問題児たちが異世界から来るそうですよ? ━魔王を名乗る男━ 作:針鼠
煌焔の都に、『それ』いた。
火竜達のコミュニティ、《サラマンドラ》が統治する都の象徴ともいえる、高くそびえ立つ活火山。その地下深く。深く、深く、深いその場所。
まるで地獄の入り口か、はたまた地獄そのものとも思える暗闇と静寂の世界。常人ならば1時間と保たず精神に異常をきたしかねないその場所に、『それ』はすでに200年もたった独りきり。だが『それ』が精神を崩壊させることはなかった。年月も闇も静寂も孤独も、その程度のことで壊れるほどやわな存在ではなかった。それだけで断言することが出来る。それは――――正真正銘の
しかしそこに居る理由は、決して『それ』が望んだ結果ではなかった。それはこの暗闇に灯りが灯ればすぐにわかったことだろう。幾重もの鎖がその身を貫きながら縛り、頭頂部から顎にかけて白杭が貫通し縫い止められていた。
狂えるほどの世界。執拗なまでの縛鎖。それを200年。
その程度、『それ』にとって至極どうでもいいことだった。
この状況は確かに望んだことではない。しかしだからといって助けを乞うものでもない。
諦観しているわけではない。ただ、本当にどうでもいいと思っていただけなのだ。
いずれ来るべき時がくればこの枷は外れるだろう。その確信が『それ』にはあった。何故なら己はその為の存在なのだから、と。
故にこの200年。身動ぎひとつせずただ目を閉じて眠っていた『それ』だった――――が、その眼が開かれる。闇に灯る赤い光。対になるように等間隔に。それが3組。
『それ』の目だった。『それ』は頭部が3つあった。鱗は無い……が象牙色の肌は岩のようであった。肌以外の体の造形こそまるで人のようだが、そこに生える3つの頭部が『それ』の正体を明らかにしていた。野太い長首を辿れば蜥蜴か鰐のような頭が鎮座している。
純血の龍。箱庭の最強種。その一角が『それ』の正体である。――――いや、
兎に角、長い年月を停止していた三頭龍は頭部をもたげた。その際、肢体を貫いた鎖が与える激痛より、ジャラジャラと耳障りな音に不快感を得た。三頭龍にとってこの戒めはその程度でしかないのだ。
見上げた先は当然の如く暗闇だった。たとえこの完全な闇の中で目が利いたとしても見えたのは冷たい岩盤であっただろう。
しかし三頭龍には見えた。否、感じられた。
戦っている。この上で。地獄の釜の蓋の上で蔓延る有象無象の熱気を。雄叫びをあげ、武器を掲げ。ある者は打算で、ある者は信念を胸に。各々が各々の理由から、宿命から、ぶつかり合い……消えていく。命の灯火が消えていくその様は、生誕祭で吹き消されるロウソクの火より儚くあった。
「――――――」
くぐもった重低音。その音は龍が笑った音だった。
ただ、極めて醜悪だった。極めて邪悪だった。
そしてそれこそが『それ』の在り方だった。
汝、悪であれかし。
それこそが、それだけが三頭龍に願われた。だから、故に、三頭龍は願われるまま、望まれるまま悪であった。人界のあらゆるものより醜悪に、あらゆるものより邪悪で在り続けた。悪すら呑み込む悪。それが三頭龍の在り方だった。
箱庭の黎明期、世界にまだ天と地が生まれたばかりの頃。数多の神仏が蔓延り生まれた秩序。それと丁度対となるように共に生まれた膿。世界の敵。最初の災い。現在では
それこそが、最強種と共に三頭龍が冠する正体。
だからこそそれは想う。願われるままに。望まれるままにそうなった怪物は、まるで祝福するように頭上の者達へ向けて想いを綴った。
――――この世に災い在れ。
――――三千世界に呪い在れ。
終末の顕現者は頭蓋を杭に貫かれていようと構わず笑った。どこまでも醜く。どこまでも邪悪に。
ただ、その顔にはどこか歴戦の英傑達と同じ面影があった。戦場で強者と出会ったときの、歓喜の笑みに。
(――――なんだ?)
