執行者の冷めた目でスカリエッティを見降ろしている。

 

「屈辱ねぇ。悪い。今、アンタがどう思っていてもそれに対してなんも思わんわ。可哀そうだとか、あ、やべ。やり過ぎちまったとか。そんな気持ち全然湧いてこないんだよね」

 

 それでもまだ逃げようとするスカリエッティにゆっくりと近づき、ハーヴェストモードからフェンサーモードへ変えての逆手持ち。その一本を一思いにスカリエッティの手に突き刺す。闇にスカリエッティの叫びが響いた。けれどもやはりレンは表情一つ変えない。

 

「いや、自分でもホント驚いてる。人って本当に怒ると途端に冷めてくもんなんだな」

「そ、そんなに彼女の体に触れた事が憎いかい? 悔しいかい?」

「当然。俺は聖人君子じゃないからアンタのした事が許せない。けれどここであんたをいたぶってもなんの解決にもならない事は分かってる。何せ実体じゃねぇんだからな」

「痛覚はフィードバックしてるんだけどねぇ」

「むしろ好都合。シュテルが受けた屈辱の万分の一でもいいからその身に刻め」

「足を切り飛ばして、剣を刺しておいてよく言う。それにさっきも一発殴ったじゃないか」

「じゃあ二発目」

 

 ぐしゃっと音を立ててレンの拳がスカリエッティの顔面に入った。一度では足らず、二度、三度とレンが拳を振り降ろす。その度にスカリエッティの苦悶の声が聞こえてきた。その声に思わずシュテルは目を逸らす。罰の執行人となったレンが己の優位性を失ったまやかしの王に下す罰は、その王が愚王だったとしても見るに堪えない。

 

「うわ~、レンったら相当怒ってるわね。ま、当然よね。私だってできるならぶん殴りたいもの」

「キリエ?」

 

 声の方にシュテルが顔を向ける。するとシュンと音を立ててキリエが姿を現した。

 チクリとシュテルの胸が痛む。スカリエッティに見せられたレンとキリエの影の抱擁が棘になって彼女の胸に残っている。顔を合わせづらい。目が見られない。けれどもそんな事お構い無しにキリエはシュテルを抱きしめた。

 

「ごめんね。もっと早く駆けつけてあげたかったのに遅くなってごめんね」

 

 そしてかけられる謝罪の言葉。何度も何度もキリエはシュテルに謝った。その言葉にシュテルの心から痛みが薄れていく。あれは確かに自分が見たくなかった一つの結果だろう。胸の棘が完全に消えたわけではないけれども、今はこうして彼女も駆けつけてくれた事の方が嬉しく、シュテルもキリエを抱き返す。

 そしてその思いはキリエも同じだった。自分の影がレンと抱擁を交わし、シュテルがそれに泣き叫ぶ姿は彼女の心を酷く痛めつけていた。

 もしもあの立場が逆転していたら? きっと自分も同じ様に泣いて、叫んでいただろう。だからこそシュテルの心の痛みが分かる。だからもっと酷い事になる前に助け出せて良かったとキリエはシュテルを抱きしめる腕にもっと力を込めた。

 

 いずれレンがどちらかを選ぶ時が来る。けれどレンがどちらを選んだとしても後悔しない。

 それはいつしか二人の間にできた約束。お互い同じ男を好きになった果てにいつか訪れる未来。それを分かってここまで愛したのだ。

 

(でも、私は……)

 

 しかしキリエには一つの不安がある。本当なら考えたくない一つの選択と信じたくない一つの未来。けれどもそれと直面しなければならない時、自分は……。

 

「キリエ、痛いです……」

「あ、ご、ごめんごめん。シュテルちゃんがあんまり可愛くてつい力が入っちゃった」

 

 シュテルの抗議で我に返り、キリエは慌てて取り繕った。確かにシュテルがちょっと泣きそうな顔で抗議の目を向けている。そしてキリエと目が合うと、少し顔を赤くしてふいと逸らす。

 あ、なんかキちゃうかも。ゾクッとキリエの背筋が震え立った。

 

「シュテルちゃん。お姉さん、その顔、たまんない、のOSTよ」

「何を言っているんですか!! 意味分かんないです!」

「だってなんかもう色々と卑怯なんだもーん! 男じゃなくったってそんな格好でそんな顔されたら、ねぇ?」

「ねぇ? じゃありませ―――ん!!」

「こりゃ。二人揃って何をしてるんかい」

「「あ」」

 

