1
ディーヴァがジェネシスを破壊する様子は、ディアーチェ達も目視で確認する事ができた。
そして彼女達ももう一機のジェネシス目前まで迫っている。しかしキールとアミタの離脱した穴は大きい。いくら彼女達でも1機で切り抜けられる程甘くは無い。
「くそっ!目の前にジェネシスがあるというのに! 我らが破壊できんでは水の泡だ!」
「ディアーチェ、落ち着いて下さい! まだ時間はあります。その時間を使ってジェネシスまで行ければ私達の勝ちです」
「分かっている! 分かっているのだが!」
ユーリの言っている事はディアーチェとて百も承知だ。残り時間15分。それまでジェネシスに取り付き、ミラー部分を破壊してしまえばそれで終わる。だが、目の前にあるあの兵器までの距離がこんなにも遠い。
どんなにニューロモビルスーツを蹴散らしても、一向に進んだ気がしない。
それ故に焦る。そして焦りは大切なことを忘れさせる。彼女は1人では無いという事を。
『ディアーチェ、そこを避けて下さい。道を切り開きます』
「この声……、シュテルか!」
突然の声にディアーチェは弾かれたように顔を上げた。モニターを見れば後方で優雅に翼を広げ、ツインバスターライフルを構えるウィングガンダムゼロカスタムの姿。その砲身に蓄積されていくエネルギーにディアーチェは慌てて機体を急上昇させる
『では行きますよ。ツインバスターライフル。発射』
淡々とシュテルが告げた直後、閃光がジェネシスまで一直線に伸びた。逃げ遅れた者、巻き添えを食った者。様々なニューロモビルスーツが閃光に飲まれ爆散していく。
あれがシュテルの新しいガンダムか。その威力に流石のディアーチェも絶句してしまう。
呆ける彼女を、蒼炎を纏うウェイブライダーが追いこした。それは閃光を逃れ、再攻撃を仕掛けようとするニューロモビルスーツの前に変形して立ちはだかる。
右手にはロングメガバスター。左手にはハイメガキャノン。そしてその背から飛び立つプロト・フィンファンネル。それらを一斉発射し、ディアーチェの道を作るガンダムデルタカイ。レンとキリエだった。
「ディアーチェ!」
「分かっておる! 奴らが来てくれたのだ。このまま一気にジェネシスを叩き潰す!」
仲間の存在を思い出し、勢いを取り戻したディアーチェがミーティアを発進させた。
大切な仲間が作った道を一直線にジェネシスへ。散開していたニューロモビルスーツが戻って来るが、時は既に遅い。急停止の後、ジェネシスを背後にミーティア・フリーダムは再び全砲門を開く。
「近寄るな!塵芥ぁ!!」
再び流星が走った。流星は圧倒的な力で敵を確実に射抜く。
もう機体のシステムラグは関係ない。すでに彼女達を阻む敵はいないのだ。
彼女の言葉の通り、塵芥と化した敵を尻目にミーティアは大型ビームソードを展開。そのままミラーを切りつけては縦横無尽に駆けまわった。キラキラと光を反射しながら、瞬く間にミラーは宇宙のゴミと化していく。
こうなればジェネシスにもう砲撃を撃ち出す術はない。
完全破壊はできていないが、目的である無力化は達成できた。ユーリが後ろでほっと胸を撫で下ろしているが、ディアーチェは油断しない。
「……やはり来たな」
それは予想通りの展開。破壊されたジェネシスの前でディアーチェは虚空の一点を見つめていた。
急に生まれた黒点。星の煌めきが急にねじれる。空間が歪み、星の煌めきを遮っているのだ。
その歪みは次第に大きくなり、その一点に星とは違う光が灯った瞬間。ディアーチェはミーティアを急発進させた。同時に歪みから放たれる無数の黒色光線。その全てがミーティア目掛けて迫って来る。
バレルロールと旋回を繰り返し必死に避ける。しかし、それは執拗に彼女達を追い詰める。
最初はウェポンアームが被弾し爆散した。続けて後部のハイパーブースターが爆散した。もう一個のウェポンアームが被弾した瞬間、ディアーチェは思いっきりレバーを引き、ミーティアとフリーダムのドッキングを解除する。
最後のブースターユニットからフリーダムが飛び出すのと、黒色光線がブースターユニットを貫くのはほぼ同時。間一髪間に合ったものの、爆風に煽られるフリーダム。
それを見つめるのは8枚の翼持つ巨鳥。バルバドロの一つ目がフリーダムを睨みつけていた。
しかしディアーチェはその威嚇も一笑する。フリーダムの隣には追いついたゼロカスタムとデルタカイの姿。仲間がいる。それだけで力が湧いてくる。故にここで引くという選択肢はディアーチェには無い。
故に彼女はいつもの通り。王者の声を張り上げるのだ。
「我らであの怪鳥を落とすぞ! 皆の者、我に続け!」
