問題児たちが異世界から来るそうですよ? ━魔王を名乗る男━   作:針鼠

5 / 77
可愛ければなんでもいいよ

 《サウザンドアイズ》から戻ってきた信長を迎えたのは黒ウサギの音速ハリセンツッコミだった。

 

「《フォレス・ガロ》とのゲームをすっぽかしてどこに行っていたのかと思いきや……信長さん貴方って人は! 貴方って人はああああああ!!」

 

「――――そのへんにしてあげなさいよ黒ウサギ」

 

 バシンバシンとハリセンを往復させる黒ウサギと何故か嬉しそうになすがままの信長。

 それを止めたのは短い嘆息混じりの飛鳥の発言。

 

 それで黒ウサギもようやく手を止めた。

 

「YES……まあ結果として、信長さんのおかげで春日部さんの治療は最高の環境で行えるわけですしね」

 

 グスンと鼻を啜る黒ウサギ。

 

 《ノーネーム》と《サウザンドアイズ》のゲームは事前の信長の読み通り《ノーネーム》が勝利した。ただひとつ読みが外れたことといえば参加者の一員たる耀が負傷したことだった。

 合流するなりそれを聞いた信長は黒ウサギを通じて白夜叉へ連絡をつける。白夜叉が二つ返事で頷いて、耀は《サウザンドアイズ》へ運ばれた。《ノーネーム》にも治療器具は揃っているが、使えるのは黒ウサギだけ。向こうの方が器材も人員も充実している。傷も残さず半日ほどで戻ってこれるそうだ。

 

 それにしても、正座している――――させられている――――信長はふむと唸る。

 信長の予想ではガルドの逃走による不戦勝。もしくは飛鳥達の圧勝だった。

 その予想を覆したのは何者かによるガルドへの助力であったらしい。

 

 その人物はまずゲームルールに己の命を組み込むという入れ知恵だけでなく、『鬼化』なる文字通り鬼の恩恵をガルドに与えた。

 結果、ガルドの牙は本来であれば届くはずもなかった耀に届いた。

 

 少しだけ、ほんの少しだけ信長はガルドを見直した。たとえ誰かの助力があったればこそとはいえ、彼は自分の予想を超えてきたのだから。

 

「いいやよくねえ」

 

 遊戯をすっぽかしたことを、ちょっぴり勿体無く感じていた信長の傍らで、先程から十六夜だけが憮然とした顔をしていた。

 半眼で睨まれる。

 

「そんな面白そうなことを抜け駆けしやがって」

 

「ごめんごめん」

 

 両の手を合わせて首を傾げながら謝る信長。十六夜の怒気に対してあまりにも軽い。

 

「そ、そういえば十六夜さん!」

 

 空気が硬くなるのを敏感に察知した黒ウサギが話題を逸そうと必死に声を張り上げる。

 

「ジン坊っちゃんが提案した例のゲームですが」

 

「例のゲーム?」

 

 信長が口を挟む。

 

「黒ウサギ達の仲間が賭けられたゲームでございます。――――それがどうやら主催者の意向で延期……ひょっとするとこのまま流れてしまうかもしれないとのことです」

 

「そりゃまた何故?」

 

「なんでも巨額の買い手がついてしまったようです」

 

 シュン、と項垂れる黒ウサギ。

 十六夜は苛立たしげに舌をうった。

 

「上層でも指折りのコミュニティつっても所詮は売買組織ってわけかよ、しらけさせてくれやがる」

 

「仕方がありません。《サウザンドアイズ》は群体コミュニティですから。白夜叉様のような直轄の幹部が半数。傘下のコミュニティの幹部が半数。今回はその傘下のコミュニティが主催でしたから」

 

 再び、十六夜は露骨に舌をうった。

 

 商業コミュニティの傘下にある以上、彼等の多くは損得勘定で動く。一度提示した景品を、参加者まで募っておきながら直前で引っ込めるなど信用を失うことは必然だ。それがどこのコミュニティであれ、そこに《サウザンドアイズ》という巨大な看板がある以上、最も泥をかぶるのは《サウザンドアイズ》。となれば今回ゲームを主催していた幹部には相応の罰則が下るはずだが……。