 揃って声を上げるとヴァリアントザッパーを担いだレンが半目でこちらを見ていた。余裕ね君ら、とでも言う目に二人が慌てて離れ、キリエが慌てて取り繕った。

 

「そ、そうそう。スカリエッティの方はもう良いの?」

「ああ。正直まだ足りないけど、完全にのびちまったし長居もしてられないからな」

 

 そう言ってレンが示す先では完全に気を失ったスカリエッティが横たわっている。痛覚が生きている所に何度も殴られたのだから、当然と言えば当然だ。そしてレンはシュテルに手を差し伸べる。その顔が「立てる?」と問いかけている。彼女もそれに応えようと手を伸ばしかけたが、ちょっとだけ考え、ちらりとキリエを見た。キリエには悪いが、もうちょっとだけ甘えてみよう。そんなちょっとした悪戯心からシュテルは伸ばす手を両手に変える。

 

「ちょっとまだ腰が抜けていますね。レン。抱っこして下さい」

「……え?」

「あ~、シュテルちゃんずるい」

 

 間抜けた声と文句の声が上がった。きっとキリエは気付いているに違いない。レンは……まあレンだしと勝手に結論づける。それにもう出した手は退けない。シュテルはもうひと押しの言葉を放つ。

 

「抱っこ」

「うっ……。分かりましたよ、花嫁様」

 

 シュテルの根勝ちだ。レンが抱き上げ、シュテルは彼の首に腕を回す。キリエは指を咥え羨ましそうに見ていたがそれ以上何も言わなかった。ごろごろと猫の様に喉を鳴らしてご満悦のシュテルを見ている内に、二人ともとやかく言う気も薄れてしまう。

 

「そう言えばスカリエッティの干渉によく勝てましたね。何か仕掛けがあるんですか?」

「ん? ああ、種も仕掛けもきっちりあるよ。そもそもスカリエッティが持っていた優位性にはちゃんとしたルールがあるんだ。ここがどんな場所かは言っただろ? しかもご丁寧にこの空間内はシュテルさんの行動よりもスカリエッティの自己保存の方が優先されるようにプログラムされているんだよ」

「それはつまり、限定空間を構築して、そこに私という精神をプログラムとして送り込んだ。プログラムである以上空間内のルールには逆らえない、という事ですか」

「そういう事。スカリエッティは既に精神をプログラム化してシステムに送り込む事に成功しているらしいからね。こっちはこっちでシステム内にいるレンの仲間に頼んで空間のプログラムにハッキング。レンを割り込ませてるの。シュテルちゃん以外ならルールを無視できるしね。それでミッド側からレンがシュテルちゃんの意識に繋いで、私がハルファスの力を使ってここまで来たわけ」

 

「成程。ハルファスはシステム内であれば何処へでも行ける権限を持つ。いわばレン、貴様が鍵でハルファスが扉という事かな?」

 

 その声で世界は一変した。

 ただの闇だった空間が広大な暗黒と煌めく星々に埋め尽くされた世界へと変わる。

 そして眼下には大きな二つの月。太陽の輝きを受けて地上で見るよりも更に煌々と輝いている。そこは宇宙。ミッドチルダという世界がある惑星の外に広がる宇宙だ。だがよく見ればそこには見慣れない物もある。月よりは小さいが隕石にしてはやけに大きい丸い岩石の塊。二つある月に、更にもう一個衛星が出現していたのだ。

 戸惑う三人だが、その声には聞き覚えがある。見上げた先に彼女は存在した。

 

「これは二つの月周辺の現在の映像だ」

 

 そして彼女は舞い降りる。四枚の黒き翼と銀色の髪を揺らし、淡雪の様な白い肌に映える赤い瞳と唇で妖艶な笑みを浮かべた夜の女王アメリアス・ナハトヴァールが、三人とスカリエッティの間に彼女は降り立つ。

 

「アメリアス、これが現在の映像とはどういう事ですか? あの衛星はなんなのです?」

「……あれがジェネレーションシステムの本体だよ」

「レン?」

 

 アメリアスの代わりに答えたのはレン。アメリアスを睨みつけながら、彼は未だ状況の理解できないシュテルに語り始める。

 

「あの爆発でゆりかごから弾き出された俺達がミネルバに救助された直後、宇宙でジュエルシードを使った時空震動が観測されたんだ。幸い時空災害に至る程ではなかったんだけど、代わりにあの衛星が月の軌道周回上。二つの月の軌道が交差する点に現れた。そしてこの衛星が現れた後、ミッドチルダでも異変が起こった」

 

