問題児たちが異世界から来るそうですよ? ━魔王を名乗る男━ 作:針鼠
「お引き取り下さい」
「店員さんは相変わらず綺麗だねえ」
会話にならない。怒りのあまり店員はこめかみをひくつかせた。
いつものように店先で掃除をしていたところにふらりと現れた人物に対して、彼女が露わにしたのは明確な敵意であった。普段から愛想が足りないと主人に嘆かれるし、彼女自身、自分がこうした接客に向かない性格をしているのは自覚している。
しかし、今目の前に現れた人物に対してだけは、普段の無愛想とも違った。それは最早大袈裟ではなく殺気。
彼女にとってこの男は――――織田 信長は、客などではない確かな『敵』であるのだから。根拠ならある。彼の名前だ。
織田 信長。
箱庭ではそれなりに知られている名である。人間でありながらこの箱庭に過去三度に渡り召喚され、その全てで魔王となった生粋にして救われない異端者。
彼女が信長に初めて会ったときも、このあどけない顔で笑む少年に言い知れない危険性を感じ取った。働く店の特性上、様々な神仏や悪魔などと会う機会のある彼女だが、信長はそのどれとも違う寒気とどうしようもない嫌悪を掻き立てた。いつも以上に素っ気なく追い返そうとしたのもそれが原因だったと今ならわかる。
信長は、いつか間違いなくこの箱庭の害となる。それはつまり、彼女の主人たる白夜叉が願う箱庭の存続とは反する要因だ。
だというのに、白夜叉はどうしてか彼を気に入っている。自分にすらわかることを白夜叉ほどの者が気付けないはずはないのに。ただ、それでも彼女は、信長を白夜叉に会わせるのが嫌だった。
「ねえねえ、店員さんってなんて名前なの?」
こちらが敵意を剥き出しにしているというのにどうしてこう馴れ馴れしく近付いてくるのか。気付けないほど鈍感なのか。――――否、この男は気付いた上でこうなのだ。向けられた敵意をも心地良いと敢えて近付いてくるのだ。
異常だ。変態だ。ますますもって気に入らない。
「答える義務はありますか? 例えあっても答えたくありませんが。――――お帰り下さい」
「えー……じゃあ僕はなんて呼べばいいの? 可愛い店員さん?」
信長はひとつ頷いて、
「それもそれでいいけど」
「話しかけてこなければ問題ないかと。顔も見なければ尚良いですね」
徹頭徹尾、噛みあうはずがなかった。
「やっふぉおおおおおおお!」
いい加減、店員の堪忍袋が暴発寸前で、そろそろ薙刀を抜きかけたそのとき、店の2階から奇声と共に飛び出す小さな影。空中で二回捻りをくわえた見事な技を魅せて着地した。
白髪の美少女。彼女こそがこの店の主であり、箱庭下層にて最強と謳われる者――――白夜叉。
「ようやく来おったか。待ちくたびれたぞ」
「こんにちは、白ちゃん。相変わらず可愛いね」
「かっかっ、もっと褒めていいぞ!」
無い胸を張って鼻高々といった主人と、やんややんやと囃し立てる信長。
隠し切れない疲労のため息を店員はつくのだった。
「ん?」白夜叉はなにかに気付いたのか辺りを見渡して「なんだ、おんしひとりか?」
「?」
「――――白夜叉様」
白夜叉の言葉の意味を掴めず首を傾げる信長。
店員は努めてそれを視界の外に追いやり、口を開けば残念過ぎるセクハラ上司へ尖らせた唇で言葉を注意を飛ばす。
「窓から飛び出すのはおやめ下さいと再三申し上げたはずですが」
「すまんすまん。――――で、信長ひとりなのか?」
「うん? 呼ばれてたのって僕だけじゃなかったっけ?」
「ああ――――っておんし、それはペルセウスとのゲームのすぐ後だろう。一体あれから何日経ったと思っておるのだ」
白夜叉ほどの者に呼ばれたとなればどんな用事を差し置いても出向くのが道理である。箱庭における彼女の地位を考えれば当然だ。
それを、大した用事も無いのにすっぽかしたも同然で放置していた信長の方が異常なのである。