「『『おう!』』」
威勢の良い返事と共に、3機は突撃を開始した。迎え撃つは大きく翼を広げるバルバドロ。
フリーダムがルプスビームライフルを撃ち、デルタカイがロングメガバスターを続ける。
二筋の閃光を阻む光の壁。i-フィールドだ。ならばとシュテルがツインバスターライフルを撃つ。i-フィールドと言えど、完璧な防御では無い。現にフィールドを抜けたビームがバルバドロを直撃し、爆発を起こした。威力は削がれてしまったが、それでも十分な破壊力を見せつける。
しかし爆炎をあの黒色光線が突き出てきた。
それぞれの高機動モードで散開し、それを振り切ろうとする。しかし、黒色光線の追尾性は非常に高い。
流石に振り切れないか。背後に迫る黒色光線にフリーダムが盾を構えた時だった。
別方向より伸びた4本の砲撃が彼女を救う。
閃光が弾ける中、蒼白の炎と共に飛来する黒色の不死鳥。
ハルファスベーゼ。アプロディアが再び戦場に舞い降りた瞬間だった。
『無事か? フリーダムの躁主よ』
「ふん。今回は随分と勿体付けた登場だな、アプロディア。既にジェネシスは我らが破壊したぞ?」
『ほう。小娘が随分と言うではないか。その割にはバルバドロに苦戦しているではないか』
「ぬかせ。あの様な鳥、すぐに撃ち落としてくれるわ!」
『言ったな、小娘が!!』
「二人共喧嘩はいけませんよ~」
ユーリの申し訳なさ気な注意もなんのその。文句を言い合いながらも、フリーダムとハルファスベーゼがバルバドロに向き合う。既にレンとシュテルは反撃を開始していた。i-フィールドに阻まれるなら、その効果が及ばない攻撃をすれば良い。共にビームサーベルや限界まで出力を上げた砲撃を浴びせている。
その攻撃に加わるディアーチェとアプロディア。ハルファスベーゼの肩にある四門の砲台、クロスメガビームキャノンとフリーダムのパラエーナ。6筋の閃光がバルバドロのi-フィールドに直撃。すかさずシュテルも追撃のツインバスターライフルを放つ。
フリーダムとハルファスベーゼの攻撃でフィールドはその限界を迎えていた。そこにツインバスターライフルという高出力の砲撃を受ければどうなるだろう。結果、フィールドは飽和し閃光と爆発と共にバルバドロの羽を貫き1枚砕いてみせる。そしてこれを機に畳みかけられる銃撃の嵐。
もしもバルバドロに表情があれば、きっと今頃苦悶の表情を見せていただろう。苦し紛れに爪を伸ばしてくるものの、フリーダムはそれを掻い潜る。逆さまにバルバドロを捕えると、腰のクスィフィアを起動。その顔面にきつい一発を叩き込んだ。その威力にバルバドロの巨体が大きくのけ反る。
『やったの!?』
『まだだ! 奴はまだ息があるぞ!』
キリエの言葉に油断するなと告げるアプロディア。確かにその通り。胴の砲台に急速に集まるエネルギーが見えた。先の黒色光線を全て束ねたのか、その砲撃はゼロカスタムのツインバスターライフル以上の太さと熱量を以って放たれる。
散開する4機だが、バルバドロはその身を動かし一気に薙ぎ払おうという算段だ。
迫る光にゼロカスタムとハルファスベーゼが羽を閉じ、デルタカイとフリーダムが盾を構える。
そのまま飲み込まれる4機。4機が起こす爆発だろう。黒色砲撃の中に時折爆発が見えた。
『か、各機無事か?』
『まぁなんとか……。左腕持ってかれたけど』
『こちらも翼は無くなりましたが、まだ戦えます』
「こっちもだ。羽と左腕が無くとも戦える!」
収束していく砲撃の後、体中から煙を上げ、各所を失った4機の姿がそこにあった。アプロディアの声に三様の声が返って来る。しかし唯の一撃で戦況は大きく切り替わってしまった。
それほどまでの威力を持つ砲撃だったのだ。優位に進めていた事すらも、まるで嘘の様に思えてくる。
あまりの被害の大きさにアプロディアは唇を強く噛み締めた。
『奴め、確実に力を増しているな。それがこれ程までとは、正直予想以上だ』
『だったらそこで指でも咥えて見てやがれよっ!!』
アプロディアから洩れた呟きに、傲岸不遜な声が聞こえた。驚く彼女達を紅い刃を宿す小型遠隔装置が6基通り過ぎる。それは縦横無尽に宇宙を駆けて、狼の如くバルバドロに牙を剥いた。
『GNファング! ブラッドですか!?』
『ようシュテル! 早速新しい機体がボロボロだなぁ!』
『よ、余計なお世話です!』
シュテルが抗議の声を上げるが、それを聞くブラッドではない。むしろ歓喜の声を上げながらアルケーガンダムがバルバドロに迫る。GNファングが翼を切り刻み、トドメとばかりにGNバスターソードを力任せに叩きつけた。バルバドロの装甲とGNバスターソードの間で激しく火花が散る。