 説明するレンにアメリアスは更に指を鳴らす。今度は宇宙ではなく、抜ける様な青空へと変化。シュテル達が戦っていた、聖王のゆりかごが浮かぶあの空だ。そのゆりかごが淡い緑色の光に包まれている。

 魔導士やミネルバからの攻撃。果ては追いついたアースラから撃たれたなのはからの砲撃。その全てを防ぐ姿にシュテルは息を飲んだ。あの淡緑色の光を彼女は知っている。レンとアメリアスも、彼女が何を考えているかもう理解しているのだろう。だというのに二人の顔は対照的。レンは唇を噛み、アメリアスはほくそ笑んでいる。しかしそれ以上何も言わなかった。ただ黙して語らず、彼らはそれを見つめる。

 そして決定的な光景が飛びこんでくる。突然聖王のゆりかごが眩い真紅の輝きに包まれたのだ。そしてあっという間にゆりかごは空の彼方へ。唖然とする魔導士達だけが残されていた。

 

「GNフィールド、トランザム……。しかもあの色はオリジナルのGNドライヴ。一体どうして……」

「それはダブルオークアンタのツインドライヴ。レンがハルファスに取りこんだ物の片割れを使っているのさ」

 

 誇らし気に語るアメリアスを睨みつけるシュテル。しかし全くそれを気にせずに彼女は高らかに声を上げる。

 

「シュテル、汝に感謝するぞ。お前がレリックウェポンもどきになり、スカリエッティがそれを吸収した。その行く先は汝も気付いておろう。このゆりかごの動力だ」

 

 指を鳴らす事二回目。次に変わった世界で三人は息を飲んだ。

 それは両手を広げ、膝をついたダブルオークアンタの姿。その体から伸びるコードは背後の赤く巨大な宝石に繋がり、煌々と輝きを放っている。その間にも背にあるGNドライヴからは途切れる事なくGN粒子が放出されていた。そして何よりも目が行くのは剥き出しになったコックピットと、魔力結晶に包まれ眠るアミタの姿だ。

 

「お姉ちゃん!」

「……やっぱりそういう事かよ。残り一つのGNドライヴの力を増幅させてやがったか」

「汝らがこれを知った所でどうという事ではないのでな。特別サービスという奴だよ」

「ふざけないで下さい!」

「駄目だシュテル!」

 

 どうしてアミタがこんな事に。キールは一体何をやっているのか。次々と疑問は尽きない。その怒りのままに魔法を発動させるシュテルをレンが止める。止めるなと視線を送るが、彼は顔を横に振るだけだ。

 

<今は耐えるんだ。聖王のゆりかごがトランザムを使った理由が分かっただけでもめっけもん。まだ何か隠しているのは確かだけど、欲張って取り返しがつかなくなったら終わりだよ>

<しかし!>

<ここで優先すべきは君の無事なんだ。分かってくれ>

 

 その悲痛なまでの念話にシュテルも怒りをなんとか収める。レンが攻撃を仕掛けないのも、ジェネレーションシステムにより深く精通するアメリアスにここでは勝ち目がなく、また戦う事に意味もない事を理解しているからだ。

 しかしアメリアスもそれをただ見ているだけではない。余裕の表情で尋ねてくる。

 

「逃げ出す算段はまとまったか? ただ、そう簡単に我がお前達を逃がすと思うなよ?」

 

 マズイ! 三人の意見はその瞬間同時に一致した。そして踵を返して一目散に走りだす。

 

「キリエ! 強制転送!」

「分かってる!」

「させん! 貴様らの精神、この場を虚数の海として永遠に閉じ込めてくれる!」

 

 世界が砕け、アメリアスを中心に破片がどこかに落下を始める。その先は渦巻く深い闇。まるでブラックホールだ。キリエが強制転送にかけるまでの時間、逃げ切れればレンの勝ち。逃げ切れなければ虚数の海に精神を閉じ込められてしまう。それではここに来た意味がない。レンにしがみつくシュテルと共に今はとにかく逃げの一手に専念する。

 アメリアスの高笑いが呪いの様に響いてくる。それでもレンは走る。虚数の海がもう真後ろまで迫っている。シュテルはレンを信じ、声も上げずにしがみついている。だからレンは走る。

 しかし遂に足元が砕けた。キリエがレンに飛びつき、三人は虚数の海へ吸い込まれていった。

 

 

 

2

 

 

 

「駄目だ! 悲しくても、悲しくても、俺達は世界をリセットなんてしちゃいけないんだ!」

 

