太閤立志伝ベースの話   作:T・S・R

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この作品の前に作っていた物
久しぶりに見たら結構長かったので消すのも勿体無いと思い投稿
なので途中で終わってるが続きは無い
当然本編の続きじゃないし絡みも無いが共通する所はある

例の如くクレームやらアドバイスは一切受け付けません



ぷろとたいぷ

1560年5月4日

天気 大雨

場所 田楽狭間

 

荒れ狂う怒号、舞い散る血飛沫、狂ったように刀槍を振るうアホ共

そいつらを尻目に俺達は今川の本陣裏手の草むらの中に身を潜めていた

 

「いいかテメーら、生きて帰りたきゃ俺の言うとおりにしろ。

三人一組で俺の後ろと左右にそれぞれ陣取って着いて来い。近づく敵は殺る必要はねぇ、

俺に近づけなきゃいい。その間に俺が義元を殺る」

 

組頭である俺の後ろには9枚の弾除k…愛すべき家来である足軽共がいる

揃いも揃って不安と恐怖が混じった顔をしている

 

「あ、あの…大将?」

「あん?」

「お、俺達生きて帰れるんでしょうか?」

「心配すんな、俺についてくりゃ死なねーよ(多分)」

「え?」

「よし、頃合だな」

 

良い具合に本陣内が乱れてきた、そろそろ行こう。

決して話を打ち切ったわけではない。

 

腰の刀を抜き、本陣に向けて走る。

弾除け(足軽)達は以外にも全員付いてきた。

あんだけビビッてたから逃げ出すかと思ってたんだがな。

 

今までとは逆の方向からの襲撃に今川連中は混乱した。

が、さすが本陣の連中は精鋭、すぐに対応しようと行動を起こす。

山賊なら囲まれても37564だが、さすがに手間取る。

しかし一応弾除け連中が機能しているので前方の敵兵のみ片っ端から斬りまくる

 

豪雨と暗闇で視界最悪の中、ひたすらに義元を探す。

 

―――――居た

 

烏帽子に鎧のデブとか分かり易い事この上ないな

 

「織田信長小姓、服部小平太参上!義元公、お覚「手が滑ったー!」ごぅっ!?」

 

義元の近くにいた今川兵の顔面に飛び蹴りをかました。

今川兵は白目剥いて気絶した

義元は目の前で起きた事が理解できないのか、困惑しながら倒れた今川兵と俺を交互に見比べている

さぁて、と

両手をぼきぼき鳴らしながら義元に近づく。

 

「こ、この下郎が!わしを誰と心得るかっ!駿遠三のいま「いいから首よこせや」ぎゃがっ!?」

 

なんかぐだぐだ言う義元に一気に近づき、首を刎ねた

 

 

 

 

 

 

「良くやった藤倉とやら!褒美に銭100貫と足軽大将の身分をくれてやろう!」

「は、ありがたき幸せ」

 

首実検を終え、100貫が入った袋を片手で遊ばせながら鉄砲玉達の所に行く。

清洲城は歓喜の声で溢れていた。

 

弾除け達は火を囲んで他の足軽共と騒いでいた。

輪の中心に居るがその表情は喜びより困惑の方が強く見える。

夢じゃないかと疑っているんだろう。

近づいていくと一人が俺の存在に気づいた。

丁度良いのでそいつに袋を投げ渡す。

 

「今回の褒美で貰った銭だ、お前らで公平に分けろ」

 

弾除け達は戸惑いながら袋の口を開け、愕然としていた。

用も無くなったのでさっさと長屋に帰る。

 

戸を開けると暗闇に人の気配がした

 

「この度はおめでとう御座います」

「予定通りだよ、それより頼んだ件は?」

「腕の立つ者を派遣したとの事です。何かあればすぐに知らせが来るかと」

「分かった、これ持ってけ。今回の報酬だ」

「既に頂いておりますが」

「正確さと速さが見事だったからな、その分だ。これからも期待させてもらう」

「は、ありがとうございまする」

 

その言葉を最後に気配は消えた。

鞘から刀を抜く

義元が持っていた刀

名を宗三左文字

殺った後に拾ギっておいた

これで数打ちともオサラバだな

 

さて、寝よ

 

 

 

 

1559年1月1日

藤倉 ジン

年齢12 浪人(無職w)

所持金50貫

名声0

 

能力値

統率89

武力92

政務74

智謀88

魅力100

技能→0(無能w)

 

現在地 京

桶狭間まであと1年か…

取りあえず交易で稼ぐか

交易品転がしてりゃカモも寄ってくる。それも狩りゃ元手はすぐ増えるな

年齢は…まぁ俺以外は正確に分かる訳ねーんだし、一度登場しちまえば9歳とかでも

普通に髭はえてるしだいじょぶだろ

 

早速京の座で茶を買って堺に向かう道中、いきなりカモが釣れた。

 

「おうガキ、死にたくなけりゃ有り金ぜん「オラぁ!」びゅ!!」

 

予想よりも随分はえーな

俺にとっちゃ良いことだが

早速なんかほざいてた奴の顔面に蹴りをかまして倒す。

そのまま鳩尾を踏みつけ、喉元に刀を突きつける。

 

「死にたくなけりゃ金目の物全部置いて5秒以内に消えろ」

 

4人か…素槍くらいは落とすか?