 それだけ魅力的な商談だったのだろうか。

 

 たとえ同じ旗本にあろうとも一枚岩ではいられないということらしい。

 

「それでその仲間ってどんな人なの? 女の子? 可愛いの?」

 

 根っから商売人でもない信長は参加予定もなかったゲームの行方などぶっちゃけどうでもいい。

 その手の話より気になったのはその景品になる予定だった人物。つまりは黒ウサギ達の仲間について。

 

 尋ねられた黒ウサギはというと、その人物の顔を思い浮かべたのか、先ほどまでの暗い顔を一転、まるで初恋の相手を語るようなだらしない笑顔に変えた。

 

「彼女は黒ウサギの先輩でとても可愛がってくれました。見た目は、そうですねえ。スーパープラチナブロンドの超美人さんです!」

 

「本当に? ならちょっと行ってさくっと奪って来ようか?」

 

「NO!!」

 

 本当にやりかねない信長に飛びつくなり全力で引き止める黒ウサギ。実際あと少し遅かったら飛び出していたかもしれないので、彼女の判断は正しい。

 

「近くにいるのならせめてもう一度話したかったのですが……」

 

「ねえねえ黒ウサちゃん」

 

「なんですか? 奪いにいくのは駄目ですヨ?」

 

 ちょんちょん、と無遠慮に黒ウサギの肩をつつく信長は、その指で窓の外を指した。

 つられてそちらを見た黒ウサギは目をまん丸にした。

 

「『すーぱあぷらちなぶろんど』の超美人さんて――――ああいうの?」

 

「レティシア様!?」

 

 思わず黒ウサギは跳び上がる。

 

 窓の外、宙に浮かぶ少女。

 まるで精巧な西洋人形のように整った容姿。長い睫毛。可憐な瞳。

 そしてなにより目を奪われるのは、金糸のような流れる頭髪。思わず眩い黄金色の光が幻視出来てしまうほど彼女の髪は美しかった。

 

 信長はじっと少女を見つめる。

 初めてだった。異性を前に思わずため息が出たのは。

 

「――――――――」

 

 窓の向こうで口をパクパクさせるレティシア。伸ばした細い人差し指が窓の鍵を示していた。

 

 大慌てで黒ウサギが窓の鍵を開けるとレティシアは慣れた動作で中に入ってきた。

 床に足を着けるとバサリ、と羽を大きく震わせる。翼。蝙蝠のような翼だ。

 彼女もまた普通の人間ではないのだろう。

 

「こんな所からの入室ですまない。どうしてもジンに見つからず黒ウサギに会いたかったのだ」

 

「そ、そうでしたか。――――すぐにお茶を淹れますね!」

 

「構わずともよいよ。今の私は他人に所有される身分に過ぎないのだから」

 

 しかし黒ウサギはレティシアの言葉を取り合わず疾風となって部屋を出て行く。それにレティシアは苦笑を零していた。

 

 黒ウサギの先輩というには彼女よりずっと幼いレティシアは、しかし口調や何気ない仕草は貫禄を感じさせるものがあった。

 そんなアンバランスさが、信長にはどうにも愛らしく思えた。

 

「わ! わっ! 本当に美人さんだー! 是非とも御近付きに――――」

 

「君が十六夜か。どうした? 私の顔になにかついてるか?」

 

 露骨な無視っぷりに両の手を床について項垂れる信長。

 

 それを見たレティシアがクスクスと悪戯っぽく笑っていた。

 

「冗談だよ信長。君達のことは白夜叉殿より聞いている」

 

 そう言ったレティシアの顔が僅かに真剣味を帯びた。

 

「私は君達2人に会いたかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は君達2人に会いたかった」

 

 レティシアはそう告白して2人を見据える。

 

 すると、じっとこちらを真っ直ぐ見つめる十六夜の目が気になった。彼は顎に手を当てて、まるで評論家のように厳かな声音で告げた。

 