 爆炎の中でデルタカイのビームサーベルが伸びる。ブースターが火を噴き、全身の蒼炎が尾を引き、盾から伸びたビームサーベルを真っ直ぐ突き出し、レンはデルタカイと共に駆ける。ニューロ・レンもミサイルポッドをパージ。スーパーカスタムザクF2000を前へと押し出す。

 

「その悲しみを越えて今ある世界でもう一つの未来を目指すべきなんだ!」

 

 蒼炎がレンの意思を汲み取り、更に猛り狂う。

 そしてザクのニークラッシャーはデルタカイの右胸部を貫いた。

 デルタカイのビームサーベルもザクの腹部を貫いていた。

 

 

 落ちる。どこまでも落ちていく。

 シュテルはレンに抱かれながら、キリエはレンに抱きつきながらどこまでも落ちていく。

 そこに再生されるのはレンの記憶。この世界に祝福を受けながら生まれた時から、ジェネレーションシステムに刻まれ続けた記録。ずっと、ずっと。それは何年、何日でありながらして一瞬。時間の枠を飛び越えた先に見る永遠の刹那。

 そしてここまで辿り着いた。ビリーが自爆し、クレアが相討ち。そしてセリカがレンを守る為に炎の中へ消えた先。レンとニューロ・レンの決着の時へ。

 

 

 デルタカイの計器がうるさいくらいにアラームを鳴らし続ける。既に機体が限界を迎えているのはレンにも分かっていた。しかしもう逃げられない。自分がこの爆発に巻き込まれるのは確定事項だ。

 ゾクリと背筋に悪寒が走る。喉元に突き付けられた死神の大鎌が今まさにレンの命を駆り取ろうとしている様に、彼の背筋は震えあがる。

 死にたくない。これまで何度も死にかけたが今回はそれがいっそう身近に感じる。

 

「嫌だ……。死にたくない! 消えたくない! まだやりたい事があるんだ。会いたい人がいるんだ。好きになった女も抱けずにこんな所で死ねる……!!」

 

 突然目の前のディスプレイが爆発する。顔に鋭い痛みが走り、ぽたりぽたりとレンのパイロットスーツに血が落ちた。それを認識した途端傷が熱を持つ。どうやらざっくりと顔に傷が入ったらしい。血が口の中にも流れ込み、鉄の味が口いっぱいに広がった。が、それが逆にレンの意識を繋ぎ止める。

 そうだ。まだ生きている。まだ生きているんだ。

 諦めるものか。無様でも良いから生きてやる。どんな事をしても生きてやる。

 血と涙でぐしゃぐしゃになった顔でレンはできる事を探す。生きる事への執念と会いたい少女二人の顔で彼の頭はいっぱいになりながら必死にパネルを操作する。安全装置は……駄目だ。機材そのものがイカれていてこちらの制御を全く受け付けない。

どうすれば良い。どうすれば良いんだ。方法が全く見えない。時間もない。生きてやると思っても、八方ふさがりではどうしようもない。死神の大鎌が喉元に食い込んできた。

 

「うおたぁっ!?」

 

 突然背後で爆発が起こり、衝撃に揺らされたレンに破片が降り注ぐ。そしてその破片に目を向けたレンは目を見開いた。

 輝いている。破片が淡い光を灯し、微かに輝いている。

その光にレンはハッと顔を上げた。希望の光はまだ消えていない事に気付いたのだ。吹けば消えてしまうような輝きだが、そこに確かに存在する希望の光をレンはぎゅっと握りしめる。

 それはサイコフレームの輝き。このデルタカイにはそれが組み込まれている。そしてそれが最も集中しているのはコックピット周り。パイロットの感応力をよりダイレクトに受ける為だ。

 迷う事はない。無謀でもやるしかなかった。小規模でもサイコフィールドをコックピット周りに展開させる。更に魔力で体を限界まで強化し、同時にバリアジャケットの要領で全身を障壁で守る。それが今できる最善最良の選択であると信じた。リンカーコアが輝き、魔力が高まる。その一方で頭痛が一層強くなる。構ってられない。顔の傷がどんどん熱くなる。そんな事はどうでも良い。コックピット周りが光に包まれる。レンの感応力を受けてサイコフレームが光を強くする。

 そして一際大きな爆発音と衝撃がレンに襲いかかってきた。

 

 

 

「この傷はその時にできた物なんですね」

「すっかり残っちゃったわね」

 

 揃って手を伸ばし顔に刻まれた傷を撫でる。少しくすぐったそうな顔をするレンに二人は目を細め、くすくすと笑い合う。自分の過去を全て彼女達に見られた気恥ずかしさか、彼はただ苦笑するばかり。