 

「この…糞餓鬼ッ!かまわねぇ、ブッ殺せ!!」

 

山賊頭っぽいのが叫ぶと二人がぼろっちぃ数打を抜いてじりじりと近づいてきた

 

「お、おい餓鬼…今すぐそいつを離しやがれ、そ、そうすりゃ命はとらねぇように

俺達がお頭にた「時間切れ」」

 

突きつけていた刀をそのまま突き刺し、素早く抜く

喉から鮮血が迸り山賊は声にならない悲鳴を上げる。

ま、喉に穴開きゃ声もでんわな

なんか山賊の一人がほざいてた気がするけど気のせいだろ

 

「ひっ!」

「こ、こいつやりやがった!」

 

山賊二人は仲間の喉から噴水の様に飛び出す血を見て怯んだ。

なのでさっさと距離を詰め、二人の喉も同じように斬った。

 

二人の山賊も血を噴出しながらその場に膝を着き、地に伏した。

一度血振りをして山賊頭に目をやる。

 

頭は二人のザマをみて恐怖しているのか、全身を震わせながら刀を抜く。

腰が引けてるその構えはどう見ても素人です本当にありがとうございました

 

「このっ…化け物がぁ!!」

 

まるで鍬で畑を耕すかのように思いっきり刀を振り上げたので

遠慮なく心臓を刺した

こいつアホだろ

刀身は体を貫き背中から切っ先が顔を出した

山賊頭は握っていた刀から手を離し胸に刺さっている脇差の柄を両手で押さえながら膝をつき、倒れた

 

山賊(肉塊)を漁った結果4人で300貫持っていた。

まぁ、こんなもんか

 

その後、京、堺、石山、で茶と茜を転がしながら交易品エサに釣られたカモを

ちょこちょこ狩り、余裕が出てきたら雑賀にも足を伸ばした。

賊連中は特に良い物落さなかったので全て二束三文で売り払った

 

結果2月1日の時点で80000貫貯まった。

 

 

さて、先立つものは出来たのでまず京の曲直瀬道三の元に向かう。

 

「いらっしゃいませ、薬の御入用ですか?」

 

「ああ、特効薬、風邪薬、万金丹、壮腎丹それぞれ99個、あと医術を教えて欲しい」

 

「ほう…指導となると時間と多少の銭を頂きますが宜しいか?」

「ああ、頼む」

「分かりました、先に薬を用意しますのでお待ちくだされ」

 

ここから半年程医術を学び、医術4になった

我ながら早い

まぁとにかくこれで薬も作れるようになった

 

道三に軽く礼を言って立ち去る

さて、次は鉄砲辺りで今浜にでも…

 

「これこれ、そこのお主」

 

ん?

振り向いてみると一人の爺さんが立っていた

爺さんはなにやらじろじろこちらをみている

 

「…佇みに隙は無し…じゃが精錬されたものではないの」

「そりゃそうだ、剣術なんて学んだ事ねぇよ」

「ふむ、もし良ければわしが鍛えてやってもよいぞ」

「誰なんだあんた?」

 

「…なに、少しばかり剣の心得がある爺じゃよ」

 

「…なんで見ず知らずの奴にそんなこというんだよ?」

「単なる年寄りの気まぐれじゃ。爺は若いモンに色々教えたいもんじゃて」

 

「…分かった。教えてくれると言うなら拒む理由は無い」

妙な真似したら斬ろう

「決まりじゃの」

 

こうして更に半年の月日が経った

 

…一行で済ませたが実際はガチで死ぬと思った。

毎日死の10分の9.5歩手前までしごかれた。

「若いうちはこれくらいじゃ死なんわい」

笑顔でそう言う爺さんに生まれて初めて恐怖を感じた。

 

 

「さて、これでお主に教える事は無くなったわけじゃが…これからどうするつもりじゃ?」

「織田に行く」

「ふぅむ…まぁお主の人生じゃ、好きにするのがいいじゃろう。ああ、そうじゃ」

爺さんは懐から巻物を取り出し手渡してきた

「餞別じゃ、持っていけ」

何々、印可目録。流派は……あ?

「ではの、食うのに困ったらわしの道場に来るがええ」

そう言って爺さんは去っていった

…なんでこんなとこ来てんだよ

 

 

さて、桶狭間まで後半年切ったが…

もう少しやる事がある

 

忍者だ

鬱陶しいくらいしょっちゅう報告してくる忍者だが、浪人の俺には当然いない。

なので情報が全く入ってこない。甲賀か伊賀で雇ってくる必要がある。

さて、どちらに行こうかな

そう考えながら京の大通りを歩いていると後ろから何かがぶつかった

「きゃっ!」

つんのめりそうなのを堪えて振り向くと中々良さそうな着物を着たガキが尻餅をついていた

ガキはすぐに立ち上がり俺の背中に回ってしがみついてきた

 

「わ、わたしをたすけなさい!め、めいれいです!」

 

あ?なんだこいつ

 

「ようやく追いついたぜぇ?全く…手間掛けさせやがって」

 