『そうだよブラッド! シュテるんだって頑張ってるんだから!』
『ハッ! 結果が全てだっつってんだよ!』
追って現れたのはビギニング30ガンダム。ブラッドは食いこませた剣を引き抜き、おまけとばかりに爪先に発生させたGNビームサーベル付きの蹴りで一時離脱。入れ替わるようにレヴィはifsユニットをビームサーベルに集束させた。ifsユニットによって刀身が巨大化。それを大きく振りかぶるビギニング30ガンダム。
『いっくよ~!! 雷刃封殺爆滅け――――んッ!!』
レヴィ渾身の一撃だ。星すら両断せんとばかりに振り降ろされた巨大ビームサーベルがアルケーガンダムの一撃と同個所を直撃。目も眩む閃光と爆発の中、見事バルバドロの羽を1枚もぎ取る。
波状攻撃は終わらない。レヴィに続くのは、ラナロウのスカルハートだ。ビームザンバーが切り裂くのは、かつて苦渋を舐めさせられたバルバドロの頭部ユニット。有線式大型クローだ。スクリューウィップを放ち、その顔面を弾き飛ばすのも忘れない。
『皆さん一斉射撃です! キール、ここが力の使い所です! 思う存分暴れてきなさい!』
『『おう!!』』
ニキが一斉射撃を命じる。各所から煙を上げ、痛々しい姿をさらすディーヴァだが、その力を振り絞り援護射撃を行ってくれる。
それを背に高速で迫る真紅の輝きを見せたモビルスーツが1機。
トランザムを起動したガンダムエクシアだった。GNアーマーを排除し、キールとアミタもエクシアの最後の力を振り絞る。
レン達も彼を援護するべく射撃を開始した。後方からの射撃の中、エクシアは大小二振りの実体剣を取りだし、迷うことなくバルバドロの喉元に突き刺す。続けて更に両手のビームダガーも喉元へ。
その身を苦悶に震わせるバルバドロが砲門に再びエネルギーを集中させるが、キールとアミタがそれを許さない。新たにビームサーベルを両手に構え、×の字に切り裂いた。胸の砲門を破壊され、そこに集中したエネルギーの逆流が爆発を巻き起こす。
そこに畳みかけられる援護射撃。幾筋もの光線はi-フィールドを飽和させ、その巨体を飲み込んだ。雨の様に降り注ぐ光線にバルバドロも反撃する暇が無く、攻撃は封じられたも同然。
『こいつで……終わりだぁ!』
ジャキンと音を立てて、GNソードを天高く掲げるエクシア。背中のGNドライブが更に粒子の噴出を強め、エクシアはバルバドロの巨体を真っ直ぐに切り裂きながら滑る様に下降した。その軌跡はバルバドロに大きく斬撃痕が刻みこむ。
『先輩!』
『任せろ!』
エクシアから入れ換わるようにラナロウが声を上げた。ビームザンバーの出力を最大まで上げて投擲。すかさずアンカーユニットを射出し、ビームザンバーを掴む。
『ぶった切れやがれぇぇっ!!』
スカルハートのXスラスターを全開にして横回転。急な制動はラナロウの体に大きなGの負荷を与えるが、そこは彼の気合いと根性でカバー。振りまわされる形になったビームザンバーが、エクシアの作った縦の斬撃痕に対し直角に薙ぎ払われる。
胸に×の字と十字の斬撃痕を残し、バルバドロはその巨体を大きく震わせた。
既に羽は2枚無く、巨体には無数に切り裂かれている。巨鳥の落ちる時はすぐそこまで来ていた。
『各機はそのまま援護射撃を続行! ディーヴァはフォトンブラスターを! これでバルバドロを落とします!』
ニキの通信が全員に伝わり、モビルスーツ達は一斉射撃を続ける。ディーヴァも前方に設置された大型砲台にエネルギーを充填していく。
が、バルバドロも最後の力を振り絞る。その巨体が不可思議な閃光に包まれた瞬間、宇宙に聞こえる筈の無い音が鳴り響いた。
それは鐘の音。破滅を告げる荒々しい警鐘のようで、再生を促す荘厳な福音にも聞こえる。
『くッ……忌々しい鳴き声だ!!』
突如ハルファスベーゼが飛び出した。何か焦ったかのような彼女の行動に一同は驚きを隠せない。
ディーヴァからの制止も聞かず、大鎌を手に巨鳥を狩らんと羽のもがれた黒の不死鳥は宇宙を飛ぶ。だがバルバドロの瞳が彼女を捕えると同時に、その体に纏う光が千切れ飛ぶ流星となった。
ジム、マラサイ、ジェガン、ギラ・ドーガ。流星がその姿をニューロモビルスーツに変え、ハルファスベーゼの進路を遮る。
薙ぎ払い、斬り払い、黒の不死鳥は大鎌を振る。だが多勢に無勢。そしてその翼も失った不死鳥に最初の勢いは既に無い。そしてバルバドロは鐘の音を鳴らし続ける。
「……フォトンブラスターキャノン。発射用意」
「艦長!」
「副長! 復唱はどうしました!」