幸い、白夜叉は己に対する無礼ならば大抵は笑って済ませる。現に今も、信長の呑気さに呆れこそすれ怒りは見えない。むしろ怒っているのは主人を蔑ろにされたと思った店員だ。
「ごめんごめん」
「まったく。私の呼び出しをすっぽかす輩なぞ下層はおろか中層にもいないというのに……」
『まあいい』とやはり白夜叉はあっさり流す。
「中に入れ。他の者もぼちぼちと来るだろう」
「お邪魔しまーす」
主人が招き入れた以上、最早どうしようもない店員は不承不承と頭を下げる。だが、その鋭い視線は最後まで和装の少年の背中に突き刺さり、彼もまたそれに気付いた上で微笑むのだった。
★
「あー……畳の匂いは落ち着くなぁ」
通された部屋は以前と同じ和室。白夜叉の好む趣味はどうやら信長の世界のものと非常に近いらしく、普段から着ている着物を始め、この客間にも信長にとって見慣れたものが多い。
逆にノーネームの館は基本的に西洋式で、目新しいもの好きな信長もそれはそれで気に入っているが、やはり落ち着くのはこちらだろう。今も普段着を和服にしているのもそれが理由だ。
出された緑茶――――嫌々そうに店員の女性が持ってきた――――を口にする。するとクツクツと笑う声があった。
「いやいやすまん。やはり絵になるなと思っただけだ」
上座に、肘掛けに寄りかかって座っている白夜叉は喉を鳴らして笑った。
「北の生誕祭の招待状は読んだか?」
「うん! ありがとう。みんなすっごく喜んでたよ!」
『みんな』というのがはたしてノーネーム全員であるかといえば甚だ疑問であり、ここに黒ウサギがいれば腕で大きくバッテンを作って『NO!!』と叫んだことだろう。
「そうかそうかそれは良かった。だがまあ、北のことは皆が来てからにするとして――――おんしを呼んだのは先日のゲームの報酬を与えようと思ったからだ」
白夜叉の言うゲームというのは、以前彼女と信長、二人の間で行われたひとつのゲームのことである。契約書類も交わさない、故に箱庭の履歴にも残らない。互いの信用だけを条件にひっそりと執り行われたものであった。
ルールといえば、ただ賽子二個転がして、出た目が偶数か奇数かを予想するだけの単純なもの。結果は白夜叉が外し、信長が当てた。
白夜叉はそのときの報酬を与えようと言っていた。しかし勝者である信長は腑に落ちないような、不思議そうに首を傾げていた。
「報酬ならもう貰ってるよ? 耀ちゃんの治療してもらった。それに美味しいお茶菓子も貰ったしね」
「そうはいかん。それぐらいではおんしが賭けたモノには到底釣り合わん」
あのとき信長が賭けたものは自身の命。しかも、対戦相手である白夜叉には何も求めない無償の対価として、だ。
信長にしてみれば白夜叉と戦うことそれ自体に意味があり、勝敗そのもの、ましてや報酬などに興味は無いのだろう。
そのことに充分気付いている白夜叉だが、それで良しとするのは彼女の矜持に関わる。
「へえ、嬉しいね。たかが『名無し』の小僧の命に、随分高い値を付けてくれるんだ」
「正当な評価だと思っとるよ」
わざわざ自分を貶めるように『名無し』と名乗った信長に対して、白夜叉は驚くほどあっさり信長を認める発言をする。それには信長の方が虚をつかれたようにぽかんとした顔をする。
してやったりとばかりに、白夜叉は口端をつりあげた。
「それともなにか? おんしにとって私からの勝利とはその程度でしかないのか? 私はそれくらいの価値なのか?」
それには信長も苦笑と共に肩を竦めた。
「そう言われたら受け取らないわけにはいかないね」
「おう。それでよい」
カッカッと扇を仰いで笑う白夜叉。はたして、これではどちらが勝者なのかわからなかった。
満足気な顔で白夜叉が柏手をひとつ叩くと虚空から木箱が出現する。木箱はゆるゆると下降すると信長の前に置かれた。
信長が窺うと、白夜叉は頷く。どうやらこれがゲームクリアの報酬らしい。両手で蓋の両端を挟んで持ち上げた。
木箱の中身は一着の道着だった。白夜叉に促されて信長は道着を手にすると、