三頭龍は、不意にその双眸に怪訝な光を宿した。
三頭龍は言語を持ち合わせない。それは操るだけの知能を持たないのではなく、人々の望む怪物性を高める為、敢えて話さない。まあ、三頭龍以外いないこの場において、人語の有無など問題ではないのだが。
閑話休題。
不意に6つの目に宿った怪訝な光。その理由は頭上で行われている戦い――――正確にはそこにいる者達の中に異物が紛れ込んでいることに気付いたからだ。一際強い力を持つふたつの存在。これはいい。異物はそこからやや離れた位置にいた。
何時の世も、戦場に立つ者は皆何らかの想いを持っている。戦う理由と言い換えてもいい。わかりやすい例は富と名声。俗物であるが故にそのふたつを理由に戦場に立つ者は多い。あとは恩に報いる為の義理や立場故の義務感。肉体を操られていても、精神を侵されていようとも抱く想いは変わらない。ましてや消えやしない。かくいう三頭龍も、己が災いたらんという想いを持っているといえよう。
だが、この異物は違う。なにも感じることが出来ない。生きることに希薄というわけではない。意志の無い人形というわけでもない。気配は間違いなく人間であるはずなのに、それが人間であることが信じられなかった。
そんな存在が俗物な願いを抱いているはずがない。しかしどうしても何も見えてこない。
――――早くおいでよ。
気のせいか。この静寂の世界で声を聞いた気がした。
(まあいい)
高揚していた気分を削がれながら三頭龍は――――アジ=ダカーハは、解封の時を再び瞼を閉じて待つことにした。
アジ=ダカーハは終ぞ気付かなかった。そもそも何故端からそれを異物と断じたのか。そして何故、それを考えるだけで
★
「なにか言った? 信長」
「ううん。なにもー」
耀が尋ねると、信長は相変わらずゆるんだ笑い顏で首を横に振り、再び戦場の街へ目を向けた。
「いやぁ、みんな派手にやってるねー」
「不謹慎だよ」
む、と険しい顔をする耀。信長はごめんごめんと言いながら、しかし態度を改めることはなかった。喜色満面で戦場を見やる。
マクスウェルを撒いた信長達は一度戦場を一望出来る宮殿へ逃れた。戦っている間は他に気を配る余裕が無かったが、気付かぬ内に戦いは大きな変化をみせていた。救援。信長達側の。
信長達がいるところからふたつほど区画を跨いだ先に驚くべきことに大津波が発生していた。焔の都、それも陸続きのこの場所で、建物を呑み込むほど大きな水を生み出せる人物を信長は1人だけ知っている。南の地で出会った隻眼の男。七大妖王の一角を担う仙龍、《覆海大聖》、蛟魔王。
確かちょうどあそこには飛鳥もいたはずだ。あの一帯はもう心配いらない。
しかし変化は良いことばかりではない。時間が、思ったより経過していた。そして戦いは激化する一方。つまり、敵味方問わず被害が目に見えて表れていた。
実際この宮殿からでも決して少なくない屍が見て取れる。先ほど耀が信長に怒ったのはこれが理由である。
信長は悟られぬよう隣の少女を盗み見た。戦場を苦い顔で見つめる耀。それでも取り乱したりしないのは大したものだった。時折聞く彼女の世界を思い浮かべる限り、彼女の世界は信長とは違い争いとは縁遠そうな印象だった。しかし彼女は泣き叫んだり、怒鳴ったりせず、ただただ真っ直ぐ戦場を見つめる。
動揺が見られないわけではない。普段変化の乏しい顔は険しく固まっている。瞳は揺れ、まるで安定剤のように胸にさげた生命の目録をずっと握り締めている。それでも彼女が必死に冷静を保とうとしているのは、戦いがまだ終わっていないことをよくわかっているから。
(やっぱり耀ちゃん達は芯が強いなぁ)
きっとあの津波の下では、もうひとりの仲間である気丈な赤い少女が化生や火竜を叱咤激励でもしているかもしれない。思い浮かべるだけでも口元がゆるむ。
「信長」耀は戦場を見つめたまま「どっちが勝ってると思う?」
信長はうーん、と考える素振りをみせてから答える。