フォトンブラスターキャノン発射の指示を出すニキと反論するマリア。だがマリアとて分かっているのだ。これは千載一遇のチャンス。鐘の音を鳴らすバルバドロは何故か動こうとしない。そしてこちらは必殺の一撃を既に撃てる準備が整っている。が、このままではアプロディアを巻き込みかねない。
刹那の沈黙。そしてマリアはゆっくりと口を開いた。
「フォトンブラスターキャノン。発射用意」
覚悟を決めたマリアの声に応じ、ニキの前に銃身がせり上がって来る。ロックオンマーカーがバルバドロを捕え、ニキはゆっくりとそのトリガーに指をかけた。
「フォトンブラスターキャノン。はっ……」
そこまでだった。衝撃と轟音。爆発がディーヴァを飲み込み、警告音が艦中に鳴り響く。
周りが状況報告を行う中、彼女は艦長席にしがみつき眼前に立つそれを忌々し気に睨みつける。
そこにはクロスバインダーキャノンを向けたマスターフェニックスが居たのだから。突如飛来した炎の不死鳥。その両手に携えられた炎の大剣がフォトンブラスターの発射口を切り裂いたのだ。見ればマスターフェニックスも無傷ではない。両手こそ健在であるものの、右足は無く胴にも無数の斬撃と破壊痕。
しかし、彼がここに居ると言う事は対峙していたマークを振り切ってきたという事。むしろ負けたと見て良いだろう。ニキは予期しなかった敵の来襲に、拳を艦長席に叩きつける。
そしてこのタイムロスは致命的だ。バルバドロにとって身を引くには十分な時間。アプロディアも間に合わず、巨鳥が消えて行く。空間転移で宙域を脱出したのだ。同時に他のニューロも消えて行った。
『ちっ! ……コードフェニックス、よくも邪魔をしてくれたな。いつかこの罪償って貰うぞ』
『貴方が罪を語るか』
『何とでも言うが良い。ここではお前達の方が悪なのだ。それを忘れるな。……そしてフリーダムの躁主。その名を聞いておこう』
『……ロード・ディアーチェ。闇統べる王だ。覚えておけ』
『闇統べる王、ロード・ディアーチェ。しかと覚えた。……また会おうぞ』
そしてハルファスベーゼもその姿を消す。残ったのはマスターフェニックスただ1機。
千載一遇のチャンスを消されたのだ。レン達は傷ついた機体のまま、彼を包囲する。
『……マークはこの先で身動きができないでいる。母艦を破壊しておいて言える義理じゃないけど、助けに行ってやってくれないかな』
『このまま逃がすと思うか?』
『逃げ切ってみせるよ。っていうか俺に構った分、マークと君達の母艦は危険な状況になると思うけど?』
背後にはスカルハート。ビームザンバーを向け、マスターフェニックスを逃がすまいとしている。他の機体達もいつでも迎撃ができるようにその武器を向けている。
しばらく無言の時間が続く。が、ラナロウは剣を収めた。
『艦長、マークは俺が助けに行く。他の奴らはディーヴァの火災を止めてくれ』
『……致し方ありません。ラナロウ、頼みました』
『了解だ』
ニキの確認が取れるとスカルハートは踵を返し、マスターフェニックスの示す座標へ飛んでいく。
それを見送ると、マスターフェニックスもまたその踵を返した。誰も何もできずにマスターフェニックスを見逃す事しかできない。いくら手負いとはいえ、こちらもまた満身創痍。まして相手はマークを倒した猛者だ。今の状態で勝てる確率は低い。それを皆理解しているのだ。
戦いには勝った。しかし何か釈然としないものが全員の胸に残る。
こうして、Spiritsとコードフェニックス。そしてアプロディアの二度目の邂逅は幕を閉じたのだった。
2
新暦72年6月。時空管理局武装隊ミッドチルダ北部第四陸士訓練校。
「ふあぁぁ……。あふ……」
管理局地上部隊に与えられる茶色の制服を着た少年少女達が講堂に集まっていた。
制服はどれも新しく、まだ制服を着るというより制服に着られているといった感が拭えない。そんな中で訓示の最中、黒髪を短くしたレンが退屈そうに欠伸をしていた。
<レン、駄目だよ。偉い人の話はちゃんと聞かなくちゃ>
<つってもなぁ。どうにも昔からこういう話を聞くと眠くなって仕方ないんだわ……。体質かね>
<聞く気がないだけでしょ?>
念話でキリエに注意されるが、レンの瞳は今にも閉じられそうだ。
と、そこで訓示が終了し全員が敬礼する。慌てて目を開き、一瞬遅れてレンも敬礼。
そんな様子にキリエはくすくすと忍び笑いを漏らす。
そして入校式が終わった後、訓練生達は部屋割りを確認するのだが、そこで事件は起こった。
「……」
部屋割りを見て、1人の少女が言葉を失っている。
シュテルだ。
肩を落とし、その顔はまさにこの世の終わりと言わんばかりに悲壮感が溢れている。隣でレヴィとディアーチェも複雑な顔をしている。