 そして記録はその後へ続く。

 

 

 

 デルタカイからスバルとティアナがレンを助け出す姿が映されていた。二人が何かを言い合うと、スバルがミネルバに走り出した。キャロがヒーリングをかけ、ティアナが心肺蘇生を繰り返している。人工呼吸の時にシュテルとキリエは少し顔をしかめたが、敢えて何も言わずに彼女はその光景を見続けた。そしてエリオがレンの体に電気を流し、ビクンと体が跳ねる。ティアナがレンの胸と口に耳を当て、ほっとした顔をし、その間にスバルがキリシマを連れてきた。

 そしてレンが担架で運ばれようとした時、空間に光が満ちる。

 どよめきが起こる中、光は集まり、やがて人の形を成していく。

 白の女神アプロディアが降臨した瞬間だった。

 

 

 

「俺、どうやら心停止してたらしいんだよね。俺自身の記憶にゃないけど」

「見れば分かります。危険な状態だったんですね」

「……何か怒ってない?」

「シュテルちゃ~ん、あれは緊急なんだしノーカンにしときましょ?」

「分かってます! ほら、次、次!」

「やっぱ怒ってんじゃん!」

「……ホントは私もちょっとだけ怒ってるのよ?」

「え!?」

 

 

 

 ベッドで目を覚ます包帯姿のレン。彼が目覚め、最初に受けた洗礼はフリードの甘噛みという名目の噛みつきだった。鼻の頭を噛まれ、叫び声を上げるとキャロが慌ててフリードを止める。しかし我慢できなくなったのか、彼女もレンの胸に飛び込んだ。そして泣きじゃくる彼女をあやす姿にスバルとティアナも泣きだす。エリオだけはぐっと我慢していたが目には大粒の涙が滲んでいた。

 その声に慌てたキリシマがカーテンを開き入って来る。そしてレンが目を覚ました事に喜び、急ぎニキへ連絡。その報せを受けたニキもチンク達とやってきては、皆がレンの無事を喜ぶ。その中にはアプロディアの姿も。しかし医務室は騒然となり収拾が付けられなくなってしまった。

 

 

 

「キャロにまで手を出しましたか。……このロリコンめっ!」

「いやいやいやいや。それはおかしい。っていうかそれが言いたかっただけでしょ」

「やっぱり一回は言っておかないと。お約束よね~」

 

 

 

「さて、アプロディア。そろそろ眠りにつかなきゃいけなかった本当の理由を教えてくれないかい?」

 

 医務室の騒ぎも落ち着き始めた頃、レンは早速本題に入った。周囲が何事かとレンに視線を集める。けれども確かめなければならい。本当ならこの戦いの無事をもっと喜び、散っていったビリーとクレア。そしてセリカの事を思う時間が欲しい。けれどもレンはそれを心の奥底に閉じ込めた。悲しみ、思う事はいつでもできる。けれども今必要なのは先に進む事。父を失った母がそうしたように、レンもまた前に進まなければならない。その為には知らなければならない事があると、レンはじっとアプロディアを見続けた。

 そして痺れを切らしたスバルがレンの裾を引っ張り、説明を求めた。

 

「おいおい、アプロディアはジェネレーションシステムに最も近いシステムなんだぜ? そのアプロディアがたかだかスカリエッティのプログラム対策だけで眠りにつくなんておかしいと思わなかったか?」

「ずいぶんと言ってくれるじゃないか」

「そう怖い顔するなよチンク。別に君達の事を卑下してるんじゃない。ただジェネレーションシステムの規模と能力から考えたら、わざわざアプロディアが眠りについてまで対策を講じる必要があったかって事なんだ。いや、だからナイフしまって」

 

 おもむろにナイフをちらつかせるチンクをなだめ、レンはアプロディアに答えを求めた。それを聞いてやっとスバル達もレンの考えを理解する。確かにアバターは良くできたプログラムだ。下手をすればシステムが完全に乗っ取られる危険もある。しかしそれはシステムがアプロディアを眠りにつかせてまで対策を講じる程であろうか。そこまで領域を割いてまで行う事なのだろうか。世界を構築するほどのシステムがそんなにやわなはずがないというのがレンの持論だ。

 だから答えを求める。きっとその裏になんらかの意図があると考えて。

 そしてアプロディアもしばし考えた後、まず最初にこう言った。

確かに対アバタープログラムのシステム構築もある。しかし本質は違うと。

 