「優勢なのはこっちかな。呪いの件を除けば士気も大分高い。援軍もきたしね」
幾分耀の顔が和らいだ。同じ推測をしていただろうが、口に出して他人に言われてようやく安堵したようだった。
実際信長の言った通り、戦況の優劣をつけるなら間違いなくこちらが優勢であった。それはここから見える巨人の屍の数が物語っている。耀が今こうして平静を保てているのも味方の死者が想像以上に少ないことと、その少ない味方の骸の中に顔なじみの顔がなかったからだろう。もしいればここまで気丈ではいられなかったに違いない。
(どちらにしても、ウィラちゃんより精神面ではずっと強いや)
ウィラはというと、顔面蒼白で耀の服の裾を掴んで震えている。北側最強のプレイヤーといっても得手不得手はあるようだ。
心の内だけでそっとそれぞれの評価を下しつつ、信長は再度戦場へ目を向ける。目を閉じて、静かに空気を吸い込む。
こうしているだけで強い気配をいくつも感じる。信長の場合、これは恩恵や耀のような鋭敏な感覚器官からくるものではないので、曖昧な、例えるなら第六感といえるべきものである。火竜や化生、敵方の巨人達の雄叫び。飛鳥。ペスト。蛟劉。敵の黒竜や操られたサンドラ。他にも南の地で戦ったアウラやリンという名の少女。これだけの強者が跋扈している。彼等の戦場は先のマクスウェルとの戦いと同等、或いはそれ以上だろう。
「……ははっ」
想像しただけで笑いが溢れてしまった。抑えきれない。今すぐにでも目の前の戦場に斬り込みたかった。
信長にとって生とは死だ。死を感じる瞬間こそ、最も強く生を感じる瞬間だと考えるからだ。前の世界ではただ無為に過ぎていく日々に恐怖を――――否、怖れることすら出来なかった。なにも起きず。なにも成らず。自分が果たして生きているのか死んでいるのか。それすらもわからなくなっていた。麻痺していく心は、その通り生きていても死んでいても同じことだっただろう。
そんな信長にとって最も不幸だったのは、彼がその時代の誰より強かったこと――――ではない。最も不幸だったのは、彼がそんな歪な方法でしか正気を保つことが出来なかったことだった。たとえ彼が世界から逸脱した存在であったとしても、普通のことに喜び、怒り、哀しめたのなら、元の世界であってもなんら問題はなかったことだろう。
しかしそうはならなかった。織田 三郎 信長は狂っていた。そしてその歪さを、彼自身がよく理解していた。理解した上で受け入れていたのだった。
信長にとって不幸とも思えるその歪な生き方は、しかしこの瞬間においては最大の幸福に変わる。目の前には死が充満している。己と同等、或いは超える強者達が跋扈している。鬼子ともまで呼ばれ蔑まれた彼にして場違い甚だしい、この箱庭の世界でも至上の存在達が剥き出しの闘争心でぶつかり合い、消えていく戦場。その様はとても――――、
「――――綺麗だ」
純粋な眼差しで、敵味方の差別なく、心からの賛辞を気付けば口にしていた。
不意にズズン、と宮殿が揺れた。否、宮殿ではなく都そのものが揺れたのだ。その証拠に今目の前で区画一帯が崩壊した。比喩でも誇張でもない。区画が丸ごと瓦礫の山と化していた。古参の魔王達までひしめくこの戦場で尚強い気配を持つふたりの激突。間違いないと信長は確信する。あそこで戦っているのは十六夜と、敵方の大将、殿下だ。
「あーあ、また殿下君と戦いたかったなぁ」
信長は切なげに目を細めて、愚痴っぽくこぼす。それは以前、殿下と正面切っての戦いで敗れたから――――だけではない。かつて信長はあそこで戦う両者どちらとも戦った経験がある。だからこそわかる。この戦いの勝者は間違いなく、十六夜であると。
殿下も充分規格外の力を持っていたが、度合いでいえば十六夜がまず上だ。となれば負けてしまう殿下ともう一度戦う機会はもうないかもしれない。だからこそ信長は残念だと肩を落としたのだ。
(いっそ今からあそこに横槍をいれちゃおうっかなー……。あれ? それ凄くいい考えじゃないかな?)