部屋番号33号室。シュテル・スタークス。レヴィ・ラッセル。
部屋番号34号室。レン・アマミヤ。ディアーチェ・K・クローディア。
これが彼女達に割り与えられた部屋。訓練校では主に2人1組のペアになって訓練が行われる。更に1年間。そのペアは相部屋の共同生活だ。ちなみに名前はそのまま使うわけにもいかず、戸籍登録の際に変更したものが使われていた。
「……」
「シュテるん。ショックなのは分かるけど、そこまでガッカリされるとボクも結構傷つくよ?」
ショックから立ち直れないシュテルを見かねたレヴィが肩を叩いた。それで漸く我に返ったのか、彼女は振りかえると、咳払いを一つしてからレヴィを見る。
「失礼。少々、取り乱してしまいました。考えてみればレヴィともずっとパートナーだったのです。むしろ元に戻った。それだけの事ですね」
「シュテるんがそう言うなら良いけどさぁ……。無理してない?」
「いいえ? 全然、これっぽっちもしてませんよ?」
<無理。してるよね?>
<ああ。思いっきりしてるな>
念話で会話しレヴィとディアーチェは顔を見合わせた。2人には分かる。一見無表情のように見えるシュテルだが、ちゃんと表情はある。今回はそれが『完璧に』無表情だったのだ。無理をしているのが丸わかりだ。そしてタイミングの悪い事に、大きな欠伸をしたレンがやって来る。
部屋割りを見て顎を撫でる。それをレヴィとディアーチェはドキドキしながら見守り、シュテルは俯き、もじもじと落ち着きなく指で遊んでいる。
「ふーん。俺とディアーチェか。またなんとも変わった組み合わせになってんなぁ。とはいえ、シュテルとじゃないのは残念だ」
「「お?」」
彼女達にとって意外な一言。またもや2人は顔を見合わせる。シュテルも弾かれたように顔を上げた。
「残念……ですか?」
「まぁね。ずっとシュテルとはパートナーやってきたからさ。なんつーか、勝手知ったる仲って言えば良いのかな。シュテルなら言わなくてもどう動くか分かるっていうか……。……んな寂しそうな顔すんなよ」
シュテルの頭を撫でて、レンが笑う。少々納得いかない彼女だが、幾分か表情は和らいだようだ。 レヴィとディアーチェもほっと胸を撫で下ろす。
実は内心ビクビクしていたのだ。またレンが一言多く言うのではないかと。どうやら最悪の事態は避けられそうである。
しかし……。
「だがさぁ、男女一部屋ってのもどうなのかね? 一応俺も男な訳でして……ねぇ?」
「んなっ!?」
「あちゃー……」
やっぱりレンだった。そう言いながら苦笑する彼に対し、ディアーチェが自分の体を隠す様に抱いて顔を真っ赤に染めている。レヴィは顔に手を当てて天を仰ぎ、シュテルは引き攣った笑みを浮かべた。
「ほぅ……。レンはディアーチェと同じ部屋で何をするというのですか?」
「いや、別に何もするつもりは無いけどさ……って何? その拳……」
「さぁ?」
実に良い笑顔である。固く握られた拳からはメキメキと音が聞こえてきそうだ。身の危険を感じ、レンは思わず後ずさりしている。
「ディアーチェ。今からこのロリコンをボコボコにしますが宜しいですか?」
「うむ。構わんぞ。というか我も加勢しよう。一度こいつは痛い目を合わないといけないらしいからな」
「え? 嘘? ちょっとタンマ! え? 何で?」
「「うっさい! このロリコン!!」」
声がシンクロした所で綺麗に2人のボディブローがレンに突き刺さった。実に見事な連携である。
何事かと周りがどよめく中、レンが前のめりに倒れた。
涙目のレンを指で突きながら、レヴィですら苦笑している。
「な……なして?」
「今のはレンが悪いと思うな~」
「ふん! まぁ良いでしょう。ディアーチェに何かしたら真・ルシフェリオンブレイカーをブチ込みますので。ディアーチェもこの馬鹿に何かされたらすぐに私達の部屋に来て下さいね?」
「う、うむ」
「だからしねぇって……」
うわ言のように呟くも、シュテルの一睨みでそれも押し黙る。
泣く泣くレンは腹をさすりながら立ちあがり、荷物を手に取った。
もう他の訓練生は部屋に向かっていったようだ。自分達もこのままではこの後の訓練に遅刻してしまう。
レンが2人をなだめつつ部屋に向かおうと、歩きだした時だった。
「あ! レン兄にシュテル姉! それにレヴィとディア姉も!」
聞き覚えのある声に振り返る。そこには大きく手を振る空色の髪の少女。そしてその隣にはオレンジのツインテール少女が居た。
「スバル。久しぶりですね」
「うん! 良かったぁ。やっと会えたよ」