ガキが走ってきた方からガラの悪い野郎が3人近づいてきた。

 

「おうガキ、痛い目見たくなかったらそいつこっちに渡せ」

「さっさと引き渡した方がいいぜ?こいつマジでやるからなぁ」

 

そういや俺もまだ12か、確かにガキだな

 

「あ、あなたたちこそはやくさがりなさい!このおとこはすっごくつよいんですよ!」

 

娘がそう言うと野武士達は笑い出す

 

「いひっひひひ!そうかそうか、噂の吉岡流でも学んでるのか?」

「いやいや、もしかしたら印可でも持ってるかもしれんぜ?なにせすっごくつよいんだからなぁ?」

「ひゃひゃひゃ!そいつはすげぇ!ぶるってもらしちまいそうだ!」

 

「そ、そうです!よしおかのいんかです!だ、だからはやくさがりなさい!」

 

こいつ何もわかってねーな

 

「おうさっさとそいつ渡せガキ、その歳で死体になりたくねぇだろ?」

 

野武士の一人が無造作に近づいてくる。

俺の着物を掴む娘の指に力が入る。

3歩2歩1歩…

刃圏に入った瞬間に刀を野武士目掛けて振りぬいた。

完全に油断している野武士に避けられる訳も無く、首に鈍い音を立て直撃した。

野郎は膝を付き、そのまま倒れた

その場に居た俺以外の三人は目の前で起きた事態に頭が追いつかないのかただただ呆けている。

 

「俺が持ってる印可は吉岡じゃない」

 

そう言うと野武士二人はびくりと体を震わせる

 

「新当流だ」

 

 

 

 

数秒後

そこには力無く倒れている野武士達の姿がありました。

ちなみに面倒事にしないため全員峰打ちです。

さて、とっとと行こう

 

「ま、まちなさい!」

 

がきんちょがなんか言ってるけど無視で

これ以上の厄介事はごめんだ

上から目線も気にいらねーしな

 

「まち、ま、まって!」

 

んー忍者って幾らくらいで雇えんだろ?

とりあえず行きながら考えよう

 

 

 

 

「という訳であの二人売ってくれ」

 

伊賀の里 頭領の間

 

ここに来る前に抜け忍のくのいち二人を見つけた。

大怪我を負って瀕死だったのを助けた。

姉妹らしく、名前は姉が霞で妹が椿

聞いた話を要約すると、有能過ぎる腕と美貌が同僚のくのいちの憎悪と嫉妬の対象となり、

結果、覚えの無い濡れ衣を着せられて里を追われた。

その後、数多くの追っ手に追い詰められ、逃げる為崖から落下したとの事。

美貌の方は当人達の話を聞いて俺が立てた推測だが間違っていないだろう。

本人達は見に覚えが無いようだが。

ま、二人とも義理堅い人間みたいで丁度良いと思い、『話をつけてきてやる』

と言ってここに来た。

 

「…彼奴らは里の掟を破り、あまつさえ里を抜けた。生かしてはおけぬ」

「ここに1000貫ある、アンタだって事情はわかってんだろうが」

 

髭もじゃ爺…百地三太夫の無言は肯定って事なんだろう。

 

「無実の仲間を殺すのは里の掟とやらに反しないのか?」

「知った風な口を…」

「知らんし知りたくも無い。俺が知りたいのはあいつらを売る気があるかどうかだ」

三太夫は再び沈黙する

「2000、追っ手連中の『見舞金』を払っても十分釣りが来るだろ?

あとこっちは今後良い関係を築く為の手付金って事で」

 

そう言ってさらに1000貫出した。

 

 

 

 

 

 

 

1560年4月1日

 

という訳で織田家に仕官しました。

経緯を簡単に説明すると

 

・清洲城に到着

・対今川に備えて人材を募集していたのでその流れに便乗

・なんか手合わせすることになったので何十人かしばく

・身分の高そうな奴(森可成だったらしい)が出てきたのでこれもしばく

・武芸馬鹿と思われては仕官は難しいので統率力を披露

・組頭として仕官成功    ←今ココ

 

んで早速二人には田楽狭間の詳細な地形調査を頼んだ。

あの後、戻って事の次第を話し三太夫から預かった手紙を渡した。

二人は手紙を読み終わると深々と頭を下げ、忠誠を誓った。

手紙は暗号で書かれており内容は理解できなかった

 

ちなみに伊賀を立ち去る前に早速一つ依頼を出しておいた。

 

 

「九州の調査…?」

 

「正確には島津、大友、竜造寺の三家だ。数年以内にどれかが潰れる可能性がある。

潰れた家のこれに書いた人物の居場所を抑えて素早く報告してくれ」

 

さて、種は蒔いた

実が生るのは何時になるかな

それまでにやるべき事はやっとかないとな

 

 

1560年6月10日

 

桶狭間の戦いが終わっても織田が休まる事は無かった。

今川との戦後交渉、松平家との同盟、美濃斉藤家攻略、領内の整備、軍事etcetc…

お陰で家老から組頭に至るまで仕事に追われていた。

無論俺もだ。

今も余りの忙しさに立ち眩みがしたような気がしたためやむなく昼寝している所だ

身分の所為で大きな仕事は無いもののいかんせん量が多く人手が足りない。

 

