魔法戦史リリカルジェネレーション   作:nanase

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第59話 Cry for the moon

1

 

 

 

 時間は遡り、レン達が帰って来た直後。

 無事に戻って来たレンとキリエはまだ目を覚まさないシュテルをディアーチェ達に任せて、部屋に戻っていた。精神での活動は思った以上に疲れが溜まる。レンはそのままベッドに横たわると泥の様に眠ってしまった。

 そしてどれくらい時間が経っただろうか。おもむろに目を覚ましたレンは思わず声を上げそうになる。

 いつの間にかレンのベッドに潜り込んだキリエが目の前にいたからだ。瞳を閉じ、規則正しい呼吸が桜色の唇から聞こえる。なんて無防備な姿。いつものプロテクトスーツ姿ではなく、白とピンクの縞々ウサギパーカー。胸元が開いているからアウターブラと胸の谷間にどうしても目が行ってしまう。

 紳士を気取るつもりはない。これでも健全な青年男子だ。こんな据え膳の状況でドキドキしない方がおかしい。けれどもレンは必死に目を逸らし、ゆっくりと、キリエを起こさない様にそこから這い出ようとする。

 だが突然シャツの裾を掴まれた。恐る恐るキリエを見ると、彼女は少し頬を膨らませ、半目でレンを見ている。だらだらと嫌な汗が噴き出してきた。

 

「……オハヨウゴザイマス」

「まだ深夜よ」

「デスヨネ。デ、ナンデキリエサンハボクノフクヲツカンデラッシャルノデスカ?」

「……はぁ。ヘタレもここに極まりね。な~んで、こんな美味しい状況でうちのダーリンは手を出さないのかしら」

「イヤ、オイシスギテテガダセマセン」

「シュテルちゃんだったら手を出した?」

 

 ビクリと、服越しにでも分かるくらいに体が震え、それを機にレンの雰囲気が一変した。キリエの肩を掴み、ズイと身を乗り出してくる。そこにヘタレの顔は無く、怒りと悲しみ。その両方を一気に混ぜてぐちゃぐちゃにしたような顔が代わりにある。

 逆鱗に触れた。分かっていながらキリエは触れたのだ。意地悪な問いだとは思うけれども、敢えてキリエは踏み込んだのだ。レンの真意を知る為に。

 

「どうしてそんな事を言うんだ」

「どうしてシュテルちゃんに全部見せなかったの?」

 

 質問に質問で返す。レンの質問には答えない。私の質問にだけ答えて。そしてその一言で十分レンには伝わる。肩を掴む手にもっと力が入った。そして苦しそうな顔からレンは声を絞り出す。

 

「……伝えたろ? あれがあの世界の全て……」

「馬鹿にしないで。私はデバイスよ? 貴方と一緒にジェネレーションシステムにアクセスした時に全部知っちゃったんだから」

「……」

 

 キリエの言う通りだった。レンはシュテルに全てを見せていない。あの記録にはまだ続きがあり、キリエはそれを知っている。伊達にデバイスはやっていない。

 アプロディアから世界の真実を聞いたレン達が見せられたのは、ジェネレーションシステムが導き出した、起こるであろう一つの未来だった。

 ジェネレーションシステムに到達したゆりかごに対し、管理局は地上と海という垣根を越え、その総力を結集して戦いを挑むも圧倒的な力に歯が立たず潰される光景。艦隊が無残に破壊され、なのはが、フェイトが、はやてが、機動六課が落とされる。そしてその最後、張り付けにされたシュテル達マテリアルズと宙に浮かぶユーリ。三人の姿がユーリに吸い込まれ、彼女の胸から強烈な光を放つ宝石、永遠結晶エグザミアが現れる。それを無造作に掴むスカリエッティが笑い声を上げる。

 そこで映像は終わりを告げた。そう。それは滅びの未来。レン達が戻れなかった時に起こるであろう一つの、しかも最も近い滅びの未来。

 

「けどそれは、アプロディアと俺達が戻れなかった時の未来だ。現に俺達は戻った。俺達っていう新しい因子が入った事で別の未来が生まれたはずなんだ」

「そうかもしれない。でもそれならなんでシュテルちゃんはスカリエッティに捕まったの? 過程が変わっても、結末は少しずつジェネレーションシステムの示す未来に向かっているんじゃないの?」

「じゃあキリエはこのままシステムの示す未来を受け入れろってのかよ!」

「そんな事言ってないわ。そんなの私だって御免よ。シュテルちゃんだけじゃない。王様、レヴィ、ユーリ。皆私にとっても大事な子達だもの。守りたい気持ちはレンと同じよ」

「じゃあ何が言いたいんだよ。キリエが何を言いたいのかさっぱり分かんねぇよ」

「心配なのよ! レンがその未来を変えようとして無茶をするのが! だってレンの体はもう……」

「……気付いてたのか」

「……言ったじゃない。全部知っちゃったって……」

 