それはスバル・ナカジマ。レンとシュテルにとって妹の様な存在となった少女である。シュテルと抱き合って彼女は向日葵の様な笑顔を浮かべる。隣の少女は目を丸くしていたものの、すぐに一礼をしてきた。
「ティアナ・ランスターです。えっと部屋は32号室。お隣さんですね」
「これはご丁寧に。33号室、シュテル・スタークスとルームメイトのレヴィ・ラッセルです」
「はっじめまして~。レヴィって呼んでね!」
同じく一礼するシュテルと、ティアナの手を取り大きく振るレヴィ。いきなりのレヴィの行動に面喰ったティアナが目を白黒させている。
「うむ。34号室ディアーチェ・K・クローディアとパートナーのレン・アマミヤだ」
「うーっす。よろしくな」
そしてディアーチェも自己紹介。レンが気の抜けた声なのは気にしないでおこう。むしろ、ティアーチェのパートナーがレンと知り、ティアナが驚いたくらいだ。
「だ、男性がルームメイトなんですか!?」
「その辺りは心配しなくても結構。既に釘は刺しました。これで何かするようなら私が直に『お話』致しますので」
「……体罰反対……。はい。すんません。マジすんません」
ポツリと呟いたが、十分シュテルには聞こえていたようだ。ギロリと一睨みされた為にレンは素早く土下座。相変わらずの力関係である。
当然、それを知らないティアナはその姿を見てこう思うのは必然だろう。
うわぁ……、情けない。と。
部屋に荷物を置き、着替えた訓練生。これから早々に朝の訓練である。
ティアナは周りを見渡しながら思う。皆、訓練用のデバイスを手に取っている。
そもそもデバイスはとても高価な物だ。アクセサリー程度の大きさの中にバリアジャケットや、魔法の術式。その他様々な情報を集約させるのだ。これが高価でない筈がない。
故に殆どの魔導士が支給品ないし、自作でデバイスを作成したりしている。
つまりは、訓練生の段階で自分のデバイスを持っているというのが異例だということだ。
「スバルだっけ? デバイスは……持ちこみ?」
「うん! 自作のローラーブーツとリボルバーナックル!」
ティアナの問いに、スバルは自分のデバイスを見せた。両足に履かれたローラーブーツと、右腕に装着されたガントレット型アームドデバイス、リボルバーナックル。二つの歯車が手首の辺りでキュルキュル音を立てて回転している。
「あたし、ベルカ式で変則だからね……。ランスターさんは?」
「あたしも自前よ」
対してティアナが見せたのは銃型のストレージデバイス。アンカーガンだと彼女は告げる。
「ミッド式でカートリッジシステム使うから。変則同士組まされたんでしょうね」
「成程。我らは変則も変則という事になるな」
「ディアーチェさん?」
「ディアーチェで良い。その代わり我もティアナと呼ぶがな」
ティアナが自分に「さん」を付けるのを否定した後、ディアーチェは十字架に翼の生えたネックレスを取りだした。その後ろから来たレンも1枚のカードを取りだす。
「変則も変則? どういう事ですか?」
「こういう事だよ。キリエ、出番だ」
「はいはーい」
「ユーリ、お主も挨拶せい」
「了解です~」
思わずティアナは目を丸くしてしまった。2人のデバイスが輝いたかと思った瞬間、目の前に少女が姿を見せたのだ。1人はキリエ。もう1人はユーリである。
が、すぐに再起動したらしくティアナはぽつりと「ユニゾンデバイス?」と呟いた。
その回転の良さにディアーチェは感心したのか、口元が緩む。しかしなんと説明したら良いものか。そんな複雑な表情である。
「あ~、まぁそれに近いというか、なんというか……」
「私達はデバイスの管制人格なのよね~」
そしてキリエは簡単に状況を説明した。デバイスの管制人格でありながら、実体を持つ。そんなデバイス聞いた事もないティアナはやはり驚きを隠せない。
スバルの笑い声もあまり耳に入らず、ティアナは完全にパニックになっていた。
「まぁその理由はおいおい教えるよ。今は俺達のデバイスの管制人格がキリエとユーリだって事だけ、理解してくれれば良いさ」
「そ、そんなもんで良いんですか?」
「そんなもんだ」
肩を竦めるレンにティアナは大きく息を吐いた。確かに考えるだけ無駄だろう。しかし、妙に納得もしてしまう。だから変則も変則と言ったのかと、自分の中に折り合いもつける。だがそんなデバイスを持っている彼らは一体何者なのか。少々、ティアナは興味が湧いてきた。
1時間後。
レンとディアーチェ。シュテルは盛大に頭を抱えていた。
原因はスバルとティアナの訓練風景だ。
最初に行われたのはラン&シフト。2人1組で障害物を避けて移動。その後、フラッグの位置で陣形を展開する訓練。そこでスバルが盛大にやらかしたのだ。一言で言えば、ティアナを置き去りにしてしまった。これでは全く訓練の意味が無い。連帯責任という事で2人は腕立て20回。