「たしかに、前評判通りの美少女だ」

 

「ありがとう。しかし観賞するなら黒ウサギも負けてないと思うが?」

 

「あれは愛玩動物なんだから、弄ってなんぼだろ」

 

「ふむ。否定しない」

 

「否定してください!」

 

「可愛ければなんでもいいよー」

 

「信長さんはもっと節操をもってください!」

 

 いつの間にやら復活していた信長。それと戻ってきた黒ウサギ。

 黒ウサギの手には人数分のカップが揃えられたティーセットがあった。

 

 黒ウサギに注がれた紅茶を受け取る。そっと口をつける。

 温かい。そしてなにより懐かしい気持ちが胸を襲った。願ってはならないことを、思わず願ってしまうほどに。

 

「それで、何かあったのでしょうか?」

 

 一息の後、真剣な面持ちで黒ウサギが質問してくる。先ほど自分自身を『所有物』だと告げた瞬間から、彼女にはある程度の事情が呑み込めている。

 そう判断しつつ答えた。

 

「用というほどではない。新生《ノーネーム》の実力がどれほどか見に来た。ジンに合わせる顔がないのは結果として仲間を傷付けてしまったからだよ」

 

 それは全て偽らざる本音である。

 

 十六夜や白夜叉、そして信長達が楽勝であると予見した先の《ノーネーム》と《フォレス・ガロ》のゲーム。たしかに結果は《ノーネーム》の、飛鳥達の勝利で終わったものの、お世辞にも楽勝だったとはいえない。

 耀は負傷し、一時は間違いなく押されていた。

 

 それもこれもガルドの力がゲーム前より大幅に上がっていたことが理由だ。仲間を頼らず、策に頼らず、理性を捨てただただ牙を剥いた。

 その原因こそレティシアである。

 レティシアはゲーム前、ガルドに接触し彼に『鬼種』の恩恵を与えた。更にゲームルールを改変しガルドに一矢報いさせた。

 

 しかしそれは決してガルドの為ではない。

 全ては《ノーネーム》……仲間達を案じて。

 

 風の噂でジン達がコミュニティを再建しようとしていると聞いた。最初は何を愚かなことを、と嘆いた。あれほどの屈辱を、そして仲間を失う恐怖を味わってまだ抗う無謀に、筋違いの怒りすら湧いた。

 しかし、彼女の耳にもうひとつの噂が舞い込んできた。

 

「神格級のギフト保持者がジン達のコミュニティに加入した、と。そう、君達のことだ」

 

 レティシアは2人の少年を見据える。

 

 神格級のギフト保持者。それも複数の戦力が集まった。

 それを知ったとき、何としてでも再建を辞めさせようとしていたレティシアの思いに躊躇いが生まれた。

 

 名も顔も、人格も知らない彼等彼女らが本当にコミュニティを救える存在であるか否か。それを知る為に彼女はガルドを当て馬とした。そのために彼に力を与えた。

 

「結果は?」

 

 十六夜の問い。

 

 レティシアはフッと笑った。

 

「わからない。ガルド程度では当て馬にもならなかった。それに、ゲームに参加していた彼女達はまだまだ青い果実同然。肝心の君達がゲームに参加しなかった」

 

 ゲームに参加していた少女達。飛鳥と耀も十二分に才ある者だと思う。

 しかし彼女達だけでは到底ジン達のコミュニティを救うことは出来ない。いずれ、かの魔王がやってきたとき、間違いなく諸共殺される。

 故にレティシアの本当の目的は白夜叉にして未知数だと言わせた2人の少年の力を見極めることだった。

 

(特に……)

 

 レティシアの視線は信長へ向く。

 

 レティシアはすでに白夜叉自身の口から、彼女に勝ったという少年について聞いていた。

 かつて数多の修羅神仏を滅ぼし、今も最強の階層支配者として君臨する白夜叉。彼女に真正面から勝てる存在など、少なくともこの箱庭の中層以下にはいない。

 そんな白夜叉に、この少年は勝ったのだという。

 

 不意に視線が合うと、彼は照れたように後頭部を搔く。

 

「いやぁ、そんな熱い視線向けられると困っちゃうなぁ。婚約を前提にお付き合いしてみる?」

 

 実際に目にした彼は、なんというか残念極まりなかった。

 

(本当にこれがあの白夜叉に勝った男なのか?)