…奴を引き入れてくるか

 

 

 

1560年6月20日

 

仕事が一段落したところで甲斐と駿河の国境付近の山間に向かった。

霞達の報告があった場所には小屋が一軒存在した。

 

・大久保長安(天下の総代官と言われた内政チート)

 

が居るのは分かるんだが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・長野業正(信玄に『業正が居る限り箕輪城落とせねーわ』と言わせた名将)

・武田信繁(信玄の弟にして武田二十四将の副将格、山県昌景に『真の副将』と呼ばれた男)

・山本勘助(存在自体が怪しい武田の伝説的軍師、海津城を作ったとされている)

 

も居た。

 

なんでやん

 

信繁と勘助は元々武田側に危険視されていて、第四次川中島バトルのドサマギで命を狙われた所を

協力して何とか逃げてきたとの事。

業正は主君である上杉憲正に家中での影響力を恐れられ、同じく命を狙われた為。

箕輪城に居るのは憲正が用意した影武者らしい。

憲正はすでに北条にフルボッコにされ越後に落ち延びているがもう戻る気は無いとの事。

信玄は影武者に気づいているらしい、が、これ以上上杉と領地が接触するのを避ける為放置しているらしい。

理由は義元があぼんした駿河に狙いを定めた為である。

山国しか持たない武田にとって、海に面し、且つ肥えた土地である駿河は喉から手が出るほど欲しい。

だが三国同盟をしている以上、今川を攻めれば確実に北条が切れる。

氏康は子供を上杉の養子に出している為、北条と上杉がタッグで2穴攻めしかねない。

無駄に相手の攻め口を増やしたくないのだ。

 

北条は気づいているか不明だが、里見や佐竹等関東東側の勢力駆逐に集中しているらしく、箕輪城は完全スルーらしい。

 

このような理由で箕輪城は主が不在であるにも関わらず、奇跡的に他勢力の介入を受けず存在し続けているらしい。

 

で、三人共何故か偶然出会った長安と意気投合し、ここに潜伏中との事

 

理由はうさんくさいが罠にしては人員が豪華すぎる

 

だが分からない事がある。

一人以外異常に若い

長安が15なのは分かるが業正と勘助が20代後半、信繁も18とかイミフにも程がある。

どういうことなの…?

 

だが(長安以外は)本来この世にいないチート集団…しかも若返り状態。

これを逃す手はねぇ…俸禄は自腹切れば問題無し

 

 

家臣になってくれないか聞いてみると

業正が『侍なら拳で語れ』とかなんか良く分からん事を言ってきたので、交渉(物理)を行った。

クロスカウンターで勝利すると業正は大笑いし、

「今日この時より殿と呼ばせていただきまする」

と言って忠誠を誓った。

それを見ていた三人もすんなりなってくれた。

 

しばらく薄給なのは勘弁してくれと言ったら何故か全員に爆笑された

 

 

 

1560年12月10日

 

「じゃ、また来るよ」

 

娘の診察を終えて家を出る

父親と弟は軽く頭を下げていた

 

4人を家臣にしてかなり時間に余裕が出来たので清洲の町に来ている。

 

あれから清洲に戻り、4人にこれからの予定を話した

まず学ぶ事

合戦系、内政系技能がほとんど無いのは武将として致命的だ。

これだけのチートがいる今、協力してもらわない手は無い。

内政系は長安、軍事系は信繁、勘助、業正に仕事をかねて学ぶ事ができる

 

そしてもう一つが顔を売る事

 

俺は新参者だ、出世したら古参連中に疎まれる。今の内から謙虚な姿勢を見せておく必要がある。

少なくとも面と向かって言う奴は減る、それが一つ。

もう一つは楽市のお陰で清洲には日本中から人間が集まっている。

その中の技術や人脈を持っている連中と渡りをつけておきたい。

今は下地を作るときだ。慌てず焦らず

 

最近は仕事の合間を見て勉強、若しくは困った奴を見つけては(金関係以外で)人助けをしている。

4人にも身分問わず出来る限り人助けをするよう言っておいた。

その際さりげなく俺の名を売るように、とも。

 

俺も色々やっているが代表的なのが医術だ。

暇を見て怪我人や病人を無償で診ている。

お陰で多少顔が利くようになった。

その所為か、診察帰りに町中を歩いていたら声を掛けられたのだ。

 

曰く、娘はある日突然歩けなくなり何人もの医者に診てもらったが皆、口を揃えて『原因が分からない』と言う。

中には娘が嘘をついているのでは?とまで言う者もいた、と。

清洲には日本中から人が集まっていると聞き、藁にも縋る思いで移り住み医者を探している内に俺の噂を聞いたとの事。

言葉を濁していたが身なりと所作からして結構な身分の武士だと感じた

 

んで早速家にお邪魔して診察を始めた。

家の中には俺を呼び止めた父親、父親の弟、母親、兄、妹の五人、兄は家に入ったときからこちらを睨みつけている。

恐らく父親が言っていた、前に診察した医者が原因なのだろう。

 