 揃って目を伏せる。お互いその意味を分かっているから言葉が続かない。

 あの日、ミッドの惨状を知ったレンはすぐの帰還を望んだ。しかし当の本人は動くことすらままならず、帰還の為の条件も揃っていなかった。再び移動の為に次元の門を開いても、下手をすれば時空災害を引き起こしかねない。アプロディアはそれを避ける為にギリギリのタイミングまで待つという選択を取らざるを得なかった。

 そのタイミングとは鍵となるヴィヴィオがその場にいる事。そしてスカリエッティに敢えてジェネレーションシステムを引きずり出させたタイミングでそのエネルギーを利用し、ヴィヴィオの体に負担をかけさせまいとしたのである。問題はそれまでにレンが動けるようになるかどうかだった。

 その為にアプロディアが提唱したのは、ニューロを使った再生医療。世界を構成するニューロを使い、レンの肉体を補完するプログラム世界だからできる再生医療だった。

 勿論、レンにそれを拒否する理由はどこにもない。

 

「でもここで一つ問題が起こった。ううん。発覚したって言えば良いのかな。身体の欠損ならその方法でなんとかできる。けれども、事はそう単純な話じゃなかった。それすら手が出せない所まで貴方の体は……」

「そこまでだキリエ。今ここでそんな事を言っても俺がする事は変わらないよ。俺はシュテルを守る。ディアーチェも、レヴィも、ユーリも守ってみせる」

 

 分かってる。傍でずっと見てきたのだ。シュテルよりもずっと近くでレンを見てきたのは自分で、誰よりも理解している自信がある。だからレンの言葉はキリエにとって驚くほどのことはない。全て想定の範囲内だ。そしていつかその時が来ても彼は成すべき事をし、自分が納得した結果であるのならば「まぁそいうもんさ」と満足して受け入れるつもりだったに違いない。いつものように笑いながら、自分達に心配をかけさせまいとして。

 なんて優しくて、なんて不器用な人なんだろう。でもそれは残酷な優しさだ。

 そんな事誰も望んではいないというのに。

 

「いっつもそうやって抱え込もうとする。レンのそういう所、私嫌いよ」

「……参ったな。みんなに言われるよ」

「当然ね。で・も。そういう所も含めて好きになったんだし、今更よね」

 

 そっと体を預ける。抵抗しないレンを良い事に彼の胸に顔をうずめると、早鐘の様に脈打つ心臓の音が聞こえた。生きている心臓の音。彼女にはそれがとても愛おしい音に聞こえる。それはきっと自分にはない音だから。だがそれは同時にギアーズとして生まれ、今はレンのデバイスとして生きるキリエにはどんなに人間らしくしても、どんなにレンを愛おしく想っても、絶対に越えられない壁が存在する事をはっきり教える音だ。

 

「実はね、私、ずっとシュテルちゃんが羨ましかった」

「……」

「だってそうじゃない? どれだけレンを好きになっても、どれだけ疑似的に体を作っても、私はやっぱりデバイス。人じゃないんだもん」

「……」

「ずっとレンが欲しかった。抱きあって、体中にキスして、お互いの熱を感じて、いっぱいエッチもして。そして、レンの子供を産んで、花いっぱいの家で家族みんな幸せに暮らすの。それが私の夢」

「それは……」

「うん。絶対に叶わない夢だよね。だってこの体は本物じゃないもの。同じ時間を歩けない。私だけが貴方とシュテルちゃんに置いていかれる」

「そんな……」

 

 そんな事はない。そうレンは言いかけたのだろう。しかし言えない事はキリエが一番知っている。

 レンは成長した。シュテルも成長した。しかし自分は変わらない。初めて彼と出会ってから、自分は身体的に何一つ成長していない。それはあの日、System-∀によって元々の体を失いヴァリアントザッパーに意識データを移植した事による弊害。身体データが固定された事が原因だった。

 レンはずっと唇を噛み締めている。なんて声をかけて良いか分からない苦しそうな顔。そんな顔をさせているのは自分だという自覚はある。言わなくてもお互い暗黙の了解でこれまでやってきてしまった。ただそれはいつか実感としてやってくる。ただそれが早いか、遅いか、それだけの事。

 言わなくても良い、なんて事はなかったのだ。ちゃんと話しておくべきだと思ったからキリエはこの事実を口にしたのだ。

 