 

 信じられない。負けたと本人から聞いてそれでも信じられなかった。

 それどころか、これなら飛鳥や耀という少女達の方が将来性がある分よっぽどマシだ。

 

 最強の階層支配者を降すほどの存在。そんな人物がコミュニティに入ってくれたなら安心だと期待していた分、彼女の落胆は大きかった。

 そうしてはたと思い出す。

 自分を逃がす手引をしてくれた白髪の少女の、ここへやってくる直前の台詞を。

 

 ――――ヘッドフォンの童子の方は期待していい。

 

 そしてもう一言。自身を降した少年について、彼女は苦い笑みを浮かべた。

 

 ――――多分、凄いガッカリするぞ。

 

(そういえば言っていたな)

 

 正しく言葉は得ていた。

 覇気もなくヘラヘラと笑い、何気ない身のこなしから多少武術の心得があるようだがその程度。

 白夜叉のように普段ふざけていても力のある者は否応なく強い気配のようなものを感じるのだが、目の前の少年からはそんな凄みはまるで感じない。

 

(これはやはり謀られたかな)

 

 レティシアは陰鬱に笑う。

 柄にもなく冗談を真に受けてしまったことと、膨らませていた期待がその分大きい失望に変わった。

 

「その不安を解消する方法、ひとつ心当たりがあるぜ」

 

 そんなレティシアへ、もうひとりの異邦人たる金髪の少年は口端をつり上げて言った。

 

「自分で試せばいい。俺達が魔王と戦って倒す実力があるかどうか。なあ――――元・魔王様?」

 

 一瞬レティシアは思わず呆気に取られてしまう。

 十六夜の提案にいち早く反応したのは信長だった。

 

「あ、ずるい十六夜! 僕は!?」

 

「お前は一度抜け駆けしてるだろ。それにこっちはこの吸血ロリを取り戻すゲームすらお預けでさすがにストレス溜まってんだよ」

 

 レティシアの不安を除く、というより主に今の発言の後半部分が本音なのは明らかだった。

 

 十六夜の言い分に文句を言いながら渋々と引き下がる信長。

 2人して今ここで戦うこと自体は決定事項のような物言い。心配症の黒ウサギはそれにまた喚いている。

 

「…………」

 

 それを眺めて、レティシアは笑った。

 

 ガルドを利用して力量をはかろうなどと回りくどいことをしていたのが馬鹿らしくなった。この世界はいつだってシンプルなのだ。

 そしてなにより、この子供等はこのゲームを楽しもうとしている。それだけで充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲームは一撃の後決着となった。

 

 黒ウサギにとって大先輩、かつてコミュニティを支えたプレイヤーのひとりであるレティシア。ただの人間でありながら神格を持つ蛇神を素手の一撃で打ち倒した十六夜。

 

 2人が真正面から争えば地形までも変わりかねないとハラハラしていた黒ウサギだったが、レティシアが投擲した投槍を十六夜が拳で打ち返す所業に唖然とする。瞬後、かつてのレティシアならばいくら虚を突かれようともこの程度で倒されるはずがないのに、槍が目前まで迫ってなおいつまでも無防備な姿を見て考えるより先に彼女は飛び出していた。

 

「黒ウサギなにを――――」

 

「やっぱり!」

 

 間一髪槍の直撃からレティシアを救い出し、決闘への横槍に激怒する彼女の手からギフトカードをひったくる。

 疑念は確信に変わった。

 

「ギフトネームが変わってる……」

 

 レティシアを見ると、彼女は気まずげに目を逸らした。

 