不意に浮かんだ考えに、脳内会議は即時賛成。既決。決まれば疼いた体の赴くままに飛び出そうと手すりに足をかけて、
――――絶望の蓋が開かれる。
信長はピタリと動きを止めた。
★
「なに……これ……?」
信長の行動を首を傾げながら見ていた耀は、突如悪寒に襲われ顔を強張らせる。今にも座り込んでしまいそうなほど震える体をさすることでなんとか宥め、こみ上げる吐き気を必死に堪えた。
ようやく落ち着いてきたところで視線は無意識に空を仰いでいた。それは彼女の鋭敏な五感が、この正体不明の不調の源をすでに捉えていたから。
黒い雲に覆われていた空に突如吹いた突風が切れ間を生んだ。零れる月明かりは、しかし地上に届くことはなかった。何故ならそれを遮る存在がいた。
広げられた漆黒の翼。象牙色の肌。三つ又の首。星の如き輝きを持った赤い瞳。
生物でありながら系統樹を持たない。進化ではなく突如
「嘘……そんな……龍種の、純血……!」
目の前の光景を受け入れたくないというように頭を振るウィラ。その顔色は元々色白な上に拍車をかけて青白くなっていた。
「――――――」
三頭龍が動いた。都を見渡すように三つ首を巡らせて、不意に動きが止まる。漆黒の翼が肥大した。
「――――まずい! ウィラ、信長逃げて!!」
耀とて何が起こるのかわかったわけではない。しかし直感に従ったその言葉はこの場の誰よりも早く危機を察知したものだったが――――それですら遅かった。
翼が一度羽ばたく。たったそれだけ。それだけで空が切り裂かれた。生まれた突風は建物を根刮ぎ浚い、蛟劉の津波も、巨人も火竜も、全てを等しく薙ぎ払った。
「きゃあ!?」
「ウィラ!」
耀達のいた宮殿も例外なく、羽ばたきひとつで崩壊。宙空へと投げ出される。
(風が暴れて上手く掴めない……!)
ウィラを救おうと空中で必死に姿勢を立て直そうとする耀だったが、三頭龍の羽ばたきで風が狂ったように暴れていて上手く身動きが取れない。四苦八苦していた耀の目の前で、ウィラが光にさらわれた。状況を理解するより先に彼女自身もその光に捕まり、気付けばその背に乗せられていた。
『掴まって! 今すぐここから離脱します!』
黄金の山羊。光の正体は飛鳥の新しい恩恵、アルマテイアだった。
「だ、駄目だ! みんなを置いて逃げられない!」
『今の状況を見なさい! あの魔王は本物の最強種! 実力の差がわからないほど未熟ではないでしょう!』
アルマテイアの叱咤に押し黙る。アルマテイアとはまだ出会って間もないが、彼女ほどの神獣が取り乱すぐらいあの龍は危険なのだとわかった。
(それでも……)
再度口を開こうとした耀は、はたと気付く。足りない。この場にいるべきもうひとりの姿が無い。
「信長?」
眼下で崩壊する宮殿に、彼の姿は見つけられなかった。
★
グチャリ、と嫌な音が耳朶をうった。痛みより先に嫌悪感が湧き上がってきて、だがやはりすぐに壮絶な激痛が十六夜の脳を貫いた。
「十六、夜……さん?」
振り向きたくないな、と十六夜は思った。黒ウサギの笑った顔も、怒った顔も好ましいと思っているが、今の顔は見たくないと思った。
「十六夜さん!!」
「くっ……あ、あああああああああああああ!! 黒ウサギを連れて逃げろアルマテイア!!」
せり上がるものを強引に飲み下し、駆けつける直前見つけた仲間へ向けて叫んだ。気配は一瞬で近くなり、背後から悲痛に満ちた言葉がかけられた。
『っ、ご武運を』
「ああ。そいつら頼んだ」
「や、嫌です十六夜さん!」
「駄目だ十六夜!」