「でもねレン。私、後悔はしてないわよ。貴方が助けてくれたから私は貴方に出会えた。シュテルちゃんよりもずっと貴方の傍に居られるの。傷ついて、倒れて、レンが動けなくなった時も一番近くにいるのは私。だからね、はっきり言うよ」

 

 見上げたキリエの瞳に力がこもる。そしてレンは今にも泣きそうな顔で自分を見ていた。

 決意が鈍りそうになる。けれど駄目だ。

 レンを引き戻すにはもうこれしかないのだから。

 

「もしも滅びの未来が変えられなくて、それでもレンがそれを変えようとして自分を犠牲にするつもりなら、私がそれを止める。私が最優先するのはレン、貴方が貴方のまま生きていられる事なのよ」

 

 ジェネレーションシステムが弾き出した未来。それは決して優しいものではなかった。

 何故そんな未来が弾き出されたのかはキリエも知らない。けれども一番可能性の高い未来としてアプロディアに見せられたそれをレンが受け入れるはずがない。キリエだって同じだ。しかしその未来が確実に起こると決まった時、レンはなんの迷いもなく未来を変えようとするだろう。システムに決められた未来以外を選択するレンなら当然の行動だ。だから自分が楔になる。自分を大切に想ってくれている気持ちを逆手に取って、レンの心に一本の楔を打ち込もうとしている。

 

「だ、大丈夫だよ。俺は犠牲になるつもりなんかないから。システムで見ただろ? デルタカイが爆発する時に俺がどんだけ生きる為に必死になったと思ってんだ」

「それはレンがまだ倒れる時じゃないって思ったからでしょ? それにそれならなんでシュテルちゃんに全部話さないの? 余計な心配かけさせたくない? あの子、そんな弱い子じゃない事はレンだって知ってるでしょ?」

「知ってる。でも知ってるから言えない」

「……怖いんでしょ? 口に出したら本当に起こってしまいそうで」

「っ!! そんな……」

 

 言い返そうとしたレンをキリエは抱き締める事で遮った。今度は自分の胸にレンの頭を抱き込み、何度もその頭を撫で、髪に指を通し、あやすように彼女は優しく囁きかける。

 

「貴方のそれは優しさじゃないわ。一番見たくない未来を一人で変えようとしてるただの強がり。もっと私に背負わせてよ。どんなに悲しい事も、辛い事も私に教えて。……あの子もきっと同じ様にそれを望んでる」

「……お、俺は……」

 

 自分を見るレンの瞳が揺れている。キリエは軽く笑うと瞳を閉じ、彼女から唇が重ねた。

 人とデバイス。けれどもお互い生きている事を確認し合う為のキス。

 たとえどんな未来が待っていたとしても。そしてそれが自分の望んだ未来ではなかったとしても。

 これがキリエの下した決断。そこに後悔は一つもない。

 

「レン。好きよ。愛してる」

 

 そして、自分の想いをレンの心に打ち込んだ。

 

 

 

 ガタッ!

 

 突然の音にビクリと二人は扉に顔を向ける。誰かが走り去っていく音が聞こえ、二人は顔を見合わせた。

 もうその音の主が誰かは分かっている。キリエはそっとレンの胸に手を置いた。

 

「行ってあげて」

「でも……」

「ちゃんとあの子にはレンの口から伝えてあげて。私は大丈夫。私は私の愛し方を貴方に貫くだけだもの」

 

 しかしレンの迷いは拭えない。キリエはもう一度レンの胸を小突き、片目を瞑った。

それに頷くレン。キリエから離れて扉に向かう。しかし扉に手をかけた瞬間、くるりと踵を返して戻って来た。そしてキョトンとするキリエの耳元で小さく何かを呟き、後はそのまま出て行った。

 一人残ったキリエ。レンが出て行った扉をじっと見つめポツリと呟く。

 

「月に叢雲、花に風。人生はままならないなぁ」

 

 涙が頬を伝う。しかし彼女の顔は月に照らされた花の様に美しく咲き誇っていた。

 

 

 

2

 

 

 

 逃げるシュテル。後ろからレンが追いかける。

 やっと見つけたと思ったら、一目散に駆けだしたシュテルを今はひたすらに追いかける。

 

「ってゆーか速ぇよ!」

 

 なんだあの速さは。多少なりとも足に自信を持っていたレンをブッちぎる速度を出すシュテルには舌を巻いてしまう。だと言うのにブッちぎられたかと思えば、一定の距離を取ってチラチラ後ろのレンを見ては駆けだす。意味が分からない。とは言え、せめて見失わないように必死で追いかけていると、薄暗い通路の向こうにオレンジ色の髪が見えた。