次は垂直飛越。1人が足場になり、もう1人を壁の上に押し上げる。そして足場の人間を引っ張り上げるというものだ。ここでもスバルはやらかしてしまう。勢い余ってティアナを上空高く放り投げてしまったのだ。慌ててティアナをキャッチしたものの、当然訓練を中断させられ、反省清掃をやらされている。
「……スバル。力の使い所が間違ってないか?」
「ええ。明らかに調整が出来ていませんね」
「というか、スバルのあの力に我は驚きなのだが……。こらレヴィ。目を輝かすでない」
「え~?」
1人だけ見方がずれているが、とりあえず自分達の妹分が初日から色々やらかした事にレヴィを除いた3人は「これはスバルの再教育が必要だ」と認識するのだった。
1日の訓練が終了したのは結局夕方。夕食の後はそれぞれの部屋に戻り、明日に備える。
レン達もまた部屋に戻りそれぞれの時間を過ごしていた。
「なぁレン、昼間の事なんだがな。いくらシュテルが落ち込んでいるからといって、アレは無いだろう」
部屋の真ん中にカーテンを仕切り、着替えていたディアーチェはその向こうにいるレンに向けて突然そんな事を言い出した。既に着替えを終えたレンはベッドに横たわり、教科書を読みつつそれに耳を傾ける。
「……さて、何の話かな」
「惚けるな。……全く貴様はいつもそうだ。今日とてシュテルが落ち込んでいたのを知っていてあんなふざけた事を言ったのだろう? 素直に励ましてやれば良いものを。何故あんな回りくどいことをする?」
シャッと音を立ててカーテンが開かれる。そこには腕を組んで仁王立ちするディアーチェ。が、レンは見向きもせずに教科書に目を通したままだ。
「……買いかぶりだね」
「はぁ……。貴様が我をお、お、襲うなどあるわけがなかろう!」
「顔を真っ赤にして言っても怖くねーよ。これでも飲んで落ち着け」
ポイと缶ジュースを投げ、レンはベッドから跳ね起きた。自分で言っておいて顔を赤くしたディアーチェは投げられた缶ジュースを受け取り、その蓋を開けると一気にそれを煽る。
レンはというと部屋を出て行こうとしている。彼女はそれを止めようとしたが「もう一本買ってくるわ」と言い残し出て行ってしまった。
「不器用な奴」
その背を見送り、ディアーチェはもう一口ジュースを流し込むのだった。
「やれやれ。ディアーチェにも困った……ってスバル?」
「あ、レン兄……」
部屋を出てみれば、32号室の前で項垂れているスバルが居た。レンも壁に寄りかかるように隣に立つ。
「どうした? 初日から大失敗してティアナに怒られたか?」
「う……」
「図星か」
しゅんと項垂れるスバル。自分の言った事が的を射ていた事でレンも気不味くなり、ボリボリと頭を掻いた。ますますスバルは俯いていく。
「ランスターさんに言われちゃった。どこのお嬢が遊び半分で冷やかしに来てんのか知らないけど、こっちは真剣なんだって。はぁ……。やっぱりあたし駄目駄目だぁ……」
「成程ね」
レンは知っている。スバルがどんな気持ちでこの魔導士の道に入ったかを。
あの空港火災の際に自分を助けてくれた憧れの人に少しでも近づきたくて、どれだけ必死になっていたかを。勿論それをティアナが知る筈も無い。確かに今日の内容を見れば言われても仕方がないだろう。
しかしまだ始まったばかりなのだ。最初からコンビが上手くいく筈がない。
お互いを知る事からコンビは始まるのだ。それをまだスバルもティアナも分かっていない。
「スバルはどうしたいんだ?」
しかしレンは敢えてその答えを言わなかった。人に言われるのではない。自分で気付かなければ。
だから答えは言わず、問いかける事でそれを促す。
甘いかもしれない。だが、この妹分はそれを気付くにはまだ幼いのだ。
レンの問いにスバルは泣きそうな顔を上げた。その頭を撫でてやり、レンはただ微笑む。
「あたしは……ランスターさんをもっと知りたいと思う。そしてコンビとしてやっていきたい!」
「ならそれをちゃんとティアナに言わなきゃな。まずは話をしなくちゃ。全てはそっからだよ」
「……うん!」
やっと笑顔を浮かべてくれた。その様子に安堵したレンだったが、スバルは頭を撫でられて我慢できなくなったのか彼の腰にギュッと抱きついてくる。その突然の行動に慌てるレン。丁度スバルの頭はレンの腹の辺り。風呂上がりなのだろうか、シャンプーの清潔な匂いが鼻腔をくすぐる。少女特有の柔らかさに思わず心臓が高鳴ってしまった。
(いやいや、本当に待て!)