「私はもっとシステムを知らなければならないと思ったのです。ミッドに降り立ち、マリアのデバイスとして過ごした四年の中で私はシステムについて何も知らない事を痛感しました。……考えてみれば当然です。レン達に出会うまでの私はシステムが私に与えた『人を見守り、導く』というプログラムに従っていただけなのですから。だからこそシステムの奥深くまで入り込む為、一時的に眠りについたのです。ですがその結果は……」

 

 そこでアプロディアは言い淀む。果たして言うべきなのか。言うと決めたにも関わらず、瞳には迷いがある。一体何を見たのかと全員がアプロディアの言葉を待った。しかし次の言葉は別の所から飛んで来る。

 

「この世界はロードとリセットという名前の再生と破壊を繰り返している。……違うかな?」

「……驚きました。いつから気付いていたのですか?」

「気付いていたっていうか、憶測だったんだけどね。考え出したのはニューロ・レンに色々聞いた時から、薄々と。ただ形になったのはあいつと最後に戦った時かな。……そっか、やっぱりそうだったんだ。う~ん、正直当たって欲しくなかった」

 

 それはレンだった。そして彼の言葉はアプロディアによって肯定されたにも等しい。そんな馬鹿なとゼノンが立ち上がる。だがレンは取り乱すことなく、ぽりぽりと頭を掻きながら言葉を紡ぐ。

 

「あいつは世界をリセットしようとしていた。ジェネレーションシステムならそれができると確信していた。何故です? それはシステムにその力があると知っていたからじゃないんですか?」

「……い、いやそれは確かにそうかもしれない。だが何故繰り返しなんだ?」

「それはまぁ……ちゃんとアプロディアから聞いた方が良いかと思います」

 

 納得のいかないゼノンだが無理もなく、この場にいる全員も同じ考えだった。世界の繰り返しなんて途方も無さ過ぎて、おいそれと信じる事ができない。その中でレンはアプロディアに全てを託す。というか、ここで自分が憶測を語るより、きちんと彼女の口から答えを聞きたいというのが本音。

 だからレンは再びアプロディアを見る。その目にアプロディアも今度こそ顔を上げて全員を見渡す。既に迷いは消えていた。

 

「システムは待ちながら模索していたのです。どうすれば人間が自分の作った枠を越えて自分に会いに来てくれるのか。ただそれだけの為に世界をリセットし、少しずつ手を加えて見守っていたのです」

「そんな、そんな事の為に世界を……?」

「そんな事の為、だからですよゼノン」

 

 うろたえるゼノンがよろけて、ベッドに座りこむ。額に手を当て、顔も青い。セインが慌てて背中をさすると少し落ち着きが見えてきた。周りも正直驚きが隠せていない。ざわつきが起こる中、アプロディアは話を続ける。

 

「孤独に耐えられなくなったシステムは世界を生み、人を生みだしました。けれども更にシステムは孤独になりました。何故なら誰もシステムに気付かなかったのです。人は自分の世界しか認識できない。世界の外側にいるシステムに誰が気付くでしょうか。だから人が自分に気付くように世界にリセットという災厄を送り込みました。それがSystem-∀。あれは元々、ジェネレーションシステムの為に世界を滅ぼす為の機体だったのです」

「そんな! それなら自分から姿を見せれば良いじゃないですか! わざわざ世界を滅ぼさなくても自分から姿を見せればリセットなんてしなくても解決できる事でしょ?」

「ではエリオ、貴方に尋ねます。世界を作った者が目の前に最初からいたら、友人になろうと思いますか?」

「それは……」

 

 エリオが答えられないのも無理はない。システムは神になろうとしたのではない。最初から目の前にいて全てを曝け出せば、人はシステムを神と奉るだろう。それはシステムの本意ではないという事だ。そして人は利己的だ。世界を運用できるほどの力が目の前にあれば、それを崇め、畏れ、利用しようとするだろう。ニュータイプ、イノベイター、コーディネーター。レン達もその力を持つ者達が持たない者に利用される姿は嫌というほど見てきた。システムが対等な立場で人と接するには、人は未熟過ぎるのだ。

 

「システムは数多の観測世界で人が戦いの中で著しく成長する姿を見続けてきました。だからこそ、世界のリセットという過負荷でこの世界の人間も成長してくれると思ったのでしょう。事実、人はその繰り返しの中で大きく成長し、System-∀に匹敵する力を得るに至りました。その結晶がフェニックスガンダム。あれはどの観測世界にも存在しないこの世界オリジナルのガンダム。何度倒れても蘇る人の意思の具現化。そしてその躁主に選ばれたマーク・ギルダーと共に多くの人間が成長しました。SpiritsとGeist。ここにはその宿命を持ったパイロット達が集まったと言っても過言ではないでしょう」