家族が見守る中、診察を始めた

色々と確認し、家の前に移動し娘に聞こえないように父親、弟、兄に伝える

母親には娘をみてもらっていた

 

 

「まず結論から言うと、彼女はいたって健康だ」

 

そう言うと兄がいきなり刀を抜いた。

 

「やはり貴様も妹を愚弄するか!叩き斬ってやる!」

 

父親と弟が止める間もなく斬りかかって来たので鞘を鳩尾にめり込ませた。

刃傷沙汰とか洒落にならん。

大人しくなったので話を続ける。

 

「人体に異常が起きる原因は三つだ。怪我、病気、そして心」

 

途端に父親と弟の顔が変化する。

やはり原因に心当たりがあるようだ

 

「過去の体験が原因で全くの健康体に異常が起きる事は稀に起きる」

 

ようは心理的外傷トラウマだ

さっきの診察の最中色々と質問していたら、歩けなくなった日の事についてのみ反応がおかしかった。

それも全員が。

父親が『普通に生活していたら突然…』と言っていたが、娘はまるで思い出したくない事のように顔を逸らし、その表情はとても暗かった。

 

「理由は聞かんよ、こんな時代だしな。ただはっきり言えるのはどんな医者であっても治療できない。

彼女自身が克服するしか方法は無い」

 

父親は苦悶の表情を浮かべる。

 

…とは言ったものの、何もしないのは医者としても癪だ。

家に篭りきりでは心が塞ぎがちになり、治す事は難しいだろう。

ここは人脈を利用してみるか

 

「治療は出来ないが手は尽くしてみる。少し時間をくれ」

 

その後、家に帰りある物の図面を引き、それを知り合いの大工の親方の所に持っていった。

以前事故でかなりの職人が怪我した時、手を貸した事があり『何かあったら何時でも言ってくだせぇ!』と言われていた。

んで事情を話して図面を見せると親方も職人達も皆泣き出した。

 

ここの連中顔も体もゴツイけど根は善人でその上涙もろいのだ。

やれ俺の目に狂いは無かっただの、アンタは男の中の男だの当然の事を言った後に作成を約束した。

完成までの間、仕事の合間をぬって親方の下に向かい色々相談しながら作成した。

 

 

1560年12月22日

 

完成したブツを持って娘の家に向かった。

持っていったのは車椅子だ。

椅子の横幅と背もたれの角度は調節可能で座布団も敷いてあるし傘を差せる筒も付けてある

全員に怪訝な顔をされたので説明して乗ってもらう。

最初は戸惑っていたが、やがて娘の顔に笑みが浮かんだ。

ただ、家族は外で娘が好奇な目で見られないか不安だったようだが

そんな奴が居たら大工連中が速攻で(家を)潰すから心配いらないと言っておいた。

良い意味でも悪い意味でも有名だからあいつらの物と知ったらんな事はしないだろう

 

病は気から

これで多少は好転するだろう。

 

最後に椅子の調子が悪くなったら親方がタダで見るって言ってたことも伝えその場を去る。

 

 

何日か経って家に父親と弟がやってきた。

あれ以来、娘は毎日のように兄や母親と出かけており笑顔が絶えない、本当に感謝している

との事

 

で、この二人

 

 

 

 

・立花道雪(チートの多い九州で三指に入る名将、マジパネェとしか言いようが無い)

・高橋紹運(760人前後で5万(島津義弘)相手に篭城し3000人道連れに、戦神の化身と呼ばれる)

 

 

チートでした

 

って事は兄は宗茂か?誾千代(鬼嫁)いねーぞ?

 

・立花宗茂(紹運の実子だったが道雪の婿養子になる、秀吉に鎮西一と言われた名将)

 

 

海老で鯛を釣る気で家を出たら黒鮪が家の前で飛び跳ねてたでござる

嬉しいよりも困惑が強い

 

以前NINJYAを九州に派遣した理由の一つは大友が潰れた際にこいつらの所在を調べて家臣にするつもりだったのだが…良い意味で計算狂いすぎじゃね?

 

 

色々考えていると道雪が素性を明かし、大友を抜けた事情を話し始めた。

 

大友の岩屋城城主、高橋鑑種(紹運との血縁は無し)が毛利に寝返り、説得の為道雪と紹運が派遣されるも失敗。帰ってみると二人が毛利と内通しているとの噂が家中全体に広まっていた。

本来なら重臣である二人にその様な噂が立つ事はありえない。

だが『何故か』鑑種が毛利に宛てた手紙を義鎮が入手しており、そこには二人が岩屋城に赴いた際に寝返った事が記されていた。

道雪の師匠に当たる角隈石宗、紹運の実父である吉弘鑑理等、他家の謀略である事を主張した者もいたらしいが二人を嵌めようとする家臣団と一門衆、道雪の説教をウザったく思っていた義鎮によって兵を向けられる。その際、一門衆の何人かが道雪の娘に乱暴を働こうとした為、宗茂と家に居た紹運がガチギレ。

一門衆を〔チョンパ〕し、さらに向かって来た兵を37564

そのまま一家全員で九州を出た、と

 

娘の足が悪くなったはこの時からだそうだ。

未遂で済んだのがせめてもの救いかもしれない

 

こういう謀略が出来そう&ヤリそうなのは…本命でナベシマン、対抗で元就、大穴で島津ってとこか?