 

「え? シュテルに……レンさん?」

「ティアナ! シュテルを捕まえてくれ! 頼む!!」

「え? えぇっ!?」

 

 そんな事を言われても、状況を全く理解できないティアナはただ慌てふためくだけ。そうでなくてもシュテルの鬼気迫る目に一瞬腰が引けてしまう。なんとか両手を広げて進行を阻止しようとするが、ここでシュテルは一気に飛び跳ねた。壁を使っての見事な三角跳び。まるで猫、しかも野生に返った一匹の野良猫、いやドラ猫か。「うそーん」とさすがのレンも絶句するしかない。そんな彼をティアナは半ば呆れた顔で長い溜息を吐いた。

 

「こんな夜更けに何してるんですか」

「お魚咥えたドラ猫追っかけてます……」

「どこのホームアニメですか。そういうのは日曜日の夕方にでもやって下さい。ってか、一体本当に何をしたんですか? あんな必死に逃げるシュテル見た事ないですよ」

「ああ……、うん、まぁ色々あってさ。悪ぃ、俺急ぐからまたなっ!」

「あっ! ちょっと!」

 

 ティアナの制止も聞かず、しかもやけに歯切れ悪く誤魔化すとレンは一目散に駆けだした。

 悠長に立ち止まってはまたシュテルを見失ってしまう。どうせどこかで後ろをチラチラ気にしているのだろうが、ここまで来たら根競べだ。絶対に捕まえてやる。覚悟しろよドラ猫め。

 その後ろ姿を見送るティアナがやれやれと肩を竦め、どうせこれ以上は追いかけるだけ無駄かと自分の目的地へと足を進めた。

 そして辿り着いたのはミネルバに設けられたプレールーム。娯楽の少ない艦内に設けられた大人の遊び場。決して大きくはないがビリヤードは勿論、スロット台などのカジノスペースもある。

 

「おや? 意外な訪問客ですね」

「ホント。どうしたのティアナちゃん? 眠れないの?」

 

 その一角。バーカウンターにその先客はいた。ミネルバ艦長ニキ・テイラーと船医フローレンス・キリシマと六課主治医シャマル。そしてカウンター越しにはマークが立っている。少しはにかんだ笑みを浮かべ、ティアナもその席につく。

 

「まぁそんな所です。それにしても私が意外ならこの組み合わせも意外ですよね」

「俺はまぁアプロディアからそっちの話を聞かされて、色々思う所があってな。艦長に話を聞いてたんだ」

「私はその付き添い。キリシマ先生はニキ艦長が連れてきたの」

「同じ医者同士、意見交換ができるでしょう?」

 

 ニキが笑うとキリシマも微笑を浮かべながらカクテルグラスを傾けた。随分と様になっているその姿に隣のティアナは見とれてしまう。慣れた大人の佇まい。まだ少女である自分には到底届かぬ領域だ。

 

「それに、大事な戦いの前とはいえ、素面でできる話じゃないからね」

「そうですね。少しお酒が入らないと話しにくい事ですから。ここを作って良かったと今更ながら思います」

「なんだよ艦長。ここの話を持っていった時、ノリノリでOKしたじゃないか」

「そうでしたっけ?」

 

 ああ、そう言えばレンがそんな事を言っていたっけ。すっとぼけるニキの隣で、動けるようになったレンと共にこちらに戻るまでの僅かな時間に起こった出来事がティアナの脳裏に蘇る。

 ここはその時に訪れている。レンと二人きり。その時はマークの位置にレンが立っていた。

 全てを知ったティアナはレンを止めようとした。あらん限りの言葉を尽くし、最期の手段として自分の体を使ってでもレンを止めようとした。その時だけは、世界よりも何よりもレンを選んだのである。

 そう。それが無駄だと分かっていながら。

 それで止まるはずがない。止められるはずがない。自分に勝ち目がない事などとっくの昔に分かっていた事だけれども、ティアナはレンを止めたかった。それこそ彼女は知らないが、キリエがレンに対し自分の胸の内を打ち明けたように、彼女もまた同じ事を、同じ言葉を使ったのである。

 しかしその結果は……。

 目を伏せたティアナ。途端に無口になってしまった彼女にシャマルが場の空気を変えようと、あからさまに明るい声で話しかけた。

 

「でも本当に珍しいお客さんね。あっちの世界でミネルバに居たんでしょ? その時に来たの?」

「ええまぁ、一度だけですけど」

「そうなんだ。あ、何か飲む? 本当はまだ早い気がするけど、リクエストがあればマークが作ってくれるわよ」

「あまり強いのはちょっと。でもビールの味だけは美味しいと思えるようになりたいと思います」

「……あの人の最期の言葉ですか」

 