 レティシアから神格が消えていた。つまりそれは、かつて魔王と恐れられた力のほとんどを失っているということだ。

 鬼種のギフト、それとカードに多少の武具は残っているものの、神格を始めとする彼女の恩恵は残っていなかった。

 

「ハッ。道理で歯応えがねえわけだ。他人に所有されたらギフトまで奪われるのかよ」

 

 苛立ち混じりの十六夜の問に、しかし黒ウサギは首を横に振る。

 

「いいえ。武具に宿るそれとは違い、恩恵とは神仏や精霊から受けた奇跡。謂わば魂の一部です。たとえ隷属されようと合意無しにギフトを奪うことは出来ません」

 

 そう、つまりレティシアは自ら己の魂を切り売ったのだ。ギフトは、この箱庭で生きるためには何より必要となる力だ。それを何故?

 

「そんなの、彼女がここにいることが答えに決まってるじゃん」

 

 今まで大人しく決闘を眺めていた信長が、しゃがみ込んだ格好で手慰みに地面を弄っている。

 

「信長さん、それは一体どういう意味ですか?」

 

「え?」

 

 黒ウサギとしては純粋にわからないことを質問しただけだったのだが、問われた信長は質問の意味がわからないというようにぽかんとする。

 質問の意図がわからなかった彼は質問に質問で返した。

 

「レティシアちゃんは今誰かの『モノ』なんでしょ? そんな彼女がここにやってくるまでに()()()()()()()()()()()()?」

 

「それ、は……」

 

 それでようやく察した黒ウサギに、信長は真顔で続ける。

 

「世の中に無為の報酬なんてあり得ない。なにかを得るには絶対に代価が必要になる」

 

 ただし人の価値観がそれぞれによって違う以上、代価が相応とは限らないけど……と付け加える。

 

 黒ウサギにもわかった。再会したときレティシアは言った。自分はコミュニティの再建を止める為にここにやってきたのだと。

 災厄の魔王によって所有物となった(隷属させられた)彼女が、一時とはいえ自由を得る為に何を代償としたのか。

 彼女は、レティシアは己の魂を切り売ったのだ。

 

 一体それはどのような思いだっただろう。どれほどの痛みを、屈辱を、彼女はその身に受けながら今ここに立っているのだろうか。

 

「黒ウサギ……」

 

 気遣うようにかけられたレティシアの悲しげな声が、余計に黒ウサギの体を震えさせた。

 

 ぽん、と俯いた頭に重みがかかる。

 見上げると、黒ウサギの頭に置かれた右手とは反対の手で後頭部を搔く十六夜がいた。

 

「まあ、話があるなら一旦屋敷に戻ろうぜ」

 

 それが彼なりの優しさだと気付いて黒ウサギも懸命に頷く。

 

 屋敷に戻ろうとする4人の頭上から、突如褐色の光が落ちた。

 いち早く気付いたのはレティシアだった。

 

「ゴーゴンの威光!? 見つかったか!」

 

 レティシアの口から飛び出したワードに黒ウサギはぎょっとする。

 言葉を発する間もなく、黒ウサギを含めた3人はレティシアによって突き飛ばされる。レティシアだけが射線に残ってしまう。

 

「駄目です! 避けてくださいレティシア様!」

 

 黒ウサギの叫びは虚空に響くだけだった。褐色の光を浴びた瞬間、黒ウサギの目の前でレティシアは石像と化した。

 

 黒ウサギは光が差し込んだ遠方を睨む。

 そこには予想した通りゴーゴンの御首を掲げた旗印と翼の生えた空駆ける靴を履いた騎士甲冑の男達。その数たるや10や20ではない。100に届く数の騎士が空を埋め尽くす。

 彼等の正体はコミュニティの名を《ペルセウス》。《サウザンドアイズ》の傘下にあり、現在レティシアを所有するコミュニティだ。

 

 石化したまま地面に横たわる少女に、黒ウサギは駆け出しそうになる体を掻き抱くようにして自制した。レティシアは死んだわけではない。ただゴーゴンの光によって一時的に石化させられているだけだ。