 

…にしても、道雪が歩ける代わりに娘が障害負ってるのか?

 

ちなみにこの後、宗茂と会ったらいきなり土下座して腹切ろうとしたので蹴っ飛ばしておいた。

 

で、二人は恩返しと俺の評判を聞き家臣の端に加えて欲しいとの事だったので二つ返事で了承した。

 

 

 

 

なぁ…信じられるか?俺まだ足軽大将なんだぜ…

 

この時点で既に家臣6人の上、全員チート

もう何も怖くない、とは言えんけど人手不足の心配は無くなったな。

 

 

 

1561年4月4日

 

「では、今日はここまでにしますね」

 

その言葉を合図に居住まいを崩す。

体中が痛い、首や肩を回すとごきごき音が鳴る

 

今日は道雪の娘、翼を家に招き礼法の指導をしてもらっていた

立花家は九州でも名門だった為、その手の教養に心得があるとの事だったので

暇を見て鍛えてもらっているのだ。

 

「いやぁ今回もためになった!翼殿、まこと感謝いたす!」

 

体も声もでかい男が礼を言う

少しすると宗茂が迎えに来た。

一緒に帰っていくのを男と見送る。

 

「で、お前何時までいるんだよ。用が済んだならはよ帰れ」

「まぁまぁそう言わず、これから町に行くのであろう?ご一緒させていただくとも!」

 

満面の笑顔で言うこの男

 

・前田慶次(説明いらんでしょ)

 

コイツである

 

 

俺の噂を聞き興味を持ったらしく、ある日突然長屋にやってきた。

「なるほど!いい目をしておられる!」とか良く分からん内に気に入られてしまい

以来こうやって付きまとわれている。

その上俺が礼法を学んでいる事をどこからか仕入れていたらしく「是非同席させてくだされ!」

としつこく言われた。

ウザかったので断ろうかと思ったが翼がかまわないとの事だったので、邪魔したら蹴り出す

とだけ言ってやむなく許可した。

 

 

「気難しい奴に会いに行くんだよ。悪いが今回は本当に遠慮してくれ」

 

目的地は近江今浜

鍛冶屋、国友善兵衛に会いに行くのだ。

気難しく親しい者としか会わないとの事だったので今まで会いに行かなかったのだが、

先日手助けした鍛冶屋の爺さんが知り合いらしく、頼んだら喜んで手紙を書いてくれたのだ。

で、最近は仕事の合間を見て近江に行き、善兵衛に鉄砲術と鉄砲の作成法を教わるという

予定も加わり、休む暇も無いので薬漬けになりながら日々を過ごしている。

 

 

 

 

1561年6月3日

 

佐久間信盛が墨俣築城を開始した。

動くにはまだ時間があるので仕事、鍛錬、人脈作り、あと自作鉄砲の製作に励む。

 

ついでに九州で米転がしを開始する

 

薬の所為か、たまに幻覚が見えるようになる

 

 

 

1561年7月1日

 

佐久間が失敗し、柴田勝家が築城を始めた。

霞達を使いそろそろ動く準備を始めておく

魔改造鉄砲(ライフリング+自作スコープ付)が完成

作成法は厳重に秘匿する

 

米転がし一旦終了

所持金が50万貫近くになる

農民には被害が出ないよう加減したので人口増加に繋がるだろう。

大名共にとっては阿鼻叫喚の地獄絵図が展開するだろうが知ったこっちゃ無い。

本当は予定に影響の少ない東北でやろうと思ってたんだけど…まぁ大友への意趣返しって事で

 

 

 

 

 

 

1561年8月4日

 

藤吉郎が築城任務を受けた

それと同時に信長にある提案をして任務を受ける

 

 

1561年8月10日

 

美濃三人衆の稲葉一鉄に会う

道三が信長に渡した国譲り状を引き合いに出し調略に成功

そのまま安藤守就、氏家卜全にも会いこれも成功

 

清洲に報告に行く前に竹中半兵衛に会いに行く

引き抜く為ではなく単純な好奇心で

 

既に三人衆の事は知っていたが捕らえようとはせず、ゆっくり話ができた。

 

 

その後清洲に戻り報告

かなりの高評価を得た

直後に藤吉郎が墨俣築城に成功との報が入る

 

勝家や成政等、藤吉郎を毛嫌いする連中は三人衆が調略されたおこぼれだと言っていた

 

墨俣築城を引き受けなかったのはこういう連中に目を付けられない為だ。

築城に失敗したのは勝家、佐久間の譜代組

それを新参者が達成してしまえば奴らの面子を潰し、必然的に奴らの派閥にロックオンされる。

敵に回すと厄介極まりないのだ。

 

体を張っての築城と口先だけで落城。

脳筋の多い織田家なら、本来連中の矛先が向くのはこちらなのだが、『譜代の勝家、佐久間が失敗した』『達成したのが新参の藤吉郎』という理由から嫉妬や妬みの対象になっていない。

 

実際に藤吉郎には確かに高い能力がある…が、他者への配慮が欠けている。

出自故か、手柄に貪欲なのは仕方ないかもしれない、が、家中の人間を利用するだけしておいて手柄は独り占め、のような事をすればキレるのは当然ではなかろうか?