自分に突っ込みを入れ、頭を大きく振って雑念を払おうとする。そもそも彼女にしてみれば感謝と親愛に表現なのだろうが、曲がりなりにもここは訓練生の寮だ。過度なスキンシップはあらぬ噂を立てるきっかけになってしまう。それはお互いにとってもよろしくない。ここは兄貴分として、しっかりしなければ。
なのでレンはスバルの肩に手を置いて、グッと前に押した。
「スバル、ちょっと離れろ! こんな所誰かに見られたら……」
「もう遅いですよレンさん」
遅かった。
扉が開き、腰に手を当てて半ば呆れたような顔で2人を見る少女がそこに居る。
「ったく。なかなか帰って来ないと思ったらこんな所で油売ってたのね。ほら、いつまでもレンさんに抱きついてないで中に入りなさいよ。……とにかく話くらいは聞いてあげるから」
最後はぽつりと呟く様に小さい声。それでもレンとスバルにはしっかり聞こえていた。2人は顔を見合わせると頷き合い、スバルはレンから離れる。
そう。これで良い。なんだかんだでティアナは面倒見が良さそうだ。きちんと話ができれば、きっと彼女はスバルを受け止める事ができるに違いない。根拠は全くなかったが、レンはそんな確信を持っていた。
「それにあのまま抱きついていたら、後ろの人に何をされるか分かったもんじゃないわよ? 主にレンさんがという意味で」
「え?」
一転、物騒な発言が聞こえてきた。瞬時に冷たい汗が噴き出す。振り返ればそこにはドス黒い何かを発している『何か』が扉の影からこちらを見ている。そしてその頭の上には水色の髪の少女が「にぱー」と笑っていた。
「……このロリコン。いえ、それに飽き足らずに遂に手を出しやがりましたか」
「何それ酷い!!」
トドメの一撃で今度はレンが項垂れる結果となってしまった。折角兄貴分としての使命を全うしたのに、辛辣な一言である。
その発信源は勿論シュテル。彼女は扉から出てくると、レンに向けていた物とは全く別の穏やかな表情でティアナを見た。
「ティアナ、スバルを宜しくお願いしますね」
「え? あ、はい?」
突然そんな事を言われても全く意味が分からない。気の抜けた声を出すティアナだが、シュテルは構わず言葉を続けた。
「この子は他の誰かと協力する時の力配分がまだ分かっていないのです。これはコンビである貴方にお任せするのが最も適しているかと思います。勿論、何かあれば私達も相談に乗りますよ。ですが、スバルはきっと貴方の力になる。それだけは断言しておきましょう」
力になる。その単語にティアナの眉が動く。だがすぐにそれを掻き消すかのように、彼女もまた言葉を紡ぐ。
「ま、必要以上に慣れ合うつもりはないけど、確かにお互いを知るってのは必要だと思います。何かあったら相談させて貰いますよ。シュテルさん」
「シュテルで構いませんし、敬語も要りませんよ。私の方は気にしないで下さい。もう癖ですから」
2人は軽く笑い合う。それは極々自然な笑顔。お互いに何か通じあうものがあったようだ。そしてティアナとスバルは一礼して部屋に入って行った。残されたのはレンとシュテル。レヴィは満足したのかとっくに部屋に入っている。
「……サンキューなシュテル」
「お礼を言われる意味が分かりません。私は当然の事を言ったまでですよ」
「だな」
一見するとシュテルはさほど興味を持っていないようにも聞こえる。しかしレンとて分かっているのだ。彼女もまたスバルを心配していたという事に。実際、彼女もまたティアナと同じ部類の人間だから。
「やっぱシュテルは優しいよな」
「言っている意味が分かりませんね」
不意にそんな事を言わないでほしい。
シュテルはそれだけで自分の頬が熱を持っている事に気付く。ちらりと見上げれば、レンが首を傾げていた。慌てて視線を逸らしたが、内心では少し溜息をついていた。
きっとこの男は分かっていない。さっきの言葉も他意はないのだろう、と。
「あ~、そういやジュース買いに出てきんだったな……。時にシュテルさんよ。俺はこれからジュースを買いに行くのだが……」
「同伴しましょう。そうですね。レヴィの分も合わせてジュース2本で手を打ちます」
「あいよ。了解だ」
そして2人は歩きだす。ぎすぎすした空気は微塵も無く、穏やかな空気がそこには確かにある。
今はそれだけで満足だ。
でも、できるなら。できるなら。
目の前にある背中と、ポケットに入っていない右手。
その手にシュテルは自分の手を伸ばし……。
その手を握る事は無かった。
本当に不器用なのは誰でしょうね?(笑)