 箱庭のゲームによって所有物となったレティシアが、主の命も無しにこんなところをぶらつくことは許されていない。もし今ここで彼女を庇おう者なら《ペルセウス》だけではなく《サウザンドアイズ》までも敵となりかねない。

 己のコミュニティを守る為にも、それだけは避けなくてはならない。

 

 幸い、騎士達にとって黒ウサギ達は眼中に無いようで石化したレティシアに群がっている。

 

「と、とりあえず御ふたり共本拠に逃げてください!」

 

 一先ず黒ウサギは近くにいた十六夜の腕を引っ張って本拠へ逃げようとする。

 しかし、

 

「なんで?」

 

 信長だけが一向についてくる気配が無い。

 きょとんとした顔で、呑気に首を傾いでいる。

 

「彼等は《ペルセウス》のコミュニティの者達です! 《ペルセウス》は今のレティシア様の主……そして、《サウザンドアイズ》の幹部を務めています! 彼等と争えば……」

 

 焦燥から矢継ぎ早に話す黒ウサギだったが、最後の言葉を口に出すことは出来なかった。

 

 今あの騎士達と争えば、最悪の場合《サウザンドアイズ》そのものを敵に回すことになる。商業コミュニティとはいえ上層を根城にする《サウザンドアイズ》と争えば、今度こそコミュニティは壊滅させられるだろう。

 なによりも、今までコミュニティの危機になんだかんだと手助けしてくれた白夜叉と争うことは、彼女にはどうしても出来なかった。

 

「その兎の言う通りだ」

 

 騎士達のひとり、おそらくこの集団のリーダーであろうゴーゴンの首を持つ男がこちらに意識を向ける。石化したレティシアの回収を部下に任せて

 

「我々の邪魔をするな。その吸血鬼は箱庭の外で待つコミュニティに売り払う大切な商品だ。なるべく傷をつけたくない」

 

「外、ですって……!?」

 

 サァ、と黒ウサギは自分の顔から血の気が失せる音を聞いた。

 

「一体どういうことです! 彼女達ヴァンパイアは――――《箱庭の騎士》は箱庭の中でしか太陽の光を浴びれないのですよ!? それを外に連れだしたら――――」

 

「黙れ。我らが首領が決めたことだ。部外者が口を出すな」

 

 男は冷ややかな目で黒ウサギを見下ろす。

 そも始めから彼等は黒ウサギ達など意にも介していない。その証拠に、本来であれば如何なる理由であろうと他人の本拠を無断で踏み荒らすこの行為は最大の侮辱行為だ。傘下とはいえ、信頼を第一とする商業コミュニティならば尚の事。

 それを彼等は平気で行い、謝罪はおろかその本拠の黒ウサギ達に上から目線で『部外者が口を出すな』、だ。

 

 さすがの黒ウサギも黙ってはいられないと口を開きかけた瞬間、

 

「五月蝿いよ」

 

 ブルリと寒気が走った。

 

 無意識に意識が引き寄せられたのは、ひとり黒ウサギ達とは離れた位置で立ち尽くす少年。

 

「信長さん……?」

 

「貴様、今なにか言ったか?」

 

 黒ウサギの呟きは、上空からの男の威圧的な声に掻き消される。

 怪訝に顔をしかめた男の視線は、黒ウサギから信長へ移る。

 

 本当に先ほどの信長の発言が彼等に聞こえていないとは思えない。

 しかし、信じられないという意味でならば、彼等は本心から信長の発言を疑っていたのだろう。そんな言葉を言うはずがない、と。

 

「五月蝿いって言ったんだよ」

 

「っ……!!?」

 

 その期待は砕かれる。

 

 信長の表情からは色が消え失せていた。

 

「君達の事情なんて僕にはどうだっていい。それよりも……他人の領土を踏み荒らしておいて、あまつさえ人様を見下ろして勝手に喚くなよ」

 

 ――――何様だ。

 