そのような行動が積み重なった結果、藤吉郎の評判は自身の直臣である小一郎や小六以外にはすこぶる悪い。(利家のような例外はいるが)

 

そのハングリーさが原動力になっている以上、一概に悪いとは言えないのだが…

ま、だからこそ今後も連中の溝が埋まる事は無いのだろう。

 

 

 

1561年9月

 

半兵衛が稲葉山城を乗っ取り数日後に退去

そのまま近江に隠棲する

藤吉郎が調略に向かったが失敗した

まだ誤差の範囲かな

 

1561年10月4日

 

丸裸の稲葉山城攻略が開始される

藤吉郎の部隊が城の搦め手に突っ込んだのを切っ掛けに総攻め開始

足軽大将の俺は兵力が少なく三人衆の件で手柄を立てている事もあり今回は適当にやっておくつもりだった、のだが…

チート家臣共がフィーバーしてしまった為(主に紹運と業正)中の上くらいの武功を立ててしまった。

もっとしっかり手綱握らんといかんな

 

 

1561年11月

 

織田家は稲葉山城に拠点を移し、その際に岐阜と改名

美濃攻めの論功行賞により昇進や褒美等の沙汰があり、藤吉郎も武将に昇進した。

譜代連中は気に入らないようだったが墨俣の築城、稲葉山城で龍興の確保と武功は大きく、皆苦虫をかみ締めるような表情だった。

俺はひっそりと侍大将になった。

本来ならアホのようなスピード出世なのだが立志伝だから何もおかしいところはない。いいね?

 

1561年12月

 

九州と○○で米転がし

霞と椿を通じ、伊賀の連中に仕事を依頼する

 

1562年1月

 

米転がし終了

金が100万貫を突破する

伊賀忍によると九州の情勢はgdgdとのこと

最大勢力大友の主力が居なくなった事で、龍造寺は北部で暴れ回り島津も南部で領土を広げているとか

但し米転がしの影響で戦の頻度は以前の4分の1程の為、どこもそれほど大きくなっていない。

これ以上の調査は無意味と判断し、伊賀忍に切り上げさせる。

 

 

1562年3月1日

 

長島攻めを任命される

と言っても役目は後方での兵站確保、様は補給部隊なので戦闘は無い

総大将は佐久間信盛、兵力8000

主だった連中は未だ戦後処理に追われている為大した人員はいない。

美濃攻めで活躍できなかった連中に機会を与える、という理由もあるかもしれない。

長島自体の兵力も少なく、質も農民の集まり故問題無いと判断したのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予定通りだ

 

 

 

 

 

 

1562年5月4日

 

「若輩者が意見するでないわ!下がって任務に戻れ!」

「…は」

 

陣幕を出て勘助、道雪と共に佐久間陣から去る

 

「いかがでしたか?」

「余計な口を挟むなだとさ」

 

陣の中はちょっとしたお祭り騒ぎになっている

まるで戦勝祝いをしているかのようだ。

 

 

城を包囲して一月経つ。

敵の反撃は弱く、何時落城してもおかしくない。

…にも関わらず城は落ちない。

 

だが包囲部隊は既に勝った気でいるらしく、すっかり軍規が乱れている。

それを推奨しているのが総大将なのだから手に負えない。

士気を高揚させる為というのは分かるがやりすぎだ。

ここを夜襲されたら壊滅は免れない

なのでそこらへんを注意するよう言いに来たのだが結果は御覧の有様である

 

「一応忠告はしたんだ、あとでどうなろうが知ったことじゃない。

だが俺達まで巻き込まれる謂れは無い。戻り次第全員集めろ」

 

「「はっ」」

 

ま、こっちの話を聞かないの承知の上で来たんだがな

 

 

 

 

 

 

 

「で、なんでお前付いて来てんの?」

「この場所は好かん」

 

あと何故か戻るときに包囲に加わっていた慶次がくっ付いてきた

 

 

 

1562年5月10日

 

 

「…すまん、もう一度言ってくれ」

「佐久間信盛殿、尾張方面に向け撤退いたしました」

 

物資の確認作業をしていると椿から予想の斜め上の報告が来た。

すぐにチート共を召集し、詳しい話を聞く。

 

 

椿によると事が起こったのは昨日夜半

 

長島城の門が突然開き、一向宗が打って出たと同時に城外に潜んでいたと思われる多数の一向宗と農民達が包囲部隊の背後から襲撃を仕掛け、織田軍は挟撃される形となった。

 

警戒していない所を前と後ろの2穴攻めをされ包囲部隊はほぼ壊滅

佐久間信盛はほうほうの体で逃げ延びたらしい。

が、執拗な追撃と夜半である事、そして地理に疎い事で方角を失い、結果、運良くと言っていいのか悪いのか、尾張に向かったらしい。

 

でこちらにも追撃が迫っていると

 

ここまで聞いてうちの家臣共は動じない。

当然だ、佐久間の行動こそ予想外だったがこうなるであろう事は伝えてあるし、本人達も分かっていた。

何よりも、この程度で慌てふためくような連中じゃない(長安除く)

そして既に対策も立てている

 

 

 

「これからの行動を伝える」

 

仕込みは上々、後は結果を…ってか?