「わぁ」
思わず声が漏れた。
驚いたのはまず軽さだ。厚そうな生地なのにまるで重さを感じない。それに柔らかい。よく伸び縮みするので着てもほとんど動きを阻害しないだろう。
上は白。下は黒の袴と帯。見た目は今信長が着ているものと同じようだが中身はまるで違う。
「凄い! 凄いよ白ちゃん!」
「無論」
一瞬で虜にされた信長に自慢気に胸を張る白夜叉。
「デザインはおんしのものに合わせた。だがなんといっても凄いのはその素材だ」
「素材?」
「元々は一柱の気紛れな神がしでかしたことだった。何の変哲もない一枚の布に獅子が噛み付いても破けないほど丈夫になる恩恵を与えた。それを面白がった他の神が耐火の恩恵を、また別の神がならばと耐氷の恩恵を!!」
暇な神々は面白がった。耐暑の恩恵を与えれば、今度は耐寒の恩恵。斬撃に刺突に強い恩恵を。
「そして遂に完成した。あらゆる環境に対応し、どんな場所でも快適に過ごすことの出来る神秘の結晶たる布が! だけど、着物は洗うのが大変よねー……とお思いの貴方!」
なんかノッてきたらしい。
「ご安心めされよ! これはどんな汚れも水洗いだけであら不思議。醤油の染みも残らずサッと綺麗に! しかも速乾性に優れているから一度パッと振るだけでもう乾いているという優れものなのだああああ!!」
もうなんかこれから電話番号とか言い出しそうな勢いだった白夜叉だったが、一息に喋りすぎて限界だったらしい。ぜえぜえと息を乱して、しかしやりきったとばかりに笑っている。
一方で信長は『おーすごーい』と言いながらパチパチと拍手をしている。正直所々理解出来なかったが水をさすのは悪いと彼なりに空気を読んでみた。
乱れた息を整えた白夜叉は、まだ陶酔気味でにやけた口元を扇で隠した。
「本来なら着物のどこかにコミュニティのシンボルか名を記すのだが、今のおんしらなら
「………………」
無地の道着を見つめる信長。
確かに、現在何もかもを失っているノーネームならば無地というのはある意味シンボルとなる。
「ねえ、白ちゃん」
「ん?」
「入れて欲しい言葉があるんだけど」
その後、北への交通手段を探して途方に暮れていた十六夜達がサウザンド・アイズにやってきた。それを出迎える白夜叉と信長。貰ったばかりの道着に袖を通して現れた信長の背には四字が刻まれていた。
――――天下布武。
意味は、己が武を以って天下を奪る。
この瞬間、彼はこの箱庭に住まう全ての者に喧嘩を売った。
★
「これで北に着いたぞ」
北までの距離、実に九十八万キロという途方も無い数字に困り果てて足を運んだ十六夜達。目当ての和服少女が現れるのは当然として、そこに仲間の姿に多少なり驚いたのも束の間、さらに驚かされることになった。
柏手ひとつ。
白夜叉が一度手を打った。ただそれだけですでにここは北の地だと彼女は言う。
場所は店内。疑い半分……というか疑いしか無い子供達の視線に、意地悪そうに微笑を浮かべた少女は外を見るよう促した。
言われるまま扉を開けると、
「――――ぁ」
誰とも知れぬ声が漏れた。
外への扉を開けた途端頬を打つ熱風。最初に目についたのは天をも分かつほど高く聳え立つ赤い壁。北と東を分かつ壁だと教えられ、ならばあの壁も途方も無い距離まで続いているのかと思うと、一度は登ってみたいと子供心に信長は思った。
赤壁の天辺から視線を下ろせば、数多のランプの光が溢れる橙色の街が広がっていた。
炎と硝子。
黄昏に染まる街は筆舌に尽くしがたい美しさをもっていた。
ノーネームが本拠とする東とは生活様式が違うとは聞いていた。――――が、信長が考える国の括りとこの箱庭ではまるで違うのだと改めて思い知らされた。最早これは別世界だ。
「今すぐ下りましょう! あの歩廊に行ってみたいわ!」
「あは。飛鳥ちゃん、子供みたい」
それは信長だけが抱く感想ではなかったらしい。
いつも以上に瞳を輝かせた飛鳥の横顔は恋する少女のように赤らんで見えた。