 シャマルに答えたティアナがふと遠い目をするのをニキが見逃さない。そしてティアナからポツリとある男の名を告げられる。

 エイブラム・M・ラムザット。ほんの僅かに短い時間だったが、ティアナに道を示してくれた男であり、自分達を宇宙へ上げる為に盾になった連邦の艦長。彼の最期に告げた「今度はちゃんとビールの味を覚えてくること」という言葉。ニキもキリシマもその最期の言葉を聞いている。彼の最期を知らないマークと、そもそも彼を知らないシャマルにはニキから説明を行った。

 そしてそれを聞いたマークはカクテルグラスを拭きながら、感慨深く目を細める。

 

「そうか、エイブラム艦長は逝ったのか」

「確認したわけではありません。けれどもあの状況では……。マークさんは艦長の事をご存知で?」

「軍の中じゃ有名人だし、実際に指揮下についた事もあるからちょっとくらいはな。……それで? ビールにするのかい?」

「いいえ、まだビールは苦くて。代わりと言ってはなんですけど、ブルームーンをお願いできますか?」

「……また珍しい物を頼んでくるね」

 

 そう言うとマークは準備を始める。

 ドライジン、パルフェタムール、レモンジュースを2:1:1。それをシェイカーに淹れてシェイク。その慣れた手つきから小気味良いリズミカルな音が響く。

 そして薄暗い光の下でも際立つ、淡い薄紫色の液体がグラスに注がれた。

 

「ではちょっとサービスを」

 

 そう告げたマークが切り抜いたレモンピールをそっと浮かべると、薄紫色の水面に見事な三日月が現れた。夜空に輝く月は美しい。けれども人がどんなに手を伸ばしても決して月に届く事はない。けれど水面に映る月ならどうだ。それがたとえ幻の月であっても、いつかは消えてしまう物であっても、今、この瞬間、月は私の手の中にある。私は月を手に入れた。

 マークなりの洒落なのか、それとも皮肉なのか。苦笑しながらも受け取ったティアナはそれを一口。レモンの酸味、ジンのほろ苦さ。そして最後に菫の香りが抜けていく。それは恋の味。けれど甘い恋ではなく、切なさを含んだ過ぎた恋の味。

 ティアナは「ふぅ」と甘い溜息をしつつ、マークに向けて薄く微笑んだ。

 

「これ、マークさんがレンさんに教えたんでしょ? 一度だけ作ってもらいました」

「だと思った。それでどうだ? あいつと比べて」

「美味しいです。でも、レンさんが作った方が美味しかったかも」

「言うね」

「水面の月なんて演出するからです」

 

 マークはそりゃそうだと思いつつ、同時にこりゃ参ったと肩を竦めた。

 きっとティアナには自分が作るより、レンが作った方が美味いに決まっている。だがこのカクテルをレンが作ってティアナに出した、という時点でその意味は推して知るべし。これはそういう意味を持ったカクテルだ。

 だから誰もティアナがこのカクテルをチョイスしたのか聞く事はない。それは各々の心の中にしまっておく事。今は少女が一つ大人になったという事だけだ。

 

「意地が悪いぞマーク。踏み込むだけ野暮って奴だ」

「ちとカッコ付け過ぎたか。っとと、先生の分も無いじゃないか。次はどうする?」

「ではカーディナルを貰おうか」

「承知しました」

 

 キリシマが注文したのはカーディナル。キール・カーディナルとも言われるカクテルだ。すっかり専属のバーテンダーになったマークが赤ワインを取りだしカクテルを作るまでの間、彼女はティアナに尋ねる。

 

「レンの体の事を聞きたいんじゃないのか?」

「……やっぱり。キリシマ先生とシャマル先生が揃って意見交換ってなると、単に医療関係の事だけじゃないとは思っていましたから……。そんなに酷いんですか?」

「酷い……とはどの程度を指すんだい?」

 

 そう言ったキリシマの目が鋭くティアナを貫く。どの程度。その言葉がどんな意味を持つかは彼女にだって分かる。そしてそれだけで理解できたような気がした。そうか。状況はそこまで来ていたのかと彼女は目を伏せる。

 ニキもマークも口を開く事はない。結局空気が戻ってしまい、シャマルの胃がキリキリと痛んだ。

 しかしその中でキリシマだけが、溜息をつく。

 

「二人とも今更だね。自分の状況を知りながらも戦う事を選んだのもあいつ自身だ。あたし達はせめて酷くならないように全力を尽くすくらいしかできる事はないだろうに」

 