黒ウサギと耀の震えた声。その声が遠ざかることで、十六夜はようやく安心して後ろを振り向いた。思った通りアルマテイアの背に乗せられた彼女達はすでに手の届かない距離まで離れている。
「ごめん。旗を取り戻す約束は、果たせそうにない」
口から出たのは十六夜自身驚いたことに謝罪だった。
(そういや、他人に心の底から謝ったのは生まれて初めてだったかも)
我ながらしょうもない人格だと呆れる。ヤハハ、と笑ったつもりが口から出たのは赤い血だった。
腹の傷は完全無欠に致命傷。殴りつけた右の拳は、正直見るのが嫌なほど原型をとどめていなかった。
(勝てない、か)
理屈ではなかった。自分より体の大きい輩は問答無用で叩き潰してきた。自分より年上の奴だって腐るほどねじ伏せてやった。人間、神様、英雄の子孫。つい最近では人類最終試練なんてゲームもクリアした。
しかし、目の前のこれはそれらとは違う。違いすぎる。
作戦があればとか、油断を突こうとか、そういう次元の話ではない。十六夜にとって初めての出会いだった。自分なんかとはあまりにも格が違いすぎる。
十六夜はそれに名を問うた。少しでも時間稼ぎをしたかったのもある。だがそれ以上にそいつを知りたかった。
三頭龍は名乗る。本来怪物に人語を操る意味は無いと前置きながら、しかし龍もまた高揚していたのか高らかに名乗った。我こそは災厄である。我こそは悪である。我こそは世界の敵である、と。
《拝火教》神群が一柱、アジ=ダカーハ。箱庭第三桁の、魔王。
『いざ来たれ、幾百年振りの英傑よ! 死力を尽くせ! 知謀を尽くせ! 蛮勇を尽くし、我が胸を貫く光輝の剣となってみせよ!』
時間稼ぎもそこまでだった。戦いは一方的。紙一重で躱した凶爪に煽られて転倒する。恥も外聞もないと背を向けて逃げるも撃ち落とされる。挙句には憐れみの言葉すら吐き捨てられた。
十六夜は過去に2度最強種と戦ったことがある。星霊アルゴール。それと巨龍。しかしそのどちらも完全な状態ではなかった。アルゴールは使い手の未熟さから大幅に弱体化し、巨龍は暴走状態でただ暴れていただけだった。
しかし今目の前にいるアジ=ダカーハは違う。十六夜以上の肉体と知性を備えた真の箱庭最強種たる力を発揮していた。
――――だからといって、
『ほう』
震える膝を叩いて言うことを聞かせる。みっともなく血混じりの唾液を垂れ流そうと、構わず笑ってみせた。
「舐めんなよ駄蜥蜴……。もう少し付き合ってもらうぜ?」
だからといって、見下されて黙ってられるほど逆廻 十六夜という人間は大人しい性格をしちゃいない。
『………………』
星のような輝きを持つ6つの瞳が十六夜を睨めつけた。すると白杭に貫かれた爬虫類の顔が器用に笑う。
『なるほど。どうやら貴様は暴力だけでは折れんらしい』
ならばと、アジ=ダカーハは自身の肩をその爪で抉った。気でも触れたかのような突然の行動に十六夜はしばし無防備に呆然としてしまうが、変化は直後に起こった。バタバタと肩口から噴出した三頭龍の血がかかった部分が不気味に蠢き始めたのだ。大木が、岩石が、溶岩が大地が姿を変えて、瞬く間にそれは3体の双頭龍となった。
十六夜は以前聞かされた話を思い出す。《アンダーウッド》が殿下達に襲われたとき、白夜叉が戦ったという分身体がいたという。驚くべきことに目の前の3体全てが神霊に近しい力を持っていた。
そして同時に何故アジ=ダカーハがこのタイミングで分身を生んだのか。
「まさか……」
『山羊を1匹。人間の雌を2匹逃した。――――追って殺せ』
冷酷な死刑宣告。双頭龍達は本体の命に従って飛び立つ。アルマテイアの逃げた方向へ。
「クソッタレ……!」