育ちの違いか、問題児と呼ばれながら仲間の中では最も礼節を重んじ、常に淑やかさを心掛けている彼女はそんなことを忘れてしまうくらい興奮しきっていた。歳相応の無邪気な様子は見ていて実に可愛らしい。
「ふ、ふふ、フフフフ……」
そこへいつの間にか降臨した緋色髪の黒ウサギ。
「ようぉぉぉぉやく見つけたのですよ、問題児様方!!」
「逃げるぞ」
「逃がすか!」
いち早く黒ウサギの接近に気付いていたのは三人。内ひとりである十六夜は未だ舞い上がっている飛鳥を抱き抱えて宙に身を投げる。遅れて耀。ほぼ同時に黒ウサギが跳んだ。
「おんしは逃げんのか?」
黒ウサギに気付いていた他二人。白夜叉は同様に気付いていながら一切逃げる素振りを見せなかった信長へ質問する。
「これ以上苛めて、黒ウサちゃんに嫌われるのは嫌だからね」
元より本気で逃げるつもりもなかったのだ。からかうのはここらが頃合いだろうと判断した。
退くことを知らない十六夜は一体どこまで逃げるのだろうか、などともう他人事のように考えている信長。表情からそれを察した白夜叉は相変わらずなものだと苦笑する。
さて、信長を除いた問題児と黒ウサギの追いかけっこ。少々壊れ気味だった黒ウサギの執念が実ったのか、一瞬跳ぶのが十六夜より遅かった耀の足に黒ウサギの手が届いた。
「ふ、フハハハハハハ!!」
少々どころかなんか『魔王モード』みたいになってしまった黒ウサギは、着地と同時に耀のことを振り回して信長と白夜叉に向けて投擲した。
その意図を察した信長が前に出るなり両の腕を大きく広げた。
「耀ちゃん! 安心して僕の胸に飛び込んで――――ぶふぉっっ!!?」
類稀なる身体能力の賜か、はたまた野生の本能が危険を察知したが故の火事場の底力というやつか。空中で体勢を立て直した耀は膝を抱えて三回転してから両の足をピンと揃えて突き出した。はたして、彗星の如き速度で揃えたつま先は信長の腹部に突き刺さる。
体をくの字に折って吹き飛ぶ信長。
耀はというと、信長を蹴りつけることで見事に速度を殺すと、もう一度宙返りして地面へ着地した。両の手は天を向いていた。
「ふふん」
ちょっと自慢気だ。
「………………」
痙攣してうずくまっている信長と悦に入っている耀。両者を眺めて、白夜叉は口を開く。
「とりあえずおんしら中に入れ。茶と菓子くらい出すぞ」
「いただきます」
シュバッ、と続く耀。信長からの返事がなかったが、そんなことを気にするふたりでもなかった。
★
「この和菓子美味しいねえ」
「ズルい。信長、それ私よりひとつ多く食べた」
「おかわりくらい出してやるから喧嘩するな……」
忙しく菓子を頬張る童子ふたりに微笑ましげに口元を緩ませる白夜叉。
しかしその表情がやや曇る。
「なるほど。あの鬼事はそういう経緯であったか」
茶を出しついでにふたりから事情を聞いた白夜叉は、パチンと扇を閉じる。
「だが脱退とは穏やかではないのぉ。少し悪質過ぎるとは思わなかったか?」
「う……」
尋ねられた耀が菓子を喉にでも詰まらせたような反応をして、バツが悪そうに顔を逸らす。彼女とて、最初こそ隠し事をされていたことに怒ったのは事実だが、時間が経ち冷静になるにつれ、また追ってくる黒ウサギの必死な姿を見せつけられて、少しやり過ぎたのではないかと自覚していたところの指摘だった。
「で、でも黒ウサギ達も悪い。お金が無いって最初から言ってくれれば私達だってこんな強行な方法は取らなかった!」
だが、自覚していても突いて出たのは反論だった。泰然としていても彼女だってまだ子供なのだ。
そして白夜叉は、それがわからないほど見た目と違って子供ではない。
「普段の行いが裏目に出たとは思わんのか?」
「そ、れは……そう……だけど」
らしくない真面目に諌める白夜叉に、さしもの耀も反論出来ず俯いてしまう。
コミュニティの救世主だ神格級のギフト保持者なんだと持て囃されようと、彼女の精神面はまだまだ子供だ。調子に乗りすぎてしまっただけとはいえ、己の罪をすぐに認めるには未だ幼いのだろう。