 グラスを手に取り、キリシマはクイと傾ける。医者としてここまで気付かなかったのは、はっきり言って悔しい。一番それに気付くべきだったのは自分だという思いがあるから尚更に。けれどもなってしまった。いくら悔しくても過去は取り戻せない。冷たい言葉かもしれないが、その言葉に偽りは無かった。そしてそんな大人達の会話を聞いていたティアナが一層不安な表情を浮かべる。それ気付いたからこそ、シャマルが慌てて取り繕う。

 

「だ、大丈夫よティアナちゃん。キリエちゃんもいるし、あの子ならレン君を上手くサポートしてくれるわ。きっともうこれ以上酷くなる事はないわよ」

「そう……ですよね。でももし、もしもそれでもどうにもならなくなったら……」

「さぁ……。良くて身体不自由、記憶障害。最悪は意識が戻らず眠り続ける可能性もある」

「キリシマ先生!」

「シャマル先生、聞いてきたのはティアナだ。この子は分かって聞いてきたんだからこっちにも答える責任がある。下手に隠してもかえって辛いだけだよ」

「そうかもしれないけれど……」

 

 だがキリシマはポンとティアナの頭に手を置くと、「安心しなさい」と言う。

 

「必ず私とシャマル先生でなんとかしてみせる。二つの世界の技術があれば奇跡だって起こしてみせるさ」

「……はい」

 

 やっとティアナも笑った。ニキとマークも口元に薄く笑み。

 だがシャマルはティアナから見えないように顔を曇らせている。キリシマが言った言葉の意味。

 それは彼女の飲むカーディナルの示す言葉そのものだと分かっている顔だった。

 キール・カーディナル。

 それが意味するのは『優しい嘘』。

 

 

 

3

 

 

 

 一方その頃。

 

「はー、はー……。やっと追い詰めたぞ。このドラ猫め……」

「フー! フー! シャーッ!!」

「威嚇しても無駄だぞ。逃げ場はないから大人しく観念しろぃ!!」

 

 じりじりと詰め寄るレン。近づけさせまいとして全身の毛を逆立たせて威嚇するシュテル。

 傍から見るととても危ない人達になっていた。

 ミネルバは今、ミッド海上でアースラと共に停泊している。その夜の甲板で一体彼らは何をやっているのか。けれど彼らはこれでかなり真面目である。

 もう少しで捕まえられる距離。手が届く距離。そう思ってレンは手を差し出したが、パシンと叩かれた。

 だがレンの手を叩いた自分の手を見つめ、シュテルはまた違う顔をする。

 明らかに示した困惑の顔。それを見てレンもようやく気付く。

 シュテル自身、自分の状況がよく分かっていないのではないか?

 何故こんなにも苛立っているのか。何故レンから逃げ出したのか。何故レンを拒否するのか。

 幻ではないキリエの本気の言葉を聞き、感情が一気に爆発し、本能のまま動いているのが今のシュテルではないのか?

 きっとそれは自分の気持ちを、強い理性で抑えつけていたからだとレンが思うのはかなり都合の良い解釈だろうか。

 

「なぁシュテル。少し話を聞いてくれないか?」

「……聞きたくないです」

「キリエのあの言葉なんだけどさ……」

「聞きたくないです!!」

「聞けって言ってんだよ!!」

 

 駄目だ。もう限界だ。レンも自分の感情が爆発するのが分かった。

 一気に詰め寄り、両手で逃げられないようにシュテルの肩を掴む。途端にシュテルの顔が歪み、頭を横に何度も振った。けれどもレンは逃がさない。逃がしてなるものかと、肩を掴む手に力が入る。だがそれでも逃げようとシュテルは暴れた。これでは逃げられてしまう。そう思ったレンは一気に彼女を抱き寄せる。

 それでもシュテルはもがく。もがいてもがいて、レンの背中に爪を立てる。シャツ一枚だったレンの背中に爪が食い込み、血が滲む。おいおい、どんだけだよと思ったのも束の間だった。

 

「いった!!」

 

 噛みつかれた。肩口を思いっきり。シュテルがスカリエッティにされたように、今度はシュテルがレンに噛みついていた。そしてレンの首筋を流れる血とは違う温かい物。それはシュテルの涙だった。

 

「そ、そのままで良いからちょっと聞いてくれ」

「いやふぇす」

「いいや駄目だね。話すよ」

「いやふぇすってふぁ!」

「キリエは俺を止めようとしてくれていたんだ。体の限界が近い俺が無茶しないように、キリエはああ言って俺の心に楔を打ち込んだんだ。自分を大切に思ってくれるなら無茶しないでって。嬉しかったけど参ったよ。これ以上ない楔さ。でもねシュテル。それでも俺は止まるわけにはいかない」