『さあどうする人間よ。これで時間稼ぎをする意味などなくなった』
怒りで痛みを無理矢理忘れて駆け出そうとした十六夜の目の前にアジ=ダカーハが立ちはだかる。逃がす気など毛頭無いのだと。
十六夜とてこのまま泣き寝入りするつもりはない。分身体といえど今の仲間達ではあれは手に負えない。なんとしてでもここを突破して、アルマテイアを追う龍達を倒す。
温存していた左拳を握る。一撃。一瞬でいい。左腕を犠牲にしてでもアジ=ダカーハの動きを止めてここを抜ける。
覚悟を決めて足に力を溜めていた十六夜は――――直後アジ=ダカーハがギロリと視線を上へ向けるまで気付かなかった。
「フン」
つまらなそうに払った腕。弾いたのは1本の矢だった。
「いやぁ、瓦礫に挟まれたときは死ぬかと思った」
時間差で着地したのは道着姿の少年だった。緊迫した場をぶち壊す間延びした口調は相変わらずで、しかしだからこそ十六夜の口元に初めて、僅かながら余裕の笑みが浮かんだ。
「信長」
織田 信長。戦場に現れた少年の名。
飛鳥や耀では駄目だった。無論、黒ウサギやジンでも。しかし信長ならば、この絶望的な状況を打破出来る可能性がある。
「信長、よく聞け。春日部と黒ウサギをアイツの分身体が追ってる。俺があの駄蜥蜴の相手をする。その間にお前は黒ウサギ達を追った分身体を――――」
時間がないと、口早に信長に指示を伝えようとする十六夜は信長の肩に手を置いて、直後腹部を襲った衝撃にもんどり打って倒れる。
「があ……!! ッッ!??」
瓦礫を破砕しながらようやく止まると、今度は例えようもない激痛がせり上がってきた。腹部を押さえると湿った感触が返ってきた。自身の状態を確認するのも大事だが、今はそれをおしてでも口を開かねばならない。
「な、に……しやがる。信長――――っ!!」
今し方十六夜を蹴りつけた左足がゆっくり下ろされる。憤怒の顔で睨みつける十六夜を、信長は微笑で切り捨てた。
「邪魔」
それきり、十六夜へ背を向ける。手元の大弓はいつの間にか大刀に戻っており、両の手で柄を握ると切っ先をアジ=ダカーハへと向けた。三頭龍を前にしてなお、信長に気負いはなかった。
アジ=ダカーハはその様子を黙って見続けていた。不意をうつ瞬間はいつでもあったのに。
『仲間ではなかったのか?』
「友達だよ。でも、それとこれとは別だからね。足手まといはいらない」
信長の発言に反論の声をあげようとする十六夜だったが、せり上がってきたのは血塊だった。
『どちらでも構わん。どちらにせよ結果は変わらない』
「違うよ。こっちの方が僕が
三頭龍から笑みが消えた。浮かび上がる感情は不快。怒り。プレッシャーが格段に上がる。
それに対して信長は怖れるどころか酷薄な笑みを深く、鋭く研いだ。
「よかった。ようやく僕を見てくれたみたいで」
重心を下げる。間合いは、すでに一足で飛び掛れる。
「織田 三郎 信長。推して参る」
閲覧、感想ありがとうございますー。
>お仕事の方も学生の方もお休みの方もお疲れ様です。
いやはや、最近は亀更新に拍車がかかって申し訳ありませんです。1話更新に約一ヶ月。一体どんな大作でも書いてんだ、ってもんですよね。すみませんたかが一万字程度の駄文でござりまする。
>ようやく信長君とアジさんの出会い。この運命の出会いから彼等は徐々にその心の距離を縮めて……てなそんなぶっ飛んだお話はもちろんありません。バトル突入です。
>これからの展開どうしようかなぁ、と考えながら、明日……てか今日もお仕事いってまいります!ああ、ゆっくりあとがき書きたい。割りと好きなのに。