――――が、いつまでも意固地になるほど幼くもなく、最後には己の非を認めることの出来る聡い子だとも、白夜叉は信じている。
(――――だというのに、こいつときたら)
少女の葛藤を、珍しく神らしい態度で見守っている一方で、彼女はもうひとりの少年を見て呆れ返った。
「あぁ……お茶が美味しい」
信長は罪の意識など砂粒ほども感じていなかった。この少年の場合、耀と違ってその場の感情に流されてやり過ぎてしまったとか、或いは意地になって謝れないとかそういうのでは無い。
ある意味で信長の精神は耀達よりずっと成熟しきっている。生きてきた時代か、或いは環境の影響なのか。彼はずっと大人の対応というのを理解している。ただ、理解しているだけでその気は無いだけだ。
耀達が突っ走って脱退を仄めかしたときも初めからこうなることがわかっていた。わかっていながらそれに乗っかり、されど黒ウサギの負担にならないギリギリを見計らってお終いにする。
それどころか今は葛藤している耀を見てニヤニヤしている。どうせ苦悩している姿も可愛いとか思ってるに違いない。タチが悪いたらない。
「そういえば、大きなゲームがあるんだっけ?」
信長がさも思いついたように尋ねてくる。その真意は図れないが、白夜叉は乗ってやることにした。そも、その話の為に耀をここに呼んだのだ。
「おおとも。おんしには是非参加してもらいたいものがある」
「私?」
耀は首を傾ぐ。
白夜叉は袖から一枚の羊皮紙を取り出す。
それを耀と信長はふたりで覗き込む。
「造物主の決闘?」
「生命の目録のような創作系のギフトでもって行われるギフトゲームだ。展示会でもよかったが、そちらはもう期限が過ぎておってな。まあ、たとえ力試しのゲームでもそのギフトなら充分勝ち抜けると思うのだが……」
随分と長い間、食い入る様に羊皮紙を見つめる耀。
やがて、顔をあげた少女の真っ直ぐな瞳が白夜叉へ向く。
「ねえ白夜叉」声には不安が見え隠れしていた「優勝したその恩恵で、黒ウサギと仲直り出来る……かな?」
そう問われて、目を丸くしていた白夜叉はふっ、と微笑む。その笑顔は慈愛に満ちていた。
「出来るとも。おんしにそのつもりがあるのなら」
本当は、黒ウサギならばそんなことしなくても許してくれると知っている。彼女がとても優しい兎だというのは、昔から見ていて充分にわかっていることだからだ。
だがそれを白夜叉が伝えたところで、目の前の少女の幼い顔に浮かぶ不安と罪悪感が本当の意味で消えることはないだろう。下手をすれば負い目に思いかねない。
黒ウサギは間違いなく許す。わかりきった結末だが、耀が己の暗い部分に向き合い、そこから一歩前に踏み出そうとしているならば、白夜叉はそれを見守ろうと思った。
きっとそれは彼女達の絆が一層深まることに繋がるという確信があるから。彼女達の優しさと強さを信じて。
「うん。なら出場する」
願わくばこの少女により一層の幸福あれ、と思いながら白夜叉の意識は隣の少年へと向いた。
「――――おんしはどうする?」
「僕?」
まるで他人事とばかりに聞いていたらしい彼は首を傾ぐ。
「おんしらの宝物庫には生命の目録とまではいかなくとも上級の創作系ギフトとてあるだろうよ。それに大会にはサポートも認められている。選手としてでなく耀の補佐として出場してもいい」
かつて栄華を誇ったノーネームの宝物庫には未だ数多くのギフトが眠っている。その大半に使い手がおらず、正しく宝の持ち腐れとなっている。だが信長ほどの力の持ち主ならば、それらを使える可能性は充分にある。
また、造物主の決闘参加者には一名だけ補佐が認められる。別に連れてこなくても良いのだが、大会で上位を目指す者ならばまずパートナーを連れてくるだろう。