 

 マークだけではない。この戦いに関わる者の誰一人としてシステムの進化に関わらない人間はいないのだ。それはシステムが導いたのか、長く続く戦いの中で出来た縁なのか。それを判断する術はここには無い。できればシステムに操作された物ではなく、縁による物だと思いたいというのが全員の心情だ。

 

「そして人の進化、世界の進化に合わせてシステム自身も複雑化していきます。その為にシステムは多くのセクションに応じた端末を生みだしました。私もその中の一つです。けれどもその複雑さが逆に小さなバグを生みました。それが前回の世界。フェニックスガンダムを模して造られたハルファスガンダムの暴走です。私は世界にシグナルを送り、この打破を望みました。そして見事に人はその期待に応え、更にはシステムが長年望んだ、人との邂逅まで果たしたのです」

 

 そう。前回の世界で既に人はシステムに到達し、システムの願いは叶えられていたのである。そしてアプロディアはそれだけではないと言う。

 一つ、暴走したハルファスとレンが通じ合った事。

 二つ、絶対の守護者として生みだしたバルバトスがキールと通じ合った事。

 三つ、人の意思の形であるフェニックスガンダムがマスターフェニックスに生まれ変わった事。

 それはアプロディアにとっても、ジェネレーションシステムにも予期せぬ嬉しい誤算。それは人の新たな可能性だった。そして願いが叶ったシステムは世界のリセットを止めた……はずだった。

 では、と誰もが思う。この世界は一体何なのだ。システムの願いも叶えられ、世界リセットの意味も無くなった。彼女はそれを前回の世界と言った。結局世界はリセットされ、今この世界は存在している。何故? その視線にアプロディアはレン達もよく知るその名を口にする。

 

「ナハトヴァールの存在です。この世界はナハトヴァールによってダメージを受けたシステムが、新たな可能性に全てを託して生まれた世界なのです」

「じゃあ、アプロディアとナハトヴァールとの戦いってのは……」

「前回の世界の最後に当たります。すでにシステムとの邂逅から長い月日が流れ、レン達ほどのパイロットが居なくなってしまった平和な時代の出来事。それは今より過去でありながら、今より未来の話。情けない事に私も世界再編のショックで記憶が破損し、システムの奥底を覗くまでそれを取り戻す事ができませんでした」

「え? ちょっと待って? じゃあこの世界はどこから始まってるの? まさか、また一からやり直したってわけじゃないんでしょ?」

「ティアナは世界五分前仮説というのを知っていますか?」

 

 その問いにああ、と頷いたのはレンとニキ。それにエリスだった。それだけで彼らは全てを理解したのだろう。けれども他の者はさっぱりである。すると代表してニキが話しだした。

 

「本来はこういう使い方ではないのですが、つまりいきなりある点に我々が出現したとします。しかし我々には五分前以上の記憶、歴史があるとなった場合、世界がいつ始まったとかは一切関係がなくなります。私達に刻まれた過去は過去としてのみ存在し、現在とは独立したものなのですから。そして今回、おそらく世界が始まったのはニューロの侵攻が始まった半世紀前という事になります」

「その根拠は?」

「ナハトヴァールが世界再編のきっかけであるなら、ニューロが攻め込んできた頃が一番妥当だという事ですが……、どうです? アプロディア」

 

 その問いは言わずもがな。アプロディアが頷く事でそれは全て肯定とみなされる。

 これが世界の真実。アプロディアが取り戻したこの世界の形だった。

 

 

 

 

 

 

「……俺自身、もう何回目の俺なのか分からないよ。記憶は無い。けれどもレン・アマミヤという人間は確かに何回もこのシステムの繰り返しで存在していた。笑っちゃうだろ? 俺の知らない俺が命を賭けて戦ったのは全てシステムのエゴを満たす為だなんてさ。偉そうに世界をリセットしちゃいけないとか言っておいて、結局世界はリセットを繰り返していたんだ」

 

 落ち続ける三人。シュテルを抱くレンの手が震えていた。ニューロ・レンに言った言葉に嘘は無い。もしかしたらそれはレンも知らないレン・アマミヤがずっと思い続けて、魂に刻み込んだ願いだったのかもしれない。

 