 

 

 

1562年5月11日夜半

 

前方から松明の光が迫ってきている。

長島からの追撃部隊約8000。

こちらは逃げ帰ってきた佐久間隊を吸収しても動けるのは精々2500

 

「なんとまぁ、結構な数ではないか」

「勝ち戦なんだ、当然だろーが」

「わはははは!然り然り!」

 

人の横で目を輝かせながら一向宗を眺める慶次

いちいち声がでかい

 

「しかし…ならば何故お主は留まる?」

「佐久間殿から撤退の指示は来ていない。ならば何処かで部隊を立て直しておられるのだろう。

であれば我ら補給部隊が退くことはできん。この地に残った織田軍が壊滅してしまう」

「成程成程、筋書きは既に用意してあるという事か」

「我らは一向宗を討ち、長島城に向かう」

「ほうほう、この戦力でかね?」

「どこぞの大将に教えてやるさ、城攻めの仕方をな」

慶次は再び呵呵大笑した

脇を蹴っておいた

 

 

 

 

さて、俺達は現在左右を山に囲まれた隘路の出口に陣取っている。

隘路と言っても横幅は十分なので、あの程度の数には余り意味を成さない。

では、何故このような場所で待ち構えたのか。

 

まず、奴らが隘路の半ばに入ったところで左右の山から勘助、信繁指揮下の見せ勢を出す。

だが勝ち戦である以上、この程度では奴らは止まらないし、指揮官もすぐに気づくだろう。

だが、そこにもう一つ要素が加わったら?

例えば…

 

 

 

 

 

 

 

隘路の両側、山の麓から炎が燃え上がる。

炎は山に向かわず、隘路に激しく広がっていき、一向宗の幅を狭めていく。

火は恐怖心を煽る。

訓練された兵でさえ逃げ惑うのに唯の農民達が恐怖に抗える筈も無い。

見せ勢と迫り来る炎。

隘路は地獄絵図と化した。

指揮官がどれだけ優秀であろうとも、恐怖に駆られた兵を繋ぎ止めるのは極めて難しい。

火を恐れた大多数は撤退していく。

だが隘路を出た所を伏せていた紹運、業正隊が左右から襲い掛かる。

暗闇によりこちらの数が分からないことと、見せ勢のお陰で一向宗は混乱の極地に達した。

僅かに前進してきた者達はというと

 

「弓構え、唯火の間を狙って射ろ。そうすれば勝手に当たる」

 

待ち構えていた俺と道雪の本隊によって壊滅(慶次もヒャッハーしていた)

 

 

 

 

 

 

1562年5月13日

 

 

長島城に到着

ボコったとはいえまだまだ数は多く、城は堅固、士気こそ下がっているものの本来なら勝てる要素が無い。

が、実態は王手一歩手前だ

 

まず伊賀忍が既に中に入り込んでいる

去年の内に依頼しておいたアレだ。

で、城内で噂を流させてある

 

昨日の戦で一向宗を蹴散らした大将は桶狭間で自ら今川義元を討ち取った男とか

清洲での俺の善行とか、

後は指揮官の坊主共が逃げ出す準備をしているとか農民の命と引き換えに自分達の身の保障を織田に要求しているとか

とにかく色々流しまくってやった

 

噂はほっといても尾ひれ背びれがつく。

勝手にこっちを大きく考えてくれるのだ

 

で、もう一つ

 

 

城は兵糧が尽きかけているのだ

何故か

 

 

 

 

 

 

 

米転がしである

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、伊賀忍に依頼を出すのと同時期にやっていたアレだ。

九州に行く前に長島周辺を荒らしておいた。

根こそぎやったわけではないので多少は兵糧もあっただろうが…そろそろ限界だろう。

 

 

 

 

 

さて、敵は猛将、率いる兵は大軍(と思い込んでいる)、坊主は信用が出来ない。

そのうえ食料も心許ない。

普通の城なら降伏を考えるかも知れないが、そこは指揮官の願証寺証恵

自身の統率力と仏の教えとやらで士気を保たせていた。

 

 

さて、では詰みに行きますか。

 

 

 

 

 

1562年5月26日

 

城が落ちた

以下経緯

 

1軍使を派遣し「城内の非戦闘員が餓死するのを見るは忍びない」とかそれっぽいことを適当に言って城に昼と夜に(雀の涙程の)米を送る。

2実際は夜にしか送らない

3城内の米が無くなる

4問い詰めてくる連中に「城主の指示で裏門から人目に付かないよう担当の者に渡した」と言う

5サクラ(伊賀忍)に「そう言えば坊主達が裏門でコソコソ動いてたような」的な事を言わせる。

6城内の坊主連中への不信度爆△

7腐れ坊主よりも織田に城渡した方が良くね?とサクラに煽らせる

8内乱発生

9ドサマギで忍者に門を開けさせ全軍凸

10本願寺の坊主連中軒並みあぼん

11開城




こんなもん続き書きようがぬぇ

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