 黒ウサギは見た。百を超える軍勢が間違いなく気後れしていた。

 信長には飛鳥のように言葉で他者に干渉する類の恩恵は宿していない。今のは単なる気当たり。しかしたったそれだけで、彼は目の前の軍勢を僅かとはいえ退かせた。

 

 薄っすらとした笑みを浮かべる信長。けれどその表情には今までのような陽気さとは真逆な印象しかない。

 寒い。ここ一体の気温が下がったような錯覚。体温までも奪われる感覚。

 

「――――っ、己の旗も名も守れなかった奴等が!」

 

「ならさぁ」

 

 消えた。

 

「自分の命すら守れない君達はなんなんだろうね?」

 

 再び信長が現れた場所は、歯を喰いしばって吠えた男の後ろ。グリフォンの空を踏みしめるギフト――――不完全ながらそれを得たが故の大跳躍。

 だがしかし、それ以上に今の動き。

 

(疾い――――!!)

 

 嘲笑混じりの言葉と共に、信長は腰の鞘から刀身を抜き放つ。

 振り返る間もない。刃は男の首を容易に落とす。

 

「だからやめろってーの」

 

 黒ウサギを含めた全員の予想は、しかしもうひとりの異邦人の少年によって覆される。

 

 十六夜は、騎士の背中を取った信長のさらに後ろを取っていた。

 こちらはグリフォンのギフトではなく自前の跳躍力で。

 

 十六夜に気付いた信長は薙ぎ払う動作を中断。咄嗟に鞘を掲げる。

 そこへ振り下ろされる拳。

 空を飛ぶギフトに迫る大跳躍然り、超人的な身体能力より発揮される一撃に鈍い音をさせながら信長が落下する。

 信長がグリフォンのギフトを完全にモノにしていたならば空中で踏ん張ることも出来ただろうが、あくまで不完全でしかないそれでは為すがまま吹き飛ばされる。

 

 頭から真っ逆さまに地面に激突かと思いきや、信長は直前で体勢を入れ替えて足を下に向ける。再びグリフォンのギフトを発動。

 ふわりと、完全に勢いを殺して音もなく着地する。

 

 見事な受け流し方だった。

 それに直撃したときの音こそ凄かったが、見たところ拳によるダメージもほとんど見えない。無理に力に逆らわずにいなしたのだろう。

 

「邪魔しないでよ、十六夜」

 

 信長に遅れて地面に下りた十六夜へ声を投げる。

 相変わらず口調は穏やかで、しかしその顔はありありと不満を訴えていた。

 

 ガリガリと十六夜は後頭部を搔く。

 

「落ち着けよ。いま《サウザンドアイズ》――――白夜叉と争いたくねえって黒ウサギが言っただろう? つかこの俺が我慢してんだからお前も我慢しろよ」

 

「聞こえなかった? 邪魔するなって言ったんだよ」

 

 拒絶を露わにする信長の声音は冷えきっていた。始めから問答など求めていないと。

 

 一瞬怪訝に歪んだ十六夜の顔が、見る間に笑みに変わる。好戦的な獣の笑み。

 

「嫌だって言ったら?」

 

「そうだね」

 

 不意に信長が構えを解く。

 

 それに黒ウサギがほっ、と安堵したのも束の間、

 

「なら一緒に死んじゃいなよ」

 

 瞬間的に懐まで踏み込んだ信長の剥き出しの凶刃が十六夜を下から襲う。

 黙っていれば胸を斜めに斬り上げた鋼は、しかし十六夜の右足が押さえ込んでいた。

 

「上等だ。ならやってみな!」

 

 予期せず2人の問題児がぶつかり合う。




>閲覧ありがとうございました!今回はなかなか展開が浮かんでこなくて四苦八苦しておりました。……まあもう一つの作品が事故ってテンションダウンというのもありましたがね。

>知ってましたか皆様!実は五話にして信長君まだまともに戦ってないんですね!びっくり。
てなわけで初の戦闘が次回で、しかも相手が仲間の十六夜っておいおいてな感じですが次回をよろしくお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。