「……体の限界?」

「そう。だから、聞いてくれるかい?」

 

 返事は無い。だが構わずにレンは語った。ジェネレーションシステムが見せた滅びの未来の事を。

 そして自分があの後、ニューロを使った再生医療を受けた事。

 そこで知った自分の脳にこれまでの戦いのダメージが蓄積している事実。

 シュテルが息を飲むのが肌を通して感じる。だが伝えなければならない。黙っている事はもうできない。

 

「原因はナイトロの酷使。そもそもナイトロって強制的に頭の中の使われていない部分を拡張して、強化人間を作り出すものだってのは知ってるだろ? 俺にはそれの耐性があった。そしてナイトロの稼働を抑えたり、キリエがコントロールする事でその影響を最小限に食い止めていたんだ」

 

 けれども、とレンは言葉を続ける。

 耐性はあくまで耐性である。影響を完全に抑える事はできない。そうしてレンの脳にはナイトロのダメージが少しずつ蓄積していった。彼にとって運が良かったのはハルファスに乗り換えた事と、ミッドチルダに来た事。その間、ナイトロを使わなかった事でレンの脳へのダメージはストップしていた。だがレンは再びデルタカイに乗り込んだ。キリエのサポートもなく、彼は何度もデルタカイを最大稼働させた。結果、今まで蓄積していたダメージが遂に容量を越え始める。レンを襲っていた頭痛。あれは脳が危険を報せるサインだったのである。そしてそれが再生医療の時に発覚した時、もう全ては遅かった。

 

「で、でも再生医療をしたのでしょう?」

「駄目だ。ニューロはジェネレーションシステムに繋がっている。情報量がハンパないんだ。身体の再生ならその影響を受けないけど脳はそうもいかない。情報量に脳が耐えきれないんだ。だから脳へはその処置ができずに、俺の頭には大きな爆弾が残された。既にナイトロの有無は関係ない大きな爆弾がね」

「そんな……なら!」

「戦うのをやめろ、なんて言うなよ? キリエにもティアナにも、皆にも止められた。でも俺は絶対にやめないからな」

「……怖くないんですか? そんないつ爆発するか分からない爆弾を抱えて、貴方は怖くないんですか?」

「勿論怖いよ。正直、今でも考えると震えが止まらないくらいさ」

 

 シュテルを抱きしめるレンの手に力が入る。同時に小刻みに震えてもいた。それがシュテルにも伝わって来る。

 

「でも君がスカリエッティの手に落ちてエグザミアに吸収されてしまう事の方が怖いんだよ。だから俺はそれを絶対に阻止しようと思う。君がスカリエッティに精神を囚われた時みたいに、絶対に助けに行くと思う。滅びの未来? そんなのオマケみたいなもんだ。でも両方守ってみせる。システムの示す未来になんかならせてたまるもんかってんだ」

「馬鹿ですか貴方は……」

「ん?」

「馬鹿じゃないですかって言ったんです! あんなに生きようと必死になっていたのに、どうしてそんなに貴方は自分を削ろうとするんですか! それにそんな事して残された身にもなって下さい! キリエだって、私だって、そんなの望んでるはずないじゃないですか!! 本当、馬鹿も馬鹿。大馬鹿ですよ!! そんな事されても嬉しくない! 嬉しいはずないでしょう!!」

 

 いつしかシュテルの指から力が抜けていた。代わりにレンの背中に回した腕に力が入り、レンを抱きしめている。馬鹿と連呼され、苦笑いするしかないレン。実際言われても仕方がないと彼自身も分かっている。だが、そうするだけの理由もまたレンの中にはあった。

 

「多分、父さんと母さんの影響だと思う」

「ご両親の?」

「うん。俺の父さんもモビルスーツのパイロットでね、俺が小さい頃に仲間を守る為に散った。あの頃はなんでだよって思ったけど、今はそんな父さんを尊敬してる。そして母さんも。……セリカ・アマミヤも俺を守る為に散った。俺も命を使うなら、そんな両親みたいに大事な人を守る為に使いたい。ねぇシュテル。君はそれに値する人だ。確かに君の言う通りかもしれない。でもレン・アマミヤにとってシュテル・ザ・デストラクターはそれだけの価値を持つ女なんだよ」

「こんなに意地っ張りで、無愛想で、我儘で、独占欲の強い女でも、ですか?」

「こんなに意地っ張りで、無愛想で、我儘で、独占欲の強い女でも、だよ。可愛いもんさ」

 