「でもそのおかげで私達はレンに出会えたんですよ?」

「そうね。それにエルトリアはシステムのバックアップだって、ずっと前にティーダさんが言ってたじゃない? だから私が生まれた。シュテルちゃんもエルトリアにやってきて、私達はレンに会えた。それってとても素敵な事よ?」

「はい。だから前向きに行きましょう。貴方は貴方。過去に何人貴方がいようとも、私達が出会ったレン・アマミヤは貴方だけなのですから」

「シュテル、キリエ……。二人共ありがとう」

 

 落ち続ける先に光が見えてきた。アメリアスによって虚数の海に落とされる直前にキリエの強制転送がギリギリ間に合ったのだ。けれどもその影響でこうしてシステムの記録、レンの記録を見る事になったのはシュテルとキリエにとって良かったのかもしれない。

 光が近づいてくる。システムの記録を見る旅もこれで終わりだ。

 レンが二人の顔を交互に見る。彼女達に出会えた事が、何度も繰り返し散っていったそれまでのレン・アマミヤには無い物で、今のレン・アマミヤに在る物。

 既に世界は今までと全く異なった世界を歩んでいる。その先を決めるのは、今を生きるレン達だ。

 

(母さん……。俺、頑張ってみるよ。新しい歴史、新しい世界はもう動いている。二度と世界はリセットなんてさせない。母さんが安心して眠れるように、もう二度と新しい母さんが生まれる事のないように、俺は俺のできる事を精一杯やるよ)

 

 涙が零れる。

 ようやくセリカの死を思う事ができた。心の奥底に閉じ込めた物を解放する事ができた。

 光が広がる。出口はもう目の前。

 出口を抜ければ、またしばらく母を思う余裕はなくなるだろう。けれどもまた思う日が来るだろう。

 だからその時まで今はしばしの。

 

 さよならだ。

 

 

 

 

 

 

 目がはっきりと覚め、シュテルは暗い部屋でむっくりと起き上がる。

 そこはミネルバの医務室だ。ベッドにもたれかかり寝息を立てるレヴィ。椅子に座り互いに身を預け合い眠るディアーチェとユーリ。カーテンに仕切られたそこには彼女達以外の誰もいなかった。

 傍らに待機状態のルシフェリオンがあった。シュテルはルシフェリオンを取るとそっと抱きしめ、感謝の言葉を伝える。ルシフェリオンがいなかったら、あの空間でスカリエッティに心を壊されていたに違いない。暗闇の中、ルシフェリオンが小さく瞬く。まるでシュテルの感謝に照れているかのようだ。

 そしてシュテルはペンダント型のルシフェリオンを首にかけると、寝ている彼女達を起こさぬようにそっとベッドから降り、カーテンの外に出る。

 

「起きたのかい?」

「キリシマ先生、お久しぶりです」

 

 暗い部屋の中、キリシマの机だけがスタンドライトに照らされていた。そして久方ぶりに会う彼女にシュテルは頭を下げる。

 

「私の所為で随分と迷惑をかけてしまいました」

「気にしないでいいよ。後、礼ならそこで寝てる三人に言いな。レンとキリエが帰って来て、もう大丈夫だって言っても離れようとしなかったんだからね」

「はい。後でちゃんと伝えるつもりです。それで……」

「レンとキリエなら部屋だろうさ。あいつらも大分疲れていたからね。詳しい事は後で報告するって言ってさっさと帰っちまったよ」

「そうですか。ありがとうございます」

「ん。あんたも無理するんじゃないよ」

 

 シュテルがそれを聞いても、どう動くかはキリシマにも分かっていた。だから「行くな」と言わずに、「無理をするな」に留めている。そんな彼女にもう一度礼をしてシュテルは医務室を出た。

 艦内も照明が大分抑えられている。この明るさだと、時刻は深夜なのだろう。宇宙では時間間隔を狂わせない為にこういった処置が取られていた。ここは宇宙でないが、その習慣が続いているのならば、きっとそうに違いない。

 廊下を歩くシュテルの足は自然とレンの部屋へ。

 早く彼に会いたかった。会って話がしたかった。今ならきっと言える。前は勢いで言ってしまったあの言葉を今度は目を見てはっきりと言える自信がある。

 傍にはキリエもいるだろう。驚いて彼女も便乗してくるかもしれないけれど関係ない。この高鳴る胸の想いを今伝えずして、いつ伝えると言うのだ。

 そしてシュテルはレンの部屋の前に辿り着く。ノックの前に大きく深呼吸。よしっと気合いを入れてノックをしようとしたその時。

 

「レン。好きよ。愛してる」

 

 聞こえてきたキリエの声に、シュテルの体が固まった。

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