白夜叉から見て、信長と耀の相性はそう悪く無いと思う。戦い方こそやや近接に寄ってしまうが、実質万能型の耀と視野の広い信長ならば、射程外から一方的な攻撃を浴びせられるか、或いはよほど格上の相手でなければ優勝の目も僅かながら出てくるかもしれない。そんな期待すら抱いてしまう。
だが、返ってきた反応は予想と違い煮え切らないものだった。
「楽しそうではあるけどねえ」
「てっきり二つ返事かと思ったが」
『うーん』と悩む素振りを見せる信長。――――否、悩んでいるのではなく信長は耀を窺っていた。
「耀ちゃんが僕のこと必要だっていうなら」
それに対して、しばし考え込んでいた耀は信長に向き直ると、小ぶりな頭を横に振った。
「ごめん。このゲームはひとりで戦いたい」
「そっか。頑張って!」
断ったことに対する悲痛を見せる耀。
対照的に、さして気にした様子もなくむしろその答えを予想していたように労いの言葉をかける信長。そんな彼の目が今まで見たことないほど優しく細められる。
「でもね耀ちゃん。これだけは覚えておいて? 僕は耀ちゃんのことが大好きだよ」
今まで見たことない表情で、面と向かって『好き』などと言われた耀は顔を沸騰させて目をぐるぐる回した。これがいつものおちゃらけた雰囲気で言ったならばいつも通り受け流せていただろうが。
思わぬ展開に出歯亀根性丸出しでニヤリと笑っていた白夜叉だったが、白夜叉の存在も、耀の反応もまるで気にした様子はなく信長は続ける。
「だから君がひとりで頑張りたいって言うなら全力で応援する。でもね、辛い時は辛いって言って? 無理だって思ったら頼って。僕も、ノーネームのみんなも耀ちゃんの味方だから。どんなに傷付いたって一緒に笑っていたいと思う――――友達だから」
耀は耐え切れず顔を俯かせた。
初めてだった。動物達以外でこんな言葉をかけてくれる人はいなかった。それが今は沢山の友達が出来た。それだけでも、この箱庭にやってきて良かった。心からそう思える。
「やはり主達はすでにこちらにいたか」
「レティシア……」
かけられた声に振り返ると、影のような翼で飛翔するレティシアがいた。
翼で空を叩き、ゆっくりと大地に足をつける。レティシアは白夜叉に向き直ると深々と頭を下げた。
「白夜叉殿、先日の一件では多大なご迷惑をかけました」
「よい。私とて大したことは出来なかった」
かつてレティシアが《ペルセウス》によって商品として売り飛ばされようとしていた頃、ノーネームが十六夜達の召喚を期に復活したと聞いて逃げ出す手引をしたのが白夜叉だった。
ちなみに、《ペルセウス》とのゲームを経て無事ノーネームへと帰った彼女の役職はメイドである。今も可憐なメイド服を纏っている。
「十六夜と飛鳥がいない、か。黒ウサギもいないところを見るにまだ逃走中か」
はぁ、とため息をつくレティシア。耀は居心地悪くそっぽを向き、白夜叉は苦笑する。そんな中、手を挙げたのは信長だった。
「案内しようか? 大体の方角はわかるよー」
「信長、裏切るの?」
むっ、と眉根を寄せる耀へ信長はコロコロ笑う。
「僕は昔から困ってる女の子がいると放って置けないんだよ」
「……馬鹿」
「――――なら、頼めるかな。信長」
今回の追いかけっこを仕掛けてきた張本人からの申し出に、しかしレティシアは疑い無く微笑だけで受け入れた。あくが強くとも純粋な主達の中でも、とりわけこの少年だけは元より真意が読み難い。考えるだけ無駄だというものだ。
「じゃあ耀ちゃん、
走り去っていく信長の背を見送る耀は、確かに笑った。
閲覧どうもありがとうございます。
それと気付いたらとんでもないぐらいの数のお気に入りやら評価やら感想やらに感謝を通り越して戦々恐々。ニヤニヤしながら有難く拝見してます。ありがとうございます!
>ちょっとフラグっぽかったですね。そんなつもりはなかったのですが。
小説って書いてるときは半ば酔ってるから気にならないけど、改めて読んでると赤面しそうなセリフあったりしますよね。大好き発言とかいやっほーですよ(意味がわからんほど恥ずかしいの略)