 レンが手の力を緩めるとシュテルは肩から頭を離し、正面から彼を見据えた。月明かりの下でも分かるくらいに赤く火照った顔と潤んだ蒼い瞳がじっとレンを見つめている。

 何かを待つように、レンからその言葉が出るのを期待するように。彼女は無言で見つめ続けた。

 だからレンもずっと温め続けてきた言葉を今、やっと口にする。

 

「シュテル。好きだ。愛してる」

 

 その言葉にシュテルの顔に笑顔の花が咲き、けれどもすぐに恥ずかしくなって目を逸らして、またすぐに今度はなんとかいつも通りの顔でレンを見て。

 

「六十五点」

 

 そう言った。

 

「えぇ~?」

「レンが私を好きなのは知ってます。キリエの事を想っている事も知っています。だからもっと違う言葉を下さい。キリエの告白を振り切ってここまで来たんでしょう? だったらキリエよりももっと特別な言葉を私に下さい。同じじゃ嫌です!」

「難易度たっけぇ~」

 

 これ以上何を言えというのか。彼女らしからぬ、いや、彼女の本音の我儘にレンは必死に頭を捻らせる。

 だがそうそうもっと特別な言葉なんて浮かんでこない。あれでも必死に、全力で言葉を振り絞ったのだ。

 期待の眼差しがずっとレンを捉えている。さすがに困って顔を逸らし見上げると大きな二つの月が目に入って来た。

 

「あ~……『つ、月が綺麗ですね』」

「『私、死んでも良いわ』」

「……知ってると思わなかったよ」

 

 彼女がすんなりと返してきた事に驚きを隠せない。そしてシュテルも人差し指を唇に添えて片目を瞑る。

 どうやら彼女を満足させる事ができたらしい。その笑顔を見れば分かる。やれやれと肩を竦ませ、改めてレンは少女の頬を撫でた。少女も青年の手に自分の手を重ね、何度も頬をすり合わせると、その手の平にキスをして細めた目の視線だけをレンに向けた。

 誘われている。

 そう確信できるシュテルの目と唇に引き寄せられレンはそっと顔を近づける。彼女も瞳を閉じて拒む事はない。

 そして重なる。甘く、脳髄を溶かす感触に二人は一瞬で虜になった。一体どれほどこうしたいと互いに思ってきただろう。けれど互いに踏み込めず、今まで抑えてきたそのタガが外れ、気持ちを確かめるという他にもっと、もっとと互いを求めて、息をするのも忘れて二人は求めあう。

 重ね、啄み、絡め、それでもまだ足りないと、貪欲に、快楽の赴くままに。

 ようやくそれが落ち着いた頃には、二人の息は荒く、瞳はその夢の様な行為に蕩けていた。

 もっと求めたい。けれどもそのまま戻れなくなりそうで怖い。幸福と恐怖に同時に襲われ、二人は重なった目線を逸らし、互いに別々の方を向いてしまう。そんな視線とは裏腹にその手は、正直に、指と指を絡め、繋いだままで。

 

「……正直、自分がここまで乱れるとは思いませんでした」

 

 か細く呟かれる声にはレンも全くの同意見だ。自分だってここまで乱れるなんて思いも寄らない。

 理性の鎖が千切れるってこういう事なんだなと改めて思う。

 

「まぁその、あれだ。月の所為にしてしまおう」

「月の?」

「そっ。ほらよく言うじゃん? 月には人を狂わす魔力があるって。ミッドには月が二つもあるし、実際魔力だってある。今夜はこんなに月が明るい。だから月の所為にしてしまおう。そうしましょう!!」

 

 照れ隠しに一気にまくしたてる。余裕なんてあるはずがない。見上げた先には大きな大きな丸い月が二つ浮かんでいる。そこに新たに出来ている影はこの際見なかった事にしよう。ただ、そのレンの言葉にクスリと笑うシュテルの顔は良い事を聞いたと言わんばかり。レンの耳朶に息がかかるくらい口を近づけると甘く囁いた。

 

「なら、いっその事もっと狂ってしまいましょうか」

 

 悪戯をした子供の様に舌を出すその仕草は少女のそれで、けれども妖しく見せる視線は大人のそれで。

 彼女の言う通り、全てを月の所為にして自分も狂ってしまおうか。

 そうレンが思うのに、さして時間はかからなかった。

 




ブルームーン。

その意味は「できない相談」「叶わない恋」。
もう一方で「完全なる愛」という意味も。それはこのカクテルに使われているパルフェタムールそのものがそういう意味だから。
ま、もっぱらお断りのサインとしての方が有名ですね。
バーなんかでそれを意中の人に出されたら正直へこみますが、味も見た目もほんと良いカクテルです。
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